新生

再利用。

星の夢の終わりに

2005年12月27日 02時57分30秒 | 日記
 日々の世事に苛まれ、なんだか酷く間があいたので、更新のインセンティブが沸かず今に至り。ご機嫌よう、お久しぶりです。ええと、結構長いスパンがあって、今までどういった風にブログっていたのか勝手がよく思い出せないのでちょっぴりDOGI☆MAGI(お茶目さアピール)していますが、取り敢えずなにか書こうと思います。近況報告としましては、ついさっきまでガンソード(最終回)―――童貞が狂人をぶち殺すという救われない内容でした―――を見ていたので気分はもう波瀾ヴァン丈なわけですけれども、やあ、じゃなくて、もっと先戻りしますと、先月に行われた中国語検定(4級)に無事合格しました。謝謝、ありがとうございます、恐悦至極に存じます、こんばんは、よろしくお願いします。ということで、ブログを更新していない間は割りと暇でした。最近のお気に入りはマックチキンです。



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がんばる。

あー

2005年11月27日 00時55分59秒 | メモ
やべー・・・

幽楽律、弦異抄

2005年11月10日 21時40分57秒 | 日記
 HMVなる玄妙な名を冠したCDショップに金銭を貢ぐこと幾星霜。僕の所持するHMV式符(ポイントカード)に「値引き」という魔力が宿ったみたいなので、まあHMVさんてばなんて小粋なはからいを、この期を逃す手はnight! こりゃもう音盤を買うしかnight! といった趣でCDを買ってきました。坂本ちゃんの。といっても、受験生ブルーサーな坂本ちゃんでは無論なく、もうひとり別の坂本の真綾ちゃんのほうでした。るーるー。坂本真綾の曲の中でも僕がとりわけ好きな曲というのは、どこか偏在的な傾向があって、具体的に挙げると『キミドリ』『走る』『マメシバ』といった風にどれも似たようなベクトルのメロディーラインで構成されており、それは例えば村上龍の表現でいうならば、限りなく透明に近いブルー(※1)の風の中を颯爽と切って走っているような、微炭酸の心地いい刺激に全身を包まれているかのような按配で、夜明け前の、まだほのかに薄暗く青白とした時間帯に聴きたくなるような曲です、個人的に。

 かような顛末を経て音盤を購入し、値引きというマーベラスシステムによってお金とか心とかに余裕ができたので、前から欲していた画集も購入。それから帰途の途中に立ち寄ったマクドナルドでえびフィレオとビッグマックを喰らいつつ―――普段はモスなので、ときどきマックのチープな味が恋しくなる―――画集を眺めていたのであるが、次に訪れたその凄惨な情景は、私を閉口頓首とさせるには十分であった。ちょうど店内の地下で私は食事をとっていたのだが、そこに突如として姿を現したのは(恐らく女子高の)制服に身を纏った、血と骨と肉の形骸(※2)が数体。そのどれもががっちりとした体躯をしていて化粧も濃く、20代半ばくらいに見えた。彼女ら(口癖は「ちょーウケるんだけどマジで」)の発する声量は、場の雰囲気に似つかわしくなくかなり大きいものであり、不条理に騒ぎ立てることによる空間支配。ああ、あれかね、彼女らは人格形成の段階で脳の構造になにかしらの決定的な欠落があり、それを補填するような心理行動として奇声を発しているのかね、といった風情であり、まあ、なんていうか、その、うん、オーケー。

(※1)限りなく透明に近いブルー・・・ここでは、ただ、感覚として曲調がそういう表現にぴったり合っていたので便宜上「村上龍」の本のタイトルを引用したまでであり、決してその本に内包された麻薬だのセックスだのいうドロドロとした部分は含みません。ただ言葉そのままの「限りなく透明に近いブルー」といった感じのイメージがしっくりきたので・・・。この引用はいろんな意味での誤解、誤謬、齟齬を招きかねないので失敗したなぁと思うことしきりではありますが、そんな失敗例を臆面もなくアップロードしてしまう果断な心意気がこのブログのちょっぴりお茶目で憎めない部分です。

