われ思ふ ゆえに・・・・

日々の雑感です

私が投票ボタンを置く理由

2005年04月04日 | Weblog
この日記を書き始めて、様々な方達との交流が生まれた。

前回の日記で少し触れたように、私はもうずいぶん長く日記を書いているし、あるリンク集に登録してからも、早、五年以上の月日が流れている。

前回私は

>誰彼との親しさや交流を誇示するため、膨大なメールを送り、そしてまた、暗に受け取るメールの多さを>誇示し、必ず返信する己の姿勢を誇り、自分は人気があることを、トリックで刷り込む。

と書いた。

今のそのリンク集は、アクセス数と投票数のランキングの制度があり、アクセス数は上記のようなトリックでコントロールが、多大な努力をすれば可能でも、投票数の方は出来ない流れに向かっている。

相変わらず、出典を明らかにせずに、無断引用した有名人の言葉を、自らの日記の一部のように見せかけた日記が、アクセスの上位に一つだけ存在する。逆説的に言えば、そのような見苦しいことを行う日記は、リンク集の中では、もう残りは僅かだと言い換えることも可能だ。

投票数に関しては、好悪の情や、ジャンルとしての好き嫌いはあったとしても、筆力や独自性、何よりも借り物ではない一本筋の通った、日記が並ぶようになり、またテーマや思考の方向性で、票数も大きく変化するようになった。

元々、日記を読むのでは無く、投票を営業ツールとして考えるタイプの日記作者は、「投票は人で押す」という言葉の裏に「私と円満な関係を作っていれば、投票はしてあげる」と言う、暗喩でまた人を集めようとする。

そして、それは、投票に飢えている獄一部の初心者や、自己満足なテキストが何故読まれないかを理解しない人達には甘い蜜となる。

自らのテキストに信を置く作者達は、同時に自らの言葉に責任を持つ。そして、自らの行動に責任を持ち、参加するリンクサイトの投票ボタンを、単なる義理で押すことは、極、稀だと考えるのが当然ではないのか。

自分の物差しで人を計る時、人は馬脚を現す。

人目を引きやすい性や恋愛について、出典も明確にせずに引用を続け、そして、まるで投票に参加している人々が、例示したような行為ばかり行っていて、ランキングに拘泥しているように貶め、投票を意識すれば書きたいことを、止めるが如き仮定を置き、自らはそうでないことを暗に誇る毎度の手法に、欺かれる人が存在すると思っているのだろうか。

リンク集の投票には、意思が見えるようになったと感じる。

新しい登録者が、急速にランクを上げてくる。拝読させて頂くと、確かに独創的で、面白い。最近は、そんなケースが増えている。

自らの思想と相容れない内容でも、そこに理があり思考があれば私は投票ボタンを押す。そして、カワイイ猫や犬やペット達の日常や、美味しそうな料理の写真が、嫌味のない言葉で日記として綴られていれば、やはり私はボタンを押す。

ちなみに、その日記が参加しているランキングでは、アクセス数も表示できなくする事は簡単だし、レンタルで借りている場所のランキングに参加しないことも可能だ。しかし、アクセス数だけは公開したい日記は、決してその表示からは離脱はしない。

アクセス数、それがあたかも自分の価値のように誇るには、単にページの開かれた回数を競うのは容易い。嫌悪を持つ者であってもページを開けば1アクセスだ。

リンク集のシステムには積極的に参加したい。その全てが活発化することで、リンク集は生き生きと本来の力を取り戻すと信じているから。

僭越失礼。読了多謝。



待っててね。

2004年12月17日 | Weblog
私の育った町は、幼い頃、まだ路地の奥に駄菓子屋があった。

学校帰りにその店に寄ることは、もう禁止されていたけれど、かといって、先生やPTAの人達が、見張っているわけでもなく、あいかわらず私たちの楽しみな時間だった。

歩いて行ける範囲に幾つかあった駄菓子屋や雑貨屋の中で、その店だけが残っていたのは、その頃でさえ余り見かけなくなっていた、パリッとした割烹着を着た、子供の目から見ても若い頃はキレイだったんだろうなぁと思わせる、上品なおばぁさんの優しい笑顔に拠るところが大きかった。

コンビニでは雑誌を立ち読みし、新しく発売されたお菓子をみつけて、チェックはする。たまに、新しいガチャガチャに100円を入れることがあったが、日頃使うお小遣いの殆どを、私たちはその駄菓子屋で使っていた。

「ありがとう、ございましたぁ~、またどうぞぅ~~」

判子で押したような笑顔で、レジのおねぇさんやおにぃさん、そして以前は私たちにも愛想の良かった、元は酒屋のおじさんのオーナーも、機械的に声をかける。それが、新しい商売であるコンビニの証であるように。

子供心にも、ありがたいのは私のお財布のお金だけで、また来て欲しいのは「私」ではなく、「買い物をするお客さん」なんだって、すごく感じた記憶がある。

駄菓子屋のおばぁさんは、私たちをほんとうに待っていてくれた。何日か顔が見えないと、友達に「どうしてるの?」と尋ねてくれて、共働きの家の鍵っ子だった私が、風邪を引き込んで一人で寝ていると、家まで様子を見に来てくれたこともあった。私が一月に使うお小遣いより、はるかに高価なお見舞いのくだものを持って。

