先日の「読売新聞」の朝刊に、芥川賞作家の「町田康」(まちだ・こう)さんが投稿されていた。
小見出しは「酒はアンプ 性質を増幅」。細かい字で読みづらいだろうから関係部分を抜き書きしてみると・・、。
「人によって酒とはなになのか、ということがある。ある人は酒は百薬の長といって酒を善きもののように言う。ところが別の人は命を削る鉋(かんな)と悪し様に言う。いったいどちらなのか。
自分が酒を飲んだときの状態をいま振り返ってつらつら考えるにこれはどちらも正しい。
どういうことかというと、酒はオーディオ装置などに組み込まれているアンプ、すなわち増幅器ということである。
増幅器は入ってきた信号を増幅、すなわち大きくしてスピーカーに伝える。これによって私たちは大きな音で音楽を聴くことができる。
同様に酒は、私たちの元々持っている性質を増幅する。もともと人が好きで人と仲良くしたいという心を持っているのだが、普通の状態だとそれが微弱でなかなか人に伝わらない。
そこで酒を飲むとこの気持ちが増幅され、人と心を通わせることができるようになる。これは酒の美点である。
ところがアンプは音量を上げるだけであり、その特性を変えるものではない。アンプを通したからといって嫌な音がいい音になるわけではない。
同様に酒は私たちの中にある、人間としての嫌な部分を増幅する。これが酒の難点である。嫌いな音楽を好きな音楽に変えたうえで増幅してくれるアンプがあればよいが、そんなものはない。
だから元々、よい性質を持っている人は酒を飲み、これを増幅するのがよい。そうでない人は止したほうがよい。
さて、私はどちらであったか。それは言わぬが花でしょう。」
というわけで、今回のテーマは酒。
私たちにとってはたいへん身近な存在で、誰にでも大なり小なり酒にまつわる失敗談があるはずだが「飲み方次第で毒にも薬にもなる」のは周知のとおり。
そこで「酒の功罪」について整理してみると、まず「功」の面から、
1 コミュニケーション・ツール(人間関係の潤滑油)
2 精神安定(リラックスとストレス解消)
3 生活習慣を予防(食欲の増進、血管の拡張)
4 「適量だけ飲む人」が「死亡率低下の効果」が最も高い
そこで適量というのは次のとおりとされている。
ビール(中瓶1本500ml)、日本酒(1合)、焼酎(コップ半分)、ウィスキー(ダブル1杯60ml)、ワイン(グラス2杯200ml)
次に「罪」の面からいくと、
多量の飲酒によって引き起こされるのが「身近な人に迷惑をかける」「交通事故や暴力」「アルコール依存症」「メタボ症候群」「生活習慣病」「ガンの誘発」(つい最近の記事にも酒はDNAを傷つけてガン化するとあった)
といったところ。
我が家ではこのところ晩酌で「日本酒」「焼酎」「ワイン」「ウィスキー」の「少量」を日替わりメニューのように飲んでいるが、まるでオーディオとそっくりで移り気なところはどうやら性格的なものらしい(笑)。
ところで、オーディオ愛好家の皆様は冒頭の町田氏の「酒はアンプ・・」を読んでどういうご感想をお持ちでしょうか?