(※2)血と骨と肉の形骸・・・唾棄すべき人間存在のメタファー。


■購入した音盤と画集


『夕凪LOOP』坂本真綾


『ニコパチ』坂本真綾


『ブレス オブ ファイア オフィシャルコンプリートワークス』
 僕は吉川達哉のことを尊敬、敬愛、寵愛、桃色、片想い、愛されるよりも、愛したい、本気(マジ)で、などの心持ちで崇拝していることは以前から吹聴して憚らなかったので既にご承知の通りかと思いますが、兎に角、吉川の描くイラストは絵柄こそコロコロ変わるけれど、そういうところも含めて素晴らしい。僕の描く絵も氏に影響されたところが大きいです。あと、それと、気が向いたときにでも自作絵を随時アップしていこうかと一計を案じて、最近半年振りにフォトショップとペインター(classic)をパソコンに入れ直しました。なので、時間があるときにおいおい描いてゆこうと思います。



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ローゼンメイデントロイメントを見る。
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キネティック

2005年11月05日 23時57分59秒 | 日記
 煌びやかな外界を闊歩するオーディナルな彼氏彼女略してカレカノであるとか、イエスとサーの関係で成り立つ社会の歯車要員であるとか、歌詞を忘れた歌詞カードであるとか、その他もろもろの物質存在が織り成すこの醜くも美しい世界の悲喜劇・・・オペラハウスへようこそ! といった趣でもって開かれたのは大学の文化祭なんですが、僕も当該学生として文化祭という名の悲喜劇を演出する身であるから、そのためには滑稽なピエロとなってオーディエンスの前にその醜態を晒し笑いを取ることすらいとわないといった、俺の屍を越えてゆけ的な勘違い系心構えをちょっとしたアクセサリー感覚で備えていたのですけれど、じゃなくて、嘘、なんていうか、文化祭とかそういうの興味ないんで・・・その、すいませんってな按配なのでどうでもいいです。そういうわけで、文化祭期間中は大学がお休みなので気分はもうポジティブなヴァイヴスで世界にピースだこの野郎! っていう勢いであり、窪塚洋介的アティチュードをそこはかとなく漂わせてしまうのでいろいろと痛いです、間違えた、嬉しいです。ところで、窪塚洋介の吐く科白はいちいち神懸っているのでマジおもしれーって思うんですが、僕も彼に倣ってポジティブ日記(語尾は全てファック)を綴っていけば、その記された言霊から発せられるポジパワー(特質系)はあまねくブログ海をあくせく泳ぎ、またたく間に世界中へと広がりを見せ、人種・思想・文化・宗教の壁を越えて世界中の人々が大麻片手に「ラブ&ピース!」つって叫びながら笑顔で互いを殺しあうような阿鼻叫喚な地獄絵図が展開され、草木は枯れ、海は荒れ、大陸は沈み、そして、世界に真の平和が訪れたのであった・・・。といった悪夢のシナリオが待ち受けているので、ポジパワーは使うべく人(窪塚洋介)が使わないと諸刃の剣であり素人にはおすすめできません。


