川端裕人のブログ

旧・リヴァイアさん日々のわざ

『ドードー鳥と孤独鳥』の正誤表

2024-03-18 10:58:02 | 自分の書いたもの

『ドードー鳥と孤独鳥』の正誤表を作りました。

ご指摘いただいた方々ありがとうございました(そして、すみませんでした)。

訂正した版が出せますように。

 

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p.85 4行目 日が沈むが遅い→日が沈むのが遅い
p.89 6行目 羽のほど剥製→羽ほどの剥製 
p.95 10行目 みぞおちのあたりの→みぞおちのあたりを 
p.95 後ろから3-4行目ニュージランド→ニュージーランド 
p.103 10行目 注目か→注目が 
p.139 後ろから5行目 わたしたちが研究室の→わたしたちの研究室が 
p.148 6行目 読み直しところ→読み直したところ 
p.185 後ろから2行目 ケイナちゃん伝えた→ケイナちゃんに伝えた
p.216 後ろから2行目 子どもから→子どもの頃から
p.250 1行目 こちらで→こちらでは 
p.334 3行目 ケイナちゃん→ボーちゃん
p.357 3行目 休眠状態たった→休眠状態だった 
p.357 8行目 ゲノム編集よる→ゲノム編集による


『いろ・いろ 色覚と進化のひみつ』──当事者の児童、生徒、保護者や先生に読んでほしい!

2024-03-17 11:41:36 | 自分の書いたもの

このたび、講談社より、色覚についての科学絵本『いろ・いろ 色覚と進化のひみつ』(川端裕人 中垣ゆたか 講談社)を上梓しましたのでお知らせします。

これまで眼科の診断名としては「先天色覚異常」とされてきたものが、生物学的には「異常」ではなく「進化型」だと捉えられていることをご存知ですか?

人類は、同じ集団の中に、様々な色覚を持つ個体を混在させている不思議な生き物です。
なぜ、そのような現象が起きたのか、今の進化生物学的な理解をたどります。


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(はじめに、より)
わたしたちが感じるさまざまな色は、目と脳のはたらきで、頭の中にできるものです。だから、人によって見え方はいろいろです。たとえば、多くの人にとってはっきり違って見える「赤と緑」が、「近い色」に見える人たちがいます。100人のうち、数人が持っている特別な見え方です。この絵本では、わたしたちの色の見え方がどのようにできたのか、恐竜時代にさかのぼり、進化の歴史から振り返って見ていきます。
さあ、色の見え方のふしぎな世界をいっしょに探検しましょう!

この世に生きるすべての子どもと大人に伝えたい、色覚と進化の驚きとふしぎに満ちたひみつ!
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本書が届いてほしいと願っているのは、次のような方々です。

・「あなたは、先天色覚異常です」と言われた児童、生徒。
・そういうお子さんをお持ちの保護者の方。
・学校の先生など子どもにかかわる仕事の方。

子ども時代に色覚検査を受けて「先天色覚異常」だと診断された場合、「自分は劣っているのだ」と刷り込まれるリスクがあります。確かに、生活の中で「困りごと」がある人もいるのですが、とはいっても、それは多数派の色覚に合わせなければいけないことに由来しており、感覚に「優劣」などない、というのが本書の最大のメッセージです。(その困りごとにどう対処するといいのかは、本書のテーマではなく、参考文献を紹介しています。)

関心のある方はぜひ、ご覧になってくださいませ。
また、身近に当事者がいる方、ぜひ紹介していただけましたらと思います。

 

 


同じ題材でノンフィクションと小説を書く 『ドードーをめぐる堂々めぐり』(岩波書店)から『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)へ

2023-09-14 11:01:48 | 自分の書いたもの

 小説とノンフィクションを両方書く。
 そのような執筆活動をしてきました。これまで書いた小説とノンフィクションは、タイトルベースでいうと(単行本から文庫化したものは1つとして数える)、3対2くらいです。言い換えると、6割小説、4割ノンフィクションですね。

 どんなテーマなら小説になって、どんなテーマならノンフィクションになるのか、明確な説明はできません。強いて言えば、「現実的に訴えたい内容が明確にある場合」「事実は小説よりも奇なり(現実的なものですでにセンス・オブ・ワンダー!)」場合は、ノンフィクションになるのだと思います。

