そう言えば、このGWにせっかく山口県へ行くのでしたら、前々から一度訪れたいと思っていた、兵庫県上郡町の上郡町郷土資料館へ、大鳥圭介目当てに訪問しようと思い始めた今日この頃です(* ̄∇ ̄)ノ
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月22日 - 20:48
石川県産の手取川と言うお酒、お開けには詳しくないのでよく判りませんが、とりあえず上杉ファンとしてはロマンを感じてしまう名前です(* ̄∇ ̄)ノ twitter.com/pacific_18/sta…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月21日 - 18:52
今日もGWの幕長戦争古戦場巡りの計画を建てていましたが、数年前には小倉口の戦いを調べようと思っていたのですよね。特に小倉城落城後の、小倉藩兵の徹底抗戦を。結構本気で調べていたのですが、いかんせんあまりにも遠くて、中々現地調査に行けずに断念した経緯があります。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月21日 - 21:56
それこそ野州や白河だったら、思い立ったら吉日で、日帰りのピンポイント調査も可能ですが、小倉だと日帰りは無理ですからね。と言うより小倉への片道時間で、母成峠への往復も可能だと思います。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月21日 - 22:00
そんな訳で、久しぶりの幕長戦争古戦場巡りを楽しんできたいと思います(* ̄∇ ̄)ノ
世良修蔵暗殺
— 四季しのぶ@福島藩🌸 (@shikishinobu) 2019年4月20日 - 07:28
慶応4年閏4月20日(1868年6月10日)、奥羽鎮撫総督府下参謀・世良修蔵が暗殺されました。
強硬に会津征伐を主張する世良と会津救済を目指す東北諸藩の乖離が決定的となると、仙台藩は世良排除を決意します。仙台藩士… twitter.com/i/web/status/1…
暗殺の直接のきっかけと言われる奥羽皆敵の書状については謎が多く、本当に世良が書いたものか判然としません。
— 四季しのぶ@福島藩🌸 (@shikishinobu) 2019年4月20日 - 07:28
ともあれ世良は新政府の意向に愚直と言えるほど忠実に従ったため、反発を招いて暗殺されたというべき。横暴ゆえに怒りを買った云々というのは後付けの理由です。
先日も書きましたが、今度のGWは10年以上ぶりに山口へ訪問する予定ですが、まだ行けていない幕長戦争芸州口の古戦場を訪問したいと思っています。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月20日 - 22:37
この芸州口、幕長戦争の主戦線の筈なのに、また幕府軍は彦根井伊と高田榊原の譜代の精鋭部隊に加えて、新鋭の幕府歩兵や優良装備の紀伊藩兵が参戦しているにも拘わらず、何故か後世地味なんですよね( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月20日 - 22:41
まあ小倉の高杉晋作や山県有朋や福田侠平、石州口の大村益次郎、大島口の世良修蔵や林友幸と比べると、芸州口の長州藩兵の指揮官がどうしても地味に思えてしまうのが、芸州口が地味な原因かもしれませんが( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月20日 - 22:44
@saemonhiguchi 実際それで井伊と榊原を撃退しているのに、不思議と地味なんですよね。甲冑姿の井伊榊原が敗れたら、新鋭装備の幕府歩兵と紀州藩兵が現れる所などは、他戦線では見られない展開だと思うのですが…( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月20日 - 22:54
@saemonhiguchi 一応、芸州藩領に侵攻してはいますが、あくまで幕府軍との決戦が目的で、芸州藩兵とは敵対しないと言う不思議な姿勢でしたからね(同様に芸州藩兵も自藩領で戦いがおきているのに、立場は中立と言う不思議な姿勢でしたが)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月20日 - 23:03
スター不在は全く同感です( ̄▽ ̄;)
4月28日に『坂本龍馬研究への提言』第4輯を刊行します。著者は松岡司、高橋美智子、河内貞芳、あさくらゆうの4名です。#坂本龍馬研究への提言 #新刊 #松岡司 #高橋美智子 #河内貞芳 #あさくらゆう
