北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

姫路城見学で、国宝五城コンプリート!

2024-04-30 22:21:59 | Weblog

 

 今日は念願の姫路城見学でした。

 現在国宝の天守閣があるお城は5つ。

 その5つとは、犬山城、松本城、彦根城、松江城、そして今日訪れた姫路城です。

 私自身はこれまでに姫路城以外の4つのお城は訪ねているので、今日の姫路城で国宝五城がコンプリートというわけです。

 さて、私こと姫路市を訪れるのは全く初めて。

 駅からは商店街を突き抜ける形でお城のある姫路公園へ向かいましたが、この商店街がまたすごい商業集積です。

 大抵は一本道の両側に商店が張り付いているのが商店街のイメージでしょう。

 しかも商店街と言えば、最近は郊外型ショッピングセンターに客を取られてシャッター街に成り下がっているところも多くあります。

 しかしここ姫路の商店街はお店がしっかり張り付いているばかりか格子状のまちなみに商店街が縦横に展開してその規模が大きいこと。

 こんなにお店がちゃんと張り付いている商店街を見るのは久しぶりです。


 そんな商店街を進んでゆくとやがて姫路城のある公園にたどり着いて視界が広がります。

 姫路城は白鷺城と言われるように白い漆喰の壁が印象的ですが、お城そのものが高台にあって石垣も高く大きく、また小天守もあるなど創建とその後の増築によって完成した城の規模がずば抜けています。

 まず入場料を払う入り口まで行くのでもけっこうな坂を上ってたどり着きます。

 そこからお城まで行くのでも、幾つもの門をくぐり、幾つもの角を曲がり、幾つもの坂を上ってゆくことになります。

 ようやくお城の入り口にたどり着くとそこから6階建てのお城の急な階段を上がります。

 お城には東西二本の大黒柱があって、これを中心に木を組んでこの高い天守閣を構成しているとのことで、我が国の木造建築技術の粋ですね。

 また木造建築は木が傷んでもそこを補修することができるというのが最大の強みです。

 最近では平成の大改修が行われて、そのときはお城の姿が見られなかったのですが、それも無事に終えて改めて日本の城郭建築の最高峰の威容が見られました。

 
 お城の後には日本庭園の好古園も見て回り、庭園文化にも浸ることができました。

 観光客には外国人の方も多く、見ていると日本人と外国人で6:4くらいの印象を受けました。

 日本人でも案外姫路城を見ていないという方がいるかと思いますが、外国人に負けちゃうような気がして残念です。

 
 それにしてもお城の規模が大きいのでとにかく歩けるうちに観ておかないと、歳を取ってから訪れるのは大変です。

 今日はなんだかんだで1万4千歩ほど歩きましたが足が棒になりました。

 旅は健康で体が動くうちでなくてはなりませんぞ。

 

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今日から関西旅行に来ています

2024-04-29 22:51:13 | Weblog

 本日から関西旅行に来ています。

 メインは一度も行ったことがなくて、多分二度と行かないであろうUSJ大阪です。

 日程には余裕を持たせて、予定をガチガチに入れて固めず大阪周辺を思いのままに巡ってみようと思っています。

 関西ってなかなか縁がなかったので、過去の思い出もありません。

 どんなかんじになりますでしょうか。

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ブログのイラストも生成AIで作る時代 ~ AIいらすとやというサービス登場

2024-04-28 23:11:37 | Weblog

 

