All my loving ♪

短歌と猫とポールマッカートニーを
こよなく愛しています

アオザイ

2010年01月08日 21時34分29秒 | Weblog
やはらかな皮膜のやうなアオザイに触るれば吹かむ外つ国の風

あきかぜに繭の記憶を解きつつアオザイわれの肌の上に揺る

アオザイの重さは淡くベトナムに落つる夕陽のひかりの重さ

われもまたアジア人なり黄色の肌と黒髪次の世に継ぐ
黄色=おうしょく

かつて戦火に燃えしメコンの緩流にたつぷり時を持つ子泳げり


命日

2010年01月08日 21時33分41秒 | Weblog
十八で逝きたるきみを思ふとき母ならぬわれの背骨軋みぬ

きみの眸のやうな三日月その眸から零るる光 あすは命日

緩やかなカーブの傍に花は立ち秋に車窓に命日つたふ

ゆつくりと水に広がる墨に似て愁ひひとつが秋を覆へり

ひとつづつ年を取りたる子らの輪の中にあらざる笑顔かなしも

核実験

2010年01月08日 21時32分29秒 | Weblog
核といふカード切りたりしきしまの倭国の背にある国へ向け
(背=せな)
猫がゐて子がゐて親がゐるそんな暮らしに核はいらないでせう

あきぞらにくり返されて実験は来るべき日に実践となる



赤き海

2010年01月08日 21時30分59秒 | Weblog
乳房もつゆゑに不具なるわれの身よ海から生れて海に還れず

わが性をわれに知らしむ乳房は永久に剥がれぬ瘡蓋として

自慰のやうに挽歌を詠めば乳房に海よりも濃きみづの音聞く



ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり
                     (河野裕子)

中部短歌会『短歌』12月号

2010年01月08日 21時30分21秒 | Weblog
この先を木曽と信濃に隔てらる分水嶺のしづかなる水

彼岸会に花を買ひつつ女ゆゑ父母と眠れぬ哀しさの生る

散骨を選ぶしかないわが耳に煩き主婦の井戸端会議

虹は脚、蜻蛉は翅 みんなみんな何かを欠いてこの秋に立つ

奇数ばかりをリモコンに押すわが指の記憶テレビに砂を流しぬ

暗闇を越えねば行けぬ明日のやう中央道の果てにある街

十分の時を隔てて信州に母の見たりしゆふぐれに逢ふ

おとうと

2010年01月08日 21時29分50秒 | Weblog
不幸などありえぬやうな霽月のしたおとうとは鬱病を病む

よき父を夫を息子を演じきし弟のこころに立ちたる反旗
(弟=おと)
長男は家を継ぐもの長女でも女は家をいつか出るもの

跡取りが背負ふ重圧知らぬまま根無しの草として生くわれは

鬱病の弟おもふとき懺悔にも似し感情がかたまりを成す
(弟=おと)

