見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

虚構の遊楽世界/大吉原展(藝大美術館)

2024-04-19 23:17:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 『大吉原展』(2024年3月26日~5月19日)

 「江戸吉原」の約250年にわたる文化・芸術を、海外からの里帰りを含む美術作品を通して検証し、仕掛けられた虚構の世界を紹介する展覧会。

 備忘のために書いておく。私がこの展覧会の開催を知ったのは年末年始くらいだったと思う。いまネットで検索すると、同館が2023年11月30日に公開したプレスリリースが残っている。おもしろそうだなと思う反面、ショッキングピンクのポスターとウェブサイト、「江戸アメイヂング」という軽いノリの副題には、やや不安を感じた。さらに2月1日付けのプレスリリースでは、花魁道中を見物できる「お大尽ナイト」というVIPチケットの発売が取り上げられている。これを知ったときは、かなり嫌な感じがした。遊郭文化の記憶が今も一種の観光資源になっていることは知っていたが、国立大学の博物館がそういう「消費」に加担する姿はあまり気持ちのいいものではなかった。

 同じように感じた人が多かったのかどうかは分からない。SNSで急速に批判の声が高まり、同館は、2月8日に「『大吉原展』の開催につきまして」という説明文書を公表して「本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります」と釈明した。公式サイトもいつの間にか書き換えられ、ショッキングピンクの展覧会ロゴは、お葬式みたいなグレーに修正された。当初はイケイケだった英語タイトル「Yoshiwara: The Glamorous Culture of Edo's Party Zone」が、何の工夫もない「Yoshiwara: Utamaro, Hiroshige, Hokusai」に変わっていたのには苦笑した。

 さて、見て来た内容であるが、展示品のほとんどは浮世絵である。大英博物館所蔵の勝川春潮『吉原仲の町図』や、米国ワズワース・アテネウム美術館所蔵の喜多川歌麿『吉原の花』(どちらも肉筆)を見ることができたのは眼福と言うべきだろうか。歌麿の『青楼十二時』シリーズは、国内外の美術館から集めて揃えたもので、ふだんあまり浮世絵を見ない私にも、歌麿美人画の魅力がよく分かった。最近、千葉市美術館で大量に見た鳥文斎栄之の作品が出ていたり、来年の大河ドラマが待ち遠しい蔦屋重三郎の出版物『吉原細見』が出ていたのも目を引いた。

 「吉原の近代」のセクションには、高橋由一の『花魁』(最近、修復されたそうだ)、明治~大正の写真絵葉書があり、鏑木清方の『一葉女史の墓』と『たけくらべの美登利』が出ていたのは嬉しかった。後半の展示を見ながらしみじみ思ったのだが、私は「大門の見返り柳」も「お歯黒どぶ」も、それから吉原の四季の風物「玉菊燈籠」も「俄」も『たけくらべ』で覚えたのである。

 3階の会場は、低い瓦屋根と格子窓のモックアップで吉原の街並みを再現したつもりらしかったが、人が多過ぎて、あまり雰囲気が出ていなかったように思う。「花見」「玉菊燈籠」「八朔」「俄」など吉原の四季を紹介する展示はおもしろかった。吉原遊郭のメインストリート・仲之町には、開花時期だけ、数千本(ほんとか?)の桜が植えられたという(参考:和楽Web, 2022/3/23)。辻村寿三郎らによる江戸風俗人形を配した妓楼の立体模型は、台東区立下町風俗資料館の所蔵だという。同館は、いま休館中なのだな。2025年3月にリニューアルオープンしたら行ってみよう。

 まあ面白いものもあったけれど、遊女の悲惨な境遇を示す「遊女かしく」のエピソード(歴博の展示で見た)などは、小さなパネルで紹介されているだけで、とってつけた感を免れなかった。いまさらだが、私が怒りを感じたのは、最初のプレスリリースで、大学美術館教授の吉田亮氏が「近代になって鏑木清方が酒井抱一を慕い樋口一葉の『たけくらべ』を愛読したことに感じ取れる江戸情緒への憧憬は、吉原が育んだ世界と切り離すことができません」と語っていたことである。このひとは『たけくらべ』読んでるのかなあ、あそこに描かれたものを「江戸情緒への憧憬」と言ってしまうのは、大変不満である。

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地獄極楽図の隠れた名品/ほとけの国の美術(府中市美術館)後期

2024-04-17 22:29:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 企画展・春の江戸絵画まつり『ほとけの国の美術』(2024年3月9日~5月6日)

 3月に前期を見た展覧会、2回目は半額割引の制度を利用して、後期を見て来た。冒頭の京都・二尊院『二十五菩薩来迎図』が撤収かな、と勝手に思っていたら、ここはそのまま。次の一角、敦賀市・西福寺の『観経変相曼荼羅図(当麻曼荼羅)』など、地方に伝わった仏画の逸品が並んでいたところが、ガラリと展示替えになって、金沢市・照円寺の『地獄極楽図』18幅が、まさに所狭しと並んでいた。噂には聞いていたけれど、色鮮やかで(むしろケバケバしくて)圧が強い。作者も制作年も不明だが、江戸時代終わり頃の作と見られている。

