札幌で菜食  別館

菜食食品をひっそり紹介する・・・予定だったけれど、雑記に変更。今のところ主に子育て

子供との関係の修復

2010-04-21 | Weblog
最近子供との関係が少しうまくいっていない。。。と気付いた父に、子供と二人で出かけることをお勧めする。

他の子も妻も家に置いて、一緒に出かける。できれば、デパートの買い物のような下らないことではなく、感動を共有できることがいい。

僕が実際にやって効果を強く実感したのは、荷物を積んだゴム船で2泊3日での川下り川原キャンプ旅と、もらったチケットで華道の展覧会を見に行ったとき。

旅した6歳は、お父さんのオナラ臭くないよ、とかばってくれるようになり、
デートした10歳は、一緒にお風呂に入ってくれなくなっていたのが、その後から抵抗なくまた一緒に入るようになった。

詳しくは、http://www.ffj.gr.jp/new/radioKaneko.html
「金子耕弐 の ファミリートーク」 16.二人きりで出かけること


「川の始まりを見たい」と子供が言った。(札幌で菜食)

母子加算復活には賛成しない

2009-10-24 | Weblog
母子加算の満額復活が閣議決定されたらしい。

その前にやってほしいことがある。
養育費を払わない父親からの強制徴収と強制労働をぜひやってもらいたい。


子供を育てるのは親の義務だ。
その義務を放り出して金も一切払わない親がたくさんいる。
その放り出された子供を税金で養うのはおかしい。
まず親に払わせる制度を整え、それでも困っている家庭を助けるのはいいだろう。



福祉の充実を強く訴えている人たちにも、その前にまずやるべきことがあるのではと感じる。
生活保護等を充実させるにはまず、不正受給の阻止に力を入れるべきだと僕は思う。社会党(今は民主党)も共産党も弱者の味方であるならば、まずは弱者を装う怠け者を排除するのが近道だろう。そうすれば、世の中ももっと被保護者に優しい気持ちを持てるようになるのではないだろうか。
気持ちだけではない。単なる怠け者(不正受給者)に流れていた給付金を、本当に困っているもっと多くの人に使ってもらうことができる。

穴は食べずにドーナツを食べる

2009-10-14 | Weblog
ドーナツを子供に買い与えた。
「明日食べていいけど、穴は食べないでね。」と伝えた。

子供なりに考え、「穴は無いから、食べたくても食べられない。だから食べていない。」とか、「穴は食べないから先に持って行って。」とか、悩みながらもなかなか楽しい回答。

細かく千切ったドーナツはドーナツ。細かく千切ったケーキはケーキ。では、その細かく千切った両方だけを比べたらどちらがケーキで、どちらがドーナツなのか? 本当に細かく千切ったドーナツはドーナツなのか? とか、抜けた髪の毛は自分か?、腕が抜けたら腕が自分なのか、残った体が自分なのか?、とか、体が半分に分かれてどちらも生きていたら、どちらが本当の自分なのか、とか、そんなことを楽しみながら会話できた。


穴は有るのに、でも本当は無いのだ、ということを知った子供たち。

かねここうじを聞こう

2009-06-14 | Weblog
金子耕弐が、ラジオでいいこと言っている。
僕は録音して聴いている。何度聞いても飽きない。
ドクタードブソンとかねここうじの言葉を(何度も何度も繰り返し)聞いていなかったら、今の平和な家庭はなかっただろうし、子供達もこんなに素敵には育たなかったかもしれない。


MP3ダウンロードもできます。

ファミリー・フォーラム・ジャパン 『金子耕弐のファミリートーク』
http://www.ffj.gr.jp/new/radio.htm


家族に贈るとっておきの話
http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20090721/p4



「札幌で菜食」>「金子耕弐(かねここうじ)」http://d.hatena.ne.jp/kawauso999/20110714

妻を「ママ」とか「お母さん」とか呼ばない

2009-06-12 | Weblog
妻を呼ぶときには、名前で呼んでいる。

家族の中心に子供を据えて、自分の妻を「ママ」、とか「お母さん」とか呼ぶ人が身近にもいる。

もちろん自分の妻を何と呼ぼうがそれは自由だし、文句を言いたいわけではない。
しかし僕はそれを少々危険ではないかと考えている。

理由は1つ。
ママ、と自分が呼ぶ相手に性欲は湧くのだろうか?

妻をママと呼ぶ家庭にはセックスレスが多いのではないだろうか? 杞憂だろうか?

