幹事クリタのコーカイブログ

テニスをはじめあれこれ好き勝手書いています。「幹事クリタのコーカイ日誌」のブログ版です。

小石河陽子のズレ方

2024-04-30 23:43:09 | 政治
 今朝のテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」で「ポスト岸田」についてテレビ朝日官邸キャップの千々岩森生が「小石河陽子」(小泉進次郎、石破茂、河野太郎、上川陽子)だと名前を挙げたところで、羽鳥がゲストの泉房穂に意見を振ったところ、泉が「テレビ局がすぐにそういうことを言うから国民が勘違いする」「国民が望んでいるのは政権存続じゃなくて政権交代」「ポスト岸田ではなくポスト古い政治」「国民世論とテレビ局がズレている」とテレビ局の報道姿勢を批判しました。

 泉の言うことももっともで、自民党が圧倒的に他党に比べて支持率が高いとは言え、よく言われるように自公合わせても「4割与党」であり、野党が連合できれば過半数を制し政権交代は可能です。全ての国民が政権交代を望んでいるわけではありませんが、現状の与党の支持率を考えれば少なくとも半数の国民は政権交代を望んでいると考えても無理はありません。それなのに、テレビ局が自民党が政権を維持し続けることを前提として「ポスト岸田」を報道するのは、視聴者に対するミスリードだという泉の主張は一理あります。

 今回の3補選の結果からマスコミが国民の声として拾い上げて考察すべきは「ポスト岸田」ではなく「政権交代」についてであるというのは僕も同感ですから、ここで「小石河陽子」などと言ってレース仕立てで面白がっているようでは、ジャーナリズムとして程度が低いと言わざるを得ません。もちろん「モーニングショー」は硬派そうに見えても報道番組ではなく所詮は「情報バラエティ」ですから、現状では可能性が低い政権交代について正面から論じるよりも、次の首相レースを占う方が視聴率を稼げるし面白くできるというディレクター判断もわからないではありませんが、どこかに政権に対する忖度も残っているのかなと感じてしまいます。

 「マスゴミ」というネットスラングは使いたくありませんが、「安部一強」政治も終わったのですから、もっと権力に対してしっかり対峙していく姿勢をテレビ局には望みたいです。政治権力の不正や腐敗をチェックし追求するのがマスコミの大事な役割ですし、実際に今の自民党はタガが緩みまくって不正と腐敗のオンパレードなのですから。
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3補選で沈んだ人たち

2024-04-29 23:57:15 | 政治
 衆院東京15区、島根1区、長崎3区の3補欠選挙が行われて3選挙区とも立憲民主党が勝利しました。とは言え、東京と長崎は自民党が候補を立てず「不戦勝」だったのですが、それでも保守王国の島根で自民党との一騎打ちに大差をつけて圧勝しましたし、東京や長崎でも立憲を執拗に攻撃し続ける維新を圧倒して、野党第一党の面目を保ちました。これは共産党との選挙協力が有効だったことの証明でもあり、政権交代を本気で狙うなら野党統一候補を立てられれば、かなりの確率で政権交代はできるのではないかと思わせる結果でした。

 今回の選挙では立憲がどうこうよりも、負けて大きく評価を落とした人たちの方が目立ちます。まず筆頭は岸田首相でしょう。「選挙の顔」として役に立たないどころか足を引っ張る存在であることが証明されてしまいました。求心力の低下に伴い9月の自民党総裁選を睨んで今後は一気に政局が荒れることが予想されます。 同じく小池都知事も危ないです。自分が引っ張り出した乙武洋匡は何と5位と惨敗してしまいました。本人の学歴詐称問題も再燃していて、とても国政復帰どころではありません。都知事選もどうなることやらです。

 立憲と共産党を激しく叩き続けた維新の馬場代表も酷いものです。今回「第2自民党」として保守票の受け皿になれませんでした。ああいう強い物言いが大阪では受けたのかも知れませんが、大阪以外では単に「下品」なだけです。馬場が代表である限り野党統一候補は難しいでしょうが、このままでは維新は大阪以外では退潮を続けるのではないかと思いますし、万博の不手際で大阪でもそろそろ流れが変わっても良いような気がします。そして連合の芳野会長。彼女も維新と同じで共産党が大嫌いで、労組の代表でありながら自民党にすり寄り続けていますが、今回の選挙結果をどう受け止めたのでしょう。芳野を会長から降ろせという声は連合内でないのか気になります。

 今回の補選で一番驚いたのは東京の2位に須藤元気が入ったことです。組織票もなく自転車で選挙区を回り続けて、マスコミからはほぼ泡沫候補的な扱いまでされていたのに2位。もちろん落選であるという結果だけ見れば須藤以下の維新や日本保守党や都民ファーストと同じなのですが、彼らを票数で上回ったということで、より右寄りの傾向を示す保守を標榜する最近の政党への警戒感が窺えます。日頃はおとなしい中道リベラルを支持する穏健保守の人たちが今回動いたのではないかと見ています。

 この補選の結果が自民党の裏金問題に対する一時的な突風なのか、それとも次の総選挙に向けてますます風が強まるばかりなのかはわかりませんが、少なくとも自民党の内部で「このままではダメだ」と思う人が増えるだけでも効果はあったと思います。政権交代を望む望まないはともかく、今の自民党にもう少しちゃんとして欲しいという気持ちは多くの国民の共通する声だと実感できる選挙結果でした。
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札幌五輪と笠谷幸生