 18幅の構成は、はじめに源信和尚図。数珠と尺(?)を持って斜め右向きに椅子に座る図は、典拠の図像があるようだ。黒い衣にやたら派手な袈裟をまとっている。続いて、天道、人道×2幅、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。人道の1枚目は栄枯盛衰(上臈女房と枯野の老婆)、生老病死の四苦をあらわし、2枚目は死者の九相図。阿修羅道は戦いだけでなく天災の苦しみも描かれている。地獄道は閻魔王による裁きの場だが、なんとなく和風の書記官がいるのが気になった。

 次に地獄図6幅は、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、大叫喚地獄・叫喚地獄、大焦熱地獄・焦熱地獄、阿鼻地獄。黒と赤を基調としたダイナミックな画面に、わずかに緑や青が入る。炎や熱線の輝く赤に対して、切り刻まれる亡者が流す血潮には、ベタつくような深紅が用いられている。月岡芳年や落合芳幾の「血みどろ絵」の赤と同じだ。どんぐり眼の鬼たちは、マンガのキャラクターのようで意外とかわいい。なお、本作の地獄図は、版本『平かな絵入往生要集』の挿絵を換骨奪胎して、大画面に再構築している、という指摘もおもしろかった。

 続いて極楽図4幅は、聖衆来迎楽、聖衆倶会楽・引接結縁楽・快楽無退楽、五妙境界楽・身相神通楽・蓮華初開楽、増進仏道楽・随心供会楽・見仏聞法楽。描かれている風景は特に珍しくない極楽図なのだが、明るく朗らかな色彩感覚が自由すぎてびっくりした。いや、我々が退色した状態で見ている古い極楽図も、本来はこんな感じだったのかしら。

 ロビーでは、この地獄極楽図でお坊さんが絵解きをするビデオが放映されていた。照円寺、次に金沢に行ったら訪ねてみたい。日本には(地方のお寺には)まだまだ、私の知らない名品が隠れているのかなあ、と思うとわくわくする。

 後半も微妙に展示替えがあったが、来た、来た!とテンションが上がったのは、曾我蕭白の『雪山童子図』。木の上には、福々しい白い肉体に緋色の腰布の童子。下には全身青色の鬼。童子は自分の体を鬼に与えるために飛び降るところ。けれども、決然として喜びにあふれた童子の尊さに比べ、醜怪な鬼が哀れに見えてくる。そう思って解説を読んだら、この鬼は帝釈天の化身で、童子を空中で受け止め、敬礼したという話だった。いや、全然忘れていたが、この鬼、どう見ても帝釈天の面影はないなあ…。

 私はこの作品を見ると、自動的に2005年の京博の曾我蕭白展を思い出して「円山応挙が、なんぼのもんぢゃ」の名コピーが浮かんでしまう。久しぶりに20年後に東京で(しかも?府中で!)見ることができて嬉しかった。また、昨年、奈良博の特別展『聖地 南山城』で、この『雪山童子図』の典拠ではないかと推定される、大智寺(木津川市)の『悉達太子捨身之図』を見たことも思い出したので、ここに再掲しておく。

 そのほか、印象に残ったものに中林竹渓の『観音像』がある。背景を黒一色にした美麗な観音さま。名古屋市・西来寺の『八相涅槃図』は、何度か見ているが、水の生きものが参列しているのが珍しい。鯨は珊瑚を咥えている。蘆雪のやんちゃなわんこをたくさん見ることができたのも嬉しかった。『枯木狗子図』の2匹が肩を寄せ合う後ろ姿の愛らしさ。これは初見のような気がするのだが、こんな名品を見つけ出してくれたことに大感謝である。

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ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOURディレイビューイング

2024-04-16 23:11:39 | 行ったもの2(講演・公演)

「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」宮城公演ディレイビューイング(2023年4月13日16:00~、TOHOシネマズ日本橋)

 土曜日、羽生結弦くんの単独公演をディレイビューイングで見てきた。見ていた時間だけ、魂が別世界に跳んでいたような気分で、感想がうまく言葉にならないのだが、書いてみる。

 プロに転向した羽生くんが「プロローグ」「GIFT」という単独公演を成功させてきたことは知っていた。私は、FaOI(ファンタジー・オン・アイス)をはじめ、彼の出演するアイスショーをずっと見てきたけれど、単独公演は、コア中のコアな羽生ファンのためのものだから、私はいいかな、と言う気持ちで遠慮していた。しかし今回、3度目の単独公演となる「RE_PRAY」ツアーは、そのキービジュアル(羽生くんのモノクロ写真)が好みだったのと、SNSに流れてくる感想(ロバート・キャンベル先生からも!)が只事でない感じだったので、ディレイビューイングのチケットを取ってしまった。ツアー最終(追加)公演の千秋楽である4月9日宮城公演の録画上映である。座席は自動指定だったが、ほぼ中央で、ショートサイドのリンク際みたいな、最高のポジションだった。

