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「ko_sssp」は専修大学法学部岡田憲治ゼミナールのofficial weblogです。

テキスト決定のお知らせ

2011年05月22日 01時45分45秒 | ゼミナール
こんにちは、星麻呂です。

少し遅れましたが、当分の間取り扱うテキストが決まりましたのでお知らせします。

気になるその本のタイトルは・・・

小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉戦後日本のナショナリズムと公共性』


歴代のゼミでも何度か登場した本書ですが、少なくとも前期の間はこの本と闘うことになりそうです。

その情報量もさることながら、政治学の様々な分野と関連している内容のため、
この一冊を通してかなりの実力がつくのではないでしょうか。

とりあえず夏までには終わらせることを目標にしていきます。

(政治)学徒たちの態度について②

2011年04月29日 23時35分24秒 | ゼミナール
またまた時次郎です。

先ほどの投稿に引き続き、「レポートの書き方マニュアル」を挙げます。こちらも目を通して、これからのゼミに生かしていきましょう。
(ちなみにこの内容は、2005年05月31日にこのブログに投稿されたものです)。

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レポート・小論文の書き方編

基本以前(誤解していること)
レポートとは思考の途中経過である。
レポートとは、ある素材(基礎文の場合は講読したテキスト)をもとに思考し、議論し、再考したことの軌跡を記すものである。その意味では、すべてのレポートは「思考の途中経過」である。大切なことは、「世界をすべて語り尽くす」という、どだい無理なことをやろうとしないことである。問題を限定する勇気が必要である。だから、「あれこれ考えたが、この問題が私の前にまだ残っている」という論述もありうることなる。そして、それは「基本態度」のところで示した、「未熟な自分の証拠を残しておく」ということだ。優れたものを書こうとしてはいけない。言いうることを淡々と示し、自分のダメさ加減がきちんと残るようにする。

最大の目的は論旨を伝えること(要は何?)
①レポートにおいては、論旨を伝えることが最大の目的である。
②論旨とは、イイタイコトである。
③論旨がたくさんある文章は、ひとつひとつの論旨が弱まってしまう文章である。つまり、論旨は「ひとつ」を原則にすることが大切である。

論拠のない主張・判断は独り言である(「気持ち」ではなく「論理」)
①論旨を伝える際には、「論拠」が必要である。
②論拠とは、ある主張がどのような論理によって支えられているのかを示す「こう考えた理由」である。
③論拠の無い文章は、ヒトリゴトである。ヒトリゴトは日記に書けばよいのだから、評価の対象にならない。

ものを言う段取りが重要である(さみだれ五月雨のように言うな)
①旨をきちんと伝えるためには、構成が存在しなければならない。
②構成とは、イイタイコトを伝えるための段取りである。
③段取りには、「段」が必要であり、それは時として「パラグラフ(段落)」と呼ばれる。
④段取りの組み方は、各人の自由であるが、有効な段取りについてはいくつかのモデルがある。
1)先制攻撃型
イイタイコトを最初に力強く述べてしまい、後にそれがどういうことであるかを
説明していく段取り。短い叙述の場合は非常に効果的である。
2)水際作戦型
徐々に読み手の興味関心をひきながら、最後に啖呵を切るようにイイタイコト
をぶつける段取り。用意周到な準備をすればするほど効果も高い。
3)中押し攻撃型
論旨を示唆するように書き出し、中心部分で全面展開し、最後はさらりと流す段
取り。バランスがよいのが長所だが、最後の「流し」でツマラナイことを書く
と台無しになる場合がある。

「読み手は担当教員である」と勝手に限定しない(馴れ合いは避ける)
・共有言語を使用して、可能な限り世界を言葉で説明するというのが不動の基本態度であるのだから、「先生にだけはわかってもらえるだろう」であるとか、「このゼミ室のメンバーに伝わればよい」ではいけない。日本語を共有している人で、この問題に興味を持っている(可能性のある)人に向かって書かなければいけない。いわば、「市民」に向けて書くということだ。

