キムの上海日記 (外伝)

2004年10月から上海に赴任。中国でのExcitingな生活を日記として掲載。

八字橋

2006年08月08日 00時38分45秒 | Weblog

こちらが南宋の時代に建てられたと言う石造りの陸橋です。
なかなか趣があります。
間に流れる汚い川で野菜を洗ったりしております。
写真に写っているのが、「烏蓬船」と呼ばれる足漕ぎ舟です。

紹興料理

2006年08月08日 00時36分24秒 | Weblog

はい、こちら紹興の代表的な料理のみなさんです。
旨そうですか??手前に見える厚揚げのようなものがかの「臭豆腐」です。
いや~、この臭いを届けられないのが残念でなりません。
左端に移っているのは、お碗になみなみと注がれた紹興酒です。
ちょっと甘め。

咸亨酒店

2006年08月08日 00時34分48秒 | Weblog

こちらが有名な「咸亨酒店」です。
なかなか歴史を感じさせる建物です。
奥行きも結構あり、二階席なんかもあります。
1階では、プリペイドカードを購入してから好きな料理をOrderします。

2006年08月07日 02時22分30秒 | Weblog

ちょうどこの時季、蓮の花が満開でした。
江南の水郷の何処に行っても、こんなに素敵な蓮の花に出会えます。
和みます。

無料の練習台

2006年08月07日 02時21分25秒 | Weblog

蘭亭にあった、ちょっと面白いもの。
見て分かります?正面にある「太」と言う文字を見ながら、手前の台の上で練習するのです。おそらく「太」は王羲之の書体なんでしょうが、台に書くのは水を使った筆なんです。以前もどっかで見ましたね。お金が掛からずに、何度も使えます。

碑文

2006年08月07日 02時19分24秒 | Weblog

蘭亭にある碑文です。
この碑文、その昔清の康煕帝が書いたと言われております。
よく見ると、文字が壊れてしまっておりつぎはぎになっているのが分かりますか?
これは文革時代に破壊されてしまい、その後池の中から破片を拾い集めて復元した為にこうなってしまったと言う事です。全く文革ってのは・・・、本当にろくでもない時代した。

紹興小旅行

2006年08月07日 02時14分51秒 | Weblog

7月15日、16日と紹興に行ってきました。
ちょっと前の話ではありますが、まあ記録ってことで掲載しておきます。
もともと、紹興にはずっと前から行きたかったんですが、なかなか予定が合わず(というかむしろ近すぎた為に)取りこぼしになっていた都市です。ここってば、結構魅力的な場所や物産が多くあるのです。まずは、日本人で紹興と言えば、「酒」。中国語で言うところの「黄酒」ってやつですね。良くある誤解ですが、紹興酒ってのは紹興地方で作られた黄酒の総称であって、お酒の種類って訳ではありません。ちなみに、ラオチュウ(老酒)ってのは黄酒の古いものを差します。原材料はもち米が主で、甕で寝かせて旨味を増していくのです。今回の旅の目的の一つは当然ながら本場もんの紹興酒を死ぬほど飲み尽くそーってのが一つ。お酒が有名ってことは、その土地に旨い水があるってことの証でもあります。そんな事からもわかるように、紹興は古い水郷としても有名で東洋のベニスとも呼ばれるほどの水の都らしい。なんで、今回の旅では街の周辺あちこちに点在している古鎮・水郷を旅してこようってのも一つ。それから、近代中国でもっとも有名な作家であり思想家である魯迅の生家があることでも知られております。更に書道家にとって見逃せないのが、「書聖」王義之ゆかりの蘭亭などが存在しているのです。