 掛川市役所に助役として赴任した時から始めたデジタル日記。

 当時はまだ"ブログ"という言葉もなかったころで、テキストでの文章を"エンピツ"というサイトにアップすることから始めました。
 
 始めは非公開で1年やってみて、なんとか毎日書けそうだと思った翌年から公開して、現在のgooに移行してから19年になりました。

 goo上で書いたブログの記事は昨日までで6,832本になったようで、まあずいぶん遠くまで来たものです。

 最近はyoutubeやtiktokなどの動画サイトが隆盛なので、写真と文章によるブログはちょっと時代遅れ感があります。

 でもこれもある程度の文章を書くという良い練習・訓練になっているので、自分としてはこの形が性に合っているように思います。

 文章を書くことも頭と体の体操なので、数をこなせばスムースで上手にもなってゆきます。

 千本ノックや素振り千本と同じことで、数をこなしてからこそ見えてくる世界があるなあ、という感じです。


      ◆


 さて、ブログを書くときには文章だけでは味気ないので、写真や関連するイラストなどを絡めて体裁を整えます。

 イラストですが、私の場合あるときからフリー素材集の「いらすとや」というサイトでイメージに合うものを見つけてここから借りています。

 しかしこれも長くやっていると、良さそうなものは過去に使ったことがあって、再び使いたくないなあ、と思うこともしばしば。

 いらすとやもあるときから新しい絵をアップしなくなったので、そうした傾向が強まってきていました。

 ところがここへきて、ついに、と言うか、いらすとやにもAIで自動画像生成を行う「AIいらすとや」が登場しました。

 求める画像のイメージを枠の中に書き込んで生成されるのを待てば、いくつかの候補案を提供してくれます。

 今日の絵は、「ブログ記事を書くことに悩んでいる 正面」というキーワードで生成させた4枚の中の1枚です。

 イラストを見ると部屋の中で男の子がパソコンを前にして何かの作業をしているという絵が描かれました。

 文字らしきものははっきりしないのですが雰囲気は伝わります。

 こんなことができる世の中になったんですねえ。

 ブログを始めた20年前からみると隔世の感がありますが、古いブログ記事を読んでいると、まだ若々しい自分の熱みたいなものも感じられて懐かしく感じます。

 でも新しいことにどんどんチャレンジしてこそ、「今を生きている」という事なのだと思い、AIや自動生成も利用してみようと思います。

 そのうち、肝心の本文もAIで自動生成することになるでしょうか。

 全部がAIというよりも、骨子をAIで作らせて自分なりに手直しをして完成させるという時代も近いのかな。

 まあそうなったらもうブログが脳の練習でもなくなってしまうので辞め時ということかもしれませんね。

 時代の流れも追いかけてゆきましょう。

 

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もう、メモしなくちゃだめなんだよ

2024-04-27 23:23:42 | 介護の世界

 

 先日買い物サポートで実家へ行った時のこと。

 母がため息をつきながら、「いやいや、爺ちゃんにひどい目に会ったよ」と嘆いています。

「どうした、どうした?」

 母と父は週に一度、地区の会館で開催される麻雀の集いに参加しています。

 ところがその日はちょうど父が月に一度病院に行く日だったので、母は一人でマージャン会場に向かい、父には「病院から帰ってきたら、薬を置いてすぐにこっちの会場に来てよ。お昼の食事は用意してあるんだからね」と何度も念を押して伝えたとのこと。

 そうして当日は一人でマージャンを楽しんでいた母ですが、普段なら父は病院から11時には家に帰ってくるはずで、遅くても12時までには会館に来るだろうと思っていたのに、「それが、1時になっても1時半になっても全然来ないの。どうしたかな、と思ってマージャンを中断して家に帰ってみたら、素知らぬ顔でパンを食べているんだよ」

「あれだけ『ちゃんと来るんだよ!』と念を押したはずなのに、もう忘れちゃうんだからね、は~」

 私の方もぎゃくに呆れてしまって、「婆ちゃん、それが認知症ってことなんだよ。だから『ちゃんと伝えたんだから覚えているはず』という思いを捨てなくちゃダメじゃん。これからはやってほしいこと、伝えたいことを紙のメモにして絶対わかるところに貼っておくとか、マジック黒板を買ってきて書いておくとか、とにかく伝言を文字にしておくようにしようよ」

 それを聞いて母も、「そうだねえ、もうそうしなくちゃダメか」と少しは納得した様子でした。

 しかしそもそももうここ2年程前から、父の認知症が進み始めていることに気が付いている母のはずですが、それでもどこかにまだ「正常であってほしい」という期待と願望が消えないのでしょうか。

