見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOURディレイビューイング

2024-04-16 23:11:39 | 行ったもの2(講演・公演)

「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」宮城公演ディレイビューイング(2023年4月13日16:00~、TOHOシネマズ日本橋)

 土曜日、羽生結弦くんの単独公演をディレイビューイングで見てきた。見ていた時間だけ、魂が別世界に跳んでいたような気分で、感想がうまく言葉にならないのだが、書いてみる。

 プロに転向した羽生くんが「プロローグ」「GIFT」という単独公演を成功させてきたことは知っていた。私は、FaOI(ファンタジー・オン・アイス)をはじめ、彼の出演するアイスショーをずっと見てきたけれど、単独公演は、コア中のコアな羽生ファンのためのものだから、私はいいかな、と言う気持ちで遠慮していた。しかし今回、3度目の単独公演となる「RE_PRAY」ツアーは、そのキービジュアル(羽生くんのモノクロ写真)が好みだったのと、SNSに流れてくる感想(ロバート・キャンベル先生からも!)が只事でない感じだったので、ディレイビューイングのチケットを取ってしまった。ツアー最終(追加)公演の千秋楽である4月9日宮城公演の録画上映である。座席は自動指定だったが、ほぼ中央で、ショートサイドのリンク際みたいな、最高のポジションだった。

 舞台には大きな旧型のテレビを思わせるような枠付きの、大きなスクリーンが設置されている。そこには、ゲームのコントローラーを握った羽生くんの映像が映し出されるかと思えば、ゲームそのものの画面になって、ドット文字のメッセージや、ドット絵のキャラクター(さまざまな衣裳をまとった羽生くん自身)が表示される。ゲームの進行に従って、選択を迫られ、素材を集め、敵を倒し、どんどん強くなっていく主人公。前半は真っ白なフードつきコートで登場した「いつか終わる夢」のあと、「阿修羅ちゃん」「鶏と蛇と豚」「MEGALOVANIA」「破滅への使者」など、強くて悪そうな羽生くんが盛りだくさん。

 椎名林檎の「鶏と蛇と豚」は、仏教の「三毒」を意味する動物で、真っ赤な背景に象徴的な三角形が浮かぶ中、貴婦人のような黒レース衣装の羽生くんが登場する。曲のイントロは般若心経なのである。羽生くん、晴明でなくて空海も演じられるわ、と思ってしまった。

 「MEGALOVANIA」は、無音の中で、スケート靴のブレードを氷に突き立てるような荒々しいステップから始まる。鍛えられた肉体の魅力を引き立てる衣装で、すっかり大人の男性になったなあ、としみじみ思ったのに、休憩後の後半では、再び永遠の少年の顔で登場するので、どうなってるの?と目を剥いた。

 「破滅への使者」は、競技プログラムと同様、6分間練習からスタートする。会場に漂う緊張。見慣れたティッシュケースのプーさんが映るのがうれしい。そしてこのプログラムを完璧にクリアしたにもかかわらず、ゲームから「データをセーブできません」と告げられ、混乱と困惑のうちに前半が終了する。ライブでは休憩30分だったようだが、ディレイビューイングは10分だった。

 後半。主人公は再びゲームの世界へ向かうが、前半とは異なる選択をする。自分のまわりの命を潰さない選択。主人公は深い水の中に落ちていく。「いつか終わる夢:re」「あの夏へ」「天と地のレクイエム」「春よ来い」など清冽なプログラムが続く。最後は「春よ来い」で、私はこのプログラムを見るたびに、世界に春をもたらすための祈りのように感じる。そしてスクリーンのドット文字「RE_PLAY」(再生)が「RE_PRAY」(祈り続ける)に変わって終了。

 まず、ほとんど休憩なし(あっても衣装替えの時間くらい)で、10曲近くを連続で滑り切る体力が化けものだと思った。しかもそれぞれ難易度の高いプログラムを完璧に。

 このあと、Tシャツ姿でマイクを持った羽生くんが、楽しそうにリンクをまわりながらお喋り。あ~これで終わりか~と思ったあとに「SEIMEI」「Let Me Entertain You」「ロンド・カプリチオーソ」「私は最強」と次々繰り出されるアンコール。本人はよほど名残惜しかったのか「終わりたくない」なんて言っていたけど、もう身体を休めなさい、と母親気分でハラハラしていた。

 しかし本当に素晴らしい体験だった。世界中の、フィギュアスケーターだけではなくて、様々な分野のアーティストに見てもらいたいと思う。次回の羽生くん単独公演が発表されたら、おそらく現地チケット争奪戦に参加することになるだろう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同時代の日本画を見る/第79回 春の院展(日本橋三越)

2024-04-14 23:02:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本橋三越本店 『第79回 春の院展』(2024年3月27日~4月8日)

