3月29日。
早朝にも関わらず、チェンマイ空港ではたくさんの人たちに見送ってもらった。
しかもまた、たくさんのプレゼントをもらった。
その中には大きな花束やずっしりとした花輪もあって、うれしいけどちょっと困った。だけど、そういう計算をしないところがタイ人らしくていいとも思った。
この日は、みんなの前でわたしは泣かなかった。泣くタイミングがつかめなかったからだと思う。
基本的にわたしは、いちばん最初に泣き出す人ではなくて、誰かが泣いたら泣いてしまう、もらい泣きの人だ。
だから多くの学生に囲まれて、写真を撮ったりプレゼントをもらったりして愛嬌を振りまいているうちに、そんなタイミングを逃してしまったのだろう。
ただ最後に一つ、予想していなかったことが起きた。
みんなの笑顔に見送られ、イミグレーションを通過したとき、あるメロディーが耳に入ってきた。
そこには小さなテレビがあって、時刻はちょうど朝の8時だった。
いつものように、本当にいつものように国歌が流れていたのだ。
それは何十回と聞いたメロディーで、わたしがいちばん知っているタイの歌だ。
最初はただの他所の国の国歌に過ぎなかったのだけれど、今ではそれなりの思い入れがある。タイ人ではなくても。
国旗もそうだ。もう二度と、トリコロールと見間違えることはないだろう。
出国のスタンプを押してもらい、手荷物のチェックを受けている間、国歌は流れていて、わたしはその流れに乗らなければいけなかった。だけど本当は、ちゃんと静止をして聞いていたかった。
日常的に聞いていたあのメロディーを、もう聞くことはなくなる。
そんな事実が胸に響いてきて、少しだけ泣いた。
この二年間わたしを支えてくれた学生や同僚、耳になじんだ国歌に見送られ、まだ涼しさと静けさを残す朝のチェンマイを発った。
▼関連日記▼
「国歌が流れたら…。」
photo:飛行機の窓から。チェンマイ上空。