 
 買い物を終えてから実家に上がり、新聞を読んでいた父に、「なに、マージャン会場に行くのを忘れちゃったんだって?」と話しかけてみると、「ああ、そうなんだ、全然忘れちゃって腹が減ったからパンを食べていたら怒られてさ(笑)」とばつが悪そうながらも笑う父。

(あれ、それで怒られたことは覚えているんだな)と思いましたが、記憶も健忘もまだらに表れてくるのが初期の認知症ということです。 

 父は最近また真夜中に起きてしまうようになったとのことですが、それでもそこから外に出て徘徊をしたりするわけではないし、食事も風呂もトイレも全く問題なくできているのが最大の幸運です。

 認知症もどのような症状として現れるのかは自分の思い通りになどいかないわけですから、大いに助けられています。


       ◆

 
 母は、「爺ちゃんはいつも『俺はいつまで生きるのかなあ』と言うようになったんだよ」と言います。

 それを聞いた父は「だって、体のどこも悪くないんだぞ」と。

 返す刀で母は「だから、頭が悪くなっているんだって(笑)」と言い、父も「そこだな、問題は」「わかってるんだ」で3人して爆笑。

 こういう会話がいつまで続けられるのか。

 暖かくなった春の一コマです。  

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わたしのまちは大丈夫か ~ 人口戦略会議のレポートを読んでみよう

2024-04-26 22:59:22 | Weblog

 

 昨日公表された人口戦略会議の『地方自治体「持続可能性」分析レポート』ですが、なんとか原本がみられないかと思って検索をかけました。

 検索上位にはこのレポートが出たことを紹介する新聞記事やテレビニュースが来て、なかなか原本にたどり着けません。

 ようやくたどり着けたのは、北海道総合研究調査会(略称:HIT)さんのホームページでした。

 https://www.hit-north.or.jp/information/2024/04/24/2171/

 
 こちらには、地方自治体の持続可能性分析レポートと、全国1729自治体の持続可能性分析リストのリンクも貼られているので、自分の関心のある自治体の将来推計を見ることができます。

 
 分析の結果をみると、北海道には非常に厳しい未来が予想されています。

 曰く、「北海道は『消滅可能性自治体』が 117にのぼる。北海道の自治体の大半は人口流出が激しく、社会減対策が必要だが、自然減対策も必要な自治体は少なくない。」とされています。

 分析の手法としては、まず「封鎖人口」という名目で、その土地で生まれてその土地で死ぬであろう人口を想定して、自然的増減を見ます。

 次にその土地で生まれた人が他の土地に移ってしまう「移動想定」の要素を加えて、社会的増減を加味します。

 この結果、将来その土地で生まれる子供が減るとすれば、出生率対策を施さなくてはならないだろうし、社会的減少で人口が減るとすれば定住対策を施さなくてはならないだろう、と政策の方向性も示唆してくれる形になっています。


       ◆

 
 分析の結果として、「封鎖人口の減少率を横軸に3つ」に分け、「移動仮定による減少率を縦軸に3つ」に分け、「3×3」のマス目を作り、地方自治体の将来像を9つに分類しています。

 封鎖人口(自然減)の減少率が20%未満で、移動による減少率が20%未満ならば自立持続可能性が高いとして「A」判定。

 それ以外をB-①、Bー②、C-①、C-②、C-③、D-①、D-②、D-③と分類されたことで、自然減対策がより必要とか社会減対策がより必要といった対策の方向性が分かりやすくなっています。

 
       ◆


 レポートでは、これらを踏まえたうえで、これから取り組むべき「人口戦略」が提言されています。

 そこで示されている2つのキーワードは、「人口定常化と(経済社会システムの)質的強靭化」です。

 人口定常化とは、人口が減るのは仕方がないとしてその現象スピードを緩和させ、最終的に人口が安定することを目指そう、というものです。

 また(経済社会システムの)質的強靭化とは、とはいえ人口が減るのは避けられないので、各種の社会システムを人口が減ってもやれる形に変える強靭化を図るべきだ、というもの。

 

