書・人逍遥

日々考えたこと、読んだ本、印象に残った出来事などについて。

Collingwood Society Conference 2010

2010-07-26 06:37:31 | 雑感
7月の19日から21日まで、イタリアのフィレンツェにほど近いプラートという小さな街で開かれた表題の学会に行ってきました。
これはCollingwood Societyが2,3年ごとに開催している国際学会で、前回は2007年秋にモントリオールで開かれ、PhD1年目の初々しかった私も(笑)、発表はせずに半ば観光気分で参加したものです。今回はPhD終了直前でもあり、またこれまでに数回の発表を経てきた上でPhD論文の最終章の一部を発表するということもあり、ある意味でPhD時代の総決算とも言うべき学会でした。

今回は、ヨーロッパでの開催ということもあり、前回多く参加した北米の研究者は少なかったものの、英・伊・露・蘭・ポーランド・ハンガリーなどの欧州勢、米・加の北米、そして今回の主催者であるオーストラリアの研究者と、一応国際学会の名に値する多彩な顔ぶれとなりました。

私自身の発表は、コリングウッドの倫理思想の核心といえる義務の概念を、プリチャード、キャリット、ロスら当時のオックスフォード実在論者たちの議論の建設的な発展としてとらえ、コリングウッドが実在論者たちの議論をどのように発展させたのかという点を、コリングウッドの道徳哲学講義を中心に実在論者たちの著作を参照しながら明らかにしようという試みでした。オックスフォード実在論は、倫理的にはOxford Intuitionismとも呼ばれ、moral particularismなど現代倫理学においても再び脚光を浴びている思想群であるにもかかわらず、それらを批判的に吸収したコリングウッドの倫理学はこれまでほとんどオックスフォード実在論との関係で論じられたことがなかったため、今回の発表の扱うことにしました。そういう意味で、単にコリングウッド研究にとどまらず、moral particularismを媒介として現代倫理学においてコリングウッドをどう再評価できるかという問題の出発点を意図しました。

相変わらず発表の技術的問題は改善の余地があるものの、聴衆の反応は上々でした。PhD期間を通してかなりお世話になっているハル大のC教授からは、very interestingと興味を示していただき、君のPhD論文を私は読む必要がある、と言われました。さんざんお世話になっているので完成したら言われるまでもなく謹呈する予定です。また、米・カンザス大の大御所的なM教授を含め、多くの参加者からいい発表だったと言っていただきました。いい感触を得ることが出来たので、今後はこれを手直しし、よりメジャーなジャーナルへの投稿を目指したいと思います。

他の発表で私として興味深かったのは大きく2点ありました。
一つ目はコリングウッド研究内在的な問題で、後期コリングウッドにおけるA・J・エイヤーら論理実証主義の影響に関わる研究です。というのも、コリングウッド哲学には「急進的転向仮説」なるものがあって、実在論批判を徹底する前期とエイヤーらの批判を受けて実在論に説得されたという後期という説があります。私自身はコリングウッドの立場は根本的には一貫しているというものであり、PhD論文でも前期の彼の実在論批判の分析を元に後期の思想を紐解けばかなりいろんななぞが解けるのではないか、という期待に言及するのですが、そういう意味で、この点に注目している研究者が複数いたというのは、ひとつの課題として取り組む価値を再認識させるものでした。

もう一つは、今後の自分の研究の発展方向に関わって、政治哲学におけるrights recognitionの問題に取り組むというのはひとつの選択肢だということがはっきりした点です。これは私の指導教授の戦略でもあり今回も発表をしていたのですが、彼を含め何人かの研究者によるこの問題に絡んだ発表は、自分の研究の方向性として検討に値すると思いました。また、事前アブストラクトを見たのか、シェフィールド大のV教授に私がまだ発表していない段階で声をかけられ、君の研究はこの問題を考える上で興味深いと言われたこともあり、基本的な勉強をしてみようと思いました。

その他、さまざまな発表があり、国際的なレベルでコリングウッド研究の最前線の見取り図を得ることが出来ました。

今回の開催地であるプラートの、からっと晴れ渡った天候とアットホームでこじんまりとした雰囲気も手伝ってか、多くの参加者はとてもリラックスした表情で参加しており、普段英国で参加したときにはとても緊張したり気難しい雰囲気だった人たちも、とても陽気でフレンドリーになっていて、学会終了後のディナー時やそのあとの飲みなどで友好を深めることが出来たのも収穫でした。特に、前回モントリールの学会を主催していた日本人研究者の方と再会しさまざま相談をさせてもらったのもありがたい機会でした。

2年後の次回は再びカナダで、カルガリーとのこと。そしてハル大のC教授が、その次の4年後は日本でやろう!と冗談とも本気ともつかない提案を私にして来たのに面食らいつつ、でもそれができるだけの地位(職)・力量・経験を4年後までにはもっていないといけないという意味で捉え、その提案を実現できるような自分になっているように精進しようと心に期して帰ってきました。

近況と節目に向けて

2010-06-08 04:59:25 | 研究生活
つぶやくのに慣れてしまい、ブログを放置していましたが、今日の指導教授とのミーティングを終えて、久しぶりに近況もかねてまとまった文章を書いてみようと思い立ちました。

今日は副指導教授もまじえて今後の日程について話し合うかなり重要なものとなりました。
現在は、すべての草稿を揃えて指導教授に提出し終え、彼らが一章ずつコメントや修正をフィードバックし、私はそれを一章一章反映させながら次のフィードバックが来るのを待ちつつ、自分でも出来る限りの推敲を重ねるという作業をしています。ここ1,2週間フィードバックが滞っていたので私の作業も停滞気味でしたが、今日第3章のフィードバックをくれて、残りの部分については今週末までに一気にやると言ってくれたので、これでかなり進みそうな目処がつきました。それに加えて、今日幾つか序論と結論部分の構成上の問題点を指摘され、修正を要求されました。今後はこれらを一つ一つクリアしながら、遅くも7月中旬(つまりイタリア行き前)までに、指導教授が紹介してくれた英語校閲者に英語のチェックを託し、イタリアから帰ってきたらそれを元に最後の仕上げを行い、指導教授の最終チェックを経て提出、という流れに落ち着きました。ということで、以前話し合った7月末までの口頭試問終了という予定は、9月以降に延びそうです。(論文提出から口頭試問日まで、外部試験官の都合などで3ヶ月くらいかかることもあるそうで・・・・)