日本語表記に関する注意(常識!)
①段落の始まりを示すのは、行頭空白である。
②強調、あるいは引用には「○○」という普通の括弧を使用する。
③本のタイトル、映画の題名等は『○○』という白抜き括弧を使用する。
④「こと」を「事」にしたり、「という」を「と言う」にしたり、あるいは「したがって」を「従って」とするような「ワープロ変換に依存した不必要な漢字化」を避ける。通常、読みやすい日本語の場合、副詞や接続詞等はひらがなにしたほうがよい。例:特に→とくに、従って→したがって etc.  
⑤常体(である調)と敬体(ですます調)を統一する。通常、レポート等の場合常体を使用する。
⑥文をつなげるためだけに「・・・であるが、」とやらない。逆説を示す助詞「が」の持つ機能が曖昧になる。つまり、冗長な文章はなるべく短く切る。
⑦括弧を使用せずに、無造作に文中に「直接話法的表現」を入れないようにする。
例:「そんなことは絶対にあるわけないじゃん、と友達に言ってやった」→「そんな
ことは絶対にない」と友達に言った」、あるいは、「そのようなことが起こる可
能性が低いということを友人に伝えたのだが・・・」等。
⑧参考文献や資料から直接文章を引いてくる際には、「自分の論述」と「他者の論述」を区別すること。出典表記なしの資料の丸写しは最悪のものである。犯罪と呼んでもよい。
⑨参考文献や新聞記事などを引用する際には、必ず引用部を「」でくくり、文末に注番号を(必要と判断されたなら、括弧の終わりの部分に注番号を書き、注の欄には以下の順番で出典を記す。)
1)書籍の場合:筆者、本のタイトル(白抜き括弧)、出版社、出版年、頁(和文の場合には「四―三三頁」のように、英文のときは「p.34. あるいはpp.45-56.」といった要領で記す)。
2)新聞の場合:日付、新聞名(白抜き括弧)、夕刊の場合は「夕刊」と記す。
3)書籍中の論文の場合:筆者、論文タイトル(普通括弧)、本のタイトル(白抜き括弧)、出版社、出版年、頁。1)と同じ要領で示す。各項目間の句点「、」を忘れないように。

論述に際する注意(これをやるな!こうしろ!)
1、「これから私が論ずるのは・・・」といった前置きを書かない。章や節などの題や副
題で示すこと。また、「体験談」風の論述をしてはいけない。(×例:「その時は、私
はまだその論理を十分に把握できていないことに気付いたのだった」)
2、「僕は」「私は」という一人称を使わない。どうしても必要な場合は「筆者」を使用。
3、「私のような一人前でない学生が言えることではないのだが・・・」であるとか、「これ
は間違っているかもしれないが・・・」などの言い訳を書かない(諸君達が一人前で
ないことは、論述の基本姿勢とは何ら関係がない。また、間違っているかもしれない
というのは、すべての物を書く人々に共通する条件であるのだから、何もそんなこと
を断る必要はない)。
4、「~だと思う」「~だと感じた」「思うに・・・」「~と考える」というフレーズを使わ
ないこと。(思ったことを書いているのであるから、あらためて書く必要なし)
つまり、「Feeling を書くな、Logic を示せ」ということ。
5、「~ではないだろうか?」という疑問文を多用しない。「・・・。」という含み文を使
わない。論旨が弱くなる(そんなに自信のないことを書いても仕方がない!)。特に、
最もイイタイコトを示すときにこれをやってしまうと致命的となるので注意。潔い態
度が必要である。ただし、自分の述べることがどの程度まで「言える」ことなのかに
ついての強弱はあることは忘れてはならない。→説得力(論拠の豊富さ貧弱さ)
6、題材となっているテキストや他者の議論を離れて、一般論に逃げ込まない。あくまで
もテキストと格闘する。テキストと格闘するというのは、「一度は筆者の議論の土俵
に乗ってみる」ことを意味する。「そもそも~というものは」という一般論を引っ張っ
てくる時は、あくまでもテキスト上の格闘に有意義である場合に限る。つまり、テキ
ストを読まなくても書けることを書いてもダメだということだ。
7、「人間とはそもそも○○なのだから・・・」という説明を避ける(人間は一種類ではな
い!「人間とは」ではなく「あの」、あるいは「この」、もしくは「その」人間を語るべし)。
世界の多様性に注意を払って考えるべし。
8、すべての批判は、「部分批判」であることを理解する。テキストにおいて、ある種の批判に遭遇したとき、学生諸君はそれを「全面否定」「全面批判」と受け取りやすい。そうなると、そこでなされている議論のポイントを曖昧にさせてしまう。”All or Nothing” を避ける。
9、「事実」と「評価」が両方示されているかを確認しなければならない。状況や問題の説明のために、事実や一般的認識は動員されるが、それだけでは「論述」にならない。必要なのは、「評価」である。ある価値に依拠して、一般論ではない「自分の」判断を示すことで、対象となっていることを位置付けることである。
10、人畜無害な「例のあのパターン」(下記参照)で文章をまとめるという精神の怠惰を
回避すること。ここ(大学)は「失点を最小限にすること」を至上目的とした受験予備
校ではない。また、「教師の喜びそうなこと」を先回りして言ってみせるというやり口
は、大学では一切通用しない。そういう作業の虚しさをかみしめるべきである。

