Crónica de los mudos

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パブロ・ネルーダ「死せるギャロップ」

2024-03-29 | 
 ネルーダの前衛時代の詩集『地上の住処』(1932)は翻訳不可能に近いが文体は案外とネルーダ的で、のちの簡素なスタイルにも通じる何かがある。この20年後に書かれる『マチュピチュの高み』のいくつかを思わせるある種のアルテ・ポエティカ(詩作術)宣言ともとれる。いずれにしてもその「何か」は訳してみないと分からないと思うので、執筆中(なんだか死ぬまで執筆してそうですが)の仕事の情報整理もかねて試しにやってみることにした。
 というよりディープ・ラーニング・トランスレーターの実力を知りたくなったというのが本音かな。人間とマシンとどちらが「分かりにくい詩」に近づくことができるのか。もちろん人間と言いたいのは山々だが、ことはそう単純でもない。
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(オリジナル)
Como cenizas, como mares poblándose,
en la sumergida lentitud, en lo informe,
o como se oyen desde el alto de los caminos
cruzar las campanadas en cruz,
teniendo ese sonido ya parte del metal,
confuso,pesando, haciéndose polvo
en el mismo molino de las formas demasiado lejos,
o recordadas o no vistas,
y el perfume de las ciruelas que rodando a tierra
se pudren en el tiempo, infinitamente verdes.

Aquello todo tan rápido, tan viviente,
inmóvil sin embargo, como la polea loca en sí misma,
esas ruedas de los motores, en fin.
Existiendo como las puntadas secas en las costuras del árbol,
callado, por alrededor, de tal modo,
mezclando todos los limbos sus colas.
Es que de dónde, por dónde, en qué orilla?
El rodeo constante, incierto, tan mudo,
como las lilas alrededor del convento,
o la llegada de la muerte a la lengua del buey
que cae a tumbos, guardabajo, y cuyos cuernos quieren sonar.

Por eso, en lo inmóvil, deteniéndose, percibir,
entonces, como aleteo inmenso, encima,
como abejas muertas o números,
ay, lo que mi corazón pálido no puede abarcar,
en multitudes, en lágrimas saliendo apenas,
y esfuerzos humanos, tormentas,
acciones negras descubiertas de repente
como hielos, desorden vasto,
oceánico, para mí que entro cantando,
como con una espada entre indefensos.

Ahora bien, de qué está hecho ese surgir de palomas
que hay entre la noche y el tiempo, como una barranca húmeda?
Ese sonido ya tan largo
que cae listando de piedras los caminos,
más bien, cuando sólo una hora
crece de improviso, extendiéndose sin tregua.

Adentro del anillo del verano
una vez los grandes zapallos escuchan,
estirando sus plantas conmovedoras,
de eso, de lo que solicitándose mucho,
de lo lleno, oscuros de pesadas gotas.
(OCi, 257-258)
*********
(人間訳)
灰のように 沈める深みに
形なきものに満ちる海のように
あるいは十字形の鐘が
すでにその金属とは程遠い
曖昧な音を出し 重くなり
遠すぎる あるいは記憶のなかの
あるいは見えない形をした同じ風車と
そして大地を転がり時のなかで腐敗し
尽きることなき緑色の梅の香りのなかで
塵と化しつつ渡るのが聞こえるように。

あれら かくも速く かくも元気で
それでいて己に夢中な滑車のごとく動かぬすべて
要するにあの発動機についた車輪たち。
樹皮の乾いた縫い目のように存在し
黙り込み 周りを そうやって
その肢であらゆる葉脈を混ぜる。
というのもどこから どこを抜け どの岸へ?
修道院の周りのリラの花のような さらには
力なく倒れその角で音を響かせんとする
畑の牛の舌にまで届く死のような
絶え間なく 不確かで かくも声なき迂回。

だから動かぬもののなかに立ち止まり
それから上空に 巨大な羽ばたきのように
死んだミツバチか 数字のように
おお我が青ざめた魂では抱えられぬものを
群れを成し ふと零れ落ちる涙のなかに
さらには 人の努力を 嵐を
ふいに暴かれた氷のような
黒い行為を 広大で海のような
無秩序を 無力な人々のなかへ剣をかざすがごとく
歌いながら分け入る我がために 感じ取る。

ところであの夜と時の間の湿った崖のような
鳩たちの出現はなにで出来ているのか?
あのすでに長すぎる音が
道に落ちて石を並べてゆく
というよりわずかな一時間がふと育つとき
休むことなく広がってゆく

夏の輪のなかで
偉大なカボチャたちが必死の草を引っ張り
一度だけその耳を澄ます
それの 多くの願いによるそれの
完熟の 濃い雫で黒々とした実の。

*********
(DLTの訳)
灰のような、海のような人口、
水没した緩慢さの中で、形のないものの中で、
あるいは、小道のてっぺんから聞こえるように。
十字架の鐘と交差するように、
その音はすでに金属の一部である、
混乱し、計量され、塵と化す
その音はすでに金属の一部であり、混同され、計量され、塵と化す、
その音はすでに金属の一部であり、混同され、計量され、塵と化す、
そして土に転がる梅の香りがする。
朽ち果てながら、限りなく青々としている。

すべてがとても速く、とても生きている、
狂気の滑車そのもののように、
要するに、エンジンの車輪のようなものだ。
木の継ぎ目の乾いた縫い目のように存在している、
静かに、辺り一面に、そのように、
すべての手足のしっぽを混ぜ合わせながら。
どこから、どの方向から、どの岸に?
絶え間なく、不確かで、とても無言の堂々巡り、
修道院の周りのライラックのように、
あるいは、牛の舌に死が訪れるように。
よろめき、よろめき、よろめき、角を鳴らしたがる。

だからこそ、動かず、立ち止まり、知覚する、
そして、巨大な羽ばたきのように、上に、
死んだ蜂や数字のように、
哀しいかな、私の青白い心では抱えきれないものを、
涙がかろうじて出てくる、
そして人間の努力、嵐、
突然暴かれる黒い行動
氷のような、広大な無秩序、
大洋のような、歌っている私にとっては、
無防備な者たちに剣を向けるように。

さて、この鳩の高まりは何からできているのだろう。
夜と時の間、濡れた渓谷のように。
その音はすでに長く
道に石を並べるように落ちてくる、
むしろ、ほんの一時間の間に
突然、休みなく広がっていく。

夏の輪の中で
大きなカボチャが耳を傾ける、
触れる植物を伸ばして、
その、その、その、その、その、その、その、その、その、その、その、その
満腹で、重い雫で黒ずんでいるものの。

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もちろんマシンには誤訳も多いが、人が迷うところで大胆な解釈を提示していて興味深い。とりわけ最終2行の「その。その、その」の連呼がなぜ生じたかは分からないが、こちらの方が迫力があるかも。私の訳の場合は、日本語という制約上、意味的構造を重視して文末にもっていかざるを得ない語をいくつか選択しているが、マシンはいまのところこれ(選択再配置)をしない。なぜしないかは観察中だが、逆に言えばいまのところはこの選択再配置という作業にのみ、人間が翻訳行為を続ける可能性が残されているといえるのかもしれない。
 それにしても間投詞 ay は「哀しいかな」と訳すんですね。いつもこれを「おー」とか「あー」とかごまかしている芸のない私にはとても勉強になりました。今後、仕事のスパーリングも兼ねて、思い出したときにまたマシンとポエム理解の深度を競ってみたいと思います。
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