 舞台には旧型のテレビを思わせるような枠付きの、大きなスクリーンが設置されている。そこには、ゲームのコントローラーを握った羽生くんの映像が映し出されるかと思えば、ゲームそのものの画面になって、ドット文字のメッセージや、ドット絵のキャラクター(さまざまな衣裳をまとった羽生くん自身)が表示される。ゲームの進行に従って、選択を迫られ、素材を集め、敵を倒し、どんどん強くなっていく主人公。前半は真っ白なフードつきコートで登場した「いつか終わる夢」のあと、「阿修羅ちゃん」「鶏と蛇と豚」「MEGALOVANIA」「破滅への使者」など、強くて悪そうな羽生くんが盛りだくさん。

 椎名林檎の「鶏と蛇と豚」は、仏教の「三毒」を意味する動物で、真っ赤な背景に象徴的な三角形が浮かぶ中、貴婦人のような黒レース衣装の羽生くんが登場する。曲のイントロは般若心経なのである。羽生くん、晴明でなくて空海も演じられるわ、と思ってしまった。

 「MEGALOVANIA」は、無音の中で、スケート靴のブレードを氷に突き立てるような荒々しいステップから始まる。鍛えられた肉体の魅力を引き立てる衣装で、すっかり大人の男性になったなあ、としみじみ思ったのに、休憩後の後半では、再び永遠の少年の顔で登場するので、どうなってるの?と目を剥いた。

 「破滅への使者」は、競技プログラムと同様、6分間練習からスタートする。会場に漂う緊張。見慣れたティッシュケースのプーさんが映るのがうれしい。そしてこのプログラムを完璧にクリアしたにもかかわらず、ゲームから「データをセーブできません」と告げられ、混乱と困惑のうちに前半が終了する。ライブでは休憩30分だったようだが、ディレイビューイングは10分だった。

 後半。主人公は再びゲームの世界へ向かうが、前半とは異なる選択をする。自分のまわりの命を潰さない選択。主人公は深い水の中に落ちていく。「いつか終わる夢:re」「あの夏へ」「天と地のレクイエム」「春よ来い」など清冽なプログラムが続く。最後は「春よ来い」で、私はこのプログラムを見るたびに、世界に春をもたらすための祈りのように感じる。そしてスクリーンのドット文字「RE_PLAY」(再生)が「RE_PRAY」(祈り続ける)に変わって終了。

 まず、ほとんど休憩なし(あっても衣装替えの時間くらい)で、10曲近くを連続で滑り切る体力が化けものだと思った。しかもそれぞれ難易度の高いプログラムを完璧に。

 このあと、Tシャツ姿でマイクを持った羽生くんが、楽しそうにリンクをまわりながらお喋り。あ~これで終わりか~と思ったあとに「SEIMEI」「Let Me Entertain You」「ロンド・カプリチオーソ」「私は最強」と次々繰り出されるアンコール。本人はよほど名残惜しかったのか「終わりたくない」なんて言っていたけど、もう身体を休めなさい、と母親気分でハラハラしていた。

 しかし本当に素晴らしい体験だった。世界中の、フィギュアスケーターだけではなくて、様々な分野のアーティストに見てもらいたいと思う。次回の羽生くん単独公演が発表されたら、おそらく現地チケット争奪戦に参加することになるだろう。

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同時代の日本画を見る/第79回 春の院展(日本橋三越)

2024-04-14 23:02:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本橋三越本店 『第79回 春の院展』(2024年3月27日~4月8日)

 先週末の話になるのだが、日本橋の三越デパート前を通りかかったら「春の院展」という大きなポスターが出ていた。私は小学生の頃、近所の絵画教室に通っていた。大きな画用紙(学校で使うものの倍サイズだった)にクレヨンで絵を描く教室だったが、先生は日本画家だった。私の祖母と、先生のお母さん(和装小物や裁縫道具を商うお店=糸屋を経営していた)の間に近所付き合いがあったこともあって、その後、先生が名古屋に引っ越してしまったあとも、ずっと「院展」の招待券をいただき続けた。

 日本美術院展覧会(院展)は、公益財団法人日本美術院が主催運営する日本画の公募展覧会である。むかしの院展は上野の東京都美術館で開催されていたのに、今はデパートが会場なのかしら、と思ったら、秋の院展(再興院展)は、今でも東京都美術館で開催されており、春の院展は、1945年に日本橋三越で開催された「日本美術院小品展」が始まりなのだそうだ。

 確かに比較的小画面の作品が多いように思った。しかし出品総点数は300点を超える。そうそう、こういう大規模展覧会を見ることで、テキトーに流し見をしながら、自分の好きな作品を見つけるスキルをつけたものだ。

 会場案内図が置かれていなかったので、お世話になった先生の作品をどうやって見つけようか、途方にくれかけたのだが、QRコードを詠み込むと、作品リストと会場マップのPDFファイルを読み込むことができて、無事、見つけた。田渕俊夫先生の『運河』である。これはアムステルダムの風景だろうか?

