Crónica de los mudos

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ボルヘス「トロン、ウクバル、オルビス・テルティウス」

2024-04-22 | コノスール
ウクバルを発見したのは鏡と百科事典の組み合わせのおかげだ。鏡はラモス・メヒア区ガオナ通りの屋敷のある廊下の奥をかく乱していた。百科事典は『アングロアメリカ百科事典』(一九一七年ニューヨーク)というもっともらしい題で、一九〇二年の『ブリタニカ百科事典』の忠実だが緩慢でもある再版だった。事が起きたのは五年ほど前だろうか。その夜、ビオイ・カサーレスが私と夕食を共にし、私たちは、語り手が事実を省略したり捻じ曲げたり数々の矛盾に陥るので少しの読者――ほんの少しの読者――にしか途方もないか陳腐な現実を察することができないような一人称の小説を書くことをめぐる長々とした議論に時間を費やした。廊下のはるか奥から鏡が私たちを見張っていた。私たちは鏡がどこか怪物めいていることを発見した(深夜にはこの種の発見がつきものだ)。そのときビオイ・カサーレスが、ウクバルにおける異端の開祖のひとりが鏡と性交はいずれも人の数を倍増させるから忌むべきものだと表明していることを思い出した。その忘れがたいお言葉の出典を私が尋ねたところ、彼はアングロアメリカ百科事典のウクバルの項目にあると答えた。屋敷にはその事典があった(家具付きで借りていたのだ)。四十六巻の最後の数ページにウプサラの項目が、四十七巻の最初の数ページにウラル・アルタイ語族の項目があったが、ウクバルなど一言もなかった。ビオイはやや困惑しながら索引巻を調べた。ウクバル、ウッバル、オクバル、オウクバル……思いつく限りのよみ方を当たったが無駄だった。彼は帰り際に、そこはイラクか小アジアの一地方だと言った。正直に言うと私はやや居心地の悪さを感じながら頷いた。その裏付けのない国とその無名の開祖は、ひとつの文章を正当化しようとするビオイの謙虚さがでっち上げた虚構だと推察したからだ。ユストゥス・ペルセスの地図を調べて徒労に終わったことが私の疑惑を強めた。
 翌日、ビオイがブエノスアイレスから電話をかけてきた。彼は、例の百科事典の二十六巻、ウクバルの項目を目の前にしていると言った。開祖の名は明らかにしていないが、その教義はたしかに伝えていて、それは彼によって繰り返された言葉とほぼ同じだったが——おそらく——文学的には劣っていた。彼は「性交と鏡は忌まわしい」と記憶していた。百科事典の文章は「そうしたグノーシス主義者のひとりにとって目に見える宇宙は幻影か(より厳密にいえば)詭弁である。鏡と父性は宇宙を増殖させ暴露するから忌まわしい」となっていた。私は、その項目を見てみたい、と真実から目を背けることなく彼に伝えた。数日後、彼は事典をもってきた。これには私も驚いた。あのリッター『地理学』の綿密な地名索引がウクバルの名を完全に見落としていたからだ。
 ビオイがもってきたのは実際にアングロアメリカ百科事典の二十六巻だった。表紙と背の立項表示(Tor-Ups)は私たちの版と同じだが、こちらは九一七ページではなく九二一ページある。その追加の四ページに(すでに読者はお気づきと思うが)立項表示にはないウクバルの項目が含まれていた。その後、私たちは、ふたつの版のあいだにそれ以上の違いがないことを確かめた。二つの版とも(すでにお伝えしたと思うが)ブリタニカ百科事典第十版の再版である。ビオイはそれを数あるバーゲンのひとつで入手していた。

 スペイン文学研究という名の半期もの授業を Reading Borges と題して虚構集の短編を全訳してみることにしてみた。分からないところは優秀な学生諸君に尋ねることにする。冒頭のこのお話は世界で最も知られているラテンアメリカ文学の短編といっても過言ではないだろう。
 この短編のテーマはフェイクである。
 現実ではないにもかかわらず現実「のような」もの。
 この「ようなもの」がじわじわ浸食してくる過程を描いたこのお話は、マシンによってフェイクにずいぶん浸食された私たちの生きる現代世界の隠喩としても読み継がれている。
 フェイクの小道具はいたるところに潜んでいる。
 まずは鏡。この鏡は語り手を含む二人の人物がいた屋敷の廊下の奥を inquietar させていた。時制は線過去なので原文では inquietaba である。この動詞の訳し方が分からないので、たまたま当番になった学生さんと話し合っていくつかのオプションを検討した。他動詞なので目的語である「廊下の奥」を不安にさせる、心配させる、憂慮させる、不穏にする、かき乱す、ざわつかせる、等々。私は当初「ざわつかせていた」を採用していたが、結局いまは上のようにしている。鏡という虚像がその周囲の現実世界を不安定化していたという意味をくむべき動詞のはずなので、それに類する日本語であればよいと思う。
 ちなみにペンギンの Irby 訳では troubled となっている。この動詞だと「悩ませていた」という日本語が浮かぶかもしれない。
 そしてDLTはなんと「鏡は別荘の廊下の奥でそわそわしていた」という意表を突いた自動詞解釈。やはりこのマシンはポエムに向いているような気がします。鏡がソワソワするというのもボルヘス的でいいんじゃないでしょうか、誤訳だと思いますが。
 そして次なるフェイクは百科事典。
 これについては来週読みながら考えることになった。
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