■麻生日記「星屑のキャプテン」


 Hi! 麻生太郎です。イェーイ ア シェキシェキってことで一つよろしく哀愁な。はい、今笑わなかったヤツ死亡。っつうことで、このたび外務大臣に拝命されたわけなんだけども、アレな、これで豚のケツに首突っ込んだみたいな面した三国人どもを正面切ってぶちのめせr、おっと、Oops、失礼。あんまりダイレクトに踏み込んだ言及は政治家生命を脅かしかねないので避けるけども、つまりあれだ、俺の言いたいことってぇのはローゼンメイデン? つうの? あれは素晴らしいと思うんだ。漫画は言うに及ばず、アニメはもはや芸術の域だね。とくに蒼星石な。彼女、一人称をボク、ボクって言うんだけど、その「BOKU」に内包された魔性的魅力は毎晩俺の胸を締め付けてやまない。そうそう、以前ある政治家から「麻生君はまだそんな漫画ばっかり読んでいるのかね。それだって、所謂ゴスロリ漫画じゃないか? まったく、近頃は虚構と現実をごっちゃにして物事を考える輩が多くてかなわん・・・」とかなんだかゴチャゴチャ言われたことがあってね。内心やれやれと思ったが、俺はソイツに笑顔でこう言ってやったのさ、「Kiss my ass!」ってね(笑)



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インターネットラジオを聞く。
蟲師を見る。

さかさまボクとボクの部屋

2005年11月04日 01時28分39秒 | 日記
 バーモス・ア・バイラール! こんばんは、新谷良子(ハンドルネーム)です! 座右の銘は「はっぴぃ・はっぴぃ・すまいる」でーす☆ という前置きは、例によって世にあまねく俗物的/即物的な愚人すなわち僕などがすべからく発する嘘であり、虚言であり、つまり僕は新谷良子ではありませんでした。アイムノット新谷アイム日記書きなのですけれど、ところで新谷良子と聞くと、僕のような俗物的/即物的な愚人はすぐさまGAのミルフィーユ桜葉を想起し、新谷=桜葉=ピンク=淫乱=「今すぐ抱いて」と性交渉を迫るビッチ、といった方程式を常套的に定立してしまうのでいよいよ救えねぇなあと思います(僕が)。ちなみに上記の方程式はネット上のとある特定のコミュニティ内で形成されたものであり、その方程式から発生され得るすべての罪責―――新谷WOTA、新谷儲、新谷厨からの激しいピンク的抗議・ピンク的煽り・ピンク的バッシングなど―――は僕の属するところではありません、というエクスキューズを添えたところで話を、話の中枢を、話の基軸を、あー、捻じ曲げたい。のらりくらりと生きてゆきたい。どっかに百兆円とか落ちてねーかなー。

 今日(既に昨日)は文化の日ということだったので、僕も文化的な一日を謳歌しようと思い立ち、現世から隔絶されたunderground―――部屋の暗所―――を右往左往に彷徨いつつ、その背後を経過する文化的な刻(とき)の流れを感じながら文化的インターネットをしたり、文化的テレビを見たり、文化的スピードグラファーのラジオを聞いて覚えた文化的牛乳ラーメンをつくって食べたりいろいろしていたら文字通り「あっ」という間に文化的一日が終わったので文化的びっくり文化的しました文化的。


■牛乳ラーメンのつくり方
1 サッポロ一番塩ラーメン、牛乳、水、生たまごを用意する。
2 牛乳と水を2:1の割合で鍋に入れ、サッポロ一番塩ラーメンを茹でる。
3 サッポロ一番塩ラーメンに付属の粉末を入れる。
4 茹で上がったら、最後に生たまごを落として終わり。



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ローゼンメイデントロイメントを見る。
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中検4級テキストをやる(ノルマ62ページまで、リスニング除く)。

Knives out

2005年10月31日 22時37分32秒 | 日記
 僕は本来月曜日は授業を取っていないのですけれど、今日は先方の都合で大学まで行く羽目になったのでしょんぼりでした。やあ、ええと、その背景には因果があって、というのも、実は今日は大学で企業説明会だかガイダンスだかいうなんだかよく分からないブラックサバトが開催されるみたいだから、youもふるって参加しちゃいなヨ! っつうか参加することになってるから来ないと死ぬよ的な意味不明な怪奇文言が記されたメールを友人から頂いたので、丁重に「あ、うん」とだけ返事を返して行くことになりました。ああ、今日がその日だったとは忘れていた・・・、ので、渋々と。かような、まさしく寝耳インザウォーターな展開だったわけですけれども、まあ忘れていたのだから詮無い。まさに失念、まさに外道、といった按配。