[メッセージ・ゼロの虚しい「まとめパターン」の例]
(ア)「私達若者がすすんでこの問題に立ち向かっていくべきです。」
そもそも、ある問題を考察しようというスタート・ラインから始まって、レポートを書いているのだから、そんなあたりまえの「心構え」など記す必要はない。
(イ)「今後、このようなよい社会の到来を期待したい。」
このような傍観者的態度は最も意味がない。社会を構成しているのは書き手自身
なのだから。人任せにしてどうする。
(ウ)「ひとりひとりの心のもち方で世界は変わるのです。」
それなら社会科学を学ぶ必要などない。「病は気から」では解決できないから、
医学というものがあるし、我々は社会科学の学徒は現代社会を考えるのだ。
(エ)「世界の人々に平和がもたらされることを祈念して、ここで筆を置きたい。」
お祈りなら、お墓や教会でするべし。この表現の陳腐さに気付くべし。
(オ)「大切なのは、相手を理解してあげることだ。」
「他者の理解は原理的に不可能」という前提から、社会を把握するとい作業は始ま
る。つまり「他者は理解不能」というのは結論ではなく、議論の前提である。前提を
結論にしてはならない。
(カ)「○○○の原因は、日本人の国民性です。」
国民性という安易で甘美なる言葉に頼りたくなったら、ぐっとこらえて回避する。
同様のキー・ワードとして「愛」「優しさ」「他人を思いやる気持ち」等。この言葉
は、実のところ読み手に何も伝えることができない。
11、話し言葉を使ってはいけない。(×例:「そういう認識はなにげに微妙である」。
その他話し言葉の例:「まず言いたいのは・・・」「しかし、私に言わせてもらえば・・・」
「じゃないかなぁと思ったし」→「ではないかと思った。そして、・・・」/「なにげ
に考えた」→「なんとなく(あるいは、「無意識に」)考えた」等。

12、主語(主部)を意識の中で曖昧にしてはいけない。例えば、二つの主部のある文章を
書いてはいけない。(×例:「大東亜戦争肯定論は国内外からの反発の声が上がった」
13、「それ」「これ」「その」「この」といった指示語の内容が先行する文の何を受けてい
るのかをきちんと意識して使わなければならない。また、受けている言葉や内容が明
確である場合は、「その○○」というふうに、くどく書いてはいけない。(×の例:「市
民といっても様々な人たちが存在する。その彼らについて、・・・」、あるいは「民主
的運営とはどのようなものなのかという問いがある。その民主的な運営が行われる際
に・・・」)
14、一つのパラグラフ(段落)に完結文が一つ、二つしかない冗長な文章を避けよ。特に
主語が変わるような場合には、「~であり、また」とやらず、一度切ること。
15、長すぎる修飾語は読みづらい。(×の例:「私たち日本社会の側が意図せずとも見えに
くい存在に追いやってきた在日コリアンは」)
16、体言止めはダメ。(×の例:「・・・そして常に曖昧な私たちの認識。それこそが・・」)
17、その他
・以下のフレーズを多用してはいけない。
「~のである」「つまり」「~において」「~における」
・不要な括弧を可能な限りカットせよ。そうでないと、ここ一番という言葉の強調の効果
が薄れてしまう。
・「はじめに」と「おわりに」は、内容的に対応していなければならない。
・文頭に必ず接続詞をつけなければならないという、誤った強迫観念を捨てなければい
けない。

提出に関する注意(思いやりの心)
①指定の表紙を使用するかどうかを確かめる (岡田基礎文では不要)。情報のストック化
というメリットを考えたとき、ワープロ原稿を作成して提出することを推奨する (もちろん手書き原稿提出を禁ずるわけではない)。
②原稿用紙で提出する際の注意
1)指定に従う。教員によって400字書きを要求する場合と200字の場合がある。
岡田基礎文では、200字縦書き、A4用紙が指定である。
 2)鉛筆書きの原稿を提出するのは非常識である。もし、鉛筆書きした場合にはコ
ピーをとり、コピーしたものを提出すること。
③ワープロ原稿で提出する際の注意
1)通常は、A4縦置きの紙に横書きでプリントする。
2)通常は、文字数は全角で35~40字、行数は25~30行、フォントは11か12であ
る。
3)原則として、「メール添付」で送ること。その際に、ワードのファイル名は、以下の
要領で付ける。→名前+基礎文+タイトル(テキストあるいは課題名).Doc 
 例:自分の名前が「鈴木」で、課題テキストが、ルソーの『社会契約論』である場合には、鈴木基礎文社会契約レポ.doc であるとか、Suzuki-kisobun-Social-repo.doc とか、要するに、ファイル保存した時にファイル名を見るだけでIDが確認できるようなタイトルをつけるということ。
4)どうしてもメールで送れない場合には、ハードコピーでよいが、「感熱用紙」のオ
リジナル・プリントを提出することは好ましくない。一定期間を過ぎると印刷が
消える場合がある。普通紙にコピーしたものを提出すること。
 