そこには、心があった。

・・・あらら、いきなり話が脱線してしまった。書こうとしていたのは、私は心の無い言葉や態度には、未だにむなしさを感じるということなのだ。いくら丁寧な言葉で、私に対する一言が添えられたとしても、そこにあからさまな、利害の絡む心が透けると、鼻白んでしまう。

初めてインターネットを始めたのは、今からもう一昔近く前だ。家族がバラバラになって、一人で家にいることの多い私に与えられたのは、発売されたばかりのWin95搭載のPCで、その説明書にインターネット初期費用無料のサービスが添えられていた。ガイド通りに操作していって、辿りついたのはinfowebのホームページだった。そこで、私は遊ぶようになり、初めてのサイトを作った。

まだ女の子のサイトは圧倒的に少なく、それだけで、興味を持ちメールを送ってくる人は多かった。全てに返信し、その返信にまた返信して、でも、少しリアルの世界から逃げ出したかった私には、それが楽しかった。

しかし、そのうち気が付いた。頑張ってコンテンツを更新しても、まったく気が付かない人が居る。前の日記に「私はこんな事が嫌い」って書いてあることを、平気で「楽しいね」って書いてくる人が居る。そんな人達は、私が「女の子」だからメールをくれるだけで、私が誰で、何を思っているかに興味が無いことを知った。

もっと私を知って欲しくて、日記のリンク集に登録してみた。そのシステムからメールをくれる人達は、日記を書いている仲間意識もあって、少しずつ私のことを知ってくれ、私もその人の日記を読み、その視野から見える景色や出来事、そして考えに興味が湧き、近しい人達も増えていった。楽しかった。

2度目に大きなシステム変更があったころからだろうか。僅かだが空気が変わってきた。まるで、DMのようなメールが増え、どう考えても私と一致点のない人が、私をブックマークし、何日かこちらからアクションを起こさないと、そのブックマークは消える。

「ありがとう」と返事を出すと、慌てて読んだのが歴然とした、テクストの感想が返信され、「これからも宜しく。」と、書き添えてある。

誰彼との親しさや交流を誇示するため、膨大なメールを送り、そしてまた、暗に受け取るメールの多さを誇示し、必ず返信する己の姿勢を誇り、自分は人気があることを、トリックで刷り込む。

そして、公開する文章は、盗用と引用に満ち溢れる。それも自らを正当化し美化するための恣意的な物ばかりを。

そんな日記が散見されるようになり、その幾つかはすぐに行き詰まり、幾つかは日常日記へと落ち着いていき、そして、幾つかのそのようなトリックや営業活動に長けたものは残った。

今、私は一人暮らしで、コンビニの明かりが恋しい日だってある。ザワザワとざわめく店で、思い出すのは、幼い日の駄菓子屋のおばぁさんの顔だ。

爆発的に増えた、日記やブログの海の中で、どこかが触れ合う誰かと出会うのは、簡単そうで難しい。

始めたばかりのサイトに、その日記リンク集では有名だと思われる人から、メールが届く。それも、自分の文章を読んでくれてから。あるいは、そんなサイトに感想を送ると、メールが必ず還ってくる。ネットの中で、孤独な心は、その人と近しい気がして、嬉しくなる。

勿論それは悪いことではない。私も最初はそうだった。

何かの利のためなら、人は仕事として機械的に処理をする。それを仕事だと思わせないのも仕事の内ではあるのだが、相手はそれに心を感じていれば、それは、恋人商法や、介護商法と大差は無い。

ネット上で評価を受けるために「営業」することを全て否定するつもりも毛頭ない。

ただ、ネットで文章を公開するなら最低限守らないといけないルールはあると考える。内容も、読者との交流の方法も。

営業メールも、心のこもったメールも同様に捉える。利の無いものは切り捨て、利の無さそうな人々を賤しめる言葉を投げる。そこに深い考えがあるわけではなく、ウケを狙い、利を得るために。

本当に好きなサイトどこなのか?

言葉は少なくても、心が通う日記書きさんは誰なのか?

そして、

心から楽しみに読んでいるサイト、何年か経って、読み返しても何かを得られるサイトはどこなのか?

そんな事を、最近思うようになった。


「待っててね。」

その駄菓子屋のおばぁさんは、私たちにそう言って入院し、そして戻ってこなかった。ほんとうに、待っていた私たちは悲しくて泣いた。

それは、駄菓子が買えなくなったからじゃなくて、優しい笑顔をもう見ることが出来なくなったから。

柔らかい、冬の陽ざしの中を、板塀の角に手を添え、ランドセルを揺らして全速力で曲がる。息を切らしてたどり着くお店の前には、石焼き芋の釜があって、炭の焼ける香りが冬を告げる。見上げる澄み切った空に、青い暖簾が揺れている。

ちっちゃなお財布から小銭を出してもらっていたのは、「心」と今も残る思い出だったのかも知れない。

脳内デート

2004年12月15日 | Weblog
東京から乗った電車を横浜で乗り換えて、その駅で降りる。改札を出て、思わず右に折れてみたが、東急桜木町駅はすでにない。あの日、渋谷から二人で来たこの場所につながるものは、駅さえももうないのだと、思い知る。

初めてこの場所に来たときは、家族と一緒だった。閉会間際の「横浜博覧会YES'89」へ来た頃、私は、もう手をつなぐほどは幼くなく、かといって、家族でかけるより、友達と過ごす方が楽しいとはまだ思わない年齢だった。

