地域ユニオン、青年ユニオン つくり帯 ブログ


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2月28日(水)最賃生活体験運動の終了、されど奇跡の革命は続く

2018年02月28日 23時14分37秒 | 最賃生活体験運動

朝食は、何も食べずピュアな水200㏄だけ、30円。
昼食は、ミートソーススパゲッティ300円。
夕食は、特製豚まん170円。食費類小計500円。
雑誌代A730円。雑誌B1030円。雑誌代C550円。雑誌代D500円。雑誌類小計2810円。累計121192円。
夕方に友人がくも膜下出血で倒れ、意識がないと聞きました。何とか助かってほしいです。自分自身が約1年前に急性大動脈解離になり、救急車や病院で何度か意識を失っていたので、今思い返せば、そんなふうに知らない間にあっちの世界に行ってしまったりするのか、と思い、こちらの世界に戻ってこれたのが夢のように奇跡のように思えます。繰り返すようですが、70ミリも大動脈が裂けていて生きているのが奇跡だと医師が話していたそうですから、本当のことなのでしょうね。そして去年は、21日迄で最賃生活体験運動期間中に病気になって頓挫してしまったけれど、今年はこっそりとやりとげてしまっているのですから、不思議なものです。ところで、急性大動脈解離の手術代は3割負担で高額医療費減免によって実際にはそんなとんでもない金額は支払っていませんけれど、400万円超でした。

人格の変革には完成はないように思います。世の中には読んでみたい本がまだまだ山のようにありますし、学びたいこともきわめて多いです。世の中の社会体制とか民主主義の水準についても、古代文明がおしえる一切衆生のニルワ゛ァーナは、一人も苦しむことがない社会ということであれば、ほとんど永遠の課題かもしれません。その実現目標は、奇跡の革命を意味するかもしれません。資本主義でさえ、ベンサムがかかげたように最大多数の最大幸福が目標なら、働く人々の繁栄と幸福は資本主義の枠組みの中でさえ、民族自決権の原則と同様に民主主義革命の領域でも可能なことなのではないかと思います。したがって、貧困の根絶という国連が掲げている課題を各国はしっかりと実現に向けて計画的に努力しなければならないことは当然であるし、全国一律最賃の確立と生計費の原則による最低限度の生活水準のための月額23万円以上、これを最賃額としていくことが重要ではないのでしょうか。
運動は終わることはありませんが、終極目標が無であるような運動は成り立たず、無原則な日和見主義と同じことですから、目的意識的な最賃生活体験運動は最低生計費調査で把握された消費支出をまかなうべきレベルとすることは当たり前ではないのでしょうか。
2月革命は奇跡の民主主義革命に向かってさらにつづいていきます。


27日(火)あと1日、民主主義革命は続く

2018年02月27日 21時38分10秒 | 最賃生活体験運動

朝は、ピュアな水200㏄と、きな粉・ヨーグルト・蜂蜜のMIX、200円。
昼は、牛丼ほか500円。
夜は、野菜カレースープ、鶏ささみのオムレツとご飯、500円。
依頼していた共済申請に使う診断書ができてきまして、2通で7560円。
携帯電話料金が10452円、リハビリのロッカー代10円、本日の支出小計19222円、累計は118382円です。
人間は古代から愚かで残虐なことをしてきました。キリストが生まれるという予言があったときに、無数の赤ん坊が殺されたというのは史実でしょうか。ゴータマブッタを生んだシャカ族が滅ぼされてしまった、ということはどうしたことでしょうか。いまでもキリスト教発祥の地であるパレスチナやシリアやリビアなどは争いが絶えていないばかりか、たくさんの子供たちが犠牲となっています。世界中を見ると、未だに野蛮で残虐なことがおこなわれていて、ひとはそうした非道な行為をやめさせることさえできていません。アウンサンスーチーでもミャンマー国軍のイスラム系少数民族への暴虐を止めることができないのです。救世主じゃないですね。イスラム国というのも救世主とは似ても似つかないものですね。神や救世主はこの世にはいませんね。あの世から、こうした現代世界を見ているのでしょうか。それもないですね。そうだったら全知全能の慈悲深い神は、人間の人間に対するあらゆる暴力を簡単にやめさせることができるでしょうからね。人間のしているよくないことは人間がやめさせなければいけないです。そのため、2月革命が組織されたたかわれ勝ち取られなければならないのです。2月革命はたえず継続されつつける民主主義革命です。民主主義革命は永続革命です。それはあらゆる前近代的な野蛮と暴力を智慧により一掃するため、争わずにたたかい、人間社会の肯定的・文明的要素をさらに発展させるものです。暴力が新しい社会の助産婦であった時代は消滅し、支配階級のすべての暴力と暴力装置を廃棄させ、民主主義の徹底から働く人々の繁栄と幸福が花開くように利口に導くことが夢想ではないように、新しい人が目覚めればなぁ。そのとき一気に夢は覚め、現実の民主主義の一歩一歩を実現するたたかいに向きあわなければなりません。

