1988年 WGP R1 鈴鹿 250cc
世界グランプリでポールポジ
ションを取る事がどんな事で
あるのか。
それは、その時、その者は世界
でただ一人という事だ。
WGPで50と350は廃止されたが
まだ80ccクラスのレースがあっ
た時代。
最高峰は500クラスだったが、
バトル展開の花形は250だった。
そして、地球上でもっともロー
ドレースの人気が高かった時代
でもある。
日本国内はバブル経済により、
国民所得が爆発的に増えた時代。
28才あたりの給与は勤務先にも
よるが、大体年収600万円前後
だった。銀行等の金融関係勤務
は800万円超え。20代でそれ。
600万円で売りに出された原宿
のワンルームマンションは半年
後には6000万円で即売れた。
そういう時代。狂乱経済時代。
バブル期の頂点が1988-89だ。
バブルは1990年に崩壊し、その
後の経済低迷の暗影は2024年の
現在までも続いている。
バブル政策で一番得したのは誰
か。
それは大蔵省(当時)だ。
つまり国家。
作為的な金融操作により国際収支
のツケを清算した。
だが、新たな大きなツケは国民
が背負わされた。