見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ゆるくて、やさしい中国/古染付と中国工芸(日本民藝館)

2024-04-22 22:22:56 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本民藝館 『古染付と中国工芸』(2024年3月30日~6月2日)

 古染付とは、明代末期の中国・景徳鎮民窯で、日本への輸出品として作られたやきものを言う。だが、染付(そめつけ)という柔らかな和語の響きからも、私はこれが中国産であることを忘れてしまいがちだ。今回、玄関に入ると、左手の壁には「大空合掌」の泰山金剛経拓本と鄭道昭の山門題字。右手には殷比干墓、楊淮表記摩崖(なんのことやらメモだけ取ってきて、調べながら書き写している)。見上げると、大階段の2階の壁には『開通褒斜道刻石(かいつうほうやどうこくせき)』の拓本が左右に並ぶ。そうか、古染付って中国の工芸だったな、と気づいて、なんだか嬉しくなる。

 大階段の踊り場中央には、呉州赤絵(漳州窯)の『人物山水文皿』。赤いチェックのような文様で縁取られた中型の皿で、人物とも山水ともつかない、青緑色のかたちが飛び交っている。階段下の展示ケースには、古染付のうつわに混じって、漢代の印文磚、唐代の加彩陶俑(舞楽女子)、明代の小さな明器の馬など。どれも素敵。

 心を躍らせながら、2階の大展示室へ。細かいことは気にしない、自由でおおらかな気風で描かれた、達磨、羅漢、道士や漁夫など。動物では『古染付栗鼠文中皿』のタワシをつなげたようなリス。『双鹿文皿』の四つ足に全く力のないシカ。『遊兎文小皿』の3匹列になったウサギ。私の大好きな『蓮池釣人図鉢』は大階段裏の展示ケースに出ていた。

 大展示室は、壁沿いの展示ケースの作品が全て撮影可だった。気に入った作品三選。

 古染付は明代のやきものだが、今回、清代~現代(20世紀)の民窯が多く出ていたのが珍しくておもしろかった。黄釉、飴釉、鉄釉などで、小さめの器形が多い。官窯の超絶技巧とは全く異なる「民藝」の温かみを感じた。

 併設展、2階の「墨の表現」では海北友松筆『黄山谷愛蘭図』が目を引いた。黒い頭巾を被った白衣の人物が俯いて立っている。「日本の磁器」には染付に類似した人物文のうつわも出ていたが、自由と軽妙さが物足りない感じ。「螺鈿・華角工芸と朝鮮陶磁」は、華角工芸(牛の角を薄く剥いで作った透明な板の裏側に彩色をする)の箱に、象や牛などさまざまな動物が描かれていて可愛かった。あと、各展示室で横に寝かせた冊子や軸物を抑えるのに使われている卦算(けさん)が卵殻貼りでオシャレだった。ほかに「河井寛次郎と棟方志功」。

 1階の「スリップウェア」には、グレゴリオ聖歌の楽譜や聖人図など西欧の工芸が多数。「北陸の手仕事」には、石川県の陶磁や漆器、新潟県の織物など。入口に黒い木製の『銭箱』が置いてあって、能登半島地震の災害義援金を受け付けていたので、ミュージアムショップで冊子『民藝』を購入して、五千円札を崩して寄附させてもらった。

 最後の部屋は、1月31日に鬼籍に入られた柚木沙弥郎氏の特集で、柚木氏の写真が掲げられていた。しかし「追悼」という悲しい言葉を吹き飛ばしてしまうような、明るくパワフルな染色作品の数々。こういう布をまとって死出の旅路に出ることができたらいいな、と思ってしまった。

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現地調査から見えるもの/中国農村の現在(田原史起)

2024-04-21 22:38:58 | 読んだもの(書籍)

〇田原史起『中国農村の現在:「14億分の10億」のリアル』(中公新書) 中央公論新社 2024.2

 著者の専門は農村社会学。20年にわたり、中国各地の農村に入り込んでフィールドワークを実践してきた経験をもとに本書は書かれている。

 中国の農民とは、どういう思考様式を有する人々なのか。はじめに著者は、歴史的経緯を振り返って言う。欧州では13世紀頃まで、日本は150年前まで封建制が存在していた。ところが中国は紀元前3世紀で「封建制」は終焉を迎え、皇帝が直接、民に向き合う「一君万民」的な政治体制が形成された。皇帝の意思を代行するのは官吏である(建前としては実力があれば=科挙に合格すれば、誰でも「官」になれる)。官僚が派遣される最末端単位は「県城」で、周辺の農村を統括した。農民は県より上の政府に直に接する必要はない。ここから「専制君主を戴きながらも、中国農民には思いのほか『自由』な一面が生まれた」というのは、とても共感できる。

