雲南、見たり聞いたり感じたり

雲南が中心だった記事から、世界放浪へと拡大中

二度目のロンドン29 気軽に行ける大英博物館⑤

2024-04-21 16:55:13 | Weblog
写真はギリシャのパルテノン神殿の彫刻群。テレビで見慣れていたパルテノン神殿は1801年当時は今の神殿の柱だけが立っているというほど荒れ果てた状態ではなかったらしい。大英博物館に登録されたのが1802年、フランスの博物館(ルーブル?)に登録されたのが1803年、との説明が部屋の廊下に掲げられていた。

【パルテノン神殿の顔も】
そして「メレイデス・モニュメント」の横にこれまた超一級品の白大理石の彫刻群が並んでいました。これぞ、かの有名なギリシャのパルテノン神殿の一部。しかも、彫像を一つ持ってきたというものではないのです。たとえば日本の神社だと一番重要な拝殿の屋根瓦の下側にゴージャスに彫り込まれた龍や牡丹の花などの木彫群がありますが、その部分。パルテノン神殿の顔である、一番目立つところの彫刻をはぎ取ってきたのです。

ずいぶん荒っぽいことをしたわけで、現在、ギリシャから返還請求がなされています。大英博物館も展示の経緯や訴訟のことも包み隠すことなく、ちょっと目立たないところの壁にではありますが、ちゃんとパネルで展示していました。
植民地時代の世界各地のものの返還については欧州諸国で重要な課題となっています。2017年にフランスのマクロン大統領は「これ以上、アフリカの文化遺産を欧州の美術館・博物館の囚人のように収容しておくわけにはいかない」と宣言し、ナイジェリアにいくつか返還を始めました。ドイツもその動きに追随しました。大英博物館は今のところ、拒否。今後の動向は、世界中は注目することとなっています。
(参考:https://www.cnn.co.jp/style/arts/35148855.html)

しかしパルテノン神殿の彫刻群は一度見たら忘れられないほど魔力的でした。馬の頭一つとっても、リアリティに満ちた何かを訴えかける表情と深く自信に満ちた彫りすじ。人類史上でも最高部類に入る彫刻であることは素人目にもわかります。所有をめぐる欲と徳の戦い、これが生々しくも目の当たりにできる博物館でもあったのでした。
               (つづく)
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二度目のロンドン28 気軽に行ける大英博物館④

2024-04-14 11:43:25 | Weblog
写真はギリシャ・ヘレニズム文化の間に鎮座する「メレイデス・モニュメント」。長い年月に耐えた独特のギリシャ文化の空気感を醸し出していた。
 だが客は意外と注目せず、神殿を見るために設置されたベンチで休みながら、スマホの画面を見ている人が多かった。大英博物館の深部にあるので疲れを癒したい欲求に勝てないようだ。

【メソポタミアの間】
メソポタミア関連では楔形文字が刻まれた石板が重々しく展示されていました。解説を読むと

「まったく最近の若者は・・」

今も昔も変わらぬ言葉に笑えます。

アッシリアの彫像群は大きくて迫力満点。特に印象的だったのが、前回、写真で紹介した守護獣神像。どこかでみた、と思ったらドイツ・ベルリンのペルガモン博物館でした。きっと、このような像が神社の狛犬レベルでたくさんあるだろう、と軽く考えて通り過ぎたのですが、家に帰って調べるとベルリンのものはレプリカで大英博物館のものが本物だとわかりました。

かつて世界史で習ったイギリスの3C政策とドイツの3B政策。さまざまな収奪が交錯し、繰り広げられ、その終着点の一つが博物館の展示だったわけです。
〔3B政策とはドイツがベルリン、ビサンティウム(現イスタンブール)、バグダッドを直線で結び、イギリスは南アフリカのケープタウン、インドのカルカッタ、エジプトのカイロを結ぶ三角形地帯を植民地支配する帝国覇権争いのこと。〕

素直に見ただけではメソポタミアや古代ギリシャの遺跡はドイツのベルリンの博物館にはスケール感では及ばないと感じたのですが、それこそ、まんまとドイツ帝国の手のひらにのせられてしまったわけで、19世紀帝国主義のつばぜり合いの残滓だったのでした。

【ギリシャ神殿】
ギリシャヘ・レニズム文化の間でも同様のことがいえました。
 一部屋まるごとギリシャ神殿。ほんものの遺跡が聳え立っている「メレイデス・モニュメント」。でも、デジャブかな? ベルリンにあるペルガモン博物館の「ゼウスの大祭壇」と見せ方がそっくり。スケールではベルリンの方が上なような。

そもそも小アジアのペルガモンで発掘したそれを見せるため作られたのがベルリンのペルガモン博物館なので、肝いり具合が半端ではない。広場のモザイクまでまるっと移築していて、足元に広がる色味のある大理石のモザイク絵画からから仰ぎ見る神殿は威圧感に満ちています。さらに客も気軽に神殿内に入り写真撮影も可能。しかも本物。

ですが、これも調べてみると、もともと大英博物館のほうが先にあったことがわかりました(開館は1759年。当初は蔵書コレクションだったが、大英帝国の躍進とともに世界各地の遺跡、遺物が運び込まれ1816年にこのギリシャ彫刻も加わった)

ペルガモン博物館は1907年ごろに計画され、ペルガモンの大祭壇の展示にこぎつけたのが1930年。遅れること1世紀。明らかにベルリン側がイギリスへの強烈な対抗心で作り上げたものだったわけです。
             (つづく)