すこし秋の気配が漂い始めたその日、バビリオンを巡るとき、家族は自然に手をつないでいた。話題になっていた「ヨコハマザウルス」を抜けて入ったジャングルのリアルさに驚き、雷鳴に思わず家族は抱き合って、そして父はすこし照れて笑った。たしか「地球館」だったと思う。

夕暮れの中で、私たちは並んで、並んで、随分待ってコスモクロックに乗った。105mという、パンフレットに載っていた高さに私は、はしゃぎ、8人乗りのゴンドラには、私たち家族と、大学生くらいのカップルと、老齢のご夫婦らしい二人づれが同乗した。

ゆっくり昇っていくゴンドラからは、最初に博覧会の会場に灯り始めた明かりが見え、山下公園と氷川丸、マリンタワーがその向こうに、そして遠くには開通したばかりのベイブリッジが見えていた。

みんなそれぞれの大切な人と手をつないでいた。あまり言葉は交わさずに、暮れゆく横浜の街を見ていた。

私は今でもそのとき同乗した人に逢えば、顔が判るような気さえする。

その日私は、同じ景色を、大事な人と見る大切さを、初めて知ったような気がした。そしてずっと、この観覧車が回り続ければいいのにって思っていた。

様々なバビリオンもとても楽しくて、それより、なんとなくトゲトゲしていた父と母が、楽しそうに笑いあっていることが嬉しかった。

トゲトゲに気付いていながら、何も出来ない私がずっと悲しかったから。

でも、それから数年経って、家族はバラバラになった。

次にここへ来たのは、初めての夜のデートだった。最初のデートは、今はもうない遊園地で、スケートをして私たちは手をつないだ。そして、街でも手をつなぐようになっていた。

流行り始めたばかりだったルーズソックスをはいた私は、恋に憧れ、恋に恋していた。

コスモランドで少し遊び、大人たちのカップルに混じって、背伸びをして少しお酒を飲んだ。美味しくはなかったけれど、アルコールで上気してくる頬と、早くなる心臓の音を聞きながら、少し待ってから観覧車に乗った。カップルは一組づつがサービスになっていて、ゴンドラには私たちだけだった。

そして私は初めて接吻をした。

恋に恋した恋は、どちらかが先だったかは忘れたけれど、お互いを見つめるようになって、すぐに醒めた。そして、いくつかの思い出だけが残った。

三度目にここに来たとき、観覧車は位置を変えていた。ひとつの川を越えた場所に立っていて、見える景色も少し違っていた。

私たちは仲が良くて、それが自慢で、一緒にいるだけで楽しかった。子供のようだねと評され、兄妹みたいだとか、生まれ変わって3回ぐらい夫婦をやっているんじゃないかとか、囃されるのも悪い気はしていなかった。

年上だったその人に、大きな転機が訪れたとき、私たちは話し合い、理解しようとし、理解できない部分だけを言い募るようになって、大切なことを少しずつ忘れた。

たまには、遊びに行こうという話しになって、再開されたばかりの観覧車に乗ろうと提案したのは私だった。そして、その人は、私のバラバラになった家族の最後の思い出を話すことができた初めての人だった。

光を振りまき、歓声を乗せて動く遊具のの音が遠ざかる。昇っていくゴンドラの中で、私たちは泣きながらなんども抱き合った。下り始めたときに、どうしようもない事だと思おうとし、どうしようもないよと言い合った。

結局、一緒に歩く道は選べずに、私の我侭を取ってしまった。それは二者択一すべきものでは無くて、私さえ努力を厭わなければ、解決することだったと今なら判る。

パシフィコでの仕事が終わり、久しぶりに観覧車に乗ってみる。こんな冬の遊園地に、待ち時間は無くて、ゴンドラに一人で乗る。

「いま、元気?」

私は、心の中でデートをしてみる。ゴンドラに乗った一人一人と。その時々の私を叱りながら、そして許しながら。

またたく夜の灯りたちに、ちょっと手を合わせてみる。いつか、また、大切な人と乗る日を思って。

無知の知

2004年12月14日 | Weblog
二回にわたり、ネットに公開する文章について思うことを、「ベジタリアンというネタを捏造する」というケースを例示として書き綴ってみた。では、ネットに文章を公開する時に、嘘を公言したり、不確定な情報さえも得意げに公開するサイトすべてに嫌悪があるのかと問われれば、答えは「NO」である。

これはどういうことなのか。

ベジタリアンについて、ネタのキーワードから検索し、まるで自分の見聞や知識のように捏造した人がいたとする。

その人が普段、呻吟しながら、読者のために話題を提供し、自らを削っている印象の書き手であるなら、「大変だなぁ・・」と同情することもあるかも知れない。

ところが、仮にだが、それまで食に対する薀蓄をもっともらしく語るために、「過去にフード業界で仕事をしていた」と書いてあったとすればどうだろう。

フード業界で仕事をしていたのなら、当然食物アレルギーについての知識が無いはずは有り得ない。ましてや過去に「弁当の試食」などを、仕事として経験したのであれば、アレルゲン表示と添加物表示にについての知識は必須であるはずだ。その際には、原料表示の基礎を学ばなければならず、宗教に於いての、忌諱食品や、その周辺知識のとしての主義的食物拒否の基礎知識は、否が応でも学ばなければならないはずだ。それは、マクドナルドのマニュアルにさえ書いてある程度のものなのに。