 ある程度自由で、流動性が高い社会であることの反面として、最後に頼れる血縁が重視され、強い家族主義が生まれた。1990~2000年代に多くの農民工(出稼ぎ)が出現したのも、家庭内労働力を遊ばせず、家族全体で豊かになろうという「家族経済戦略」から説明がつくという。これも分かる。また、農民は豊かな都市住民に出会っても、彼我を引き比べようというメンタリティはなく、むしろ隣近所の農民どうしの格差・優劣を気にするという。これも分かる気がした。中国農民には、都市住民が自分と同じ「中国人」だという意識は希薄なんじゃないかなあ。

 ところで中国農村には、村幹部(村民委員会)という特異な集団が存在し、もしかすると国政よりは民主的(?)な選挙が行われている。この段で、なぜ中国は(国政レベルで)競争的な代議員選挙が根付かないかについて、著者が紹介している章炳麟の説が興味深かった。議会制はむしろ封建制や身分制と相性がよい。身分というものが中間集団として働き、「自分たちの(集団の)代表を議会に送り込みたい」と考えるからである。しかし中国には、少なくとも章炳麟の時代には、家族主義を超えるような中間集団は存在しなかった。一方、「世界最大の民主主義国」インドでは、「カースト」が政治的利益の分配における中間集団の役割を果たしてる、という著者の指摘も、たいへん腑に落ちた。

 そんなわけだが、本書に登場する農村基層幹部の人々(男性も女性もいる)は、逞しく、有能である。村民のことを知り尽くし、公共的な問題解決のため、知恵を絞り、全人格的な感覚を動員し、臨機応変に立ち回る。私は『大江大河』とか『県委大院』とか、中国ドラマで見て来た基層幹部のあれこれを思い出していた。中央政府は、少しずつ農村に対する財政支出を増やしているというけれど、開放以後の中国農村が「発展」を続けてきたのは、個々の家族の競争的な経済戦略と、「縁の下の力持ち」である基層幹部の努力の賜物なのだろう。

 気になるのは、習近平政権が「県城の都市化」すなわち、県城の農村部に居住してきた農民を、最終的には小都市である県城の市民として吸収していく政策を打ち出しているという情報である。実は、今、2022年制作の『警察栄誉』というドラマを見ているのだが、ここでも同じような社会状況が描かれていた。社会の再編成に向けて、当然、さまざまな軋轢が起きるだろうなあと思う。

 外国人による中国農村調査がなぜ「失敗」するか、「飲酒」や「宴席」の意味など、著者の実体験に即したコラムも面白い。コラムだけ立ち読みしてもいいんじゃないかと思う。

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虚構の遊楽世界/大吉原展(藝大美術館)

2024-04-19 23:17:48 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京藝術大学大学美術館 『大吉原展』(2024年3月26日~5月19日)

 「江戸吉原」の約250年にわたる文化・芸術を、海外からの里帰りを含む美術作品を通して検証し、仕掛けられた虚構の世界を紹介する展覧会。

 備忘のために書いておく。私がこの展覧会の開催を知ったのは年末年始くらいだったと思う。いまネットで検索すると、同館が2023年11月30日に公開したプレスリリースが残っている。おもしろそうだなと思う反面、ショッキングピンクのポスターとウェブサイト、「江戸アメイヂング」という軽いノリの副題には、やや不安を感じた。さらに2月1日付けのプレスリリースでは、花魁道中を見物できる「お大尽ナイト」というVIPチケットの発売が取り上げられている。これを知ったときは、かなり嫌な感じがした。遊郭文化の記憶が今も一種の観光資源になっていることは知っていたが、国立大学の博物館がそういう「消費」に加担する姿はあまり気持ちのいいものではなかった。

 同じように感じた人が多かったのかどうかは分からない。SNSで急速に批判の声が高まり、同館は、2月8日に「『大吉原展』の開催につきまして」という説明文書を公表して「本展では、決して繰り返してはならない女性差別の負の歴史をふまえて展示してまいります」と釈明した。公式サイトもいつの間にか書き換えられ、ショッキングピンクの展覧会ロゴは、お葬式みたいなグレーに修正された。当初はイケイケだった英語タイトル「Yoshiwara: The Glamorous Culture of Edo's Party Zone」が、何の工夫もない「Yoshiwara: Utamaro, Hiroshige, Hokusai」に変わっていたのには苦笑した。

 さて、見て来た内容であるが、展示品のほとんどは浮世絵である。大英博物館所蔵の勝川春潮『吉原仲の町図』や、米国ワズワース・アテネウム美術館所蔵の喜多川歌麿『吉原の花』(どちらも肉筆)を見ることができたのは眼福と言うべきだろうか。歌麿の『青楼十二時』シリーズは、国内外の美術館から集めて揃えたもので、ふだんあまり浮世絵を見ない私にも、歌麿美人画の魅力がよく分かった。最近、千葉市美術館で大量に見た鳥文斎栄之の作品が出ていたり、来年の大河ドラマが待ち遠しい蔦屋重三郎の出版物『吉原細見』が出ていたのも目を引いた。