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二度目のロンドン27 気軽に行ける大英博物館③

2024-04-07 15:31:13 | Weblog
写真はメソポタミアの間の入口。メソポタミア関連ははぎ取った石像が中心。今回の主題の古代エジプトの間はすべてが私の感覚と相いれなかったので、写真を撮ることが、私にはできなかった(写真を撮っていいことになっていました)


その後、何回かに分けていった大英博物館で印象的だったものをご紹介しましょう。

大英博物館の常設展示でやはり、すごいのがエジプトや中東、そしてギリシャ・ヘレニズム文化です。19世紀はギリシャの遺跡の多い地域のほとんどがトルコ(オスマン帝国)の版図だったので中東の領域ともいえるのです。大英博物館の収蔵物の多くは侵略の歴史と軌を一にしているので、経緯からいってもそうなります。では、エジプトから。

【古代エジプトの間】
 4大文明の発祥の一つ、古代エジプトの展覧会は日本で大人気。私も上野の博物館に 古代エジプトのミイラやかの有名な黄金のマスクを見に行ったことがあります。あれはいつのことだったのかとネットで調べて驚きました。
 2,3年に一度の割合で全国を巡回する規模の古代エジプト展が開催されていたのです。しかも大英博物館からだったり、エジプトのカイロ博物館だったり、はたまたドイツのベルリン博物館だったりと様々。私のいった展示会はもはや特定困難なほどの多さでした。

 日本では、大勢の黒い頭の先にチラリとみるのがせいいっぱい。しかも暗がりに浮かび上がるような照明です。雰囲気もあいまって、ミイラなどは直視できず、呪いやらロマンやらを想像しながら早歩きして通り過ぎておりました。

ところが大英博物館では全然、違いました。すごい数のミイラがおとなりのお兄さんが
「横に立っていますよ」
 レベルで並んでいるのです。古びた木枠にガラスがはめ込まれたケースの中で煌々と電気に照らされたなかで、ずらずらと並んでいるのです。立ち上がった寝袋がいっぱいある感じ。それらは眠る姿勢をとることすら許されません。

日本で私が見た展覧会では、一体のみが薄暗がりの中、うやうやしくお棺のなかで横たわり、お眠りになってらっしゃる感じでした。(私は行っていないのですが)2021年には上野の国立科学博物館で「大英博物館のミイラ展」というズバリ、ミイラに絞った展示会ですら6体だったそう。

また大英博物館は、それほど混んではいないので、ゆっくり見ることができて、写真も撮り放題。この部屋にいると、イギリス人の、死や死体に対する感覚の違いを感じざるをえません。ある意味、展示としては正しいのかも。

この部屋には人だけでなく猫のミイラ、また臓物が入っていた壺やきらびやかな副葬品、何重もの入れ子になったお棺などなどが、白い光の中で雑然と並んでいました。あまりのあっけらかんさにちょっと気持ち悪くなってしまったのでした。
一方、家人は全く平気。これも感覚の違いなのでしょう。
(つづく)

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二度目のロンドン26 気軽にいける大英博物館②

2024-03-31 11:21:37 | Weblog
大英博物館近くのお店。大英博物館の「マンガ展」のポスターや萩尾望都が描く表紙の「月刊flowers」、「となりのトトロ」のトトロと「千と千尋の神隠し」のカオナシが一つの絵になった原画風のものなどが浮世絵とともに売られていた。

【日本ギャラリー】
中国や日本のものの展示には目を見張るような展示はありません。日本だとやはり浮世絵などの紙が中心となるのか退色を心配してるのでしょうか。せいぜい漆器や陶器が目を引く程度です。しかもアジアの一部としてざっくりと。

軽い失望を感じつつ日本などの展示の上階に向かって古めかしい石の階段で上がると、「三菱商事日本ギャラリー」というポスターが目に入りました。やはり無料の展示室で、三菱商事が出資している部屋とのこと。ずいぶんと落とした照明のなか、戦国時代の甲冑や喜多川歌麿の遊女をモチーフにした肉筆画などが展示されていました。いかにも欧米人が思い浮かべる「ザ・日本」の部屋。解説もほとんどなく、やはりざっくりとしています。

【(日本の)マンガ展】
 ただ、ちょうど日本のマンガを取り上げた「The Citi exhibition Mangaマンガ」展が開催中でこちらが大いににぎわっていました。特別展会場は有料で、この展示会は19.5ポンド、とウインブルドンの入場券15ポンドよりお高めでしたが、入ってみました。入口のポスターはゴールデンカムイのヒロイン・アシリパが毅然と遠くを見つけている絵。

当時はゴールデンカムイのマンガを私自身読んでいなかったので、アシリパの絵を見て「新しいマンガが中心なのかな」くらいしか感慨はありません(帰国後しっかりと見ました。アイヌ文化の部分がおもしろくて、いまや小学生も「熊とは食べるんだぜ。ゴールデンカムイでみた」などと食育にも役立つマンガになっています。)

展示は暗い照明の中、日本の有名マンガが展示され、文化としてわかりやすく流れを追った展示となっていました。コマ割りをどの順番で読むか、といったマンガに慣れ親しんだ人には空気のような作法に英語で解説がされていると、なんだかくすぐったいような気持ちに。

手塚治虫『新宝島』『鉄腕アトム』、鳥山明『ドラゴンボール』、石森(石ノ森)章太郎『サイボーグ009』などおもに少年マンガを中心に構成。さらに浮世絵(春画含む)の展示や圧巻は河鍋暁斎の作品《新富座妖怪引幕》(1880年)。デフォルメされた妖怪が決め顔でこちらを向くカラーの筆画で、妖怪らは当時、活躍していた歌舞伎役者がモデルとなったいかにもマンガ的な芝居小屋の幕の絵です。いろんな関連からルーツを探ってくるなアと面白くみました。
マンガから派生した文化として、コスプレやガンプラなどのプラモデル、ポケモンゲームなどもきちんと展示されていました。