この延期によって、どうやら外部試験官を第1候補だったヨーク大のB教授に依頼出来る状況になり、日程に問題がなければ、彼にお願いすることになりそうです。(前回の依頼から一定期間を空けるという大学の規定があるため)。私の研究はB教授の関心とかなり被る部分があり、しかも彼はもともと分析哲学史の分野では気鋭の研究者なので、わたしにとってもこれ以上ない人選です。

また、両指導教授ともに兼ねてから私の論文は、コリングウッド研究の単行本シリーズで出版できる内容だと言ってくれていたのですが、今回主指導教授から、もっとメジャーな出版社にブック・プロポーサルを出してみる価値もあるとアドバイスされました。(残念ながら単行本シリーズを出している出版社は比較的マイナー)。B教授に試験官をしてもらえれば、その出版準備の過程でもさまざまなアドバイスを得られるだろうと示唆されました。

さらに、以前コリングウッド・イギリス観念論の専門誌(両指導教授も編集委員のメンバー)に提出していた私の論文は、採用されることになったようで、これもめでたい知らせでした。(ただ、実際に出版されるのは次の次の号らしいので気が遠くなりましたが・・・)博論終わったらゴリゴリジャーナルへの投稿を始めなくてはという感じです。

このような感じで、両教授ともに私の論文の内容には非常に満足してくれていて、なかなかハッピーなミーティングではあったのですが、もう一つの大懸案であるjobについては、提出時期の延期が微妙に影を落としそうです。9月前までに終われないということは、こちらで何らかの大学での職にアプライするうえで厳しい状況になることを意味するわけで、財政的な状況・ビザなどの諸事情を勘案し、一旦帰国するという選択肢が現実味を帯びる状況になりそうです。この点、結構日欧の雇用制度・慣習の違いが響くなあ、と感じずにはいられない部分です。というのは、すでにPhDを終えた数人の英国人あるいはヨーロッパ人先輩学生たちは論文を終えてから実家で休養しつつ1年くらいかけて仕事探しをするという人がいる一方で、できればすぐに働きはじめたいと思っている余裕のない私というギャップがあるわけです。仕事探しは簡単には解決しがたい頭痛の種ですが、とにかく論文を頑張りつつ、良い方向を模索し定めたいと思います。

20代の後半をほぼ全て費やしたこの濃密な挑戦の日々もうすぐ終わることに驚きと戸惑いを覚えつつ、PhD学生としての最後の日々を(今日副指導教授が言ってくれたように)「エンジョイ」したいと思います。

いよいよ佳境・・・近況

2010-02-17 09:48:47 | 雑感
かなり久々の更新になってしまいましたが、ここのところは年明けから取り組んでいる最終章にかなり手こずり、煮詰まっていました。

この章は、前期コリングウッドの実在論批判の終着点ともいえるdutyの概念について、(1)RossやPrichardといったOxford Realistsらとの比較を通して詳細に分析し、コリングウッドの議論のどの点が厳密にいってオリジナルで、それがどのような意味を持つのかについて考察する、(2)そのようなものとしてのdutyが彼の政治的な実在論批判とどのようにかかわるのか、という2点に焦点を絞っています。(1)についてはそれほど難航はしなかったのですが、(2)が問題でいろいろと資料や本を漁ってはああでもないこうでもないと思いあぐねていました。

この煮詰まりようと、あとは以前提出していた章へのフィードバックが帰ってきたこともあり、指導教授とアポをとって今日会ってきました。実は彼は1月は丸々、PhD論文の外部試験官をした縁でつながりのある台湾の研究者に招かれ、台湾の国費で講演旅行に行っており、やっと帰ってきたので今年初めてのミーティングでした。現状について話してみると、この辺を見てみたらいいかもという点を指摘してくれ、ヒントになりそうな材料を得ることができました。やはりこういうときは、指導教授というのは本当にありがたいです。

さらに、今後のスケジュールについても話し合い、外部試験官の第一候補をヨーク大のB教授にしようということになりました。この教授は何度かアドバイスを頂いている人で、また最近立ち上がったヨーク・シェフィールド・リーズ大三校合同の哲学史研究プロジェクトの中心者も務める20世紀分析哲学史を専門のひとつとするバリバリの研究者で、是非ともこの人にやってもらいたいところです。しかし問題がひとつあって、前回試験官を依頼したときから一定の期間を置かないといけない大学の規則がありそれにひっかかる可能性があると。。。そのため、第2候補としてハル大のC教授、第3候補としてキール大のD准教授ということで合意しました。スケジュール的には、6月に提出した場合、口頭試問が7月末頃になりそうだといわれました。それはつまり、イタリアの学会発表の直後ということを意味しており、のんびりイタリア観光を楽しむ雰囲気ではなくなってきました(涙

指導教授は、論文の内容について、「構成もcoherent wholeをうまく形成しつつあるし、substantialな内容があるので、口頭試問については心配してないけどね」と言ってくれましたが、今後数ヶ月、少しでも質の向上を目指して最後の追い込みをがんばりたいと思います。

Rediscovering the British Idealists Conference

2009-12-19 10:31:17 | 雑感
15日から17日まで、北東イングランドのハルというところで行なわれた学会に参加・発表するために行ってきました。
ブリテン島の西の片田舎カーディフからイングランドの北のはずれのハルまで、列車で片道7時間という遠方のため、早朝出発で深夜帰宅というスケジュールになりました。最近日本の新幹線技術を使った車両が導入され英国で走り始めたそうですが、英国にも新幹線が欲しいと思った旅でした。マンチェスター経由でハル、昼食をとってからローカル線で会場のホテルのある小さな町の駅に到着。そこからさらに10分ほどタクシーに乗って牧草地に囲まれたホテルに着きました。この国は、こういう田園地帯にこじんまりとしたいいホテルが結構あります。

今回参加した学会は、例年カーディフ大のウチの学部のコリングウッド・センター主催で12月に行なわれていたイギリス観念論合宿の代替で行なわれたものです。最近できたハル大のイギリス観念論センターが主催となりました。発表は火曜の午後から木曜の午前まで、2つのシンポジウム、6人の個人発表ががっつり行なわれ、私は個人発表のうちの一つで水曜の一発目に発表を行ないました。

学会のテーマが'exploring archives'ということもあって、今回の発表は、コリングウッドの未公刊草稿や書簡などをかなり使用したPhD論文草稿の部分を選びました。発表のテーマは、コリングウッドが独自の哲学を形にし始めたまさにその頃の草稿・書簡を用いて、当時のイギリス哲学界における観念論・実在論論争の論点とコリングウッドの論点を論理学に焦点を絞って照らし合わせ、その接続点を浮き彫りにするという試みでした。