あれも不思議、これも不思議、と思えることが沢山あります。生きていることの一歩ごともそうですし、読んで忘れていく本とその内容もそうです。人間は、生きて死んでゆきます。その色身は生身のからだであって、法身はなにか残されるべきものを意味しているように思います。ウイリアムブレイクの長編予言詩を時間があれば熟読してみたいとか、もう一度ドストエフスキーの長編小説を読み返したいとか、そういう時間が欲しいとか思っていますが、ままならないのが当たり前、というものです。ムイシュキン伯爵のように無垢の精神世界、カンパネルラとジョバンニ、グスコーブドリ、ペンネンネンネネムの生きている異次元とともに自分自身の人生を深めてゆきたいと思います。無理かねぇ。


 


26日(月)あと2日、2月革命が燎原の炎になるとき

2018年02月26日 23時23分24秒 | 最賃生活体験運動

朝食は、水200㏄および、きな粉・ヨーグルト・蜂蜜のMIX、200円。
昼食は、セレクト弁当(カルパッチョと茶碗蒸し)、880円。
夕食は、ビーフシチューとパン少し、紅茶で1300円。
勝たせる会会費(月割りで)833円、新聞代A、3497円。
小計6710円、累計99160円。こりゃいかん、もう10万近くになりましたが、これでは間違いなく最賃額は超えてしまいます。さて、どうやりくりしましょうか。なんともできないですね。

東野圭吾がエッセイ集のなかでこれは絶対おもしろい、とほめていたので、黒川博行のとくに貧乏神シリーズの小説(たとえば『国境』)も楽しんで読みました。こういう大衆文学が娯楽だからといって馬鹿にはできないものがあり、テレビドラマにしても、今まで暇がなかったのであまり見ていないのがほとんどでしたが、それはそれでなかなか、といえます。テレビは大衆娯楽ですから、テレビばかり見ているとアホになると言われますが、本当の面とそうとばかりは言えないという面と両方あって、つくっている方はきちんと問題意識もあるものが多く、むしろ見る方が漫然とみていては時間つぶしにしかならないようなものとなってしまうのでしょう。だったら時間をそういうことで無駄に使うのでなく、実のある小説を読むことの方がきっといい、といえるのでしょうか。映像作品で良いのではないでしょうか。どうなんでしょうね。ちょっと前には、バルガスリョサとガルシアマルケスの小説もずいぶん何冊も読みました。ラテンアメリカ文学というのもなかなか傑作が多く楽しむことができますね。

『丸楠経済学レキシコン』とか『資本論草稿集』なども同じような感覚で気楽に読めるようになれば、丸楠がヘーゲルを読んだようにずいぶん大きなものが吸収できるようになるかもしれません。働く人々が仕事で勉強しなければならない文献が高度化すれば、どんな経済学書も哲学書もそれほど難しいと感じずに普通に読めるようになってしまうかもしれません。ただ、読まないだけです。とくに反権力・反体制・体制変革の書物は遠ざけられていて、暇になってもそういう種類の本は読まないようになっています。インテリの多くが本当には読んでいないのですね。変ですね。


 