 かくして夕方頃になってそのイベントが終わったので、さて、まだ時間もあるし手持ち無沙汰で帰るのもあれなんで、神田(地理的に近いので)でも散策しつつ古本屋巡りと洒落込もうかと思案して、いろいろと見て廻ってきました。一口に古本といっても値段は千差万別ありますが、僕が買ったものはだいたい100~1,000円程度のものです。


■購入した古本

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(上・下)』村上春樹

『悪魔祈祷書』夢野久作

『沈黙のセールスマン』マイクル・Z・リューイン

『朝のガスパール』筒井康隆

『マルクス主義と統計』上杉正一郎


■Dollars & cents
 とまあこんな感じで、しかしまあ、こうしてタイトルだけ羅列してみると十把一絡げ的にカテゴリーの統一性が見られず、我ながら無作為に選んだ感は否めませんが。その、だって、『悪魔祈祷書』とかタイトルからしていかにもうわー・・・って感じだし、その本から発せられる異質なダークパフュームを不意に感じ取ってしまったので思わず購入と相成り。もとより、少し前の僕だったら心とか頭とか体とかの具合からしてこういう一見オカルティックな―――この本は実際そうではなくて、ごくふつうの古い小説です―――類のものは辟易の対象だったであろうけど、辺りが暗くなりはじめた神田の、通りに一列に連なる赤提灯に照らされた古本屋街(※)の幻想的な雰囲気に酔わされてか、或いは露店で東方不敗みたいな風采をしたおじさんが推し売りしてる時の「推理小説ありーのー霊的なのもありーのー」といったありーの節が妙に面白かったのでそれに魅せられてか、今日はなんだか気分的に、「買っちまいなーっ!」(ルーシー・リューの「やっちまいなーっ!」っていう片言な感じで)と啖呵を切る勢いでもって、今回のドラスティックな衝動買い劇に至ったのだと思います。ああ、あと、ついでがてらに田村ゆかりの新譜『Spiritual Garden』も買いました。ついでがてら、といいながらも1,300円だったのでこれが一番高いお買いものでした! という驚愕の事実が本稿の主張するところではありますが、最近、朝夕と一段と寒くなりましたね。皆さまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。僕はあんまり元気じゃないです。

(※)赤提灯に照らされた古本屋街・・・今の時候だと夕方くらいから赤提灯が灯りはじめます(すぐ暗くなるから)。紅く淡い光に包まれながら通りに並べられた本を眺めている気分は良かったです。あと、なんだか『ROD -THE TV-』が見たくなった。無性に。



▽next arrangements
(´・ω・`)

You and Whose Army?

2005年10月29日 23時52分40秒 | 日記
 大体、毎回、いつも同じメンバーと再会(ギターを振り回しながら)、しているのは紛れもなくRIZEからインスパイアされた故なのですけれど、じゃないや、僕は常に特定の知己と行動をともにすることが多いのですが、時と場合によっては、ヒムロックの説くところの独りファシズム、薔薇乙女でいうところのnフィールドの形而下的帰結、すなわち一人のほうが好きです。気楽で。今日は大学からの帰りがてら、一人で書店へと赴き、一人であまたある書物を見定め、選定し、一人で漫画を購入する、といったような一連の、はじめてのおつかい的行動原理を計らずも体感できたので満足です。満足ですのだ。空腹ですのだ。この日記を書き終えたら読もうと思います。