そう・・、引っ掛かるのは「アンプは音量を上げるだけであり、その特性を変えるものではない。アンプを通したからといって嫌な音がいい音になるわけではない」の個所だ。
これは間違いですね。
我が家ではアンプを換えることはまさに「死活問題」で「嫌な音がいい音になる」のをこれまで数限りなく経験してきているし、さらには真空管の種類によってさえも増幅の密度というのか音の質感が明らかに違ってくる感想を抱いている。
言い換えると、「唯一無二の音」(原音or好きな音)があって、それへの近づき方が(距離感も含めて)違うという表現が正しいかもしれない・・。
つまり、アンプは単なる増幅装置にあらず、その役割はオーディオにおける「壺中の天」ともいうべき愉しみ方にあるのだが、その一方で世間一般の認識とはそんなものかと、何だか淋しくなりますなあ・・(笑)。
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「世の中には二種類の人間がいます。カラ兄を読んだことのある人と読んだことのない人です。」
「ひとつ、村上さんでやってみるか」を読んでいたら、79頁にあったのがこの言葉・・、著者は村上春樹さん。ちなみに「カラ兄」とは「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)のこと。
まるで「敵か味方か」みたいに、こうやってものごとを単純化するととても分かりやすいですね(笑)。
印象に残ったので、引用してみたわけだが「カラ兄」を読むと人生観が変わるという話をよく聞く。「将来、カラ兄のような長編小説を書きたい。」というのが村上さんの願望だそうだ。
実は先年、娘から「お父さんも読んだ方がいいわよ」と、「カラ兄」(岩波文庫版、全4冊)を受け取ったものの、いまだに部屋の片隅にツンドク状態になっている。
何せブログの更新をはじめ何かと忙しくてね~(笑)。
それにもうこの歳になって人生観が変わっても仕方がないし・・、ま、諸々が一段落した暁には、ひとつ腰を据えて読んでみようかな。
さて、文学の最高峰は衆目の一致するところ「カラ兄」で決まりのようだが、クラシック音楽の最高峰は何だろうか?
あれやこれや言ってみてもクラシック音楽を峰にたとえると、年代順に行けば、登りやすい足場を築いたバッハに始まりモ-ツァルトという頂上を経てベートーヴェンという広大な裾野で終わるようなもの。
で、真っ先に浮かぶのは「マタイ受難曲」(バッハ)だろうが、個人的に思い入れが強いのはオペラ「魔笛」(モーツァルト)である。
またか~(笑)
600曲以上もの膨大な作曲を手がけたモーツァルトだが、その中でも深い感動に満ち溢れたハイテンションの感覚を味わうには何といっても魔笛に指を屈する。40年以上にわたってモーツァルトをひたすら聴き込んできた専門家が言うのだからこれは間違いない(笑)。
さしずめ、冒頭の言葉をもじると「クラシックファンには 二種類 の人間がいます。魔笛を好きになる人と、そうでない人です。」
心強いのは(魔笛には)強力な応援団がいること。けっして孤軍奮闘ではない。
かの畏れ多きベートーヴェンはモーツァルトの最高傑作は「魔笛」だとして、のちに「魔笛の主題による12の変奏曲」を作って献呈しているし、文豪ゲーテだって「人間どもをからかうために悪魔が発明した音楽だ」と述べているし、「五味康祐」さん(故人、作家)だって個人的に好きな曲目のランキングで堂々とベスト1に挙げられている。
どうやら玄人筋に評判がいいようだ。そりゃそうで2時間半に亘る長大なオペラなので、いかに幾多の名曲に恵まれているとはいえ、ずっと聴き通すのに根気がいるのはたしかで初め~て聴く人にはちょっと敷居が高すぎる。
それに真正面から「さあ、聴いてやるぞ」と意気込んで向かい合うと空振りになること請け合い。“ながら族”で聴いているうちに、何となくメロディが耳に焼き付き、そしてだんだん深みにはまっていく。そして最後はもう魔笛を聴かないと夜も日も明けない、このパターンが一番自然だ。
「クラシックという広大な森に分け入ったからには魔笛を好きにならないと大損をしますよ~。」と、声を大にして叫んでおこう。
とはいえ実際に試聴するのはこのところ年に3~4回に留まっている。
若い頃から魔笛に淫してしまいCD、CDライブ、DVDなど、もっといい演奏はないものかと、とうとう50セット近く買い集めて(おそらく日本一のコレクションだと思う!)聴きまくってきたので、耳が倦んでいる面もある。いかなる名曲でも聴き過ぎると敬遠気味になるのは音楽ファンなら先刻ご承知のとおり。
そしてつい先日、魔笛を久しぶりに堪能した。たまたま昔の録画番組を整理していたら見つけたもので、クラシック専門番組「クラシカジャパン」(637チャンネル)による放映を録画したもの。
指揮はアーノンクール(1929~2016)。これは2012年ザルツブルグ音楽祭の出し物で非常にユニークな演出で大きな話題となったもの。
アーノンクールといえば「古楽器演奏に固執する個性派」として知られ、異端のイメージが抜けきれず・・、実はこれまでイマイチだと思っていたのだが、この魔笛は別で違和感なく溶け込めた。歌手たちも若手が主体でまったく名前を知らない歌手ばかりだったが、たいへんな熱演で力量不足を感じなかった。
しかし、「アーノンクールはこんなに “まとも” だったかな?」と疑問を覚えたので、1987年に録音した手元の魔笛(CD盤)を改めて聴いてみた。
144分間ずっと耳を傾けたがあまりにも立派な演奏に胸を打たれた。歌手たちもグルヴェローヴァをはじめ超一流ばかり。
アーノンクールは当時とまったく変わっていない・・、過ぎ去っていく時間の中で自分だけが “置いてきぼり” をくった感じ。自分はいったい何を聴いていたんだろう?