 前者は拙著でいえば、PTAについての書籍や色覚についての書籍が、それにあたるかと思います。一方、後者は、人類学についての書籍、生き物についての書籍がそれにあたるでしょう。

 でも、こういったことって、厳密な話ではないですし、「今そこにあるセンス・オブ・ワンダー」を超えて、さらなる物語を書きたくなることだってあるわけです。これまでそれを明確にはしてこなかったけれど、はじめしてやってみました、というのが今回の小説『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)です

 先行作品である『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(岩波書店)は、「1647年に日本に来ていたドードー」をきっかけにして、ドードーという現象を追いかけました。センス・オブ・ワンダーに満ちたノンフィクションになったと思っています。

 でも、このテーマはそれだけでは足りないんです。「もっと、もっと」という心の声が最初からあって、ノンフィクションだけでなく小説も書くと、決めていました。順番としてどちらが先かという問題あったのですが、おそらくは、ノンフィクションが先で正解でした。

 というのも、先の小説を書いていたら、あれもこれも小説の中に詰め込みたくなってしまい、ドードー版の『白鯨』(ハーマン・メルヴィル)になってしまうところでした。実際には『プチ白鯨』くらいですみました。

 今回、つくづく思ったのですが、ものすごく時間をかけて書き上げたノンフィクションのテーマって、「その先」があるんですよね。そこにあるセンス・オブ・ワンダーをさらにふくらませるタイプのものです。

 そして、予告しておきますが、「近代の絶滅」については、もう一つノンフィクションを書きます。今、岩波の「図書」で連載しているものをまとめる形で、前作のドードーだけではないもっと広い「近代の絶滅」についてのノンフィクションで、ステラーカイギュウ、ソリテア、リョコウバト、タスマニアタイガー、ヨウスコウカワイルカなどが出てきます。さらにその先に、別の小説があるのかどうかは……まだわかりません。

 一方で、一度、ノンフィクションで描いた世界をベースに、小説を書くことは、これから再考していこうという気持ちが強くなってきました。『我々はなぜ我々だけなのか』で描いた人類学、人類進化、『色のふしぎと不思議な社会』で描いた色覚の話は、センス・オブ・ワンダーに満ちているし、『理論疫学者西浦博の挑戦 新型コロナから生命をまもれ!』とリンクするCOVID-19流行初期の話などは、記録文学としても重要なものになるのではないかと思うのです。

 そんなこんなで、小説とノンフィクションを同じ題材で書くことについて、これからあらためて考えていこうという、きっかけにもなったのが、『ドードーをめぐる堂々めぐり』(岩波書店)と『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)だったと、今考えている次第です。


自分史上最強の「奇書」を書いてしまった!──全身全霊をこめた『ドードー鳥と孤独鳥』(国書刊行会)を上梓します

2023-09-12 17:31:38 | 自分の書いたもの

 ずっと描こうと思っていた「近代の絶滅」動物小説『ドードー鳥と孤独鳥』(川端裕人 国書刊行会) がいよいよ書店に並びました。「日本に来ていたドードー」の取材を始めた2014年から数えてもほぼ10年近い年月を経ての堂々たる「ドードー小説」です。

 自分で言うのもなんですが、かなりの「奇書」になったと思います。「近代の絶滅」が気になって仕方ない著者が、その代表たるドードー鳥、影に隠れてきた孤独鳥について、わき目も振らず掘り下げて、埋まっている物語を浮き彫りにした、というようなイメージです。エンタテインメントのパーツとして、あるいは象徴的なものとして、「近代の絶滅」を用いるのではなく、ただ、今そこにあるもの、そして、自分が切り結ぶことができる断面を提示しました。

 ゆえに、「奇書」、です。

 編集者がつけてくれた惹句は、

・『ドードーをめぐる堂々めぐり』著者川端裕人が贈る、スリリングで感動的な「絶滅動物小説」!
・忖度なしの〈堂々たるドードー小説〉 『ドードー鳥と孤独鳥』、堂々刊行!