虫に触れる子、触れない子

2009-05-09 | Weblog
虫やだ、気持ち悪いー、という子には育てたくない、という信念は実り、じめじめしていそうなところからダンゴ虫をみつけて、みてみてダンゴ虫だよ~、と手に乗せてかけてくる6歳。


虫に触ることができる子と、できない子がいる。
触ることができる子の方に、虫を触る能力がある、ということではないと思う。

虫はこの世界の一部で、地球上で動きまわる者としては僕たち人間の仲間だ。よく見ると美しく、小さい生き物であるからやはりかわいい。

都会に住むことで失ってしまったたくさんの素敵なこと、虫を愛でる心までは失いたくない。

虫に触れることのできない子供に育つのは親の過失だと僕は思う。

何度言ってもできない

2009-01-30 | Weblog
ドアをきちんと閉めないで部屋を出入りする子供に、「閉まってないよ」「閉めなさい」と、何度も何度も注意しても、さっぱり改まらなかった。(北海道は気温が低いので閉まるのと隙間があるのでは消費する燃料がかなり違う)


そこで、大きな紙を冷蔵庫に貼り、○と×それぞれ20個ほど書きこめるマスを書いた。
きちんと閉めたら○、閉まっていなかったら×を書き、○がいっぱいになったらご褒美、×がいっぱいになったら泣くくらいホッペをつねるよ、と伝えた。
注意したり叱ったりは一切せず、ただ淡々と○と×を書き込んでやった。

初めの5つくらいは×が続いたが、二日目からはほとんど○になった。とても気になる様子で、何度も表を確認していたし、慎重にドアを閉めるように豹変した様は、見ていて面白いほどだった。

モノでつる教育は良くないかもしれないが、大声で怒鳴ったり、毎日毎日小言を言い続けるよりはずっとよかったと思う。

褒美に二人で散歩して、学研の雑誌「科学」を買ってあげた。大喜び。


他のことをなおすための、2回目の○×表からは褒美も罰も設定しなかったが、〇を増やして×を減らすために、子供が自分から頑張っていた。

褒めることは子育てにとても大切なことなのだけれど、○が増えていくことは、それと同じような効果があったようだ。


「毎日毎日同じことを言わせてうちの子はほんとにもー」と親が言うのは、親の側の工夫が足りないせいでもあるのだな、と知った。

「スゴイ」を使わずに話す

2008-09-16 | Weblog
子供たち(自分の子ではないが教育している子を含む)が、「すごいおいしい」「すごいきれい」「すごいたのしい」と、「すごい」を”すごいたくさん”使って話していた。1年前まで。

周囲の大人でも子供でも、テレビの中の人も外の人も大多数が、「すごい○○い」という表現を多用しているように感じられる。
子供たちの祖母が、特に頻繁に使っていた。

母:「昼ごはんがすごいおいしかった」
僕 :「すごく」
母:「すごくおいしかった」

子供たちが聞いているのだからと何度も訂正を求めたけれど、数年経った今もなおっていない。


そこで子供たちには、スゴイではなくスゴク、であることを説明し、さらに、スゴク、も使わないで会話する練習をさせてみた。

・・・・・
「凄い」という言葉を使うときは、本当にスゴイ時だけにしなさい。
こんなにおいしいものを今までに食べたことがなかった時には「凄くおいしい」と使っても良いだろうけれど、毎日のように何かとスゴイスゴイと使わないほうがいいよ。
何にでもとりあえず「スゴイ」をつけていたら、貧しい言葉しか使えなくなっちゃうよ。
20センチのケーキを見て「スゴイ大きい」と言ってしまったら、次に1メートルのケーキを見た時になんて言うの?
どっちも同じ「スゴイ大きい」だと、どのくらい大きいかわからないよ。
「スゴク大きい」って言うのは、10メートルくらいのケーキを見る時のためにとっておこうよ。
例えばね、おいしいと感じるときにはただそれが「スゴイ」んじゃなくてね、どのくらい、どんなふうにおいしいのかを、ちゃんと表現できるかい?
「ほっぺたが落ちるくらい」って聞いたことある?
こういうのを比喩って言うんだけどね、それを食べていないから味もわからない相手にも、どんな味かを伝えられるように説明するんだよ。
他にはどんな比喩がある?
・・・・


と、「~~のように~~だ」という言葉の使い方を1時間ほどかけて教えた。
いくつも例を聞かせて、それから自分で考えて言わせ、そしてそれを誉める、の繰り返し。中々浮かばずに使い方もおかしい一人は、泣きながら、しかしそれでもしっかりと学んだ。

その次の朝の食卓で、「納豆の味が盛り上がってくる」と納豆汁を飲んだ子供が言った。とてもおいしいと感じたところ、どのようにおいしいかを、スゴクやトテモを使わずに表現してくれた。


1年経った今でもたまに、子供たちの言葉の中にあの勉強の成果が見える。
「ポップコーンの鬼ごっこみたいだ」と、フライパン(ガラスの蓋で中が見える)でポップコーンを作りながら呟いていた。




熊本知事、川辺川ダム「白紙撤回を」

2008-09-11 | Weblog

asahi.com  http://www.asahi.com/national/update/0911/SEB200809110002.html?ref=goo