 「吉原の近代」のセクションには、高橋由一の『花魁』(最近、修復されたそうだ)、明治~大正の写真絵葉書があり、鏑木清方の『一葉女史の墓』と『たけくらべの美登利』が出ていたのは嬉しかった。後半の展示を見ながらしみじみ思ったのだが、私は「大門の見返り柳」も「お歯黒どぶ」も、それから吉原の四季の風物「玉菊燈籠」も「俄」も『たけくらべ』で覚えたのである。

 3階の会場は、低い瓦屋根と格子窓のモックアップで吉原の街並みを再現したつもりらしかったが、人が多過ぎて、あまり雰囲気が出ていなかったように思う。「花見」「玉菊燈籠」「八朔」「俄」など吉原の四季を紹介する展示はおもしろかった。吉原遊郭のメインストリート・仲之町には、開花時期だけ、数千本(ほんとか?)の桜が植えられたという(参考:和楽Web, 2022/3/23)。辻村寿三郎らによる江戸風俗人形を配した妓楼の立体模型は、台東区立下町風俗資料館の所蔵だという。同館は、いま休館中なのだな。2025年3月にリニューアルオープンしたら行ってみよう。

 まあ面白いものもあったけれど、遊女の悲惨な境遇を示す「遊女かしく」のエピソード(歴博の展示で見た)などは、小さなパネルで紹介されているだけで、とってつけた感を免れなかった。いまさらだが、私が怒りを感じたのは、最初のプレスリリースで、大学美術館教授の吉田亮氏が「近代になって鏑木清方が酒井抱一を慕い樋口一葉の『たけくらべ』を愛読したことに感じ取れる江戸情緒への憧憬は、吉原が育んだ世界と切り離すことができません」と語っていたことである。このひとは『たけくらべ』読んでるのかなあ、あそこに描かれたものを「江戸情緒への憧憬」と言ってしまうのは、大変不満である。

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地獄極楽図の隠れた名品/ほとけの国の美術(府中市美術館)後期

2024-04-17 22:29:44 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 企画展・春の江戸絵画まつり『ほとけの国の美術』(2024年3月9日~5月6日)

 3月に前期を見た展覧会、2回目は半額割引の制度を利用して、後期を見て来た。冒頭の京都・二尊院『二十五菩薩来迎図』が撤収かな、と勝手に思っていたら、ここはそのまま。次の一角、敦賀市・西福寺の『観経変相曼荼羅図(当麻曼荼羅)』など、地方に伝わった仏画の逸品が並んでいたところが、ガラリと展示替えになって、金沢市・照円寺の『地獄極楽図』18幅が、まさに所狭しと並んでいた。噂には聞いていたけれど、色鮮やかで(むしろケバケバしくて)圧が強い。作者も制作年も不明だが、江戸時代終わり頃の作と見られている。

 18幅の構成は、はじめに源信和尚図。数珠と尺(?)を持って斜め右向きに椅子に座る図は、典拠の図像があるようだ。黒い衣にやたら派手な袈裟をまとっている。続いて、天道、人道×2幅、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道。人道の1枚目は栄枯盛衰(上臈女房と枯野の老婆)、生老病死の四苦をあらわし、2枚目は死者の九相図。阿修羅道は戦いだけでなく天災の苦しみも描かれている。地獄道は閻魔王による裁きの場だが、なんとなく和風の書記官がいるのが気になった。

 次に地獄図6幅は、等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、大叫喚地獄・叫喚地獄、大焦熱地獄・焦熱地獄、阿鼻地獄。黒と赤を基調としたダイナミックな画面に、わずかに緑や青が入る。炎や熱線の輝く赤に対して、切り刻まれる亡者が流す血潮には、ベタつくような深紅が用いられている。月岡芳年や落合芳幾の「血みどろ絵」の赤と同じだ。どんぐり眼の鬼たちは、マンガのキャラクターのようで意外とかわいい。なお、本作の地獄図は、版本『平かな絵入往生要集』の挿絵を換骨奪胎して、大画面に再構築している、という指摘もおもしろかった。

 続いて極楽図4幅は、聖衆来迎楽、聖衆倶会楽・引接結縁楽・快楽無退楽、五妙境界楽・身相神通楽・蓮華初開楽、増進仏道楽・随心供会楽・見仏聞法楽。描かれている風景は特に珍しくない極楽図なのだが、明るく朗らかな色彩感覚が自由すぎてびっくりした。いや、我々が退色した状態で見ている古い極楽図も、本来はこんな感じだったのかしら。

 ロビーでは、この地獄極楽図でお坊さんが絵解きをするビデオが放映されていた。照円寺、次に金沢に行ったら訪ねてみたい。日本には(地方のお寺には)まだまだ、私の知らない名品が隠れているのかなあ、と思うとわくわくする。