 といったものです。

 たぶん、ドードー鳥に思い入れがある人、「近代の絶滅」が気になって仕方がない人は、ピンポイントな読者かもしれません。生き物一般に関心が強い人も楽しんでいただけるでしょう。でも、多くの人に理解してもらおうという努力をそれほどしておらず(やっても、ぼくの場合、不発に終わることが多いですし)、ドードー鳥、孤独鳥、著者が切り結ぶ範囲において、物事を深めました。

 2年前にノンフィクション『ドードーをめぐる堂々めぐり』(岩波書店)をすでに上梓しているわけですが、それがなければ、ひたすら博物学的な記述が増えて、『白鯨』(ハーマン・メルヴィル)のようになったかもしれません。そういう意味では先にノンフィクションを書いて本当によかったです。現状でも『プチ白鯨』なので、「これ以上」はきつかったかな、と。

 内容紹介は──

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 科学記者の「タマキ」は、ゲノム研究者になった幼馴染「ケイナ」と二十年ぶりに再会した。ステラーカイギュウ、リョコウバト、オオウミガラス、そして、ドードー鳥と孤独鳥……自然豊かな房総半島南部の町で過ごした小学生の頃から、絶滅動物を偏愛してきたふたり。

 カリフォルニアで最先端のゲノム研究「脱絶滅」に取り組むケイナに触発されたタマキは、江戸時代に日本の長崎に来ていたという「ドードー鳥」の謎と行方を追う旅へと乗り出した。

〈もっと知りたいと願った。ドードー鳥と孤独鳥の秘密を、ケイナちゃんとわたしを結びつける秘密を。〉

 日本、アメリカ、欧州、そしてドードーの故郷モーリシャスへ。
 やがてふたりの前に、生命科学と進化の歴史を塗り替える、驚愕の事件が待ち受けていた。
**********

 書き終えて、今やっと送り出すことができて……とてもほっとしています。

 ずっともやもやしていたもののカタチは、きっとこのようなものだったのだと、本作で素描することができました。地球の生命史上「絶滅」を悼むのはヒト、それも近代のヒトがはじめてです。また、去ったものを部分的にでも復活させる技術を手にしつつあるのも、やはりヒトが最初です。そこには、単純にノスタルジーでは済まない、もっと本質的な、わたしたちにとってのこの世界の成り立ちにかかわるような問いかけも含まれているのだと思います。

 なんとか書き終えて肩の荷がおりた……というのとはちょっと違いますが(別に荷物というわけではなかったですし)、胸をなでおろし、一安心して、つまり、ほっとしている次第です。

 そして、それと同時に、まことに勝手ながら、堂々たる気分です。

 全身全霊の奇書に相応しく、「美麗函入・挿絵(博物画)多数」に仕上げていただきました。装幀は、「美しい石」の収集家で多くの著作を持つ山田英春さんが手掛けてくださって、まさに堂々たるものに仕上がったと思います。国内文芸の「函入」は、とても珍しいと思いますが、博物書のような佇まいにしたく、お願いしました。

 関心を持ってくださった方は、ぜひ手にとってみてくださいね。

 函入の姿はこちらを参照↓

注・一番最後になんですが、あまりの奇書ゆえに、全国津々浦々の書店に行き届く、というわけにはいかないかもしれません。書店でご覧になりたい方は、事前に入荷しているか確かめることをおすすめします。

注2・「奇書」というのは、奇跡の書籍、という意味だと思っています。この内容、このカタチの本を、現在の日本で出せるのは奇跡で、その著者が自分だというのはさらに奇跡です。

満を持して『ドードーをめぐる堂々めぐり』(川端裕人 岩波書店)を紹介します

2021-11-04 22:55:13 | 自分の書いたもの

満を持して『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』(川端裕人 岩波書店)を紹介します。本書は、日本語で書かれた初めての「一冊まるまるドードー」本です。日本のドードー知識を、一気にワールドクラスにアップデートします。

個人的にも、2010年代に自分が行った最大のプロジェクトの報告となりました。前作の『色のふしぎと不思議な社会』(筑摩書房 川端裕人 2020年と同時期に取材をしていた裏表の関係にあり、自分自身の仕事の中で、本作はキャリアハイ(色覚本と一緒に)だと思っています。ぜひ確かめてあげてくださいませ!