 そしてレポートの最後には、これらの戦略をどのように進めるかということに対して、行った政策をしっかり評価したうえで次の戦略を立てろ、といいます。

 これまでは"とにかくやらないよりましだから何かやろう"という場当たり的な政策が多く、成果を上げていないのではないか、という反省です。

 そのうえで推進の体制を政府がしっかりと作り、国民全体で意識を共有することが必要なのだと。

 
 私が個人的に心配なのは、それらを実現させるための信頼という資源が今の政治にあるか、ということです。

 いくら良いことを言っても、「お前には付き合えない」という反発があるようでは国民が気持ちを一つにして推譲の精神を発揮して協力し合うことはできないでしょう。

 今の国会での政治資金問題が罪なのは、そうした信頼資本を与野党がともにどんどん棄損していっていることです。

 "人気がある、ない"と言ってしまえば身も蓋もありませんが、良い政策も実行するには人気資産、共感資産が必要ですし、逆を言えば、人気があれば後にわかる悪政でも国民は諸手を挙げて賛同するということだってあるのです。

 政治が信頼資産を取り戻して、国民の心を束ねるような時代が早く来ることを願うばかりです。

 

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人口減少と過疎問題 ~ 裕福ゆえのアイロニー

2024-04-24 18:32:55 | Weblog

 

 懇意にしている自治体の首長さんに会うためのアポを取ろうと連絡してみたところ役場の秘書さんから、「札幌に出張中なんです」とのこと。

 これ幸いと、直接連絡を取って札幌で会えることになりました。

 最近の自治体内部のもろもろの状況を伺うにつけ、人口減少の負の部分がじわじわと押し寄せていることに苦悩していることが分かります。

 おりしも、今日有識者で作る人口戦略会議が「2020年から50年までに全国1729自治体の4割に当たる744自治体で20歳~39歳の女性人口が50%以上減り、消滅する可能性がある」とする分析を公表しました。

 前回の2014年の分析と比べると、239自治体が「消滅可能性」から脱却した一方で、新たに99の自治体が「消滅可能性」に該当したとのこと。

 危機感が浸透してはいるのでしょうけれど、具体的な対処の手立てとなると有効なものが見当たらないというのが現実ではないでしょうか。

 また、分析では子供が生まれる女性の数を根拠にしていますが、生まれた後でも人口が都会を目指して移動することを考えると、過疎の自治体にしてみると事態はもっと深刻なように思います。

 ライドシェアのような、地域が移動を助け合うような制度がようやく始まりましたが、これとても、観光地と過疎地では求められるものが異なります。

 都会からみた上から目線のような規制が入り込み使いにくくしているのではないか、という視点で、常なる改良と改善が求められるでしょう。
 
 
      ◆


 さて、件の首長さんとはまちなかで待ち合わせて1時間ほど話をすることができました。

 いろいろな現場ならではの話が聞けるなかで、「国道、道道、市町村道の区別が強すぎて、それらが交わるところでの管理の苦労がある」というお話が興味を引きました。

 どうしても道路管理者が異なるので、それぞれの思惑や事情があるのでしょうが、いつまでも自分の守備範囲だけを守っていれば良いということでは一番もろいところから崩れそうです。

 過疎の地域ではそろそろもっと互いに歩み寄って連携を深めるような管理の在り方が必要になってくるような気がします。


      ◆


 件の首長さんは最後に悲しいエピソードを一つ教えてくれました。

 それはその自治体で採用した、非常に優れた能力と公的な資格を持った女性職員が、裕福な隣町の人と結婚して役所を退職して引っ越して行ってしまった、とのこと。

 自治体としては彼女の持っている資格もありがたかったのですが、貴重な人財が失われてしまってがっくり。

 おまけに彼女が嫁いだ先の旦那さんが裕福なゆえに、彼女は資格を活かした仕事につくこともなく家庭に入ってしまい、地域として才能を活かすことができていないのだそう。

「せめて嫁いでいった先で資格を生かして働いてくれればまだ送り出した側も仕方がないかな、と思えるのですが、裕福な家であるがために女性の活躍が果たされないというのは、我々のような過疎の地域では非常にもったいないと思うんですよね」と首長さんは悲しげでした。