 ほかに気に入った作品は、斎藤満栄氏(同人)の『辻が花(藤)』、井手康人氏(同人)の『不二』。人物画では、小林司氏の『偲ぶ』。加藤裕子氏の『まごころに包まれて』は、日本橋三越1階の天女(まごころ)像をモチーフにしたものだとすぐに分かった。現代日本画、もっと積極的に見るようにしていきたい。

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「花だけ」と「人と花」/花・flower・華 2024(山種美術館)

2024-04-12 21:42:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『花・flower・華 2024-奥村土牛の桜・福田平八郎の牡丹・梅原龍三郎のばら-』(2024年3月9日~5月6日)

 この時期恒例となっている、花の名品を一堂に集めた展覧会。見慣れた作品が多いので、今年はこの作品がこの位置か、という会場構成の違いが、ひとつの楽しみになっている。今年はぱっと目に飛び込んできたのが小茂田青樹の『春庭』。振り返ると奥村土牛の『木蓮』(深い紫色が上品で美しい)があった。視界の端に土牛の『醍醐』が見えて、おや今年は会場の前半に展示なんだ、めずらしいな、と思った。

 ゆっくり見ていくうちに、今年は、春→夏→秋→冬という季節のめぐりに従って作品が配置されていることにやっと気づいた。夏のセクションには福田平八郎の『牡丹』(屏風)。大坂中之島美術館で見てきた中にも類似の作品があったが、初期の作風だなと思った。1924年(32歳)という注記を見て納得。長谷川雅也『唯』は、ターコイズブルーの画面に繊細な線描でアジサイの株を描く。初めて知ったお名前だが、1974年生まれの現代日本画家だという。川端龍子の『八ツ橋』も出ていた。光琳の『燕子花図』のバリエーションって、どのくらいあるのだろう。本歌を踏まえて増殖していく日本の芸術のおもしろさである。それを言ったら、小林古径『蓮』にも、さまざまな『蓮池図』(古いものなら法隆寺の)の記憶が重なっている。

 中川一政『薔薇』や梅原龍三郎『薔薇と蜜柑』『向日葵』など、油彩画がさりげなく混ざっているのも面白かった。森田沙伊(このひとも初めて知った名前)の『薔薇』は、油彩だと思ったら「紙本金地・彩色」とあった。背景は隙間なく塗りつぶされているのだが、紙本金地を用いているらしい。絵具の下から金が照り輝くような効果をねらったのだろうか。奥村土牛の『薔薇』は金地の背景を残して、堂々とした大輪のピンク色のバラを描いている。81歳の作。妖艶な上に格調高く、素晴らしくて声も出ない。

 第1展示室の出口近くの大きな展示ケースには、荒木十畝の『四季花鳥』4幅と、松岡映丘『春光春衣』が掛けてあった。荒木作品で「四季の花々」のセクションが終わり、松岡作品の前に「人と花」というテーマが掲げられていた。そこで初めて気づいたのだが、今年の第1展示室は、最後の松岡作品(桜吹雪の下の王朝女房たち)を除き、「人」を描いたものがなく、純粋に「花」だけを描いた作品が並んでいる。もう1回、会場をまわって確かめたが、少し視点を引いた風景画でも、「人」の姿は全くなかった。

 小さな第2展示室には、5作品「人と花」の名品が並んでいた。守屋多々志『聴花(式子内親王)』や伊東深水『吉野太夫』など。そういえば、愛子内親王は卒論で式子内親王の和歌を扱われたそうだが、この絵画、見ていらっしゃるかしら。ぜひ見てほしい。

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金屏風の四季と生きものたち/ライトアップ木島櫻谷(泉屋博古館東京)

2024-04-09 21:09:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『ライトアップ木島櫻谷-四季連作大屏風と沁みる「生写し」』(2024年3月16日~5月12日)

 大正中期に大阪天王寺の茶臼山に建築された住友家本邸を飾るために描かれた木島櫻谷の「四季連作屏風」を全点公開するともに、リアルな人間的な感情を溶かし込んだ動物画の名品を紹介する。

 先週末は日本画が見たい気分だったので、とりあえずこの展覧会に来てみた。最初の展示室に入ると、ほの暗い空間の三方の壁に、金地彩色の六曲一双屏風が5作品。『雪中梅花』『柳桜図』『燕子花図』『菊花図』。ここまでが1917~18年に制作された「四季連作屏風」(冬-春-夏-秋の配置なのだな)で、さらに1923年制作の『竹林白鶴』が並んでいた。ほかに今尾景年の墨画淡彩の軸がひっそり掛かっていたけれど、実に贅沢な空間。

 木島櫻谷という画家は、最近気になり始めたばかりで、あまり多くの作品を見ていないのだが、『雪中梅花』『柳桜図』は、ここで見た記憶があった。『雪中梅花』は、胡粉(?)の厚塗りで描かれた雪が、細い枝の上になったり下になったり、まとわりつくように積もる様子に生々しさを感じた。『菊花図』は、遠目に見ると卓抜なデザイン感覚が目について、スタンプを押したようにどれも同じ白菊の花に見えるのだが、近づくと、意外と菊の花びらを丁寧に写実的に描いているのが分かる。『燕子花図』は、もちろん光琳の『燕子花図屏風』(今年もたぶん見に行く)を本歌取りにした作品だが、燕子花の配置も、風に揺れるような長い葉先の重なりも、本歌よりずっと自然でのびやかで、大正の時代精神のようなものを感じてしまう。