25日(日)あと3日、2月革命の火花

2018年02月25日 22時43分38秒 | 最賃生活体験運動

朝食は、水200㏄と、今日は珍しく和菓子(餅入り練り小豆の)1個で400円。
昼食は、豚ロースのしゃぶしゃぷ、野菜天ぷら(金時サツマイモ、かぼちゃ、新タマネギ、ちくわ)、ご飯で1000円。
夕食は、リンゴ・新タマネギのヨーグルトサラダ、トースト1枚、アールグレイのミルクティで600円。
各種会費の月割り分A1500円、B1000円、組合費C1000円+D3000円、計6500円。
小計8500円、累計92450円。
愛知では今年も自治労連青年部の若い仲間たちを中心として100人くらいの愛労連組合員たちが最賃生活体験運動によって自分たちの暮らしと人生を見つめ直すとりくみをしてきましたが、残すところあと3日になりました。ここで、着ているダウンジャケットがよれよれになってきたからといってヘルノのダウンなんか買ったりしたらそれだけでアウトになってしまい、その物欲のフラストレーションに負けると話になりません。貧乏人はメシ食ってるだけ、という生活しかできないのです。今の最賃額ではそういう暮らししか営めないでしょう。どうやってテレビが買えて、どうやってエアコンで暖房できて布団にも寝ていられるのか、地方最低賃金審議会の委員の皆さんに教えてもらいたいですね。現行の最賃で生活設計などできるわけがない。

ダスキャピタルは高校2年生の時に岩波文庫の向坂逸郎訳で読みました。全巻そろえて持っていましたが、いまはなくなりました。長谷部文雄訳で第2巻・第3巻を読み『剰余価値学説史』を勉強しました。車寅次郎の親戚のような名前の久留間鮫造の『価値形態論と交換過程論』はずいぶん感心して読みました。ダスキャピタルについてのすごい疑問の把握の仕方とその解明の方法は、すばらしい小説を読むのとはまた違うとしても良い本に巡り会えたという感動がありました。貨幣というものはどんな経済法則のもとで生成し発展し、その物神性はどういうものか、その確実で正確な認識は価値論から必然的な展開をします。ダスキャピタル初版から現行版をみると、それはよくわかるところですが、丸楠の経済学批判はそれこそ大英図書館で歴史的に経済学書を徹底して研究した結果としては、まさに総括的総和として経済学そのものを革命したものであることはまちがいありません。こうした丸楠の経済学研究の足跡を歴史的批判的な全集で検討することができるということはすばらしいことです。革命論の根底に、ダスキャピタルを土台として踏みしめることがなににもまして重要です。いうまでもなく、経済に強い労働組合にならなければ、経済主義・企業内主義など労働運動内部からの右翼日和見主義を克服することもできません。
しかし、一切衆生を救済する解放のための運動に、経済学の科学的認識と、智慧が求められ、あらゆる活動に智慧と慈悲が大事です。すべての活動家が智慧をもち徹底して学習し、実践していくこと、その実践から教訓を見いだし、菩薩のように不退転のたたかいを、誤りと変質を生じないよう注意深くすすめることが大切ですね。これで明日になればあと2日、あさってになるとあと1日ということなのです。


24日(土)2月革命の総括から(10月革命へ)

2018年02月24日 22時32分33秒 | 最賃生活体験運動

朝食は、水200㏄および、きな粉・ヨーグルト・蜂蜜のMIX、200円。
昼食は、幕の内弁当(鯖の塩焼き・野菜煮付け、だし巻き卵、ご飯・味噌汁)、1000円。
夕食は、豚しゃぶしゃぶとお雑煮、700円。
本日はだいぶ髪が長くなっていたので床屋に行きまして4600円。(以前行っていた六甲の半額で同じカット等)
小計8500円、累計83950円。あと4日で最賃生活体験運動は完了するため、月割りの分をそろそろ入れなければなりません。その分に、新聞・雑誌の定期購読のものなど精神生活に寄与する費用の若干が入ることになります。
これまで今月は一度も酒を飲みに行っていませんし、焼き肉なども食べてはおりません。
おおむね体重は高校生の頃からみて1㎏程度多いのですが、47年たったけれどほぼ同水準をキープしているともいえます。精神面でも、高校生の頃に外部注入した革命が生き続けています。どこかの「昔の丸楠ボーイ」のようにはしかのようなものではなく、一生ものとなっています。

ヘーゲルの『小論理学』も村松一人訳の岩波文庫版を高校生の頃に読みましたし、麗人の『哲学ノート』でもヘーゲル論理学の再学習はある程度系統的にトレーニングしたといえると思えるのでしょうが、もっと徹底的に『大論理学』も学習してみたいなと思います。なにぶん視力が衰えて読書スピードがとても遅くなり、読みたい本は山のようにあるのに読む時間が少ないし、集中力もおちてきているのでしょう。
ヘーゲルに至る西洋の論理学や、ウィトゲンシュタインとかエーコの記号論、素粒子物理学系の論文とか読みたいと思っているだけでなかなか手のでないものも多いです。そういうときは、ファンタジーとかミステリーとか娯楽小説に逃れていることが最近は多くなっていて、自分でも怠けてるなと反省するのですが、真剣には回復できていません。だから、中観帰謬論証派の系統的な勉強もできていなくて、東洋の哲学の探究はチャンドラキールティ、カマラシーラ、ブッタグヒアの本などは蔵書としては購入していても、読めていません。もっと真剣に反省して学習と実践の徹底に力を入れたいですね。さらに、ですね。

