セレンディピティ日記

読んでいる本、見たドラマなどからちょっと脱線して思いついたことを記録します。

喪脚記 最後

2022-10-08 17:51:00 | 文化

先週の木曜日929日に退院して自宅に戻った。退院したのはメイトウホスピタルと言うリハビリテーション病院 だが、429日に救急車で運ばれてその後右足切断の手術を受けたのは第二赤十字病院だ。リハビリテーションのためメイトウホスピタルに614日に転院した。当初から義足を希望したので義足を製作してそれを操る体力を作るためにかなり時間がかかった。義足の作成費用は90万円ほどだ。健康保険でその7割か8割が戻ってきて、高額療養費もあるので、それほどはかからはずだ。しかし一度に90万円払うには貯蓄のない世帯が多いことを考えれば、義足作製に踏み切れない人も多いはずだ。それに入院期間も長くなるので入院費用も多くなる。僕の場合は5月以上かかったが、現役の人はそんなに休めないはずだ。だからメイトホスピタルで義足の人はほとんど見かけない。補装具の人がいっぱいいたが義足の人は誰もいない。お金と時間のせいかなぁと思ったが、107日に第二赤十字病院へ退院後初めて受診に行ったが、その時恐ろしことを聞いた。

107日の受診は退院後もっと早く受診に行くはずだったがメイトウホスピタルの入院が長引いて当初の受診予定日に行けなくてメイトウホスピタルから電話連絡して受診日を107日に変えてもらった。

第二赤十字病院の整形外科外来で応対したのは入院時の僕の主治医だった先生だ。そこで聞いた話は恐ろしい話だった。足を切断した人で義足にした人で杖で歩行してきたのは大変珍しく驚いた。ほとんどの人は義足にもならない場合が多い。足を切断した人はその他にも病気を抱えているので足を切っただけではその後の予後はよくない。ましてや70を超えているのだから大部分が亡くなられている可能性が多い。