 第2~第3展示室には、櫻谷が描いた動物画に加え、櫻谷が学んだ円山四条派、岸派など、江戸の動物画も一緒に展示されていた。櫻谷の『狗児図』(個人蔵)と森一鳳の『猫蝙蝠図』は双璧を争う愛らしさ。櫻谷は京都市動物園に通って、めずらしい動物たちの姿を写生することに励んだという。京都市動物園(1903/明治36年開園)が当時の日本画壇に与えた影響って、1冊本が書けるくらい大きいんじゃないかと思っている。櫻谷の『獅子虎図屏風』(1904/明治37年)はその成果の1つ。虎の毛皮のなめらかな感触が想像できて、思わず手を伸ばして触れたくなる。

 ちょっと笑ってしまったのは、淡彩(ほぼ墨画)の『雪中老猪図』。カピバラみたいな茫洋とした顔をしている。そして、これらの作品のもとになった写生帖(展示場面は、ほぼ動物の写生)が展示されているのも嬉しい。ハチワレのビーグル(?)は『狗児図』と同じわんこだろうか? 安心し切って眠る姿が愛らしかった。いま、府中市美術館で開催中の『ほとけの国の美術』では、日本人がとりわけ情感豊かな動物絵画を描いた理由を、涅槃図の伝統から考察しているが、ぜひ、あわせて本展も見てもらえるといいと思う。

 第4展示室は、同時開催企画『住友財団助成による文化財修復成果-文化財よ、永遠に』と題して、同館コレクションの毘沙門天立像(平安時代)と呉春・亀岡規礼筆『松・牡丹孔雀図衝立』を紹介している。保存の取組み、ありがとうございます。

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静養と密談の空間/戦後政治と温泉(原武史)

2024-04-07 23:50:46 | 読んだもの(書籍)

〇原武史『戦後政治と温泉:箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間』 中央公論新社 2024.1

 扱われている時代は終戦の1945年から1960年代半ばまで、主な登場人物は、吉田茂、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人などで、そんなに古い話ではないのだが、なんだかとても奇妙な物語を読んだ気がした。この時代、首相たちは、箱根や伊豆などの温泉で、重要な政治的決断を下していたというのだ。想像したこともなかった。

 戦後、吉田茂は、大磯にあった養父・吉田健三の別荘を本邸とするとともに、御殿場の樺山愛輔別邸「瑞雲荘」を第二の本邸とし、マスコミを嫌って東京に戻らず、野党からも批判された。その後、吉田は箱根を気に入り、新町三井家の小涌谷別邸に滞在するようになる。三井別邸での面会を許されたのは、限られた政治家や学者、官僚、親しい女性だけだった。政界引退後も吉田は小涌谷に通い続け、保守政治家たちには「奥の院」として意識された。

 吉田と政権を争った鳩山一郎は、戦後、公職追放処分を受け、GHQに東京の本邸を接収されたため、熱海の石橋正二郎別邸「海幸荘」に移住した。これにより、反吉田派の熱海詣でが活発になる。鳩山は、1951年に脳溢血で倒れて以降は、韮山(現・伊豆の国市)の温泉旅館「水宝閣」で療養につとめるようになる。ここは北条時政・義時ら、源頼朝の挙兵を助けた北条氏の館があったところだという。また鳩山は伊東市の「川奈ホテル」や箱根の「富士屋ホテル」も利用している。

 岸信介は箱根宮ノ下の「奈良屋」を愛用した。ただし奈良屋の女将の回想によれば、社会党の浅沼稲次郎や河上丈太郎も常連客だったという。岸は、日豪通商協定の調印を奈良屋でおこなったり、インドのネール首相を富士屋ホテルで歓待するなど、箱根で首脳外交を展開した。岸の後任を(岸の望む佐藤栄作ではなく)池田勇人にすることを決めた、岸・吉田(+堤康次郎)会談も箱根の「湯の花ホテル」で行われた。

 池田勇人は吉田内閣の蔵相時代から、週末は箱根仙石原で休養することを習慣にしていた。はじめは五高の先輩である井上重喜の別荘を借りていたが、のち、近藤商事の近藤荒樹の別荘に移った。池田は、訪米準備の閣僚会合も箱根で開催し、米国の経済閣僚を招いた国際会議も箱根で開催した。池田に代わって首相となった佐藤栄作は、首相になる前から、毎年夏は軽井沢に通っていた。軽井沢は温泉が出ない。佐藤はもっぱらゴルフによって体調を維持した。こうして「温泉政治」の時代は終わりを告げたのである。

