GO AHEAD! Gut's コウスケ

ガッツ コウスケ~愛すべきサッカー大好きガッツ小僧の成長記録~
~『イングランド代表(?)』への軌跡~

泥だらけのストッキング

2015-10-30 00:52:24 | 最近の出来事

1年ぶりに泥だらけのストッキングを今日洗いました。1年前2度目の左膝前十字靭帯損傷の怪我をしてから、泥だらけのストッキングにたどり着くまで、更なる試練が待っていました。術後8ヶ月でサッカー復帰を許されサッカー復帰したものの、左足に違和感を感じたままの復帰でした。GW後の診察の時「左膝を曲げるとコリコリ言う。」と息子が言い出してから、4ヶ月たった9月の診察まで、左膝は腫れ水が溜まり、思うようにサッカーをすることができませんでした。

無意識に膝を庇っていたようで、何度も監督から、「痛いのか?」と聞かれたと言います。診察の時その話をすると、「内視鏡検査をして確認しよう。筋膜が引っかかってるのかもしれない。」って言われ息子は即決で内視手術を決めてしまいました。

結果、半月板がかけて膝の関節に挟まってました。「膝がブロックされて動かなかったはず。かなりの痛みがあったはず。」と主治医の先生は言われました。

1週間か十日で、復帰できる予定が、1ヶ月近くサッカーが出来ない状況に。

やっと復帰し、試合に出ました。

「楽しかった😊」と帰って来た息子を見て嬉しくもう怪我せずやっていって欲しいと思いました。息子の怪我で、周りの方にたくさん励ましてもらいました。息子が大好きな指導者の方に「お前の子は、どんな状況でも楽しく自分のする事をやっている。サッカーできなくても、何も無駄にしてない。」と言って頂きどんなにうれしかったか。「お前はよくいなぁ。サッカーできる様になっただけで、サッカーしよるんだから、それでいいやろ。」

息子の焦る気持ちは私がそうさしたのかも知れません。

そんなこんなの泥だらけのストッキングを見て・・・・・・

悪態つきながらも、嬉しくストッキング洗わせてもらいました。こんな日が続きますように。


母の決心

2014-11-09 11:29:56 | 最近の出来事

9月18日夜携帯にコウスケからの電話。
『母さん迎えに来て。膝を怪我した。歩くのも痛い。』思わず『右』って聴いたら違う『左』。
膝が痛い。それを聴いただけで、涙が出る。すぐ迎えに行った。

翌日仕事が休めないので、主人と病院へ。

念の為MRI検査の予約を入れ、別の日に私と病院へ。
検査の結果・・・・・・・写って欲しいものが写っていない。
医師から『前十字靭帯』って言葉を聴くだけで私は涙が頬をつたう。
大きな病院へと言われ前回お世話になった病院へ、担当医へ。それから私はずっと泣いていた。

『何故?コウスケばかり。何故?』

私は現実が受け入れない。総合病院での診察。万に1つ億に1つ間違いであって欲しいと思ったが、診断結果はあっさり、そして淡々と私たちに伝えられた。

『左膝前十字靭帯断裂、半月板損傷』
聴きたくない。信じたくない。けどこれが事実。現実。
受け入れたくないけど受け入れないといけない。

コウスケはすぐに手術することを決断した。
そのコースケに私は『サッカーを辞めて欲しい。』と言った。
けど、コウスケはすぐに『辞めない。』と私に言った。
『また必ず復活するから信じて欲しい。』と。


コースケは手術をし、リハビリが始まり、松葉杖と一緒に歩き始めた。
もうすぐその松葉杖も取れ、自分の足だけで歩き始める。

私もまだ涙が出るがその姿を見守っている。
サッカー復帰の為頑張るコウスケを応援すると決めたから。


実はとても好ましくないことが起こっていた。

2014-11-08 18:21:14 | 最近の出来事

前回の投稿(といっても8月9日、約3ヶ月も前になりましが・・・・・)の後、とても好ましくないことが起こっていました。

ですから、筆を執ることが(本当はキーボード入力ですが)できずにいました。
しかし、今、いろいろなものを取り戻し、吹っ切り、そして前進することが出来そうです。


   ★こんなことがありました


しかし、これからまた、少しずつ夢のレンガを積み始めます。


願いを込めた母の御守り。

2014-08-09 21:44:35 | 最近の出来事

コウスケが最後の手術(ボルト摘出)が終わった。
内視鏡で靭帯を確認したところ、靭帯を圧迫する可能性がある骨を少しばかり削った。
そこは我々にとっては想定外だったが、主治医の先生の中では想定内の、取るに足らない”施し”だったようだ。