 私は「人口減少下の地方部では皆が多能工になって能力と資格を持ち寄って課題を解決してゆかなくてはならない」という持論を持っているのですが、現実にはなかなか実現が難しい事情もあるのでしょう。

 人口減少への対処はペースを上げないと地域がつぶれ、地域が社会に送り込んでいる農水産物などの資源供給も失われてしまうことを真剣に考える必要があります。

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都市計画の限界と高齢者への寄り添い

2024-04-22 23:09:33 | Weblog

 

 人口減少下でどのように都市の機能を維持するか、というテーマでは必ず広がった市街地を縮小させねばならないという「コンパクトシティ」が議論になります。

 人口が増加していた時代に市街地を増やすときには、原野を開発すれば土地の価値が一気に高まるので経済原理をエンジンにするだけで拡大はスムースに進みます。

 しかし例えば市街化区域を市街化調整区域に落として建物を建てられないようにするというようなことにすると、土地の価値が一気に下がり地主にしてみると財産が減るという恨みを伴います。

 人口減少はただ人が減るだけではなく、財産が増えた時代から減る時代になるという時代感覚ですが、それに我々が着いて行けるかどうかが問題です。

 それ以外にも、人口をまちの中心に移動させるには、町の利便と魅力を高める「アメ」の政策と、周辺に住んでいることが不便になってゆくことからそれが辛くて便利なまちなかに住まいを替えることを期待する政策が考えられます。

 しかし産炭地など、かつては人口が多かったのに産業がなくなってしまったところでは、もはや不便ながら住まいを替えようとしない住民も多くいます。

 都市計画の手法では交通政策や住宅政策で便利と不便を武器にしますが、特に高齢者はそれらの政策では心が動きません。

 少しくらい暮らしが便利になるよりは、「今の暮らしを変えたくない」という気持ちの方が勝ってしまうと言います。

 なので、もはや都市計画に携わる人たちの中にも、「もう高齢者は無理が効かないので政策も有効ではなく、諦めるしかないのではないか。政策の対象はせいぜい40代くらいまでの住民になるのではないか」という話が出てきます。

 ある意味、都市計画だけでは限界を感じます。


 しかし、その一方で高齢者、特に身寄りのないお年寄りでは賃貸物件が借りられない、という事が問題になっています。

 こちらは、移動したくてもできないという需要があるという事です。

 つまり、コンパクトシティに導くには、縦割りの都市計画だけではなく、住居政策、福祉政策なども縦横に組み合わせたトータルな地域づくりの力が求められるということです。

 行政も縦割りでは限界が露呈するので、それぞれの担当者が横連携を強くしたり、トータルの政策に強い人材を育成するという事が必要になってくるでしょう。

 ただ、人口減少下では行政も職員が減少したり教育や熟練の機会が少なくなってゆくという側面もあります。

 「地方に暮らすためには一人ひとりが多能工でなくてはならない」というのが私の持論ですが、行政職員もさまざまな政策に詳しい多能職員が求められます。

 生涯学習の精神は、そういうところにも生きてくるのだと思います。

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フォークリフトの作業免許取得

2024-04-20 23:56:33 | Weblog

 

 昨日と今日の二日間で、フォークリフトの作業免許を取得してきました。

 今年の冬に取った大型特殊免許は、様々な大型車両で公道を走るための免許で、大特に分類される様々な作業機械はそれごとに作業免許を取得しなければなりません。

 前回はバックホウ、ブルドーザー、ホイールローダーという整地系建設車両の作業免許でしたが、今回はフォークリフトの免許です。

 フォークリフトも、1トン以下の小型のものならば3日間くらいの特別教育で作業できるのですが、大特を取ったうえでフォークリフトの作業免許を取得すれば1トン以上の上限のないフォークリフトも運転することができます。