なるほど、足を切断するにあって、深く切った方が良いので義足は諦めろと第二赤十字の医師が強く主張したわけだ。どうせ長くない命と思われたのかもしれない。

とにかく僕は生き残った。今要介護4度の認定を受け、障害者の認定を待っている。7月半ばに申請したのにまだ連絡が来ない。


喪脚記 その10

2022-07-04 22:58:00 | 文化

メイトウホスピタルはリハビリテーションが主要な業務だが、リハビリ室でリハビリの施術を受けメイトウホスピタルはリハビリテーションが主要な業務だが、リハビリ室でリハビリの施術を受けている人を見ても義足の人はいない。それ以前に片脚を失った人は見かけない。歩行訓練を受けている人はいっぱいいるが、そうしたひとでも足の外部に器具をつけているだけだ。
そんなわけで義足が珍しいのか6月29日に僕の義足の原型が届いて僕が取り付けをするときは、何人もの実習生が見学にきた。あまり見る機会がないのでよく見とくように、ということだろう。
リハビリの施術者に義足の人は他にいるのと聞いたところ、片脚をなくした人はいたが、その人は義足を拒否して家の中でも歩行器で暮らすと言うことである。その原因はたぶん義足の制作費が(僕の場合は)891,301円と高額な事だろう。もちろん健康保険の対象だから実際の負担はその3割あるいは2割と言ったところだろう。もちろん高額療養費の還付もある。しかし、全額を現金で業者に支払って後で健康保険に自己負担分以外を請求することになる。2割3割でも高額の出費なのに、891,301円をすぐに用意できる世帯は必ずしも多くない。僕の場合は危うく兄弟や親戚に借金するか家を売る契約をしなければならないところだった。
しかし僕は入院費用は余裕があった。というのは救急車で病院に運ばれた翌々日には証券会社に電話して、中日本興業の株200株を売り払って190万円という金を作っていたのだ。僕の趣味の一つは車に乗ってミッドランドシネマ名古屋空港で映画を見ること。でも片脚をうしなってはもう運転を出来ない。障害者用の車もあるかもしれないが、70歳の僕は運転免許証の返納がふさわしい。いる人を見ても義足の人はいない。それ以前に片脚を失った人は見かけない。歩行訓練を受けている人はいっぱいいるが、そうしたひとでも足の外部に器具をつけているだけだ。
そんなわけで義足が珍しいのか6月29日に僕の義足の原型が届いて僕が取り付けをするときは、何人もの実習生が見学にきた。あまり見る機会がないのでよく見とくように、ということだろう。
リハビリの施術者に義足の人は他にいるのと聞いたところ、片脚をなくした人はいたが、その人は義足を拒否して家の中でも歩行器で暮らすと言うことである。その原因はたぶん義足の制作費が(僕の場合は)891,301円と高額な事だろう。もちろん健康保険の対象だから実際の負担はその3割あるいは2割と言ったところだろう。もちろん高額療養費の還付もある。しかし、全額を現金で業者に支払って後で健康保険に自己負担分以外を請求することになる。2割3割でも高額の出費なのに、891,301円をすぐに用意できる世帯は必ずしも多くない。僕の場合は危うく兄弟や親戚に借金するか家を売る契約をしなければならないところだった。
しかし僕は入院費用は余裕があった。というのは救急車で病院に運ばれた翌々日には証券会社に電話して、中日本興業の株200株を売り払って190万円という金を作っていたのだ。僕の趣味の一つは車に乗ってミッドランドシネマ名古屋空港で映画を見ること。でも片脚をうしなってはもう運転を出来ない。障害者用の車もあるかもしれないが、70歳の僕は運転免許証の返納がふさわしい。

喪脚記 その9日 義足の作製

2022-07-04 22:55:00 | 文化

6月22日水曜日に義足のかたどりをした。その1週間前の15日にも右脚の残った部分の採寸をしていったがそれはかたどりの準備をするためのもののようだ。義足の業者は毎週水曜日がメイトウホスピタルを訪れる日としてるようで、次週の水曜日6月29日が義足の原型をもってくる日だ。

義足のかたどりは石膏を使う。でも石膏の水槽に脚の残った部分を沈めるわけではなくて、石膏を含んだ包帯みたいなものを脚と腰にぐるぐる巻きにする。まるでミイラのようだ。乾いて固まってからハサミで縦に切り切り目を入れて取り外す。言うのを忘れたが最初にサランラップ(みたいなもの)を巻いてからその上に石膏の包帯を巻くので石膏は直接は肌に触れない。義足の原型はソケットと呼ばれる。きっと残った脚の部分を差しこむからだろう。

この病院のリハビリは毎日180分土日も休みなく行っている。体の失われた機能を回復というリハビリではなく、新たな能力を鍛えるという感じ。片脚のない状態の平衡感覚や、義足を使う筋力をつけること。

義足は85万円、カバーを含めると90万円になるそうだ。国民健康保険が使えるが、いったんは全額支払ってから、あとで区役所に請求することになりそうだ。


2022/06/20

2022-06-20 05:25:00 | 文化

喪脚記 その8  メイトウホスピタル


6月14日火曜日に転院した。新しい病院は名東区のメイトウホスピタルだ。一応第二日赤病院で治療は終わっているのでこの病院ではリハビリが中心となる。第二日赤でもリハビリの訓練はしたが1日1時間だった。ここでは1日に4回20分から60分のリハビリの時間がある。土日も休みなしでリハビリの時間ごとに理学療法士とか作業療法士とか担当が違っている。

