花耀亭日記

何でもありの気まぐれ日記

福岡市美術館 常設展。

2024-04-21 17:12:50 | 美術館

前回から間が空いてしまったが福岡旅行の続きをば

福岡市美術館の常設展示は充実していて、さすがだなぁ!と羨ましくなってしまった。下の写真はロビーに展示されていた前川國男設計福岡市美術館の建築模型だ。

さて、常設展で特に楽しみにしていたのは松永コレクションだった。中でも久々の仁清《吉野山図茶壷》に目が喜ぶ。(展覧会で何度か観ていた

野々村仁清《色絵吉野山図茶壷》(江戸時代 17世紀)

この《色絵吉野山図茶壷》はMOAの《色絵藤花文茶壷》、出光の《色絵罌粟文茶壺》、東博《色絵月梅図茶壷》と並ぶ私的お気に入りの仁清茶壷であり、今回も360度ぐるぐる回りながら吉野山に咲き誇る桜を堪能してしまった

松永耳庵は茶人コレクターとして有名だから、茶事のお茶碗や掛け軸等にも目が惹かれる。柿蔕茶碗 「白雨」はいびつな風情が面白かった。

《柿蔕茶碗 銘「白雨」》(朝鮮王朝時代 16-17世紀)

 

尾形乾山《花籠図》(江戸時代 18世紀)   《王子型水瓶》(奈良時代 8世紀)

展示されていたのは松永コレクションの極一部だろうが、耳庵の目利きぶりも見ることができたような気がする。(もちろん資力あってこそだとは思うが

で、近現代コレクションの展示も面白く、下↓写真作品は時局的に心に響くものがあった。作者のショニバレのルーツはナイジェリアであり、女性の頭は地球儀、そして、アフリカンプリントのドレスを纏う。

インカ・ショニバレCBE《桜を放つ女性》(2019年)

そして、福岡市美術館の近現代コレクションの中でもやはり特筆されるのはダリ《ポルト・リガトの聖母》だろう。撮影禁止なので写真は撮れなかったが、下記の福岡市美術館URLをご参照あれ。

https://www.fukuoka-art-museum.jp/collection_highlight/2657/

以前、上野での「ダリ展」にも出展されていた記憶がある。ダリのシュルレアリスムは綺想を裏打ちする超写実力なのだと思う。大画面を間近で観るとその写実力に驚かされる。絵肌の滑らかさはまるで画題から滲む不穏さを包み隠そうとしているようにも思えた。

ということで、福岡市美術館では展覧会&常設館をしっかりと堪能できたのだった


春爛漫。

2024-04-16 17:28:58 | Weblog

仙台も春爛漫で、満開だった桜の花びらが風に散る頃となった。すぐに新緑の季節に変わりそうだ。

今年の春は身体の各所に不調を抱えてしまい、ちょっと鬱っぽくなりがちなのだが、それでも咲き誇る花々を眺めていると晴れやかな気持ちになるのが不思議

近所の公園の桜🌸。

枝垂桜も咲いた。

地下鉄勾当台公園駅の入口で咲き誇っていた紫木蓮。

ブログもすっかりサボっていたけれど、頑張らなくちゃね


福岡市美術館「永遠のローマ展」サクッと感想(3)

2024-03-20 19:59:36 | 展覧会

絵画コレクションでは、他に興味深い作品に目を止めてしまった。なにしろ「パルマで活動したフランドルの画家(16世紀後半)とある。

パルマで活動したフランドルの画家(16世紀後半)《洗礼者聖ヨハネ》(16世紀末)

特に眼を惹くのは聖ヨハネが紅緞子(?)を敷いていることで、その描写も含めて、ああ...フランドルだなぁと頷いてしまう。聖ヨハネの造形やポーズについてはパルミジャーニーノの影響は納得だが、やはりクリクリ巻き毛や斜め対角線構図などに、私的にパルマと言えばコレッジョからの影響も想起してしまうのであった

ちなみに、パルマ公オッターヴィオの妃マルゲリータ(1522-86年)はハプスブルグ家カール5世(カルロス1世)の庶子(フランドル育ち)であり、スペイン領ネーデルラント総督(1559-1567年)も務めた。後に息子のパルマ公アレッサンドロもネーデルラント総督を務めた(1578年 - 1586年)ので、パルマ公国領でフランドル画家が活動するのはとても了解できるのだ。