 こうした戦後政治の経緯を知ると、最近の首相が、首相公邸に入居しなかったり、高級料亭で会食していたりで非難はされるものの、ほぼ常時東京にいるようになったのは時代の変化なのだなと思う。あと、G7会合に観光地・保養地が選ばれるのも、安倍晋三がロシアのプーチン大統領を長門市の温泉に招いて友好を演出しようとしたのも、こういう「温泉政治」の記憶が背景にあるのかもしれない(何か特別よい結果を生んだとは思えないが)。

 私は、本書に登場する首相たちの中では、池田勇人が、週末は箱根で「オフ」を過ごすことにこだわったというのを好ましく思った。政治家には俗世間をよく知っていてもらいたいが、俗世間との関わりを断つ時間も大事だと思う。静養中は秘書官以外と会わないことを原則とし、例外は松永耳庵と大徳寺の和尚・立花大亀くらいだったという。おお、ここで松永耳庵の名前が出てくるとは。

 1949年、鳩山一郎、石橋湛山が熱海に滞在中、世界救世教の岡本茂吉が検挙懿される事件が起きた。鳩山は何も記していないが、石橋は日記に「嘗て大本教の弾圧をした当時の日本を思ひ起す」と記した。岡本は戦前に大本から分かれて新たな宗派を立てたという本書の注釈に驚く。岡本は熱海のMOA美術館の創立者であり、最近ときどき行く東京黎明アートルームにも深く関わっているのだ。

 この感想では省略してしまったが、戦後政治家たちの「温泉」に対して、戦後の皇室が選んだのは「軽井沢」だった。しかし佐藤栄作以降、保守政治家たちは軽井沢に回帰した。佐藤の別荘の周りには、田中角栄、中曽根康弘らの別荘が並んでいたという。なんだか気持ち悪い空間であるなあ。

 逆に平成天皇・美智子妃は、皇太子夫妻であった当時、地方の温泉旅館やホテルを積極的に利用し、地域住民(特に若い世代の男女)との対話型集会を開催しているという。これも初めて知る話で、たいへん興味深かった。

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2024年3月関西旅行:東大寺~新薬師寺~大和文華館ほか

2024-04-05 22:49:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

華厳宗大本山 東大寺(奈良市雑司町)

 関西旅行3日目は奈良スタート。早朝の奈良公園を大仏殿に向かう。廻廊の中門から中を覗くと、左(西)側の桜が、朝陽を受けてピンク色の雲のように輝いていた。

 大仏殿の北側の、のんびりした裏参道を歩いて二月堂に登る。ご朱印は「南無観」をいただいた。書いてくれた方が、隣りのページを見て「あ、仁和寺に行かれたんですか。僕は京都なんですけど行ったことがないんですよ」と気さくに話しかけてくれた。

 それから手向山八幡宮、若草山の脇を通り、春日大社の森の中を南下。高畑の住宅街に通じる「上の禰宜道」には、春日の禰宜(神官)たちが高畑の社家町から春日大社へ通った道だという案内板が立っていた。

新薬師寺(奈良市高畑町)

 久しぶりに来たくなって、寄ってみた。このあたり、一時期はもう少し観光客の姿があったように思うのだが、なんだか昔のさびれた奈良の雰囲気に戻ったようで、個人的には望ましかった。目のぱっちりした薬師如来坐像と、力のこもった十二神将像は昔のまま。簡素な境内は桜の木が多く、この時期だけの華やかさを添えている。

 桜の下に実忠和尚(良弁の弟子、修二会の創始者)の供養塔があって、おや、こんなところに、と思って写真に収めて来たのだが、調べたら「実忠和尚御歯塔」と伝わるものだという。この御歯塔の縁なのかどうか分からないが、毎年4月8日には、新薬師寺でも修二会(おたいまつ)が行われていることを初めて知った。最近、東大寺の修二会は有名になり過ぎて行ける気がしないので、今度はここの修二会に来てみようかしら。

大和文華館 『文字を愛でる-経典・文学・手紙から-』(2024年2月23日~4月7日)

 私は大和文華館に毎年3~4回、何十年も通っているのだが、前庭に三春滝桜があると知ったのが、実は2020年の『コレクションの歩み展II』である。同館は雪村の作品蒐集に力を入れてきており、その縁で、雪村が最晩年を過ごした福島県の三春滝桜を親木とする桜を本館入口前に植えたのだという。その後も、花の盛りに会うことはなかったが、ついに今年、真面目(しんめんもく)を見ることができた! 化けものみたいに素晴らしかった。

 桜目当てで訪れたお客も多いのか、館内は小さな子供連れもいて賑わっていた。それにしては、経文や書状・文書が中心の地味な展示で、ちょっと苦笑してしまった。実は源義経とか豊臣秀吉など、ビッグネームの書状もあるのに気づいてもらえるといいのだけれど。あと、おそらく同館としては初の試みで、ほとんどの資料が撮影可・SNS可になっていた。大好きな『一字蓮台法華経』の華麗な見返し絵、それに『阿国歌舞伎草紙』(念仏踊、茶屋遊び)が撮影できたことが嬉しい。拡大して細部を確認できるのが、老眼には本当に助かる。