それにも関わらず、ベジタリアンについて、今まで知識が無かったとはどういうことなのか。

推測できることは、多くは無い。

ひとつは、前述したようにフード業界で仕事をしたということ自体が虚偽であって、それはグルメや料理について薀蓄を垂れるための、偽りの肩書きであったケースだ。「ベジタリアン」について、無理やりネタとして捏造して記述したために、以前、自身が書いていた「フード業界で働いていた」とう虚偽の経歴を亡念してしまっていたと考えるのが、妥当ではないだろうか。

もうひとつは、「フード業界で働いていた」こと自体は虚偽ではないが、例えば「おかずの味付けを企画」する業務ではなく、食肉工場に勤務しコンベアーで流れてくる裂いた鶏肉を、串に刺す、あるいは飲食店の皿洗いのバイトの経験があるが、手は動かずに理屈ばかりこねるので、3日でクビになったというものではないのか。その場合、当然フード業界に於いての基礎知識は獲得できないでいて当然だ。

ネット上に論を張るのは、まったく個人の自由だ。それがどんな暴論であれ、明らかな誹謗中傷や法規に触れない限りは非難されるべきものではない。但し、トリックや虚偽の経歴を背景に、自らの主張を正当化しようとするのは如何なものであろうか。

ネットを架空の人格で楽しむことを否定するのでは、一切無い。当然だが、私の「小町」という名前もネットだけで使うハンドルネームである。

嘘を公言したり、不確定な情報をさも得意げに公開するサイトの殆どは、自らがそうであることを知っている。ある意味、露悪的情緒に支えられ、確信犯としてwww上に存在し続ける。孫子ではないが、「己」をは知っているのだ。

それさえ知らず、読者を欺き続ける文章を書き続ける心情は理解できない。そのモチベーションはどこから沸き起こっているのか。

そんな文章を見かけたときに、私は言いようのない嫌悪を感じる。

以前私は、作家や著名人の著作から出典を明かさずに言葉を盗用し、また原文の主旨から、かけ離れた形で恣意的な引用を行うことに警鐘を鳴らした。経歴を詐称し、その経歴を背景に読者に錯誤を与える手法は、あまりにも類似してはいないか。

その際の文書を再掲してみる。

***************************
断片的な知識を背景に、聞きかじりの話や、語感だけの印象で物事を語る人は意外に多い。知らなければ調べれば良いのだし、興味が無いのなら、語らなければ良いと思うのだが、そうでは無い人が、思いの外多いのは何故だろうとも思う。

<中略>

「無知の知」

「私は知らない事を知っている」この余りにも有名な「人が考える」という起点とも言うべき、知に対しての謙虚な姿勢に欠けるのだ。

「われ思う」のは、人の自由だが、「思う」背景に「知」が無ければ、それは事実とは遊離した、自分勝手な「過剰な自意識」から生れた「空虚なプライド」や「意味の無い体裁」を守るためだけに存在する「妄想」になることを忘れてはならない。そして、互いのその部分だけを尊重する、奇怪なグループは存在し、その数は決して少なくは無い。

*****************************

知らないことを、知ろうとしない。

虚像であるネットの人格の自己満足だけのために、書き散らかされ、ネット上に公開される文章は、作者を恨んで泣いているような気さえする。そしてその泣き声さえ届かない読者にだけ、読まれる。

何かを知ろうともしないって、こういうことなんだ。


呵責する良心はどこに

2004年12月10日 | Weblog
前回私は、ネタを捏造することについて書いた。検索から得た情報を知識のように偽ってネット上に公開する例として「ベジタリアン」を挙げ、NPO法人日本ベジタリアン協会のリンクを張った。

そのサイトをご覧になられた方はもうお判りかと思うが、日本にはビーガン(Vegan)、ピュア・ベジタリアン(Pure-Vegetarian)と呼ばれるチーズなどの乳製品まで排除する菜食主義者は殆ど存在しない。

ところが、このNPO法人日本ベジタリアン協会のサイトに限らず、ベジタリアンの説明をするときに、一番厳格なこのパーティーの説明が最初に記述されることが多いので、斜め読みで情報を盗用し公開する人達は、ベジタリアンと呼ばれる人々が、そのように暮らしていると錯誤するのだ。

私は菜食主義を否定する気は一切無い。有り体にいえば私はWWFの会員であるし思想に共鳴できる部分は少なくない。気になるのは、知らない事であるのならまだしも、興味すら無いことを、自らの記述のために安易に「ネタ」として話を捏造することなのだ。

基本的な知識さえあれば、あるいはその場で二次検索さえすれば、すぐに気付くことがあるはずだ。なぜ、日本にこのパーティーが殆ど存在しないかと言えば、その考え方に対応する医療機関が皆無なのだ。原料がゼラチンであるカプセル類の薬は、その成分に動物性の原料が一切入っていなくても受け入れられないし、それ以前に、ご存じのように、現在の医薬品の殆どは、動物実験によって開発された。なので、このパーティーは体内に薬物を受け入れることを拒否するのだ。このことを、私はWWFの活動中に知り、衝撃を受けた記憶がある。

子牛の第四胃袋から抽出する酵素から作られるチーズを拒否するのだから、これは当然の帰結かも知れない。一切の動物の死からの恩恵を拒否する思想は尊いが、日本でその暮らしを完遂することは、殆ど困難であるとしか言いようがない。