■購入した本


『20世紀少年(20)』


『太陽の黙示録(9)』


■邂逅日記「ゲルツェンの光合成と空飛ぶ円盤」

 それから僕は、読み終えたばかりの『純粋理性批判』を本棚にしまい、そのあと、食べ残しておいたチーズベーグルを一口、二口とかじり、フリーザーから取り出してだいぶ時間のたったウイスキー瓶から生ぬるいその液体をグラスに注ぎ、口の中のベーグルを一気に流し込むようにして飲んだ。そして、僕はまだ少し残ったそのベーグルをゴミ箱に投げ入れ、それから瓶の容積の半分以上を占めるウイスキーをぜんぶ流し捨てようと思って、それを流し台のところまで持っていった。すると突如、流し台の前面の窓がピカッと、まるで長時間カメラのフラッシュを焚いているような強烈な閃光が窓を照らし、それと同時に「ビィィィィィィィ」という、鼓膜の奥底から脳髄にかけてを激しく刺激するような、甲高いベルのような音が鳴った。それはとても不快な音だった気がする。そしてまた、重金属の焦げるような匂いと、なにか甘い匂いが混ざったような、なんとも形容しがたい匂いも鼻についた。僕は思わず、あまりの眩しさに目をつむり、耳をふさいだ。

 それは時間にして一瞬の出来事だった。つぎの瞬間、僕はなにごとかと呆気に取られてしばらくその場に立ち尽くしていた。しばらくして、我に返った僕は、先の不可解な出来事について考えた。窓の外で、煌びやかな電飾を施した大型のトラックがクラクションを鳴らしただけかもしれない、とか、もしくはたんに誰かのいたずらだったのかもしれない、とか、いろいろと考えて、ふと窓を見やった。するとその窓の中央には、非幾何学的な図形をした奇妙な記号のようなものが刻まれていた。くっきりと。完全無比に。

 その記号のようなものは、前に見たときにはなかったし、どうやらさっきの一連の出来事の過程で刻まれたものらしかった。刻まれた、というと少し語弊があり、より正確にいえば「窓に埋め込んだ」といったほうがいいかもしれない。僕は怪訝に思って、というのも、いたずらにしてもここまで手の込んだものはそうそうないだろうし、ましてやどういう高度な技術を使ってこの記号のようなものを窓に埋め込んだのだろうか。いったい何の目的で? なにもかもが理解不能だった。

 だいぶ時間が経過して、僕は部屋に戻りソファーに深く腰を掛け、半分仰向けになった体勢で大きく嘆息した。頭も心も落ち着いていたが、疲労感はだいぶ残っているようだった。ソファーに腰を掛けたまま、ほど好く冷えた炭酸の効いたいちごのジュースを飲んでいたら、急にうとうとと眠たくなってきて、そのまどろみの中、僕は宇宙について夢想を巡らしはじめた。



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モダンの時が円舞する

2005年10月28日 01時28分32秒 | 日記
 ああ、文字が打てるこの幸福感、僥倖感、そして、悦び・・・。これで、再び、日記が、書ける・・・! との科白を胸中に響き渡らせ文字をタイプするそのさまは、まるで、ブログ界にその身を投じる平俗ブロガー、つまり日記書きに見られるそれであり、のみならず、例えば彼ら(日記書き)は、日々心の深奥にわだかまるその熱い「想い」を文字列として表現し、臨機応変にその文字にフォントを効かせて大きくしたり小さくしたり、必要あらば色も付けたり、また或いは、紡ぎだされた文章に、時に息を呑んではっと目を奪われるような美しい表現を含んだ精巧なレトリックをほどこしたり、といった按配で、常にいかにしてその日記に彩りを与えていくべきかとさまざまな思考を巡らせてはあーでもないこーでもないと苦悶しておるのです。それは僕としてもご多分に漏れず、さて本日も、素敵な表現と、そしてちょっぴり甘酸っぱさの漂うユメを詰め込んだトキメキ文章を綴り、ディスプレイを通して読者(特に女性)に積極的アプローチを働きかけようと思案して、おもむろにテキストエディタを立ち上げ、いざ文字をタイプしようとしてみると何故かキーボードが言うことを聞いてくれませんでした。うんともすんとも反応しない、つまり壊れた。という事の顛末、紆余曲折を経て今に至ります。わあ! たーいーへーんーだー! まあ、恐らくは、メイビー、パーハップス、少し前にキーボードを掃除していた時に、キーボードを強くゆさゆさ揺さぶったのがいけなかったのだと思います・・・。あの、だって、カバーを掛けていないので、隙間にポテトチップスとかの片鱗が、その・・・。