技術的な点をいうと、少し発表にスムーズさを欠いたものになった感がありました。これまでの経験上、誰かネイティヴの発表を聴いてから自分の発表に移ると、原稿の読み方などがより滑らかにいくことが多く、今回は朝一ということで一抹の不安があったのですが、やはり、という感じでした。ただ、質疑応答に関しては、マンチェスターのときに比べると進歩したように思われました。

内容的には、概ね好感触だったようで、終了後にもとてもよかったと言ってくれる参加者が多かったのですが、課題として、
(1)T. H. グリーンのjudgmentの概念の理解に問題があることをグリーン専門家のハル大のT准教授に指摘された。
(2)観念論・実在論論争の当時のイギリス哲学全体における位置づけを少し修正する必要を(以前カーディフで話をしてもらった)ヨーク大のB教授(昇進された)に指摘された。
主にこの2点を宿題として得ました。B教授とはカーディフで会って以来1年半ぶりの再会でしたが、かなり進展したねと言っていただき励みになりました。もちろん、他の専門家たちの発表を聴いていると自らの稚拙さが目につきその懸隔に気が遠くなるのですが、刺激を受けてまたモチベーションを上げてくることができました。

他の発表も、かなり興味深いものが多かったのですが、そのなかでも二つのシンポジウムは私にとってはかなり刺激的でした。その一つは、D. Weinstein, Utilitarianism and the New Liberalismという本について、著者を招いて議論するというものでした。Weinsteinという著者は、もともとはutilitanianism研究をベースとするアメリカの政治学者ですが、思想史的方法論への意識が高く、分析的な現代政治哲学に批判的です。この本はその批判として、思想史的方法を用いて、現代政治論で一般的な枠組みであるリベラル・コミュニタリアン、さらには主意主義・帰結主義、義務論・功利主義などの伝統的二項対立への解決策を模索するというものです。具体的には、現代政治哲学の教科書が、19世紀のutilitarianismから20世紀後半のロールズまで一気に百年もジャンプするのが定番になっていることを指摘し、このはざ間の政治思想であるNew Liberalと呼ばれるT. H. グリーン、ホブハウス、リッチーらに焦点を当てます。Weinsteinの主張の核心は、基本的には彼らは哲学的にはイギリス観念論のメンバーであるにもかかわらず、実はより洗練された功利主義的な要素をもっており、このことを知るとき、じつは19世紀功利主義とロールズを比べているだけでは見えてこないリベラル・コミュニタリアン二元論の克服のヒントがあるというものでした。イギリス観念論研究者の側からは2人がコメントをしていました。(もちろん、ニューリベラルを功利主義的に見る著者の視点には不満のようでしたが)。扱っている対象そのものは私は無知な分野なので何とも言えませんが、その方法論には共感を覚えました。とりわけ政治哲学においては、現代分析哲学の流れを汲む歴史性を無視した分析的政治哲学では、政治の問題は原理的にうまく扱うことができないのではと感じています。本を安倍ブックスで買ったものの結局直前まで読む時間がなく、行き帰りの列車の中でざっと読んだのですが、とても楽しく読ませていただきました。

そんな感じで、さまざまな刺激を受けた充実した学会でした。
また、滞在したホテルも素晴らしく、ロビーやレストラン、バーなどには暖炉があり、スタッフもプロ意識の高い人たちばかりでした。食事もこれまで私がこの国で経験した中ではかなりの上位にランクインするほど素晴らしく、ちょっと値は張りますが、とても快適な学会を過ごすことができました。(この値が張るというのがポイントで、おそらくサービスの質は価格に非常に正直なのです)。

B. Haddock, History of Political Thought

2009-11-10 07:01:26 | 雑感
かなり久々の更新になりますが、何とか生きてます(笑
ここのところは、2年くらい前に(つまりPhD一年目に)書いた部分の大幅な改訂作業と、マンチェスターでの発表原稿をジャーナル提出用の原稿にするために資料の再調査、疑問点について英国内とアメリカの数人の先生に質問をメールでやり取りするといった下調べに取り組んでいました。前者は、カオス的に2万語弱くらいになっていた文章を、しっかり論理的構造を立て直して、3つの章へと分割する作業なのですが、1章目はイントロと結論を書き直せばほぼOK。しかし2,3章目がかなり混沌としていたので、ほとんど書き直しています・・・。ようやく先週末で2章目ができたので、今月中に最後の3章目を仕上げたいところです。雑誌原稿のほうは、問い合わせもひと段落して資料も揃い、先週から本格的な改訂に入りました。これも11月中くらいに提出したいですが、その論文で批判する先行研究の著者(故人)について確認したいことがあり、そのご夫人でかつ本人もバリバリの歴史学者の方にコンタクトをとっているのですが、一向に返事が来ない・・・。(採用になったとして)最悪ゲラの朱入れのときまでに注に入れる用意だけでもしとこうか思案中です。まあ、気長に待ちます。

そんな作業をしつつ、常に頭にあるのが結論部分をどうしようかということなのですが、その一環で最近読んだ表題の本を紹介します。これは実は私の第二指導教授の著書で、たまたま買おうと思っていたときに彼とミーティングをして、タイミングよく彼が「これもっている?」と言ってくれ、「いや、ちょうど買おうと思っていたところなんです」と答えたところ、じゃあ、ということでくれました(著者サイン入り(笑)

           *                   *                       *
この本は表題の通り、政治思想史の教科書的な本で、とくに1789年(フランス革命の勃発)から現代に至る政治思想の流れを以下の順に追います。(主な対象)
(1章 イントロ)
2章 Revolution .......ペイン、カント
3章 Reaction.........バーク、メーストル
4章 Constitutional State........コンスタン、ヘーゲル
5章 The Nation-State.......マッツィーニ、フィヒテ
6章 Liberty.........トックヴィル、ミル
7章 Welfare.........マルクス
8章 Totalitarianism...........レーニン、パレート、ジョンティーレ、(カール・シュミット)
9章 Politics Chastened.......ポパー、ハイエク、オークショット
10章 Politics Fragmented......フーコー(ポストモダニズム)、ロールズ、多文化主義など

著者の問題意識の焦点はある一つの政治哲学・倫理学上の問題にあります。すなわち、政治思想におけるnormative argument(規範的議論)の可能性という問題です。別の局面から言い直すと、「社会的・文化的共同体にはめ込まれた個人としての私たちは、いかに政治的判断を行なうのか?」という問いです。