食事は第二日赤ではうす味だが、メイトウホスピタルでは街の食堂のような味。

第二日赤では看護師は白色だがメイトウホスピタルではカラーである。まるでスタートレックの宇宙船の乗組員の制服のようだ。

転院した翌日に義肢を作るための採寸をした。来週つまり20日から始まる週に義肢の元型ができてそれから調整がはじまる。

うまくフィットするものができても使いこなすにはまだまだ時間がかかりそうだ。ひとつには右脚のあった時の感覚が抜けきらず身体の重心が取りづらいことと、義肢を使いこなす新たな筋力ができないといけない。また今右脚の残っている太もものむくみが減ってしまらなければならない。7月10日の参議院選挙までには家に帰れないなあ。でも第二赤十字病院から7月27日に第二赤十字病院に受信するように言われているので、その頃には自宅に帰っていると医者もみているのだろう


喪脚記 その7

2022-06-05 15:50:00 | 文化



僕の1ヶ月を超える入院は同室の患者に比べてもだいぶ長いようだ。でも僕が重篤というわけでなく退院する人々よりも確実に元気だ。僕の入院期間が長くなるのは僕の病状(?)に特長があると思われる。よく手や足を失った人が、無いはずの手や足や足があるような感覚がするという。僕の場合がそれで、切り取った足がまだあって地に足が付いている感覚がすることがある。こ無い脚の部分が傷んだりしびれたりするのはいつものことだ。

問題なのは右脚が今でもある感覚があるので、うっかりその感覚に基づいた行動をしてしまうことである。ある時寝ぼけていたので車椅子に移る特、右脚が地面を踏んでいるように思い込み左脚を出してひっくり返ってしまった。右脚の切り口が地面に触れた気がしたが、さいわい出血もなにもなかった。こんなわけで僕が車椅子に乗るときは必ず介護がいる。だから偽の感覚がなくなるまで僕の退院は無いかもしれない。

ただ医療処置はもうないので、リハビリのための次の施設が空き次第そちらに移されそうだ。義肢ができて、それに慣れて日常生活に支障なく暮らせるようになるのはいつか。


喪脚記 その5 素人の医学的所見

2022-06-01 23:11:00 | 生活

右足のふくらはぎの筋膜の下の肉数センチを切り取る手術はもうのべた。密集した肉の固まりが血液の流れを阻害して血栓ができやすくなっているので肉を削るということである。しかしカテーテル手術の失敗の結果、そのふくらはぎ含めて右脚は切断される予定なのでその手術は本当に必要だったのかと疑問が湧いたのは先に書いたとおりである。

でもこれから言いたいのはそのことではない。たしか40代の時職場の健康診断で酷い高血圧だからすぐ医者に行きなさいと言われた。それ以来職場近くの医者や住所近くの医者に通った。そこでは必ず降圧剤を処方された。でも今考えると、降圧剤を処方するよりなにが高血圧の原因かを調べる方が重要ではなのかと思う。確かに検査には費用がかかる。でも一生死ぬまで降圧剤を飲み続けるのも膨大な医療負担だ。


喪脚記 その6 第二日赤十字病院


僕が今入院してるのは八事にある第二赤十字病院だ。人生で入院したのはこれが初めてだ。しかも4月29日から数えるとこれを書いてる今6月1日では1ヶ月以上たっている。もう少しここにいてさらに別の施設に移る予定だ。と言っても重体というわけでなく、切ったあともきれいにふさがっているしリハビリ活動もしっかりできているとのことで、順調に回復してるといえる。

入院生活についていうと時間感覚がおかしくなる。何時間もたってと思ってもまだ1時間ぐらいしかたっていない。病室に時計が無いからかもしれない。別に時計が禁止されているわけでもない。スマホを見れば時間はわかるし、テレビをつけて時間を知ることができる。ただふと見る時計がないためつい感覚だけの時間になってしまう。

次に3食の食事はうすあじだ。ラーメンや握り寿司が恋しくなる。量が多くないせいか毎回完食している。

第二赤十字病院の看護婦は美人が多い気がする。もっともマスクで顔の半分は隠れているが。ハードな職場のため体力のある若い人が多いから美人が多いと思ってしまうのかもしれない。あえて思い込みをもう一つ加えると、最初に入った救急病棟が美人が多い。

