こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

航海日誌:不定期日記(3/10 日・3/11 月)東京大空襲、311・・・

2024-03-12 21:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

3月10日(日)12/1℃、ほぼ晴れ。朝五時台に寝床にネコやってきたが、おしっこの匂いがしたのでやむなく起きて処理へ向かう。。。終わって再び寝床に戻る。/TVからNH小さな旅のメロディーは聴いたが、ちる坊をふところに入れてうかつにも11時半近くまで横になってしまう。外はPカンというのに。起きると口が臭いので至急ハミガキ。

午後外に出ると日差しは強いが、寒い。家の者が用事で先に浅草に行っており、後から自分が向かった。なんでも行きたいお菓子屋さんがあるというのだ。合流して、相手の言うがままに歩いていったが、営業しておらず空振り。。。せっかく天気がいいからと川に沿って散歩する。ゆりかもめたちが空を舞う。今日もいつも通りperfect daysのあの橋を渡る。川岸にある慰霊碑に今日も合掌す。

ああ、東京大空襲 朋よやすらかに

3月11日(月)13/1℃、晴れ。午後仕事へ。途中焼きおにぎりをふるまうも、人が多くててんてこまいだった。帰り道、通過した夜のスカツリはやたらに色が鮮やかで、変化が激しかった。311ゆえの特別ライティングだという。思えば13年前の今日、地下からこの真下に出てきて、建設中の塔を見上げていた。てっぺんがひんまがったというのもこの夜だった。時間はもっともっと夜遅かったし、もっと凍てつく夜だった。

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航海日誌:不定期日記(3/9 土)

2024-03-11 21:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

3月9日(土)10/1℃、晴れ、強風。夜明けネコども騒ぐので、仕方なく起きてカリカリ与え、再び寝床に戻る。その後、連中が眠りに来て・・ちる坊をふところに入れたがそれもつかの間。えっくんが風に揺れるレースカーテン相手にボクシング、それをやめさせようと動いたら、ちる坊もそっちに行ってしまい・・・・ふたりともカーテンの向こうとこっちを行ったり来たり、ひなたぼっこ半分・カーテン遊び半分、こちらはまったく眠ることも落ち着くこともできない。困った問題。

昔のAMラジオCMが懐かしさ充満、延々と繰り返しイヤホンで聴く。このまま死ぬまで聴いて終わるならそうしていたい。だが、起きては諸業務に従事セネばならない。・・・ネコのうん〇片付け、ゴミ出し、草花手入れ、ハミガキ、お茶入れ等々、主夫は多忙なのだった。

夕方ひとりで目的もなく自転車をゆっくりゆっくりと転がして、外を徘徊する。なにも決めずになりゆき任せで走った末、某花屋が見えてくる。。。私の少し前を自転車で走り抜いた若い母子がその花屋に数秒早く到着し、ガラガラッと中に入っていく。いきなり入るあたり常連なのだろうか?「お花、お花」と言うお花好きの小さい女の子が居てこその勢いだろうか?。相対するように奥から店主がやって来る姿、そのなりゆきを見ていた。以前よりカツラと疑わしい店主がきちんと髪型と身なりを整えて、店の奥から前へ花だらけの花道をやってきた。。。こちらは中に入る前に、外に並んだ花の苗を見ていたが、これという決め手がなくて、見るだけで去った。。。

その後も自転車回遊で別の花屋、スーパーを巡る。どこかでカラダを温めたいと喫茶店候補を思案するが、どこも個人経営の喫茶店は17時・18時あたりで店を閉じてしまうため、そしてこうして迷っている間に時間が経ってしまい・・・冷え性の自分はこらえきれず、結局チェーン店に入ってコーヒーを飲むこととした。

土曜の夕刻。もうみんな家に帰って夕食にありつく頃にこんなお店に居る。社会や家庭といった軌道から疎外されて数十年生きてきたことを感じる。コーヒー飲むまわりにいる数人の若い者たちを眺める。。。/数年前から同居人のいる今、自分はそんな疎外感を感じる必要ないよ、と友人には言われるが、そういうことはない。ひとりコーヒーを飲んでいるとしみじみ孤独を感ずるウィークエンドの夕刻。。。

90年代後半から2000年代、同じ週末・同じ時間帯 よく友人と3人で神保町界隈を漂っていた。中古レコード屋「Janis2」のお店の外の露店では、指を汚しながら安価CDを選び、店内に入っては流れた音楽に触発されながら中古CDを漁っていた。

そんな2002年のある日に出会った1枚はヨ・ラ・テンゴのCD。露店のオレンジの光とこの音楽とジャケットシーンの怪しさが記憶の底で繋がってインプットされている。

■Yo La Tengo「Everyday」2000■ ·

1曲目の苦し気なごとごと言うドラム。週末と平日を繰り返し、一年二年一生と繋がっていく「毎日」。

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航海日誌:不定期日記(3/8 金)

2024-03-10 21:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

3月8日(金)10/0℃、雪→雨→晴れ。6時台から目覚めていた。ネコがそれぞれ自由気ままで、ふところに入ったり布団の上で寝たり、早朝から別室で遊んだり。飯田浩司アップ~一之輔さんのあなたとハッピーへ。寝床から起きると外は雪、ベランダに積もっている。でもすぐに雨に変わり、早々雪解け。9時台でも2℃の寒さ。はぐれ刑事は平淑恵とコロッケがゲスト出演。お笑いとかコミカルな面をつけ加える実験は捜査一課長の原型。