筆者はこの問題意識のもとで、フランス革命以来の政治思想史を、政治的理念・理想を追求する政治とその破局的結末という極と、そのような理念への熱狂への反動としての政治という極という二つの軸によって描くことを試みます。
ルソー・ロック・ペインといった啓蒙思想という理念の実現を目指して始まったフランス革命とその恐るべき帰結、そしてそのような政治的理念への熱狂を嫌い伝統などの'natural order'を保守して社会の安定を保とうとするバークらの反動。これがヨーロッパの保守主義の源流でもあります。

アンシャン・レジームへの回帰を含意するこの反動に対して、再び個人の自由という理念を目指し、国家を自由実現の道具ではなく雅のその自由の保護者として考えることによって王権も革命も避けるコンスタン。しかしコンスタンのリベラルなバラバラの個人に満足しないヘーゲルは共同体の一員としての個人としての利益をまもろうとし、それはやがて反動政治への反発の一形態として勃興しnationという理念を意識するようになった政治的ナショナリズムへとつながります。

このような個人の自由を制限する流れに対して、もう一度個の自由を主張しひとつの理念に縛られない多元主義へと戻ろうとしたのがトクヴィル、ミル、フンボルトなどでした。しかしこのようなむきだしの個という考え方は、産業革命期の労働者の悲惨な生活という現実に直面し、マルクスなどの再び個を国家によって包摂する理論が提出されます。さらに20世紀に入っての国際的な政治の不安定化、そして総力戦としての第一次世界大戦という経験が、国家の存在感を肥大化し、レーニン主義・スターリニズムという極左、そしてファシズムという極右において国家が極限まで増幅され、その体制下では周知のように理論上の反対者が政治上の敵へと容易に転化し、殺戮の対象へとされたわけです。

史上最悪の戦禍、ホロコースト、ドラスティックな政治的自由の制限を経験した第二次大戦後の世界では、政治的ユートピアの代償というものがいかに大きいかということが痛感されました。このような全体主義へのトラウマは、経済における徹底した自由主義を唱え、国家が個人の生活へ介入する福祉国家はいかによい意図のもとにあったとしても、必然的に全体主義への種を含んでいると考えたハイエクに顕著に現れます。彼の考えは実際1970年代の英米にて実際の政策に強く反映されるほど影響を持つに至ったわけです。ハイエクの徹底した個人主義・自由主義は、オークショットのような個の偏重への懐疑を受けたりはしますが、結局両者は理念・理想を追求するような規範的な'high' politicsが危険なゲームであり、関心を'low' politics、つまり富の再分配、権利、市民生活のための場所と機会の供給などへと向けることでは方向性は似ていたといえます。

国家理念の追求を避けるようになった現代政治哲学では、しかしロールズの正義論を契機として、自由と平等という二つの政治的価値の間で議論が展開していきます。一方ではノージックに代表される自由を重視する方向、他方ではドォーキンら平等を重視する方向という二極というように。

著者はこのようにフランス革命以来の政治思想史を、理念政治とそれへの反動の応酬という形で捉えます。フランス革命の理念への政治的熱狂、ナショナリズム、全体主義など、幾多の理念政治の悲惨な結末を経験してきた現代の我々は、政治における理念あるいは観念の危険性に(時に偏執狂的にあるいは懐疑論者的に)十分自覚的になりました。ゆえに、現代の政治哲学は社会構造や政治理念などよりも、再分配・権利保障などのミクロな問題に関心を集中する傾向が強まっています。しかし、アイデンティティー、ジェンダー、文化などの現代世界の政治で問題となっている課題は、まさに政治判断に際しての基準に関わる問題であり、社会のなかの個々人のバックグランドを捨象した単純な再分配・権利保障などの対策では解決できる問題ではない。また、個々の文化・アイデンティティ・ジェンダーなどの価値が拡散しそれぞれの行為者が気ままにcontingentな行動をする現代世界は、制御不能に陥る危険を孕んでいる。したがって、ロールズが晩年に述べたように、いかに規範的理論が過去に惨禍をもたらしてきたとしても、私たちはそれでも常に政治的な判断をしなければならず、その判断の過程において、参照すべき権威なり基準なりを考えることは不可避であるというのが筆者の結論です。

(*かなり大雑把な要約になりました。すみません、先生。)

筆者の取り上げる政治的判断と行為の関係性の問題は、philosophy of actionの分野においても、次のような問いとしてより本質的に問題となっているようです。

‘What is it for a person or some other organism to be an agent of autonomous action? And, how do we explicate the special force of reasons for autonomous action in practical reasoning—a “force” quite different from the motivating impact of an overmastering desire?’ (‘action’, Stanford Encyclopedia of Philosophy, http://plato.stanford.edu/entries/action/)

私の研究テーマであるコリングウッドの実在論批判とは、じつはまさにこのactionとtheoryの関係性が核心部であるといえます。戦間期のイギリス哲学の主たる潮流であり戦後の分析哲学の源流たる実在論は、theory of knowledge、つまり政治哲学的に言えば政治的価値についての知識は、actionにはいかなる影響も及ぼさないと主張し、actionに関わる規範性を否定しました。このような主張は、第一次世界大戦を経験し、nationという政治的理念の恐ろしさを身に染みて痛感していた当時の時代の気分によくマッチしたのかもしれません。1930以降、ファシズムとコミュニズムというイデオロギーの政治が再び脅威を増していた状況下で、1943年の死まで一貫して実在論を厳しく批判し、「危険な」theoryとactionの連関、actionにおける規範性の擁護を試みたコリングウッドの真意はどこにあったのか?彼がファシズムを早くから一貫して執拗に批判し続けていることから、いかなる意味でもナイーヴなファシズム礼賛ではないことは当然明らかです。この答えは、彼の規範理論における、actionが参照する規範の3形式, utility, right, dutyのうちで最高の位置を占める彼のdutyの概念にあるという心証を強めています。このduty概念は、rightから区別されている点でユニークであり、規範としてのdutyがその適用対象を具体的に特定する性質のものであり、それを知るための方法として歴史的方法が重視されるなど、豊かな含意をもった概念です。このdutyの含意という課題は、最近のコリングウッド研究のフロンティアのひとつでもあります。したがって、本書によって得た政治哲学的文脈、philosophy of actionでの文脈をある程度意識しつつ、この彼のdutyの政治哲学的含意を実在論批判という視角から光を当てることが私の論文の最後の課題となりそうです。

