見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

練馬区立牧野記念庭園を初訪問

2024-03-28 21:43:08 | 行ったもの(美術館・見仏)

 今年度の有給休暇が余っていたので、3月最後の木金を休みにすることにした。今日は大横川のお花見クルーズでも楽しむか!と考えていたのだが、まだ桜が全く咲いていないので予定変更。気になっていた練馬区立牧野記念庭園を訪ねてきた。牧野富太郎博士の名前は、もちろん昔から知っていたが、強い関心を持ったきっかけは、昨年の朝ドラ『らんまん』である。

 牧野記念庭園は、牧野博士の邸宅跡地につくられたもの。想像していたより狭い印象だったが、少しずつ、たくさんの種類の植物が植えられている。草花だけではなくて、メタセコイヤやホオノキの大木もあって目を見張った。ウメやサクラも風情のある古木だった。ウメはもう花が終わっていて、サクラ「仙台屋」(高知市内にあった仙台屋という店から名づけられた)はまだ咲いていなかった。入口のオオカンヒザクラは、若葉の中に花が混じっていた。

 咲いている花を見ることができたのは、ボケとクリスマスローズとハナニラくらい。まあしかし、植物の見どころが花だけだと言ったら、牧野博士に不満顔をされるだろう。これはスエコザサに囲まれた牧野博士の胸像。

 展示室では、牧野博士の生涯を紹介する常設展と企画展『画工 水島南平 花を描く』(2024年2月3日~3月31日)が開催されていた。ドラマ『らんまん』に登場した植物レプリカやパネルの展示が3月25日で終わっていたのは残念。

 常設展では、牧野博士が18~20歳の頃にまとめた学問の心得『赭鞭一撻(しゃべんいったつ)』に感銘を受けた。15箇条どれもいいのだが、たとえば「書を家とせず友とすべし」には、本を読まなければならない、しかし本に書かれていることを全て信じて安住してはいけない、過去の学者の成果を批判し、誤りを正してこそ学問の未来に貢献できる、すなわち書物は自分と対等の立場にある友人と思いなさい、と書かれている。とてもよい。同時に「宜しく師を要すべし」という条もあって、書物だけで答えを得ることはできないので先生に聞くべきである、それも一人の先生ではいけない、という教えにも共感した。

 園内には書屋展示室(2023年4月オープン)があって、牧野博士の書斎「繇條書屋(ようじょうしょおく」と書庫の一部が「鞘堂」形式で保存されている。いや「書斎再現プロジェクト」の記事や動画を見ると、写真などに基づいて「復元」したというのが正しいかもしれない。本好きには夢のような空間。洋書も和本・漢籍もあり(なんとなくエリア分けはされている)、その隙間に植物採集道具のドーランや電気ストーブ(!)がおさまっている。

※練馬みどりの葉っぴい基金:【取材記事】牧野記念庭園の書斎の再現展示がついに完成しました!(2023/4/21)

※練馬区立牧野庭園:書斎再現プロジェクトVTR紹介(2023/11/9)

 コーヒー好きだったという博士にちなんで、キッチンカーでコーヒーの販売が行われていて、美味しかった。カップのホルダーには牧野博士の肖像のイラスト。裏側にはすえちゃん。

 ちなみにこの庭園&展示施設、完全無料なのである。練馬区、すばらしい! また季節が変わったら遊びに来たい。大泉学園って(東京人としては)むかしからよく知っている地名だが、駅に下りたのは人生初かもしれない。

 夕方、家に戻って、大横川の川岸をうろうろ。並木道のサクラは、目を凝らすと、ようやく1、2輪、咲き始めた程度。

 明日から2泊3日で関西のサクラを見に行ってくる。帰京する頃は、さすがに満開になっているかな。

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私にも作れます/あたらしい家中華(酒徒)

2024-03-27 21:12:23 | 読んだもの(書籍)

〇酒徒『手軽 あっさり 毎日食べたい あたらしい家中華』 マガジンハウス 2023.10

 中華料理愛好家の酒徒(しゅと)さんの名前は、ときどきネットで拝見していた。特に印象深いのは、本書にも掲載されている「肉末粉絲」(豚ひき肉と春雨の炒め煮)の紹介を見つけたとき。醤油味でひき肉と春雨を炒めるだけの料理だが、これは食べたい!今すぐ食べたい!と思って、すぐにひき肉と春雨を買ってきた。できあがった味が「正解」なのかどうかはよく分からないが、美味しかったので満足した。