取材を始めた2014年からの7年間くらい「堂々めぐり」してしまったので、なんとか形にできた今、ほとんど抜け殻になっています。

でも、気力を振り絞って紹介をします。
その内容を一言でいえば「ドードーチェイス」です。
1647(正保4)年に、日本の出島まで生きてドードーがやってきていたことが分かったのは、2014年のこと。オランダとイギリスの研究者が歴史文書から発見して、論文として報告しました。徳川家光が将軍だった時代、ちょうど「鎖国」体制が完成しつつある時期です。ドードーは、西洋人で唯一、交易が認められていたオランダ人が出島に持ち込みました。これは心躍る発見で、オランダでもニュースになりました。

では、日本に来たドードーはその後どうなったのでしょうか。
気になって調べるうちに、はまりました。日本国内で可能性がある地域を片っ端から歩き、長崎、福岡、佐賀、松山、千葉……を訪ねた上で、海外では、オランダ(ライデン、デン・ハーグ)、チェコ(プラハ)、デンマーク(コペンハーゲン)、イギリス(ロンドン、オックスフォード、ケンブリッジ)、そしてインド洋の島国モーリシャス、さらにはインドを旅することになりました。本当に「堂々めぐり」するような取材を終えて世に出すことができ、心底ほっとしているところです。多くの人に読まれることで、日本各地で「日本のドードー探し」が始まればいいと、本気で思っております(正直、本書を上梓する一番の動機です)。

本書の章立てを記しておきます。

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序 章 堂々めぐりのはじまり

第一章 日出づる国の堂々めぐり――正保四年のドードー
 1 一六四七年、ドードーの年
 2 到着前夜
 3 ドードーは徳川家光に会ったのか?
 4 松山、福岡、佐賀と数百年にわたる縁
 5 長崎、出島動物園にて
 6 日本人ドードー研究者、蜂須賀正氏
  ◉コラム ドードーについて今分かっていること

第二章 ヨーロッパの堂々めぐり――西洋史の中のドードー
 1 罪とドードー――オランダと一七世紀
 2 驚異王の太った鳥
 3 ドードーとオオウミガラス――一七世紀と一九世紀の間
 4 アリスの国のドードー――それは一つのビッグバン
 5 ロンドン自然史博物館から広がるドードーワールド

第三章 モーリシャスの堂々めぐり――ドードーと代用ゾウガメ
 1 チリュー調査隊2017
 2 一七~二一世紀を駆け抜ける――島の発見、夢の池、そして近藤典生
 3 サンゴ平原の孤独鳥――ロドリゲス島にて
 4 螺旋の一周期

終 章 堂々めぐりの終わり

堂々めぐりの謝辞など
文献と注(2万字のロングバージョンはウェブ公開)
************

以上です。

それにしても、ドードーというのは「何者」なのでしょうか。
旅を終え、書き終わった今も、不思議な思いにとらわれます。もちろん絶滅した野生動物であることは間違いないのですが、「絶滅」の象徴として様々な物語の中に登場し、豊かなコンテキストを持つ格別な何かを感じるのは私だけではないでしょう。

今や、ゲームやアニメで、どこにドードーのキャラクターが出ているのか追いきれないほどです。自分自身がなぜこの鳥に惹かれるのかということも含めて、もっと大きなものに直面したと思っております。それは、地球の生命史と、その中にあるヒトの歴史、それらが交わる交点にある驚異(ワンダー)に触れることだったと思います。

こういった我が「堂々めぐり」の興奮が、ぜひみなさんにも届きますように。
そして、そして、ドードーにはまってしまった、人は、一緒に堂々めぐり(ドードーめぐり)し続けましょう!


「空よりも遠く、のびやかに」(川端裕人 集英社文庫)を紹介します!

2021-05-31 16:46:16 | 自分の書いたもの

新刊『空よりも遠く、のびやかに』(川端裕人 集英社文庫)が書店に並びましたので紹介いたします。

高校時代、ぼくは地学部に入っていました。その後、子育てを通じてスポーツクライミングのコミュニティにも少し出入りさせてもらっていた時期があり、その頃いつも思っていたんです。上を見るとクライマーが登ってるけど、この石灰岩にはフズリナ、入ってるよね。あ、下を見ると地質屋さんたちが巡検してるよ!って。

同じところにいるのに見ている方向、見ているものが、空間的にも時間的にも違うんですよね。でもそれ一緒にしちゃったらどうなるだろうかと考えてきました。

地学は「理科の王」です。地球のなりたちや生命の起源、きょうあしたの天気予報から宇宙のはじまりとおわりまで、すべてを視野に収めます。高校地学の教科書は、固体地球、地球の歴史(古生物学含む)、海洋と気象、宇宙の4ジャンルが基本です。これらを解明するためには、物理学、化学、生物学、数学、ありとあらゆる道具を使う、理科の総合格闘技にして十種競技なのです。