で、教皇ウルバヌス8世の肖像である。

ピエトロ・ダ・コルトーナ《教皇ウルバヌス8世の肖像》(1624-27年頃)

パラッツォ・バルベリーニにはコルトーナの描いた有名な天井画がある。なので、コルトーナがマッフェオ・バルベリーニの肖像を描いたのは当然だろう。左手に手紙(書類?)を持つところなんてカラヴァッジョ作品を想起させるけど、きっと教皇はこのポーズがお気に入りだったのかも

この作品でやはり目を惹かれるのはゴージャスなレースの描写で、もしかしてウルバヌス8世はレース好き(お洒落?)だったのかも?と思ってしまったのだ。

というのも、同じカピトリーノ美術館にある《教皇ウルバヌス8世の彫像》を想起したからである。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ《教皇ウルバヌス8世の彫像》(1635-40年)カピトリーノ美術館

ベルニーニもレースを描写しているのだよね。まぁ、ベルニーニとしては硬い表現だけど、こちらもレースの波うち具合とか頑張っているなぁと思ったのだ

ということで、サクッと感想はここまでで...。


福岡市美術館「永遠のローマ展」サクッと感想(2)

2024-03-04 22:24:53 | 展覧会

さて、まさかのカラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》来日である。福岡だけの展示というのは狙ったものなのだろうか? まぁ、カラヴァッジョ好きは遠路遥々でも観に行くしね。ということで、《洗礼者聖ヨハネ》久々の再会を果たしたのだった。眼福

で、嬉しいことに、展覧会場は一部を除き写真撮影が可であり、《洗礼者聖ヨハネ》のクリアな写真も撮ることができた

カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》(1602-03年)カピトリーノ美術館

チリアコ・マッティのために描かれた作品にはカラヴァッジョの瑞々しい勢いを感じる。子羊(?)を抱く聖ヨハネは屈託のなさそうなポーズをとり、観者に向かって微笑んでいるように見える。

ミケランジェロのシスティーナ天井画《イニューディ》からのポーズ引用が指摘されている。ベルリンの《勝ち誇るアモル》もだが、ポーズ引用だけではなく両者がチェッコ・デル・カラヴァッジョがモデルとされている点でも共通しているのが興味深い。

ちなみに、2006年のデュッセルドルフ「CARAVAGGIO ―Auf den Spuren eines Genies 」展では、この《洗礼者聖ヨハネ》とベルリンの《勝ち誇るアモル》が向かい合うように展示されていた

※ご参考:https://blog.goo.ne.jp/kal1123/e/81aae4cc18103fa9b365a27d750b80ac

さて、この《洗礼者聖ヨハネ》には《笑うイサク》説がある。通常描かれる洗礼者聖ヨハネの持物の欠如とともに、抱き寄せているのが子羊ではなく角のある雄羊であることもその一因で、更に大元の根拠として、左下部に描かれているのが赤い炎でありアブラハムの燔祭(イサクの犠牲)の残り火であるとの説である。故に、寸でのところで命拾いをしたイサクが喜んで笑っていると...

今回の会場照明はしっかり観察できる明るさがあったので、接近して写真も撮った。遠目には赤布がはみ出したのか?とも見えるのだが、じっくり見るとそうではなく、石か薪を描いた上から赤が塗られているのだ。それが「炎」だと言われれば確かにそう見えるのが不思議である。

美術ド素人の私的見解を言えば(「The Burlington Magazine」掲載論考を読んで以来だが)、案外《笑うイサク》説も妥当なように思えるのだ。カラヴァッジョの人を煙に巻くscherzoのような気がするしね

で、下↓写真はカラヴァッジョによるレプリカ《洗礼者聖ヨハネ》(ドーリア・パンフィーリ美術館・所蔵)である。

カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》(1602-03年)ドーリア・パンフィーリ美術館

興味深いことに、ドーリア・パンフィーリ作品の左下部分には赤い炎が見えない。でもね、このレプリカ作品も本当に眼を喜ばせてくれる良い作品なのだよ

ということで、続く...。


桃の節句。

2024-03-03 11:10:33 | Weblog

今日は3月3日で雛祭り=桃の節句。お雛様は飾らないが、せめて節句らしく桃の花を飾ってみた。

仙台はまだまだ寒いが、桃の花を眺めていると、なにやら春めいた気分になる。

ということで、ついでに桜餅も食べて春気分を盛り上げたのだった

 