 本書には「塩の中華」「醤油の中華」「野菜の中華」「煮る中華」「茹でる中華」の5章に分けて、78種類の料理が紹介されている。どれも本当にシンプルで、食材は1~2種類。特別な調味料は要らない。一時期は毎年出かけていた中国旅行で食べた記憶がよみがえる料理もある。「西紅柿炒蛋」(トマトの卵炒め)はその代表格。日本の中華料理店で見たことはないが、中国ではどの地方へ行ってもほぼ必ず食べた。千切りじゃがいもを使った「涼拌土豆絲」(冷菜)や「酢溜土豆絲」(酢炒め)も食べた。これは作りたいけど、千切りスライサーを持っていないのである。

 本書の第1番に掲載されているのが「肉末蒸蛋」(豚ひき肉の中華茶碗蒸し)で、このあとに、具材をシラスや干し貝柱に入れ替えたバージョンも紹介されている。中華茶碗蒸し(多人数分を大きな深皿でつくる)、好きだったなあ、と思い出がよみがえって、作ってみたくなった。蒸し器がないので躊躇していたのだが、先日、ネットで蒸し鍋を購入してしまった。そして作ってみた結果は、う~ん、いまいち。「スが入っても気にしない(どのみち、旨いのでおおらかに行こう」とアドバイスが書いてあるのだが、次はもう少しきれいに仕上げたい。

 豆腐料理の種類が多いのは作者の好みなのか、中国の一般家庭ではよく食べるのかな(レストランの食事では、こんなに多くなかったと思う)。「白油豆腐」(四川式・豚ひき肉と豆腐の炒め煮)は、最近知ってハマっている、インスタント調味料の白マーボー豆腐と同じなのかな? いずれ作ってみたい。大豆や枝豆もよく使われていて、肉か青菜と合わせれば、立派な一品料理になる。あと、小ねぎの登場頻度も多い。小ねぎがあれば、何でも食べられるようになるので、最近、冷蔵庫には小ねぎを常備するようになった。

 「西安のムスリム食堂で出会った」とか「安徽省出身のおばちゃんに教わった」などの一口メモも楽しかった。そろそろ、また中国に行ってみたい。

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赤と緑の磁州窯(東博・常設展)

2024-03-26 21:27:53 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・東洋館(アジアギャラリー)の常設展から。

5室(中国陶磁)を通りかかったら、なんだか可愛い皿や碗が並んでいた。赤や緑の華やかな色彩にゆるい絵。驚いたのは、これらに「中国・磁州窯」という注釈がついていたことだ。え? 磁州窯といえば「黒釉刻花」「白地鉄絵」「白地黒掻落」など「黒と白のうつわ」ではなかったの?

磁州窯には、北欧食器みたいなモダンなスタイリッシュなデザインがあることは知っていたが、これはまた意外なバリエーションだった。

・五彩水禽文碗 金~元時代・13世紀

・三彩刻花双魚文盤 金時代・12~13世紀

・三彩刻花小禽文皿 金~元時代・13世紀

王侯貴族の食卓にあがったとは想像しにくい。ある程度富裕な庶民が使ったのだろうか? こういううつわを見ると、金~元時代って意外と楽しそうだなあと思ってしまう。

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旅の仲間とその終わり/両京十五日(馬伯庸)

2024-03-24 23:55:51 | 読んだもの(書籍)

〇馬伯庸;齊藤正高、泊功訳『両京十五日』(HAYAKAWA POCKET MYSTERY BOOKS) 早川書房 2023.2-3

 馬伯庸の名前は、中国ドラマ好きにはすっかりおなじみであるが、彼の長編歴史小説が日本語に翻訳されるのは初めてのことらしい。遅いよ!全く!しかし待たされただけのことはあった。これまでドラマ化されたどの作品と比べても遜色なく、実に面白かった。

 物語は、大明洪煕元年(1425)5月18日に始まる。ほぼ1年前、洪煕帝(仁宗)が即位し、息子の朱瞻基(のちの宣徳帝)が太子に定められた。洪煕帝は国都を南京に戻そうと考えており、その露払いを命じられた朱瞻基の宝船は、まもなく南京に到着しようとしていた。

 太子歓迎の警備を指揮する呉不平は、息子の呉定縁を埠頭の向かいの扇骨台に派遣した。ところが埠頭に現れた巨大な宝船は、呉定縁の目の前で大爆発を起こす。爆発の直前に船上であやしい動きをしていた男を呉定縁は助け上げ、捕縛して錦衣衛に連行した。たまたま出会った于謙という若い小行人(下級の官員)は、呉定縁の捕縛した容疑者が、まさに太子・朱瞻基であることを認めて驚愕する。