その思想に知識も理解も、興味すら持っていないのに、ネタとして書き散らす行為には、嫌悪の情がつのるのも当然ではないか。

幸い、殆どの人達は、そこまでのことはしない。なぜなら、人としての「良心」は持っているからだ。

もちろん、無断引用や著作権の侵害は跡を絶たないが、最低限、交流のある読者に対する責任は持とうとする。良心を捨て去った記述を公開する行為は、ある程度の過去ログを持つ人物であるなら、その記述に対して、高い評価を与えるコメントさえ公開している、リンク元のサイト管理者や、過去様々な公開の場で好意的な評価をした人達、そして読者すべてへの背信行為ではないのか。

文章をネットに公開し始めた当初から、そのような事を繰り返していたのであれば、評価自体を受けることは無く、読者への責任は希薄かも知れない。ただ当初は、自分なりのスタイルを持ち、自らの内にある言葉を綴り、それに共感を覚える読者も多数存在したようなサイトが、突然変容する。

原因は、増長慢であったり、アクセス数や評価への拘泥であったり、ネット上での知名度を利用した商業出版デビューへの野望であったりと、原因は様々であると推測はするが、そこにはもう文章を公開する者としての良心は無い。

そうなってしまった者は、自分だけが大切で、周りの事には一眼だすることない独善者か、「呵責する良心」自体を元々持って居なかった人物ではないかと、考えざるを得ないのではあるが。



ベジタリアンという「ネタ」を捏造する

2004年12月08日 | Weblog
昨日のTV東京のWBSを見ていて、コメンテーターとして出演していた、立教の斉藤精一郎教授のブログについての言葉を聞いて、思わず脱力した方は多いのではないかと思う。

「今までと違って簡単にHPが作れて、気軽に情報が発信できますよ」で、思わず耳を疑い、「来年は若者を中心に、爆発的流行になるでしょう」で椅子からずり落ちてしまったのは私だけではないはずだ。

従来のweb-siteとブログの相違や特徴をまったく理解できていないことは明白で、それに相槌を打つ、他の出演者も何をかいわんやだが、その画面に、日本経済新聞の時代錯誤の間抜けなコマーシャルが頭の中でオーバーラップしてしまい、苦笑してしまったのは言うまでもない。

斉藤教授は、私はどちらかと言えば好きなコメンテーターなのだが、IT関連には決して造詣が深くはない。しかし出演者として、話題を振られれば何かは答えなければならず、少し気の毒な気がしたことも、付記しておきたいのではあるが。

前回私は、「ネタ」について書いた。生放送のTVで突然振られたネタに即対応するのは、難しいが、書籍からの殆ど盗用に近い形で、web上に文章を発表する人達の一部には、キーワード検索から、話自体を捏造する人達もいる。

仮定としてなのだが、私が「ベジタリアン」について書こうとしたとする。

まずYahoo!でこのキーワードを入力すると

NPO法人日本ベジタリアン協会http://www.jpvs.org

のサイトにアクセスするだろう。

そこには、「菜食主義」についての歴史的背景や、様々な思想、たとえば飢餓救済や環境保全という立場から発生したセクトが存在することなどが書いてある。

また、それぞれの食品について、何故それを食さないかとといった情報も、リンクから辿ると事細かに背景まで知ることができるのは言うまでもない。

それらを、新しく知った知識として、引用や出典を明らかにして公開するのであれば、問題はないかも知れない。だが、あたかもそれを、普通に暮らす中で見聞したように「ネタ」を加工して公開するのは、いかがなものだろうか。

読者は、その作者の知識として錯誤する可能性が強いだろうし、もし周辺の知識に興味を持ったとしても、出典が判らないから、それを自らの力だけで得ることもできない。もし、作者に問い合わせをしたとしても、作者が「ネタ元」を公開するとは、到底考えることは困難でもあるし。

百歩譲って、最新の情報を論旨に従って広範囲に検索し、知り得た事項を整理し、せめて事実と思考を分離して記述してあれば、何らかのプラスが生まれる可能性はゼロだとは言えないと考えてみる。

ところがそういうタイプの人は、基本的に知に対して敬虔な姿勢は持たない場合が多いので、書いてあることを鵜呑みにして検証しようともしない。なので、思い込みに寄った断片的な時系列を無視した情報の羅列になるので、情報としても誤ってしまうことが多いのだ。

上記のサイトを閲覧した方は、ベジタリアンにも様々なタイプがあることを知られたはずだ。肉だけ食べないが魚は食べる。動物性蛋白はすべて食べない。乳製品も食べない、などなど、様々なタイプがある。

これも一例だが、「牛乳は飲むがチーズは食べないセクトがある」という記述がある。その根拠は、チーズを凝固する際に使う「レンネット」と呼ばれる酵素があるのだが、これは生後一ヶ月前後の子牛の第四胃袋から抽出される。その際に第四胃袋が摘出されるので、子牛は死ぬ。だから、チーズは食べないというものだ。

ところが現在は「子牛から抽出したレンネット」を使用していないチーズは既に存在し、各乳業メーカーは連続して特許を取得しており、しかもそれは化学合成物質ではなく、キノコや菌糸植物から生成される物質だ。そして、当然だが、学ぶ姿勢のある本物のベジタリアンなら、とっくにそんな事は知っていて、今時「レンネット」の話などするはずもなく、もし、そんなことが記述してあるとすれば、それは「ベジタリアンというネタ」をキーワード検索から捏造していることに他ならない。