 先週末の話になるのだが、日本橋の三越デパート前を通りかかったら「春の院展」という大きなポスターが出ていた。私は小学生の頃、近所の絵画教室に通っていた。大きな画用紙(学校で使うものの倍サイズだった)にクレヨンで絵を描く教室だったが、先生は日本画家だった。私の祖母と、先生のお母さん(和装小物や裁縫道具を商うお店=糸屋を経営していた)の間に近所付き合いがあったこともあって、その後、先生が名古屋に引っ越してしまったあとも、ずっと「院展」の招待券をいただき続けた。

 日本美術院展覧会(院展)は、公益財団法人日本美術院が主催運営する日本画の公募展覧会である。むかしの院展は上野の東京都美術館で開催されていたのに、今はデパートが会場なのかしら、と思ったら、秋の院展(再興院展)は、今でも東京都美術館で開催されており、春の院展は、1945年に日本橋三越で開催された「日本美術院小品展」が始まりなのだそうだ。

 確かに比較的小画面の作品が多いように思った。しかし出品総点数は300点を超える。そうそう、こういう大規模展覧会を見ることで、テキトーに流し見をしながら、自分の好きな作品を見つけるスキルをつけたものだ。

 会場案内図が置かれていなかったので、お世話になった先生の作品をどうやって見つけようか、途方にくれかけたのだが、QRコードを詠み込むと、作品リストと会場マップのPDFファイルを読み込むことができて、無事、見つけた。田渕俊夫先生の『運河』である。これはアムステルダムの風景だろうか?

 ほかに気に入った作品は、斎藤満栄氏(同人)の『辻が花(藤)』、井手康人氏(同人)の『不二』。人物画では、小林司氏の『偲ぶ』。加藤裕子氏の『まごころに包まれて』は、日本橋三越1階の天女(まごころ)像をモチーフにしたものだとすぐに分かった。現代日本画、もっと積極的に見るようにしていきたい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「花だけ」と「人と花」/花・flower・華 2024(山種美術館)

2024-04-12 21:42:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『花・flower・華 2024-奥村土牛の桜・福田平八郎の牡丹・梅原龍三郎のばら-』(2024年3月9日~5月6日)

 この時期恒例となっている、花の名品を一堂に集めた展覧会。見慣れた作品が多いので、今年はこの作品がこの位置か、という会場構成の違いが、ひとつの楽しみになっている。今年はぱっと目に飛び込んできたのが小茂田青樹の『春庭』。振り返ると奥村土牛の『木蓮』(深い紫色が上品で美しい)があった。視界の端に土牛の『醍醐』が見えて、おや今年は会場の前半に展示なんだ、めずらしいな、と思った。

 ゆっくり見ていくうちに、今年は、春→夏→秋→冬という季節のめぐりに従って作品が配置されていることにやっと気づいた。夏のセクションには福田平八郎の『牡丹』(屏風)。大坂中之島美術館で見てきた中にも類似の作品があったが、初期の作風だなと思った。1924年(32歳)という注記を見て納得。長谷川雅也『唯』は、ターコイズブルーの画面に繊細な線描でアジサイの株を描く。初めて知ったお名前だが、1974年生まれの現代日本画家だという。川端龍子の『八ツ橋』も出ていた。光琳の『燕子花図』のバリエーションって、どのくらいあるのだろう。本歌を踏まえて増殖していく日本の芸術のおもしろさである。それを言ったら、小林古径『蓮』にも、さまざまな『蓮池図』(古いものなら法隆寺の)の記憶が重なっている。

 中川一政『薔薇』や梅原龍三郎『薔薇と蜜柑』『向日葵』など、油彩画がさりげなく混ざっているのも面白かった。森田沙伊(このひとも初めて知った名前)の『薔薇』は、油彩だと思ったら「紙本金地・彩色」とあった。背景は隙間なく塗りつぶされているのだが、紙本金地を用いているらしい。絵具の下から金が照り輝くような効果をねらったのだろうか。奥村土牛の『薔薇』は金地の背景を残して、堂々とした大輪のピンク色のバラを描いている。81歳の作。妖艶な上に格調高く、素晴らしくて声も出ない。

 第1展示室の出口近くの大きな展示ケースには、荒木十畝の『四季花鳥』4幅と、松岡映丘『春光春衣』が掛けてあった。荒木作品で「四季の花々」のセクションが終わり、松岡作品の前に「人と花」というテーマが掲げられていた。そこで初めて気づいたのだが、今年の第1展示室は、最後の松岡作品(桜吹雪の下の王朝女房たち)を除き、「人」を描いたものがなく、純粋に「花」だけを描いた作品が並んでいる。もう1回、会場をまわって確かめたが、少し視点を引いた風景画でも、「人」の姿は全くなかった。