番外
・レポートを提出する際に、「ホッチキスないんすかぁ?」などという質問をしないこと。ここは小学校ではないし、教員は文房具屋を兼業していない。
・レポートの紙がリサイクルされる場合を考えて可能な限りホッチキスを使用しない。クリップなどを奨める。
④◎最後に必ず「推敲」すること。
ワープロ・ソフト「ワード」の「文章校正」などを使って、提出前に変換ミスや基本日本語構造の誤りをチェックしてから提出するのが、最低の礼儀である。手書きの場合、ホワイトによる修正をしながら、その後の書き込みを忘れて空欄になっているものが多々ある。注意すること。あまりに不誠実な提出物である場合は、再提出を要求することもある。

評価を受ける論述とは?
高い評価を受ける論述の条件は、上記の事柄をクリアしていることを前提に、等身大の実力よりも「やや」背伸びをしている論述。つまり、チャレンジしている論述である。チャレンジするということは、格闘するということである。格闘することは大変苦しいものだが、格闘なしには実力は向上しない。
論述評価に当たっては、この格闘の軌跡が最も重視される。

(政治)学徒たちの態度について

2011年04月29日 16時32分49秒 | ゼミナール
こんにちは。久々の登場となります、真田小僧改め時次郎です。

さて昨日、今年度の1回目のゼミナールが終わりました。新入生を加えての本ゼミは昨日が最初ということで、岡田先生からレジメの内容あるいは形式に対する様々なご指導を頂きました。私、時次郎としても岡田ゼミ2年目となる訳ですが、改めて自分の至らなかったところに気づき、今後のゼミ、サブゼミにも活かしていかなければならないと再認識している次第です。

岡田先生ありがとうございました。

さて、昨日ゼミが終わり有志で飲んだあと(再来週、ゼミ飲みをやるようすが…)、終電を逃して帰れなくなった私は、「市川が生んだ神童」ことkasさんと共に台東区谷中のデ○ーズで夜通し語り合い、昼前にようやく休日営業よろしく専修大学に帰って参りました。昼過ぎから、履修登録の学生ひしめくパソコン室で、「マ○ナビ」やら「リク○ビ」を確認する傍ら過去のデーターの整理をしていると、かつて岡田先生が基礎文受講者に向けて書かれた文章を発掘しました!

岡田先生も先日、ご自身のブログに「批判するとはどういうことか」というテーマで書かれておられました。(そちらは皆さんすでにご覧になったとは思いますが・・・)が、今日発掘したものは、その前提としての学問する者の基本的態度についても詳細に書かれており、今後ゼミを行っていく上で私にも、他のゼミ生にも大変参考になると思います。

よって、かなり長いですが、以下に転記します。(情報源は「専修大学法学部・岡田(憲)の告知板」だったと思います。ただ、申し訳ありませんが、いつのものまでかは記憶にございません)



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 基礎文を始めてもう三週目に入ろうとするところですが、いまだに慣れない人や、勇気の出ない人、どうしてこんなことしなければならないのかがまだわからない人、わからないけど突き進むしかねぇと開き直っている人・・・などたくさんいると思います。

 以下は、基本態度のTips&Advices です。

基礎文での基本態度編

・君たちは今、「100」である。(胸を脹れ!)
 曖昧とした、実はよく考えればあまり根拠のはっきりしない漠然とした気持ちとして、君たちは「理想は100だとすると、今の自分は30くらいだろうなぁ」と思っている。つまりは「ぼんやりと自信がない」あるいは「全く自信がない」といった具合だ。でも、30を100の水準まで持っていくのはまことにもって困難だ(我々学者ですら、それは不可能である。当たり前だ)。そこでうだうだしていると、自分の水準を少しでも上げるための「具体的努力のプランニング」をすることができない。そして、そのままでは今後自分の努力の根拠となる「ちっぽけなプライド」すら見出せない。何も始められず、格闘感もその後の「え?それほど捨てたもんでもないじゃん。俺って」といった気持ちにも到達できない。多くの諸君が、そうしたうだうだを引きずって四年を過ごす。我々教員は、そのことが切ない。だから言おう。目がくらむほどの若さを持つ諸君達よ。早くそこから抜け出しなさい。こっちにおいでと。
 まず諸君達は、百万回でも自分に言い聞かせなければならない。
 「今の自分は100である。これを102にするにはどうしたらよいのかを具体的に考えよ」と。
 繰り返す。今、君達は100である(「あいつは東大だから100で、俺はそうじゃないから30だな」じゃない!)。曖昧な理想、曖昧な絶望は捨てよ(もちろん理念は熱く持つべきだ。しかし、作業は醒めたやり方でなければならない。「心は "hot" に頭は "cool" に」だ)。