2019年というタイミングでのこの展覧会は日本のマンガの爛熟期をあらわすにはちょうどいい時期の展覧会だったと今は思います。
(つづく)
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二度目のロンドン25 大英博物館①

2024-03-24 12:00:37 | Weblog
大英博物館の入り口では、厳格な荷物検査が行われていた。大英図書館でもあったが、入場者数が多いので入るまでに時間がかかる。

【寄付で運営される博物館】
 かつて(30年ほど前)ロンドンに寄った時のこと。地下鉄を降りて、予備知識もなくふらりと寄った大英博物館。
 するといきなり目の前に、かの有名なロゼッタストーンが。そのほか、中東の石像の数々が高い天井が特徴的な建物の一階に、ずらりと並んでいました。解説はほとんどなく、開放的な空間に戸惑う私。
 これら本物の風情を醸す物体を横目に、チケット売り場を探したのですが、どこにも見当たりません。日本では一流美術品はとにかくチケット買わないとみられないという常識に完全に毒されていて、まさか無料とは考えもつきませんでした。そのため、本物を探し求めて大英博物館の一角だけをさまよって、立ち去ったのでした。

 以来30年。入場料を払って来日する大英博物館展を見ては、ため息をつく日々。

それが今日、終わるのです。

 朝10時に行くと、私の記憶とは異なっていて、入口では厳格な荷物検査のテントがあり、そこを通過するために行列ができていました。
相変わらず入場料はなし。ただ、寄付ボックスがそっと置かれていて、「気持ちをいれて」と書かれていました。

 寄付で社会を回す文化と知らなかったかつての私が気づかなかったボックスに、気持ちのお金を投じて、ようやく周りを見渡す気分になれました。

かつてのようにスーッと道を歩くようには博物館に入ることはもはや治安が許さず。文化が囲い込まれた空間に、かつてを知る人は違和感を覚えることでしょう。が、悲しいことに日本の常識にどっぷりつかった私には入場を意識することが、館内の価値を高める大切なセレモニーなのだと自覚しました。
博物館は思った以上に巨大でした。今日のうちに全部を見るのは不可能なので、まずはアジア系の部屋に絞ってみることにしました。
     (つづく)

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二度目のロンドン24 ウインブルドン選手権へ④

2024-03-17 09:45:50 | Weblog
写真は主要コート下の休みどころ。ここの草花をバックに国営放送BBCは中継を行い、今日の天気予報のバックなどにも使われていた。私もリポーターになりきって記念撮影をして楽しんだ。

【ウインブルドン点景】
今回、センターコートなどには入れなかったものの十分楽しむことができました。テレビで見ていた光景が目の前にあったことに興奮したり、スター選手に会えたり。
ほか、書ききれなかった数々の楽しかったポイントを挙げてみます。

1.美しい草花
また、会場にとりどりの花で飾られていたのがいかにもイングリッシュガーデンの国らしくてなごみました。青系統が基調なのがいかにも高緯度で光の淡い国らしくて異国情緒を感じます。



2.警備員
有料会場の要所要所の非常階段口では警備員が目を光られていたのも印象深いものがありました。女性警備員も多く、仁王立ちの周辺は一種のバリアが張り詰めたような緊張感が漂っていました。


3.きびきびとした子供たち
また、やはり際立っていたのがボールボーイ、ボールガールたちの動作がきびきびとしていたことです。選手を尊敬して、失礼のないように動いているのがよくわかります。
彼らの統一された服装はラルフローレン製で、彼らは13歳から16歳の子供たち。ウインブルドン選手権を主催する協会と提携している28校の子どもたちが学校の主催する協会の教育プログラムを受講し、応募者1000人以上の中から170人が新規に選ばれて、2月からさらに厳しい訓練を積んで、当日にのぞんでいるのだとか。
一流の大会で、きちんとした礼儀も身に付けられ、しかも真剣勝負にのぞむ選手をまじかに見ることができ、きちんと仕事としての対応も求められる。長い伝統に基づいたプログラムなのでしょう。私もテニス好きの子供だったなら、参加したい光景でした。

4.気の利いたみやげ物
あとでなにより喜ばれたのがウインブルドンの会場で売られている公式グッズの数々。帽子や折り畳み傘、ワッペン、ボールペンなど数々が売られていて、大英図書館のグッズよりも安いぐらいで、品質もよいものでした。何より色が落ち着いた紫と緑と白のテイストなのが素敵。テニス好きの友人がいるかたはぜひ。

※次回は大英博物館です。
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二度目のロンドン23 ウインブルドン選手権へ③

2024-03-10 10:39:51 | Weblog
写真はウインブルドンにて。国枝選手とオルソン選手の試合開始の光景。ここからはシャッターを切らずに静かに観戦した。

【車いすテニス】
ちょっと時間を巻き戻します。
大型コートから聞こえる歓声を聞きながら、知っている選手で私のチケットで見られる試合はないかな? と対戦ボードを見ていると、国枝慎吾選手の試合が17番コートで11時からあると書かれていました。対戦相手はスウェーデンのステファン・オルソン選手。世界ランキング2位の選手です。つまり世界ランキング1,2位が激突です。

さっそく行ってみると緑色のビニールシートで周囲の通路から仕切られただけの独立した一面のコートがありました。

これが17番コートです。

コートの横に固定式の座席が数列並んでいます。試合開始の10分前なのに席は選び放題。一番前だとボールが飛んできそうなので、前から2列目の真ん中あたりの席に座りました。それでも選手に手が届きそうな近さです。