彼の膝を再生してくれた2つのボルトが摘出され、主治医の先生から我々両親に手渡された。

母は願いを込めて手作りの御守りを作った。

         

       こんな想いを込めて.........。

 


   『君が今まで注いできたサッカーへの情熱。
   大変な試練や苦難にも負けなかった証。
   君の膝を再生してくれたボルト。
   これからも思い切りサッカーへ打ち込め。
   このボルトが君を守ってくれるよ。』


この御守りは、コウスケの本来的な”再生”であり”復活”の証である。


2年4ヶ月は長かったか?短かったか?

2014-07-30 23:03:06 | 最近の出来事

先週(7月23日)コウスケは予定どおりの手術を受けた。
前十字靭帯再建手術時に靭帯を固定したボルトの撤去手術である。

両足で歩きながら手術室に入る息子の後ろ姿を見送るのは、とうとう4回目になった。

手術を終えた主治医の先生が、手術結果の報告に来て下さった。
そして極めて大きな希望と、撤去したボルトを我々両親に手渡された。

                       それがこれである。↓

      


ケガをして約2年4ヶ月。
長かったのか?短かったのか?判断(判定?)には、大いなる苦慮を伴う。
しかし確実に言える事は、とても現実的なこのボルトが息子の膝を再生し、守ってくれていたということだ。

もう一度考ええてみた。
辿り着いた結論は『運命と容認と決意』だった。

コウスケがあの時ケガをすることは、すでに決まっていた。それは俗にいう”運命”だと思う。
そして我々は運命を”容認”せざるを得なかった。そしてそれは確固たる決意を必要とした。

その間、いろいろなものを一時的に失い(手放なさざるを得ず)、いくつかのものを得た。
一言では言い表せない。

コウスケは最後の束縛から開放された。

そして、再び高校1年生のサッカー小僧に戻った。
一時的に失った(手放さざるを得なかった)ものを、拾い集めて前進する。

さあ、ゆっくり立ち上がろう。少しずつ走り出し、段々と確実にステップアップし、更なる高みを究めよう。
君はその有資格者だから。


日本のサッカーはどこに向かっていけばいいんだろう?

2014-06-29 12:11:08 | 最近の出来事

2014年ワールドカップブラジル大会が1/2終わった。
今年は2006年か?と思わせるほど、同じ試合内容で予選リーグを終えた。
多くのタレントを擁し、過去最強をまで言われた日本代表はあっけなく敗れ去った。
この結果をどう見るか?
世界は日本をどう見るか?

冷静に見ると、ワールドランキングそのままの結果になっている。
だから日本の立ち位置は、正しく正当なものと言えるかもしれない。
だが、これらを覆す可能性や期待は十分あった。

しかし、結果的には”惨敗(?)”となった。
日本サッカーはどこに向かっていけばいいんだろう?

夢を果たせなかった選手たち。打ちのめされて強くなれ。
サッカーは永遠に続く。


お人好しと言われても

2014-05-28 23:33:56 | 最近の出来事

コウスケの部活生活も1ヶ月半を過ぎ、『理不尽』って言葉を覚えて帰って来た。
オヤジに愚痴ってみる。でも言われることは1つ。
『体育会系の縦社会は王様と召使い』先輩は王様。1年は召使い。これは当たり前!オヤジの時代からずっとそうらしい。
私にはわからない感覚だか、周りの父友達もみんな
『そうだ。コースケそんなもん。』って言うからそうなんだと思う。

そんな中コースケがAチームの練習の為副審をやり遅く帰って来た。コースケは選ばれず帰ってもよかったらしい。”誰かして欲しい”って言われてコースケがやったらしい。副審して後片付けして、忘れ物持って帰って来てひと言。
『いつも俺なんよ。なんでやろ?』

帰っていいよ。って言われた子たちは、2時間前には家に帰ってる。けれど帰らずチームの為に今出来る事をやってきた。彼は、お人好しのお馬鹿さんなのかも知れない。

でも、私はそれでいいと思う。そんなコウスケが誇らしい。理不尽はその内理不尽ではなくなるだろう。
彼の大事な財産になるだろう。お金では買えない。大切な財産に。
点数稼ぎと言われても、お人好しって言われてもそれが、コウスケなんだと思う。

頑張れ!コウスケ!