・大学の授業とは何のためにあるのか?(Not Learning but Finding)
 「授業の90分で勉強しよう」という、これまで12年間あまりの間に身につけてきた態度は間違っている。いや、正確に言うとそれは「言われたからやる子供モード」に属するものだ。法律上結婚すら出来る者が子供でどうする。授業の時間に勉強するのではない。授業の90分とは、「いかに自分が知的に未熟であるか」を発見する時間だ。そして、それは紙と肉体に証拠として残されなければならない。それは「わかることとわからないことを交通整理する」という作業になる。簡単に書いているが、「わかる」「わからない」は、諸君達が考えるほど単純なものではない(「わからないの種類」については、後述する)。「ノートを取る(この言葉からそろそろ解放されよう。正確には「ノートを創る」だ)」という作業は、まさにこのことを行う行為だ。ノートを見れば、「自分は何が未熟なのか」がわかる。そうしたノート作成が理想だ。黒板の(ミミズの酔っ払いみたいなキタナイ)文字を写すことなど、全く何の意味もない。ここから脱することが出来ないと、大学生にはなれない。申し訳ないけど、本当にそうなのだ。

・「知らないこと」そのものは、つまらない事実に過ぎない。(それより怖いこと)
 ほとんどの諸君が「わからないことだらけ」なのが一年次なのだから、そして基礎文の場合には教室に20数名しかいないのだから、真面目に授業に臨めば臨むほど、未熟さをさらすことになる。だれでも「俺アホですから」などとおどけて見せるが、実のところ「アホだと思われることを死ぬほど怖がる症候群」に襲われている。未成熟さをさらすことはハズカシイ(と思い込んでいる)。
 しかし、本当にハズカシイこととは、知識がないことや上手く発言できないことではなく、わからないことを「これはマズイ」と「全く思わない習慣が付いてしまっていること」なのである。しかも基礎文担当教員は全員「どんどん失敗しなさい!」と言っている。本当はこんなにオイシイ状況は人生にはたくさんはない。失敗すれば褒められるなんて。お地蔵さんのように「聞き手専門」をかこつ者は、ハズカシイ場面にあまり遭遇しないだろうが、その陰で恐ろしいほどのコストを払っている。それは「未熟な私」を肉体に刻み付けるチャンスをドブに捨てているということだ。肉体に刻み付けられない思いは瞬きするうちに忘れるものだ。自分の未熟さをハズカシサとともに心と紙に記録しなければ、自分の実現可能性の高いスタート・ラインを設定することができない。100を103にする具体的なプランが立たない(「頑張ります!」ではプランにならない)。
 必要なのは、声に出して、ノートに書いてハズカシサを記録することである。そして、そのハズカシサをその後どう生かすかは、次週の90分ではなく、次週までの6日間にかかっている。勉強とは、この6日間に行われると考えるのが大学というところである。授業をコナすな。授業で自分を発見せよ(「やることがないからといってケータイいじくりまわしてんじゃねぇよ!」という「政治学の基礎」の講義のときに挑発した意味は、ここにあるというわけ)。

・声帯を震わせなければならない(言わなきゃわからない)
 したがって、基礎文に参加するということは、声帯を振動させることと「ほぼ」同義である。それが嫌なら、大教室で一方通行の講義を聞くだけでよい。つまり、しゃべらなければ「何も始まらない」ということである。懇意ではない多くの人々の前で声帯を振動させることは、諸君達が考えるほど恥ずかしいことではない。「私はここにいる」ということを最も端的に証明するための重要な行為である。存在を確認できない人からは、人は何も得ようとしないし、刺激も与えてくれない。だから、黙っているため「何を考えているのかわからない人」と判断されることが、知的コミュニティーでは一番もったいないことである(日本の一般社会では「沈黙は金」とされがちだが、学問をする人間は全員国境を越えなければならない。国境を越えない学問とは「形容矛盾」である。「日本人のためだけの学問」などというものは抱腹絶倒なものだ)。以心伝心は、日本人の心の特技ではなく、他者への本当の関心などあまりないくせに、傷つくことを過度なまでに恐れる精神の怠惰と脆弱を意味する。人間は臆病で弱い。恐怖に負ける。それはわかる。筆者も連戦連敗ばかりだ。しかし、相撲で言えば0勝15敗ではあまりに切ない。1勝すれば、後はそれの積み重ねだ。よく基礎文の最中「まだ考えがまとまってないのでぇ・・・」と発言を回避する者がいるが、支離滅裂になることだけを避けて、あとは「しゃべり始めてから考え始める」という作戦だってあるのだ。こういう禁じ手は会社の会議では歓迎されないが、そうやって突破口を開こうとするアンビションに支えられてのことであるなら、基礎文では許される(ただし短めに)。諸君達には失うものはない。合言葉は勇気である。