すでに国枝選手はコートに来ていました。ボールボーイ、ボールガールたちもすでにコート上にいて、おそろいの紺のポロシャツと半ズボン、キャップに白のスニーカー姿でキビキビとした動作で選手のお世話をしていました。

国枝選手がボールボーイに水とバナナをお願いすると、彼はすぐに走っていき、コートの真ん中にあるそびえ立つような審判席の下側に手を伸ばしました。そこにはバナナと水が常備されているのです。そして、また走って国枝選手のもとへ。国枝選手は笑顔ながら「もっと傷んでないものを。」と要求していました。

選手もボールボーイもたいへんな緊張感です。そんなやりとりをじかに見られるのもコートの真横に陣取っただいご味でしょう。

さて、ようやく納得のいくバナナを受け取った国枝選手は、次にゆっくりと自分のバックから水、栄養ドリンクのような黄色いのみもの、チョココーティングのグミ、10秒チャージのような栄養系のたべものを取り出して、手慣れた様子でコート横のイスの上に並べました。
 それからそれをちょっとずつ食べては、自分でメモしたノートを広げて、最終確認をするように目を通していました。
 これが彼のルーティーンなのでしょう。こちらにも緊張感がさざなみのように伝わってきます。

2時間の試合中、ピシッと立ち続けるボールボーイ、ボールガールたち。ボールが来たら、走って取りにいく姿がまたすごい。

試合は湖に手漕ぎボートを漕ぎだすように静かに始まりました。次第に熱を帯びてきます。白熱すると国枝選手の「ウンっ」という、うなるような声がスマッシュとともに響きわたりました。車いすが激しく動き、ギャワっときしむ音。恐ろしい勢いで走り、打つ。すべて腕だけで動いています。

試合は激戦で2時間にも及びました。最初は国枝選手が劣勢でしたが、やがてギリギリでかわし続け、最後に勝ちをもぎとりました。横綱相撲ではなく、すごくどきどきさせられた、見ごたえのある試合でした。

プロの試合をこんなにもまじかで見たのも初めてなら、車いすテニスを見たのもはじめてのこと。すっかりこちらも熱くなってしまいました。

また、見ていて感じたのは本人の技量もさることながら、車いすの性能や細かな調整も大きなウェートを占めている気がすること。冬と夏でも伸びる部材、断裂しやすい部材は変わり、調整も変わってくるはずです。そういった国枝選手をささえるチームが観客席の一角にいて、いろいろとアドバイスを飛ばしている光景も、まるで地元の地区予選のようで面白い光景でした。

帰国後、NHKBSのウインブルドン中継のダイジェストニュースを見ていたら、なんと我々が国枝選手の試合を観戦している模様がばっちり映っていました。ボールが目の前を通り過ぎるたびにせわしなく首を右に左にと動かす私。いやあ、夢中だったんですね。

しかし、世界一位、二位の選手の試合で準決勝だというのに、ギャラリーの多くが報道陣という不思議さ。パラスポーツは一流でもなかなかたいへんなのだな。
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二度目のロンドン22 ウインブルドン選手権へ②

2024-02-25 11:21:56 | Weblog
写真はウインブルドン名物のストロベリー&クリーム。冷たくてさっぱりしていて、おいしい紅茶にあいそう。

【スタジアムの中心とクラブの一角】
いったい、どんな会場なのか、と行ってみるとセンターコートはまるで今の千駄ヶ谷のオリンピックスタジアム並みの立派な建物、次に№1、№2、№3コートがそれぞれ散らばってスタジアムで囲われたりしていて、おいそれとは中をうかがうことができません。それらのコートを見学するには人気チケットを入手する必要があります。

でもそれ以外にもコートはたくさんありました(正確には15)。そして、それらは見放題。たとえばセンターコートの横に8面コートが2×4列でならんでいて、一見するとどこかのテニスクラブの練習場のよう。ですが、いずれも真剣勝負で鋭い玉の応酬が続いていました。こういう様子を観客も通る通路からも全部、見渡せるのです。コートが芝という以外に特別感はなし。これもウインブルドン選手権なのです。近くを通るときは私たちも大きな物音を立てずに通ろう、という気構えに自然となりました。

改めてセンターコートに立つ、というのは特別なことなんだ、と実感できます。日本で衛星中継だけでは伺いにくい頂点、ということがたくさんのコートを見ていると実感できるのです。現地に足を運だからこそ味わえる醍醐味を感じつつ、時折、ワッと歓声があがるセンターコートの歓声と拍手をBGMに、目の前の無名の選手たちの試合を同時並行で見ていると、やがて、おなかが空いてきました。

№1コートスタジアム周辺にはバーなどの飲食店が並んでいた。

【ストロベリー&クリーム】
お昼は№1コートの大きなスタジアムの一階にあるフードビレッジに行きました。そこでは降り注ぐ日差しの中、みながリラックスして思い思いの時を過ごしていました。

食べ物は社員食堂のように並びながら、冷蔵庫に入ったものを取って、最後にビールやソフトドリンクを注文して使い捨てのコップに注がれたものを持って、お会計、というシステムです。

サンドイッチやサラダ、ポップコーンやポテトチップスなど。あまり迷いようがない定番メニューが並んでいます。私はビールとイチゴの生クリーム添え(KENTISH STRAWBERRIES AND CREAM)を頼みました。イチゴといっても、日本のものとは違い、ちょっと酸っぱめのいかにもベリー。それに乳脂肪分たっぷりで甘さ控えめのクリームが載っただけの飾り気のないデザートです。容赦ない陽射しの中だと、揚げ物よりもは食べやすい気がしました。ウインブルドン名物ということで、多くの人が食べていました。