そもそも紹興の歴史的には、春秋時代の末期から戦国時代に栄えた国「越」の中心地として、その名を「会稽」と呼ばれておりました。この越国から生じた幾つかの諺は今でもよく耳にすることもあるので、知っている人も多いでしょう。「呉越同舟」や「臥薪嘗胆」なんて言葉は当時の越の歴史からでてきた諺です。中国の歴史的にみると、中原諸国の一つではなく、蛮異の国として見られてきた地方となります。より古い話では夏王朝の禹がここに葬られていると言われており、今でも禹陵として遺跡が残されておりますが、このあたりになると大分伝説というか神話に近いのではないでしょうか。いずれにせよ、会稽市はその後歴史の波に沈む事無く、王羲之や魯迅など文学・書に関連する人材を輩出しているってのは不思議な話です。場所的には上海の南250km程の距離にあり、杭州からは70kmで一時間ほどの近さに位置しております。上海から車で行く事も出来ますが、3,4時間はかかるので、電車で行くのがお薦めです。大体2時間半ほどで到着します。ただ、電車の本数が少ない為か、チケットを取るのは結構大変で、今回も一週間前に手配したにも関わらず、帰りのチケットは取る事ができず、杭州から上海へのチケットを手配して戻ってきました。

さて、初日。11時ごろの電車でしたら、これが素晴らしい。もともと軟座を手配していたのですが、どうやらVIPシートみたいのを手配してしまったらしく、飛行機のファーストクラスみたいなシートに揺られての2時間半ほどでした。ちょっと高かったけど、超快適。あれはよいね~。到着したのは15時近かったので、まずはホテル(紹興国際大酒店)にチェックイン。五星のなかなかのホテルでした。このあたりまでくると、さすがの中国でも高層建築が少なく、窓からの眺めがなかなか素晴らしいのです。さて、時間を無駄にしないために、まずは書聖王羲之の蘭亭へ向います。その昔、書道を齧ったことのある私としては、この場所は絶対に訪れなければならない場所のひとつです。書には幾つかの書体(古くは篆書や隷書から日本の仮名などね)がありますが、王羲之はその中でも現在の書体のメインとなる、楷書・行書・草書の三体を芸術的に完成させた人と言われております。「詩」であれば、杜甫が詩聖と呼ばれておりますが、書に関してはこの王羲之が書聖と呼ばれるほどの巨人なのです。この蘭亭にある序文は王羲之の代表作の一つで、行書の傑作です。俺も高校時代にはこの蘭亭序を何度も何度も模写させられたものです。懐かしい・・・。東晋時代の人ってことですから、いまからざっと1700年ほど昔になるでしょうか。あの有名な三国志の時代のちょっと後と言えばイメージ付くでしょうか?ちなみに、東晋の家系は「魏」の司馬懿から出ております。あの諸葛亮の好敵手ね。こうして歴史を俯瞰的に見るとやはりいろいろとつながりがあり面白いですね。

さて、蘭亭の内容は写真を載せるとして、その後は「魯鎮」に行ってきました。今回急遽時間が空いたところで、紹興を調整したために、日本のガイドブックが一切無く、仕方なく中国のガイドブックを参考にしながら行ってきたのです。その中に乗っていたのが、この「魯鎮」。あまりにも綺麗なその写真に新しさを感じて、ちょっと嫌な予感がしておりましたが、やっぱり、中身は新しすぎて、ちっとも面白い場所ではありませんでした。ちょっと興味があったのは、このあたりに行く途中の池や川などで真珠らしきものを養殖していた事くらい。そういや、J氏が前回上海来たときに「中国の淡水パールは杭州周辺であがっている」って言っていた気がします。その後は一旦市内に戻り、今度は有名な「八字橋」を見学に行きます。この橋、1200年ごろの南宋時代に建造されたものとやらで、結構な年代を感じさせます。なんでも中国に現存する最古の立体橋との事でしたが、まだまだ現役で利用されております。橋の左右には川を利用して暮らしている地元の人々が大勢います。透明度は30cmくらいの水(つまり汚い)ですが、お皿を洗ったり、野菜を洗ったりしているみたいです・・・かなり危険。