夏の終わりに―経過報告

2009-09-13 20:39:51 | 研究生活
マンチェスターから帰ってからと言うものの、やり掛けていた第2章(コリングウッドの思想背景の伝記的なサーベイ)に取り組んでいましたが、昨日ようやく第一稿が出来上がり、指導教授に送信しました。7000語ほどの小さな章です。そんな一区切り感も手伝ってか、あるいはこのところの好天のためか、久しぶりにリラックスした日曜日を過ごしています。

今回の章が出来たことで、語数は8万語のリミットのところ56,000語まで来ました。これでコリングウッドの哲学的背景・文脈(1章)、思想形成(2章)の序論部、そして「実在論」批判の形成とその具体的対象を追った本体部3-5章は一応出揃い、結論部の6,7章を残すところとなりました。この結論部が一番重要だし注意深い思考を要しますが、ある程度方向性は見えてきた感があります。今後はその方向性で議論の明確化に努めることになります。

今後の課題は、
◆6章(実在論批判の総括)を年内に完成
◆7章(実在論批判の政治的含意)を2月くらいまでに完成…これがもっともcontroversialなトピック
というメインの課題に、
◆3,4章はかなり昔に書いた部分なので、手直しが必要。
◆マンチェスターでの発表を精錬して年内には専門雑誌に投稿
てな具合で進めて行きたいと思います。これらが済んだ後は、イントロダクションとひたすら編集作業で、来夏の提出を目指したいところです。そしてこの過程で、
◆イギリス観念論グループ@Hull(12月)
◆国際コリングウッド学会@Prato in Italy(7月)
(※AUSなどと言われてましたが変更に次ぐ変更の末この線で固まったようです)
◆PhD論文の核心部をよりメジャーな雑誌に投稿(これは提出後になるかも)
という感じで履歴書の業績欄を埋める努力を頑張りたいです(苦笑)
年頭の目標をすべて年内に達成するのは厳しくなってきましたが、ラストスパートをかけていくつもりです。

と同時に、いろいろ息抜きプランも頭を駆け巡っていますが(笑)、ひとつ必ず実行しようと思っていることだけ書きます。6月に2回もロンドンに日帰りで行く機会があって、ロンドンも意外と気軽に安く(往復1500円くらい)行けることに気がついたので、研究に疲れてきたら、日帰りでまだ行っていないナショナル・ギャラリーと夏目漱石記念館を見に行こう!と思っています。

※写真は、8月の中旬、ベルファストで知り合ったスペイン人の友人が滞在していたイングランド南部のボーンマスというところに行ったときの写真です。天気にも恵まれたせいか、こんないいビーチがこの国にもあったのか!と驚き楽しんできました。







PSA Workshops in Political Theory @ Manchester

2009-09-06 05:00:01 | 研究生活
前回の日記で少し触れましたが、選挙結果の波紋が冷めやらぬ2日から昨日まで、Manchester Metropolitan University(MMU)にて行なわれた学会に参加してきました。これは、毎年英国政治学会の主催でMMUで行なわれている、テーマ毎の分科会に分かれて3日間発表を互いに行なうというタイプの催しです。今回は6回目で定着しつつあるのか、北米・ヨーロッパを中心に海外からも含めて200人ほどがトータルで発表をしました。アジアからも、台湾の大学、香港大、ソウル国立大などから研究者が来ていました。(日本からの参加者がいないと思われたのが少し寂しい気もしましたが)

私の発表は、7月に学内の院生発表会で発表した内容を、40分発表20分質疑という英語の発表では未体験のヘビーな持ち時間に合わせて幾分拡張し、手直ししたものでした。発表そのものはペーパーを読み通すだけなので(あるアメリカ人のコリングウッド専門のD准教授に褒められるほど)スムーズに出来ましたが、質疑が今回はかなりボロボロになり、反省・・・という感じでした。最初の質問者のイギリス観念論専門家のA教授に細部を突かれてしどろもどろになりリズムを乱したのか、その後の幾つかの質問への答えも要領を得ないものとなり、終わった後で「ああ、あそこはこう答えるべきだった・・・」と後悔するという最悪のパターンにはまりました。先のD准教授は、「最初のあの質問は確かにconfusingだった」と慰めてくれましたが、もっと準備の仕方などを工夫する必要がありそうです。

内容的には、発表のなかで著作に言及もしたイタリア出身でキール大のJ准教授が興味を持ってくれて(本人の目の前でその仕事に論及するという初の体験だったわけですが)、私のペーパーを持ち帰りコメントをメールでくれることを約束してくれたことは、手ごたえになりました。彼女のコメントが楽しみです。

いずれにしても、今回の発表は(極めて専門特化した)ジャーナルへの投稿を考えているので、今回の質疑で浮かび上がった曖昧な点や詰め切れていない点などを再考し、また今回参加していなかった研究者の方にも見てもらって、クオリティを上げていきたいところです。

自分の発表以外の点では、今回進歩したと思われる点は、自分の知識が増えたためか、他の人の発表や質疑の応酬もかなり理解できるようになり、とても勉強になりました。また、朝・昼・夕の食事やコーヒーブレイクなどの機会に、多くの新たなネットワーキングと議論、情報交換を行なうことができて、非常に充実したものになりました。例えば、例のconfusingな質問をしたA教授は、F. H. Bradleyというイギリス観念論の巨人の奇人変人ぶりを語ってくれたり、興味深かったです(笑

ひとつ学問とは関係なく面白かったことは、私と指導教授はこれまでも一緒に学会に参加することが多く、今回も一緒に参加していたのですが、私は彼と学会に参加したときはいつも夜遅くまでパブに付き合い、限界まで頑張っても常に彼は平気でビールを飲みつつ歓談しているので付き合いきれずに先に退散させてもらうので、常々彼の酒の強さとタフさに驚いていたのですが、今回、アメリカ人のD准教授とイタリア出身のJ准教授も(両者女性ですが)同じことを感じていたみたいで、意気投合することが出来たことです(笑 その翌朝、朝食のときにD准教授が私の指導教授に「昨夜私たちはあなたがdrunken philosopherだということで意見が一致しました」と冗談を言ったところ、彼は「いや、ただ喉が渇いているだけなんだけどね」と言い訳をしていました。しかし実際のところ、彼のコーディネートで過ごした最後の晩は、学会全体でのワインレセプションのあと、パブに行って小一時間で一杯ひっかけ、その後中国料理店でディナー(これがとびきり美味しかった)。ディナー終了時にはすでに23時でしたが、私の指導教授とウェールズから来た研究者数名は、さらにパブへ・・・。私は彼らと別れるときに、一緒に宿舎に帰ろうとしていたJ准教授が「遅いし帰ります」と言ったところ、彼は両手を広げながら「何を言っても言い訳だね!」と言ったのでした。