堀辰雄の愛した石仏

2010年01月08日 21時29分05秒 | Weblog
四百年以上をそこに座しゐたる石の仏のまろき立て膝

笹群の闇ざざめかせ吹く風を身にまたひとつ刻みて石は

ぬくもりを持たぬ仏の眸のやさしよるべなきこの叢にさへ

深緑の苔の天衣を身にまとひ石のほとけは永久に思惟す

目鼻口脆く欠けたる石仏を愛せしひとのモノクロのゑみ

笹群の闇を背負ひて動かざる仏は冬のひかりのごとし



クリスマス

2010年01月08日 21時27分59秒 | Weblog
拍手を打ちさうになる子を制し灯りまばゆき教会に入る

蝋燭の炎のなかに揺れてゐる祖父母の在りしうぶすなの夜

ふたたびを逢えざる人のほほ笑みに満ちて聖夜の灯り優しき

中部短歌会『短歌』1月号

2010年01月08日 21時27分20秒 | Weblog
秋の地に打たれし点のごとくわれ足なき風の先端に逢ふ

朝光と交はりながら掃除機に母はおのれの影を吸ひ込む

真夜ふかく刻み込まれてゆくわれか柱時計の闇を彫る音

死を<柱>と呼べる九段に並びをり戦知らざる横文字のビル

死してなほ過去は残れりのびやかな陽射しに蝉の抜け殻光る

欧米化ばかり夢見てアジアから剥がされてゆく瘡蓋 日本

中部短歌会『短歌』2月号

2010年01月08日 21時26分22秒 | Weblog
   哀しき性欲

ひとりごちながら立ちゐる厨辺にしんしんと積むしろたへの冬

逝きし日とまたそつくりな雪が降るふたりをしろくしろく隔てて

哀しみの寄らば真つ赤に燃ゆるべし風に爆ぜたる真冬の柘榴

きみを詠む挽歌はあをき自慰に似てまた新たなる欲望を生む

われの愛だけしか知らぬ子よママは父とならざるひとを愛せり

想ひ出をなぞるだけでは満たされぬ立心偏に生と書く欲

くれなゐの肌うすらひに透かしゐて枯葉は散りし日のまま凍る

頑として未婚・既婚のどちらにも丸をつけずに出すアンケート

すぎゆきに深くうもるる愛ならば忘れぬやうにあなた産みたし

哀しみが哀しみを呼ぶ寒の夜はいのち継がざる快楽に落ちむ
 (快楽=けらく)



さよなら

2010年01月08日 21時25分26秒 | Weblog
2004年4月4日。
午前5時26分。
昨日の服を着たまま寝てしまった私の耳元で、携帯電話がなった。
数日前に着メロ設定したばかりの美しい曲。
表示された発信元は「軽井沢病院」。
彼の危篤を知らせる電話だった。
私はこの電話が永遠に来ないことを祈っていた。
でも、時間は止まってはくれなかった。

服も着替えずに車に向かう。
外は春だというのに一面の雪。
この天も地も分からないような日に、あなたは空に帰っていくのね・・・
病院なんかに行かず、このまま雪の中に消えてしまいたかった。

病院に着くと、彼の家族はまだ来ていなかった。
「耳はね、最後まで聞こえているから、呼んであげて」
看護婦さんにいわれるままに、声をかける。
「もうすぐお母さんたちも来るから、頑張るんだよ!!」
たしかに頷いた。
彼の耳はまだ聞こえている。
ベッドの横に座り、私は彼に話し続けた。

「ねぇ・・・。私、あなたの気持ちずっと分からなかった。何を考えているか分からなかった。こんなに体悪くしてまでパチンコや麻雀やって。最低の男だって思ってたよ。私にいっぱい迷惑かけて、どうしようもない男。でも、私には最高の男だった。愛してるよ・・・・」

今までどうしてもいえなかったことを伝えた。
今、いわなかったら後悔すると思った。
彼はすでに下顎呼吸に変わっていた。
「生まれ変わったら・・・・」
私は最後の言葉を飲み込んだ。

約束はしないよ。
約束は相手を縛るものではなく、相手を信じるためにするものだから・・・
約束を破るのが得意なあなただものね。
もう悲しい思いをするのはたくさん。

前日、私は彼に会っていない。
彼の別れた娘さんが九州から来るということで、私は看病休みをもらっていた。
昼過ぎに電話がかかってきた。
もう呂律の回らない口で「ありがとね・・・ありがとね・・・」ばかりをくり返す彼。
いいんだよ、もういいの・・・・
それが彼の声を聞いた最後だった。
きっと彼は命を振り絞って、一生分のありがとうをいってくれたんだろう。


穏やかに息を引き取った彼を見送るために外に出る。
入院した時のように、正面玄関から元気になって出てほしかった。
あんなに帰りたがってた家にやっと帰れるね。
でもあなたの魂はもうこの世にはない・・・

外は朝と変わらず雪が降り続いていた。
卯の花のような雪。
ひとひとりの命が失われても何も変わらない。
時の流れも、ひとの生活も、そして私も。
その事実が重く、悲しかった。