病室は3つめで4人部屋だ。いつも窓ぎわのベットにしてくれた。これは僕が長くかかるとの配慮かもしれない。病室の窓から外を望むと、高級ホテルにいるような気がする。行ったことないけど。でもベットの上にいるとカーテンで囲まれていて、外の声も少し聞こえてくると、ホームレスの住居にいる気もする。

第二赤十字病院の看護士はなにか徽章のようなものをつけている。それで軍隊的な感じがした。もともと戦場で敵味方分け隔てなくと言っても、負傷した捕虜は管理に手間がかかるが、殺してしまうと非難される。また負傷した味方は保護や移送に戦力をそがれる。それで戦争を前提とした敵味方の共通利益の機関ができたような気がする。戦争に付随した機関だからより多くの命を救うことは努めるが、患者の予後の生活の利便性は二の次になるのでは。




喪脚記 その4

2022-05-31 15:30:00 | 思想

僕の右脚は5月20日金曜日に切り離された。ちょうど同じ頃我が家でも同じ八事の地で大事な行事が行われていた。6年前の曜日も同じ金曜日の5月20日に母は死んだ。その母の遺骨を八事霊園の我が家の墓に納骨するのがちょうど手術当日の5月20日である。もちろん僕は喪主ではあるが手術台の上で参加できない。でも偶然にも入院前に埋葬許可書と墓地の使用許可証を霊園管理事務所に提出していた。そこで入院直後に坊さんと弟に事情を話し納骨式を僕なしで行うことを依頼した。この時期に納骨すると決めたのにはわけがある。母の死亡後の早い時期に納骨の事を坊さんに相談したことがある。その時は坊さんは乗り気ではなさそうで結局うやむやになった。

昨年エアポートウオークで足が痛んだ時このまま豊山町方面の病院に運ばれて我が家が空き家となって野良猫やハクビシンが骨壷や仏壇を荒らしたらどうしようと思った。そこで期限を区切って納骨を実施しようと思った。今年の初めに坊さんと相談したら坊さんも気にかかってたと見えてすぐ賛成してくれた。日にちはたまたま七回忌の命日にあたる5月20日にした。突然の入院にも関わらず必要な事務はみな済ませてあったので、僕の眠っているうちに納骨は無事済んだ。

僕の危惧はあたったが、それを避ける納骨はジャスト・イン・タイムで成功した。


僕の人生を総括すれば問題を心の底にでも持ち続けると、解決策が向こうから突然現れるというもの。ただそれは余裕を持っては来てくれず何時もギリギリに現れるということ。今回の脚の切断も知らされた時は「あの問題の解決策か、でも相当に荒っぽいな」と考えた。ここ数年の僕の問題は収入より支出が多いため、預金通帳のマイナス額が100万円の定期預金を担保とした限度額を超えそうでヒヤヒヤしてこと。限度額を越えればクレジットカードが使えなくなる。このため毎年、たとえば生命保険の残留金の解約、保有株を一部売却、サプリメントの大幅な解約などをしてきたがここに万策尽きてきた。まだ持っている株を売る方法もあるがそれをし始めると僕の資産の全面崩壊となる、次には住居を手放すこととなる。

脚の切断を聞いた時頭に浮かんだのはこれで親の建てた住居を手放さずに次の世代(甥になるかも)に引き渡せるというもの。

弟の次男は尾張旭に住んでいて名古屋の職場に通っている。そこで甥にこの家と自動車を引き渡し、相続時に揉めないように僕と養子縁組をするが同居とか扶養を求めない。僕は(特別養護)老人ホームに引っ越す。こうすれば固定資産税と自動車関連費用は無くなるので僕の収支は安定する。親の建てた住居(僕が建て替えしたので土地だけ)を親の子孫に引き継がせることができるので心残りはない。ところが甥はことわった。今住んでいる部屋をだいぶ壊したから原状に戻すのはむつかしいから引っ越せないと言うのだ。