そんな私の指導教授の新しい一面も見ることができ、さまざまな研究者とつながることができ、苦い発表での失敗もありましたが、とても充実した3日間にすることができました。

Research in Completion Day July 2009

2009-07-03 05:12:30 | 研究生活
ここのところ準備に取り組んでいた半期に一度の定期院生発表会を今日終えました。
早いものでもう5回目。今日発表した4人の中では2番目の古株になりました。(年齢ではなく学年です、念のため)

今回のトピックは、博論で扱う範囲の時系列的まとめの最終回、1925年から1933年までの作品を扱いつつ、1920年代前半の論理学・認識論的議論が、1925年以降にどのように道徳哲学へと発展するのかを、論理的・時系列的に再構成するというものでした。

基本的には、1920年代前半における実在論者の命題論理と主観と対象の認識論的二元論批判から始まる彼の実在論批判を踏まえて、彼の哲学の第一の主題としてのhuman actionの理解という目的のために、彼がAn Essay on Philosophical Method (1933)において展開するhuman actionの理解のための哲学方法論、そしてそれを用いて道徳哲学講義においてなされるactionの分析、さらにそのactionが参照する規範理論としてのutility, right, dutyの区別といった順で、コリングウッドがいかにtheory of knowledgeに基づいて、philosophy of action、そして規範的道徳理論へと思考を展開するかという論理的連関を再構成しました。というのも、初期のコリングウッド解釈者のひとりが、コリングウッドがこれほど周到に1920年代の10年間をかけてtheory of knowledgeから規範的道徳理論への架橋を試みているにも関わらず、非常に短絡的な形で、両者の連関を否定する立場からコリングウッドを批判しているからです。彼がそれを書いた当時はコリングウッドの道徳哲学講義がまだ研究者にとってアクセス可能になっていなかったこと、そしてそのアクセスが可能になってからも明確にこの問題を取り上げた研究がなかったことから、今回扱うこととしました。

今回の発表は、9月の初めにマンチェスターで行なわれる英国政治学会のワークショップのイギリス観念論セッションで発表する予定のものであり、今日の発表はその予行演習という意味合いもあったのですが、今日参加していた3人の教員すべてが興味をもってくれたばかりか、これまではあまり関心を示してくれなかった現代政治理論専門の2人の講師もポジティヴなコメントをくれるなど、反応は上々でした。まあ、これまで余りにも形而上学的な内容ばかりを発表していたのが、ようやく道徳・政治哲学の話になってきたからと言うこともできますが・・・。(また、じつはこの発表を、マンチェスターでの発表後に私の分野に特化した専門的な雑誌に投稿する計画を二人の指導教官に打ち明けもしたのですが、二人とも推奨してくれて、計画は一歩前進というところです。)

コメントのなかでも特に今後の研究の肝となりそうなのが、私の第二指導教官の教授が言ってくれたことで、コリングウッドの規範理論の最高位を占めるdutyの概念について、私がその具体的な性格を指摘したことに関連して、それをさらに発展させて客観主義的含意を引き出せれば面白いという点でした。私は、コリングウッドの実在論批判を分析するなかで、彼が実在論を批判しているからと言って必ずしも観念論者であるわけではなく、実在論の妥当性を部分的には一貫して認めているという印象を強めており、彼の指摘はこの点とも一致するものであり、論文全体の結論へとつなげていけそうな予感もしました。

但し、ふと一人の講師の口から漏れた相変わらずの課題は、やはりいかにコリングウッドの思考を現代哲学、彼の場合は現代政治理論の文脈に位置づけるのか、という点です。これは私の指導教授などコリングウッド研究の最前線の研究者たちが今現在進行形で取り組んでいる問題であり、非常に大きな問題ですが、よりメジャーな雑誌への掲載を勝ち取るためにも、常に意識しておかなければと思うところです。

このような感じで、今回の発表は、専門外の人の関心を少しでも惹き付けること、今後の課題をクリアにすることがある程度できて、実りの多いものとなりました。
                 *           *

そういえば余談ですが、今日発表したパートタイムの学生(50代くらい)の娘さんは、今大学で日本語を専攻しているそうで、アニメなどの翻訳者を目指しているそうです。昨年の6月にさまざま相談させてもらったヨーク大学のフレーゲ学者の娘さんも、オックスフォードで哲学をやったあとに福岡で日本語を勉強していると言っていたし、ハル大のコリングウッド学者の息子さんもリングなどの日本のホラー映画に魅了されてSOASで日本語を勉強しているというし、いったいぜんたい、日本のサブカルチャーは、アジアだけでなく一般的には日本に無関心な英国の若者にも意外と浸透しつつあるのか、と思わずにはいられませんでした。


再び、ハリネズミと狐

2009-06-07 08:27:39 | 哲学・歴史・政治
前回書いたように、時系列的にまとめる章が一段落したことで、現在はコリングウッドの伝記的文脈をまとめる第2章に取り組んでいますが、同時にやはり結論をどうまとめるべきかに思考がおもむくことが多くなってきました。そしてそれと同時に、PhDを終えた後という問題が徐々にリアリティをもって迫ってきていると感じています。そんなこともあってか、最近はPhD論文の結論への思考が時にその後の研究テーマ構想へと跳ぶことがあるのですが、そのひとつとして最近脳裏に蘇ってきたのが、リガ生まれのユダヤ系イギリス人の政治哲学者・思想史家のアイザイア・バーリンです。
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バーリンは、1930年代のオックスフォードにて哲学を学び、そこでJ.L.オースティンなどに出会ってオックスフォード哲学と呼ばれる潮流の一員となるが、同時にこれはコリングウッドが教授を務めていた時期でもあり、バーリン自身もコリングウッドの影響を認めている。そのバーリンが、トルストイの『戦争と平和』に歴史哲学をみいだし分析したのが、『ハリネズミと狐』と題する小品である。ギリシャ詩人の詩の断片にある「狐はたくさんのことを知っているがハリネズミはでかいことをひとつだけ知っている」という一文を、思想家の分類に援用しトルストイを「本質的に狐だがハリネズミになることを熱望した」と分析した本だ。