お昼は肉やさいキノコ入れたらーめんとうすかわつぶあんぱん。ネコをケージに入れて外に出ようとすると間際にシャカシャカ・・やむなく処理して今日も急いで走るはめに。午後仕事。翌土曜のための作業手伝い等々。夕ご飯は鳥甘辛揚げ、カニかまサラダ、ひじきサラダetc、食後カステラとパフェ、コーヒー。21時から日本アカデミー賞と家の者に言われるが、内側に閉じた狭い賞なんて興味がない。正直賛同しかねるため、私は見ないで別のことをする。「perfect days」のような作品や役所さんが単なる商売映画と同じ俎上に乗せられるのは気の毒でならない。夜0時奥さまは魔女。サマンサの顔がアリス・クーパーみたいになった。

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航海日誌:不定期日記(3/7 木)

2024-03-09 21:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

3月7日(木)9/4℃、くもり→晴れ。ネコは寝る私の足にいてぬくぬくしていた。こちら側はカラダ全体にダルさが充満して、心身ともに汚染された感覚。朝ごはんを食い、着替えをしながらはぐれ刑事を見るが、真剣に見られず脳に入ってこない。

寒い中自転車ころがしてリハビリ施術に向かうと、先生に顔色悪いよと言われる。施術していくうちに青白さが取れてきた。施術終えて再度自転車を飛ばして移動。山谷等々放浪。昼、移動に時間かかってしまい、残り時間が無くなりつぶあん&マーガパンとコーヒー。筋トレ兼リハビリ。

終わってなおさんとお話ししつつ駅まで歩き、別れる。帰り道、春の準備としてゴーヤの種を買う。まだ蒔くには早いけど。。八百屋、スーパーと回って、帰るとネコたちに夕ご飯。彼らが静かになってから、今度はじぶんの夕ご飯作りへ。久々に「青い魚」(金延幸子さん)聴きたくなり、支度をしながら聴く。荒井由実なら互角だけど、相手が“松任谷なにがし”(同一人物だが)ならば、金延幸子さんの曲の方がその100倍素晴らしい。映画「perfect days」のお陰で出会った曲は、もうすでに=(イコール)今年出会った曲ベスト10である。夜はバイタン鍋、仕上げはラーメン。食後2つのお店のおはぎを食べ比べするぜいたく。夜、バリカンと入浴。

■金延幸子「青い魚」(編曲 細野晴臣)1972■

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航海日誌:不定期日記(3/6 水)

2024-03-08 21:00:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

今日も単なる個人的備忘録。しかし、そんな現実的な足もとを記し重ねることから見えてくるものがあるはずだ。

3月6日(火)10/2℃、朝はパラパラ雨。昨夜の余波。明け方からネコ騒ぎ出し仕方なく起きてカリカリを与え、その後再寝に戻る。しかし、しばらくすると食べ終わったちる坊が布団の中に入ってきた。招くとふところのところでくるくるっと丸くなり、私の胸の上に手を乗せてゴロゴロ言い出した。一方えっくんは布団の上に乗り、私の足のでこぼこに沿って軍艦座りへ。彼らがゴロゴロ言うからには、、とすっかりこちらはカラダが動かせなくなってしまい、再寝どころではなくなる。一定時間を経て、ハミガキへと起きるとネコたちもついてきた。朝はいつもどおりの粗食、納豆味噌汁雑穀米。

午後仕事へ。。昼は出る前に簡単にハムチーズサンドで済ませたが、それでは仕事終わるまでもたないだろうと、お店に立ち寄り牛丼「小盛」を初めて頼んだ。イヤホンでしばし大竹さんラジオ。もひとつチェルが生産中止になるらしく、一部騒いでいる輩が居るという。ネットで数千円販売というニュースをめぐって壇蜜っつあん、あさこさんとの雑談。個人的には、無くなると分かると買う人が居るからであって・・・それはお店屋さんが閉店と決まるとろくに行ってなかった店に行って写真を撮り「残念」と言う人を想い出させる。原価上昇の中で値上げを認めてくれない流通業者の圧力とか(それは=消費者からの圧力でもあり)、この機にやめてしまおうという企業方針とか・・・理由は色々だろう。真相は知らないし、私が味わっていたのもあくまで小さい頃で、「無くさないでほしい」と偉そうに言えるほど買っていない。入院したときに院内売店で母が買ってきてくれたのもチェルだったかも。。。アメとか舐めるものはそんな切ない時を思い起こさせる。

夜はのり弁、マカロニサラダ、味噌汁。食後のお茶とシュークリームとサクラもち。最近甘いものを食べすぎ。。/TVはまだギラギラした頃の類さん。今もいいけど、この頃の類さんもいい。放送はかなり前の上野、新宿の再放送。店側の対応も極めてそっけなく、決して撮影に協力的ではない。たかだか十数年前だけど、こういった酒場のある街は平気でTVカメラが入ってくることを阻む聖域だったはずで、各々の街には見えないオキテがあった。“おもてなし“といいながら、海外や観光客等々の侵入や傍若無人なふるまいに、我慢したウソの笑顔を向けることはなかった。東京は五輪招致決定以降の巨大破壊で大きく街のありさまを変えてしまった。類さんの放送はそのことに気付かさせてくれた。

番組を観つつ、今日もきっちりヨガマットで気付くとごろりと寝ていた。だるく身を起こし、何とか入浴して1時半ごろに今度はきちんと布団で寝た。

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