熊本知事、川辺川ダム「白紙撤回を」 計画見直し必至 2008年9月11日12時50分印刷ソーシャルブックマーク 川辺川ダムの建設予定地。奥がダム湖となる上流=10日午前、熊本県相良村、本社ヘリから、柏木和彦撮影 蒲島郁夫・熊本県知事  熊本県相良村に国土交通省が建設を計画する川辺川ダムについて、同県の蒲島郁夫知事は11日午前、「現行のダム計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を追求すべきだ」と述べ、反対を表明した。国の巨大ダム計画に知事が反対を明言するのは極めて異例。国交省が知事の反対を押し切ってまで事業を進めるのは難しく、42年にわたって進めようとしてきた計画の見直しを迫られるのは必至。流域住民から反対の声が出ている全国各地のダム計画にも影響を及ぼしそうだ。  蒲島知事は11日開会した県議会で「治水は流域住民の生命財産を守るためにあるが、地元にとって(川辺川の本流の)球磨川そのものが守るべき宝。ダムによらない治水対策を進め、川と共生するまちづくりを追求したい」などと述べた。国交省が8月末、増水時のみ水をためる「穴あきダム」案を知事に提示したことについては「詳細な説明がなく、是非について判断できない」と意見を述べなかった。  蒲島知事は今年3月の知事選で「ダムについては就任後半年で態度を決める」と公約し、ダム中止や反対を唱えた4候補を破り初当選。5月から有識者会議をつくり議論を重ねたほか、川辺川や下流の球磨川流域で公聴会や地元市町村長からの聞き取りを進め、「地元の意見も踏まえ総合的に判断する」と述べていた。  97年改正の河川法は河川の環境保全を重視し、地元自治体首長や住民の意見を聞く手続きが盛り込まれており、河川整備計画を作る際は、蒲島知事の意見を聞く手続きが必要。知事の意見に法的拘束力はなく、知事の同意なしにダム建設を盛り込んだ計画を決めることも不可能ではない。だが、知事が反対した以上、ダム建設のための地元負担約300億円の支払いを熊本県側が拒むのは必至。国交省は今後、建設休止も視野に入れた計画の再検討を余儀なくされることになる。  川辺川ダムは当初、県など地元の要望を受ける形で、旧建設省(現国交省)が建設を計画。3千億円を超える総事業費のうちすでに2千億円が道路など周辺整備に使われ、水没予定地の同県五木村住民の移転もほぼ終わり、ダム本体の着工を残すばかりとなっていた。  ダムを前提とした農林水産省の利水事業をめぐる川辺川利水訴訟で、農家から同意を得る際に不正があったとして03年に農水省が敗訴し、利水事業が頓挫。新利水計画がまとまらず、国交省は05年に漁業権や五木村の土地収用申請を取り下げ、07年には利水、発電がダムの目的から外れ、従来の計画は事実上白紙となった。  しかし、国交省は、新たに策定する球磨川水系の河川整備計画に引き続き川辺川ダム建設を盛り込む方針で、今年8月には九州地方整備局の岡本博局長が蒲島知事に「ダム以外の治水策は考えられない。ダムを造らない場合は洪水を受忍していただかざるを得ない」と伝えた。      ◇  〈川辺川ダム計画〉 63~65年に球磨川で相次いで水害が発生し、その上流の川辺川に、旧建設省(現国土交通省)が66年に建設を発表、治水や発電、利水を目的とした多目的ダムが計画された。建設予定地は相良村で、上流の五木村の中心部が水没することになる。07年にダムの目的から発電や利水が外れ、治水専用ダムとなった。総事業費は3300億~3400億円。工期の遅れから当初予定より1千億円以上増えた。

 

 

清流川辺川を守る県民の会

長良川河口堰とシジミ漁ーHONDA

これから産まれる子供たちに、きれいな川を残してほしい。


好き嫌いのなおし方

2008-08-19 | Weblog
肉も魚も牛乳も卵も蜂蜜も食べない僕が言うと、おまえが言うな、とつっこみを入れたくなる方もいるかもしれないが、僕が動物の死体やその死体から絞った汁を食べないのは好き嫌いではなく、主義からのもの。

主義もなく味や食感などが嫌いだから食べられない、というのが好き嫌い。
もちろん、味に好きやあまり好きでないのがあるのはあまり問題ではない。僕が問題にしたいのは、嫌いだから食べられないという子供。

たとえば人参や玉葱、トマトなど、それが入っている食べ物は食べられず、残したり、食べなさいと言われても鳴いたり吐いたりする子供がいる。

子供の好き嫌いは、コツさえ知っていれば簡単になおせるものだということを、多くの親が知らないらしいことを、お泊り会で我が家に泊まりに来た子供たちを見て知った。


嫌いなものも食べられるようにする方法は簡単。

・味もわからないくらい小さなかけらを、ひとつだけ食べさせて誉めること。

例えば納豆が嫌いな子供には、納豆を4分の一粒ほどを食べさせる。それも無理ならさらにその半分でも可。
小さな子供であれば、高いところからスプーンをトントンと降ろしていってアンパクとか、お父さんのお口かな、お母さんのお口かな、人形の熊さんのお口かな、と他の人が食べる真似をしつつ最後に子供の口にパクっと、競争心を利用して、とにかく口に入れる。
小さなカケラだからこどもはあまり味を感じない。感じないから食べられる。
食べたらとにかく誉める。偉い、嫌いな食べ物を食べられるなんて偉い、素晴しい、感動した、と、とにかく誉める。
明日は2分の1粒を食べて誉める。その次の日は2分の1粒を2回食べて誉める。、、、、を繰り返して少しずつ多くしていく。

きっと食べられるようになる。