・投げられたボール(言霊)は返してやらなければならない。
 基礎文では、誰かが発言をしたら、空気中に漂う他者の言葉を流すことなく思いやりをかけてみるべきだ。放りっぱなしはかわいそうである(自分がコメントを返すべき意味を少しでも発見した場合は)。つまり、できるだけボールを投げ返してやるべきである。自分に積極的な主張がない場合でも、「それはどういうことですか?」と質問をする、「それはもしかして~ということを言いたいのですか?」と確認する、「○○さんの言いたいことは~ではないでしょうか」とフォローする等、発言するとっかかりは無限に存在する。何も常に「私は~だと思います」という発言でなくてもよいのである。なぜならば、勇気をもって発言した時、その勇気は同じように萎縮している他者に伝わり、他者の勇気を引き出させることが多いからだ。言葉は言葉を "inspire"するのである。発言とは他者の発言を引き出すためにあると考えると楽になる。言葉と言葉が交錯し、重なり、化学変化をもたらし、何かのヒントを運んできてくれ、そして全く逆に「沈黙の本当の意味」すらも教えてくれることがある。最悪なのは、基礎文担当教員が、ひたすら「講義」して90分が終わることだ。こうならないために、我々教員はありとあらゆる努力をしているのだ(たまに夢に出てくるんだな。これが。一切学生が沈黙する基礎文。真の地獄だ)。

・恐怖に打ち勝つのは大変だが、全敗してはいけない(転んでも只で起きるな)
 他者(自分と同じように恐怖に萎縮している人)の前で声帯を震わせる恐怖に打ち勝つのは大変だ。最初からこの恐怖を克服している者は少数だ。しかし、負け方にもいろいろある。まずは全敗を避けるべきだ。この際必要なのは、自分の萎縮や恐怖とは「どのような萎縮や恐怖なのか」を各人がはっきりとさせることである。もしその萎縮が「愚か者と思われるのではないか」という恐怖が原因であるなら、次に「どの愚かしさ」を自分は気にしているのかを、そっと自分の胸に訊いてみる。なぜならば愚かしいという意味は複数あるからである。「知識がない≠愚かしい」と自分に言い聞かせよう。知識量とは相対的なものであって、知識を持つという価値は、星の数ほどのある世界の価値の一部である。つまり、そのことを理由に人間の人格は一切の評価を受けない。本当に愚かしいのは、何度も言うが「愚かしさの程度と種類を丁寧に考えて、辛いことだがそれを淡々と認め、かつそれをチャンスとして捉え返す勇気と真摯な態度をバカにする態度」なのだ。

・多種類の「わからない」の確定(入り口を探す)
 「わからない」なら「尋ねてみる」という習慣をつくるべきだ(呼吸をするように)。しかし、安易に「わかりません」と言うべきではない。「わかりません」にも複数の意味があることを知ろう。どのように「わからない」のかを知ることが「わかる」ことの始まりである。脱「チィチィパッパ」のために。
<「わからない」の種類>・・・非常に重要!
①何で自分がここにいるのかがわからない(基礎文というものが何のためにあるのかがわからない。興味がない)→履修を継続するかどうかをもう一度考えよう。
②質問や議論の意味がわからない(質問を日本語として理解できない)。
③質問や議論に出て来る前提知識がわからない(知識がなくてわからない)。
④質問や議論において、どうしてそういう理解になるのかがわからない(その論理がわからない)。
⑤質問の意味も、論理もわかるが、どうしてこのコンテクストで「そんなこと言うのか」がわからない(発言の目的がわからない)。
⑥あまりにたくさんの発言内容であるため整理がつかなくてわからない(どれがポイントなのかがわからない)。
⑦行われている議論の意味も、論理も、目的も、ポイントもすべてわかるが、それを受けて自分がそれにどのような評価を下すべきなのかが定まらない(態度設定がわからない→つまり評価とその根拠をまだ上手くまとめられない)。
 中学生や高校生の時は、「わかりません」というと先生が「答は○○ですね」と教えてくれたが、大学は別世界である。なぜならば我々政治学者ですら、答えが一つに定まらないことばかりだからだ(「政治って何なんですかぁ?」と尋ねられた時の政治学者の気持ちを想像してくれ!)。基礎文担当者全員、テキストについての判断が全く同じということはありえない(だから本当は教員二人でペアになって基礎文をやりたいのだよ)。答えが一つだけなら、我々は学者になる基本的動機を失ってしまう。
 そうした基本の考えの上でこの仕事についているから、上記の「わからない」のどれなのかを自分なりに確定せずに「わかりません」と言う者にはあまり有益なものを与えられない。我々教員の立場からすれば、なにかと「わかんないっす」と大雑把なことを平気で言える学生諸君のその「大雑把さ加減」が「わからない」ということになる(「どうして、どの『わからない』なのかを一切詰めることなく、屈託なく「わからない」と言えるのか?ここはチィチィパッパのめだかの学校じゃないのに!そんな大雑把じゃ、こちらも大雑把なことしか返せないのに。払った学費が無駄になるのに!」といったところか)。
 発言や討論を通じて、誤ったり、間違ったり、知らなかったりしたことがオープンになってしまったときには、「アホだと思われるかも」ではなく、「わからないということに気がついて幸運であった」と考えよう。この世界で一番不幸なのは、「何がわからないかがわからない」状況から抜け出せないことだからだ。それこそ、ぞっとするほど恐ろしいことだ。