全てのサッカー仲間へ。そして傷ついてしまった、いつもハードに闘う君へ。大丈夫、絶対大丈夫。~母より~

2014-04-27 22:46:19 | 最近の出来事

 今日コウスケのユースSOCCERを観に行った。中学校までの仲間や、小学校以来会うSOCCER小僧に沢山あった。みんな直立不動で大きな声で、挨拶してくれる。
『頑張るんよ。』『頑張りーや。』って声をかけると、『はい!』って返信をしてくれた。ボール運ぶ小僧たち。『観て!ユニフォーム』って見せてくれる小僧。みんな少しだけ顔が大人びていて驚いた。

帰ってコウスケと話しをする。共通の話題で盛り上がる。
そんな中、ジュニアユース時代の最大のライバルチームで、小学校からの県代表で一緒にプレーしていた選手からコウスケのもとにLINEが入った。

『大きな怪我をした』

コウスケがLINEで励ましている。早い復帰を願うだけだ。コースケに聞くと、自主練を頑張り、努力する彼が初めてトップチームでの試合だったらしい。
『アイツむっちゃ頑張るやつなんよ。』と、旦那とコウスケ。
そんなサッカーに命を懸けた小僧ばかりが怪我をする。中途半端な奴程怪我をしない。
コウケが怪我した時、『上手い子は怪我をせんのよ。』と言われた事がある。
違う。ボールを追い、相手選手と競り合い、絶対に負けたくない。そんなふうに頑張り頑張り過ぎる子程怪我をするんよ。で立ち向かいまた頑張るんよ。

コースケが怪我した時、SOCCERを通して知り合ったSOCCER小僧の父が、『大丈夫』と言う歌で励まして下さった。私たちも、怪我した彼に声を大していい、伝えたい。『俺が大丈夫って言えば君は、きっと大丈夫で、世界中が君の事を否定をしていようと』絶対フィールドに帰って来れるから。コウスケが帰って来たように。頑張るん
大丈夫たがら。

そして、今頑張ってるSOCCER小僧たち!怪我に負けるなよ!怪我しないでねぇ。笑顔でSOCCERしてねぇ。そして、何時までも応援してる私たちに、声をかけてねぇ。


ユーリ。絶対に大丈夫だから・・・・。


ユースサッカーの正式スタート

2014-04-17 00:35:29 | 最近の出来事

 いよいよ高校サッカー、すなわちユースサッカーが本格的に始動した、。
3月初め、進学した高校から練習参加依頼のレターが届き、練習や試合(高校フェスティバルやユースリーグ)に参加させていただいていた。
ですから、何となくきちんとした区切りもなくユースサッカーがスタートしていた。

4月16日。コウスケが進学した学校から、1枚のレターと1枚の参加承諾書を手渡された。
山それは、山口県サッカー協会から正式な文書だった。
『2014年山口県トレセン(U-16)指名選手選考会および、第69回長崎国体少年男子(サッカー競技)山口県選抜選手選考会の開催について』というレターだった。
ようやく"正式に”山口県トレセンからの文書である。

ケガから復帰したコウスケがやっと”正式に”国体の候補選手の1人に指名されたことになる。


  
   


なんだか不思議な気もするが、高校サッカーつまり、ユースサッカーが正式にスタートしたように感じられた。
さあ、ステージは用意された。
あとは、U-13の時のように、躍動するだけである。

ここからまたリスタートである。


ジュニアユースクラブチーム 最後のホームページ

2014-04-01 23:42:50 | 最近の出来事

2011年4月1日
小学校のスポーツ少年団を卒団し、セレクションに合格したコウスケが、クラブチームの入団式に臨んだ。
色んなことがあった。良いことも、悪いことも沢山あった。
"天国"と"地獄"の両方に直面した3年間だった。
しかし、コウスケや我々にとっては避けられない必然であり、それは正しく運命だったのだろう。
貴重でかけがえのない時空だった。

 

2014年3月31日
入団して丸3年。
最後のホームページ。

    


伝統のクラブチーム、名前の横に(主将)と表示された最後の画面。
彼が成長し、大人になり、ふっと中学3年間を振り返った時、どんな思いに浸るのだろうか?