 小さな第2展示室には、5作品「人と花」の名品が並んでいた。守屋多々志『聴花(式子内親王)』や伊東深水『吉野太夫』など。そういえば、愛子内親王は卒論で式子内親王の和歌を扱われたそうだが、この絵画、見ていらっしゃるかしら。ぜひ見てほしい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金屏風の四季と生きものたち/ライトアップ木島櫻谷(泉屋博古館東京)

2024-04-09 21:09:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『ライトアップ木島櫻谷-四季連作大屏風と沁みる「生写し」』(2024年3月16日~5月12日)

 大正中期に大阪天王寺の茶臼山に建築された住友家本邸を飾るために描かれた木島櫻谷の「四季連作屏風」を全点公開するともに、リアルな人間的な感情を溶かし込んだ動物画の名品を紹介する。

 先週末は日本画が見たい気分だったので、とりあえずこの展覧会に来てみた。最初の展示室に入ると、ほの暗い空間の三方の壁に、金地彩色の六曲一双屏風が5作品。『雪中梅花』『柳桜図』『燕子花図』『菊花図』。ここまでが1917~18年に制作された「四季連作屏風」(冬-春-夏-秋の配置なのだな)で、さらに1923年制作の『竹林白鶴』が並んでいた。ほかに今尾景年の墨画淡彩の軸がひっそり掛かっていたけれど、実に贅沢な空間。

 木島櫻谷という画家は、最近気になり始めたばかりで、あまり多くの作品を見ていないのだが、『雪中梅花』『柳桜図』は、ここで見た記憶があった。『雪中梅花』は、胡粉(?)の厚塗りで描かれた雪が、細い枝の上になったり下になったり、まとわりつくように積もる様子に生々しさを感じた。『菊花図』は、遠目に見ると卓抜なデザイン感覚が目について、スタンプを押したようにどれも同じ白菊の花に見えるのだが、近づくと、意外と菊の花びらを丁寧に写実的に描いているのが分かる。『燕子花図』は、もちろん光琳の『燕子花図屏風』(今年もたぶん見に行く)を本歌取りにした作品だが、燕子花の配置も、風に揺れるような長い葉先の重なりも、本歌よりずっと自然でのびやかで、大正の時代精神のようなものを感じてしまう。

 第2~第3展示室には、櫻谷が描いた動物画に加え、櫻谷が学んだ円山四条派、岸派など、江戸の動物画も一緒に展示されていた。櫻谷の『狗児図』(個人蔵)と森一鳳の『猫蝙蝠図』は双璧を争う愛らしさ。櫻谷は京都市動物園に通って、めずらしい動物たちの姿を写生することに励んだという。京都市動物園(1903/明治36年開園)が当時の日本画壇に与えた影響って、1冊本が書けるくらい大きいんじゃないかと思っている。櫻谷の『獅子虎図屏風』(1904/明治37年)はその成果の1つ。虎の毛皮のなめらかな感触が想像できて、思わず手を伸ばして触れたくなる。

 ちょっと笑ってしまったのは、淡彩(ほぼ墨画)の『雪中老猪図』。カピバラみたいな茫洋とした顔をしている。そして、これらの作品のもとになった写生帖(展示場面は、ほぼ動物の写生)が展示されているのも嬉しい。ハチワレのビーグル(?)は『狗児図』と同じわんこだろうか? 安心し切って眠る姿が愛らしかった。いま、府中市美術館で開催中の『ほとけの国の美術』では、日本人がとりわけ情感豊かな動物絵画を描いた理由を、涅槃図の伝統から考察しているが、ぜひ、あわせて本展も見てもらえるといいと思う。

 第4展示室は、同時開催企画『住友財団助成による文化財修復成果-文化財よ、永遠に』と題して、同館コレクションの毘沙門天立像(平安時代)と呉春・亀岡規礼筆『松・牡丹孔雀図衝立』を紹介している。保存の取組み、ありがとうございます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静養と密談の空間/戦後政治と温泉(原武史)

2024-04-07 23:50:46 | 読んだもの(書籍)

〇原武史『戦後政治と温泉:箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間』 中央公論新社 2024.1

 扱われている時代は終戦の1945年から1960年代半ばまで、主な登場人物は、吉田茂、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人などで、そんなに古い話ではないのだが、なんだかとても奇妙な物語を読んだ気がした。この時代、首相たちは、箱根や伊豆などの温泉で、重要な政治的決断を下していたというのだ。想像したこともなかった。

 戦後、吉田茂は、大磯にあった養父・吉田健三の別荘を本邸とするとともに、御殿場の樺山愛輔別邸「瑞雲荘」を第二の本邸とし、マスコミを嫌って東京に戻らず、野党からも批判された。その後、吉田は箱根を気に入り、新町三井家の小涌谷別邸に滞在するようになる。三井別邸での面会を許されたのは、限られた政治家や学者、官僚、親しい女性だけだった。政界引退後も吉田は小涌谷に通い続け、保守政治家たちには「奥の院」として意識された。

