さて、川越街道よりも北側、東武東上線上板橋駅の先の踏切を越えていくと、突き当たりのように細い道に出る。見回すと、幾つもの細い道が集まっている。古くからの道が二股に分かれるところでもあったようだ。
その分岐点に庚申塔が祀られている。「かみなか庚申塔」というらしく、1803年のもの。子育て、交通安全祈願という今風の願掛けをされている。
小さな祠が、この一角に置かれているのも、どこか面白い雰囲気 . . . 本文を読む
街道筋というよりは、農村時代以来の背景を見ることが出来るという印象を受けたのが、この阿弥陀堂。
「 阿弥陀堂と千川家墓所
この阿弥陀堂は、『新編武蔵風土記稿』に「阿弥陀堂二 一は金乗院持、 一は清性寺持ニテ弥陀ハ春日ノ作ナリ」とあるうちの後者に当たります。清性寺は明治に廃寺となり、金乗院と合併しました。本堂の釣鐘は文政三年(一八二〇)のものですが、銘文に「神明山清性寺持阿弥陀堂」と記されています . . . 本文を読む
さて、国道254号線、現代の川越街道を渡って旧道に近づいていく。ここは、環状八号線が東武東上線の下を潜って、板橋区へと抜けて行く。この建設工事で沿道の雰囲気は一変してしまった。大規模な公共工事が行われたことで、昔の形を残していた道路も大分寸断されている。
それでも、旧道から枝分かれしてきた道が更に分岐していたところには、地蔵尊が祀られている。
地元の人々が大事にしている様子で、屋根が掛けられて . . . 本文を読む
さて、進んでいくと趣のあるお寺が眼に入る。ここも田柄川暗渠のところ。
「円明院
円明院は、慧日山円明院西光寺といい真言宗豊山派の寺院です。豊島八十八ヶ所の第二十七番札所で、本尊は不動明王です。
開基と伝えられる賢栄阿闍梨の名を刻んだ文亀二年(一五〇二)の板碑があります。また、弁財天座像を線刻した文亀元年(一五〇一)のみごとな板碑があります。この板碑は、大正四年に寺の裏山の土窟から偶然発見された . . . 本文を読む
さて、金乗院を出て、周辺の入り組んだ道を歩いていると、家々の間を入って行く道の奥に鳥居が見えた。
行ってみると、小さな神社が祀られている。
弁財天の扁額が掛けられている。裏手は緑道で、不思議な雰囲気。と思ったら、田柄川を暗渠化した緑道だった。
水盤には昭和十六年の文字がある。
祠はコンクリート製のもの。裏に由来があったようだが、剥落していて判読不能。大正とも見えるのだが、果たして? . . . 本文を読む
須賀神社から少し行くと、墓地が塀越しに見えて、大きなお寺に突き当たる。これが、金乗院。その門前はくるみ商店会という商店街なのだが、今は少し寂しい感じ。こんな風に古くからの商店が並ぶ道は、古道であることが多いというのは、これまであっちこっちを歩いてみた経験からの勘。
そして、参道がある。
「金乗院
金乗院は、如意山金乗院万徳寺といい、真言宗豊山派の寺院で本尊は愛染明王です。豊島八十八ヶ所第 . . . 本文を読む
さて、少しずつ国道254号へと近づいていき、川越街道に近いところへと戻って行く。練馬区立平和台図書館を過ぎて、回り込んだところに須賀神社があった。ここも、住宅地の敷地の一角がこつ然と空いていて、そこが神社になっているといった雰囲気。
この神社のことは調べてもあまり出てこないのだが、このすぐ近くの金乗院という寺の前にかつてはあったらしいこと。江戸末期に祭礼の日に火災が起き、金乗院が全焼したという . . . 本文を読む
さて、氷川神社のある氷川台から北西に向けて進んで行くと、環状八号線が近づいてくる。その手前、歩道のある通りを練馬自衛隊南の交差点に向けて進んでいくと、左手に神社があった。西本村稲荷神社という神社だが、かつての農村時代の雑木林の一部が残されていて、その一角に社がおかれているような雰囲気。練馬にはそんなところが幾つかあって、面白いと思う。
江戸時代には既にあった、農村の神社。地元の人たちに大事にさ . . . 本文を読む
大分街道から外れてきたけど、もう少し。城北公園を抜けてからさらに進んで行くと、氷川台駅の辺りに出てくる。石神井川もすぐ近くを流れていて、川から離れると高さを増していく地形になっている。そもそもが氷川台という地名から想像される通りに、氷川神社があった。訪問日は2015年4月。お祭りの日だった。
春のお祭りをどこか珍しい気持で眺めていた。辺りには沢山露店が並んで、お祭り気分を盛り上げている。
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都立城北中央公園を抜けて公園の西側に出てから外周に沿って歩いていると、交差点に東京少年鑑別所前の看板があった。これが昔から「ネリカン」と呼ばれてきたところかと気付いた。今は住宅街の中、かつては周囲は田園風景だったのだろう。
更に少し進んで行くと、荘厳寺というお寺があった。
立派なお寺で、境内も綺麗に整備されている。伽藍も新しいのだが、由来を見るとなかなかの歴史のある寺院のようだ。
「荘厳寺 . . . 本文を読む