浮かんだ第一案は潰れたが、義足も使えそうなのであの家に住み続けられそうだ。固定資産税は引き続き払わなくてはいけないが、自動車関連費用はなくなる。入院を機にいくつかの毎月の出費も削った。障害者控除もつくから市県民税も国民健康保険料も安くなるだろう。もう映画にいくことは少ないから中日本興業の株式を売り払ったからその金で当面の医療費と通帳のマイナスも補填できるだろう。


さて問題を心のそこに持ち続ければ解決策は向こうからやってくるという話に戻ろう。現役時代僕は問題を回避したり他へ押し付けたり聞かなかったこととして無視することは無かった。なぜならなら僕が気に留めなければその問題は誰にも目も止められず闇の中に消えていくと思うからだ。

「係長、昨年度課税漏れになっている人をみつけました」「僕が行って納得して納税してもらう」「主査、外国人女性が実年齢が若いのに、他人の名義で国民年金の特別給付を受けているので、辞退届に判をもらってこいと本庁に言われました」「僕が行って判をもらってくる」。隣の課の課長が「##君、精神を病んだ中年女性が徘徊して地域の人が困っている。保健所も権限が無くて手が出せない。なんとかならないか」「僕は高齢者の便利屋みたいなものですが、中年女性は対象外です。それに押さえようとしてふれたら、体に触ったといわれるとこまります」そこで一旦机に戻ったが介護記録を検索したら同居の高齢の女性がいるはずなのに、施設に入所しているとか、介護保険を利用してる記録がない。そこで「高齢者の婦人についてなにか言ってましたか」「いいやそんな話は聞いてない」「高齢者について安否がわかるまで調べてみます」

いずれも僕が噛みついて粘ったせいもあるが、大半は解決策が向こうからやってきた。

僕には自分の知識や能力に自信があるわけではない。ただ能力もないのに問題を引き受けるわけは僕の心の片隅に問題を持つといつか宇宙の中心にあるなにか意思的なものに繋がる気がするからである。

光より早いものはないという。でもあるのである。分裂した素粒子はどんなに遠く離れても一方の変化は瞬時に他方に伝わる。この繋がりの中に偶然に意味のあるものができたならそれを核にして巨大なネットワークが宇宙にできあがる。それが僕に解決策をもたらしてくれる。


喪脚記 その1

2022-05-30 11:15:00 | 生活

喪脚記 その1 発病


コロナ下お見舞いがほぼ禁じられている今、病状を電話で伝えようとしても「入院したよ」「右足を切ったよ」など平坦なものになってしまう。そこで文として記録に残し関係ある人も関係無い人も読んでもらって、もって医学の進歩と人類の福祉に貢献したい。そんなわけないかエヘ!

タイトルは、権力者でもないのに失脚記はおかしいし、走っていたわけでもないのに失足記(失速記)でもおかしい。交通手段を失ったという意味がある喪足記でもおかしい。よって喪脚記とした。


令和4年4月28日木曜日の夕刻突然右足が痛くなった。このところ右足にトラブルをかかえることが多かった。でもそうした時は医者にかかっても検査だけしているうちに痛みが収まっていて、とくに治療がなく説明だけ聞いていた。でもいま考えると、曜日で担当が違うにしても同じ医院の医師が同じ部位についての所見が違うことに気がついた。

昨年エアポートウオークの和式トイレで歩けなくなった時は隣接の映画館内で数時間休憩したら駐車場まで歩いていけた。そして自宅近くの整形外科医院で受診した。その時の診断では、しばらく使わなかった筋肉がビックリして痙攣したというもの。これは和式にトイレに入った外国人の婦人がたてなくなった、という話しを読んでいたので納得した。

