まだありますんです。サンクリストバルネタ
このサンクリストバルがあるチアパス州は先住民人口がメキシコで一番多いと申しましたが、それゆえ「貧しい」ところでもあるわけです。(メキシコ社会の構図として先住民の人たちは抑圧されてきたということ)
その貧困と差別という状況を打開するために発足したEZLN(サパティスタ民族解放軍)という先住民による武装集団が存在します。
(詳しくは「サパティスタ」で検索かけてみてください。いろいろ出て来ますので・・・HPもアリ)
1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)発効を機に武装蜂起しましたが、それに対しメキシコ政府は武力鎮圧に出てたくさんの犠牲者が出ました。
それを受けてEZLNは対話路線に変更。その姿勢が世界でも評価を受けているそうです。
と、わたくしもこの程度の知識しか持ち合わせておりませんでしたが、サンクリストバルの近郊にはこのサパティスタの拠点があるということでもし行けるなら行ってみたいんやけどなぁ・・・
なんて思いながらサンクリストバルに着いた日、バスターミナルにほど近いツアー会社に「サパティスタツアー」の張り紙発見!
先日紹介した「サンフアンチャムラ&シナカンタンツアー」はどのツアー会社でもやってますが、この「サパティスタツアー」やってるところはなかなか他で見つかりません。
で、早速その内容、値段なんかを聞いて、毎日そのツアーをやってることを確認。
とりあえずは、チャムラ&シナカンタンに行ってから。と中尾彬のツアーから帰って来たその足でサパティスタツアー申し込みに!
が、もう閉店の時間をむかえた店のお姉ちゃんは「あらー残念!明日はこのツアーないのよ」・・・ガーン
なんでーっ!毎日あるって言うたやーん!
明日のこのツアーに行きたい人が一人もいなかったかららしい・・・
その次の日はあるよ、と言われたがその日わしはオアハカに移動する日なのだーーー
ガツカリしたわたしを見かねたお姉ちゃんが、「もしかしたら明日誰か他のお客さんが来るかもしれんから9時にまたきてみて」って。
翌朝、果たして行けるんかなぁどうなんかなぁ・・・と思いながらツアー会社を尋ねると、「あら!ホントに行きたいのね~」みたいな感じでよっしゃまかしとき!と昨日のお姉ちゃんがあちこちに電話をかけ始めます。
たぶんよそのツアー会社にサパティスタツアーに行きたい客はおらんか~?とあたっているのでしょう。
しかしなかなかいい返事はなく、もう10時前。
あぁ・・・今回は縁がなかったということかな。
サパティスタのこともちゃんと勉強してないし、今行ったら失礼にあたるかも・・・
などなど考え
「今回はあきらめて、またいつか来ます・・・!」
と意を決してお姉ちゃんに言うたら「あと10分待って!」
う~ん・・・ここまで待ったからあと10分ぐらい待ってみるかぁ。
そ・し・た・ら・・・
「よかったねー!行けるよ!他のお客さん一人見つかった!」
おぉ・・・
なんかしらんけど、よかった!
お姉ちゃん、そんな必至に探してくれてありがとー!(商売の為でしょうけど・・・)
そして、あのタクシーよ!と言われて乗り込むと、およ!日本人のお姉さんが乗ってらっしゃる!
意外にも「もう一人のお客さん」というのが日本人女性だったということにちょっとビックリ。
その上、同乗してきたガイドのおばちゃんはツアー会社のお姉ちゃんのお母さんだった!