 大きなものでは港でコンテナを積み下ろしするようなものから林業で原木を運ぶようなものまでありますから用途は広いです。

 ただ、重たいものを運ぶのでやはり転倒などの事故も多く、作業には訓練と慣れが必要です。

 
 昨日一日は朝から晩までフォークリフトに関する各部の説明、力学、関連法制度などの説明で最後に試験がありました。

 一日中の座学というのは案外しんどいものでしたが、聞きなれない単語もあるので寝ているわけにもいきません。

 
 一日経った二日目の今日は朝から実際にフォークリフトに乗って作業をする実地練習と検定です。

 フォークリフトは車体の前についているフォークを上下させたり傾けたりして作業をしますが、今日の練習と検定は、パレットに積まれたコンクリートの塊を台から下ろして運搬してまた元に戻すというもの。

 フォークリフトの荷役機械部分は上下と前後の傾きという日本のレバーがあるだけで、あとは運転のための前後進レバーと、ハンドル、アクセル、ブレーキがあるだけ。

 一見簡単に感じますが、作業は合間合間に確認の言葉を発しなければいけないので、それに気を取られると作業がおろそかになり、作業に集中すると言葉が出てこないということで、まずはそこへの慣れが大切になります。

 またフォークリフトの運転では、運転方向の切り替えは後方の車輪が動くことで向きを変えるのが最大の特徴。

 細かい取回しが可能な反面、自動車のハンドル感覚とは全く違うので慣れるしかありません。

 台の上に置かれたパレットにフォークを差し込んで持ち上げるのにも角度などに微妙なコツがあって、それも慣れるのに一苦労。

 今回は12人の受講生に対してフォークリフトが2台ということで、6人で1台を使いまわして練習しましたが、3回しか運転することはできませんでした。

 それでも頭をフル回転させて、(次に何をするか)を懸命に思い出しながらの操作を行います。

 自分以外の人が作業しているときは、「あ、あの声出しが抜けた」とか「手順を一つ飛ばした」とか「ハンドルを回すのが早い」など不手際が良く分かるのですが、いざ自分がやってみると頭が真っ白になる瞬間があって、冷や汗のかきどおしです。

 一緒に受講した人たちとは同じ思いを共有できるのですぐに打ち解けて、「あそこが難しいポイントだ」とか「先生にこういわれた」などの情報を共有しながらお互いにスキルを高めるための協力関係が結べます。


 その中の一人に「どうしてフォークリフトの免許を取ろうと思ったんですか」と訊いてみると、その方は「定年になって長距離トラックを降りたんですが、小さなトラックでも荷物を運ぶときに荷待ちがあって、自分で積み下ろしができればその分時間が短縮できるというメリットを感じまして」とのこと。

 まあ何でも「できる」という事は良いことなのだと思います。

 結果的に全員合格で喜びを分かち合いました。

 フォークリフトって、様々なアタッチメントがあってそれらを駆使するといろいろなものが楽に運べるので面白い機械です。

 
 たまには脳の使ったことのない部位をフル回転させる経験と言うのも面白いものです。

 さて次は何にチャレンジしましょうか。 

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「経済評論家の父から息子への手紙」を読む

2024-04-18 23:01:35 | 本の感想

 

 『経済評論家の父から息子への手紙』(山崎元著 Gakken)を読みました。

 経済評論家の山崎元さんは、1958年北海道生まれなので私と同い年。

 札幌南高校から東大へ進学し、卒業して三菱商事に入社した後に野村投信、住友生命など12回もの転職をしつつ、その間経済解説や資産運用のコンサルタントとしてメディアに登場するようになりました。

 答えを先に言うと、山崎さんは今年2024年1月にガンのために亡くなりました。

 2022年に喉頭ガンがわかり治療をしたのですが、2023年にガンが再発し余命を感じたときに、東大に合格・進学したことを祝った息子への手紙を書きました。

 それを「我ながら良い手紙になった」と出版社に見せたことが、「これをベースに若者たちへのメッセージを本にしませんか」という話になり、余命3か月あれば書こうということで執筆したのがこの本です。