その後、家でYouTubeをみていると、足の痛みは動脈硬化が原因という内容だ。なるほどと思いそれからは風呂に入っても足のマッサージにこころがけた。

最後に整形外科医院にいったのは4月23日土曜日である。土曜日の朝足が痛くなったがその整形外科医院は午前中はやっていることに気がついた。さっそく受診すると、レントゲンを撮られた。医師に動脈硬化が原因でしょうか、と聞いたところ、「いや、あなたの場合は背骨を走っている神経の問題だとおもいます。実際その方が多い。」だが先生はなにか釈然としないものを感じたらしく「大きな病院でMRIを撮って焼いた物を見せてください。MRIの予約はこちらでします。」

かくして翌週の4月27日水曜日に旭労災病院でMRIを撮り先生の次の出勤日である連休あけの5月14日土曜日に先生の診察を受けることとなった。

皮肉なものだ。あの整形外科医院にMRIがあってすぐに病相がわかりすぐに処置できたなら。また旭労災病院のラジエーションハウスが依頼された撮影だけでなく画像の診断も行っていたならば今でも僕の足は2本あったかもしれない。

連休の存在は実際には意味を持たない。連休のない場合の先生の最短の出勤日は4月30日だがすでに僕は4月28日に発病していたから。

僕が申し訳なく思うのはいろいろお気遣いいただいたのにこんな結果になってしまって、先生が負担など感じないかということ。

制度とか勤務体系のなかで先生はベストをつくされた。それに僕は今の状態に特に不満はありません。人生の新しいステージに入ったと思っています。あのままだと古いステージの上で「昔はよかった」の愚痴を口へにしながら意外に早く朽ち果てる気がします。


喪脚記 その2 救急入院


発症時に戻ろう。寝れば治ると考えて一旦寝ようとしたが、どうも治まりそうにない。右足がぱんぱんに膨れてしかも感覚が全くなくなっている。独居老人としてはより早く自発的に救急車を呼ぶべきではないのかと考えた。自分で連絡をとれない状態になってはアウトである。そこで救急車を呼んだ。救急車内ではかかりつけの病院はないかと聞かれたので旭労災病院と答えた。救急隊と旭労災病院との通話では旭労災病院いわく「それは手術が必要な病状と思われるが、当院では手術ができない。別の所をあたってほしい」とのことであった。かくして昭和区にある第二赤十字病院へ行くこととなった。実は第二赤十字病院は八事霊園へのお墓参りの途中にあるのでよくその前を通っている。いつもその威風堂々の外観には関心していた。旭労災病院も最近増改築していたが第二赤十字病院と較べると遜色がある。

第二赤十字病院は深夜12時前に着いたと思うがハッキリしない。国民保険証や近親者の連絡先を聞かれたあと、幾つもの検査に回された。MRIやCTスキャン検査を受けてるうちに僕が思ったことーは、検査は最小限にしてすぐ手術なり処置を始めたほうがよいのではないということ。血が流れていない部分がどんどん死んでいくのではないかと思った。

そうこうしてるうち治療方法も決まり誓約書にサインをさせられた。術式はカテーテルだ。高橋一生似の若い医師が「カテーテルで失敗したら足を切断することになります」という。なぜこんなことを言うのだろう。失敗したときのためのあらかじめの保険か?

結果は高橋一生の言う通りとなりカテーテルは失敗した。でもこの結果を見て思うのだ。メスの手術とカテーテル手術を較べて見て、予後の回復はカテーテルが早いにしてもトータルの危険性はカテーテルが大きい気がする。カテーテルの失敗の可能性が無視できるほど微々たるものならば別だが、現実に無視できない失敗率があり、その結果は取り返しのつかないものとなるならば手間がかかってもメス手術を選ぶべきだったと思う。