知らないことは恥ずかしいことではない。「知らないということを知る」すべての知識はここから始まる。おそらく斉藤教授は、今は「しまった」と思って、様々な知識をネットで吸収している気がする。

知らないことを検索で探し、それをつぎはぎして自分の言葉のように装って公開する。その下劣さに比べれば、とっさの言葉で誤ってしまったとしても可愛いものだ。何故なら、そこに悪意や虚飾はないから。

自戒を込めて。

ネタ

2004年12月07日 | Weblog
師走も2週目を迎える街は日ましに華やいできて、皆様も心待ちな予定や、少し気の重い予定が、スケジューラに混在する時期ではないだろうか。私も浮世の義理を最低限は果たし、忘年会、帰省、あるいは新年会という習慣があるからこそ、温めることができる旧交に思いを馳せたりもしている。その第一弾が先週末にあった。

男女私を合わせて5人で御徒町の駅前で待ち合わせ。久々に顔を合わせるのだが、挨拶もそこそこに四方山話で盛り上がりながら、不忍池を渡って池之端から根津にある居酒屋を目指す。その距離を、はしゃぎながら歩いたおかげで、「今年も一年おつかれさまでしたー」と乾杯するビールの美味しいこと。

今年もあっという間だったねという話をしていたら、その中の一人がぽつりと言った。
「今年の途中で、サイト更新するのがめんどうになったけど、なんとか一年続いたわ」

そう、その日の集まりは、ネットを通して知り合った、サイト持ちの友人達とのものなのだ。

彼のサイトには貴重な情報が多い。もちろん、書籍の丸写しや転載ではなく、自らが原典にあたり思考して言葉としたものだけがサイトにある。そして日記では、彼の日常が軽やかに描かれ、サイト本体ではあまり見られない、冗談好きで、年齢の割りにはと言うと失礼だが、少年のような純粋な心と、大人としての洒脱な部分に触れることができる。

「何か、書き尽くした気がしてね。コンテンツも日常も」

私達は、思わず顔を見合わせた。

サイトを構築する楽しみは、自分自身を探す楽しみだと、以前彼は言っていた。コンテンツとしてwww上に公開したいテーマがあり、その周辺の様々な事象や、思考をまとめていく。交流をオープンにするためにBBSを設置し、それを作っている自分自身を知ってほしくて、よりリアルタイムな日記を書く。

しかし、日常は変化に富み、言葉が生まれていたとしても、それを公開する作業を続けるモチベーションを維持するのは並大抵のことでないことは理解できる。

最近よく見かけるようになった、自分の言葉や思考ではなく、出版物からの引用をネタ元にすれば、サイトも日記も更新は簡単だ。

キーワードを見つけ、発想の基点を盗用し、借り物の言葉をひねくりまわした劣化コピーを公開しても、ネタ元を未読な読者には、もっともらしい日記や、コラムに見える。そのような物を公開する人には、前回書いたように、決して出典を明らかにしないという共通点があるのだが。そして読者が未読の著作を並べる事で、読書家であることを、暗に印象付ける精神的効果をも狙う周到さだ。

その話題を締めるとき、かれは照れ笑いで頭をかきながらこう言った。

「サイトも日記も、ネタはオレ自身だもんな。オレ自身がカラッポになるまでは書いてみるよ。」

この言葉を聞いて、『そうか、カラッポだから、有名人の言葉ばかり引用したり、発想を盗用してまでネットに公開し続ける人が存在するのだ』と思い当たったのは、私だけではないはずだ。

その場に居合わせた彼以外の4人は、深く胸を撫で下ろした。彼がカラッポになるなんて、想像もできないから。と言うことは、ずっと彼の言葉を、ネットで読み続けることができるから。

言葉が生まれない日はあるかも知れない。でも借り物の言葉や思考を、あたかも自らの物であるように公開し、あるいはそのことに気付きもしないような人達の賞賛を浴びたり、交流したとしても、それはおそらく虚しいことだと確信する。

ネタは、自分流に味付けすることができて、初めて「ネタ」と呼べる。いくら美味しいとしても、有名割烹の仕出しを、そのまま自宅の皿に盛っても、料理をしたとは言わないように。




盗作そして恣意的引用ということ//著作権

2004年12月03日 | Weblog
ネット上によく見かける言葉に、有名な作家や著名人の名前を挙げて「**さんの著作にこんな話があった」との表現を見かける。

このような表現は、出版物のエッセイではよく見かけるのであるが、その背景には互いの交流があり、暗黙のうちに親しさや、実際の交際があることは言うまでもない。偶然、互いの著作にその言葉を見つけ、例え若干文意の本旨と異なっていたとしても、ニヤリと笑って、次回顔を合わせたときに、どちらかが一杯奢ることで決着する程の親密さが必要かも知れない。

そのよう場合であっても、文章の本題に関わることや、原文に触発されて展開された文の場合は、最低の礼儀として著作物の題名が、注釈や巻末の参考文献に書いてあるは当たり前で、その前提となっているのは、著作権法第32条第1項が存在するからだ。

このような文章の一部を転載する行為を、引用だと誤解している人が多いが、出典を明らかにせずに、著作権の存在する文章を自己の文に混在させる行為は、厳密に言えば著作権侵害なのだ。