カラヴァッジョ《キリストの笞打ち》ドンナレジーナ(ナポリ)で特別展示。

2024-03-01 14:40:32 | 展覧会

ボローニャのFさんから展覧会情報を頂いた(Grazie!!>Fさん)

ルーヴル美術館に貸与されていたカラヴァッジョ《キリストの笞打ち》がナポリに戻ってきた。しかし、今回展示されるのはカポディモンテ美術館ではなく、ドンナレジーナ教区博物館(ドンナレジーナ・ヴェッキア)なので、ナポリに観に行く方は要注意だ。(ピオ・モンテ・ミゼリコルディアの近くでもある)

https://www.youtube.com/watch?v=kJbSBDY8rcQ

・会期:2024 年 2 月 28 日(水)~ 年5 月 31 日(金)

・会場:ドンナレジーナ教区博物館(Complesso Monumentale Donnaregina - Museo Diocesano Napoli)

カラヴァッジョ《キリストの笞打ち》(1607-08年)カポディモンテ美術館

《キリストの笞打ち》は元々サン・ドメニコ・マッジョーレ教会のフランキス礼拝堂のために描かれた祭壇画であり、1980年以降はカポディモンテ美術館に所蔵されるようになった。

カポディモンテ美術館では暗い特別室に照明効果を加えた展示をしているが、今回のドンナレジーナでの展示は(動画を見る限り)細部まで観察するのに適しているように思える。


福岡市美術館「永遠のローマ展」サクッと感想(1)

2024-02-26 23:17:19 | 展覧会

福岡市美術館「永遠のローマ展」を観た感想をサクッと書きたい。

https://roma2023-24.jp/

ローマのカンピドリオの丘に建つカピトリーノ美術館(I Musei Capitorini)には多分3回ほど観に行っていると思う。いつも彫刻部門は駆け足で、絵画部門はじっくりと、というパターンだったので、今回は彫刻部門もちゃんと観ようと思ったら、レプリカが意外に多くてちょっとがっかりだった

上↑写真は昔撮ったオリジナルの《カピトリーノの牝狼》。現在のカピトリーノでは《マルクス・アウレリウス騎馬像》と同じ大展示室に置かれているようだ。今回の展覧会でも章立てが、「Ⅰ ローマ建国神話の創造」「Ⅱ 古代ローマ帝国の栄光」と続くのと同じで、古代ローマの栄光に郷愁を感じているのかも?

で、この建国神話の章で私的に興味深かったのは、牝狼と双子が描かれた《ボルセナの鏡》だった。

《ボルセナの鏡》(前4世紀)カピトリーノ美術館

実は、ヴィラ・ジュリア-国立エトルリア博物館で観た鏡を想起したのだ。

写真↑は撮ったが、残念ながら正式な名称や年代は記憶していない。多分、古代ローマとエトルリアが(戦いながら)併存していた時代の鏡だと思われる。ローマの鏡は台座置き用で、エトルリアの鏡は手持ち用なのだろう。後にエトルリアはローマの支配下に入るが、交易や文化的な共通点も意外に多かったのかもしれないと想像してしまった。

「Ⅲ 美術館の誕生からミケランジェロによる広場構想」では、もちろんミケランジェロの広場設計が素晴らしいのだけれど、美術館誕生が教皇クレメンス12世の肝いりだったと初めて知ってしまった。ちなみに、この展覧会は実質的に「カピトリーノ美術館展」だしね。

ということで、駆け足ごめんで、次回は「Ⅳ 絵画コレクション」!!


初めての福岡(1)

2024-02-24 00:00:09 | 国内旅行

福岡に一泊二日で行ってきた。もちろん、お目当ては福岡市美術館「永遠の都 ローマ展」であったが、更に、事前にゲストの山科さんから九州国立博物館「長沢芦雪」展チケット、及び、福岡&大宰府情報を頂いていたので、しっかり楽しむことができた。(山科さんに感謝!!)