さて、その後はお楽しみにご夕食。今回目指したのは、紹興でも最も有名なレストランの一つ「咸亨酒店」です。こちらは、魯迅の小説にも出て来ますが、伝統的な紹興の料理を食べさせてくれるお店との事。か~なり楽しみにしておりましたが、なんと店頭からあの臭い(匂いではなく臭いね。)忘れてました。紹興って言えば、あの「臭豆腐」が有名料理なんですね。あの豆腐を揚げている匂いと言えば、夏の腐った魚市場よりも数段臭います。かのS先生も中国滞在中は、これだけは食えんと言い切っていたのもこの食材です。まあ、折角来たからには本場の臭豆腐を食わなきゃならんな~ということで、95%の義務感で一皿購入しました。口に含むとあのなんともいえない臭みが全身を犯していきます。あわてて紹興酒で飲み下さないと、窒息死しかねない臭いです。あー、なんでこんなものが大衆受けしているのか全く分かりません。まあ、臭豆腐はともかく、他の紹興料理はなかなか美味でした。特に豚の背肉を醤油で煮た物に高菜を加えたような料理は日本の懐かしい料理のようでなかなか○。一杯10RMB程で茶碗(Notコップ)になみなみと注がれる紹興酒も飲み応えありですね。このお店の隣には、結構有名な紹興酒の販売所があります。日本ではン万年するような逸品がそこそこの値段で手に入れることが出来るのです。本物かどうかは飲んでみるまで分かりませんが、紹興のこの場所で偽物掴まされるようであれば、もう仕方ないですね。あー、この日は酔ったな。

翌日、若干二日酔い気味ながら、東湖と浙江省の代表的な水郷の一つと言われる安昌古鎮を巡ってきました。東湖ではこのあたりの伝統的な船である「烏蓬船」に乗ってきました。これは足漕ぎ用の苫船です。長さ5mほどの小さな船ですが、船頭は器用に足を使って船を進めていきます。安昌は思った以上に昔の風景が残されており、かつての生活が垣間見れるようでなかなか良かったですね。外国からの観光客はほぼ全く居ない感じでした。ちょうど昼食時だったので、どっか河沿いの飯屋で昼食にしようと思ったものの、ここもやはり目の前の川で炊事を行っている事は間違い無さそうでしたので、安全の為断念。杭州までタクシーで移動してから昼食にしました。帰りは電車でぐっすりでした。てな感じで、ざっと1日半の行程でしたが、なかなかに興味深い紹興小旅行でした。上海観光にはもう飽きたって人には適度な距離かもしれません。

「咸亨酒店」にて入手して激レアのン十年物の紹興酒が我が家に眠っている事はここだけの秘密です。

キム

お靴

2006年07月23日 23時43分53秒 | Weblog

これこそが、北京のタクシーの運転手さんに買ってもらった正統派「中華人民靴」です。オシャレなサンダルでの入館は出来ませんが、こちらの人民靴なら大手を振って入場可能なのです。ダサいとか格好悪いとかは関係ないのです。

俺ってば、日中友好の架け橋みたいだね~。




抗日戦争記念館

2006年07月23日 23時41分31秒 | Weblog

こちらが今回見学した抗日戦争記念館です。
入場料15RMBと破格の安さですが、建物自体はものすごく立派です。
中身は写真とジオラマがメインとなっており、如何に日本軍が中国を侵略し、如何に共産党がこれを退けたか!ってな内容になっております。

やっぱり平和がいいですね。
最近の日本の教育が右傾化しているようでちょっと心配です。
平和あっての楽しい生活です。

盧溝橋②

2006年07月23日 23時36分28秒 | Weblog

こちら橋の全体像です。
基本的に石造りのなかなか雰囲気ある橋です。
幾度にもわたり補修されているかと思いますが、中央の石は当時のままとの事です。本当かどうかは分かりませんが、相当凸凹です。