 吉田と政権を争った鳩山一郎は、戦後、公職追放処分を受け、GHQに東京の本邸を接収されたため、熱海の石橋正二郎別邸「海幸荘」に移住した。これにより、反吉田派の熱海詣でが活発になる。鳩山は、1951年に脳溢血で倒れて以降は、韮山(現・伊豆の国市)の温泉旅館「水宝閣」で療養につとめるようになる。ここは北条時政・義時ら、源頼朝の挙兵を助けた北条氏の館があったところだという。また鳩山は伊東市の「川奈ホテル」や箱根の「富士屋ホテル」も利用している。

 岸信介は箱根宮ノ下の「奈良屋」を愛用した。ただし奈良屋の女将の回想によれば、社会党の浅沼稲次郎や河上丈太郎も常連客だったという。岸は、日豪通商協定の調印を奈良屋でおこなったり、インドのネール首相を富士屋ホテルで歓待するなど、箱根で首脳外交を展開した。岸の後任を(岸の望む佐藤栄作ではなく)池田勇人にすることを決めた、岸・吉田(+堤康次郎)会談も箱根の「湯の花ホテル」で行われた。

 池田勇人は吉田内閣の蔵相時代から、週末は箱根仙石原で休養することを習慣にしていた。はじめは五高の先輩である井上重喜の別荘を借りていたが、のち、近藤商事の近藤荒樹の別荘に移った。池田は、訪米準備の閣僚会合も箱根で開催し、米国の経済閣僚を招いた国際会議も箱根で開催した。池田に代わって首相となった佐藤栄作は、首相になる前から、毎年夏は軽井沢に通っていた。軽井沢は温泉が出ない。佐藤はもっぱらゴルフによって体調を維持した。こうして「温泉政治」の時代は終わりを告げたのである。

 こうした戦後政治の経緯を知ると、最近の首相が、首相公邸に入居しなかったり、高級料亭で会食していたりで非難はされるものの、ほぼ常時東京にいるようになったのは時代の変化なのだなと思う。あと、G7会合に観光地・保養地が選ばれるのも、安倍晋三がロシアのプーチン大統領を長門市の温泉に招いて友好を演出しようとしたのも、こういう「温泉政治」の記憶が背景にあるのかもしれない(何か特別よい結果を生んだとは思えないが)。

 私は、本書に登場する首相たちの中では、池田勇人が、週末は箱根で「オフ」を過ごすことにこだわったというのを好ましく思った。政治家には俗世間をよく知っていてもらいたいが、俗世間との関わりを断つ時間も大事だと思う。静養中は秘書官以外と会わないことを原則とし、例外は松永耳庵と大徳寺の和尚・立花大亀くらいだったという。おお、ここで松永耳庵の名前が出てくるとは。

 1949年、鳩山一郎、石橋湛山が熱海に滞在中、世界救世教の岡本茂吉が検挙懿される事件が起きた。鳩山は何も記していないが、石橋は日記に「嘗て大本教の弾圧をした当時の日本を思ひ起す」と記した。岡本は戦前に大本から分かれて新たな宗派を立てたという本書の注釈に驚く。岡本は熱海のMOA美術館の創立者であり、最近ときどき行く東京黎明アートルームにも深く関わっているのだ。

 この感想では省略してしまったが、戦後政治家たちの「温泉」に対して、戦後の皇室が選んだのは「軽井沢」だった。しかし佐藤栄作以降、保守政治家たちは軽井沢に回帰した。佐藤の別荘の周りには、田中角栄、中曽根康弘らの別荘が並んでいたという。なんだか気持ち悪い空間であるなあ。

 逆に平成天皇・美智子妃は、皇太子夫妻であった当時、地方の温泉旅館やホテルを積極的に利用し、地域住民(特に若い世代の男女)との対話型集会を開催しているという。これも初めて知る話で、たいへん興味深かった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年3月関西旅行:東大寺~新薬師寺~大和文華館ほか

2024-04-05 22:49:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

華厳宗大本山 東大寺(奈良市雑司町)

 関西旅行3日目は奈良スタート。早朝の奈良公園を大仏殿に向かう。廻廊の中門から中を覗くと、左(西)側の桜が、朝陽を受けてピンク色の雲のように輝いていた。

 大仏殿の北側の、のんびりした裏参道を歩いて二月堂に登る。ご朱印は「南無観」をいただいた。書いてくれた方が、隣りのページを見て「あ、仁和寺に行かれたんですか。僕は京都なんですけど行ったことがないんですよ」と気さくに話しかけてくれた。