ジュニアユースの3年間が終わった。
あっという間の1096日だった。

 


卒団式

2014-03-13 00:17:14 | 最近の出来事

3月9日(日)コウスケの所属するクラブチームの卒団式があり、16人のサッカー小僧たちが、送り出していただいた。
あっという間のジュニアユースの3年間が終わろうとしている。


  
                   



不安と期待と希望とともに参加した入団式。ほんの少し前のような気がする。ああ、あれから3年が経った。

サッカーの神様は、コウスケに大きな誇りを与えて下さり、大きな試練もお与えになった。
彼が3年間で得たものは、仲間や指導者との絆であり、試練に立つ向かう勇気や強さであり、薄れることのないサッカーへの情熱だった。

卒団式の途中、コーチが編集して下さったVTRが映し出された。16人の幼いフットボーラーがそれぞれの決意を語っていた。その画像を見ると。彼らは随分と逞しくなった。

コウスケはキャプテンとしての最後の任務である、謝辞を述べた。私にとっては万感の思いだった。

ジュニアユースサッカーが終わった。16人の選手たちはそれぞれの道を歩み始める。



卒業証書授与式~ジュニア・ユースサッカーの終わりがやってくる~

2014-03-08 23:51:05 | 最近の出来事

今日3月8日(土)はコウスケの卒業証書授与式、普通の言い方をすれば、『卒業式』である。長くて短かった3年間が終わる。
万感の想いである。

クラブチームでサッカーをすることを望み、セレクションを受けた。パフォーマンスが認められ入団を許された。47番の背番号を貰い、サッカーに打ち込んだ。順調に成長し、県内でも注目を集める選手になった。そしてナショナルトレセンにも選出された。しかし大きな試練が彼を襲った。右膝前十字靭帯断裂。状況は一転した。3度の手術と激しいリハビり。サッカーができないもどかしさ。我慢と焦りの日々。思えば、ジュニアユース3年間の内、約1年10ヶ月の間をケガとの闘い、克服に費やした。救いは、コウスケのサッカーへの情熱だけだった。
「もう、いいや。諦める。やっぱり、無理だ。」そう思って、逃げ出すことはできた。逃げ出しても仕方ない状況だった。しかし、彼の情熱は、それら負の要素を払拭し、復帰のみを夢見た。
最後の最後にかろうじて間に合った。キャプテンマークを巻いて仲間と同じピッチに立てた。そして県トレセンに戻ることもできた。
もしかすると、コウスケはとてつもない経験を手に入れたのかもしれない。傷ついたヒザのおかげで(?)たくさんの人に巡り合った。そして、普通にサッカーができることがどんなに素晴らしいことなのか、そして有難いことなのかを心に刻んだことだろう。


  

卒業証書は校長先生から一人ずつ手渡された。名前を呼ばれ、大きな声で「はい」と返事をし、規律正しく受け取った。
ああ、コウスケが中学校を卒業した。

そして、多くの友と巡り合い、多くの友と離れ離れになる。コウスケの人生は、否応なしに次のステージに上がる。
今までは、多くの事が約束され保証されていた。
しかし、それも終わった。

   


さあ、こんどはユースになる。また新たな始まりだ。
いろいろな事を目指して、頑張れ!
試練を乗り越えたのだから、あの辛さに比べれば、何でも乗り越えることが出来るよ。

