最後に、リオの国際空港へ戻ってきました。
もうお馴染みですね、アントニオ・カルロス・ジョビン
空港。ターミナルから南の方へ目をやると、凹凸の激しい
山並みが続き、中ほどの山頂に小さくキリストの像が立ち
それに向かい合って屹立しているのがシュガーローフ(
写真左端)でした。
そのふもとに広がる人口1千万の街をいよいよ後にします。
たくさんの思い出を残して。
最後に、アントニオ・カルロス・ジョビンに、もう一度登場
していただきます。1987年ロスアンジェルスでの公演です。
ジョビンはヤマハ・ピアノに向かい、息子がギターを抱えて
います。ベース、チェロ、フルートがその2人を囲み、さらに
ステージの右側にコーラスの女性が5人並んでいる。
曲目は当然ボサノバの名曲ばかり。その音楽についてはもう
ここでは触れません。機会があったら、ご自分で耳を傾けて
みてください。
ただここで、僕は2つのことに注目しました。
演奏者たちのほとんどは、実はジョビン・ファミリーです。
甥や姪をかき集めてグループを作り上げたわけですが、惜しい
ことにその演奏は一流とは言いがたい。ボサノバの美しい
メロディ、巧妙な和音を生かすには少し技量が不足している、
これが正直な感想なのです。
ところが、当のジョビンはそれを全く意に介していないように、
楽しそうにピアノを弾き、歌い、指揮をとるのです。
僕はその様子を見ながら、音楽そのものよりも、音楽に酔う
演奏者たちの世界を楽しみました。少々コーラスが合わなくても
構いはしない、ジョビンは聴衆に対して、音楽そのものよりも、
むしろ音楽を通して仲間との交流を楽しむ「現在」という時間
を与えてくれているのではないか、そう思えてきました。
「大自然に耳を傾けてみるといい、サンバのリズムが聴こえる
だろう。鳥の声、風の音、繰り返す波、それがサンバのリズム」
と、かつてジョビンは言いました。サンバのリズムを感じるのは、
現在を生きているからです。
晩年のジョビンは言っていました、
「私が演奏してきたのはボサノバではない、サンバだ」
もう1つは、5人のコーラス女性です。
普通ならばステージ衣装で着飾るものですが、この女性たちは
全く思いおもいの化粧、自由な髪型、統一のない服装です。
まるで、イパネマの通りを歩く女性を勝手に引っ張ってきた、
そんな印象すら受けてしまうのです。
コーラスはと言えば、この5人がほぼ最初から最後まで
ユニゾン(和音コーラスでなく、全員が同じ旋律を歌うこと)
で歌い通すのですから、これは型破り。
型破りというよりは、はっきり言っていかにも素人コーラスで、
最初は口をアングリしたものです。が、社会に反抗しながら
自分の音楽を作り上げてきたジョビンのことです、ここにも
意図があるに違いない。僕はそう思う。
たとえば、ジョビンはコーラス女性に対して一言、「自分自身で
ありなさい」という指示を出したのではないか、と想像します。
その結果、自由気ままな女性が5人並びました。白い肌から
茶色の肌、浅い黒、また黒い目から青い目、黒い髪もいれば
ブロンドもいる、という具合です。
考えてみると、今までブラジルを歩き回ってきて気付いたことが、
ここにあります。ブラジルでは、様々な人種が交わりながら
発展してきました。そして現在、混血が混血を重ね、人種の坩堝
と言われています。
ステージに並ぶ5人の女性は、統一が取れていないように見え
ながら、しかし全員が同じ旋律を歌っている……、多様の中の
統一、これがブラジルです。そこにジョビンの隠された意図を
見るのは、穿ち過ぎた考えかもしれません。ただ、こうして
ブラジルの中を彷徨した経験から、僕はこう考えてみて
納得できるものがありました。
……リオデジャネイロの街は、去っていく旅行者の感傷などには
目もくれず、今日も熱く、大らかです。
さて、いよいよブラジルに別れを告げます。エキゾチックな、
大インフレに国民が喘いでいた、しかしサッカーに熱狂し、
サンバに踊り狂い、一方ではボサノバという洗練された感性
を併せもつ、僕たちがあまりに知ることの少なかった異国、
それがブラジルでした。そんな国の中を少しばかり覗くこと
ができたように思います。
このシリーズの初めに書きましたが、リオデジャネイロから
サンフランシスコ空港に戻った日、シャトルに乗り合わせた
アメリカ人が言った言葉、
「ブラジルは、子どもたちのスリに注意って言われるけど?」
さて、こういう人たちに向かって、僕はどう説明すればいいの
でしょう?本当は、こういう偏見に満ちた人に対してこそ、
ブラジルを歩き回った経験をたくさん語るべきなのだろうと
思います。
少しばかり想像力をたくましくして話を聞いてくれさえすれば、
自足した人々が朗らかに、自然と溶け合って生きている情景が
見えてくるに違いありません。
そういうところに興味が向いていくのが、相手を正しく理解
する道だろうと思うのです。
最後になりました。思い出の中を流れているメロディは、
『ジェット機のサンバ』。ジョビン・ファミリーが歌ってます。
ゆっくりと降りてくる飛行機を歌った曲ですが、今日は大空に
向かいながら聴くことになります。
リオデジャネイロ、またいつか戻ってきたい街です、その時
も、たくさんの話を語りかけてくれるでしょう。
長いこと話を読んでいただき、ありがとうございました。