もしかして、当時に比べてオーディオシステムを一新したせいかな~(笑)。
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日頃の読者ならご存知の通り、我が家にはスピーカーや真空管アンプが溢れかえっており、置き場所に困るほどでもう飽和状態に達している。
それに、いまさら新しい機器を揃えたとしても時間的にあとどれくらい楽しめるのか・・、もはや自明の理である。
ところが分かっちゃいるけど止められないのが、オークションでの「掘り出し物」漁り~(笑)。
いまだに、性懲りもなく毎日チェックしているのだから執念というのか、惰性というのか・・、習慣は恐ろしい。
そして、つい最近 網にかかったのがこのアンプ。
タイトルは「GEC(英国)LS7 パラシングル セパレートアンプ」
真空管「LS7」を使ったシングルアンプは我が家で「AXIOM80」用のベストアンプとして君臨しているエース級のアンプである。これがパラシングルとなると、パワー感も一層増して妙なる響きを醸し出すに違いない。
しかも開始価格が「1000円」となると黙って見逃す手はないよなあ・・(笑)。
オークションの解説にはこうある。
ベテランビルダーさんの手によって丁寧に組上げられたアンプです。
本LS7の単管ラインアンプで中高域が綺麗で透明度があり好印象だった事からパラシングルで組み上げたアンプです。
小出力ではありますが、特段の不満を感じることなくフルレンジユニットで聴いておりました。
アンプの台数が増えてしまい整理目的から出品させて頂きます。
詳細は避けますが、使用部品は海外の著名品を奢り配線材(ヴィンテージ単線)含め手抜きは無いと自負しております。
内部写真を参照下さい。
シャーシはグリーンハンマートーン仕上げのとても綺麗なシャーシで製造中止となり入手は不可能になりました。
尚、使用時間は極少です。
*予備球として揃えたGEC LS7 新品4本をお付けします。
●概要
前段:TELEFUNKEN RE904/MH4
出力管:GEC LS7
整流管:PHILIPS Miniwatt AZ1
電源トランス:PMC-55FM
CHトランス:米MOTOROLA 25K83552-C
INTトランス:LIST特注品 (10KΩ 1:1)
OPTトランス:PMF6WS-3525
●サイズ
W350xD205xH170mm
以上のとおり。
欲しくて、欲しくてもうたまらん‥(笑)。
長年の勘から「上限価格13万円」くらいならいけるんじゃないかな・・、そこでじっくり入札の推移を見守りながら、落札当日の夕方になって乾坤一擲の勝負とばかり「13万円」の値札をパソコンに打ち込んだ! すぐに「あなたが最高値です」のお知らせが踊った・・。
こうなると、もうかなり頭に血が昇っていますね・・(笑)。
そして、いつものように20時ごろから白河夜船で後は結果待ち~。
翌朝(22日 月)、4時ごろに起床してパソコンを開いて一番にメールをチェック・・、無情にも目に飛び込んできたのは「高値更新」!