仙台空港から朝一便のANA&IBEX便機(CRJ700)で福岡へ。上空から見た福岡は仙台よりずっと大都会だと思った。

ちなみに、福岡空港に着いたら最初に聞こえてきたのは韓国語で、福岡市内でも大宰府でも韓国人観光客の多さには驚いてしまった。地理的に見ても近いしね。

予約したホテルはJR博多駅のすぐ近くで、地下鉄空港線で2駅という近さは非常に便利。ホテルに荷物を預けた後は、早速福岡市美術館に向かう。再び空港線に乗って大濠公園へ。

福岡市美術館の建物はなんだか既視感があって、それもそのはず、前川國男設計なのね。私的に東京都美術館と宮城県美術館の両方の面影を感じてしまったのだわ

朝食抜きで福岡に来たので、「ローマ展」を観る前にまずは腹ごしらえということで、山科さんお薦めでもある館内のレストラン「プルヌス」で朝食兼昼食を。窓からの大濠公園の眺めも食事も本当に楽しめました

https://www.kys-newotani.co.jp/hakata/restaurant/museum-restaurant/

ちなみに、大濠公園は中国杭州の西湖をモチーフにしているそうで、向こう岸の白い橋など見ていると、なんとなくそんな気もしてくる広い公園だった。

ちなみに、福岡市美術館「ローマ展」(カラヴァッジョ♪)及び常設展(見応えあり!)の感想は別途書く予定なので、ここでは飛ばしてしまいます

ということで、福岡市美術館で展覧会&常設展をしっかり観た後は近くの「鴻臚館」(遺跡)を訪ねた。閉館時間ぎりぎりで滑り込みセーフ

https://fukuokajyo.com/kourokan/

博多港が昔から大陸や半島との交易拠点だったことがよくわかり、国際的な街並みを形成していたのだろうなぁと想いを馳せてしまった。ちなみに、当時の「鴻臚館」は海に面していたようだが、現在の地形から見ると大分埋め立てされたのだろうね?

「鴻臚館」を出た後は福岡城址に向かった。

https://fukuokajyo.com/about/

天守閣跡は残念ながら工事中で立ち入り禁止になっていたが、それでも歳を顧みず大きな石段をよじ登って近くまで行ったのだった。途中で韓国人青年2人組に「潮見櫓」の場所を(韓国語&スマホで)尋ねられたのだが、残念ながら仙台から来たばかりの観光客なのでわかるはずもありませんってば。その後城址内を散策していたら私も見つけましたけどね。下↓写真は下から見た眺め。

ということで、第一日目は展覧会&常設展の立ちっぱなし鑑賞と福岡城址散策ですっかり疲れ果てたし陽も暮れてきたので、チェックインのためホテルに戻ることにしたのだった。


東京国立博物館「本阿弥光悦の大宇宙」展 サクッと感想(2)

2024-02-12 21:35:09 | 展覧会

展覧会の第2章は「謡本と光悦蒔絵」であった。

所謂「嵯峨本」や「光悦蒔絵」における光悦の関与については定かではないらしい。しかし、多分、光悦風な斬新で雅な謡本や蒔絵が当時の人々の目を惹き、魅了したことは確かな気がする。

下↓は唐草模様の端正な美しさに魅了されてしまう《花唐草文螺鈿経箱》。「経箱」ながら漆黒に螺鈿草文の麗しさが際立つ。

本阿弥光悦《花唐草文螺鈿経箱》(江戸時代 17世紀)本法寺

しかし、光悦の蒔絵と言ったら、やはり展覧会オープニングを飾る《舟橋蒔絵硯箱》が素晴らしい!!

本阿弥光悦《舟橋蒔絵硯箱》(江戸時代 17世紀)東京国立博物館

美術ど素人の感想ではあるが、光悦の《舟橋蒔絵硯箱》を観ていると、高台寺蒔絵とは異なる系譜がここから始まるような気がするのだ。

下↓2作品はいわゆる「光悦蒔絵」。

《舞楽蒔絵硯箱》(江戸時代 17世紀)東京国立博物館

《子日蒔絵棚》(江戸時代 17世紀)東京国立博物館

後の尾形光琳(1658-1716年)、小川破笠(1663-1747年)や原羊遊斎(1769-1846年)の源流に本阿弥光悦の存在があるのだなぁと、(勝手に)しみじみ了解できたのだった。