 


23日(金)2月革命による貧困との闘争

2018年02月23日 22時58分06秒 | 最賃生活体験運動

朝は、いつもの水200㏄および、きな粉・ヨーグルト・蜂蜜のMIX、200円。
昼は、卵とハムのトースト(食パン2枚)、ミートソーススパゲティ、紅茶で600円。
夜は、豚ロース・キャベツ・卵の焼きそば、トーフと若布の味噌汁、ご飯で800円。
トレーニングのロッカー代20円とメディア代2440円。
小計4060円。累計75450円。
一日1食の食生活を数年間つづけていましたが、それほど腹が空くということもありませんでしたし、普通に生きていく上でエネルギー不足も感じませんでした。それが1年前の2月22日に急性大動脈解離を発症して、心臓リハビリ室の管理栄養士さんから指導を受けて、一日3食のバランスよい食事に復帰しました。健全で安定的な生活を営むには、まず食事の管理ということですから、使えるお金がなくても食生活を整えることは健康の基本という話で、当然のことですね。しかし、朝昼晩と、毎日何を食べて生きているかということを、あまり他者に知って頂くのもどうかと思いますから、ひそかにこつこつと記録しておく方がいいと思います。そうした食費にいくら費やしているか、ということも、ひとの懐具合を他人様に知って頂く必要は一般的にはないので、こちらもひそかに記録しておくのがいいのでしょう。だけど普通に食事をし普通に金銭支出があってそれが最低賃金という絶対額の低さからはまかなえないという事実は動かすことのできない有無を言わさぬ事実です。
この23日のあいだ耐久消費財も電化製品もほとんど買わない、冠婚葬祭や交際費なし、スキーや旅行に行くことも、映画を見に行くこともなく、衣服もまったくといっていいほど買うことがありませんでした。最低賃金と生活保護は、健康で文化的な最低限度の生活を営むに足るレベルに大きく引き上げなければ、この世の貧困は、貧困から生ずる様々な社会問題は、決して絶えることはありません。なにより精神世界を育む費用が一切考えられないというところに最賃額を決めている人々の頭脳や、人間の生活というものをとらえる見方の恐るべき貧困がある、というべきでしょう。丸楠が『貧困の哲学』を書いた頃となんにも変わっていないようですね。

立春は過ぎましたがまだまだずいぶん寒い日々がつづいています。外へ出て活動的になにかをすることができない場合は、読みたい本を暖かい部屋で読むのがいいと思います。清く貧しく美しく読書する、そのように自分が磨けるものならばそうしましょう。


22日(木)2月革命運動の弁証法

2018年02月22日 22時33分53秒 | 最賃生活体験運動

朝食は、南アルプスの天然水200㏄およびきな粉・ヨーグルト・蜂蜜のMIX、200円。
昼食は、松花堂弁当(甘鯛のスープ仕立て、鯛とカンパチの刺身、ブリの西京焼き、恵那鶏の五目炊き込みご飯)で3800円。
夕食は、パイン・イチゴ・バナナのヨーグルト和えサラダ、餡ドーナツ1/4個で500円。
小計4500円。累計は71390円。
働く人々の解放のたたかいが激しくなると、反動支配勢力からの弾圧・抵抗の力も大きくなり、それは金や法や警察・軍隊・官僚機構のありとあらゆる手段や手口を駆使して運動つぶしと押さえ込みにかかってくるというわけです。戦前は特高警察によって有力な活動家を逮捕したり、運動から引き離し、転向させるということが頻繁におこなわれてきました。逆らうやつは拷問にかけて肉体的にも精神的にも人間的にもつぶしてしまえ、小林多喜二のように殺してしまえ、というわけです。こわいですね。えん罪だろうがなんだろうが葬り去ってしまえばいいという考えなんでしょうね。暗黒時代のこの暗黒の考え方はまともな人間性じゃありません。狂気の沙汰ですね。ナチスのユダヤ人大虐殺、南京大虐殺、米軍によるベトナムのソンミ村事件、資本主義を問わず、「社会主義」を問わず、なんということが人類には起こったというのでしょうか。
疑問になるのは、スターリンのソ連は社会主義と言えるのか、中国は、北朝鮮は、ポルポトやクメールルージュが一応革命に成功し権力を握ったカンボジアはあれが社会主義だったなどと言えるのでしょうか。それは資本主義や社会主義以前の、古い社会制度から抜け出たばかりの野蛮な社会としかみえません。何度もそんなことを繰り返していてはいけませんね。しかし、愚かな誤りは後を絶ちそうにもありません。そんなことにめげていても仕方がありません。二度と誤りを犯さないようにしっかりと歴史的事実とその原因を知り、智慧を身につけ、生成・発展・展開・消滅と再発防止についての賢明な方法をつかみとるほかはありません。