え~っ、ダメだったのか・・、急いで落札価格を見ると「13万1千円」也~。たった千円の差だった。まあ、ラストの叩き合いともなるともっと上がったかもしれませんがね。
残念は残念だけど、どこかでホッとしたのも事実・・、整流管のソケットを交換して「80」が使えるようにしないと、など「取らぬ狸の皮算用」で落札後の改造の手間が待ち構えていたので~。
潔く諦めて気を取り直すことにした。
これだけたくさんのアンプ(9台)があるのに、落札したとしてもはたしてどれだけ出番があったのかな・・、むしろ落札できなかった方が良かったんじゃないの~(笑)。
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「質よりも量を優先だ」とばかり毎日ブログを更新していると、それだけ話題も広範となり読者からメールをいただく機会が多くなった。
大半が読み捨てにする方々ばかりだからとても ありがたい ことである・・、なにしろブログのネタにもなるし~(笑)。
今回もとてもご熱心なモーツァルトファンの「Y」さん(ご住所不明)から、メールをいただいた。
先日のブログ「音楽鑑賞は音と音の間に横たわる沈黙を聴きとることで昇華する」という、日頃に似ずかなり大上段に振りかぶった音楽談義に関する話題だった。
そして、いただいたメールの内容がこれ・・、匿名ということで無断掲載お許しください。
「音楽鑑賞は……」の記事、拝読しました。
サティには、「あなたが欲しい」などのお洒落で、素敵な曲もありますが、ほとんどが 似たような音形が空間に漂っているような感じの音楽ですね。
これは、ワーグナーやマーラーによってある意味限界を迎えつつあった、ベートーヴェン以来の"主張する"音楽(ロマン派)に対するアンチテーゼでしょうね。
この音楽に影響を受けたドビュッシー(彼はサティより年上ですが)による「新しい音楽」が20世紀の "音楽多様化時代"の基になって行きます。
なので、「ペリアスとメリザンド」はワーグナーを聴く時とは逆に フランス人の"日常の会話"を聴くような感じで接すると楽しいかもしれません。(笑)
あ、そうそう
私のモーツァルト ピアノソナタの愛聴盤は クラウス旧盤とヘブラー旧盤です。」
さっそく返信メールで謝辞を述べるとともに 「クラウス」と「ヘブラー」のソナタをぜひ聴いてみます と誓った(笑)。
「リリ・クラウス」女史と「イングリッド・ヘブラー」女史・・、両者とも名だたるモーツァルト弾きとして知られている。
こういうときに「You Tube」はほんとうに便利がいい。CDを購入しなくても簡単に聴けるんだからね~。
さっそく検索して聴いてみたところ、どうもテンポと間合いについて微妙に肌が合わない・・、両者ともそう感じた~。
良いとか悪いとかいう問題ではなくて、感覚的に「合うか合わないか」に尽きるし、何とも解決しようのない「食い違い」でもある。
試しに、同じ「You・・」で「ピリス」を聴いてみたところ、これこれ・・と溜飲を下げた。
日頃聴きなれているせいかなあ・・。
音楽の好み、そしてオーディオの音質だって意見が一致することは極めて稀なことかもしれないですね・・、人それぞれ耳の形が違うように感覚も違う!
そして、南スコットランド在住の 粋人「ウマさん」 からも「上から3年、下から3日」の後半で触れた「フェルメール」の絵画についてメールをいただいた。
日経新聞文化欄の「流れる」でフェルメールの解説を書かれた東多江子さんです。
もう、かなり昔のことになります。保育社のカラーブックス・シリーズで、確か「味の散歩、大阪・神戸・京都」と云う文庫本だったと思います。
巻末に、僕を含めた数名の座談会が掲載されてるんですけど、その中に、僕や東多江子さんが酒の話を語り合ってるんです。当時、彼女は、確かNHKのドラマの脚本を書いておられたと記憶しています。
「音楽とオーディオ」の小部屋は、何が飛び出してくるかわからないですね。いやあ、驚いた。」
いやあ、そうですか! 文中にある「東多江子」さんてとても こなれた 文章を書く方だと感心していたら、そういうことでしたか・・。
言わずもがなだが、「音を音楽に変換」するのは脳である・・、したがって一日中音楽ばかり聴いていると脳が疲れてしまう。
そこで、息抜きのために(テレビで)映画、ドキュメンタリー、ドラマなどの出番がやってくる。
光回線を利用した「光テレビ」(NTT)を導入してから早くも10年以上になるが、大いに重宝している。
何しろチャンネル数が多いので(37チャンネル契約)映画やドラマが見放題だし、「TVガイド」により録画予約が簡単にできる~。
で、先日のこと、かってシリ~ズ(10回)で放映されたテレビドラマ「陸王」が放映予定なのを見つけ、かねて「好評」ぶりを聞きつけていたのですかさずまとめて(10回分)を録画~。
いやあ、メチャ面白かったです!