カテーテルが失敗してもすぐに足を切断にはならなかった。医師が言うには右脚のふくらはぎに肉がいっぱい詰まっており、それが血流を圧迫して血流を悪くしている。従って何センチか肉を削って肉の圧力をへらす必要がある。というわけで右足のふくらはぎの肉を削る事ととなった。写真を何枚か撮っていた。論文に載るのかな。なんだこのシャイロック手術は。ふくらはぎ含めて脚を失った後から考えると、全く必要のない手術なのではないか。まあ高額療養費に達してるはずだからぼくの支出に変化はないが、連休中は若い医師たちのやりたい放題ではないのか。


喪脚記 その3 兄弟

ここで病院から連絡先になっている弟と妹について話そう。二人とも僕の入院以後驚くほど活躍してくれた。弟は家族持ちで気のいいやつだが住所が設楽町のため名古屋にででくるのに時間がかかる。したがって妹は江南市に住んでいるのでより近いだろうと思って妹を緊急連絡先に選んだ。しかし江南市でも数時間かかるらしい。弟は僕に逆らわずなんで心よくやってくれるので信頼していた。驚くのは妹である。彼女は僕の家に乗り込むと新聞やヤクルトの購買中止を僕に提案してきた。それだけでなく僕がやり残している町内会の仕事も町内会長に事情を伝え齟齬のないようにしてくれた。さらに生命保険会社や家の建築会社にも連絡をとり給湯器の休止なども行なっていた。彼女は以前ピアノ講師だったが今はヘルパーをしており、こうした場合対処方を知っていた。その上以前からのエホバの証人なので病院との交渉方法も熟知している。

僕は誤解していた。エホバの証人はエホバの証人の活動をすることが世のためになると思っていて、いわゆる良きサマリア人の行為なんか価値を持たないと思っている人たちだと思っていた。ところがエホバの証人の妹もそうでない弟も長い距離に愚痴もこぼさず必要とされるお金も喜んで払い、常に僕に何かいるものはないかと聞いてくる。

今まで妹は「本に書いてある」ことを鵜呑みにする教条主義の馬鹿だと思っていたが、今や彼女はその教条主義をつらぬいて単なる馬鹿ではなくなった。独居老人が入院した時何をなすべきかがすべて頭に入っているかのようだ。

だが僕にとって驚きはセカンドオピニオンと言い始めたことだ。カテーテルが失敗したので脚を切るしかなくなったが問題はどの程度深く切るかと言うこと。高橋一生医師によると義足を使うためには浅く切るしかないがその場合血栓が再発してくる可能性がある。深く切ると再発の可能性は少ないが義足は使えず一生車椅生活となる。妹は彼女たち組織の医療機構を使おうとしたがエホバの証人でない僕には利用できないのでセカンドオピニオンは弟に任せてその場にいなかった。しかし僕は専門家の意見は尊重されるべきであり、単純な病気なので他の病院の意見も違いはないだろうと思うと言って深くきることを受け入れた。

だが実際に切られた足は浅く切られたもので、義足も可能となった。きっと若い医師は浅く切って再手術になった場合最初の手術は失敗になるから深く切ることに固執したが、熟練医師から患者の術後の生活も考えなければならないと指導を受けたものと思われる。


メキシコマンネグサ

2018-05-27 21:27:04 | Weblog
我が家の庭の芝生部分に雑草が非常に多く生えている。いつか雑草刈りをしなければならないと思っていた。最終的には芝用の除草剤を使うことになるが、でも気になることがある。何種もある雑草の名前を知らないまま刈り取るというジェノサイドを行なってもいいのかということ。それで少しづつ名前を調べてから分かったものからひきぬこうかと思った。雑草の名前を全く知らないわけではない。チチコクサとかコニシキソウは見てもすぐわかるが今年は見なくなった。生える雑草にも流行りすたりがあるようだ。
それで今日は他の雑草が多いのだが、小さいが綺麗な花が咲いて少しめだつこの草にした。黄色で5弁の花を検索したら直ぐ見つかった。user_image 6d/a9/f186f63e862a50ab7e793187a00730b5.jpg][user_image 1a/ee/6e4594bbef1a6159516de374a98429.jpg