 後半も微妙に展示替えがあったが、来た、来た!とテンションが上がったのは、曾我蕭白の『雪山童子図』。木の上には、福々しい白い肉体に緋色の腰布の童子。下には全身青色の鬼。童子は自分の体を鬼に与えるために飛び降るところ。けれども、決然として喜びにあふれた童子の尊さに比べ、醜怪な鬼が哀れに見えてくる。そう思って解説を読んだら、この鬼は帝釈天の化身で、童子を空中で受け止め、敬礼したという話だった。いや、全然忘れていたが、この鬼、どう見ても帝釈天の面影はないなあ…。

 私はこの作品を見ると、自動的に2005年の京博の曾我蕭白展を思い出して「円山応挙が、なんぼのもんぢゃ」の名コピーが浮かんでしまう。久しぶりに20年後に東京で(しかも?府中で!)見ることができて嬉しかった。また、昨年、奈良博の特別展『聖地 南山城』で、この『雪山童子図』の典拠ではないかと推定される、大智寺(木津川市)の『悉達太子捨身之図』を見たことも思い出したので、ここに再掲しておく。

 そのほか、印象に残ったものに中林竹渓の『観音像』がある。背景を黒一色にした美麗な観音さま。名古屋市・西来寺の『八相涅槃図』は、何度か見ているが、水の生きものが参列しているのが珍しい。鯨は珊瑚を咥えている。蘆雪のやんちゃなわんこをたくさん見ることができたのも嬉しかった。『枯木狗子図』の2匹が肩を寄せ合う後ろ姿の愛らしさ。これは初見のような気がするのだが、こんな名品を見つけ出してくれたことに大感謝である。

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ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOURディレイビューイング

2024-04-16 23:11:39 | 行ったもの2(講演・公演)

「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR」宮城公演ディレイビューイング(2023年4月13日16:00~、TOHOシネマズ日本橋)

 土曜日、羽生結弦くんの単独公演をディレイビューイングで見てきた。見ていた時間だけ、魂が別世界に跳んでいたような気分で、感想がうまく言葉にならないのだが、書いてみる。

 プロに転向した羽生くんが「プロローグ」「GIFT」という単独公演を成功させてきたことは知っていた。私は、FaOI(ファンタジー・オン・アイス)をはじめ、彼の出演するアイスショーをずっと見てきたけれど、単独公演は、コア中のコアな羽生ファンのためのものだから、私はいいかな、と言う気持ちで遠慮していた。しかし今回、3度目の単独公演となる「RE_PRAY」ツアーは、そのキービジュアル(羽生くんのモノクロ写真)が好みだったのと、SNSに流れてくる感想(ロバート・キャンベル先生からも!)が只事でない感じだったので、ディレイビューイングのチケットを取ってしまった。ツアー最終(追加)公演の千秋楽である4月9日宮城公演の録画上映である。座席は自動指定だったが、ほぼ中央で、ショートサイドのリンク際みたいな、最高のポジションだった。

 舞台には旧型のテレビを思わせるような枠付きの、大きなスクリーンが設置されている。そこには、ゲームのコントローラーを握った羽生くんの映像が映し出されるかと思えば、ゲームそのものの画面になって、ドット文字のメッセージや、ドット絵のキャラクター(さまざまな衣裳をまとった羽生くん自身)が表示される。ゲームの進行に従って、選択を迫られ、素材を集め、敵を倒し、どんどん強くなっていく主人公。前半は真っ白なフードつきコートで登場した「いつか終わる夢」のあと、「阿修羅ちゃん」「鶏と蛇と豚」「MEGALOVANIA」「破滅への使者」など、強くて悪そうな羽生くんが盛りだくさん。

 椎名林檎の「鶏と蛇と豚」は、仏教の「三毒」を意味する動物で、真っ赤な背景に象徴的な三角形が浮かぶ中、貴婦人のような黒レース衣装の羽生くんが登場する。曲のイントロは般若心経なのである。羽生くん、晴明でなくて空海も演じられるわ、と思ってしまった。

 「MEGALOVANIA」は、無音の中で、スケート靴のブレードを氷に突き立てるような荒々しいステップから始まる。鍛えられた肉体の魅力を引き立てる衣装で、すっかり大人の男性になったなあ、としみじみ思ったのに、休憩後の後半では、再び永遠の少年の顔で登場するので、どうなってるの?と目を剥いた。

 「破滅への使者」は、競技プログラムと同様、6分間練習からスタートする。会場に漂う緊張。見慣れたティッシュケースのプーさんが映るのがうれしい。そしてこのプログラムを完璧にクリアしたにもかかわらず、ゲームから「データをセーブできません」と告げられ、混乱と困惑のうちに前半が終了する。ライブでは休憩30分だったようだが、ディレイビューイングは10分だった。