・最後に
 「知らないまま、知ろうともしないで、知ることの豊穣な幸福感も知らずに墓石へ」がほとんどの人間の人生である(「そんなに知ってどうするんですか?」と問うものは、今すぐ学校を辞めて、額に汗して働きなさい。本当は、「言葉を媒介に世界を知る」などという本来的に傲慢でイカガワシイ活動である学問などというものは、明日、明後日の人々の幸福に直接貢献などはしないのだ。学問は、必ず「学問を受けることが諸般の事情でできなかった星の数ほどの人々」の犠牲の上に成立しているのだよ。「だ・か・ら・こ・そ」、僕たちは「そんなに勉強して何になるんですか?」などと絶対に口にしてはならないのだよ。学校にいる限りは)。
 卒業して社会へ出ると、多忙の最中、こちらから「お願いして」、「コスト(対価)を払って」、しかも幸運なことに「相手にその気があって」、こちらにも「時間がある」という奇跡のような状況が生まれないと、もう誰からも何も教えてもらえないものだ。間違えても、未熟さをさらけ出しても、給料も下がらず、閑職に追いやられたりもせず、解雇もされず、ひたすら得られるものばかりであるという「幸福なる教室」という空間にいることが許される諸君は、て落ち込んでいる場合ではない。社会に出るまで時間はもうたくさんない。


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いかがでしょうか。

ゴールデンウィークの間にこのことを肝に銘じなおして、次回以降のゼミに臨みたいと思います。




追伸
いよいよゴールデンウィークです。そうです、落語の季節です。

「就活」という魔物が私の心に暗い影を落としていますが、もう気にしていられない!テクスト片手に、浅草演芸場に行ってこようと思います(もちろんお目当ては柳家小三冶さん)。ちなみに新宿の末広亭は「桂歌丸芸歴60周年記念興業」ということで、歌丸さん以下『笑点』メンバーも出演します。お暇なら行ってみてね

2011年度、新体制発足のお知らせ

2011年04月19日 19時15分21秒 | ゼミナール
はじめまして。2011年度岡田ゼミの広報を担当することになりました、星麻呂です。よろしくお願いします。

東日本大震災により、被害を受けられた皆さま、そのご家族に、心からお見舞いを申し上げます。

このような状況において「学問」を行うことを許された我々ゼミ生は、
その機会を与えてくれたすべての人々に感謝しつつ、日々精進していかなければなりません。


なにはともあれ、新しい体制が発足いたしました。
人数も11人と昨年に比べるとかなり増え、待望の女の子も入ってきました。
今まで以上に賑やかなゼミになりそうです。

さてさて、そんな今年のゼミのテーマは・・・

「日本の政治」

昨年と変わっておりません。

しかし、テーマは変わらずともメンバーは大幅に変わりましたので、
これまでとは違う活発な議論がなされるものと期待しております。

いままで、様々な形でお世話になってきたOB、OGの皆様には、今後とも変わらぬご愛顧賜りたく存じます。


なんだか味気ない文章になってしまいましたが、これから一年よろしくお願いいたします。







もういくつ寝ると・・・

2010年12月18日 03時50分18秒 | ゼミナール
ゼミ論締め切り・・・なんてね


真田小僧です。


いつの間にやら季節はクリスマスカラーに染め抜かれてしまいまして。街のいたるところで
「♪真っ赤なおっ鼻の~トナカイさんは~」
とか
「あわてんぼーのサンタクロース~クリスマス前にやってきた」
「♪クリスマスは誰にもやぁって来る~悲しかった出来事を消し去るよ~に・・・」
なんてメロディーが聞こえるようになりました。

しかし!しかし!!我々には時間はありません!!
そうです。ゼミ論提出が迫っているのです!!!