フードビレッジの近くには救護室もきれいなトイレも、なんと薬局もありました。のちほど詳述しますが、ロンドンに来て以降、悩んでいた肌荒れに効いたのが、ここで買ったニベア。慣れたものが一番です。さすが、国際テニスの大会の薬局。必要最小限の間違いのない製品が並んでいました。

※次週の更新はお休みします。冬と春が交互にきて、気温差が容赦ない日々ですが、どうぞ、みなさまお健やかにお過ごしください。
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二度目のロンドン22 ウインブルドン選手権へ②

2024-02-18 16:55:25 | Weblog
写真はウインブルドン選手権会場入り口ゲートの開場を待つ人々。この右斜め前に子供たちのファンファーレ鼓笛隊がいた。

【やりがい搾取ではないボランティア】
道の途中のところどころに協賛企業のブースがあり、ウインブルドンマークのついた参加者が喜びそうなものを無料で配っていました。会場図とか、スマホが落ちないようにつけるストラップとか、スマホの後ろにリングを付けて固定するもの、とか、いろいろです。各企業のロゴは控えめで、とにかく大会を盛り上げたい、という気概あふれるおしゃれものばかり。さらに、うれしいのが配る人々が、営業スマイルではなく、自然とこぼれるような笑顔なことでした。ふと思い立ってきただけだったのに、歩くごとに、すごくワクワクして、何かの一員になったような心構えが沸いてきました。
歩道を指し示すかのように地面や芝生に敷かれた白いビニールシートも自然環境と人への気遣いが感じられます。人へは雨天時にぬかるまないように、環境面では周辺の草花を痛めないようにしているのでしょう。誘導もボランティアの方々なのですが、スマートな対応と笑顔があたたかい。さすがロンドンオリンピックが成功した地。大会を成功させたい、という純粋なボランティアの精神が横溢していました。

そうして徒歩で会場の入口に10時ごろ到着。まだゲートは開いていませんでした。人は多いのですが、入口やその先の会場が美しい花々で彩られているせいかまるでパステルカラーのフェスティバルに迷い込んだような雰囲気。みな、笑顔です。
連日観戦している人、主要チケット入手のためにテント泊の人も多いのでしょう。肌が日焼けで赤く火照った人が大勢いました。
ここでチケットを購入しました。シェアハウスの方から、グランド(Ground)チケットなら当日に並ばずに買えると聞いていたのですが、その通りでした。2019年時点で15ユーロ。これでセンターコート、№1コート、№2コート以外のコートの試合は自由に見ることができます。
(勝ち上がった人やシード権のある選手が出るセンターコートなどの人気のチケットは前売り券をネットなどで購入か、当日券を目指してテント泊をするかが必要だそうです。)

10時20分に会場ゲートを通過し人々の流れに身を任せていたら、急に流れが止まりました。けど、みなさん、慌てる様子はありません。ひたすらおだやかです。
10時30分、ファンファーレとともに地元の子供たちのブラスバンドの生演奏で開場。お祭り気分が一層高まります。
それにしても世界的な催し物で規模も大きいのに、その流れをきちっとコントロールしてあくまで地元の手作り感のぬくもりが残っている。すごい。

さて、この日はウインブルドン選手権最終日の前日で、女子シングルス、男子ダブルスと女子ダブルスの決勝が行われる日でした(最終日は男子シングルスの決勝が行われます。)
大会は毎年その年の28週目の月曜日から2週間の日程で開催されています。2019年は7月1日(月)から7月14日(日)の開催日程で、私が行った日は7月13日(土)でした。
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二度目のロンドン21 ウインブルドン選手権へ①

2024-02-11 15:17:29 | Weblog
写真は、テニスの四大国際大会の一つとして有名ウィンブルドン選手権の行われる会場に一番近い列車の駅・サウスフィールズ(Southfieids)駅前の住宅街。客を乗せるための三輪自転車が走っていた。

【街はウインブルドン一色に】
朝、起きると、すがすがしいほどの青空。あまりに天気がいいので、もうすぐ終わってしまう全英オープンテニス(ウインブルドン選手権・The Championships, Wimbledon)に行くことにしました。

そもそもシェアハウスの住人には、この観戦のために会期中は毎年、ロンドンのこのハウスを借りている人がいて、その生き生きとした話しぶりに興味が募っていました。
 また、夕方になると、いつも最寄りのベイズウオーター(Bayswater)駅から降りてくる人々の手にはウインブルトンの白地に紫と濃い緑が美しいおみやげバッグがぶらさがっていて、みな、一様にルンルン気分が漏れ出ているのです。
 ダメ押しは部屋に設置されている恐ろしくうつりの悪いテレビ。会期中は毎日、朝のニュース番組で「本日のウインブルドン」情報が流れていたのですが、今朝はなんと花々咲き乱れる美しいウインブルドン会場にソファ一式をしつらえて、ゆったり気分でいつものキャスターたちがうれしそうに中継し始めたのです。
 さらには現地の天気予報まで別枠で紹介され・・。とにかく「ウインブルドン」の文字を見ずに過ごすことが日々ごとに難しくなっていました。チャンピオンが決まる日が日々、近づくのですから、人々のボルテージも否が応でも高まるのでしょう。