 後半。主人公は再びゲームの世界へ向かうが、前半とは異なる選択をする。自分のまわりの命を潰さない選択。主人公は深い水の中に落ちていく。「いつか終わる夢:re」「あの夏へ」「天と地のレクイエム」「春よ来い」など清冽なプログラムが続く。最後は「春よ来い」で、私はこのプログラムを見るたびに、世界に春をもたらすための祈りのように感じる。そしてスクリーンのドット文字「RE_PLAY」(再生)が「RE_PRAY」(祈り続ける)に変わって終了。

 まず、ほとんど休憩なし(あっても衣装替えの時間くらい)で、10曲近くを連続で滑り切る体力が化けものだと思った。しかもそれぞれ難易度の高いプログラムを完璧に。

 このあと、Tシャツ姿でマイクを持った羽生くんが、楽しそうにリンクをまわりながらお喋り。あ~これで終わりか~と思ったあとに「SEIMEI」「Let Me Entertain You」「ロンド・カプリチオーソ」「私は最強」と次々繰り出されるアンコール。本人はよほど名残惜しかったのか「終わりたくない」なんて言っていたけど、もう身体を休めなさい、と母親気分でハラハラしていた。

 しかし本当に素晴らしい体験だった。世界中の、フィギュアスケーターだけではなくて、様々な分野のアーティストに見てもらいたいと思う。次回の羽生くん単独公演が発表されたら、おそらく現地チケット争奪戦に参加することになるだろう。

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同時代の日本画を見る/第79回 春の院展(日本橋三越)

2024-04-14 23:02:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

日本橋三越本店 『第79回 春の院展』(2024年3月27日~4月8日)

 先週末の話になるのだが、日本橋の三越デパート前を通りかかったら「春の院展」という大きなポスターが出ていた。私は小学生の頃、近所の絵画教室に通っていた。大きな画用紙(学校で使うものの倍サイズだった)にクレヨンで絵を描く教室だったが、先生は日本画家だった。私の祖母と、先生のお母さん(和装小物や裁縫道具を商うお店=糸屋を経営していた)の間に近所付き合いがあったこともあって、その後、先生が名古屋に引っ越してしまったあとも、ずっと「院展」の招待券をいただき続けた。

 日本美術院展覧会(院展)は、公益財団法人日本美術院が主催運営する日本画の公募展覧会である。むかしの院展は上野の東京都美術館で開催されていたのに、今はデパートが会場なのかしら、と思ったら、秋の院展(再興院展)は、今でも東京都美術館で開催されており、春の院展は、1945年に日本橋三越で開催された「日本美術院小品展」が始まりなのだそうだ。

 確かに比較的小画面の作品が多いように思った。しかし出品総点数は300点を超える。そうそう、こういう大規模展覧会を見ることで、テキトーに流し見をしながら、自分の好きな作品を見つけるスキルをつけたものだ。

 会場案内図が置かれていなかったので、お世話になった先生の作品をどうやって見つけようか、途方にくれかけたのだが、QRコードを詠み込むと、作品リストと会場マップのPDFファイルを読み込むことができて、無事、見つけた。田渕俊夫先生の『運河』である。これはアムステルダムの風景だろうか?

 ほかに気に入った作品は、斎藤満栄氏(同人)の『辻が花(藤)』、井手康人氏(同人)の『不二』。人物画では、小林司氏の『偲ぶ』。加藤裕子氏の『まごころに包まれて』は、日本橋三越1階の天女(まごころ)像をモチーフにしたものだとすぐに分かった。現代日本画、もっと積極的に見るようにしていきたい。

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「花だけ」と「人と花」/花・flower・華 2024(山種美術館)

2024-04-12 21:42:32 | 行ったもの(美術館・見仏)

山種美術館 特別展『花・flower・華 2024-奥村土牛の桜・福田平八郎の牡丹・梅原龍三郎のばら-』(2024年3月9日~5月6日)

 この時期恒例となっている、花の名品を一堂に集めた展覧会。見慣れた作品が多いので、今年はこの作品がこの位置か、という会場構成の違いが、ひとつの楽しみになっている。今年はぱっと目に飛び込んできたのが小茂田青樹の『春庭』。振り返ると奥村土牛の『木蓮』(深い紫色が上品で美しい)があった。視界の端に土牛の『醍醐』が見えて、おや今年は会場の前半に展示なんだ、めずらしいな、と思った。

 ゆっくり見ていくうちに、今年は、春→夏→秋→冬という季節のめぐりに従って作品が配置されていることにやっと気づいた。夏のセクションには福田平八郎の『牡丹』(屏風)。大坂中之島美術館で見てきた中にも類似の作品があったが、初期の作風だなと思った。1924年(32歳)という注記を見て納得。長谷川雅也『唯』は、ターコイズブルーの画面に繊細な線描でアジサイの株を描く。初めて知ったお名前だが、1974年生まれの現代日本画家だという。川端龍子の『八ツ橋』も出ていた。光琳の『燕子花図』のバリエーションって、どのくらいあるのだろう。本歌を踏まえて増殖していく日本の芸術のおもしろさである。それを言ったら、小林古径『蓮』にも、さまざまな『蓮池図』(古いものなら法隆寺の)の記憶が重なっている。