 ようやく南京の内城に落ち着いた朱瞻基。しかし彼の命を狙う勢力は、次々に魔の手を伸ばしてきた。さらに母である張皇后から、皇帝不予の急を知らせる密詔が届く。朱瞻基は内城を脱出し、呉定縁と于謙、そして女医の蘇荊渓とともに京城(北京)を目指すことにする。もし何らかの陰謀が絡んでいるとすれば、皇位簒奪者は、天徳の日にあたる6月3日に即位を挙行するだろう。残された日数は15日。

 【ややネタバレ】四人は運河を使って、南京→瓜洲(楊州)→淮安→兗州と進む。途中、白蓮教の一味に呉定縁を略奪された朱瞻基は、「朋友」呉定縁を救出するため、済南に寄り道する。一方、呉定縁は白蓮教の掌教である仏母・唐賽児に会い、自分の真の父親が、靖難の変で建文帝に従った鉄鉉であることを知る。朱瞻基と再会した呉定縁だが、父親の仇が、朱瞻基の祖父・永楽帝であることは黙していた。天寿を全うした唐賽児は掌教の座を呉定縁に託し、以後、護法と呼ばれる白蓮教の重鎮、昨葉何(女性)と梁興甫は呉定縁を助ける。

 連絡のついた張泉(張皇后の弟、朱瞻基の叔父)の助言もあって、呉定縁は北京に先発し、水害の真っただ中、洪煕帝の葬儀が行われようとしている紫禁城に潜入する。葬儀には「皇位継承者」だけに許された役割があり、それを巡って、皇位簒奪を企てる漢王・朱高煦の一派と張皇后の間では睨み合いが続いていた。そこに乱入した呉定縁は、肉弾戦を戦い抜いて、朱瞻基の帰還を迎える。漢王一族は捕えられ、皇位は朱瞻基に帰した。

 【本格的ネタバレ】朱瞻基は、苦労を共にした朋友・呉定縁に報いようとするが、皇家に実の父親を殺された呉定縁はそれを受けることができない。そして旅の仲間のひとりであった蘇荊渓は、真の目的のための行動に出る。彼女の親友だった女性は永楽帝の後宮に入れられ、殉死を命じられたのだった。蘇荊渓は、親友の死にかかわった者全てに復讐するつもりだった。張泉や朱瞻基を招き入れた永楽帝の陵墓に火が放たれ、間一髪、朱瞻基は于謙の機転で救出されたが、呉定縁は自ら望んで、蘇荊渓とともに炎の中に姿を消した。

 だいぶ無理をしてまとめてみたが、主人公たちは次々に絶体絶命のピンチに陥り、そこを智謀や幸運や助け合いで切り抜けて進んでいく(いちばん笑ったのは洪煕帝の葬儀の場で呉定縁が身を守った奇策。蘇荊渓の助言による)。見事な疾走感でぐいぐい読ませる。旅の風景として語られる、運河に関する土木技術史的・社会経済史的な解説も面白かった。宮廷育ちの朱瞻基は、旅の様々な局面で、宮廷の政策が必ずしも民衆の生活に役立っていなかったり、宮廷が恐れる宗教が民衆の生活に欠かせないものであることを学ぶ。朱瞻基、旅の終わりにはずいぶん賢くなっていた。

 権力争いに骨まで魅入られた皇族たちがいるかと思えば、上官への忠誠が全ての武官もいるし、建築や土木にしか興味のない技術官僚も登場する。みんな面白い。私は登場人物に中国ドラマで覚えた俳優さんを当てて楽しんでいたのだが、呉定縁は陳暁、于謙は張昊唯でどうだろう。朱瞻基、蘇荊渓は、物語の最初と最後でだいぶ印象が変わったので再考中。まあ遠からずドラマ化されるのではないかと思って楽しみにしている。

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2024桜はまだ咲かない

2024-03-22 21:52:53 | なごみ写真帖

門前仲町で暮らし始めて、もうすぐ丸7年になる。自宅の窓から大横川の桜並木を眺めることができるので、この時期は、朝起きて、カーテンを開けるたびにドキドキする。しかし今年の桜は遅い。いや、近年が早すぎたのかな。昨年は3月17日に開花を見つけたが、今年はまだ気配がない。

ただ、門前仲町の交差点近くに、毎年、抜群に早く花をつける桜の木があって、今週のはじめには、こんな感じだった。

今日の大横川の夜景。コロナ明けの気合いなのか、早くから照明が用意され、観光船の運航スケジュールもびっしり入っていたのだが、肝心の花が咲かないので、なんだか拍子抜け状態になっている。

考えてみれば、もともと桜は四月の入学式につきものだった。今年は昭和の気分に戻って、ゆっくり楽しもう。

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生けるものの愛おしさ/ほとけの国の美術(府中市美術館)

2024-03-21 22:55:29 | 行ったもの(美術館・見仏)

府中市美術館 企画展・春の江戸絵画まつり『ほとけの国の美術』(2024年3月9日~5月6日)

 恒例・春の江戸絵画まつり。まだ桜は咲いていないが、さっそく見てきた。怖い絵、変な絵、かわいい絵(=図録のオビの宣伝文句)、来迎図から若冲まで「ほとけの国」で生まれた、美しくアイディアに溢れた作品を展示する。入口にはクリーム色の壁にキラキラ輝く金色の「ほとけの国の美術」の文字。そして、無地の壁に挟まれた細長い通路を進んでいくと、金身の菩薩たちが舞い踊る『二十五菩薩来迎図』17幅を掛け並べた空間が出現する。京都・二尊院に伝わる、土佐行広(室町時代)の作だという。

 二尊院には何度か行っているが、こんな作品を所蔵しているとは聞いたことがない。それもそのはず、あとで会場ロビーで関連ビデオを見たら、経変劣化のため、長らく展示ができなかったそうだ。このたび、修復・調査が完了し「数百年ぶり」(二尊院のホームページ)に公開が可能になった。寺外で公開されるのは、もちろん初めてである。二尊院は釈迦如来と阿弥陀如来を本尊としており、須弥壇の左右に菩薩たちの画軸を配することで来迎図が完成する。会場では、展示室の角に釈迦・阿弥陀二尊の写真パネルを置き、90度に交わる左右の壁に画軸を並べていた。背景に本堂の襖(自然の風景が描かれる)がそのまま使われていて、現場の雰囲気の再現に役立っていた。金色の菩薩たちは、長い黒髪と天衣をひるがえし、ふっくらした頬に山形の眉、赤い唇が印象的。室町時代の仏画って、こんなに優美だったかしら、と認識を改める。

 ほかにも会津若松市・高厳寺伝来の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』(福島県立博物館)とか、敦賀市・西福寺の『観経変相曼荼羅図(当麻曼荼羅)』(福井県立歴史博物館寄託)とか、地方に伝わる逸品を見ることができて、とてもありがたかった。後者は浄土の蓮池に立派な船が浮かんでいるのを珍しく感じた。今年の「江戸絵画まつり」は、鎌倉・室町時代の作品がいつもより多く出ている。楽しみにしていた金沢市・照円寺の『地獄極楽図』は後期展示(4/9-)だったが、後期もまた行くので問題ない。

 禅画では、仙厓義梵の『豊干禅師図』は、崩れかけた泥人形みたいな豊干禅師も、地球外生命体みたいな虎も好き。逸見一信の『降竜伏虎羅漢図』は全体に劇画調だが、虎のモフモフ具合がかわいい。若冲の『石峰寺図』は久しぶりに見た。若いお客さんが、文殊の獅子と普賢の白象を目ざとく見つけていて、嬉しかった。

 最終章は「涅槃図と動物絵画の時代」を特集する。たくさんの動物を描いた涅槃図は、日本独特の絵画であり、情感豊かな動物絵画が描かれたのは、江戸時代の人々の心に涅槃図の光景が染みわたっていたからではなかろうか、という。毎年この「江戸絵画まつり」で見て来た作品を思い返すと、共感できる説だった。柴田義童『動物図押絵貼屏風』は初見かなあ。カワウソがかわいい。蘆雪『藤花鼬図』のイタチも、アップで見ると悶絶するほどかわいい。応挙や蘆雪の仔犬は言わずもがな。

 あと、毎年、洒脱な作品で楽しませてくれる上田公長の『芭蕉涅槃図』も楽しかった。門人たちに加えて、芭蕉の俳句に読まれた動物たち(蛙、烏、蓑を着たサルなど)が殊勝に集まっているのが可笑しくてかわいい。

 図録を眺めていると後期も楽しそうだ。もちろん再訪の予定。

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8K映像で訪ねる/中尊寺金色堂(東京国立博物館)

2024-03-19 20:59:47 | 行ったもの(美術館・見仏)

東京国立博物館・本館特別5室 建立900年・特別展『中尊寺金色堂』(2024年1月23日~4月14日)

 上棟の天治元年(1124)を建立年ととらえ、中尊寺金色堂の建立900年を記念して開催する特別展。先月から参観の機会をうかがっていたのだが、来場者の波は減る様子がなく、先週末、建物の外に30分くらい並んで入場することができた。

 会場に入ると、展示物に進む前に大きなスクリーンで区切られた空間があって、金色堂の映像が映し出される。私は展覧会のイメージ映像や説明動画はスキップしてしまうことが多いのだが、これはちょっと様子が違うと思って立ち止まった。ゆっくり金色堂の扉が開くと、カメラは3つの須弥壇の全景を映し、さらにそれぞれの須弥壇に寄っていく。恐れ多くも須弥壇の上に乗って、中尊の阿弥陀仏と間近に正対するような視点である。この8K原寸大映像で体験する「没入感」は、本展の目玉のひとつとなっている。

 東向きの金色堂には、中央壇・西南壇・西北壇の3つの須弥壇があり、それぞれ11躯(阿弥陀・観音・勢至・二天・六地蔵)の仏像が安置されている。スクリーン背後の空間には、中央壇の11躯がいらしており、四方からよく見えるようにばらばらの展示ケースに収められていた。像高はどれも70cm前後で、比較的小さい。阿弥陀三尊は、凹凸の少ない穏やかな面相。観音・勢至の衣の裾が短めで、華奢な足首が目立っていた。二天像(増長天・持国天)は衣の袖を翻し、大きく体をひねって、なかなかの迫力。向かって左の増長天は刀を高く掲げ、口を開けた阿形、右の持国天は右手に刀、左手に鎗を構え、口を結んだ吽形である。六地蔵は目鼻立ちが頭部の下に集まっているせいか、あどけない印象。8K映像で見たとき、縦に三人ずつ整列しているのが珍しくて、おもしろかった。

 壁沿いには、文書や古経、仏具や金具残欠などが展示されており、私は初っ端の『中尊寺建立供養願文』の前で固まってしまった。藤原清衡が中尊寺の大伽藍を建立し供養した際の願文で、私が見たのは南北朝時代・北畠顕家による写しだった(前期は鎌倉時代後期・藤原輔方による写し)。清衡が「東夷の遠酋」「俘囚の上頭」として、白河法皇の治世に感謝し、鎮護国家と天皇家の安寧を願う趣旨が述べられている。え~こんな自己認識を持つなんて、どういう人物だったんだろう?と、俄然、興味が湧いてしまった。しかし、あとで図録の解説を読んだら、この願意は、清衡自身の意思を反映したものではなく、文章博士・藤原敦光の作文だろうという。敦光の高い教養と仏教理解を示すとともに、都人の辺境人への蔑視からくる表現ともあって、背景を踏まえて史料を読む難しさを実感した。

 本展は、モノも面白かったが、図録の解説がさらに面白かった(巻頭文を書いている児嶋大輔さん、覚えた)。清衡願文にいう大伽藍は現在の中尊寺とは一致せず、かつては毛越寺伽藍と考えられたが、現在は否定的な見解が多く、金色堂南東の谷あいの大池付近に未知の伽藍跡が存在する可能性が示されているとのこと。また清衡願文に金色堂に関する記述がないのは、清衡自身の極楽往生を願った私的な堂だったためだという。そして、堂内に藤原氏歴代の遺骸が納められたことは長らく秘されていたようで、近世になるまで寺外にそのことが明かされた形跡は残らないという。遺骸を堂内に恒久的に安置する例は金色堂以外に見られず、遺体が腐らないことを往生の条件とした中国の思想が混入している可能性が強いというのも興味深い。どういう経路で?

 本展には清衡と見られる遺骸を納めていた『金箔押木棺』も出陳されている。日本の歴史文物で木棺を見るのは初めてかもしれない。絵画や彫刻の装飾は一切なく簡素だが、内外とも金箔貼り。蓋板の内側にはズレないように添え木がされていた。釈迦を納めた金棺になぞらえたともいう。

 3つの須弥壇は、中央壇→西北壇→西南壇の順に制作されたもので、清衡→基衡→秀衡に対応すると考えられている。しかし調査の結果、西北壇に安置されているのは秀衡の遺骸と泰衡の首級、西南壇に安置されているのは基衡の遺骸の可能性が高く、どこかで混乱があったと見られている。同様に、須弥壇上の仏像にも混乱が見られ、当初の中央壇(清衡壇)に付随した二天像は、いま西南壇に安置された二天像だろうという。確かに、やや古風な、威厳に満ちた静謐な造形だった。

 金色堂の棟木(展示なし)には「天治元年」の年記と、清衡のほか「女壇」(女性の壇越)として安部(倍)氏、清原氏、平氏の記載がある。え~誰なんだ、この3人。また巻柱などの部材の年輪年代調査によれば、伐採年または枯死年は、棟木銘の建立年代と矛盾しないという。金色堂の保存(当初材の残存率がきわめて高い)を助けたのは覆堂(鞘堂)の存在で、この修繕を命じたのが北条政子であること、甲冑姿の法師(秀衡?)が政子の夢に現れたのが機縁と『吾妻鏡』に記されていることも記録しておこう。

 私が初めて中尊寺金色堂を訪ねたのは中学3年の修学旅行で、その前に国語(古典)の授業で『奥の細道』の該当箇所はしっかり叩き込まれた。いま図録に引用された「四面新たに囲て甍を覆て風雨を凌ぐ。しばらく千載のかたみとはなれり」などの章句を見ると、わけも分からず覚えた文章のリズムが身体の中からよみがえってきて懐かしい。

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持つべきものは仲間/中華ドラマ『大理寺少卿游』

2024-03-17 23:55:57 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇『大理寺少卿游』全36集(愛奇藝、2024年)

 原作はマンガ「大理寺日誌」でアニメ版もあり、日本にもファンが多いことは伝え聞いていたが、私はこのドラマで初めて作品世界に触れた。舞台は唐・武則天の時代の神都・洛陽。刑罰と司法を所管する大理寺の面々が活躍する。大理寺の若きリーダー李餅(丁禹兮)は、マンガとアニメでは人間の衣服を着た白猫の姿で描かれる。ドラマ版の李餅は、基本的には人間の姿だが、猫のように動きは俊敏、猫並みの視力と嗅覚の持ち主。時々、猫の顔になったり、まれに完全に猫の姿に変身することもある。

 田舎育ちの陳拾は、生き別れの兄を探して上京し、洛陽城で不思議な猫に出会う。この猫こそ実は李餅。李餅は前の大理寺卿・李稷の息子だが、かつて何者かに父親を殺害され、さらに葬儀のために故郷へ戻る途中を襲われ、気づいたときは奇妙な体質(半人半猫?)を獲得していたのだった。その頃、神都は妖猫出現の噂に動揺していた。李餅は、妖猫事件の真相を解明したことで聖人(皇帝)に引き立てられ、大理寺少卿に任じられる。李餅は自分の秘密を知る陳拾を連れて大理寺に入る。

 李餅を待っていたのは、明鏡堂の仲間たち。お調子者の王七(女装が得意)。官話が苦手な胡人の阿里巴巴(実は富裕な西域国の王子)。つねに不運を呼び込む星まわりの崔倍。従軍経験のある武闘派の孫豹。抜群に有能とは言えないけれど、仲間思いの彼らが、チームワークでさまざまな難事件を解決に導く。ただ、中盤までは、どの事件も本当に解決なの?という疑問を残して進んでいくので、ちょっとフラストレーションが溜まった。ポーカーフェイスの金吾衛将軍・邱慶之とか、やはり半人半猫の残忍な怪人・一枝花とか、気になるキャラは見え隠れするのだが、どう決着するのか、なかなか分からなかった。

 【ネタバレ】終盤は怒涛の種明かし。李家を襲った刺客・黒羅刹の正体は、陳拾の双子の兄だった。刺客を放ったのは宮廷の大官である上官大人。さらにその背後には永安閣と呼ばれる元老たちがいた。彼らは、子墟国に伝わる不老不死の法を求めて同国との戦争を起こし、秘密を握る怪物・一枝花を捕えようとしていたのである。彼らの意図に気づいた大理寺卿・李稷は、邪魔者として始末された。

 邱慶之は李家の奴僕として育ったが、李稷は彼の才能を愛し、李餅とは知己の間柄だった。子墟国との戦いに志願した邱慶之は、辺境の地で一枝花を知る。その後、邱慶之が再び一枝花に出会ったのは、まさに李餅が黒羅刹に襲われた直後だった。邱慶之は一枝花に李餅の命を救う方法を請い、一枝花は李餅を半人半猫の妖怪に変えてしまう。以来、邱慶之は李餅を人間に戻す方法を探していた。そして、自分の命と引き換えに手に入れた霊薬の石を李餅に託して事切れる。

 李餅は一枝花に取引を迫る。永安閣の元老たちの罪状を証言するなら、この石をお前に与えよう。石はひとつしかない。李餅は、自分が普通の人間でないことをすでに明鏡堂の仲間たちに知られていた。けれども彼らは全く動じなかった。彼らにとって李餅は李餅なのだ。神と呼ばれ、妖怪と蔑まれてきた一枝花は、敗北を認めて人間に戻ることを選択する。この結末は全く予想外で、かなり感動した。

 明鏡堂の面々は、それぞれ人に言えない秘密やコンプレックスを持って登場し、それを乗り越えていく。李餅さえも、半人半猫という秘密がバレることを極度に恐れていたのだが、ありのままを仲間たちに肯定されることで、確固とした自己肯定感を獲得する。いや~ほんと、終盤はみんな強くなって、的確な判断で動けるようになっていて、私は母親目線で感心した。文字を知らなかった陳拾が、檄文を書いて市井の人々を動かし、李餅と仲間たちを助けに来るのもよかった。邱慶之(魏哲鳴)の死だけが報われなくて悲しい。

 本作では、若い俳優さんたち(90年代生まれ)をたくさん新しく覚えた。李稷(于栄光)とか上官大人(連奕名)とか、要所に渋い俳優さんを使っているのもよかった。大理寺のもうひとりの少卿・上官檎(女性)も好きだった。任敏にしては癖がないキャラクターで、阿里巴巴の憧れの存在。ほかにも明鏡堂メンバーと関わる女性キャラは、いることはいるが、甘い恋愛モードはほぼ無し。男子たちの「明鏡堂少一箇人、就不是明鏡堂了」(ひとりでも欠けたら、明鏡堂じゃない)というフラットな友情が、スカッと気持ちのいいドラマである。

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アイスショー”notte stellata 2024”

2024-03-16 23:50:05 | 行ったもの2(講演・公演)

羽生結弦 notte stellata 2024(2024年3月10日、16:00~)

 先週日曜、羽生結弦さんが座長をつとめるアイスショーnotte stellataを見て来た。2011年3月11日の東日本大震災から12年目になる2023年に彼が立ち上げたアイスショーで、宮城・セキスイハイムスーパーアリーナで3公演が行われる。昨年はチケットの抽選に敗れて行くことができなかったが、今年は千秋楽の日曜のチケットを取ることができ、日帰りで仙台に行ってきた。素晴らしい公演で大満足したのだが、やっぱり(分かっていたけど)ふつうのアイスショーとは少し違って、考えることが多くて、なかなか記事を書くことができなかった。

 日曜の仙台は、青空なのに時々細かい雪が舞っていて、東京よりかなり寒かった。2011年のあの日も、こんなふうに寒かったのかなあ、と初めて思った。今年のゲスト・スケーターは、ハビエル・フェルナンデス、ジェイソン・ブラウン、シェイリーン・ボーン・トゥロック、宮原知子、鈴木明子、田中刑事、無良崇人、本郷理華、フラフープのビオレッタ・アファナシバ。座長の羽生くんが信頼できる仲間を集めた感じで、統一感あるいは結束感があって安心できた。そしてスペシャル・ゲストは大地真央さん。

 2プロ滑るスケーターは、だいたい1演目はしっとりと抒情的な、しかし強い決意や未来への希望を表現するプロを選んでいたように思う。もちろん楽しい曲もあって、田中刑事くんと無良崇人くんのサタデーナイトフィーバーは世代的に懐かしくて嬉しかった。シェイリーンのwaka wakaもダンサブルな曲で、アリーナのお客さんがプーさんのぬいぐるみを膝の上で踊らせていたら、それを抱き取って、一緒に踊ってくれた(ちょうど向かい側でよく見えた)。休憩明けの群舞はBTSのPermission to Danceで、羽生くんは映像で参加。ステージ背景のスクリーンだけではなくて、リンクそのものにも大きな映像を映してしまう演出が面白かった。

 しかし羽生くんのソロ演技が1日に3演目も見られるのは、お得感が半端なかった。冒頭にnotte stellata(白鳥)。前半の最後に大地真央さんとのコラボでカルミナ・ブラーナ。そして後半にダニー・ボーイ。どれも「すごいものを見た」以外に語る言葉がない。特にカルミナ・ブラーナは、ひたすら重たいのかと思ったら、軽やかな天使のように登場し(舞台スクリーンには花畑の映像)一転して、真央さん扮する黒い魔女の支配にもがき苦しみ、最後は浄化されていくのである。どうしても目はリンクの羽生君に釘付けになって、真央さんをあまり見られなかった(照明の関係でも舞台上が見にくかった)のは残念。ダニー・ボーイもそうだが「芸能と鎮魂」について深く深く考えてしまったショーだった。羽生くんはフィナーレの楽しい群舞にも登場。

 全ての演技が終わって、最後にマイクを持った羽生くんがショーが無事に終わったことに感謝を述べ「明日はまた、辛く暗い一日が始まります」みたいなことを言ったとき、会場の一部から無邪気な笑い声が漏れ、羽生くんが少しむきになって「笑いごとじゃないんです。そういうコンセプトのショーなんで」と反論する一幕があった。いや、笑った人の気持ちは分かるのよ。あのときは本当に満たされた気持ちだったので、明日が暗い一日になるなんて想像することができなかった。それは私が、東日本大震災で大事な人やものを失っていないから持てる感想なのだと思う。翌日の新聞やテレビでは、13年経っても癒えない傷を抱えた人たちの存在が控えめに報道されていて、いまさらだが自分の無神経さを恥ずかしく思った。

 仙台では少し時間があったので、伊達家三藩主の霊屋「瑞鳳殿」で羽生結弦選手の衣装をモチーフにした七夕吹流しが再展示されているというのを見に行った。 拝殿の左右の回廊で、静かに風に揺れていた。

 羽生くんの衣裳は、どれも凝ったものが多いが、この瑞鳳殿(寛永年間造、戦災で焼失後、1979年に再建)の装飾も華やかさでは負けていないので嬉しかった。

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青磁、白磁、高麗茶碗/魅惑の朝鮮陶磁(根津美術館)

2024-03-12 22:16:15 | 行ったもの(美術館・見仏)

根津美術館 企画展『魅惑の朝鮮陶磁』+特別企画『謎解き奥高麗茶碗』(2024年2月10日~3月26日)

 今季の展覧会は珍しい二部構成で、展示室1は、主に館蔵品で朝鮮陶磁の歴史を概観し、その魅力を見つめ直す企画展。展示室2は、奥高麗茶碗(九州肥前地方、現在の佐賀県唐津市周辺で焼かれた、朝鮮陶磁の高麗茶碗を写した茶碗)の成立と展開を検証する特別企画である。

 展示室1、展示の90件余りは確かにほとんどが館蔵品(西田宏子氏寄贈・秋山順一氏寄贈が多い)だが、冒頭の陶質土器4件は「個人蔵」だった。特別古い、三国時代(5世紀)の土器が2件。伽耶のものだという『車輪双口壺』は、おもちゃみたいなかたちで面白かった。

 続いて、高麗時代(12~14世紀)の青磁。一目見て美しいと思った『青磁輪花承盤』には、王室向けの製品を生産した全羅南道康津郡の沙堂里窯で生産された可能性が高いという解説が付いていた。朝鮮の窯の名前には全く疎いので、慌ててメモを取ってきた。いま調べたら、韓国の国宝や宝物として指定されている青磁の80%が沙堂里で生産されたそうで、高麗青磁博物館もあるらしい。行ってみたい。『青磁陽刻蓮花文鶴首瓶』は、ぽってりした丸みが愛らしかった。青磁のセクションに『白磁象嵌菊花文瓶』が混じっていて、あれ?と思ったが、この時代の白磁は、光線の具合で青みや赤みが混じる、微妙な色をしている。徳利のような形で、お酒を入れて呑みたいと思った。

 15世紀に盛んになった粉青は、青磁に近い灰青色の焼きものから、白磁と呼びたいものまで多様だが、展示品は、白い肌にうっすら青み(半透明の釉薬)が載ったものが多かった。粉青印花、粉青象嵌、粉青線刻など、さまざまな技法が見られる。いかにも手仕事ふうで「民藝」の美意識を想起させる品が多い。私は『粉青掻落牡丹文扁壺』が気に入った。光州広域市の忠孝洞窯から同型の品が見つかっているとのこと。あとで地図を見たが、朝鮮の窯址って南部に偏っているのだろうか。

 次に白磁が少々あって「高麗茶碗」が続く。15~18世紀の朝鮮時代に作られたもので、形態の特徴によって、三島、井戸、熊川(こもがい)、伊羅保などと呼び分けられる。「わび」の極みなのだろうけど、全体にみずぼらしい感じがして、私はあまり好きではない。17~18世紀には、釜山の倭館窯で制作された作品もある。倭館窯は、寛永16年(1639)対馬守の宗氏が釜山の倭館に開いた陶窯で、日本から手本を送って「御本茶碗」を焼かせた。徳川家光の絵を手本にしたという『御本立鶴茶碗』が展示されており、拙い鶴の姿に、職人の描き写しだから仕方ないと思うところ、家光のヘタウマ絵を見慣れ過ぎて、うわ~家光の絵そのままだ~とニコニコすてしまった。

 そして展示室2。奥高麗とは、高麗(朝鮮半島)製ではなく、桃山時代の唐津で生産された茶碗という解説から始まる(初めてこの用語を聞いたときは戸惑った)。朝鮮から渡来した陶工たちによって作られ、忠実に高麗茶碗を写した造型から、次第に和ものらしさを加え、最後は熊川茶碗のおもかげのない完成形に至る。うーん、実は解説に言うほど、高麗らしさ、和ものらしさの違いはよく分からないのだが、文化交流詩史の面白さだと思って理解しておこう。

 展示室5はひな人形と『百椿図』。展示室6は「春の茶の湯」で、次第に気温が上がるこの季節は、炉を深くして火気を下げ、部屋が暖まり過ぎるのを避ける。そのため、吊り釜を選ぶことが多い、という説明を読んで、なるほどと納得した。しかし展示ケースの中の茶室に吊り釜を使うのはとても珍しいのではないかと思った。

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