盧溝橋

2006年07月23日 23時34分16秒 | Weblog

はい。
こちらが盧溝橋です。
欄干には500体近くの獅子の像が飾ってあります。
どれ一つとして同じ物は無い・・・らしい。

ちょっと憧れ 北京猿人

2006年07月18日 02時06分39秒 | Weblog

館内に飾ってある、北京猿人の生活風景です。
自分で狩をして、火で調理し、あとはな~んもしてなさそうな感じです。
これで温泉でもあれば最高な感じがしますが、如何でしょうか?
ちなみに、この時代北京猿人さん達は巨大な洞窟を住居にしていたようです。
周口店遺跡ではその洞窟自体も見ることが出来ます。

北京の1日

2006年07月18日 02時02分40秒 | Weblog

本日上海から戻ってきました。
なんだかやたらと飛行機が混んでるな~と思ったら、今日は三連休の最終日だったんですね。例年であればこの海の日の連休は伊豆の美しいビーチに居るはずだったんですが、今年は残念ながら出張中って事になってしまいました。生憎と天気も悪かったみたいですが、皆様いかがお過ごしでしたでしょうか?何にもせずに海の日を終えてしまうのが嫌だったので、一人でコロナを飲みつつラムチョップをつまみながら日記の更新中です。あ~本当はタコスを食いたかったなー。もう何年も食ってないような気がします。作り方を忘れない内にタコスパーティーでもしないといけませんね。

さて、今回の出張は日本→香港→深セン→香港→北京→上海ってことで、非常に多くの場所を巡ってきましたが、仕事自体は引継ぎとVisaの手続きがメインでしたので、時間的には結構余裕のある旅程でした。空いてる時間は有効にってことで、どの場所でも時間があればいままで行けてなかった場所を訪問してきました。ってことで、今日は北京の訪問先を少し紹介。まず向った先は北京の南西50km程にある「周口店」。ここは何が有名化っていうと、かの有名な北京原人(中国語では北京猿人)の遺跡が発掘された場所なのです。87年には世界文化遺産にも指定されている場所なのです。北京原人、学術名で言うとシナントロプスは第四紀の中ごろ、今から50万年ほど前の原人らしいです。石器や火を活用していたことが証明されております。その証明がこの場所に遺跡として残されているのです。彼らの遺骨の遺跡は当然ながら、集落の周りには非常に多種類の動物の骨が残されており、彼らが狩をして食を得ていたことも分かりますし、地層には灰も見つかっており、火を利用した跡がみつかっているみたいです。周口店遺跡自体は小山をそのまま博物館にしたような場所で、この辺りで発見された骨や原人の生活風景を再現したものが飾られております。それらの絵を見てみると、これがまた結構俺のやっている事(やりたい事?)と大して違わないような生活を送っていたようなんで思わず笑ってしまいました。お腹空いたら動物食ったり、植物食べたり、釣りしたり、実にきままそうです。これで温泉なんかあったりしたら最高だろうな~なんて思ったりもしますが、実際には訳の分からない病気があったり、強敵も猛獣も沢山いたんでしょうね。もともと存在していた原人の骨は、日本が中国に侵略したドタバタの中で紛失してしまい、今に至るまでその行方が分かっておりません。残念なことです。

さて、次に向ったのは同じく北京の南西にある「盧溝橋」です。名前聞いた事ありますか?ちゃんと世界史をやった人なら必ず耳にした事があるはずです。北京南西の永定河に掛かる石橋なんですが、最初の橋は実に1189年だか1192年に掛けられたとの事です。日本で言えば、ちょうど室町末期でしょうか。その後17世紀清の康熙帝時代に再建されましたが、橋の欄干に何百体もの獅子の石像が飾られております。かのマルコポーロもこの橋を眺め、世界で最も美しい橋だと絶賛したとの事です。これだけであれば、日本の歴史の教科書にも載りませんが、問題は1937年。俗に言う「盧溝橋事件(中国内では七七事変)」によって、この橋の名は受験生が必ず覚えなければならない名前へと変わったのです。簡単に言えば、1937年7月7日にこの場所で行われた一発の銃声が日中戦争への引き金となったのです。日本にとっては忘れたい?中国にとっては、忘れべからぬ場所となったのです。現在、この橋は車は通ることができず、人のみが通行可能となっております。見た感じ、大分修正されているみたいでしたが、橋の中央の石畳は昔のものをそのまま利用しているらしく、大理石のような石がボッコボコに凹んでおります。欄干の獅子像は500近くあるらしいですが、どれ一つとして同じ物が無いらしい。ただ、俺が適当に見た感じだとどれも同じに見えてしまいますけどね。