 それから手向山八幡宮、若草山の脇を通り、春日大社の森の中を南下。高畑の住宅街に通じる「上の禰宜道」には、春日の禰宜(神官)たちが高畑の社家町から春日大社へ通った道だという案内板が立っていた。

新薬師寺(奈良市高畑町)

 久しぶりに来たくなって、寄ってみた。このあたり、一時期はもう少し観光客の姿があったように思うのだが、なんだか昔のさびれた奈良の雰囲気に戻ったようで、個人的には望ましかった。目のぱっちりした薬師如来坐像と、力のこもった十二神将像は昔のまま。簡素な境内は桜の木が多く、この時期だけの華やかさを添えている。

 桜の下に実忠和尚(良弁の弟子、修二会の創始者)の供養塔があって、おや、こんなところに、と思って写真に収めて来たのだが、調べたら「実忠和尚御歯塔」と伝わるものだという。この御歯塔の縁なのかどうか分からないが、毎年4月8日には、新薬師寺でも修二会(おたいまつ)が行われていることを初めて知った。最近、東大寺の修二会は有名になり過ぎて行ける気がしないので、今度はここの修二会に来てみようかしら。

大和文華館 『文字を愛でる-経典・文学・手紙から-』(2024年2月23日~4月7日)

 私は大和文華館に毎年3~4回、何十年も通っているのだが、前庭に三春滝桜があると知ったのが、実は2020年の『コレクションの歩み展II』である。同館は雪村の作品蒐集に力を入れてきており、その縁で、雪村が最晩年を過ごした福島県の三春滝桜を親木とする桜を本館入口前に植えたのだという。その後も、花の盛りに会うことはなかったが、ついに今年、真面目(しんめんもく)を見ることができた! 化けものみたいに素晴らしかった。

 桜目当てで訪れたお客も多いのか、館内は小さな子供連れもいて賑わっていた。それにしては、経文や書状・文書が中心の地味な展示で、ちょっと苦笑してしまった。実は源義経とか豊臣秀吉など、ビッグネームの書状もあるのに気づいてもらえるといいのだけれど。あと、おそらく同館としては初の試みで、ほとんどの資料が撮影可・SNS可になっていた。大好きな『一字蓮台法華経』の華麗な見返し絵、それに『阿国歌舞伎草紙』(念仏踊、茶屋遊び)が撮影できたことが嬉しい。拡大して細部を確認できるのが、老眼には本当に助かる。

■大阪中之島美術館 没後50年『福田平八郎』(2024年3.月9日~5月6日)

 大混雑のモネ展を尻目に、私が見たかったのは福田平八郎(1892–1974)の回顧展。私は山種美術館で『筍』『鯉』などを見て、このひとの名前を覚えたのだと思う。2012年には、生誕120年『福田平八郎と日本画モダン』展も見ている。はじめは訥々とした写生画から始まる。そして、いきなり大胆すぎる代表作『漣』を生み出す。その後、しばらくは『漣』の影響に縛られたような時代が続くが、晩年の「自由な写生」、写実であろうとすればするほど、色もかたちも題材も自由になっていく感じが、ハッピーでとてもよかった。東京に来てくれないの、寂しいなあ。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年3月関西旅行:大覚寺~仁和寺~東寺ほか

2024-04-04 23:15:06 | 行ったもの(美術館・見仏)

旧嵯峨御所 大本山 大覚寺(右京区嵯峨大沢町)

 新年度が始まったら、連日多忙で記事が書けていないのだが、これは先週末の関西旅行2日目の記録。京都駅から市バス28系統に乗って、大覚寺に向かった。あまり乗ったことのない路線で、四条通りをひたすら西へ進み、松尾大社前で北上して嵐電嵐山駅前を通り、大覚寺まで約1時間。車窓の観光が楽しかった。大覚寺を訪ねるのは久しぶりで、ブログ内検索をかけた結果では、2009年以来らしい。そんなに来ていなかったかな?

 お堂エリア・大沢池エリア・霊宝館に、それぞれ料金設定がされていたので、お堂と霊宝館をお願いした。霊宝館では春季名宝展『源氏物語と嵯峨野古典文学めぐり~王朝・雅人の世界』(2024年3月22日~4月22日)を開催中。「源氏物語」や「大鏡」などの江戸写本が展示されており、「花鳥余情」(源氏物語の注釈書)の写本が珍しかった。仏像は、平安・鎌倉~江戸の密教仏が大小多数あって楽しかったが、特に1躯ずつ厨子に入った、古風でおとなしめの五大明王像(平安時代)が興味深かった。霊宝館の出口に置かれていたチラシによれば、2025年新春に東博で特別展『旧嵯峨御所 大覚寺』が開催されるらしい。障壁画が中心となるようだが、ぜひ仏像の名宝も東京に来ていただきたい。