さて、第2会場に移って、第3章は「光悦の筆線と字姿」だった。

恥ずかしながら私は書がよくわからないのだが(汗)、光悦の書は墨筆線にリズムがあり、その強弱がデザイン的で目に心地よい。

特に、俵屋宗達の下絵に墨蹟が躍る《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》なんて、きゃ~っである。鶴の動きと書のリズムに目がシンクロで喜んでしまうのでしたわ

本阿弥光悦 筆・俵屋宗達 下絵《鶴下絵三十六歌仙和歌巻》(江戸時代 17世紀)京都国立博物館

https://www.kyohaku.go.jp/jp/collection/meihin/kinsei/item02/

※ご参考:びじゅチューン!「鶴下ウェイ」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=zV1gwR-x52s

ということで、超サクッと感想ですみませぬ(汗)。次回は「光悦茶碗」!


東京国立博物館「本阿弥光悦の大宇宙」展 サクッと感想(1)

2024-02-04 21:08:16 | 展覧会

東京国立博物館「本阿弥光悦の大宇宙」展を観た感想を サクッと書きたい。いやぁ、私的に本当に面白かったのだ

公式サイト:https://koetsu2024.jp/

作品リスト:https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2617

オープニングは上↑ポスターでもわかるように《舟橋蒔絵硯箱》だった。本阿弥光悦の斬新な意匠と造形に改めて時代を超越する美の力を感じる。アーテイストとしても凄いし、プロデューサーとしても素晴らしいし、展覧会では多才な本阿弥光悦(1558-1637年)の世界を堪能させてもらった。

 「光悦」印(木製)(年代不詳)

今回、展示の本阿弥家「家系図」を見ると京都の上層町衆が繋がっていて、俵屋宗達とが義兄弟だったり(?)、雁金屋や楽家とも縁戚関係だったり、法華宗を信仰する一族集団(職能集団)を形成していたのが面白い。本阿弥宗家についても、分家の光悦自身についても、初めて知ることが多く勉強になった。

それに、本阿弥家の家職が刀剣類を研いだり鑑定したりする仕事だとは漠然と知ってはいたのだが、「折紙」付きの意味を初めて知り、本阿弥家の鑑定書の威力が如何に大きかったのか、ちょっと驚くほどだった

下↓は「折紙」の裏に捺印した本阿弥宗家の「本」の印影と銅印である。

 

本阿弥本家「本」印影と銅印(安土桃山時代 16世紀)

やはり刀剣類を扱っているので、光悦もさすがに素晴らしい短刀(腰刀)を所持していたようだ。

(上)志津兼氏《 短刀 銘 兼氏(金象嵌 花形見)》(鎌倉~南北朝 14世紀)

(下)《刻鞘変り忍ぶ草 蒔絵合口腰刀》(江戸時代 17世紀)

腰刀は朱塗りに金の蒔絵の忍ぶ草が繊細に施されており、見た目には朱色と言うよりも金色に輝いていた。雅な趣とともに光悦の美意識が偲ばれる《忍ぶ草》でもあった。

図録に「「花形見」の意味」についての佐藤寛介氏の短い論考があった。謡曲の「花筐」は「日本書紀」の継体天皇に取材した狂女ものであり、テーマは想いの成就にあるという。佐藤氏は...

「短刀花形見が謡曲花筐に由来するものならば、それを所持していることで想いがいつか成就することを意味しているのではなだろうか。....傍系の息子が皇位を継承したように、分家の出身であっても本家を継ぐことができるという、心の内の秘めた想いが短刀花形見には込められているように感じられるのである。」(「図録」 P46)

確かに分家の光悦の多才さは本阿弥一門の中でも群を抜いていただろうし、そのような「想い」を持っていたとしてもおかしくないと思う。

しかしながら、腰刀の短刀においては、光悦の義兄弟でもある本阿弥宗家第九代光徳(1556~1619年)が所持していた短刀《銘 備州長船住長重 甲戌》の方が波紋の鮮烈さにおいて、凄い! と思った。本阿弥宗家の実力を見たような気がしたのだ。

長船長重《短刀 銘 備州長船住長重 甲戌》(南北朝 建武元年(1334年))

(次回に続く