最後は母ちゃん頼みだったのね
いや~どーも初めまして~!なんて自己紹介しながらタクシーは山道を進みます。
このお姉さんY子さんは、グアテマラの織物などを研究してらっしゃるそうで、その一環として今回はサンクリストバルに調査に来たということです。
いろいろと興味深いお話なんかを聞きながら道中楽しく過ごしておりますと、おばちゃんの「ほらほら!このへんからサパティスタの自治区に入るよ~」との声が。
↑「あなたはサパティスタのテリトリーにいます」の看板
今回はいくつかあるサパティスタの拠点(”corazon=心臓”と呼ばれている)のうちの一つ、オベンティックを訪ねます。
で、その入り口に到着するとゲートがあって、上の看板の絵にあるようにバンダナでマスクをした女の人(でも民族衣装を着ている)や目出し帽をかぶった男の人が番をしている!
おぉおおおぉぉ・・・写真で見たけどホンマにこうやって活動してはるんや・・・
ちょ、ちょっと物々しいなぁ・・・
そしてまずは入り口脇の検問所みたいな小屋に行って、入場許可を得ないといけません。
目出し帽の男の人2人に「名前は?」「どこから来ましたか?」「仕事は?」「旅行者ですか?」などと質問されます。(すべて記録してはりました。)
全然高圧的な印象は受けなくて、どちらかと言うと友好的な感じを受けましたが、いかんせん「目出し帽」なだけにちょっと緊張いたします。
そしてパスポートもチェックし、滞在予定時間を告げた後晴れて見学許可!ホッ
彼等はメキシコ政府の元を離れ、自治を行っています。
そして、このcorazonと呼ばれるところには学校、病院、集会所やちょっとしたお店なんかがあって、そのもうちょっと奥のほうに居住地がありました。
おばちゃんに、「ここの人達は写真に撮らんほうがいいけど、建物や風景は大丈夫よ。」と注意を受けながら散策開始。
↓建物(といっても”小屋”ですな)はこんな感じ。
革命戦士チェ・ゲバラ(左)と「サパティスタ」の名前の由来であるメキシコ革命の英雄エミリアーノ・サパタ(右)
ほぼすべての”小屋”にこういうテイストのパブリックアート(と言っていいんだろうか・・・?)が施されています。
ある”小屋”では活動家とお話ができるのですが、他の訪問者が話を聞いていて時間がかかりそうだったので私たちは今回は諦めました。
しかし、実際そんな機会が与えられても何を聞いていいやら途方に暮れたかもしれません・・・
雑貨屋みたいな店では軽食も食べられるようになってまして、ハーブティーを飲みました。
そこの壁一面には「サパティスタ」の写真やポスターがいっぱい↑
その他、土産屋もあって、おなじみの刺繍ブラウスなどの民族衣装なんかと一緒にキーホルダー、ステッカー、Tシャツなどなどのサパティスタグッズもしっかり商品化して売られておりました。
店番してるのは普通のインディオのおばちゃんたちで、マスクとかはしてません。
でもここにおるっちゅうことはサパティスタなのか。
「なんか、ちゃっかり観光地化してる感じですねぇ」なんてY子さんと話ながらいろいろ物色。
記念にキーホルダーなんかを購入しました。
ま、同じものがチアパス中で売られてるんですが、「ここまで来て買うたんや!」ということに価値があるということで。
一種独特のちょっとピリッとした空気も感じつつも、しっかり商売もして(売り上げは活動資金とか運営費にまわしてるんでしょうね)俗世間と隔絶してそうでしていない。
みんながマスクしてなかったら普通の田舎の村みたいやなぁ・・・と思いながらほんの1時間ほどの訪問を終え帰路につきました。
しかし、ここはさすがに一人で来るにはいろんな面でちょっと難しい所なので、今回訪問するチャンスに恵まれてラッキーでした。
そしてY子さんもガイドのおばちゃんもほんとにいい方たちでこれまたラッキー。
わたしがもしあのツアー会社をみつけてなかったら、もしくはお姉ちゃんに「あと10分待って!」って言われたときに待ってなかったらここには行けなかったし、二人にも出会うことはなかったわけで、この日は旅の醍醐味を感じた一日となったのでした。
ここまで行ったからには、サパティスタについてもうちょっと勉強せんとあきませんな・・・。