真言宗 御室派総本山 仁和寺(右京区御室大内)

 市バスと嵐電を乗り継いで仁和寺へ。ここは御所庭園・霊宝館・花まつり入山料という設定で、はじめ、霊宝館だけでいいかと思ったが、五重塔や金堂に参拝するには「花まつり入山料」を払わなければいけないと分かって、それもお願いした。窓口では「まだサクラは咲いてません。ミツバツツジが咲いてますけど」という念押しの説明があって、拝観券を売るのも大変だなあと笑ってしまった。中門を入ると、確かに御室桜は影もかたちもなかったが、緑が濃くて気持ちよかったので満足である。

 霊宝館では春季名宝展『仁和寺の動物大集合』(2024年3月23日〜5月6日)を開催中で、南北朝時代の『普賢延命菩薩像』を見ることができた。普賢菩薩の蓮華座が4頭の白象の頭に載っており、さらに4頭の白象が載った法輪(?)を無数の小さな白象が支えている。『孔雀明王像』は残念ながら江戸の模本だった。仏像で珍しかったのは『童子経本尊坐像』(江戸時代)で、甲冑姿の乾闥婆王と見られる。厨子の扉に童子に害をなす蛇や動物(本体は鬼神)が鏝絵のように貼り付けられていた。

相国寺承天閣美術館 企画展『頂相 祖師たちの絵姿』(2024年3月17日〜5月12日)

 法脈を今に伝える頂相(師の絵姿)を数多く公開。第1展示室に展示の『列祖像三十幅』は、承応4年(1655)の内裏造営の際に障壁画を担当した狩野派の絵師が、相国寺を絵所とした縁で制作を依頼したもの。初祖・達磨図は探幽筆。二租・慧可図は安信筆。この慧可さんは癖の強い顔立ちでかなり好き。

細見美術館 『空間を彩る屏風-広がる大画面(ワイドスクリーン)』(2024年2月20日~4月14日)

 空間を彩ってきた屛風を紹介する。名所図屏風、洛中洛外図屏風は細部が楽しくて、隅々まで舐めるように眺めてしまう。東大寺や猿沢池(?)を描いた『奈良名所図屏風』なんてのもあるのだな。個人蔵の『柳橋水車図屛風』も名品。

東寺(教王護国寺)宝物館 2024年春期特別公開『南北朝時代の東寺-争乱と東寺興隆-』(2024年3月20日~5月25日)

 南北朝時代の建物修理、荘園の寄進、法会や祈祷、僧侶の組織などを紹介。文書の展示が主で地味だが、歴史好きには楽しい。綸旨、奉書、下知状、御教書など、さまざまな形式の文書を見ることができる。なお、夜叉神像2躯が2階ホールで展示されていた。ここが当面の安住の地になるのかな。

 この日の市内観光は、バス1日券をフル活用させてもらった。バス1日券は、昨年9月末で発売を停止し、この3月末日で利用も終了になった。思えば、高校の修学旅行の頃から、ICカードが登場するずっと前からお世話になってきた1日券だが、これが最後である。ありがとうございました。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2024年3月関西旅行:醍醐寺から山科散歩

2024-04-01 22:47:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

醍醐寺(伏見区醍醐)

 3月最後の週末に金曜有休をプラスして、関西へ2泊3日の花見旅行に行ってきた。当初の計画では、東京の開花を見届けてから関西へ赴くはずだったが、今年のサクラは全くの予想外れ。関西方面もあまり期待はできないかなあと思いつつ、京都へ向かった。

 JR山科駅から醍醐寺へ。拝観料は三宝院(庭園)・霊宝館・伽藍の3点セットで1500円。これは2018年と同じだった。まず露店の並んだ参道(桜馬場)の奥の伽藍に向かう。朱塗りの仁王門の前には、満開ではないが、ほどほどに花の開いた紅枝垂れ桜。よかった!仁王門を潜ると桜園なのだが、ここはまだ咲いていない。五重塔を見上げ、金堂、不動堂などに参拝し、納経所である観音堂に立ち寄る。観音堂の先にある大きな池のまわりには、色味の異なる数種類のサクラが重なり合って咲いていた。

 納経所のシステムが、ちょっと以前とは変わっていて、まず申込用紙にどのご朱印がほしいかを記入し、売店で料金を支払い、用紙に「支払済」のハンコを貰う。それを納経受付のブースに持っていくと、ご朱印をいただけるのである。ご朱印(墨書)を書くのは一種の専門技能なので、代金の受け渡しなどは他の人に任せて、書くことだけに専念してもらうほうが効率的だろう。加えて、売店では支払いにバーコード決済も導入されていた。paypay払いでご朱印をいただく初めての体験をした。