この橋の手前にある椀平城内には、「中国人民抗日戦争記念館」ってのが併設されている。場所柄、ちょっと怖かったものの、ここまできたらやっぱりどんな展示内容なのか確認しないと、と思いチケットを購入して入場してみることに。と思ったら、ここで思わずトラブル発生。入口を固めていた兵士に止められて、中に入れてもらえない!!喋っても居ないのに、おれが日本人だってばれたのか??有り得ないことは無いなと思い、理由を聞いてみると、なんと、俺の服装が駄目だしされたみたい。ちなみに、この日の俺の格好はラルフのポロシャツ+ラルフのショートパンツ+BIRKENSTOCKのサンダルってな格好。何が悪いんだよ!!俺はもうチケット買っちまったんだ!!と迫ってみると、なんと俺のサンダルが気に食わないらしい。今まで中国でそんな話聞いた事無いぞ・・・。大体女性はサンダルで中に入っているのに、男が駄目な理由があるかっ!、しかもこのサンダルはその辺の靴の100倍くらい高いんだぞっ!と言って見るも、全く効果なし。残念ながら入館を諦めて帰ろうとすると、な~んとタクシーの運転手が一言。「それはいかんよ、靴を買ってでも入るべきだ。俺が一足買ってやるよ」との言葉。なんでそこまでしてここに入らなきゃなんないんだ~と思って絶句している間にも近くのスーパーで人民靴をかってきてくれたTaxiの運ちゃん。彼とは長い付き合いだけど、こんな事は初めてだ。彼も日本人の俺にこの中を見せたかったのだろうか?まあ、靴まで買ってもらっちゃったら中に入らないわけにはいかないってことで、再度兵士にトライ。したら、今度は快く中に入れてくれるとの事。こんなだっさい格好なのに・・・

中は予想通りの内容で、1.日本軍の残虐な行為、2.中国人民の苦難、3.共産党の戦いの歴史と勝利。ってことで、いつもの愛国、愛共産党教育の一環のお手本のような内容ではありましたが、写真も数多く展示されており、なかなか見ごたえがありました。かなり施設が立派な割りに、入館料が15RMBってのは誰でも入館できるような配慮なのでしょうね。アレを小さい頃から見せられ続けたら誰もが日本を嫌いになるだろうなぁ。かつての行為を正当化するつもりはさらさらありませんが、もうすこし前向きな方法は無いんでしょうかね?日本のかつての愚行と現代の中国の教育方針にはうんざりします。まあ、共産党にとっては「抗日」というのは、組織を成り立たせる基盤と言ってよかったでしょうから、そう簡単には捨てられないでしょうけど。なんといっても彼らにとってみれば、共産党によって「偉大なる勝利」がもたらされ人民が「開放」されたのですから。これは有る意味事実でもありますしね。まあ、逆に今度は共産党に支配される事になってしまうんですが・・・