今年の確定申告

2018-03-26 20:25:38 | Weblog
今年も確定申告について記録しよう。確定申告書を税務署に提出したのは2月14日だからもうだいぶ経ってしまったが、それは還付される税金が手元に戻ってから書こうと思っていたから。先週の木曜日(20日)に僕の銀行口座に振り込まれた。本当はもっと早く振り込まれる通知を税務署より受けたが、僕が口座番号を間違えて確定申告書に記入したため遅くなった。

さて今年は141,426円の還付だ。去年(平成28年分確定申告)は700円の納付だったからその違いに説明がいる。一番の違いは平成28年には証券会社が一旦源泉徴収した配当等からの所得税を僕に返してくれたから税務署からの還付はなく逆に納付が必要となった。その経緯は複雑なので今年の申告内容(平成29年分)を述べる中で説明しよう。
まず所得から。共済年金の支給年額は1,502,654円。 基礎年金(国民年金)の支給年額は727,594円。合計は2,230,248円となる。1ケ月あたり185,854円となる。共済年金が12万円、国民年金6万円というところか。2月頃に「モーニングショー」で見た田舎に移住して自給生活をしている元公務員は年金は月20万円で支出は7万円とのこと。僕の年金額は一般の公務員よりも低いことを実感した。これは定年前に退職した僕(大卒・係長)は高卒で定年まで勤めた人よりも7年ぐらい勤務年数が短い。しかも主事(平職員)も定年時には係長の給料表に移り最終給料も僕とあまり変わらないのだから、僕の年金が低くても当然だ。そうそう先日見たドキュメント映画『人生フルーツ』の元住宅公団の建築士の年金は月30万だそうだ。僕は悔しがっているわけではない。おもしろがっているのだ。
僕の収入は公的年金だけではない。他に定常的に入るものに個人年金がある。定常的と言っても60歳から70歳までの10年間だけ。これは29年中は668,937円。これを3ケ月ごとに3月分もらっている。月にすれば5万5千円というところだ。
公的年金と個人年金のふたつの「雑所得」がそのまま平成29年分の「総所得」
となっていてそれ以外は所得がない。例年あった投資信託の配当とか株の配当はどうなったのだろう。投資信託は全部売却してしまっているが売却前に分配金は104,500円あったがそのうち47,500円は資産の取り崩しの特別分配金だから元々所得にならない。57,000円は配当所得のはずだがある理由で配当所得にも総所得にも算入されない。株の配当は732,000円あったがこれもある理由で所得にならない。また投資信託の譲渡益も143,640円(4,248,948円-4,105,308円)あったはずだこれも同じ理由で所得にはならない。その理由とは「譲渡所得の損益通算と繰越控除」のこと。
一昨年母が亡くなり僕は投資信託を相続した。相続財産は相続税の対象だから所得税はかからない。しかし一旦自分のものとなった資産(投資信託)を売却すればそこに譲渡所得が現れる。しかしじつはその資産にかかる取得費用も相続したと考えられるので場合によっては売却損かでてくる。

平成28年中に投資信託のブラジルボンドを売却して2,263,270円の損失がでた。このブラジルボンドは母からの相続分だけでなく僕自身が以前から持っていたものも合わせて売却した。譲渡損が200万円以上出たからといって大損したバカ者と言わないでくれ。過去の利益による分配金にはその都度源泉所得税が引かれているので譲渡益には算入されない。分配金も含めたトータルの収支では損していないはずだ。

そんなわけで平成28年分には投資信託の譲渡損を株の配当所得と損益通算するため証券会社が配当から源泉徴収した所得税を僕に直接返還したため税務署か還付するものかなく700円の納付となったわけである。
平成29年分の今回出した確定申告書では前年に損益通算しきれなかった分が繰越控除され配当所得と譲渡所得(別の投資信託のもの、こちらは譲渡益がある)がゼロとなった。今回は証券会社が源泉徴収したままなのて還付申告となった。