著作権侵害と言えば、元モーニング娘。の安倍なつみさんの盗作問題が世の中を騒がせている。

本人のコメントとして発表されたのは(以下引用)
「すてきだなと思った詩やフレーズをノートに書きとめていた。詩を書くときに参考にして、結果、人の詩やフレーズに勝手に手を加えた形で発表してしまいました」(asahi.com 2004-11-30)
http://www.asahi.com/culture/update/1130/010.html

「所属事務所が安倍本人に確認するなどして調べたところ「本人に(盗作の)認識は不足していたものの、盗作に値すると判断した」(mainichi-msn-news 2004-12-01)
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/jiken/news/20041201spn00m200006000c.html

このコメントを読んで思ったのは、スタッフがなんて無能なんだろうということだった。なっち(安倍なつみ)本人はソロになった後に、一時は"モーニング娘。"在籍時にくらべて人気に陰りはあったが、キャラは充分立っているし、後浦なつみとして紅白出場も決まった矢先の今回の騒ぎで、商品としてのなっちの管理に重大な問題があったとしか思えない。

今回の問題はある意味、なっち自身の盗作問題では無い気がする。

もちろん軽率のそしりは避けられないが、ノートの走り書きを「詩」としてまとめようとしたのは、事務所の営業戦略に他ならないのではないか。そして創作が出来るアーティスト的な売り出し方が、ラジオ番組での作詞コーナーに繋がり、更なる盗作を引き起こしていく。

こう言っては実も蓋も無いが、なっちに限らずアイドル本を熱烈なファン以外が購入することはまず無いし、業界人で贈呈本を受け取った人々も、仕事で直接それを話題にする可能性があるときに、資料として使用するのが関の山だ。つまり、あるいみ、盗作をしてまで、内容に拘る理由は存在しない。その環境の中で今回の事件は起こったことに着目しなければならない。

以前なら盗作は、双方の本を読んだ人のみが気付くのであり、今回のように多数の作者からの盗作が同時に発見されることは稀であった。また、今回のような詩の盗作は、まったくフレーズをコピーしていることは稀であって、イメージを別の言葉に置き換えることが多く、盗作と認定すること自体が困難でもあった。

今回の事件はネットから話題となり、ネットが発達した現在だからこそ、一挙に噴出した事象であるとも言えるのだ。

そして、出版物であった故に、各媒体が大きく取り上げもした。これがネット上に存在するテキストである場合、まだまだ著作権に対する意識が希薄なのは、どうしたことか。

ネットからメジャーデビューした田口ランディ氏の『モザイク』と『アンテナ』は本人が著作権侵害を認め絶版となった。それ以外にも氏は様々な無断引用や無断翻案を指摘されつつも、作家として立ちつづけている。

と、言っても私は彼女の作品が嫌いではないが、何故あれだけの筆力と作品の構成力を持ちながら、盗作に手を染めたのかには未だに興味が湧く。

以前私は本の尊厳について触れた際にこう書いた。

『少し大げさに言うなら、エッセイでも小説でも論説でも論文でも、一つの文章はその作者の“小宇宙”である。その一部だけを切り取って、それを自らの書く文章を補完する行為に、言いも言えぬ嫌悪があるのだ。』

今回の盗作事件で安倍なつみさんは、様々なことを学んであろうし、スタッフも少しは芸能界以外の仕組みを学び、そして芸能界全体も著作権について、勉強になったとは思う。これを期に、安易な著作権侵害が行われない知識が正しく伝播されることを切に願うのは私だけではないはずだ。知識さえ一般化していれば、今回のように、無知なるがゆえに罪を犯す者も、犯して罰せられる者も格段に減少すると思われるから。

あえて著作権法第32条第1項を引用する
『公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。』

これだけを読むと、書籍の一部だけを引用するのは悪くない錯覚に捉われる方も居るかもしれない。しかし下記を読んでいただきたい。これは引用に関する現在最低守るべきことなのだ。

(参照:最高裁判決 昭和55年3月28日 「パロディー事件」)
(1)他人の著作物を引用する「必然性」があること。
(2)かぎ括弧をつけるなど,「自分の著作物」と「引用部分」とが区別されていること。
(3)自分の著作物と引用する著作物との「主従関係」が明確であること(自分の著作物が主体)
(4)「出所の明示」がなされていること。(第48条)

引用は、自分の言葉ではない。それを錯覚させるようなものは論外となる。また、文章の一部だけを自説の正しさを錯覚させるために用いるのは、文章そのものを冒涜する行為だとも言える。そして、出典を明らかにしないことで、どのような文脈でその言葉が使われたのかを、調べる術を与えない。いや、与えたくないのだ。なぜなら、原文の本旨と異なった使い方をし、さも自説と同様の思考をおこなっているとの錯覚を与えるための引用であるからに他ならない。

「**さんの著作にこんな話があった」との表現をする人々はまさにこういう人々なのだ。出所の明示は、引用には不可欠な事項であるのに。

出典を明かさずに分脈から切り離した言葉を文内に挿入し自説を補完する。それも高名な人物の言葉として。それは人として恥ずべきことだ。これはもうぜったいに。

愛がなくては

2004年11月23日 | Weblog
「たのしい・わるくち」という本がある。著作にこんな題名をつけるのは、言わずと知れた酒井順子さんだ。

『自分の意見に共感してくれる口の堅い友達と、そこにいない人のわるくちを語り合うのが楽しくないとはいわせない』と言う一文があって、「そうだ!」と思うのが、彼女の読者層であり、「こいつ何言ってるんだ?」と思って買ってしまう人たちもいて、結果としてはどちらも出版社と彼女に利益をもたらすお客さんとなる、現在の出版事業には欠かせない作家であることに論をは待たない。

