旅人の回想 Memoirs

どこにもしばられず、寄留者でありたい。

一路日本へ

2007-10-08 00:07:29 | 日常の風景
バタバタとして全くブログを更新していませんでした。

あっという間のインド駐在生活3年3ヶ月が過ぎ、とうとう、日本への帰国発令が出ました。
来週にはもう日本の地に着いているかと思うと、不思議な気分がします。
カチカチと時を刻む音が聞こえるような毎日です。

今日は送別ソフトボール試合でした。
好敵手の2チームとの送別試合は清々しく、最後は2回も胴上げしてもらって、送り出してもらいました。
優勝したわけでもなく、何か賞をとったわけでもありません。3年3ヶ月よくインドで走り抜けたということだけでしょうか。
7年も駐在している方、12年海外で過ごしている方、様々な人がいます。
インドの後、スーダンのダルフールに行かれた方もいます。
そんな方々とは比べ物にならない小さな一歩ではありましたが、かけがえのないインド生活でした。

ようやく日本にいる妻と子供と一緒に住める。今はそれが楽しみです。

二つの海の交わり

2007-08-27 03:10:40 | 日常の風景

あまり日本では報道されていないものと思いますが、安倍総理のインド国会における演説の内容は非常に格調が高く、特に日本語の文章の響きは荘重で美しく、しかもインドの歴史・文化・人々の心情を良く研究した上での内容で、インド国会の聴衆が総立ちになりスタンディングオベーションをしたのも頷けます。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/eabe_0822.html

目先の利益のみを主張するのではない、両国民同士の魂の深いところでのつながり、それぞれに深く根付いている信条・考え方の部分での共感を重層的に訴えているところに、大国インドも共鳴し、相互に信頼するパートナーとなっていくことを期待するばかりです。アジアの二大民主主義国家の強いつながりは平和を保つ要となる重石だと思います。今回の訪印で、これから5年間、毎年5百人の若いインド人を日本へ受け入れることが表明されました。慶應義塾のグローバルセキュリティ研究所教授のアフターブ・セット元駐日インド大使は、若い頃に慶應義塾に交換留学プログラムで日本語ならびに歴史を学び、そして外交官としてそして今は研究者としてインドと日本の架け橋となっています。向こう50年の間に同じような人々が沢山輩出されることを願ってやみません。


ローラー作戦

2007-08-19 19:43:16 | 日常の風景
うちの子供はとうとう生後4ヶ月になりましたが、父親の私に似て頭が大きく、牛の如く横になるのが好きで(というかそれしか出来ない)、写真のようにオッサン然としてテレビのバレーボール中継を観戦。

先週1ヶ月健診がありましたが、周りの赤ちゃんはほぼ全員、もう、お座りしていた!その中で、頭のおも~い我が子と、身長168cmの長身のお母さんの娘(この子もデカイらしい)の二人だけが、まだヘタリと横になったままなのであった。

お医者さんと保健士さん達は、妻を傷つけないよう、傷つけないよう「頭がすわるのは個人差ありますから、、ご心配なさらずに。しかし頭がすわるかどうかが赤ちゃんの成長を測るバロメーターですから、来月もう一度健診に。。」と言われたのであった。

それを聞いていた我が子が発奮。
その晩から突如として寝返りの練習を始める。それも夜中1時からの闇練習である。「うーうー」と声を出しながらの寝返り練習に妻も疲労困憊。しかも自力で寝返りが打てない時には泣いて悔しがる。。

数日の練習により、寝返りをうつ筋力が発達。しかもうつ伏せになった時に苦しいからか頭を持ち上げる首の筋力も発達。徐々に左回りの寝返りが打てるようになってきた我が子です。

しかし。

右回りができない。

従って、彼は永遠に左回りにより、布団からずり落ち、床の上をごろごろとローラー作戦を展開する日々となっているのである。

TOTETSUMONAI 日本

2007-08-15 22:25:26 | 日常の風景
一昨日、平日の疲れた夜にもかかわらず、一気に2時間で読んでしまった本。

それが今年6月発刊の麻生外相の本「とてつもない 日本」である。

日本の誇るべき価値観、文化、技術、能力が力強く述べられていて、且つそれに立脚した日本の外交の方向性を飾りのない言葉で提案している。
日本の外交の一翼を担うODAの一端を担うものとして、終始頭においておきたい外交の方向性だ。

いつも思うのだが、外交は何も政府だけが担うものではない。
一人一人が外交官足りうるのである。
日本のODAで支援したインドのデリーメトロでは、受注した日本企業の業務の進め方、工程管理、安全管理、そして2ヵ月半の前倒しスケジュールで完工した実績が、今も輝かしい日本の貢献としてインドで語られる。政府関係者・企業・労働者・利用者に至るまでに身をもって感じられるものだ。
これも日本が誇るべき文化・技術・能力の提供であり、相手の心を打つものであり、立派な外交なのである。

結局、世の中は人一人と人一人のつながりで出来上がっているのであり、私と一インド人の心の信頼・お互いの文化社会の理解といったものが重層的に積み重なって、日本とインドの信頼・外交関係につながるのであろう。

もともと現在の太い国境線なぞなかった。
日本は海に囲まれた特殊な環境であったが、現在の大陸の太い国境線なぞはこの数十年間に出来上がった代物である。太い国境線を仮定した上での「国民」を代表する政府の外交は、まさに人工的なシステムの上でのゲームである。インドを見よ、まったく異なった宗教・部族・言語の人間達がインドという国を一応は形作っているが、インド国民としてのアイデンティティは殆どない感じである。「我はジャム出身のヒンドゥー、ブラフマンの○○家の息子である。」という自己認識。一人一人の基本的権利を確保するための民主主義ゲームを保持し、他国との間での外交ゲームを遂行するために、一応のインド国という形が保たれているという感じである。

そういう中では、ゲームはゲームとして社会を安定的に運営する機能を保持する一方、基本は、一個人と一個人のつながり・信頼が世界中に連綿と築き上げられていき、それが万が一ゲームが崩壊し、戦争・紛争というトリガーを引くときの、抑えの重しとなっていくと思うのである。最後に核のボタンを押す人間も、人間。その人間を抑えられるのも、その人間につながっている人間なのである。

暑い盛りにかなり暑苦しい議論だが、日本は終戦記念日、インドは独立記念日の今日、たまにはこういうのも良いであろう。

お食い初め

2007-08-06 00:32:36 | 日常の風景
大阪では、息子が一生食べ物に困らないようにとの願いを込めて、妻がこじんまりと「お食い初め」をしたとのこと。

伊勢海老と、鯛の煮付け、お刺身に、茶碗蒸し、お赤飯に果物まで。
もちろん赤ちゃんではなく、妻のお腹におさまったようですが。

さらに、丈夫な歯が生えるように、歯固めの小石と、しわがいっぱいになるまで長生きできるように梅干を添える習慣もあるようです。歯固めの小石は氏神の境内や河原や海岸など水辺の石をもってきたりする事が多いようです。

「お食い初め」僕も参加したかったけど、僕は息子のもちもちほっぺをお食い初めしちゃいそうです。それにしても伊勢海老美味しそう~。