— 歴史企画研究 (@funnyara5) 2019年4月18日 - 07:26
西南戦争勃発時の政府機構 blog.goo.ne.jp/sakura-oka/e/1…
— 佐倉桜香 (@Sakuraoka0429) 2019年4月15日 - 22:29
久々の更新。今回は考察ではなく、前提情報の整理です(・ω・)
青潮社版『従征日記』の附録資料1に川口武定の「川流舎」と小林又七の「川流堂」について紹介されている。この社名、人名には特定の界隈で恩恵を受けてると思うが、その謂われについてはあまり知られていない。附録資料1には同店広報紙の抜粋「店… twitter.com/i/web/status/1…
— マンチカン 帝國 (@maEmpire) 2019年4月15日 - 19:25
西南戦争を研究されている高橋信武先生より、『先史学・考古学論究』Ⅵに掲載された『松岡用務所日記』をご恵贈賜りました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月14日 - 00:05
西南戦争時に、当事者としては直接軍事活動に参加しなかった、行政機関によるリアルタイムでの戦況記録を興味深く拝読さ… twitter.com/i/web/status/1…
@sakurahan_hohei 勉強不足で、佐倉藩が土工兵を有していたとは知りませんでした。今後勉強させて頂きたいと思います。貴重な情報ありがとうございました。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月14日 - 09:42
佐倉藩の幕末の軍制も調べないといけない、そんな事を実感した週末でした。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月14日 - 23:01
浅田北戦日誌の日光談「新庄右近将監縣令山内源七郎へ粮穀の談に及ぶ。二官、先に彦根兵来て金穀を募る故に倉廩を開て盡く興ふ。故に今一粒の逐穀無し。此官吏又敵軍の猛威に懼れ金穀を猥りに姦徒に興へ一身の安逸を計る真に悪む可きの小人也。衆大ひに怒り刑せんと云。大鳥圭助堅く止て漸く止む(続
— 入潮 (@irisiomaru) 2019年4月8日 - 19:13
承前) 依て施す可き策無く一と先會城へ軍を退くるに決定す。嗚呼粮米彈薬の闕乏為すに囙て要地をして敵手に陥ら令む、又嘆息と云可き」 食料を敵にくれてやったたぁどういうことだ!死刑だ死刑!と、日光将監と県令に激昂する伝習隊。それを宥め諌める大鳥総督の苦労。
— 入潮 (@irisiomaru) 2019年4月8日 - 19:15
兵糧の無い日光では戦えない。なので旧幕軍は要衝の日光を棄て、会津まで撤退し傭兵になることを選んだ。旧幕兵が出て行ってくれといわれたのも食糧不足から。戊辰の戦火から日光を真に守ったのは、板垣でも大鳥でもない。日光の倉庫から食料強奪していった彦根兵でした、と。
— 入潮 (@irisiomaru) 2019年4月8日 - 19:20
乃至政彦様から、新刊『平将門と天慶の乱(講談社現代新書)』をご恵贈賜りました。この時代については勉強不足の私ですが、本書を機会に勉強させて頂ければ、幸いに存じます。 pic.twitter.com/BHLKY7lnQO
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月6日 - 15:45
私も応募させて頂きました、箱根戦争での遊撃隊の意図は、早川両岸の渓谷の隘路を守るのでは無く、もっとピンポイントに山崎の隘路を守ろうとしていたのではと考えているので、遊撃隊の作戦意図のお話しが聞けたらと思っています。 twitter.com/36shinkai/stat…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年4月6日 - 19:17
山入村の戦い関連資史料の整理をしていますが、そう言えば未だにこの戦いで大鳥軍(伝習第二大隊)が布陣した場所を特定出来ていないのですよね(;´・ω・`) 過去3回訪問していますが、国土地理院の地図を参照すると、手志子森は推定していた場所から、もう少し北なのかなと。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月30日 - 23:09
ほぼ間違いなく人の手が入っていなさそうな土地なので、遺構があるのではと期待しており、何とかまた訪問したいのですが…(汗)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月30日 - 23:11