【都心から電車で30分】
いやしかし、かの有名な世界四大大会のチケットなんて今更無理でしょ? と思っていたら、シェアハウスのベテランさんが、

「一番人気のセンターコートは、気合が必要ですが、とにかくたくさん試合が行われているので試合をみるだけ、雰囲気を楽しむだけなら思い立った日で行けますよ」

と親切にチケットの買い方などを教えてくれました。

部屋で朝食を食べて、ウインブルドンを目指します。さすがの立地の良さで、ベイズウオーター駅から地下鉄ディストリクト(District)線で一本。地下鉄がいつのまにか地上に出ていて、のどかな車窓を眺めていると30分でサウスフィールズ(Southfieids)駅に到着しました。ここが会場から一番近い駅なのです。
ちなみに電車に乗り続けた終点がウインブルドン駅。紛らわしいのですが、こちらは会場の最寄りではありませんのでご注意ください。

さて電車を降りたところからフェスティバルは始まっていました。多くの人が駅のホームでうれしそうに自撮りをしています。さすがテニスの聖地。私もついついつられてパチリ。

しかし電車に30分乗っただけなのに、なんという牧歌的な風景でしょう。いかにも郊外の雰囲気で空が、広い。別荘のような瀟洒な建物が美しくならんだ街を過ぎると、牧場のような芝生と木々がただただ広がるだけの空間が続きます。

【気持ちのよい手作りの小道に導かれ】
会場は駅から少し離れているようで(実際には1キロ強)、ウインブルドン会場へ連れて行ってくれるインドネシアやフィリピンで常用していたトゥクトゥク(三輪自転車)を利用する人も。でも、多くの人はゆるゆると歩いていきます。辻々には「ものみの塔」のパンフレット片手におとなしく宗教の勧誘をしている人までいました。

ウインブルドン会場に近づくと、よく手入れされた芝生のゴルフ場のような空間に大会に集う人専用の駐車場が広く取られていて、そこにオレンジのジャケットを着たボランティアスタッフが立っていました。なんだか、日本でよくみる近所の広場のお祭りみたい。

スタッフには白シャツ上下の子供の姿もあった。
地元の子供たちが前から準備に携わり、礼儀などを
自然と身に付ける場ともなっているようだ。

 その横には入口風のアーチがあり、チケットを持った人用とチケットを持たない人用に区分けされた通路がありました。案内にしたがってチケットを持たない人用の道に進むと、自然と生い茂ったような木々が気持ちの良い木陰をつくり、強い陽射しのなかでも、気持ちのいい散歩道になっていました。人がいっぱいいるのに、このゆったりとした気分はなんでしょう。
                    (つづく)
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二度目のロンドン20 大英図書館④

2024-02-04 10:46:03 | Weblog
ロンドンのパブにて。フィッシュアンドチップスはボリュームたっぷり。このあと、気に入っていろいろなパブでこれを注文したが、間違いないおいしさ。
タラのフワフワ感と塩味、それにサクサクのフライドポテトがおつまみ?(にしてはボリューミーだが)にぴったり。

【閲覧室へ】
さていよいよ許可証を持って、許可書を審査した部屋の隣にある中央閲覧室へ。
あこがれの大英図書館の蔵書が手に取れる、と胸が高鳴ります。

まず閲覧室のパソコンで書籍の在庫を確認。私の目当てはシーボルト。彼は江戸末期に日本にオランダからの医師として長崎の平戸にやってきて、その後、ヨーロッパで日本の園芸植物を広めた人でもあります。彼が指示して日本の植物について本にまとめた『日本植物誌(フローラ・ヤポニカFlola Japonica)』や、日本で集めた園芸をはるばるオランダに運んで株を増やし、今でいう通信販売をする用に制作した園芸パンフレットの多くが大英図書館に所蔵されていて閲覧可能なのです。

オランダ・ライデンにある博物館や大学にも所蔵されているのですが、閲覧の許可は当然ながら、なかなかたいへんです。
日本でも『フローラ・ヤポニカ』は京都大学貴重資料デジタルアーカイブで全ページ公開され、八坂書房から復刻され販売もされていますが、園芸パンフレットまではありません。どんな状態なのか、見てみたいとめぼしい資料をピックアップして閲覧希望を同館のパソコンでポチリ。

するとこれらの書籍はこの大英図書館ではなく、書庫は別の場所にあるので、本館に届いたら、メールがくる、と表示されました。閲覧室も人文、科学技術、貴重書などテーマごとに閲覧室があるなかで、私が指定した中央閲覧室での希望が通りました。

けれども今日は見られないので、その日の大英図書館の訪問は終了。
(大英図書館の公式サイト(https://www.bl.uk/research)では閲覧可能なコレクションを検索することができるので、それをあらかじめ見てメールで在庫の確認をしておくと、上記よりは早く閲覧できることもあるようです)

帰り道。パブで飲んだビールのおいしかったこと。フィッシュアンドチップスが出来立て、アツアツ、フワフワで、なんなら食の都、ベルギーよりもビールに合うのです。イギリスの食事がまずい、という噂は、賑わうパブからは感じられませんでした。

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二度目のロンドン19 大英図書館③

2024-01-28 11:47:21 | Weblog
写真は大英図書館1階(日本の感覚だと2階)のロビー。この階に大英図書館の会員証を発行手続きをする登録審査室がある。

【蔵書を手に取りたい場合に必要な許可証】
大英図書館は、観光でふらりと入っても利用できる施設がたくさんあるすばらしいところですが、ただ一か所、閲覧室に入るには許可証が必要です。

許可証の発行は無料。

大英図書館のサイトには、
「簡単にできます」
といかにも簡単そうに手順が記されているのですが、実際に行ってみると、事務作業が苦手な私にとっては、なかなか高いハードルでした。億単位の蔵書、なかには博物館のケース越しにしか見られない貴重書までもを手に取れる資格なのですから、当たり前なのかもしれませんが。サイトの説明が少し足りていないようで、疲れました。