あらかじめわかっていることですが、仏のような一切智はございません。一口一口飯を食うように、一歩一歩歩み続けるように、一日一日を死ぬまで生きて、学び続け、本を読み続け、人々から教わり続け、深く考えて刻苦奮闘していくことが大事です。そのうちなんとかなるかもしれません。なんともものにならないで終わるかもしれません。どっちでもいいではないですか。たくさんの人々の救いになれるなら願ってもないことですし、自分だけでも救われるような、ああ、いい人生だった、と思えるならそれでいいんじゃないでしょうか。それもひとつの幸せの形ですね。
本を読んで、その内容や文体や物語のストーリーが多かれ少なかれいままで読んだことがなかったり、ああそういうとらえ方や考え方もあるのか、とか、他者の文章は他者の意識の表現ですから、そのひとの人間性をとらえるということになります。間接的経験から学べるなら、人はもっと直接的経験を大切にしてそこから学べるようにもなっていくことができるでしょう。そうですね。そうしましょう。




 


21日(水)2月革命における「革命と反革命」

2018年02月21日 23時51分00秒 | 最賃生活体験運動

朝は、ピュアな水200㏄およびきな粉・ヨーグルト・蜂蜜のMIX、200円。
昼は、ローストビーフ・水菜・オニオンスライスのサラダとバタートースト1枚、牛乳200㏄、500円。
夜は、中トロ、いかげそ、コハダ、エンガワ、トロ鉄火といった寿司と茶碗蒸し2000円。
それとトレーニング室のロッカー代10円。
小計2710円。累計66890円。
1917年のロシア革命から今世紀にかけて現在まで、革命運動の内部からの変質としてはとんでもないことが起こり続いてきました。スターリンの大粛正やキーロフとトロツキーの暗殺、中国でもチベット侵攻や林彪によるクーデター失敗とかプロレタリア文化大革命の崩壊、カンボジアのポルポト派による住民知識層の大虐殺など、あってはならないようなことが発生しました。今の北朝鮮も同じで、人類史におけるまさに逆転現象で、非民主主義的で野蛮きわまりない事態と言うべきことです。これは革命が反革命に転化したということでしょうか。社会主義・共産主義がおそろしく前近代的な独裁体制にかわり世界中からそうとらえられてしまい、社会発展の法則がゆがめられて認識されるに至るという、学問的にはありえない現実が発生したわけです。ところが、これが厳然たる現実なのです。誤りを正すことは正しいことをただ主張し続けるより実践的に困難が倍加します。どうしてこんなに複雑で困難なことになってしまったのでしょうか。それをちゃんと解明し、乗り越えて、本当に正しい道で2月革命を組織しなければなりません。革命の道のりはペトログラード大通りのように平坦な道ではない、とはまさにその通りですね。精神世界もそうですよ。

数学、物理学、天文学とか勉強したい分野も数限りなくありますが、本を読むだけで手一杯です。文殊菩薩のような「広大なる智慧」「明瞭なる智慧」「速やかなる智慧」「甚深なる智慧」がただちに手に入らないものかなぁ。まったく無理ですね。