一方、重力に逆らうクライミングには独特なカルチャーがあります。安全を確保するビレイヤーやスポッターに全幅の信頼を寄せて登ること、つまり「互いに認め合う」「互いに信じ合う」ことなしに成り立たない面があるんです。それゆえか、競技になっても単にライバル関係ではなく「仲間」の要素が強くなります。だって、仲間がいないと練習すらできないんですよ。競技が始まる前に、その日の壁を観察する「オブザベーション」で、ライバル同士が意見交換をするのはよく見る光景であり、ものすごく「クライミングらしい」部分だと感じてきました。

そんなこんなで、高校地学部とクライマーがお互いに「見つけ合って」くっついてしまったらどうなるか描きたいと思っておりまして、出来上がったのが「空よりも遠く、のびやかに」です。

本作は、2020年1月に書き始めました。お察しのように、もともと東京五輪に向けた書き下ろしのはずでした。しかし、新型コロナ感染症のパンデミックによる五輪の延期で、執筆を一時中断し、その後、登場人物たちに、コロナの時代を一緒に生きてもらうことにして書き直すことになりました。青春小説の体裁を取りつつも、かなりフリースタイルなものに仕上がったと自負しており、ぜひご賞味いただければと思います。

思えば、この5年ほどは「ノンフィクションの季節」だったんです。
2016年の『青い海の宇宙港』(ハヤカワ文庫)の前後から、「いつか書く」はずのまま放置していたノンフィクションのテーマをひとつひとつ本にしてきました。『宇宙のはじまり、そして終わり』(日経プレミア新書 小松英一郎と共著 2015年)、『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス 監修海部陽介 2017年)、『動物園から未来を変える──ニューヨーク・ブロンクス動物園の展示デザイン』(亜紀書房 本田公生と共著 2019年)、「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚』原論』(筑摩書房 2020年)、『ドードーをめぐる堂々めぐり(仮題)』(岩波書店、今年11月)などを書き上げることができ、一定の評価も得ることができました。また、昨年は、期せずして『理論疫学者・西浦博の挑戦 新型コロナからいのちを守れ!』を共著として上梓することができました。

これにて、当面、書くべきノンフィクションはすべて書いたことになり、今後、再び、小説の季節が始まりそうです。そこで、本作『空よりも遠く、のびやかに』をもって、新しい小説の時代の始まりを告げる、ということにいたします。

それでは引き続きよろしくお願いいたします!

2021.5.30 川端裕人


『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(川端裕人 筑摩書房)を紹介します。

2020-11-06 21:32:33 | 自分の書いたもの

『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(川端裕人 筑摩書房)を紹介します。

 まず、最初に、エクストリームな読書体験をお約束します。
 個人史上、一番、気合が入ったノンフィクションです。

 執筆中、自分はこれを書くために生まれてきたのでは、とはさすがに思いませんでしたが、このためにスキルを積み上げてきたのではないかとは常に感じていました。培った技術を十全に使って、この大きな問題の輪郭を捉え、ディテールに宿る大切なことをすくい上げようと努力しました。壮大に滑っているかもしれませんが、大切なことを壮大かつ的確に捉えているかもしれません。それはご判断ただければと思いますが、かりに全体がイビツであったとしても、それ自体、掘り出すことが必要だった多くのパーツから成っていると確信しています。

 具体的な内容はというと──
 21世紀になってからほとんどアップデートされなかった「色覚の科学」の最先端に追いついた上で、色ってなんだろう、色の見え方ってなんだろう、色覚異常ってなんだろう、ということを追いかけています。

 すると、色覚について考えることが、「ゲノムの時代の練習問題」「多様性の時代のはじめの一歩」というふうに見え始えてきたよ、という話です。

 まず章立てを紹介します。

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はじめに〜準備の章 先天色覚異常ってなんだろう

(第1部)"今"を知り、古きを温ねる
第1章 21世紀の眼科のリアリティ
第2章 20世紀の当事者と社会のリアリティ

(第2部)21世紀の色覚のサイエンス
第3章 色覚の進化と遺伝
第4章 目に入った光が色になるまで

(第3部)色覚の医学と科学をめぐって
第6章 多様な、そして、連続したもの
第7章 誰が誰をあぶり出すのか──色覚スクリーニングをめぐって

終章 残響を鎮める、新しい物語を始める
*******

 なんとなくイメージできますか?