このハリネズミと狐という分類によってバーリンが意味するのは、一言で言うと、一元論者のハリネズミに対して多元論者の狐という対照で捉えることができる。さらにトルストイの歴史哲学を分析する過程でバーリンは、この区別に豊かな意味を盛り込んでいく。歴史に対する態度という点では、常に「「硬い」事実―触れることができる現実から切り離された巧妙な理論や、神学や詩や形而上学など、この世のものでない神秘によって腐敗させられてない、普通の知性によって捉え実証することのできるものを探し求め」(25)る態度が狐なら、逆に歴史の壮大な形而上学的体系において理解しようとこころみるのがハリネズミである。トルストイは、『戦争と平和』の執拗なまでの細部の描写に表れている通り、具体的事実に徹底してこだわる経験主義的な狐の本性をもっていたにもかかわらず、「見かけ倒しのもの、欺瞞的なもの―一八世紀、一九世紀の歴史哲学というよたよた足の軍勢――を破壊することのなかから、やがて自分が絶望的に求めている『現実的』な統一性」(67)というハリネズミ的・形而上学的なものが見出されることを渇望していたという。このような歴史のおける狐とハリネズミの態度の対立は、ちょうど20世紀初頭の英国哲学におけるイギリス観念論とその反動としての実在論という対立と類比的なものを思わせます。

バーリンはトルストイの、狐でありながらハリネズミになろうするこの矛盾を抉り出し、その理由をメーストルというナポレオン戦争時(つまり『戦争と平和』の舞台)のロシアの外交家・思想家との比較を通して炙り出そうとします。バーリンは、メーストルとトルストイの両者が基本的には相反する存在でありながら、イギリスに端を発する自由主義という思想の余波を受けながらその反動が猛威を振るったロシア国内の惨状という現実に直面し、「科学的方法そのものにたいする鋭い疑惑、いっさいの自由主義、実証主義、合理主義と、当時の西ヨーロッパで有力であった高踏的な世俗主義のいっさいの形態にたいする不信」(101-2)という共通項を見出す。そして、そのようなすぐれて政治性の高い現実問題の反映からか、「権力の性質という問題を中心におかないような歴史解釈」を共に斥けるのである。そんな厳しい政治的現実に直面するなかで彼らのうちに育まれたものを、バーリンは「現実感覚」と名づける。つまり、「事件の『冷酷』性――その仮借ない『進撃』ぶり」に深く心を捉えられ、「生起しつつあるものを、文字通り無数の確認しがたい鎖の環」(113)と考える。それは「いっさいの明晰な論理的、科学的理論構成――人間理性が明確に描き出した対称型――を上滑りで薄っぺら、空疎で『抽象的』、そして生きとし生けるものの記述、分析いずれの手段としてもまったく有効でないものにしてしまうような現実の見方」(113-4)である。

バーリンの豊かなロマン主義思想の学殖を思わせるこの反合理主義的・反科学主義的な「現実感覚」という概念は、バーリンの特徴的な概念のひとつと言われるが、(訳者の河合秀和が解説で述べるように)そこには歴史的な意味合いが濃厚に含まれている。そしてこの「現実感覚」は、思想史への関心が薄いイギリス哲学界にあって歴史への関心という点で突出し孤立気味だったバーリン自身の立ち位置をも説明しているように思われる。バーリンは別のところで次のように述べる。

思想史はイギリスの学界では流行していません。現実に私は、知的にはいくらか孤立するようになりました。思想史について話すことが出来た人、今でもできる人は多くはありません。イギリス人が大いに興味を持つような対象ではないのです。自分たちの思想は世界的に承認されており、したがってその思想史をわざわざ理解しなくてもよいと考えている国民には、おそらく関心がないのでしょう。(『ある思想史家の回想』138)

ホロコーストという想像を絶する災難を同時代的に目撃したユダヤ人として、またロシアという後発近代化国の出身者として、バーリンは(まさにトルストイやメーストルのように)熾烈な政治と歴史への関心を禁じえなかったのかもしれない。そして、そのような感覚は彼が住んでいたイギリスの人びととは大きく異なっていたのである。このようなバーリンの人と思想は、「近代」問題や政治的カタストロフィーがいかに歴史と深く密接に関わるかを示しているように思われる。言い換えれば、河合も指摘するが、いかに「観念」というものが、ときに危険でグロテスクな力をもつのか、肌身に染みて知っているのだろう。壮大な観念論体系に批判的なのはイギリス哲学も同じだが、バーリンが違うのは、だからこそ彼にとってはその「観念」を見過ごすことができなかったのだろう。イギリスの哲学者のように、ナンセンスとして一蹴するには、バーリンは余りにも彼らとは違う現実を見ていたのである。

先行する実在論を継承し体系的哲学を否定し多元論を主張したバーリンと哲学の体系性を否定しなかったコリングウッドの思想は一面で相反するが、ファシズムが台頭した1930年代にあって、イタリアの哲学者らと深い交流を結びながら、当時の英国哲学界にあって突出したファシズム批判をおこなったコリングッドとその政治・歴史への関心を考えるとき、彼の次世代のバーリンの思想がコリングウッドに反照するときに浮かび上がるものは、意外とあるかもしれない。

※『ハリネズミと狐』の引用は、河合秀和訳岩波文庫版から

古くて新しい観念論vs実在論?

2009-04-07 02:55:37 | 哲学・歴史・政治
オックスフォード、ロンドンへの旅行から帰ってから執筆に取り組んでいた章の第一稿が出来上がり、昨日ようやく指導教授に提出しました。1月から3月までの主要課題として取り組んでいたもので、オックスフォード・ロンドンでも時間を見つけては草稿のアウトラインを練っていた約12000語の章です。3月はWBCという強敵がいて、MLBのウェブサイトの有料ライブ中継(ヘビーなアメリカ英語実況つき)に登録してしまった私は、欧州の視聴者を全く考慮しないスケジュールのために(当然ですが)、ついつい日本戦を深夜に観戦するハメになり、生活リズムの維持に苦労しつつ、本当は先週末までに終了する予定が一週間余分にかかってしまいました(苦笑