次に訪れたのは、「琉璃廠」です。北京前門の南西にある小さな通りですが、古書や書具、中国画などを売る店がつらなっている場所です。書好きにはたまらない場所でしょうね。街並みは昔と変わらない古い街並みを残しており、なかなか風情があります。そのまま、琉璃廠を突き抜けると、胡同(フートン)に出ます。胡同ってのは北京の昔からある街並みで、いうなれば庶民の通りですね。浅草の下町みたいな感じ。このあたりは出店も多く、北京の庶民の生活を垣間見る事が出来ます。そのまま通り過ぎ、大柵欄
にあるお茶の老舗「張一元」でジャスミン茶を試したり、その隣の同仁堂で漢方などを眺めつつ、遅い昼食はこれまた最後最後と何度も食っている全聚徳での北京ダックです。1人で腹いっぱい食いましたが、2000円ほどでした。そんなこんなで、仕事は何処行った??って感じはしますが、夜はばっちりお客様アテンドで4次会までお付き合いいたしましたとさ。

キム

オコゼの点心

2006年07月15日 02時26分22秒 | Weblog

黄油蟹を食べに行ったときに一緒に食べたオコゼの点心です。
蝦や蟹の点心は馴染みがありますが、魚、それもオコゼを使った点心ってのは驚きでした。味は非常に繊細で魚の甘みがあり、良い感じでした。魚の点心ってのも旨いもんですね。見た目もなんとなく可愛いですが、味には関係ありません。

香港また会う日まで

2006年07月13日 23時16分37秒 | Weblog

やっぱり海外に出ていると、いろいろと日記に書きたくなるような内容に巡りあいます。まあ、日本に居る時にもいろいろあるんですが、あんまり日記に書くような内容じゃないってのが正しい所でしょうかね。さて、ここ数日は連日35度を越すような酷暑の中におりますが、ニュースを見ていると、どうも日本もやばそうな感じですね。いよいよ夏到来ってことで、今週末の海の日に海に居れない今年が残念で成りません。きっと、仲間の皆も同じ気持ちではないかと思ってますが、どっかで波の音でも聞きながらビールでも飲んでいるんでしょうかね?ってことで、全然脈絡ありませんが、ただ今北京滞在中のキムです。香港から北京、結構遠いのよね。飛行機で3時間半から4時間近く掛かるの。香港の最終日も大分夜更かししていたので、貴重な睡眠時間が取れました。やっぱり航空会社をDragonAirにしておいて良かったな。あのサービスは中国の国内航空会社に比べると天と地よりも離れてるからね。ずっと爆睡していたせいで、機内サービスのハーゲンダッツを食い損なった事がちょっと悔しいのよね。飛行機の中でハーゲンダッツってなんかちょっと嬉しくない?

さて、「香港さいこ~」の続きですが、「やっぱり香港さいこー」です。火曜日は午前中お客さんのアポがあり、引継ぎの挨拶と後任の紹介へ。午後にも一件アポがあったのですが、ちょっとした都合でキャンセルとなり、嬉しい事に午後以降はフリーになっちゃった俺。後任の営業も翌日の打ち合わせの為に深センへ向います。(俺も参加予定なんだけど、俺は翌日の早朝香港から移動予定)またぞろ買い物三昧か?と思ったんだけど、その前にやっぱりアレを食っておくか!!ってことで、目指した先は時代広場の上にある某中華レストラン。お目当ては、この時期このエリアにしか出回らない「黄油蟹」です。この「黄油蟹」は蟹の種類って訳ではなく、産卵期を目前にしたメスの青蟹が特殊な状況で育った状態の蟹を指すのです。つまり、香港や中国珠江流域あたりの河口へ、産卵の為にこのメスの青蟹が浅瀬に上がってきた際に、河口の潮溜まりで夏の太陽を浴びて高温の水温により体内の卵が変質し、黄色クリーム状の蟹ミソとなって、蟹の全身にこの蟹ミソが巡ってしまっている状態の蟹を「黄油蟹」と云うのです。非常に特殊な環境でしか採取する事が出来ない為に、一部では幻の蟹と呼ばれており、本物は非常に高価な値段が付けれれております。実際に、今回食した黄油蟹もほんの片手サイズ(400gくらい?)でしたが、一杯7000円近くの値段でした。香港の物価や、日本で最高級の毛蟹が1万円/kgである事を考えても、この蟹の値段の高さが分かろうと言う物です。今回はじっくりに蟹を味わう為に、あえて香港の同僚も呼ばずに立った1人で黄油蟹コースを挑戦してきました。まずスープやら何やら出てきますが、やっぱり本場の広東料理って、椎茸が多くて参っちゃうんだよね・・・。折角の鮑も椎茸臭くて食えたもんではありませんでした。残念。こんな事なら最初から単品にしておけばよかったと後悔です。んで、肝心の蟹ですが、まあ、期待したほどではなかったですが、やっぱり旨いというか旨味がありました。足の先から爪の先まで黄色のミソまわった身は甘みと香りがあり、何とも言えない良さがあります。がっ、濃厚さで言えば11月のオスの上海蟹に軍配が上がりますし、蟹本来の味で言えば毛蟹には適わないでしょう。ただ、年に1回くらい食うには良いかもしれません。しかも、一般的な蟹シーズンからははずれた夏に食えるって事では非常に貴重な逸品です。