 なので、今は代替的にPS2専用キーボードをパソコンに繋げて使っています。ちなみにPS2専用キーボードは、かつて僕が『信長の野望Online』をプレイするだけのために買ったものであって―――戦国の世に生きる僕は、斎藤道三に仕官する美濃生まれの陰陽師であり、敵国の武将・織田信長に戦いを挑んだこともあったのだけれど、彼、七連撃だか八連撃だかいう常軌を逸したオーバーブレイク攻撃を仕掛けてくるので即死にます(僕が)―――、まさかこんな時に役立つとは思わなんだ。今までとは勝手が違い電源とかのショートカットボタンがないのですこし不便であるけど、まあ、致仕方なし。



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(s)AINT

2005年10月27日 03時20分43秒 | 日記
Eye catcher-A
 華美でいてきらびやかな、しかしてそこに内在するのは人々の欲望、夢、裏切り、絶望、色情、罪と罰、彼氏彼女の事情、三分の一の純情な感情、渚にまつわるエトセトラ、などのもろもろの、時に夢見るしゃかりきコロンブスたちが紡ぎだし得る輻輳したそれらの情性、といったような要素をもって構成される外界すなわち魔都TOKYO。とりわけ新宿二丁目の、ダークマター蠢くあの異彩な空間ときたら、さて、貴殿の本日の接待はどこぞのプチブル料亭でなにがしのプチブル懐石を食すのかしら、といった風情であり、金というものは在るべく処にして在るものだなぁといった感じではありますが、そのTOKYOの一角に僕の大学はあります。大学周辺の地理についての仔細な言及は、この日記の読み手である皆さまに一歩踏み込んだ詮索を与えかねないので避けますが、ええと、大まかに言うと、僕の通う大学の周囲においては、昼は街ゆく学生やらビジネスマンやらで溢れ返り、これはごく一般的な情景であるので差しあたって注視することはないのだが、それは時にして夕刻から草木も眠る夜中にかけて。その状況は途端にして変化を顕しはじめ、突如として街には不穏なアトモスフィアが媒介し、ある時は、某団体とそれに付随する狂信的な信者ら(ごく稀に全身トラ柄のいかにもな形骸を目にすることがあります、ここ、関東なのに・・・)が歩道を跋扈し、行列をなして半球形の外観を備えたソレへと入っていき、そしてまたある時は、例えば、ドッキリドタキャン番組放棄でその名を馳せるかのロシアンロリータ『tATu』が来日した際などは、その勘違いエントロピー加減を臆面もなく発揮した、脳の構造がちょっぴり個性的なおじさん二人組みが相対して『tATu』のコスプレなどをして―――それを見た時は流石の僕も失笑を禁じえませんでした―――街を徘徊し、同じく定時を迎えるとえてして半球体のソレへと入っていったり、といった感じで、まあそんな場所です。その半球体のホワイトボックス内部でイベントが催される日には、決まってとても混雑し、特に駅周辺における人口密度の圧縮/圧迫率ときたらてんやわんやのあややのふややとした様相なので、その、酷く、困ります・・・。でんしゃとか、ちょうこむのでいやです。

Eye catcher-B
 さて、東京の地理をそれなりに把握している方であれば、上記の抽象的な記述から大体の場所を推測できたりできなかったりするかと思うのですが、まあ実際どうでもよくて、やあ、あんまりよいこともないのですけれども、かような暗黒要素の蔓延した魔都TOKYOであるから、僕としてものうのうと、悠然として構えていると突如として暗黒スパイラルにからめ手を取られ、心とか体とかにいろいろと悪影響を及ぼしかねないのであるから、悪しき闇に唯一憑依されない方法は、自我を保つこと、自分を見失わないことだとの教訓に従い、しっかりと生きていこうと思います。今日はフライドチキン(※)を二本食べました。