内容は、PhD論文でカバーするコリングウッドの作品の時系列的には最後の期間1925-33を扱ったもので、特に彼の作品中でも最高度の洗練度との評価の高いAn Essay on Philosophical Method (EPM,1933)を中心に、1921,23も含めた1932,33年の道徳哲学講義と関連づけながら、彼の論理学・形而上学が道徳哲学にどのように論理的連関をもつのかについて描写しました。というのも、この時期は、1924年までの論理学・形而上学中心の彼の思考から大きく変わって、道徳・政治哲学的草稿が堰を切ったように溢れ出す時期で、論理学・形而上学基礎からどのように道徳・政治哲学を展開したかというつながりを考えるためには重要な期間だからです。じっさい、詳しく分析してみて分かってきたのは、やはりというべきか、彼の実在論批判は道徳・政治哲学的な性格を濃厚に帯びていることです。まだまだ推敲が必要ですが、とりあえずカバーする部分の時系列的分析はひと段落し、大きな節目になりました。これまでの時系列的分析を通して、コリングウッドの実在論批判がいかに彼の哲学全体の背骨的な位置を占めるのか、また彼の主な哲学的主張は実在論批判を無視してはあり得なさそうだということが見えてきました。にもかかわらずなぜか彼の実在論批判を徹底的に洗った論考はこれまで見当たらず、その意味で彼の哲学の新たな、しかも本質的な側面を、この実在論批判の分析によって導くことができればと思います。
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さて本題ですが、コリングウッドの実在論批判を読んでいて、考えさせられていることのひとつは、哲学史的に言うと、観念論vs実在論という伝統的な対立軸の現代的な意味です。コリングウッドが哲学形成をした20世紀前半の英国哲学界では、これまでも読書録などで書いてきたように、この対立軸はイギリス観念論(ブラッドリー、ボザンケら)vs分析哲学(ラッセル・ムーアら)という形で現れていました。コリングウッドはボサンケに学んだ父などの影響で観念論的な環境で育ち、学生時代に実在論者の教師のもとで実在論に通暁したうえで、その両者のいわば綜合(sythesis)を目指したわけですが、その彼の実在論批判は、現代の状況を考える上での示唆となりうるものを含んでいるという印象を強くしています。今回は、ちょっと話が大きくなりますが、タスクが一段落したあとのリフレッシュのつもりで、現代社会との関連で考えてみようと思います。

コリングウッドのEPMにおける実在論批判は、基本的にはラッセルやムーアらによる数学的・科学的方法論による哲学の改革運動への批判という性格を強く持っています。ラッセル・ムーアらのとりわけ初期の分析的哲学潮流では、その「分析」という名前が物語るように論理学の側面では命題論理を非常に重視しますが、コリングウッドは、この命題論理偏重は、ある哲学問題を考える上で、その命題上での判断の妥当性のみに関心が集中しがちであり、その命題の背後にある文脈、その命題に至ったプロセスなどが捨象されてしまうと批判しました。とりわけ人間の行為や思考などに関わる倫理や歴史などの問題について考えるときに大きな欠陥を孕んでいて、コリングウッドは分析的な枠組みでは大きな誤謬を犯す可能性を指摘しています。

この2009年という時代に生きつつ、そのような彼の実在論批判を読んでいて引っかかるものは、現代社会のあらゆるものを覆う実体からの乖離という現象です。その顕著な例は、金融危機の引き金となった(と言われる)アメリカでのサブプライム・ショックという現象です。私は経済学については素人ですが、報道で観たり読んだりする限りでは、投資の対象となっていた「金融商品」というものが、さまざまな債権を証券化したものの複合体で、そのなかにはじつは返済能力のない人の債権などリスクの高いものも含まれていたのですが、投資家は格付け会社が出す格付けだけをインデックスに売買をしていました。いざバブルがはじけて、自らが持つ金融商品に、具体的にどこの誰の何に対する債権が含まれているのかを分析して不良債権を処理する必要に迫られたとき、格付けだけをみて買っていたために、驚くべきことにそれが分からなくなっていたわけです。自分が投資する対象のリスク判断を、格付け会社のリストだけに依存し実際にそれが何なのかという実体に無関心なまま、多額の取引をしていたわけです。冷静に考えればそんな投資に乗るというのはかなり恐ろしいことです。このような実体からの乖離・抽象化が、バブルがはじけた後の混乱を助長したとはいえないでしょうか?

もっと卑近な例では、会社の業務におけるマニュアルなどはどうでしょうか。私たちの社会は、一面ではマニュアル化された社会で、一定の業務を誰もが同じように行なうことができるように、誰かが考えたマニュアルに沿って業務が遂行されることが多々あります。このマニュアルは、それまでの遂行履歴で遭遇したトラブル、顧客からのクレームなどが反映されつつ改訂を繰り返しつつ運用されているのでしょう。しかし、その改訂を行なうのは通常その業務に当たる人自身ではなく、マニュアル改訂担当者です。実際に行なわれる業務は形式的には顧客のクレームなどを反映した形になってはいますが、その遂行者自身は何を背景としてそのようなマニュアルになっているのか知らないわけです。このような状態に置かれた者の業務の質は、どこか形式的でよそよそしくなりはしないでしょうか?クレームをした顧客は本当に満足できるでしょうか?また、マニュアルの想定しない新しいトラブルに直面したときに、その遂行者は適切にその場で対処できるでしょうか?

コリングウッドが主張するのは、このような場合に、「金融商品」を構成する債権の内容を「具体的に」知るべきであり、マニュアルを形成する「プロセス」を自らが行うべきだということです。「金融商品」とか「マニュアル」という出来上がった「命題」だけを見ていては、問題の本質が分からない。この命題が形成されたプロセス・前提条件は命題の分析からは見えてこない。だからこそ、コリングウッドはこのプロセス・前提条件の探究を「歴史」と呼び重視したわけです。

ここで挙げた例は経済活動に関するものですが、人間の思考態度に関わるこのような傾向は、さまざまな局面でその顔をのぞかせているんじゃなかろうかと思うわけです。哲学への態度で大雑把にその違いを表現すれば、とりあえず哲学者の書いた本を字面どおり受け取って、それだけを基にして議論しようという態度と、いやいや、本当にその哲学者のいうことを理解しようとしたらその哲学者の生い立ち、その作品を書いた状況なども勘案して意味を解釈しないと駄目でしょう、という違いでしょうか。どちらをとるべきかはその本を読むときの目的にもよるので、単純にこういう二分法は成立しませんが、得てして前者への傾斜が強まっている今日の哲学も、コリングウッドの指摘にもう一度耳を傾ける必要が本当にないといえるのか、再検討されていいかも知れません。

そんなわけで、柄にもなく大風呂敷を広げてしまいましたが、近頃の社会の推移をみていると、コリングウッドの哲学がより分かりやすく理解できるような気がして、試しに書いてみました。

※写真は先週の土曜にフラットメイトとその友人に誘われてケンブリッジへ行ったときの写真です。午前3時半起き午前1時帰宅の強行軍でしたが、好天に恵まれ、タスクの節目にいい気分転換になりました。