 まだ書き上げたばかりのぼくは、頭がぼーっとしたままで、うまくまとめることができないので、冒頭の文章を採録しておきます。

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 はじめに

「色」という現象は、とても不思議だ。
 近代科学の父、アイザック・ニュートンが「光そのものには色はついていない」(『光学』、1704年)と看破した通り、色は自然界にあるものではなく、ヒトの感覚器の「仕様」によって脳内で塗り分けられてそのように見えている。しかし、個々人にとって圧倒的にリアルな感覚でもあって、多くの人は、普段、目の前の色が「実在かどうか」などと意識することはない。

 ただし、いわゆる色覚異常(先天色覚異常)が絡むと話は別だ。
 一般には区別できて当然の色の組み合わせが、ある人たちには区別できないというのは、これまで「色とは何か」深く考えたことがない人にとっては驚愕に値する。一方で、先天色覚異常の当事者たちは、検査ではじめてそう告げられた時、自分が見ている世界が他の人とは違うかもしれないと強い衝撃を受ける。いずれの立場でも「色という日常」に亀裂が入ることは間違いない。 

 そこから一歩進んで、それぞれに違う色世界について理解を深められればいいのだが、必ずしもそうはいかない。かつて、ぼくたちの社会では、色という主観を尊重するよりも、「正常と異常」とに区別することにひたすら執着するおかしな状況にあった。その不思議な社会では、今から考えると驚くべき多種多様な方面で、色覚を理由にした進学・就労の制限、遺伝的な差別があり、当事者と家族は社会的スティグマを負わされた。

 さすがに最近では緩和されており、このまま時間がたてばやがてかつての残響は消えていくのかもしれないと考えられたのだが、この5年ほどのうちに局面が動いた。詳しくは後述するが、どうやらこれは放置してよい問題ではなく、あらためて考え直さなければならないようだ。

 と同時に、その考察の作業を通じて、これからの社会に貢献できる部分が大いにあるように思えてきた。「多様性の時代」であり「ゲノム時代」とも言われる21世紀において、より健全な世界観を手に入れるための練習問題ですらあるかもしれない、と。
 
*******

 本当に、壮大に我々が思い込んできたこと、みずからはまってしまったピットフォールに、気づく時、ではないのかな、と、今思っています。

 エンジョイ!

 よろしくお願いいたします!


各章を紹介します。 『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(川端裕人 筑摩書房)

2020-11-06 18:20:01 | ひとが書いたもの

『「色のふしぎ」と不思議な社会──2020年代の「色覚」原論』(筑摩書房)を紹介、その2です。

 前回は章立てを出しておきながら、内容的にはほとんど触れなかったので、今回は「本書のロードマップ」をかついまんで紹介します。

 まずは、章立てをあらためて。

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はじめに〜準備の章 先天色覚異常ってなんだろう

(第1部)"今"を知り、古きを温ねる
第1章 21世紀の眼科のリアリティ
第2章 20世紀の当事者と社会のリアリティ

(第2部)21世紀の色覚のサイエンス
第3章 色覚の進化と遺伝
第4章 目に入った光が色になるまで

(第3部)色覚の医学と科学をめぐって
第6章 多様な、そして、連続したもの
第7章 誰が誰をあぶり出すのか──色覚スクリーニングをめぐって

終章 残響を鎮める、新しい物語を始める
*******

 そして、各章の内容は、以下の通り。

 基本、第一部で問題設定して、第二部で背景となる科学的知識を仕入れ、第三部で本格検討するというような構成です。

●第一部は、現況の確認と20世紀の振り返りです。
 第1章「眼科のリアリティ」では、ぼくがこの問題にふたたび関心を持つようになった学校健診での色覚検査の「再開」をめぐる経緯をたどり、第2章「20世紀の当事者と社会のリアリティ」では、章題通り、20世紀をかえりみます。先天色覚異常の当事者が、就学や就労の制限を通じて、いかに社会から締め出されてきたのか、あらためて調べました。20世紀の証言で、「保健体育の先生から、「色盲は結婚するな」というような言葉を聞いたという証言があるんですが、それが実際に、保健の教科書に書いてある(色覚異常を代表とする遺伝的な欠陥を持った者は、結婚に対して慎重であらねばならないというような論調)話だったのだと再確認しました。しかし、本当にここまでのことだったとは……。