 次に霊宝館へ。白壁の施設を囲む桜は、平均的には五分咲きというところだったが、十分楽しめた。霊宝館には「仏像棟」と名づけられた別館がある。醍醐寺には数組の五大明王像が伝わっているが、ここに安置されている重文五大明王像が私は一番好きだ。「大威徳」の名前に全くふさわしくない牛さんに再会できて嬉しかった。

 最後に三宝院へ。2018年の記録では、書院の途中まで通常の拝観券で入れたが、今年は庭園と売店エリアだけになっていた。しかし快慶の弥勒菩薩に会わずに帰るわけにはいかないので特別拝観500円を支払う。書院の建築美や新旧の襖絵、庭園美などを楽しみながら進み、風の通る質素な本堂(弥勒堂)に祀られた金色の弥勒菩薩を遠目に拝した。もし自分の持仏堂があったら、弥勒仏を安置したいなあ…と思った。現世利益とつながらないところが慕わしい。

随心院(山科区小野御霊町)

 醍醐寺から15分ほど歩いて随心院へ。小野小町ゆかりの寺院で、むかし一度来たことがありそうな気がするのだが、ほとんど記憶がなく、行ってみたら意外と大きな伽藍でびっくりした。真言宗十八本山の1つだった。

勧修寺(山科区勧修寺に仁王堂町)

 再び15分ほど歩いて、山科川を渡り勧修寺へ。白い築地塀に囲まれた参道を歩き、大きな山門を入る。拝観できるのは庭園のみ。広々した池泉庭園で、水辺の木の上にはサギがコロニーをつくっていた。本堂や書院の中は特別公開のときでないと見られないようだ。勧修寺といえば、藤原高藤が狩りの途中で一夜の宿をかりた宮道弥益の邸宅跡で、このとき高藤に見初められた宮道弥益の娘が身ごもり、生まれた女子が宇多天皇に入内したことで藤原家の繁栄が始まる。『今昔物語』で読んだ説話を思い出して、往時を偲んだ。

毘沙門堂門跡(山科区安朱稲荷山町)

 地下鉄小野駅から山科駅に戻り、駅北口から歩き始める。「山科の毘沙門堂」は、たぶん紅葉の名所として聞いたことはあるのだが、訪ねるのは初めてかもしれない。手作りの案内板に従って進むと、やがて激しい水の音が聞こえてきた。琵琶湖疎水(山科疎水)や山科川の支流である安祥寺川が縦横に流れている。雑木林と住宅に挟まれたケモノ道のような細道を通って、毘沙門堂に到着した。ここは文武天皇の勅願により開かれた天台宗の寺院。狩野派の襖絵を多数見せていただいた。

 帰りはケモノ道を避けて、広い参道を下る。ちょうど琵琶湖疎水を観光船が京都・蹴上へ下っていった。私は2022年にこの疎水クルーズを体験しており、桜と菜の花の取り合わせが美しかったことを覚えている。この日はまだ桜はなくて、黄色い菜の花だけが華やかだった。

 初日は大津泊。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

練馬区立牧野記念庭園を初訪問

2024-03-28 21:43:08 | 行ったもの(美術館・見仏)

 今年度の有給休暇が余っていたので、3月最後の木金を休みにすることにした。今日は大横川のお花見クルーズでも楽しむか!と考えていたのだが、まだ桜が全く咲いていないので予定変更。気になっていた練馬区立牧野記念庭園を訪ねてきた。牧野富太郎博士の名前は、もちろん昔から知っていたが、強い関心を持ったきっかけは、昨年の朝ドラ『らんまん』である。

 牧野記念庭園は、牧野博士の邸宅跡地につくられたもの。想像していたより狭い印象だったが、少しずつ、たくさんの種類の植物が植えられている。草花だけではなくて、メタセコイヤやホオノキの大木もあって目を見張った。ウメやサクラも風情のある古木だった。ウメはもう花が終わっていて、サクラ「仙台屋」(高知市内にあった仙台屋という店から名づけられた)はまだ咲いていなかった。入口のオオカンヒザクラは、若葉の中に花が混じっていた。

 咲いている花を見ることができたのは、ボケとクリスマスローズとハナニラくらい。まあしかし、植物の見どころが花だけだと言ったら、牧野博士に不満顔をされるだろう。これはスエコザサに囲まれた牧野博士の胸像。

 展示室では、牧野博士の生涯を紹介する常設展と企画展『画工 水島南平 花を描く』(2024年2月3日~3月31日)が開催されていた。ドラマ『らんまん』に登場した植物レプリカやパネルの展示が3月25日で終わっていたのは残念。