■大阪中之島美術館 没後50年『福田平八郎』(2024年3.月9日~5月6日)

 大混雑のモネ展を尻目に、私が見たかったのは福田平八郎(1892–1974)の回顧展。私は山種美術館で『筍』『鯉』などを見て、このひとの名前を覚えたのだと思う。2012年には、生誕120年『福田平八郎と日本画モダン』展も見ている。はじめは訥々とした写生画から始まる。そして、いきなり大胆すぎる代表作『漣』を生み出す。その後、しばらくは『漣』の影響に縛られたような時代が続くが、晩年の「自由な写生」、写実であろうとすればするほど、色もかたちも題材も自由になっていく感じが、ハッピーでとてもよかった。東京に来てくれないの、寂しいなあ。

 

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2024年3月関西旅行:大覚寺~仁和寺~東寺ほか

2024-04-04 23:15:06 | 行ったもの(美術館・見仏)

旧嵯峨御所 大本山 大覚寺(右京区嵯峨大沢町)

 新年度が始まったら、連日多忙で記事が書けていないのだが、これは先週末の関西旅行2日目の記録。京都駅から市バス28系統に乗って、大覚寺に向かった。あまり乗ったことのない路線で、四条通りをひたすら西へ進み、松尾大社前で北上して嵐電嵐山駅前を通り、大覚寺まで約1時間。車窓の観光が楽しかった。大覚寺を訪ねるのは久しぶりで、ブログ内検索をかけた結果では、2009年以来らしい。そんなに来ていなかったかな?

 お堂エリア・大沢池エリア・霊宝館に、それぞれ料金設定がされていたので、お堂と霊宝館をお願いした。霊宝館では春季名宝展『源氏物語と嵯峨野古典文学めぐり~王朝・雅人の世界』(2024年3月22日~4月22日)を開催中。「源氏物語」や「大鏡」などの江戸写本が展示されており、「花鳥余情」(源氏物語の注釈書)の写本が珍しかった。仏像は、平安・鎌倉~江戸の密教仏が大小多数あって楽しかったが、特に1躯ずつ厨子に入った、古風でおとなしめの五大明王像(平安時代)が興味深かった。霊宝館の出口に置かれていたチラシによれば、2025年新春に東博で特別展『旧嵯峨御所 大覚寺』が開催されるらしい。障壁画が中心となるようだが、ぜひ仏像の名宝も東京に来ていただきたい。

真言宗 御室派総本山 仁和寺(右京区御室大内)

 市バスと嵐電を乗り継いで仁和寺へ。ここは御所庭園・霊宝館・花まつり入山料という設定で、はじめ、霊宝館だけでいいかと思ったが、五重塔や金堂に参拝するには「花まつり入山料」を払わなければいけないと分かって、それもお願いした。窓口では「まだサクラは咲いてません。ミツバツツジが咲いてますけど」という念押しの説明があって、拝観券を売るのも大変だなあと笑ってしまった。中門を入ると、確かに御室桜は影もかたちもなかったが、緑が濃くて気持ちよかったので満足である。

 霊宝館では春季名宝展『仁和寺の動物大集合』(2024年3月23日〜5月6日)を開催中で、南北朝時代の『普賢延命菩薩像』を見ることができた。普賢菩薩の蓮華座が4頭の白象の頭に載っており、さらに4頭の白象が載った法輪(?)を無数の小さな白象が支えている。『孔雀明王像』は残念ながら江戸の模本だった。仏像で珍しかったのは『童子経本尊坐像』(江戸時代)で、甲冑姿の乾闥婆王と見られる。厨子の扉に童子に害をなす蛇や動物(本体は鬼神)が鏝絵のように貼り付けられていた。

相国寺承天閣美術館 企画展『頂相 祖師たちの絵姿』(2024年3月17日〜5月12日)

 法脈を今に伝える頂相(師の絵姿)を数多く公開。第1展示室に展示の『列祖像三十幅』は、承応4年(1655)の内裏造営の際に障壁画を担当した狩野派の絵師が、相国寺を絵所とした縁で制作を依頼したもの。初祖・達磨図は探幽筆。二租・慧可図は安信筆。この慧可さんは癖の強い顔立ちでかなり好き。

細見美術館 『空間を彩る屏風-広がる大画面(ワイドスクリーン)』(2024年2月20日~4月14日)

 空間を彩ってきた屛風を紹介する。名所図屏風、洛中洛外図屏風は細部が楽しくて、隅々まで舐めるように眺めてしまう。東大寺や猿沢池(?)を描いた『奈良名所図屏風』なんてのもあるのだな。個人蔵の『柳橋水車図屛風』も名品。

東寺(教王護国寺)宝物館 2024年春期特別公開『南北朝時代の東寺-争乱と東寺興隆-』(2024年3月20日~5月25日)

 南北朝時代の建物修理、荘園の寄進、法会や祈祷、僧侶の組織などを紹介。文書の展示が主で地味だが、歴史好きには楽しい。綸旨、奉書、下知状、御教書など、さまざまな形式の文書を見ることができる。なお、夜叉神像2躯が2階ホールで展示されていた。ここが当面の安住の地になるのかな。