(※)フライドチキン・・・あんまり美味しくなかったです、脂っこくて・・・。



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インターネットラジオを聞く。
中検4級テキストをやる(前回と同じ、リスニング除く)。

コンビナート・オスティナート

2005年10月25日 23時58分20秒 | 日記
 この時期のこの気温、ちょっと寒いかな、と感じる程度の気温が好きです。ああ、更に言えば、雨や曇り、霧なども好きで、逆に太陽は嫌いです。だってあいつ(太陽)、夏などには特に自己主張が強すぎるというか空回りも甚だしいというか、誰某の望むところでもないのに、無駄にギンギラギンとして眩しいし、そして何よりすげー暑い。流石の僕も「ちょっと空気読もうよ(苦笑)」と訝ってしまうのですが、夏はとうに過ぎ秋から冬に差し掛からんとしたこの時期に、気になるアイツ(太陽)の暴威について論じたところで何の意味もなく、誰が喜ぶかと問えば、それは無駄な記述によって文字数を稼ぐことを美徳(或いは悪徳)とする人間存在、つまり僕です。こんばんは、ラブレボリューション(ハンドルネーム)です。ここ最近の悩みはPS2を起動するたびにガリガリと異音を放つことです。よろしくお願いいたします。ところで、僕は大学のレポートなどの書き物を作成する際、真意をオブラートに包むように遠まわしに婉曲して書くことに加え、のみならず、文に無駄な修飾を付加し、冗長につらつらと書き連ねて文字数を稼ぐことによってどうにか乗り切ってきた経緯があるので、僕もいよいよ大概だと思います。メッ!

 さて、閑話は休題しまして、今日は今のブログというものが隆盛する前、日記系、或いはテキスト系にそれがカテゴライズされていた頃の話をします。個々人の私小説や由無し事をネットに発信するのみならず、記事に対するコメント、或いはトラックバックなどの双方向の意味合いを含んだ概念を「ブログ」というのに対し、日記/テキスト系(以後日記系)サイトは、こちら側が一方的に発信するのが常であり、僕はその名残というか慣習から抜け切れていないので、コメント、トラックバック機能は意図的に外しています。例えばコメント欄を設けたとしても誰も書いてくれなかったら僕はしょんぼりしちゃいますし、仮に書き込みがあったとしても「とんだ酔狂でインターネットサーフィンなんて興じてたらこんな糞サイトに辿り着いちゃいましたwwwwwww記念に荒らしときますねwwwwwww早く潰れろ早く潰れろ早く潰れろ早く潰れろ早く潰れろ早く潰れろ早く潰れろ・・・」程度のものだと思うので、ガラス細工のような繊細さを誇る僕の心を配慮に入れると、胸をナイフで抉られたような陰鬱な心持になって自殺してしまうので、僕の心が弱いうちはやっぱりコメント機能は避けようと思います。

 と、話が逸れたので戻しますと、当時のいわゆる日記系サイトは、コメント欄の替わりに別途でBBSを設けたり、またはトラックバックの替わりに文中リンク―――主に知己、内輪内でリンクするのが当時流行っていたので、排他的であるとして敬遠される風潮もありました―――を用いていたと思います。僕が日記系サイトを閲覧しはじめたのは確か高校生の時で、その頃よくアクセスしていたサイトを何年かぶりに覗いてみると、既に閉鎖してあるものも多く(或いは移転したのかも知れない)、しかし未だ現役でブログとして存続しているサイトもありました。僕が面白いと感じたサイトはほぼ毎日更新していた気がします。と書くと、更新率の高>低を前提とした面白ヒエラルキーを暗に示唆することとなり、更新率の低い僕のブログの行く末は末法の闇、つまりブログ界における死を意味するので超イヤだなぁと思いました。



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