もうお馴染みですね、アントニオ・カルロス・ジョビン
空港。ターミナルから南の方へ目をやると、凹凸の激しい
山並みが続き、中ほどの山頂に小さくキリストの像が立ち
それに向かい合って屹立しているのがシュガーローフ(
写真左端)でした。
そのふもとに広がる人口1千万の街をいよいよ後にします。
たくさんの思い出を残して。
最後に、アントニオ・カルロス・ジョビンに、もう一度登場
していただきます。1987年ロスアンジェルスでの公演です。
ジョビンはヤマハ・ピアノに向かい、息子がギターを抱えて
います。ベース、チェロ、フルートがその2人を囲み、さらに
ステージの右側にコーラスの女性が5人並んでいる。
曲目は当然ボサノバの名曲ばかり。その音楽についてはもう
ここでは触れません。機会があったら、ご自分で耳を傾けて
みてください。
ただここで、僕は2つのことに注目しました。
演奏者たちのほとんどは、実はジョビン・ファミリーです。
甥や姪をかき集めてグループを作り上げたわけですが、惜しい
ことにその演奏は一流とは言いがたい。ボサノバの美しい
メロディ、巧妙な和音を生かすには少し技量が不足している、
これが正直な感想なのです。
ところが、当のジョビンはそれを全く意に介していないように、
楽しそうにピアノを弾き、歌い、指揮をとるのです。
僕はその様子を見ながら、音楽そのものよりも、音楽に酔う
演奏者たちの世界を楽しみました。少々コーラスが合わなくても
構いはしない、ジョビンは聴衆に対して、音楽そのものよりも、
むしろ音楽を通して仲間との交流を楽しむ「現在」という時間
を与えてくれているのではないか、そう思えてきました。
「大自然に耳を傾けてみるといい、サンバのリズムが聴こえる
だろう。鳥の声、風の音、繰り返す波、それがサンバのリズム」
と、かつてジョビンは言いました。サンバのリズムを感じるのは、
現在を生きているからです。
晩年のジョビンは言っていました、
「私が演奏してきたのはボサノバではない、サンバだ」
もう1つは、5人のコーラス女性です。
普通ならばステージ衣装で着飾るものですが、この女性たちは
全く思いおもいの化粧、自由な髪型、統一のない服装です。
まるで、イパネマの通りを歩く女性を勝手に引っ張ってきた、
そんな印象すら受けてしまうのです。
コーラスはと言えば、この5人がほぼ最初から最後まで
ユニゾン(和音コーラスでなく、全員が同じ旋律を歌うこと)
で歌い通すのですから、これは型破り。
型破りというよりは、はっきり言っていかにも素人コーラスで、
最初は口をアングリしたものです。が、社会に反抗しながら
自分の音楽を作り上げてきたジョビンのことです、ここにも
意図があるに違いない。僕はそう思う。
たとえば、ジョビンはコーラス女性に対して一言、「自分自身で
ありなさい」という指示を出したのではないか、と想像します。
その結果、自由気ままな女性が5人並びました。白い肌から
茶色の肌、浅い黒、また黒い目から青い目、黒い髪もいれば
ブロンドもいる、という具合です。
考えてみると、今までブラジルを歩き回ってきて気付いたことが、
ここにあります。ブラジルでは、様々な人種が交わりながら
発展してきました。そして現在、混血が混血を重ね、人種の坩堝
と言われています。
ステージに並ぶ5人の女性は、統一が取れていないように見え
ながら、しかし全員が同じ旋律を歌っている……、多様の中の
統一、これがブラジルです。そこにジョビンの隠された意図を
見るのは、穿ち過ぎた考えかもしれません。ただ、こうして
ブラジルの中を彷徨した経験から、僕はこう考えてみて
納得できるものがありました。
……リオデジャネイロの街は、去っていく旅行者の感傷などには
目もくれず、今日も熱く、大らかです。
さて、いよいよブラジルに別れを告げます。エキゾチックな、
大インフレに国民が喘いでいた、しかしサッカーに熱狂し、
サンバに踊り狂い、一方ではボサノバという洗練された感性
を併せもつ、僕たちがあまりに知ることの少なかった異国、
それがブラジルでした。そんな国の中を少しばかり覗くこと
ができたように思います。
このシリーズの初めに書きましたが、リオデジャネイロから
サンフランシスコ空港に戻った日、シャトルに乗り合わせた
アメリカ人が言った言葉、
「ブラジルは、子どもたちのスリに注意って言われるけど?」
さて、こういう人たちに向かって、僕はどう説明すればいいの
でしょう?本当は、こういう偏見に満ちた人に対してこそ、
ブラジルを歩き回った経験をたくさん語るべきなのだろうと
思います。
少しばかり想像力をたくましくして話を聞いてくれさえすれば、
自足した人々が朗らかに、自然と溶け合って生きている情景が
見えてくるに違いありません。
そういうところに興味が向いていくのが、相手を正しく理解
する道だろうと思うのです。
最後になりました。思い出の中を流れているメロディは、
『ジェット機のサンバ』。ジョビン・ファミリーが歌ってます。
ゆっくりと降りてくる飛行機を歌った曲ですが、今日は大空に
向かいながら聴くことになります。
リオデジャネイロ、またいつか戻ってきたい街です、その時
も、たくさんの話を語りかけてくれるでしょう。
長いこと話を読んでいただき、ありがとうございました。