 中川一政『薔薇』や梅原龍三郎『薔薇と蜜柑』『向日葵』など、油彩画がさりげなく混ざっているのも面白かった。森田沙伊(このひとも初めて知った名前)の『薔薇』は、油彩だと思ったら「紙本金地・彩色」とあった。背景は隙間なく塗りつぶされているのだが、紙本金地を用いているらしい。絵具の下から金が照り輝くような効果をねらったのだろうか。奥村土牛の『薔薇』は金地の背景を残して、堂々とした大輪のピンク色のバラを描いている。81歳の作。妖艶な上に格調高く、素晴らしくて声も出ない。

 第1展示室の出口近くの大きな展示ケースには、荒木十畝の『四季花鳥』4幅と、松岡映丘『春光春衣』が掛けてあった。荒木作品で「四季の花々」のセクションが終わり、松岡作品の前に「人と花」というテーマが掲げられていた。そこで初めて気づいたのだが、今年の第1展示室は、最後の松岡作品(桜吹雪の下の王朝女房たち)を除き、「人」を描いたものがなく、純粋に「花」だけを描いた作品が並んでいる。もう1回、会場をまわって確かめたが、少し視点を引いた風景画でも、「人」の姿は全くなかった。

 小さな第2展示室には、5作品「人と花」の名品が並んでいた。守屋多々志『聴花(式子内親王)』や伊東深水『吉野太夫』など。そういえば、愛子内親王は卒論で式子内親王の和歌を扱われたそうだが、この絵画、見ていらっしゃるかしら。ぜひ見てほしい。

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金屏風の四季と生きものたち/ライトアップ木島櫻谷(泉屋博古館東京)

2024-04-09 21:09:23 | 行ったもの(美術館・見仏)

泉屋博古館東京 企画展『ライトアップ木島櫻谷-四季連作大屏風と沁みる「生写し」』(2024年3月16日~5月12日)

 大正中期に大阪天王寺の茶臼山に建築された住友家本邸を飾るために描かれた木島櫻谷の「四季連作屏風」を全点公開するともに、リアルな人間的な感情を溶かし込んだ動物画の名品を紹介する。

 先週末は日本画が見たい気分だったので、とりあえずこの展覧会に来てみた。最初の展示室に入ると、ほの暗い空間の三方の壁に、金地彩色の六曲一双屏風が5作品。『雪中梅花』『柳桜図』『燕子花図』『菊花図』。ここまでが1917~18年に制作された「四季連作屏風」(冬-春-夏-秋の配置なのだな)で、さらに1923年制作の『竹林白鶴』が並んでいた。ほかに今尾景年の墨画淡彩の軸がひっそり掛かっていたけれど、実に贅沢な空間。

 木島櫻谷という画家は、最近気になり始めたばかりで、あまり多くの作品を見ていないのだが、『雪中梅花』『柳桜図』は、ここで見た記憶があった。『雪中梅花』は、胡粉(?)の厚塗りで描かれた雪が、細い枝の上になったり下になったり、まとわりつくように積もる様子に生々しさを感じた。『菊花図』は、遠目に見ると卓抜なデザイン感覚が目について、スタンプを押したようにどれも同じ白菊の花に見えるのだが、近づくと、意外と菊の花びらを丁寧に写実的に描いているのが分かる。『燕子花図』は、もちろん光琳の『燕子花図屏風』(今年もたぶん見に行く)を本歌取りにした作品だが、燕子花の配置も、風に揺れるような長い葉先の重なりも、本歌よりずっと自然でのびやかで、大正の時代精神のようなものを感じてしまう。

 第2~第3展示室には、櫻谷が描いた動物画に加え、櫻谷が学んだ円山四条派、岸派など、江戸の動物画も一緒に展示されていた。櫻谷の『狗児図』(個人蔵)と森一鳳の『猫蝙蝠図』は双璧を争う愛らしさ。櫻谷は京都市動物園に通って、めずらしい動物たちの姿を写生することに励んだという。京都市動物園(1903/明治36年開園)が当時の日本画壇に与えた影響って、1冊本が書けるくらい大きいんじゃないかと思っている。櫻谷の『獅子虎図屏風』(1904/明治37年)はその成果の1つ。虎の毛皮のなめらかな感触が想像できて、思わず手を伸ばして触れたくなる。

