人口減少下でどのように都市の機能を維持するか、というテーマでは必ず広がった市街地を縮小させねばならないという「コンパクトシティ」が議論になります。
人口が増加していた時代に市街地を増やすときには、原野を開発すれば土地の価値が一気に高まるので経済原理をエンジンにするだけで拡大はスムースに進みます。
しかし例えば市街化区域を市街化調整区域に落として建物を建てられないようにするというようなことにすると、土地の価値が一気に下がり地主にしてみると財産が減るという恨みを伴います。
人口減少はただ人が減るだけではなく、財産が増えた時代から減る時代になるという時代感覚ですが、それに我々が着いて行けるかどうかが問題です。
それ以外にも、人口をまちの中心に移動させるには、町の利便と魅力を高める「アメ」の政策と、周辺に住んでいることが不便になってゆくことからそれが辛くて便利なまちなかに住まいを替えることを期待する政策が考えられます。
しかし産炭地など、かつては人口が多かったのに産業がなくなってしまったところでは、もはや不便ながら住まいを替えようとしない住民も多くいます。
都市計画の手法では交通政策や住宅政策で便利と不便を武器にしますが、特に高齢者はそれらの政策では心が動きません。
少しくらい暮らしが便利になるよりは、「今の暮らしを変えたくない」という気持ちの方が勝ってしまうと言います。
なので、もはや都市計画に携わる人たちの中にも、「もう高齢者は無理が効かないので政策も有効ではなく、諦めるしかないのではないか。政策の対象はせいぜい40代くらいまでの住民になるのではないか」という話が出てきます。
ある意味、都市計画だけでは限界を感じます。
しかし、その一方で高齢者、特に身寄りのないお年寄りでは賃貸物件が借りられない、という事が問題になっています。
こちらは、移動したくてもできないという需要があるという事です。
つまり、コンパクトシティに導くには、縦割りの都市計画だけではなく、住居政策、福祉政策なども縦横に組み合わせたトータルな地域づくりの力が求められるということです。
行政も縦割りでは限界が露呈するので、それぞれの担当者が横連携を強くしたり、トータルの政策に強い人材を育成するという事が必要になってくるでしょう。
ただ、人口減少下では行政も職員が減少したり教育や熟練の機会が少なくなってゆくという側面もあります。
「地方に暮らすためには一人ひとりが多能工でなくてはならない」というのが私の持論ですが、行政職員もさまざまな政策に詳しい多能職員が求められます。
生涯学習の精神は、そういうところにも生きてくるのだと思います。