 余命を感じていた中だったでしょうが、本書の中にもしばしば登場するように「変えられない過去はサンクコストとして諦めればよい」と、暗いところが一切ありません。

 それよりは、前に向かって未来に何が得られるかという視点に貫かれていて、それは生前の山崎さんの経済コンサルタントとしての生き様に合致したものになっています。


     ◆


 内容は、自分の人生経験から、「第一章 働き方・稼ぎ方」、「第二章 お金の増やし方と資本主義経済の仕組み」として、株式投資の意味とそれの利用の仕方、また投資をするときのコンサルタント的な指導がふんだんに盛り込まれています。

 そのうえで父親らしいアドバイスがちりばめられた「第三章 もう少し話しておきたいこと」と「終章 小さな幸福論」で著者の人生哲学が語られます。

 山崎さんは幸福の源について、「人の幸福感は100%、『自分が承認されている感覚(「自己承認感」と呼んでいます)』でできていると思う」と結論付けました。

 また「モテ具合」も重要のような気がする、とも書いています。

 そして「モテるための秘訣は、自分を語らずに相手に興味を示してひたすら聞くことだ」とも。

 息子への結論は、「モテる男になれ。友達を大切にしろ。上機嫌で暮らせ!」ということで、お金などはそれを実現しやすくするための手段でしかない、と。

 お金などは、幸せを実現できる程度にあれば良くて、多ければ多いほど良いとか、それを目的にするようなものではない、とも。

 
     ◆


 巻末には、実際に著者が息子さんに当てた手紙の全文が掲載されています。

 涙を誘うのは以下の一節でした。

 "一つだけお勧めしておこう、子供はできるだけ早く持つと良い。…世間でいうと叱られそうだが、特に息子はいい。自分の息子が可愛いと思う時に、かつて自分の父親は自分のことをこんなに可愛いと思っていたのかと、感じ入るときがあるのだ"

 親から自分、自分から子供へと世代が移り変わってゆくときの親の心情を表して余りある文章です。

 
 働いて、稼いで、幸せに生きるための父親からのメッセージ。

 ご一読をお勧めします。

  
 

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そうなるための勉強 ~ これが我らの行く道ぞ

2024-04-16 23:11:12 | Weblog

 

 先日、同世代でやはり介護の資格を取った友人に会いました。

 彼も機会があれば介護の仕事をしても良いと思ってはいるものの、まだ介護の仕事には着いていないとのこと。

「でも仕事にするかしないかに関わらず、この歳で介護の勉強ができたのは良かったと思うんだよね」と彼。

 私もそれは感じていたところです。

「だってさ」と彼。

「僕らの社会は、社会人としての知識や素養を身に着けるために小学校から大学まで勉強させてもらっているんだよ。社会人になるためにはそれだけの準備期間と学習機会を設けているのに、高齢になるという事への知識や素養を身に着ける機会はないだろう」

「確かにそうだね」
「歳を取るという事がどういうことなのか、どういう変化が自分に訪れるのか、自分で日常生活をこなすことができなくなったらどこに相談するのか、そもそも介護せいどってどうなっているのか。そんなことを勉強しないままに自分の高齢期を迎えるというのは、小中高大を経ずに社会に出るようなものだと思うようになったよ」

 まあもうすぐ高齢者と言うのは現役の社会人なのであって、ある程度のベースはできているうえでの高齢化です。

 幼子が成長するのとはわけが違うとは思いますが、それでもこの先に何が待ち構えているかをしらないまま進むのと、ある程度知識を持って予想を立てて立ち向かうのでは構え方がかわるかもしれません。

 高齢で体が弱るのは、どこがどう弱るかは予想がつかないものです。


      ◆


 さらに別な日に、病院で以前地域の会合でお世話になった10歳年上の方に会いました。

 するとその方は「小松さん65歳? 僕は体力で言うと65歳がピークだったなあ。 そこからだんだんに歩く速度が遅くなったりして体力が減ってゆくのを感じるようになりました」と言っていました。


 これからゆく道のことをまずは少しずつ勉強しておきたいものです。

 

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