 ちょっと笑ってしまったのは、淡彩(ほぼ墨画)の『雪中老猪図』。カピバラみたいな茫洋とした顔をしている。そして、これらの作品のもとになった写生帖(展示場面は、ほぼ動物の写生)が展示されているのも嬉しい。ハチワレのビーグル(?)は『狗児図』と同じわんこだろうか? 安心し切って眠る姿が愛らしかった。いま、府中市美術館で開催中の『ほとけの国の美術』では、日本人がとりわけ情感豊かな動物絵画を描いた理由を、涅槃図の伝統から考察しているが、ぜひ、あわせて本展も見てもらえるといいと思う。

 第4展示室は、同時開催企画『住友財団助成による文化財修復成果-文化財よ、永遠に』と題して、同館コレクションの毘沙門天立像(平安時代)と呉春・亀岡規礼筆『松・牡丹孔雀図衝立』を紹介している。保存の取組み、ありがとうございます。

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静養と密談の空間/戦後政治と温泉(原武史)

2024-04-07 23:50:46 | 読んだもの(書籍)

〇原武史『戦後政治と温泉:箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間』 中央公論新社 2024.1

 扱われている時代は終戦の1945年から1960年代半ばまで、主な登場人物は、吉田茂、鳩山一郎、石橋湛山、岸信介、池田勇人などで、そんなに古い話ではないのだが、なんだかとても奇妙な物語を読んだ気がした。この時代、首相たちは、箱根や伊豆などの温泉で、重要な政治的決断を下していたというのだ。想像したこともなかった。

 戦後、吉田茂は、大磯にあった養父・吉田健三の別荘を本邸とするとともに、御殿場の樺山愛輔別邸「瑞雲荘」を第二の本邸とし、マスコミを嫌って東京に戻らず、野党からも批判された。その後、吉田は箱根を気に入り、新町三井家の小涌谷別邸に滞在するようになる。三井別邸での面会を許されたのは、限られた政治家や学者、官僚、親しい女性だけだった。政界引退後も吉田は小涌谷に通い続け、保守政治家たちには「奥の院」として意識された。

 吉田と政権を争った鳩山一郎は、戦後、公職追放処分を受け、GHQに東京の本邸を接収されたため、熱海の石橋正二郎別邸「海幸荘」に移住した。これにより、反吉田派の熱海詣でが活発になる。鳩山は、1951年に脳溢血で倒れて以降は、韮山(現・伊豆の国市)の温泉旅館「水宝閣」で療養につとめるようになる。ここは北条時政・義時ら、源頼朝の挙兵を助けた北条氏の館があったところだという。また鳩山は伊東市の「川奈ホテル」や箱根の「富士屋ホテル」も利用している。

 岸信介は箱根宮ノ下の「奈良屋」を愛用した。ただし奈良屋の女将の回想によれば、社会党の浅沼稲次郎や河上丈太郎も常連客だったという。岸は、日豪通商協定の調印を奈良屋でおこなったり、インドのネール首相を富士屋ホテルで歓待するなど、箱根で首脳外交を展開した。岸の後任を(岸の望む佐藤栄作ではなく)池田勇人にすることを決めた、岸・吉田(+堤康次郎)会談も箱根の「湯の花ホテル」で行われた。

 池田勇人は吉田内閣の蔵相時代から、週末は箱根仙石原で休養することを習慣にしていた。はじめは五高の先輩である井上重喜の別荘を借りていたが、のち、近藤商事の近藤荒樹の別荘に移った。池田は、訪米準備の閣僚会合も箱根で開催し、米国の経済閣僚を招いた国際会議も箱根で開催した。池田に代わって首相となった佐藤栄作は、首相になる前から、毎年夏は軽井沢に通っていた。軽井沢は温泉が出ない。佐藤はもっぱらゴルフによって体調を維持した。こうして「温泉政治」の時代は終わりを告げたのである。

 こうした戦後政治の経緯を知ると、最近の首相が、首相公邸に入居しなかったり、高級料亭で会食していたりで非難はされるものの、ほぼ常時東京にいるようになったのは時代の変化なのだなと思う。あと、G7会合に観光地・保養地が選ばれるのも、安倍晋三がロシアのプーチン大統領を長門市の温泉に招いて友好を演出しようとしたのも、こういう「温泉政治」の記憶が背景にあるのかもしれない(何か特別よい結果を生んだとは思えないが)。

 私は、本書に登場する首相たちの中では、池田勇人が、週末は箱根で「オフ」を過ごすことにこだわったというのを好ましく思った。政治家には俗世間をよく知っていてもらいたいが、俗世間との関わりを断つ時間も大事だと思う。静養中は秘書官以外と会わないことを原則とし、例外は松永耳庵と大徳寺の和尚・立花大亀くらいだったという。おお、ここで松永耳庵の名前が出てくるとは。