原作があの「池井戸 潤」(半沢直樹シリーズ)さんだから面白くないはずがない・・。
老舗の「地下足袋(じかたび)」専門の零細企業が、長距離ランナーの命ともいえる「ランニング シューズ」の製造に新たに挑戦し、既存の業界に殴り込みをかけて成功するという サクセスストーリー。
とにかく、「七転び八起き」というのか、障害が起こるたびにめげずに挑戦していく姿勢に胸を打たれた・・。
物事に対する熱意と簡単に諦めない挑戦、人と人との巡り合いの大切さなど考えさせられることがいっぱい詰まっている!
で、「熱意」と「挑戦」といえば、我が家のオーディオの歴史がそうなんですよねえ・・(笑)。
もちろん、「相手」が文句を言わない、言えないのが 良くもあり悪くもあり~(笑)。
オーディオの目的は一言でいえば「好きな音楽を好きな音で聴く」ことに尽きるが、家庭で好きな音を実現しようとするとなかなか手強くてまずは「泥沼」を覚悟しなければならない。
そして・・、結局その「成果」となると「血(お金)と汗(努力)と涙(失敗)」の量に比例することを悟る。
で、血(お金)に恵まれないブログ主にとって残されたものは「汗」(努力)しかない・・、これが「熱意」と「挑戦」する気概に直結するというわけ~。
そこで、具体論に入ってこの程取り組んだ実例を挙げてみよう。
我が家には6系統のスピーカーがあるが、それぞれ順にコツコツと手なずけていってようやく残ったのが一つになった。
まあ、 手なずける といっても所詮は自己満足だし、加齢によって高音域の聞き取りが劣化しているのは疑いようもないが、その辺は長年鍛えられた脳が「音を音楽に変換する」ときに、勝手に補正していると思っている。
真偽のほどはわからないけどね・・(笑)。
で、残ったスピーカーというのがこれ。
グッドマンのユニットが入った箱を改造して、口径25cmの低音専用のユニットを納めている。ハイカットはムンドルフのコイルを使っておよそ700ヘルツに設定~。
ちなみに、このユニットはかってのデンオンのシステムの片割れだが、れっきとした「アルニコ マグネット」の持ち主である。落札価格はたしか「5000円」前後だったと思うが・・、何しろ格安である。
で、中高音域はJBLの1インチの「175ドライバー」である。JBLは大型の2インチ「375」や「LE85」を使ったこともあるが、いちばん気に入っているのがこの「175」で、弦楽器にやさしいのがその理由。
始めは、画像のとおり弁当箱みたいに大きなコンデンサー(22μF)を使ってローカットを900ヘルツあたりに設定したのだが、中低音域の厚みには満足したものの、ウーファーとの干渉でアンプのボリュームを上げられず、弦楽器の高音域がイマイチ冴えない・・。
そこで、ローカットを上げることにして英国製のコンデンサー(12μF)を使って、1700ヘルツあたりに設定。
いやあ、これで八方丸く収まりました・・(笑)。
あらゆる音楽ソースを3日間にわたって聴き流したが、一点の瑕疵も無し~。
そして、駆動するアンプもあれこれ試してみたが最終的に落ち着いたのはこれ。
左が「175」用として「3A/109B(STC)シングル」アンプ、右がウーファー用として「371Aプッシュプル」アンプ。
ウーファーの箱が大きいせいか、サブウーファーの出番が不要なのもありがたい。サブウーファーなんて使わないに越したことはないからね~。
これで、6系統のスピーカーがすべて「90点」体制になって万歳~。
これも「熱意と挑戦」の結晶だよなあ・・、とはいえ挑戦する対象がなくなってしまい一抹の寂しさも漂ってきた。
そこで、俳聖「芭蕉」の句をもじって一句。
面白うて やがて哀しき オーディオかな(笑)
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