さて、無事に蟹を食い終えた後は、再び買い物へ。SOGO、三越、時代広場、リーガーデンと巡り、夜は香港の友人とローカル香港フードに行ってきました。ここの火鍋と海産物がまた安くて旨かったな。場所は旺角のあたりです。香港の火鍋は中国のみたいにスープの味が濃くなく、また辛くも無いので、あっさりと楽しむ事ができます。具はやっぱり海産物が多いけど、羊なんかもありますね。野菜が美味かったな。それと、俺の大好きなホタテの大蒜蒸。これって、広東料理の定番なんだけど、夏はシーズンじゃないからあんまり期待してなかったんだけど、たまたま新鮮なホタテがあったので、造って貰いました。あれって、日本でも食えるのかしら?

さて、翌日。
この日は朝から大荷物を抱えて移動です。午後に香港から北京へ移動の予定ですが、なんと急遽午前中に深センにて客先アポが入り、香港からはるばる電車にのって深センへ移動です。陸地での国境?越えは久しぶりです。でかいスーツケースを二つも持っていたので、かなり怪しまれるところですが、スーツを着ていたために調べられる事も無く無事に通過です。ちなみに、電車は九龍のホンハムStationから頻繁に出ており、およそ40分くらいで深センに到着します。便利。1時間半ほどMtgした後、今度は香港の空港に向う為に、深センの蛇口港からフェリーに乗って香港空港へ。またもや出国と入国手続きをすませ、この日1日でパスポート半面使用。このフェリーがまた良かったんだよね。フェリー乗り場では乗船前に(蛇口港にて)飛行機のチェックインが可能なんで、重い荷物はここで預けられるの。フェリーは小型の100人のりくらいで、一階席のみ。甲板に出たいな~と思ってたんだけど、そんなもの無さそう・・・。と思っていたら、なんと、20RMBをクルーに渡すと上に行かせてくれるとの事。垂直に近い梯子を登った先は・・・な~んと船のコクピット?操縦席?まさに船を操縦中の船長なんかを横目に見ながら、操縦席で自由にするもよし、横のドアから甲板に出るもよしっていう有り得ない状態。ただ、このサービスは船の出港後に開始され、到着前に1階に下ろされたことから考えると、彼らのバイトとしてやっているに違いない。それでも、移動中のフェリーの操縦室にも入れるし、甲板からは香港空港に離着陸する飛行機が海の向こうに大きくみえる景色は200RMBの価値はあると思う。チャンスがあればお試しあれ。ついでに、香港からの出発チケットを持っていて、蛇口港でチェックインすると、空港税か何かが還元さえるので、空港に着いた時点で120HKD程返金されるのよね。これまたなんかお得な感じでしょ?晴れた日にはお薦めですよ、このフェリー。

あー、楽しかった香港ともついにお別れです。
さようなら香港、また会う日まで。