 1949年、鳩山一郎、石橋湛山が熱海に滞在中、世界救世教の岡本茂吉が検挙懿される事件が起きた。鳩山は何も記していないが、石橋は日記に「嘗て大本教の弾圧をした当時の日本を思ひ起す」と記した。岡本は戦前に大本から分かれて新たな宗派を立てたという本書の注釈に驚く。岡本は熱海のMOA美術館の創立者であり、最近ときどき行く東京黎明アートルームにも深く関わっているのだ。

 この感想では省略してしまったが、戦後政治家たちの「温泉」に対して、戦後の皇室が選んだのは「軽井沢」だった。しかし佐藤栄作以降、保守政治家たちは軽井沢に回帰した。佐藤の別荘の周りには、田中角栄、中曽根康弘らの別荘が並んでいたという。なんだか気持ち悪い空間であるなあ。

 逆に平成天皇・美智子妃は、皇太子夫妻であった当時、地方の温泉旅館やホテルを積極的に利用し、地域住民(特に若い世代の男女)との対話型集会を開催しているという。これも初めて知る話で、たいへん興味深かった。

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2024年3月関西旅行:東大寺~新薬師寺~大和文華館ほか

2024-04-05 22:49:13 | 行ったもの(美術館・見仏)

華厳宗大本山 東大寺(奈良市雑司町)

 関西旅行3日目は奈良スタート。早朝の奈良公園を大仏殿に向かう。廻廊の中門から中を覗くと、左(西)側の桜が、朝陽を受けてピンク色の雲のように輝いていた。

 大仏殿の北側の、のんびりした裏参道を歩いて二月堂に登る。ご朱印は「南無観」をいただいた。書いてくれた方が、隣りのページを見て「あ、仁和寺に行かれたんですか。僕は京都なんですけど行ったことがないんですよ」と気さくに話しかけてくれた。

 それから手向山八幡宮、若草山の脇を通り、春日大社の森の中を南下。高畑の住宅街に通じる「上の禰宜道」には、春日の禰宜(神官)たちが高畑の社家町から春日大社へ通った道だという案内板が立っていた。

新薬師寺(奈良市高畑町)

 久しぶりに来たくなって、寄ってみた。このあたり、一時期はもう少し観光客の姿があったように思うのだが、なんだか昔のさびれた奈良の雰囲気に戻ったようで、個人的には望ましかった。目のぱっちりした薬師如来坐像と、力のこもった十二神将像は昔のまま。簡素な境内は桜の木が多く、この時期だけの華やかさを添えている。

 桜の下に実忠和尚(良弁の弟子、修二会の創始者)の供養塔があって、おや、こんなところに、と思って写真に収めて来たのだが、調べたら「実忠和尚御歯塔」と伝わるものだという。この御歯塔の縁なのかどうか分からないが、毎年4月8日には、新薬師寺でも修二会(おたいまつ)が行われていることを初めて知った。最近、東大寺の修二会は有名になり過ぎて行ける気がしないので、今度はここの修二会に来てみようかしら。

大和文華館 『文字を愛でる-経典・文学・手紙から-』(2024年2月23日~4月7日)

 私は大和文華館に毎年3~4回、何十年も通っているのだが、前庭に三春滝桜があると知ったのが、実は2020年の『コレクションの歩み展II』である。同館は雪村の作品蒐集に力を入れてきており、その縁で、雪村が最晩年を過ごした福島県の三春滝桜を親木とする桜を本館入口前に植えたのだという。その後も、花の盛りに会うことはなかったが、ついに今年、真面目(しんめんもく)を見ることができた! 化けものみたいに素晴らしかった。

 桜目当てで訪れたお客も多いのか、館内は小さな子供連れもいて賑わっていた。それにしては、経文や書状・文書が中心の地味な展示で、ちょっと苦笑してしまった。実は源義経とか豊臣秀吉など、ビッグネームの書状もあるのに気づいてもらえるといいのだけれど。あと、おそらく同館としては初の試みで、ほとんどの資料が撮影可・SNS可になっていた。大好きな『一字蓮台法華経』の華麗な見返し絵、それに『阿国歌舞伎草紙』(念仏踊、茶屋遊び)が撮影できたことが嬉しい。拡大して細部を確認できるのが、老眼には本当に助かる。

■大阪中之島美術館 没後50年『福田平八郎』(2024年3.月9日~5月6日)

 大混雑のモネ展を尻目に、私が見たかったのは福田平八郎(1892–1974)の回顧展。私は山種美術館で『筍』『鯉』などを見て、このひとの名前を覚えたのだと思う。2012年には、生誕120年『福田平八郎と日本画モダン』展も見ている。はじめは訥々とした写生画から始まる。そして、いきなり大胆すぎる代表作『漣』を生み出す。その後、しばらくは『漣』の影響に縛られたような時代が続くが、晩年の「自由な写生」、写実であろうとすればするほど、色もかたちも題材も自由になっていく感じが、ハッピーでとてもよかった。東京に来てくれないの、寂しいなあ。

 

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