 この日の市内観光は、バス1日券をフル活用させてもらった。バス1日券は、昨年9月末で発売を停止し、この3月末日で利用も終了になった。思えば、高校の修学旅行の頃から、ICカードが登場するずっと前からお世話になってきた1日券だが、これが最後である。ありがとうございました。

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2024年3月関西旅行:醍醐寺から山科散歩

2024-04-01 22:47:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

醍醐寺(伏見区醍醐)

 3月最後の週末に金曜有休をプラスして、関西へ2泊3日の花見旅行に行ってきた。当初の計画では、東京の開花を見届けてから関西へ赴くはずだったが、今年のサクラは全くの予想外れ。関西方面もあまり期待はできないかなあと思いつつ、京都へ向かった。

 JR山科駅から醍醐寺へ。拝観料は三宝院(庭園)・霊宝館・伽藍の3点セットで1500円。これは2018年と同じだった。まず露店の並んだ参道(桜馬場)の奥の伽藍に向かう。朱塗りの仁王門の前には、満開ではないが、ほどほどに花の開いた紅枝垂れ桜。よかった!仁王門を潜ると桜園なのだが、ここはまだ咲いていない。五重塔を見上げ、金堂、不動堂などに参拝し、納経所である観音堂に立ち寄る。観音堂の先にある大きな池のまわりには、色味の異なる数種類のサクラが重なり合って咲いていた。

 納経所のシステムが、ちょっと以前とは変わっていて、まず申込用紙にどのご朱印がほしいかを記入し、売店で料金を支払い、用紙に「支払済」のハンコを貰う。それを納経受付のブースに持っていくと、ご朱印をいただけるのである。ご朱印(墨書)を書くのは一種の専門技能なので、代金の受け渡しなどは他の人に任せて、書くことだけに専念してもらうほうが効率的だろう。加えて、売店では支払いにバーコード決済も導入されていた。paypay払いでご朱印をいただく初めての体験をした。

 次に霊宝館へ。白壁の施設を囲む桜は、平均的には五分咲きというところだったが、十分楽しめた。霊宝館には「仏像棟」と名づけられた別館がある。醍醐寺には数組の五大明王像が伝わっているが、ここに安置されている重文五大明王像が私は一番好きだ。「大威徳」の名前に全くふさわしくない牛さんに再会できて嬉しかった。

 最後に三宝院へ。2018年の記録では、書院の途中まで通常の拝観券で入れたが、今年は庭園と売店エリアだけになっていた。しかし快慶の弥勒菩薩に会わずに帰るわけにはいかないので特別拝観500円を支払う。書院の建築美や新旧の襖絵、庭園美などを楽しみながら進み、風の通る質素な本堂(弥勒堂)に祀られた金色の弥勒菩薩を遠目に拝した。もし自分の持仏堂があったら、弥勒仏を安置したいなあ…と思った。現世利益とつながらないところが慕わしい。

随心院(山科区小野御霊町)

 醍醐寺から15分ほど歩いて随心院へ。小野小町ゆかりの寺院で、むかし一度来たことがありそうな気がするのだが、ほとんど記憶がなく、行ってみたら意外と大きな伽藍でびっくりした。真言宗十八本山の1つだった。

勧修寺(山科区勧修寺に仁王堂町)

 再び15分ほど歩いて、山科川を渡り勧修寺へ。白い築地塀に囲まれた参道を歩き、大きな山門を入る。拝観できるのは庭園のみ。広々した池泉庭園で、水辺の木の上にはサギがコロニーをつくっていた。本堂や書院の中は特別公開のときでないと見られないようだ。勧修寺といえば、藤原高藤が狩りの途中で一夜の宿をかりた宮道弥益の邸宅跡で、このとき高藤に見初められた宮道弥益の娘が身ごもり、生まれた女子が宇多天皇に入内したことで藤原家の繁栄が始まる。『今昔物語』で読んだ説話を思い出して、往時を偲んだ。

毘沙門堂門跡(山科区安朱稲荷山町)

 地下鉄小野駅から山科駅に戻り、駅北口から歩き始める。「山科の毘沙門堂」は、たぶん紅葉の名所として聞いたことはあるのだが、訪ねるのは初めてかもしれない。手作りの案内板に従って進むと、やがて激しい水の音が聞こえてきた。琵琶湖疎水(山科疎水)や山科川の支流である安祥寺川が縦横に流れている。雑木林と住宅に挟まれたケモノ道のような細道を通って、毘沙門堂に到着した。ここは文武天皇の勅願により開かれた天台宗の寺院。狩野派の襖絵を多数見せていただいた。

 帰りはケモノ道を避けて、広い参道を下る。ちょうど琵琶湖疎水を観光船が京都・蹴上へ下っていった。私は2022年にこの疎水クルーズを体験しており、桜と菜の花の取り合わせが美しかったことを覚えている。この日はまだ桜はなくて、黄色い菜の花だけが華やかだった。

 初日は大津泊。

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