今年は加山雄三が名曲「君といつまでも」を唄うということで珍しく紅白が楽しみですが、果たして見ている時間はあるのか・・・

それはさておき最近のゼミについてお伝えいまします。


①新入生について

先月の末に来年度のゼミ新入生募集がありました。「サエない学生生活を変えたい学生」という何とも岡田ゼミらしい受験資格を設けて募集・面接を行ったところ最終的に計6名が合格致しました。

何と言っても今年は数年ぶりに女子ゼミ生が加わりました!!あの、あの男臭かった岡田ゼミにです。勿論その他の新入生たちも個性派ぞろい(毎年のことか・・・)ですが、。

新ゼミ生の皆さん、ようこそいらっしゃいました!皆さんのホットなハートとクールな頭脳を120%はたらかせて充実したゼミを行ってまいりましょう!!!


②納会
事後報告となってしまいますが、今年度岡田ゼミの後期納会を一昨日行いました!

忙しい合間を縫ってご参加頂いたOBの皆さん、ありがとうございました。来年の春には卒コン来年はもう少しまめまめしく更新もします・・・というのが来年の目標になりそうです。

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2010年11月04日 01時04分03秒 | ゼミナール
錦秋の候。朝晩だいぶ涼しくなりまして…皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

さて当ブログですが、運営陣の怠惰、怠惰、怠惰により長らく更新をしておりませんでした。申し訳ありません!!

今後、夏合宿の報告、そして今ゼミでやっていることを更新していきます。よろしくお願いします。


真田小僧拝

今日は近足ですね。

2010年06月24日 12時16分50秒 | ゼミナール
昨日、お知らせをいたしました鈴木です。

今日は近足!

押上駅から建設途中のスカイタワーを横目に浅草の町をぶらつく予定です。

昨日更新しといて、今更、何をと思われるかもしれませんが、

昨日のお知らせに間違いを発見したので訂正です。

今日の集合は 16:00 !! 押上駅です。

申し訳ありませでした。

以上です。

近足と納会のお知らせと最近のゼミの様子

2010年06月23日 13時31分32秒 | ゼミナール
どうも、3年のゼミ生の鈴木と申します。

近足と納会のお知らせと最近のゼミの様子についてです。

自分の自己紹介は今度いつかやります。


・近足  6月24日(木)つまり明日
     
     半蔵門線押上駅東武橋側改札口 17:00集合
     
     押上駅から浅草の方に歩いていく予定です。


・前期納会  7月15日(木)

       会場:彩食創家 蔵や (神保町駅付近)

       19:30開始予定


・最近のゼミでやってること


『平成政治20年史』平野貞夫著、幻冬舎新書、2008年

が、終わりました。

平成の政治のおおまかな流れを理解できたと思います。

次は、『地方の王国』で取り上げられた道県のその後の状況を調べて、

発表することとなりました。

今年のゼミ論は、題して『続・地方の王国』になりそうです。


以上、お知らせと報告でした。

UPが滞ってしまいまして・・・

2010年05月19日 23時54分48秒 | ゼミナール
申し訳ありません。

ゼミの方は現在、今年度の2冊目『日本の統治機構』を読んでおります。

そして、このテクストの後は・・・

高畠通敏 『地方の王国』

です。

そういえば、私が住む横須賀は神奈川11区。
そう、そうです。悪名高きあの一族、
小泉一族の牙城です。

衆議院選挙といえば、自民党!!という土壌です。ある種「地方の王国」ですよね・・・

自己紹介^^

2010年04月19日 23時20分56秒 | ゼミナール

わたくし、生まれも育ちも千葉市川です。スプラッシュマウンテンで産湯をつかい姓はKa名はS。人呼んでグータラのKaS(カス)と発します。


今年度より、記念すべき岡田ゼミ第10期生として、仲間に加えさせていただきました。
職は「会計係」を担当させていただきます。

その名の通り、大学に入ってからこれまでカスみたいな生活を送ってきました。

1年の頃、2時間かけて生田まで行ったものの、図書館でプロジェクトXだけ観賞し、授業を出ずに帰ったこともしばしば。


「このままじゃいかん!」

そう思い、今年はたくさんの授業、バイト、そしてゼミと、自らキツイ状況を作りだしました。
ゼミを第一、健康第二で頑張っていきます。



・好きなもの
 日本
 (高校の頃アメリカはカリフォルニアに短期留学しましたが、日本の良さをしみじみと感じて帰ってくるという結果になりました)
 ビール
 サッカー
 無駄遣い


・嫌いなもの
 牛乳
 甘いもの


・女性関係
 くそ真面目


・好きな言葉
 おもしろき こともなき世を おもしろく


by KaS