 常設展では、牧野博士が18~20歳の頃にまとめた学問の心得『赭鞭一撻(しゃべんいったつ)』に感銘を受けた。15箇条どれもいいのだが、たとえば「書を家とせず友とすべし」には、本を読まなければならない、しかし本に書かれていることを全て信じて安住してはいけない、過去の学者の成果を批判し、誤りを正してこそ学問の未来に貢献できる、すなわち書物は自分と対等の立場にある友人と思いなさい、と書かれている。とてもよい。同時に「宜しく師を要すべし」という条もあって、書物だけで答えを得ることはできないので先生に聞くべきである、それも一人の先生ではいけない、という教えにも共感した。

 園内には書屋展示室(2023年4月オープン)があって、牧野博士の書斎「繇條書屋(ようじょうしょおく」と書庫の一部が「鞘堂」形式で保存されている。いや「書斎再現プロジェクト」の記事や動画を見ると、写真などに基づいて「復元」したというのが正しいかもしれない。本好きには夢のような空間。洋書も和本・漢籍もあり(なんとなくエリア分けはされている)、その隙間に植物採集道具のドーランや電気ストーブ(!)がおさまっている。

※練馬みどりの葉っぴい基金:【取材記事】牧野記念庭園の書斎の再現展示がついに完成しました!(2023/4/21)

※練馬区立牧野庭園:書斎再現プロジェクトVTR紹介(2023/11/9)

 コーヒー好きだったという博士にちなんで、キッチンカーでコーヒーの販売が行われていて、美味しかった。カップのホルダーには牧野博士の肖像のイラスト。裏側にはすえちゃん。

 ちなみにこの庭園&展示施設、完全無料なのである。練馬区、すばらしい! また季節が変わったら遊びに来たい。大泉学園って(東京人としては)むかしからよく知っている地名だが、駅に下りたのは人生初かもしれない。

 夕方、家に戻って、大横川の川岸をうろうろ。並木道のサクラは、目を凝らすと、ようやく1、2輪、咲き始めた程度。

 明日から2泊3日で関西のサクラを見に行ってくる。帰京する頃は、さすがに満開になっているかな。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私にも作れます/あたらしい家中華(酒徒)

2024-03-27 21:12:23 | 読んだもの(書籍)

〇酒徒『手軽 あっさり 毎日食べたい あたらしい家中華』 マガジンハウス 2023.10

 中華料理愛好家の酒徒(しゅと)さんの名前は、ときどきネットで拝見していた。特に印象深いのは、本書にも掲載されている「肉末粉絲」(豚ひき肉と春雨の炒め煮)の紹介を見つけたとき。醤油味でひき肉と春雨を炒めるだけの料理だが、これは食べたい!今すぐ食べたい!と思って、すぐにひき肉と春雨を買ってきた。できあがった味が「正解」なのかどうかはよく分からないが、美味しかったので満足した。

 本書には「塩の中華」「醤油の中華」「野菜の中華」「煮る中華」「茹でる中華」の5章に分けて、78種類の料理が紹介されている。どれも本当にシンプルで、食材は1~2種類。特別な調味料は要らない。一時期は毎年出かけていた中国旅行で食べた記憶がよみがえる料理もある。「西紅柿炒蛋」(トマトの卵炒め)はその代表格。日本の中華料理店で見たことはないが、中国ではどの地方へ行ってもほぼ必ず食べた。千切りじゃがいもを使った「涼拌土豆絲」(冷菜)や「酢溜土豆絲」(酢炒め)も食べた。これは作りたいけど、千切りスライサーを持っていないのである。

 本書の第1番に掲載されているのが「肉末蒸蛋」(豚ひき肉の中華茶碗蒸し)で、このあとに、具材をシラスや干し貝柱に入れ替えたバージョンも紹介されている。中華茶碗蒸し(多人数分を大きな深皿でつくる)、好きだったなあ、と思い出がよみがえって、作ってみたくなった。蒸し器がないので躊躇していたのだが、先日、ネットで蒸し鍋を購入してしまった。そして作ってみた結果は、う~ん、いまいち。「スが入っても気にしない(どのみち、旨いのでおおらかに行こう」とアドバイスが書いてあるのだが、次はもう少しきれいに仕上げたい。

 豆腐料理の種類が多いのは作者の好みなのか、中国の一般家庭ではよく食べるのかな(レストランの食事では、こんなに多くなかったと思う)。「白油豆腐」(四川式・豚ひき肉と豆腐の炒め煮)は、最近知ってハマっている、インスタント調味料の白マーボー豆腐と同じなのかな? いずれ作ってみたい。大豆や枝豆もよく使われていて、肉か青菜と合わせれば、立派な一品料理になる。あと、小ねぎの登場頻度も多い。小ねぎがあれば、何でも食べられるようになるので、最近、冷蔵庫には小ねぎを常備するようになった。

 「西安のムスリム食堂で出会った」とか「安徽省出身のおばちゃんに教わった」などの一口メモも楽しかった。そろそろ、また中国に行ってみたい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする