恐山あれこれ日記

院代(住職代理)が書いてます。

番外:告知と宣伝です。

2024年04月15日 | 日記
 東京赤坂・豊川別院様での講義「『正法眼蔵』私流」第5回は、

 5月9日午後6時より行います。

 なお、参加要領については、2024年1月18日付けの本ブログ記事をご覧ください。

 
 続いて宣伝です。

 来る17日、拙著が発売になります。

『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)です。

 レジに持っていきにくいタイトルかもしれませんが、その節はネットでよろしくお願いいたします。

ケアの思想

2024年04月01日 | 日記
 先日、終末期医療に関わる医療者(医師、看護師、介護士など)の方々にお話をする機会がありました。この時、私が考えていたのは、ケアという行為の根本的な問題でした。

 通常、心身に不調のある方に対する医療的介護的ケアこそが、ケアという行為の本領のように思われるでしょうが、私は、ケアは人間の存在の仕方を規定する、根源的な行為だと思います。

 我々は自己決定で生れてきません。肉体も社会的人格も他者に由来します。自己が自己であることは、その最初から他者の配慮と承認によるのであって、その存在そのものが極めて脆弱なのです。この他者による配慮と承認こそ、根本的な、いわば存在論的なケアだと言えるでしょう。

 終末期のケアは、もはや治療の限界を超え、人間的な脆弱性が剥き出しになった状態で行われる、存在論的ケアの極相と言うべき事態です。

 この時、終末期の人をケアする人(医療関係者)も、人間である以上、存在論的ケアを必要とするはずです。非常に困難な状態にある人に向き合い続けることは、その人の剥き出しになった脆弱性を通じて、今度は自己に潜在している脆弱性が、強烈に自覚されることになります。ならば、このケアする人をケアすることを無視して、そもそもケアは成りたたないでしょう。

 私は、ケアは連鎖すべきだと考えます。そしてケアは双方向的であり得ると思います。ケアされる人は、行動が大きく制限されようとも、少なくともケアする人に敬意とねぎらいの気持ちは持てるはずです。これは、おそらく存在論的ケアの土台であり、あらゆる「自己」に必要とされることなのです。

 私は、ケアの連鎖に宗教者が連なるべきだと思いますし、連ならなければならないと思ってきました。微力ながら、機会を与えられれば、今後とも、この問題に取り組んでいこうと、考えています。

番外:『正法眼蔵』私流・第4回のお知らせ。

2024年03月24日 | 日記
 東京赤坂・豊川別院様での講義「『正法眼蔵』私流」第4回は、

 4月13日午後6時より行います。

 なお、参加要領については、2024年1月18日付けの本ブログ記事をご覧ください。

「主幹!」

2024年03月01日 | 日記
 友人を亡くしました。10年以上会っていませんでしたが、友人です。

 彼は、私より20歳近く年上でした。私が永平寺を出た後、東京のある寺院のご理解の下、「サンガ」と称して修行グループを作った時、そこに参加してきたのです。

 一般在家の出身で、会社員を勤め上げ、還暦近くで出家したと言っていました。高齢の出家は難しいことが少なくないのですが、彼は違いました。

 何より、気持ちが若く柔軟で、当時の仲間がすべて自分よりはるかに年下なのに、みなを先輩として立て、敬語で話していました。当時私は「主幹」という肩書でしたが、私に話しかけるときは、必ず「主幹・・・」と呼びかけ、それは丁寧な言葉で接してくれました。

 頭もクリア、小柄で痩身でしたが、体力は誰にも劣らず、振る舞いも機敏で、見ていて気持ちがよかったです。
 
 このサンガは、私が望んだとおり、多様な修行者が集まりました。永平寺出身者、外国人、テラバーダ僧、女性、高齢者等々。最低限の基本的なルールと日課を決め、後は自分自身のテーマに従って自由に修行するというスタイルで、とても楽しかったです。彼も生き生きしていました。

 私が主幹するサンガは、不徳の致すところで、短期間で解散となりましたが、その後もメンバーとは、折に触れ交流がありました。

 彼は、サンガのメンバーでもあった私の弟子の紹介で、西日本の小さな寺の住職になりました。

 寺には檀家がありませんでした。彼は身一つで、そこに乗り込んでいったのです。ですが、私は心配しませんでした。今までの経験から、彼のような人が、志を大切に真面目に頑張れば、必ず道は開けると思っていたからです。

 そのとおりになりました。あっという間にファンができ、それが信者となり、周辺の住職の信頼を得て、寺は蘇ったのです。

 私は、年賀状をやり取りするばかりで、サンガ以後に会ったのは一度だけでしたが、弟子が様子を伝えてくれ、彼が持ち前の明るさと元気さで活躍していることを、嬉しく思っていました。

 ところが、10日ほど前、まったく突然、彼が病で、余命いくばくもないことを知らされたのです。正に青天の霹靂でした。

 本人にも自覚症状が皆無で、ちょっとした不調が続いたので、心配した家族の強い勧めに折れて、しぶしぶ受診した病院で、もはや末期で手の施しようのない状態であることがわかったのです。

 彼は元気過ぎたのです。周囲はそう思っていましたし、本人も自信を持っていました。それが仇になり、予兆を見逃すことになってしまいました。

 すでに治療が必要な段階は遠く過ぎ、彼は家族と弟子に付き添われ、寺を離れて、家族の住む自宅に戻ることになりました。

 その日、彼が乗り込む駅には、信者の方々が沢山集まって、お見送りしたそうです。

 私は「失敗した・・・」とつくづく思いました。折に触れ思い出し、また会いたいとは思っていたのですが、どうせいつか会えると考えていたからです。「諸行無常」と口では言いながら、身に染みていなかったのです。

 彼は、自宅の最寄り駅で降り、そこで介護タクシーに乗り換える段取りになっていました。私は、その駅で出迎えることにしました。そこで会わなければ、自宅で様子が落ち着くまでは、会う機会はないだろうと思ったからです。

 晴れていても寒い日でした。プラットフォームに電車が滑り込むと、駅員の方が車椅子で車両に入り、彼を乗せて出てきました。

 私は、降車の邪魔にならないように、脇に退いて立っていましたが、深々と毛糸の帽子を被り、マスクがやたら大きく見えるその顔は、降りて来た刹那、私を見て「主幹!」と大きな声で言いました。弟子や家族の方は、彼にあんなに大きな声が出せるとは思ってもいなかったそうです。

 サンガの主幹を辞して以来、いままで私を「主幹」と呼ぶ人は、当然ながら誰もいませんでした。ですが、彼は一目見て「主幹!」と言うのです。

 ああそうか、彼にとって、自分は今でも主幹なのか。今もそう呼んでくれるなら、自分は彼の人生にとって、何らかの意味のある存在だったのか・・・、そう思いました。

 翌日、彼は亡くなりました。無念です。


番外:『正法眼蔵』私流・第3回のお知らせ。

2024年02月19日 | 日記
 東京赤坂・豊川別院様での講義「『正法眼蔵』私流」第3回は、

3月22日午後6時より
行います。

 なお、参加要領については、2024年1月18日付けの本ブログ記事をご覧ください。

貧学道

2024年02月01日 | 日記
 道元禅師の言葉が修行者の心得を説いたものの一つに、次のようなものが有ります。

「龍牙云く、『学道は先づすべからく貧を学すべし。貧を学して貧なる後に道まさにしたし』と云へり。」(『正法眼蔵随聞記』巻5-10)

「龍牙」は、中国禅宗の龍牙居遁禅師のこと。出典は『禅門諸祖師偈頌』。仏道を学ぶ者は、衣食住の快適さを求めず、財物を貪らずに修行すべきであるという意味でしょうが、それにしても、「貧しさを学ぶ」とはどういうことか。

 他に禅師自らの、こんな言葉も。

「学道の人は先づすべからく貧なるべし。財多ければ必ずその志を失ふ。」(『正法眼蔵随聞記』巻4-9)

 要するに「修行者は、貧しくあるべきだ」というわけです。修行者が贅沢をしていて、まともな修行ができるはずがありませんし、世間が納得するわけもありませんが、それにしても、この教示は、ただ飢えと寒さに耐え抜けと言うがごとき、闇雲な根性論ではないでしょう。坐禅は夏涼しく、冬は暖かくして行うべきだ、と本人が言うぐらいですから。

 私は最近、禅師のこの「貧」という教示に、聊か思うところがあるのです。

 このところ、機会があって人に会うと、老若男女、極めて多くの人が、なんとなく疲弊しているように見えるのです。元気そうに見える人にも、どことなく不安げな気配があるように感じます。

 私はこの疲弊と不安の根底に、この社会を覆う「自己決定・自己責任」なる、愚昧な考え方の蔓延があると思います。この考え方の愚昧さは、自分が自己決定で生れて来たわけではないことを考えれば、すぐわかるでしょう。「自己決定・自己責任」は最終的に根拠が無く、底が抜けているのです。

 ところが、この考え方は、今や世の常識どころか倫理に近いレベルに達し、我々の行動を拘束しています。結果的に、人々を「決して失敗できない」という強迫観念に追い込むことになるのです。ならば、疲弊や不安は当たり前でしょう。

「自己決定・自己責任」が原則として貫徹されるべきは、商売や取引、つまり市場経済においてです。何を売り何を買うかは、本人の自由、即ち自己決定であり、商品相当の金を払い、価格に見合った商品を渡すのは、当事者の責任です。ここが揺らいでは市場経済は成り立ちません。

 問題は、商売の原則が市場を超えて、人間の在り方・生き方全体を覆い尽くし、まるで「道徳」か「倫理」のように機能していることなのです。

 では、なぜそうなるのか。それは社会が今なお、「経済成長」を「豊かさ」以外の目標を提示できず、それを「善」だとするイデオロギーに拘らざるを得ないからでしょう。「SDGs」も、「開発」を目指す以上は、結局は「成長」と同じ話で、これまでと別な方法で「豊かになろう」という発想にすぎません。

 この「成長」と「豊かさ」に到達する手段として、市場経済しかあり得ないと思うからこそ、「自己決定・自己決定」が金科玉条のごとく振る舞うという、馬鹿げた仕儀に到るのです。

 私は、この「国是」レベルの扱いをされる「成長」「豊かさ」の概念を、少なくとも今一回、検討し直したほうがよいと思います。そうでないと、AI技術、先端医療、宇宙開発などは、「成長」「豊かさ」を錦の御旗に、方向性を見失って暴走し、人類にとって壊滅的な厄災となりかねません。

 そう思う時、では「貧しさ」とは何か。もし「豊かさ」に危険があるなら、ひょっとすると「貧しさ」に救いがあるかもしれない。

 物資や金銭の窮乏が生活の危機に到るほどの「貧困」は、決して肯定すべきでも、許容すべきでもありません。が、しかし、先人が「貧しさを学ぶべきだ」「貧しくあるべきだ」と言う時の「貧しさ」の意味を、今深く考える意義は小さくないと、私は思います。

 いずれ、この件、愚見を申し述べたいと思います。

 

番外:『正法眼蔵』私流・第2回のお知らせ

2024年01月18日 | 日記
 さる1月16日、豊川稲荷東京別院様にて、「『正法眼蔵』私流」の第1回をさせていただきました。ご参加くださいました皆様、お疲れさまでした。ありがとうございました。
 
 当日、資料は50部もあれば十分、必ず余るだろうと、それだけしか用意していなかったのですが、まさか90名ちかい方々に来ていただけるとは、本当に想定外のことでした。同じ千円を賜ったにもかかわらず、資料をお渡しできなかった方々、誠に申し訳ありませんでした。

 次回は、2月16日(金)午後6時より開始致します。

 ご興味のある皆様、お待ち申し上げます。

 合掌


ご参加にあたってのお願い。                                                         
 
一、『正法眼蔵』本体については、各自でご用意ください。どちらの出版社のものでも構いません。講義者は、本文をご用意しません。

一、参加料千円(現金)を頂戴します。入室の際、お納めください。お釣りの無いように願えると幸いです。

一、予約は無用です。

一、録音・撮影等はご遠慮ください。また、SNSその他での一般公開は、厳にお断り申し上げます。

一、別院様にご迷惑をかけないため、午後5時以後の入場と致します。それ以前のご到着はお控えください。講義者も午後5時を目途に入場します。

一、会場の部屋には十分余裕がありますので、ご承知おきください。

以上、よろしくお願い致します。

合掌

謹賀新年

2024年01月01日 | 日記
皆さま、新年あけましておめでとうございます。
旧年中は当ブログをお読みいただき、誠にありがとうございました。本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

さて今、改めて昨年を顧みると、私個人としては、気候変動のほかに、ウクライナとパレスチナの戦乱が懸念とともに最も心にのこりました。

とりわけ、二つの戦乱について憂慮したのは、報道等で見聞する現地の悲惨さもさることながら、この戦争の持つ意味、その背景についてでした。それも、戦乱の地政学的側面や経済的影響よりも、ここに作用している宗教的な力です。このことを改めて思い直しました。

パレスチナの戦闘は、その根底にユダヤ教とイスラム教の長年にわたる相克があります。そして、この相克には、アメリカ合衆国社会の社会的・政治的分断に強く影響している、キリスト教福音派の隠然たる力が働いています。

また、ウクライナ戦争では、ロシアの大統領が、自ら始めた戦争の正当性の主張にロシア正教を持ち出してきました。そして、ロシア正教は、最近まとまったウクライナ正教と厳しい対立関係にあります。

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、ヤハウェを唯一絶対の神とすることにおいては同じである、一神教です。

唯一絶対の神を奉じ、つまり、唯一絶対の真理を背負う宗教は、時として熱狂的信仰や不屈の信念を生じやすいものです。それは人々の心を高揚させ、行動の大きなモチベーションになりますが、同時に、「唯一絶対」であるがゆえに、妥協や譲歩が有効な場面に、容易に思考や行動を変えられません。下手をすると、対立相手の絶滅まで主張しかねません(神に逆らった悪魔の徒、だから)。

一神教同士が「共存」できるのは、共同体が政治・経済的に比較的に安定している時で、その共存も互いの「許容」の範囲内のみです。互いに宗教的な見解や態度を露骨に相手に示さず、日常生活に埋没できれば、それが「許容」でしょう。

しかし、一度対立が表面化し、それが戦闘に発展すれば、相手を殺戮するという、極端な意志と行動を正当化し・強化する宗教の扇動力は今なお大きく、戦闘におけるその影響において、科学技術の力に決して引けをとりません。

私が最初にそれに気づいたのは、1978年のイラン革命の時です。当時大学生だった私は、よもやこの時代に宗教を前面に押し出した革命が勃発するとは、夢にも思いませんでした。そして結果的に、当時の東西冷戦の最中、どちらにも与せぬ政治勢力を確立してしまったのです。

すでに『正法眼蔵』に取り組んでいた私は、宗教を今で言う「オワコン」とは思っていませんでしたが、まさかこれほどの実力を示すとは考えていませんでした。その後、今度は日本で、オウム真理教事件が起き、ここでも想像を超える事態を宗教が引き起こすことになりました。

それ以来私は、宗教を政治・経済・社会的な側面から検討するように心がけました。最初から存在不安を内包する人間にとって、宗教の力は常に、強力に、多方面に作用するからです。

一神教に対して、「諸行無常」の仏教は、それほど強い動員力は持ちえません。この立場からすれば、「絶対の真理」は錯覚でしょうし、仮に「真理」があるとしても複数でしょう。だから、アマゾン奥地の「未開のジャングル」にまで出かけて、一方的に「宣教」するようなモチベーションを、仏教は持たないのです。

この仏教的態度は、基本的に諸宗教の「共存」を可能にするはずです。仮に一神教並みの「戦闘的態度」を作り出そうとするなら、外から「一神教的要素」を引き込むか、政治的主張と混交して、「諸行無常」の成分を薄めなければならないでしょう。

もう一つ問題なのは、「諸行無常」が強力な扇動性を持たないにしても、この考え方は「一神教」と相容れず、考えようによっては、一神教同士の対立より、はるかに根本的な対立になることです。「神が存在する」と思う同士の対立より、「存在する」派と「存在しない」派、あるいは「神を必要としない」派の対立の方が深刻です。

以前、私はイスラム教徒の一般人と話をしていて、彼から笑いながら「君はブッダにだまされているんだ」と言われたことがあります。この人は欧米の企業に勤めるインテリでした。こういうことを平気で言う人物から笑顔が消えた暁には、事態は容易ならない方向に進むでしょう。イスラム教によってインドから仏教が駆逐された歴史は、今もなお無視しがたいところです。

おそらく、気候変動が人類を絶滅させず、自意識と言語を持つものが存在する限り、宗教は持続し、その力は善くも悪しくも残り続けるでしょう。もし、テクノロジーが自意識を呑み込み、言語を無効にする時が到来するなら、その時初めて、宗教も宗教の力も消滅するのです。



番外:来年1月開始の講義「『正法眼蔵』私流」について

2023年12月18日 | 日記
 11月1日付けの当ブログにおいて、豊川稲荷東京別院様にて、1月16日午後6時より「『正法眼蔵』私流」を行う旨、お知らせしました。いくつかのお問い合わせをいただいたので、申し上げます。

一、『正法眼蔵』本体については、各自でご用意ください。どちらの出版社のものでも構いません。講義者は、本文をご用意しません。

一、参加料千円を頂戴します。入室の際、お納めください。

一、予約は無用です。

一、別院様にご迷惑をかけないため、午後5時以後の入場と致します。それ以前のご到着はお控えください。講義者も午後5時を目途に入場します。

一、会場の部屋には十分余裕がありますので、ご承知おきください。

以上、よろしくお願い申し上げます。

合掌


テーマは何か

2023年12月01日 | 日記
 先日、中国地方の二つの県を、2泊3日で訪れました。永平寺時代の後輩のお寺に招かれたのです。

 道元禅師門下の曹洞宗寺院でも、本山や宗門認定の専門道場ならともかく、一般寺院で独立した坐禅堂を持つところは多くありません。私が招かれた2つのお寺には、それぞれ立派な坐禅堂がありました。
 
 実際、住職が坐禅堂と鐘楼(いわゆる鐘撞き堂)を造ることには、覚悟が要ります。坐禅堂を造った以上は、少なくとも自分が住職である限り、そこで坐禅をし続けなければなりません。禅師門下なら当然だろうと言われるでしょうが、修行僧であり続ける志を立て直す所業とも言え、簡単な決意でありません。造ったは良いが、最後は物置になってしまった、では余りに情けないでしょう。

 鐘楼もそうです。これを建てたとなれば、これまた住職である限り、毎日撞き続けなければなりません。つまり、一度建てた以上は、生涯ここで住職し続けると檀信徒に宣言するに等しく、これも簡単ではありません。世間には、タイマー付きの「自動鐘撞き機」があるそうですが、これは余りに寂しいでしょう。

 私が招かれた2つのお寺の一方では、鐘撞き堂の落慶に因み、檀信徒への説教と若手僧侶への講義を依頼され、他方では坐禅堂での講話と法要の導師をさせてもらいました。有難いご縁でした。ご参拝いただいた皆様、ありがとうございました。

 このうち、久しぶりに狼狽したのは、坐禅堂での講話をした時です。私は、この寺の住職から、近隣の僧侶が集まるから、彼らに対して話をしてくれ、と頼まれていたのです。ですから、多少経典や禅籍に触れて、それなりの話をすれば良いだろうと、そう考えていました。

 ところが、前日の夜、突然住職から電話があって、「すみません、直哉さん。うちで坐禅をしている在家の何人かが、お話を聞きたいと言っているので、よろしく」と言うのです。

 私は完全に僧侶向けの話を考えていたので、いささか気になり、「それ、何人くらい?」と訊いてみると、「四、五人くらいでしょうね」とのこと。ならば、少し言い回しを工夫すれば大丈夫だろうと、安心してその日は寝てしまいました。

 ところが、翌日その寺に着いて、いよいよ講話の時間になり、早めに坐禅堂に入って待っていると、やって来る人のほとんどが在家の方なのです。

「お、おい、これどうなってるんだ!?」

 私は永平寺時代に戻ったような語気で住職を呼びました。

「いやあ、えへへ、どうなってるんでしょう。私もこんなになるとは思わなかったんですよ。直哉さんなら大丈夫でしょ、まあ、お願いしますよ」

 永平寺時代と少しも変わらぬ態度でごまかされ、もうどうしようもありません。すでに坐禅堂は満席にちかく、30人以上の在家の方が入りました。もはや、用意の話はできません。中には、今日初めて坐禅堂に入り、坐禅をする人もいるらしいのです。

 私は急遽話を完全に変え、文字通り急ごしらえで40分を押し通しました。それほど暖かくない日だったのに、背中に汗をかきました。

 私はまず、自分が坐禅を始めた頃から話を始めました。最初は、正式な坐禅である結跏趺坐などとても組めず、半跏趺坐がやっとであったこと、以後40年、どのように坐禅と付き合ってきたかを聞いていただきました。その最後に私は言いました。

「皆さん。私が修行してきた坐禅は、昨今、世間で多く『瞑想』と呼ばれ、宗教色を排除したある種の精神衛生法として、『マインドフルネス』などと称されることもあります。精神衛生版フィットネスジムのように瞑想講座は繁盛し、瞑想専用ルームや瞑想グッズなどまで売り出されています。つまり現代人は、かくも精神的に疲労している、ということでしょう。

 私は今、そのような『瞑想』や『マインドフルネス』を否定しようとしているのではありません。実際、私に『心が疲れているので、坐禅をしたい』と言う人には、それ相応の坐禅の仕方を紹介しています。

 ただそれは、道元禅師の教えの文脈にある『非思量』の坐禅とは違います。これを行うには、仏法に対する学びと、坐禅する身体をきちんと造った上で、心身を制御する方法を手間と時間をかけて会得しなければなりません。

 ということはつまり、坐禅をしようという時、自分は何をテーマに坐禅するのかを明確にしておくことが大事なのです。それがたとえば、精神衛生法なのか、仏法なのか、という選択なのです。

 指導される側も、指導する側も、このテーマを共有しなければ、坐禅は深まらず、活かされません。

 今日、幸いにもこの坐禅堂で、皆様と共に坐禅をするという有難いご縁をいただきました。できれば今後も、それぞれにテーマを持たれて、さらに坐禅に親しまれてることを、願ってやみません。」