さあ、サックスブルーからブルーへ。


思いっきりSOCCERさせてやりたい。母の願い。

2014-02-09 22:26:24 | 最近の出来事

コースケが第一志望校に合格した。決して偏差が高い難関校ではない。普通に頑張っていれば入れる高校だ。
周りの方は『コースケが頭がいい。』っと言って下さるが、決して賢くない。成績だって浮き沈みが激しぃBIG WAVEだ。
ただ諦めず努力した。SOCCERの練習が終わってから夜11時近くまで塾に通った。『週5日塾においで!』と言われても音を上げることなく通い続け、宿題をし頑張った。
夏休みに、『あれはバカが行くんよ。』って言われながらも補習授業にも通った。
言い訳かも知れないし、すぐ怪我のせいにするって言われるかもしれないが、入院3回、リハビリに1年近く通い、通院したコースケは、早退、欠席が沢山あった。入試の面接で休んだ理由を聴かれたと言う。授業を受けてないコースケは、自分から先生達にお願いしないと補習して貰えなかったから、そのうちお願いしに行くことをしなくなった。
3度目の退院後学校に行ったら自分の居場所がなかった。『疎外感、半端なかった。』と、教えてくれたのはつい最近のことだった。
今でも学校は疲れ、居づらいらしい。身体にもサインが出た。近視が進み鼻血が止まらない。病院の先生はストレスだと言う。こんなに近視は進んでないから、もっと見えるはず。鼻にも異常はなく。ただ薬を塗り止まるのを待った。でも学校には毎日行った。逃げなかった。週5日の塾で、中2の数学と英語を頑張ったって言っても過言ではない。コースケは色々なことから逃げなかった。その事は心のそこから思う。よく頑張ったねぇ。と褒めてやりたいと・・・。
おもいっきりSOCCERができる事になった。高校も決まった。彼の頑張りに人が何と言っても彼は頑張ったんだ。胸を張って新しい学校生活を送って欲しい。今度は怪我と無縁の生活を送って欲しい。ただそれだけが私の願い。


サプライズ ~山口県トレセン~

2014-01-28 00:35:06 | 最近の出来事

1月26日(日)山口県トレセン開催。

そこにはサプライズがあったようだ。
そのサプライズとは・・・・・・★★★ ←ここをクリック。


また、このスタートラインに立てた。感謝。


国立競技場最蹴章~高校サッカー選手権大会~そこに何が起こったのか?

2014-01-13 23:42:57 | 最近の出来事

全国高校サッカー選手権大会。
富山第一高校vs星稜高校の北陸対決。
柳沢vs本田(?)みたいな決勝戦になった。サッカーの勢力図が大きく変わったのではないだろうか?
北陸同士の決勝戦など、本来的には”予測不可能な対戦”に思えた。
しかし、試合は壮絶なもので、想像を絶する過酷な結果になった。


優勝はほぼ星稜の手中にあった。
少しばかりサッカーに興味がある人が見れば、星稜が優勝カップを掲げて歓喜することに疑いの余地がなかった。
しかし意外な要素で”綻び”が生じた。
オヤジにとっては理解しがたいことが起こった。
星稜高校の名将・河崎監督が取った采配。星稜の10番・エースでキャプテンの寺村介選手の交代。
交代した瞬間に”何が起こったのか?”と思った。寺村選手のコンディションは万全ではなかったかもしれないが、”交代を裏付け、妥当性を容認する”理由は見当たらなかった。
交代していなければ勝てたかどうかは、神のみぞ知る。
河崎監督をして「寺村、お前は頑張り過ぎるな!」と言わせたキャプテンを交代させる”大義名分”がどこにあったのだろうか?

コウスケに聞いてみた。そしたら、彼はこう言った。
『結果論。負けたい監督はいない。その時の最善のチョイス。回りが批判する資格はない。でも一番辛いのは、河崎監督。めちゃくちゃ後悔しているにちがいない』
一見、矛盾しているようだが、『言いえて妙』である。


こうして国立競技場最蹴章は感動の内に終幕を迎えた。
本当に素晴らしい闘いだった。


オヤジはこの大会に出場したくて、引退もせずサッカーをしたことを思い出した。
残念ながら、山口県大会決勝で敗れ、夢は散り去った。本気で全国を目指していた。
この中継を見ていたコウスケの目は輝いていた。それは現実を見据えた目に見えた。
彼にとっては『明確な道標』になったに違いない。