まず、必要なものは英語で書かれた身分証明書。
私が2019年7月に行ったときには、家人のアドバイスに従い、日本で国際自動車運転免許証を発行しておきました。日本の免許センターで免許証とパスポートを見せて2350円払うと、すぐに発行してくれます。たんなる厚紙でできた簡素なつくりなので、少し驚きました(これでイギリスでもレンタカーも借りられます)、それにパスポートと、現在、居住地となっている部屋での居住証明書らしきものを持ってまず大英図書館内の許可証登録室(reader resistration)に行きました。

そこにはすでに一人、登録希望者がいて、白いTシャツを着たラフな服装で金色の髪の図書館の方といろいろとやりとりをしていました。簡単な机とパソコンと、空港ゲートにあるセキュリティチェックのようなものがありました。静かです。

私も指示にしたがって、そこに置いてあるパソコンにたくさんある入力事項を埋めていきました。埋めきらないと、また最初のページに戻る、といった時間を繰り返し、最期にメールアドレスを登録(これは家でもできた作業だったらしい)。しばらくすると、自分あてに大英図書館からメールが届きました。
 あとは審査の順番を待つだけです。前の人の審査もスムーズには運んでいないようで、いろいろと身振り手振りで説明しては行きつ戻りつの応答を繰り返しています。

 やがて私の番になりました。担当者の方に、先に掲げた各種証明書を見せると、それらを見て、担当者が
「この証明書はどこのですか?」
「ほかに持ってきたものはないですか?」
 など、なにか困った、といった感じの質問を繰り返しました。最後に納得してくれたのか
「あなたはこれらが証明する本人ですか?」
 といった質問に答えて、少し待つと発行してくれました。

ほっとしました。

2024年1月20日現在の大英図書館のサイトを確認すると、昨年10月に大規模なサイバー攻撃にさらされて、一時は正規の許可証の発行は停止され、現在、3か月のみ有効な臨時パスを発行する、と書かれていました。状況は刻刻と変わっているので、ご入用の直前にぜひとも、ご確認ください。
〔必要とされるものの解説はこちらのブログがわかりやすいようです。ご参考までに〕
大英図書館リーダーパスの作り方!YMS&留学のロンドン在住者は必携!! | OSLOndon Journal (lifebeginnerz.com) https://lifebeginnerz.com/british-library-reader-pass/〕
                           (つづく)
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二度目のロンドン18 大英図書館②

2024-01-21 10:42:33 | Weblog
大英図書館内のショップには、オリジナルグッズが豊富に売られている。上の写真のものはその一つ。「BRITHISH LIBLARY」(大英図書館)と焼き印が押されたUSBメモリ。8ギガバイトで12.75ユーロ(当時のレートで約1555円)だった。
 外側の木質は高級家具によく使われいるメープル材。滑らかでやわらかな手触りだ。高級感もある。蓋にはひもがつけられる金属の輪が付いており、しかも強力な磁石が内臓されている。蓋が簡単に閉められ、なめらかに開けられるように工夫されているようだが、磁力を帯びていると、いろいろと不都合も出そうで若干不安。今のところピン止めがくっついているくらいで実害はない。

【貴重な展示が無料・バッハからビートルズまで】
半地下の入口で荷物検査を受けた後、入館。なかは吹き抜けで明るい。日本の国立国会図書館のようなシーンと静まり返った特殊な雰囲気はなく開放的です。入場無料で基本的には誰でも入れます。

常設展示の部屋が結構なボリュームです。ガラスケースに恭しく飾られているのは世界史の教科書に出てきた『マグナカルタ』の1215年発行の10年後の改訂版です。これは日本の鎌倉時代頃に作成され、いまのイギリス国でも一部、効力を発揮している法典です。古くて大きくて、いかめしい感じです。

ほかに貴重な書物が痛まないように光を落とした部屋には『不思議の国のアリス』の作者の書いた直筆イラスト、ビートルズのレコードや手紙、バッハをはじめとした有名作曲家の直筆楽譜、大航海時代に作成された世界地図、日本の古書や江戸時代の絵画もありました。

展示室内は貴重書の保存のために17度から19度に保たれていたので、夏で薄着の私にはえらく寒かった。でも見ごたえ十分で、これらが無料! と大興奮でした。
展示は定期的に替わるとのことなので、同じものが並んでいるわけではないでしょうがおすすめです。

【優雅で趣のある吹き抜けのラウンジ】
吹き抜けの壁際にはガラス張りの書棚が1階から階上までどん、とそびえていて気分が上がります。それを囲んだそれぞれの階ごとの廊下というかテラスには誰でも利用可能な机とイス、それにフリーWi-Fiと電源もあり、コーヒーなどの持ち込みも可能。喫茶店より便利です。それほど混むことなく、勉強したい人、憩いたい人が自分の持ち物を拡げて書斎替わりに利用していました。ここも無料。

各所にカフェもあり、さらにオリジナルグッズが置かれたショップもあって、ちょっとお高めですがオリジナルの文房具はなんともおしゃれ。私も「BRITISH LIBRARY」と焼き印が押されたUSBメモリスティックと、館内の蔵書の閲覧室では鉛筆しか使えないので、鉛筆と鉛筆削りを買いました。いい記念です。
           (つづく)

※前回の二度目のロンドンの副題を大英図書館と書くところを、大英博物館と書いておりました。1月22日に訂正いたしました。
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二度目のロンドン17 大英図書館①

2024-01-14 16:04:04 | Weblog
写真はセント・パンクラス駅を横からみたところ。正面とその右隣りに接したキングスクロス駅は混んでいるが、それ以外の面はとても静かだった。
 ちなみにキングスクロス駅といえば、ハリーポッターの「9¾番線」。実際にはないホームだが、無料の撮影スポットが用意されているので、ハリーポッターファンはいく価値大である。