@funnyara5 首の話は知りませんでした。確かに時代遅れの面がありますね。大鳥軍の中では主力である一~四大隊は決まった戦線に居ましたが、回天隊などの非正規部隊(?)は勝手に戦線を移動している印象がありますね。また今井などは見… twitter.com/i/web/status/1…
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月26日 - 22:42
@funnyara5 何やら回天隊について思いつくままに書いたら、取り留めの無い文章になってごめんなさい( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月26日 - 22:43
@funnyara5 それは知りませんでした∑(゚Д゚)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月25日 - 22:14
藤原戦では普通に銃撃戦をしていたので、奥詰銃隊が母体かと思っていましたが、刀槍部隊の見廻組が母体とは思いませんでした( ̄▽ ̄;)
昨日、あさくらさんに指摘されて気付きましたが、そう言えば回天隊の日記、宇都宮城攻防戦や藤原戦など、部分部分では読んでいますが、通読したことがありませんでした( ̄▽ ̄;) 回天隊の日記も一度通読しなくては…(汗
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月25日 - 23:05
この部分部分では読ん… twitter.com/i/web/status/1…
大鳥軍に所属している諸隊の中で、回天隊の母体がイマイチ判りません。山川大蔵に対して「直臣が陪臣の指揮下に入れるか」と怒っているのを見ると、徴募兵の幕府歩兵ではなく、奥詰銃隊辺りが母体だったのでしょうか…?
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月24日 - 21:50
@ambujam10 ありがとうございます。築城典刑を読んで新政府軍士官が居たかは判りませんが、大鳥は他にも歩兵程式や野戦要務と言った教本も訳しているので、どれかの教本を読んだ士官は居たと思います。
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月22日 - 23:44
4月の予定
— 乃至政彦 (@naishimasahiko) 2019年3月21日 - 13:16
10日『平将門と天慶の乱』(講談社現代新書)発売 amazon.co.jp/dp/4065155053/…
16日より名古屋栄中日文化センターで高橋陽介先生と関ヶ原合戦の歴史講座を開始… twitter.com/i/web/status/1…
大鳥圭介軍は策源地を持たない「流浪の軍勢」ですが、一方で薩摩藩兵や長州藩兵も有しない工兵隊を有していないチート軍団だったのですよね。それまで新政府軍が各地で戦った彰義隊や甲陽鎮撫隊や徳川義軍府や遊撃隊は、せいぜい柵を設けたり畳を積み重ねる陣地構築だったのに
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月21日 - 18:34
野州で大鳥軍が相手になると、塹壕を掘ったり胸壁を設けたり本格的な野戦築城を始めたのですから、新政府軍も驚いた事でしょう
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月21日 - 18:39
それに伴い新政府軍も野戦築城を始めますが、当時の野戦築城の主要教本の一つ「築城典刑」を訳したのが、他でもない大鳥圭介だったのは、正に事実は小説より奇なりです(汗
ここからは根拠となる史料の無い半ば妄想ですが、中には大鳥が訳した「築城典刑」を参考にしながら、大鳥が率いる大鳥軍と陣地戦をした藩兵も居たのでは無いかしら?( ̄▽ ̄;)
— 大塚進也@三十一人会編集&広報 (@tukaohtsu) 2019年3月21日 - 18:41
去年入潮さんと大鳥圭介アンソロジーを発刊しました。
— 近江屋 (@ohmiyatanukiti) 2019年3月13日 - 01:24
参加者の素晴らしいメンツはpixivにてご確認ください。
ノベルティ冊子として附属史料がついてきます。
【C95冬コミ】大鳥圭介アンソロジー『如楓会 memorial』 | 近江… twitter.com/i/web/status/1…