●第二部は、現代的なサイエンスから色覚を見ます
 この部分は、取材も執筆もとても楽しく、いったん書籍版の倍以上の原稿を書いた上で削りました。読者も大筋において「知的探求」として楽しんでいただけるとうれしい部分です。

 第3章「色覚の進化と遺伝」では、まず、東京大学の河村正二さんらの研究を中心に、霊長類進化、人類進化の中で、色覚の多様性がとどんな意味を持っていたのか考察します。日本遺伝学会が、先天色覚異常を今後、「異常」として扱わないと宣言した真意にも本章で迫ります。

 第4章「目に入った光が色になるまで」では、色覚の基礎研究で今、抜きん出た存在の一人である栗木一郎さん(東北大学電気通信研究所・准教授)にガイド役をお願いして、文字通り、眼球のレンズである水晶体を通って目に入った光が、網膜で電気的な信号に変わり、その信号が脳に伝えられて、色として感じられるまでを追いかけます。ほとんどすべてのトピックにおいて、色覚の多様性についての注記すべき点があり、つまり、人類が持っている色覚の多様性を示唆してやみません。

●ここまでで、21世紀の色覚の科学を俯瞰したなら、第三部では、その背景知識を持ったまま、ふたたび、ヒトの先天色覚異常の話題に戻ります。すると、これまでの狭い枠組みでは見えなかった様々なことが、まさに「色鮮やか」に見えてくるという目論見です。

 第5章「多様な、そして、連続したもの」では、前章までで見た「多様性」の具体的な事例を、今そこにあるものとして、見つめ直します。「多様性」だけでなく「連続性」についてもここで意識することになります。ぼくも久々に色覚検査を受けてみました。

 第6章「誰が誰をあぶり出すのか 色覚スクリーニングをめぐって」では、このような「多様性と連続性」を所与のものとした時、日本の学校健診で行われてきた検査が、まったく「科学的」ではなかったかもしれない驚くべき可能性に切り込みます。少なくとも21世紀の今は、新しい考えで検査を考え直さねばなりません。この部分は、ぼくが慎重に下した結論を、専門家のみなさんもぜひ検証し、発展的な議論をしたいところです。

 終章では、21世紀の色覚異常の問題をどう扱うべきか考えた上で、「色覚」から見える景観の広がりについて考え、少しばかりの他分野へと「リンクを張る」試みをします。なにしろ、ゲノムの世紀、多様性の世紀の練習問題とまで、ぼくは思っておりますので。


 以上です!

 これで、ちょっとは中身をイメージしていただけたでしょうか。

 なかなか、要約しにくくて、スミマセン。

 今はまだ中身に入り込みすぎていて、言いたいことがありすぎて……というような状況なのです。というわけで、そのうちに各章についての記事を別々に書くかもしれません。


本格疫学小説『エピデミック』と『科学の最前線を切りひらく!』

2020-03-12 00:30:21 | 日記

「新刊」2点のお知らせです。

世界初でたぶん唯一の本格疫学小説『エピデミック』電子書籍版と、WEBナショジオでの連載からのセレクション『科学の最前線を切ひらく』(ちくまプリマー新書)が相次いでリリースされましたので紹介します。

1)本格疫学小説『エピデミック』
 2007年に角川書店から刊行し、のちに文庫になって、さらにちょっとは増刷したものの、絶版になって久しかった長編です。タイトルの通り感染症について扱っています。この度、なんとか初の電子書籍化することができました。すでに各電書サイトで取り扱いが始まっています。かろうじて「新刊」と思っている次第です。

 以下、把握している範囲のリンクです(他にもあるかもしれません)。

【Amazon Kindle】 
【楽天ブックス kobo】 【honto】 
【ブックウォーカー】
【Reader store】  【booklive】

 感染症小説は、ウイルス学者や医師などが主役を張るのが定石ですが、ここでは、ふだんは黒子であるフィールド疫学者にスポットライトをあてています。感染制御の専門家で、彼ら彼女らが適切に活躍すると感染は拡大する前に収束してしまい、まったく感謝されないので(起きなかったことに感謝するのは難しい)黒子の役割です。
 今、COVID19が世界的な広がりを見せており、ふだんは見えないはずのフィールド疫学者が見えてしまうような局面です。政府の専門家会議から出た見解で、「閉鎖空間」での感染リスクが高いことが示されたり、クラスター対策が功を奏する可能性を示したりしてるのは、本来は目立たない疫学者たち(フィールド疫学者や、感染症モデルの疫学者)が活躍しているからです。
 ふだん使われない語彙や概念で、物事が進んでいくために違和感を抱く人も多いかと思いますが、『エピデミック』を書いた時のぼくも同じでした。充分な情報がない現場で、待ったなしの判断が求められる時に、それでも手持ちを情報からできるうかぎり最良の科学的な根拠を導くツールセットは独特のもので、ぼくはフィールド疫学のあり方に魅了されました。そして、なんとか彼ら彼女らの世界を表現しようとしました。
 この時期ですので、単純にエンタテインメントとして読むことが難しくなってしまったかもしれませんが、それはこの手の題材にとってはしばしばあることです。