【ヴィクトリア朝の駅舎でタイムスリップ】
住まいにも慣れてきたところで、いよいよ大英図書館へ。憧れの場所です。私の高校の時からの夢は「ライブラリアン」つまり図書館司書でした。まだインターネットがない時代に、ここでは他に先駆けて、ちゃんと手続きを踏めば、所蔵図書の貸し出しや複写の送付をほぼ実費で請け負っていました。

 それこそ正確な知は書籍に集約されていた時代に、いつでもどこでもだれでもが平等に情報にアクセスできるための知見を営々と構築しつづけている場所、それが大英図書館だと、1980年代末に大学の図書館概論で教えられました。

ロンドン北の郊外にあるセント・パンクラス駅を降り、物乞いやパフォーマーに引っかからないように駅舎を出て注意深く歩こう振り返って、まずびっくり。
 赤レンガにアクセントで入る白い石灰モルタルのライン、アーチに組み込まれた丸ガラス、そしてお城の塔のようにそびえ立つ大時計台を持つ駅舎が、とにかく豪奢でまるで宮殿から出てきた気分になりました。

 1868年開業。ヴィクトリア朝ネオゴシック様式とよばれるもので当時の鉄道会社がロンドン市内に延伸し、会社の顔になるように設計した駅舎とのこと。

東京駅の開業が1914年ですからさかのぼること約半世紀前からある現役の建物です。東京駅を設計した辰野金吾もロンドンに留学しているので、この駅舎も見たことでしょう。最近ではロンドンの駅舎も東京駅の参考になった可能性もある、と指摘されています。さらにセント・パンクラス駅開業の10年後には駅舎脇に豪華ホテルが併設されています。東京ステーションホテルを彷彿とさせます。

ヴィクトリア朝時代村のような景観から道路を一本挟んだところに大英図書館本館がありました。セント・パンクラス駅の赤レンガの雰囲気に調和したたたずまい。こちらは1997年の建築。大英博物館からの所蔵と現代も出版され続ける書籍の納本制度によって集められ続ける書籍の多くが収蔵されています。
                     (つづく)
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二度目のロンドン16 ケンジントン宮殿のなかへ 下

2024-01-07 15:44:24 | Weblog
サンクンガーデンを囲むイングリッシュガーデンに欠かせないバラアーチの木立の隙間から見える景色。宮殿や広大やハイドパークに連なるケンジントンガーデンズのさらに端っこの意外と目立たない位置にあるサンクンガーデンからは、見慣れた公園(ケンジントンガーデンズ)が不思議とおもしろく見えてくる。宮殿前の木々の刈り取り方もまるで、京都の銀閣寺の砂の形のように、気取っていた(写真①)


前回と同じ写真で恐縮だが、ケンジントン宮殿(北東)前のサンクンガーデン(写真②)。1908年に造られた一角で17世紀ハノーバー朝の庭園を模したものだという。ダイアナ元妃がよく散歩した庭として、大切にされている。
宮殿の前から写真左上の緑の盛り上がりがバラのアーチ。写真①はその隙間からケンジントンガーデンズのほうを見たもの。

【プライベート空間がない!】
 宮殿内の出口にくると、写真入りのカレンダーやメモ帳などのお土産コーナーがありました。その減り具合やグッズの多様さ具合で王室の方々の人気の度合いがわかってしまう残酷さ。ただ、そこに生まれただけなのに王族は大変です。

 宮殿の外に出ると長蛇の列でした。朝だから、すんなり入れたのですね。
しかしこれほど観光客でごったがえす宮殿が現在も王族らが暮らす場所とは驚きです。あまりに気軽に入れるし、奥に入れなくても隙間から庭などが見えるくらいなので王族が暮らす場所は別の場所では、と常識的に考えるとそういう判断に落ち着きます。

 ところが当時は本当にウィリアム王子一家もヘンリー王子一家もそこで暮らしていたのです。驚きました。実際、そこで暮らすヘンリー王子婦人のメーガン妃の赤ちゃんの抱え方があぶなっかしいだの、服がどうだのと、私が住んでいるマンションの入口や鉄道駅に山積みされた無料のタブロイド紙で、連日写真入りでおせっかい極まりない指摘を載せていました。

その後、ヘンリー王子一家は国外へ(ご存じの通りその後ますます変な方向に)、ウィリアム王子一家も2022年9月に主な住まいをウィンザー城へと移しました。ウィリアム王子は子供の教育的配慮のために引っ越した、と説明されているようですが、むべなるかな。プライバシーがなさすぎたんですね、やっぱり。
(ケンジントン宮殿にスタッフは今も居住し、ウィリアム王子一家の生活の場として維持管理されているそうです)

【サンクンガーデン】
さてこんなお城の出口前だというのに、とても静けさ漂うまとまりのある小さな庭園がありました。レンガの敷石にバラのアーチや勿忘草などの小さな草花の植え込みが美しい空間。

 そこがサンクンガーデンという名で、ダイアナ元妃がよく散歩していた場所だと後に知りました。私が訪れた2年後の2021年7月に二人の王子によって始まったプロジェクトによってダイアナ元妃の銅像がここに設置されたのです。二人の王子も除幕式に出席された映像は二人の関係が不穏な時期と喧伝されていただけに、記憶にとどまっています。
                       (つづく)

※今年もよろしくお願いします。心を寄せる場所へ思いを馳せつつ、日常を大切に過ごすことも大切だと感じています。
 少しでも気持ちを明るくしたいときにほっとできる場所。ここもその一つになれたらうれしいです。
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