20日(火)2月革命で奇跡の復活をする

2018年02月20日 23時19分11秒 | 最賃生活体験運動

朝はほぼ毎朝変わらず、ピュアな水200㏄およびきな粉・ヨーグルト・蜂蜜のMIX、200円。
昼は金時さつまいもとレンコン、ほうれん草と卵炒め、たこのカルパッチョとフランスパン、600円。
夜は豚テキ弁当で800円。たまにはごちそうが食べたいな。
小計は1600円、累計は64180円。自分は20代後半から30歳ころがもっとも収入が多く、今の職業になって収入は1/2以下となりましたが、職業運動家というのはそんなもんだと考えていました。しかし小林多喜二の『党生活者』などを読むとそういうひとたちはどれだけの収入でどんな食生活をしているのだろう、どんな暮らしをいとなんでいるといえるのだろうと、不思議に思いました。じっさい、収入が何らかの形でなければそもそも支出などできるわけがありません。

電車の中で移動時に読み続けている本は『聖母マリア再臨の日』ですが、宗教は『ダビンチコード』のように小説でとりあげられていると身近な文明という感じがします。かといって、自分はニーチェの『ツアラトゥストラ』に感化されているわけでもなく、『アンチキリスト』かといえば、そうとも言えると思っています。宗教者は信の薄い者を哀れみたまえ、信の厚いひとの方が慈愛に満ちている、とどうして言えるでしょうか。革命運動をめざす者はこころを問わないでもいいと誰かが言いましたか?
自分は決してそうは思わないのです。ひとの世の中を変革するのですから、人の心がどうでもよいとは考えられません。史的唯物論は、丸楠と麗人のときは健全だったのに、スターリンが教条化させてしまって変質したかのようですが、生身の人間にもそうしたことが起こります。そしてヨーゼフKに剣を刺してねじるような荒々しいことを平気でするような人間が直接加害者として眼前に現れます。こわいね。イエスに槍を刺した兵士と一緒だし、小林多喜二を拷問した特高とも変わりませんね。どうしてこういう人間が現れてくるのでしょうね。だから殺されてさえも、奇跡の復活をしなきゃ。それはいいですね。

 


19日(月)くどいように2月革命!

2018年02月19日 22時33分04秒 | 最賃生活体験運動

朝食はピュアな水200㏄ときな粉・ヨーグルト・蜂蜜MIXで200円。
昼食はフランスパンとクリームソーススパゲティ、紅茶で1600円。
夕食はブリにぎり寿司・サーモン巻き寿司と牛ロースしゃぶしゃぶで1400円。
支出小計で3200円、累計では62580円になりました。
ことしは小林多喜二が特高警察に虐殺されて85年たちました。特高の憎しみを強く印象づける激しい暴行の痕跡のついた遺体の写真は今も鮮明に記憶に残り、戦前の暗黒時代のむごたらしさと非人間性に強い怒りを覚えざるをえません。自分にとってはそれもヨーゼフKだったと思います。銀行員のヨーゼフKと多喜二、それは勝手なこじつけと言われればそうかもしれません。けれど理不尽な死、他者から強いられた、認めることのできない誹謗、人権を踏みにじられる残虐な暴力による痛ましくつらい死は、人にとって決して受け入れることはできないものではないでしょうか。小林多喜二の小説も、全集を持っているし、ほとんど青木文庫で高校生の時に読みました。中学3年の時に芥川龍之介全集を全巻読了してから、読書が趣味ということがこうじてずっと月の書籍代が何万円ということが40代くらいまでは続いていたと思います。買った本をすべては読めていないため、ずいぶん読んでいないものが残っています。死ぬまでにあとどれほど本が読めるか、楽しみはまだまだ続きそうです。寿命の蝋燭の炎が消えるまで、ですね。

全労連の地域ユニオン・青年ユニオンをテーマとした交流集会で参加者の青年が机の上に東野圭吾の文庫本を1冊置いていたことがあり、それから東野圭吾の文庫や単行本を片っ端から全部読み、あとから出る本みんな買って読んできました。
姪が『ロードス島戦記』を読んでいたので、水野良の本を読みあさったりもしました。昔は、朝起きたら、星新一のショートショートを1編ずつ読んでいた時期もありました。いまは夜眠る前に東野圭吾の『マスカレードナイト』を読んでいます。ほぼ1年前の3月ころは村上春樹の『騎士団長殺し』をずっと読んでいました。これは読書自慢と言うより、同時に2・3種類の本を読み進めながら単調で反復される日常の人生を精神世界の領域で重層化しつつ比較吟味しながら実人生を楽しみながら味わっているのです。人生が救いなく味気なくつまらなくなってしまったらおしまいで、老人性ウツにでもつかまっちゃうかもしれませんからね。そして、解釈でなく、実際に2月革命、ですね。