前回、私は「酒井順子さんは確信犯だ」と書いた。彼女の著作の内容は、私の考え方と相容れるところは少ないが、本自体は嫌いではない。仮想する読者層に的確に贈られるテーマは、世の中の限られたターゲットに対して、現在までは見事と言って良いほどヒットしていて、流行作家の地位を確保している。その割り切りと、売文家に徹する姿勢は、ある意味小気味良いと行っても過言ではない。

あり得ない事ではあるが、もし酒井順子さんがこのブログを読んだとしても、「わるくち」だとは思わないだろう。私が少なくはない彼女の著作を読んでいる事は理解できるだろうし、興味を持ち、彼女を知ろうとしていることは理解できるであろうから。

但し、全てBOOK-OFFの100均コーナーで購入していると知ったら、笑顔が苦笑いに変わるかも知れないけど。

そういえば、村上龍さんの「すべての男は消耗品である」(角川文庫; ISBN: 404158602X ; 1990/11) と言うエッセイがある。これは内容もさることながら、山田詠美さんの一見「わるくち」にも見える、否定に満ち溢れた解説で話題になった。

この作品は、バブル絶頂期に書かれ、バブルの盛り(1987年)に単行本化され、バブル崩壊前に文庫として出版された。目次を見るだけで、偏った女性論的思想を持つ人達ならヒステリーを起こしそうな言葉が並ぶ。曰く、『セックスに必要なものは体力だ、愛じゃない』『女にはたくさんの男とセックスするという義務がない、うらやましい』などなど。

本文には、より一層挑発的な言葉が並ぶ。『美人は3日で飽きるというのはブスを自決に追い込まない為の嘘であって、ブスは飽きられることさえない』『男の犯罪と芸術はすべて勃起をおさめるために発生する』などなど。

それらの言葉に対して、山田詠美さんは解説で書く。曰く『私は、この本が大嫌いである』『意味のない言葉にあえて読み手を疲れさせる意味づけをするのが得意である』などなど。

そして、読者をまで否定する。『こういう本に拍手を贈る読者を作り上げたこの本が嫌いなのである』と。

ここまで書くと、もうお判りの方も多いと思う。

山田詠美さんはそれまでも、そしてそれからも、たびたび彼についてエッセイで誉めちぎっているし、雑誌を含めると文章になった対談は多い。近刊であれば、『メンアットワーク』(幻冬舎文庫 (ISBN:4-344-40157-3: 2001年08月 )では時代を切り取る作家たちの一番最初に石原慎太郎さんを配し、結びにはやはり村上龍さんを置く。テーマは「愛と知性のロジック」だ。

そう、この二人は「龍さん」「詠美ちゃん」と呼び合う仲なのだ。

読者を挑発し続ける二人が、エッセイと解説でコラボレイトし、見事にお互いのコアな読者を共有するようになった作品であるといっても、決して的外れではない。

「すべての男は消耗品である」が、角川文庫の一冊だけだと思っている人は、少々でも「本好き」を自任している人ならまずいないだろうが、「村上龍ファンクラブの機関紙」ともいえるこのシリーズは、現在7巻目を数える。それぞれの時代を背景とし、その時代に「村上龍という作家」が興味をもった事と思考した記録として、私は価値を感じる。

山田詠美さんの解説にただ驚いた人は、あまり本を読んでいない人かも知れない。勿論それは悪いことではないが私は「もったいない」と思う。なぜなら、そこには数多くの示唆が含まれているのだから。

実は、先ほど挙げた『こういう本に拍手を贈る読者を作り上げたこの本が嫌いなのである』の前段には、『村上龍本人が嫌いなんじゃないよ。』と書いてある。

そして、村上龍さんが知らない物や事柄を書く事に、ストイックなまでに自省があることを前提に、「努力の人なのではないか?」との仮説を立て、見えないところでの努力と苦労とを推察して解説を締め括っている。

これを、「ボロクソ」だと読む人は、よほど読解力が無いか、理解しようとして文章を読まない人だろう。まさに、「知らない物や事柄を」声高にしゃべったり、書き散らしたりできる恥を知らない人物像を容易に思い浮かべることができるのは、私だけではないはずだ。

ましてやこの書籍から、もし「わるくち」という言葉が連想がされたようなら、一度胸に手を当てて、自分の生き方を考えた方が良いかもしれない。

でも一つだけはっきりしているのは、愛がない上に、理解しようともしないで、偏狭な知識と経験で物事を語るのは、聞くに耐えないということだ。


お詫びと御連絡

2004年11月10日 | Weblog
突然ですが、本日より仕事で10日程、日本を空けることになりました。
つきましては、このブログを更新することは、かなわないかと存じます。
これも宮仕えの悲しさ、海外出張は、毎回分刻みのスケジュールで動き回り
宿舎に戻っても、チームのミーティングや本国への連絡など山積みで
どう考えても、ネットサーフィンや、個人的な文章を綴ることは無理そうです。

まことに申し訳ありません。

せっかくメッセージやメールを頂ける様になった矢先にこのような仕儀となり残念ですが、
帰国後にはまた再開したいと思いますので、何卒よろしくお願い致します。

季節の変わり目、皆様もお風邪など召しませんように。

では、またお目にかかれる日まで。

小町 拝