2)『科学の最先端を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
 https://amzn.to/2VuNIUH

 WEBナショジオで連載中の「研究室に行ってみた。』からのスピンオフです。連載から6人の研究者をピックアップして、書籍用に再編集しました。各研究者より、「若者」へのメッセージのエッセイもついてます。
 登場するのは、この六方です。

 宮下哲人(脊椎動物の起源研究)
 荒木健太郎(雲研究)
 佐藤圭一(サメ研究)
 四本裕子(認知神経科学、知覚心理学研究)
 高田秀重(マイクロプラスチック研究)
 冨田幸光(古生物学、日本の絶滅哺乳類)

 ちょっと世代を限定する言い方かもしれませんが、これは「ロッキング・オン誌の2万字インタビューの研究者版」です。きっと楽しいですよ。少なくとも、ぼくはいつもとても楽しいです。

 それでは、また!


もう一つの銀河のワールドカップへ! 『風に乗って、跳べ』刊行によせて

2019-12-20 03:17:56 | 日記

 ブラインドサッカーに出会った17歳の華と六花の冒険へ、ようこそ!

 満を持して、本作『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(川端裕人 朝日学生新聞社 装画ゆの ブックデザイン横山千里)をお届けします。


 2006年、つまり、ドイツワールドカップの年に、少年サッカー小説『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)を上梓して以来の「宿題」をやっと提出できました。
 
 というのも、「銀河のワールドカップ」のためにブラインドサッカーの取材をし、実際に作中では鍵となるような場面で「活用」できたと思いつつも、まだ、かなり「積み残してしまった」という気持ちが強かったからです。つまりは、ブラインドサッカーには、そのものとして、お話にするべきことが詰まっている、と感じられてならず、いつか実現しようと願ってきたわけです。自分にプレッシャーを書けるべく、「銀河のワールドカップ・サイドB」をいずれ書くとも言い続けてきました。

 そして、実現しました。
 本作品は、ブラインドサッカーを舞台にした「もう一つの銀河のワールドカップ」だと言い切ってしまいましょう。実際、作中の2人の主人公、華と六花が所属するクラブチームは、「ダンデライオンみらい」で、クライマックスで結成される即席チームは「プレデター・ユナイテッド」です。そして、チーム名だけでなく、実際に「銀河へキックオフ!!」しちゃう勢いです(ここだけアニメのタイトルですが、事実、そんなかんじなんです)。
 
 と、まったくもって、自己都合的な感慨を語りましたが、それだけの手応えを感じていると強調しておきます。

 その上で、紹介らしい紹介をしておきますと──

 以下、版元の朝日学生新聞社のプレスリリースより。

 

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「……わたしの声が、必要とされてる?」

ブラインドサッカーで世界を目指す17歳の女子高生の物語

 主人公は、生徒会を辞めてぽっかりと時間ができてしまった高2の華。目標を見失っていた時に、幼なじみの六花と偶然再会し、六花が打ち込む「ブラインドサッカー」に出会う。

 まるで目隠しなどしていないかのような華麗なドリブルや、競技の迫力にすっかり魅せられた華は、気づけば声で選手をサポートする「ガイド」を引き受けていた──。

 六花と再会して新たに動き出した華の日々や、ブラインドサッカーで世界を目指す挑戦の日々と友情を描く青春小説。

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 とのことです。

 まさにそういう話です。

 実は、「太陽ときみの声」はこれが3冊めであり、3部作の最終回でもあります。
 しかし、主人公もストーリーも別なので、まずは本作から入っていただいて正解だと思う次第です。

 エンジョイ!

 そして、これを書けためぐり合わせ、ブラインドサッカーと、そのファミリーについて語ってくれたり、感情や行動で示してくれた方々に、感謝します。