2024-04-28 22:58:40 | スポーツ
 笠谷幸生が亡くなりました。1972年札幌冬季五輪で「日の丸飛行隊」のエースとして70m級ジャンプで金メダル。一躍日本中が知る有名人になりました。当時の小学生男子はみんなベルトを後ろから友達に持ってもらって笠谷の飛行姿勢の真似をしたものです。あの頃の笠谷は今の大谷翔平並みのスーパースターでした。また笠谷の活躍があったから、その後の日本のスキージャンプがお家芸に成長したわけで、八木弘和、原田雅彦、船木和喜、葛西紀明、小林陵侑、高梨沙羅らがメダリストになったのも全て笠谷がいたからこそと言っていいでしょう。

 札幌冬季五輪はこれまでの多くのオリンピックの中でも個人的にはかなり思い出深い大会です。小学校5年生の冬で、初めてたっぷりとテレビで観戦したオリンピックでした。もちろん授業中に行われていた競技も多かったのですが、当時の小学校では日本選手が活躍しそうな競技が行われる時には授業中でも教室のテレビで見せてくれました。冬季五輪自体が物珍しく、バイアスロンとかボブスレーとかリュージュとか初めてその存在を知りましたし、ジャンプやアルペンの中継だって多分ほぼ初めて見たのではないかと思います。

 何と言ってもスターは女子フィギュアスケートのジャネット・リンで「尻もちついたのに銅メダル」というエピソードも日本中が知っていました。またトワ・エ・モワが歌うテーマソング『虹と雪のバラード』は授業でも教えられたくらい誰もが知っている名曲でした。1964年の東京五輪から70年大阪万博を経て、72年札幌五輪までの9年間は日本国民が一番幸せで未来にまっすぐに夢を抱いていた時代だったのではないかと思います。笠谷幸生はその幸せの時代のシンボルの一人でした。ご冥福をお祈りいたします。
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脱力がうまくできない

2024-04-27 23:59:24 | テニス
 今日の山本麻友美プロレッスン会ではセカンドサーブで打つスピンサーブをレッスンしてもらいました。サーブを打つ時に足を揃えないで打つフォームに変えてから、そこそこ調子は良いのですが、セカンドサーブではもっと回転をかけられるのではないかと思ってプロに相談したところ、だったらスピンサーブが良いのではないかという話になりました。

 これまで長いテニス人生の中で何回もスピンサーブには挑戦してきたのですが、なかなかモノにはなっていません。やはり縦回転をかけるために振り上げると腰を痛めるという思い込みがあり、つい腰の負担が少ないスライスサーブ寄りになってしまうからです。改めて今日もプロに上に振り抜く形を丁寧に教えてもらったのですが、どうも上ではなく前に振ってしまう癖が抜けないようです。前に振ればそれだけボールに厚く当たるので回転よりもスピードが出てしまいます。

 さらに今日もうひとつ指摘されたのが腕に力が入っているということ。脱力が全然できていないのです。そのために振り抜きが悪くなっていて、サーブを打った後も、そのまま下までキレイに振り抜けずに途中で止まってしまっています。本来ならヒットした後は力が抜けていれば下に振り抜けるはずだということでした。力を入れるのは振り上げる時で、それもグリップをギュッと握り込んでいくように力を入れれば良いので、腕全体で力んでしまうとラケットのスイングスピードが上がらないそうです。

 理屈ではわかるのですが、実際やってみるとこの適度な脱力の難しいこと。うまく力を抜かないとラケットヘッドが走らないのですが、どうしても力んでしまいます。今までよりはサーブが良くなったことは打っていてもわかりますが、さらなるレベルアップを目指すなら、なによりも脱力をいかにするかが課題だなと思いました。
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J-POPのルーツ

2024-04-26 23:20:15 | 音楽
 僕がひそかに愛している番組にNHK-BSで放送されている『歌える!J-POP黄金のベストアルバム30M』という音楽番組があります。タイトル通り30分で懐かしいJ-POPを紹介していく番組ですが、昨日の放送はゲストに京本政樹を迎えて1970年代のJ-POPのルーツを探る内容でした。京本政樹は僕より2歳年上の65歳。世代が近いだけに聴いていた音楽も近いというだけではなく、昨日の話からすると分析的に音楽を聴いていたという性向も似ていてかなり親近感を抱きました。

 昨日はまず沢田研二の『TOKIO』からスタート。歌謡曲からJ-POPへと進化していく過程でジュリーが果たした役割の大きさが語られます。そして次にジュリーと同世代の布施明『シクラメンのかほり』。それまで平尾昌晃メロディーを歌っていた歌謡曲代表の布施明が、シンガーソングライター小椋佳の楽曲を歌って大ヒットを飛ばすことで、一気に歌謡界のムーブメントが変わりました。そして小椋佳『さらば青春』をはさみ、次に太田裕美『ドール』。こちらは松本隆作詞、筒美京平作曲のゴールデンコンビの作品。J-POPを語る上でこのコンビの存在も触れないわけにはいきません。

 ここまで見ていた僕は「J-POPならユーミンはどうした?」と思っていたら、なんと次の曲が石川ひとみ『まちぶせ』でした。荒井由実が三木聖子に提供し、5年後に石川ひとみがカバーしてヒットした曲。ユーミンが歌謡曲に大きな変革をもたらした最初のきっかけとなった曲として『まちぶせ』を取り上げるのは正しい判断です。

 1970年代後半から1980年代初頭にかけて、日本の歌謡曲はロックやフォークをどんどん取り込んでJ-POPへと進化を遂げたわけですが、それを職業作家とシンガーソングライターそれぞれの代表的な作家が提供した楽曲で端的に切り取って見せた見事な構成でした。中でも『ドール』の選曲は唸りました。どうしても松本筒美太田なら『木綿のハンカチーフ』にしたくなるところですが、よりアイドル的な楽曲を選ぶところが憎いです。昨日の放送は神回でした。
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