この日からすでに3年近くの時が流れた。
あなたの名前が会話に出なくなってどれだけたつんだろう。
忘れられてゆくひと。
埋もれてゆく記憶。
でもね、私はあなたを忘れたことなんてないよ。
生まれ変わったらまたあなたを愛すとは限らないけど、私が生きている限り心のどこかであなたを愛し続けているよ。

あなたは私の手を離してくれたんだね。
自由に飛びたがっていた私。
あなたといる限り、幸せにはなれなかった私。
でも、どんな不幸になっても一緒にいたかったよ。

今やっといえる。
さよなら。


きみからのさよならわれのさようなら遠き地平にやっと重なる

鬼の子

2010年01月08日 21時24分25秒 | Weblog
ランドセルピンクを赤に塗りつぶしたいと毎朝子の泣く四月

じやんけんをせぬまま鬼となりし子のひとみが赤く光れる五月

水たまりひとりふたりと吸ひ込みて二度と扉の開かぬ六月

かごめかごめ消えたる声に振り向けば影のみ長く長く七月

夏休み日誌に嘘を描いたから家からだれも出ない八月

いつまでも大縄跳びに入れない子にゆふぐれの手が伸ぶ九月

鬼の子の椅子はなくなり教室はへのへのもへじばかり十月

小芥子彫り体験入学。小芥子とは子消しがゆゑと知る十一月

誕生日ケーキの上にトナカイやサンタが笑ひゐる十二月

学校に行きたくないといへぬままひとひブランコ揺らす一月

鬼は外 家でも鬼と呼ばれたる子の影の上に雪降る二月

かくれんぼせしままゐなくなりし子に誰も気づかぬままに三月


ふたり

2010年01月08日 21時23分15秒 | Weblog
割り算の余りのやうな恋をせり数式にすらなれぬふたりが

ひとつ手に入れればひとつ失ひて手は哀しみをつねに握らむ

声高に呼べど返らぬ古井戸をその身にもちてゐるのかきみよ

長い長い後書きのやうな言い訳をするきみといふ本を閉ぢたり

千切れ雲の速さでよぎる想ひ出を遠く見送るこの夜もまた

知らぬ間に半ばとなりしわが生は風に繰らるるページにも似て

文法の間違いその4

2010年01月08日 21時22分31秒 | Weblog
「は」と「が」について(1)

日本語には、

私は大野です
私が大野です

というふたつの「主語・述語」の形がある。
日本語のセンテンスの構造を理解するためには、「は」と「が」がどんな働きをするのか、「は」と「が」はどこが違うのかをよく見極めること。
まず、「は」から始める。


「は」の働き
①問題を設定して下にその答えが来ると予約する

日本語の「は」の役目から代表して4つを取り上げる。
その第一は、「は」は「話の場を設定する」「題目を提示する」ということだ。
「は」は「問題を出して、その下に答えが来ることを予約するのが役目だ」といえる。

山田君は(1)ビデオにうずもれて暮らしている。
彼は(2)ビデオテープの山の中に自分の記念碑を建てている。
それを繰り返している間は(3)試験に受からないだろう。

(1)山田君は(どうしているかというと)暮らしている。
(2)彼は(何をしているかというと)建てている。
(3)それを繰り返している間は(どうなるかというと)受からないだろう。

(1)と(2)はヨーロッパ語流の「主語・述語」の型としても考えられる。
しかし、(3)はヨーロッパ語の文法では「主語・述語」とは考えない。
これは主語のような「動作の主」を示すものではない。
日本語では(1)も(2)も(3)も「は」の用法としては実は同じ型なのであって、「は」は動作の主だけをいわず、その「は」によって場の設定をし、下でそれについての新情報を加えるのだ。
「は」の下の答え(新情報)はどれかと求めるのが日本語の文章を読むコツであり、それは基本的にはその文章の結びの一句となる。


②対比

「は」には、第二の使い方がある。

山田さんは碁は打つが将棋は指さない

「山田さんは」とまず話の場を設定する。
その答えは、実はそれ以下全部である。
その答えの中に「碁は」「将棋は」とふたつの「は」がある。
この「は」は、碁と将棋のふたつのことを向かい合わせる役目をする。
こういう、問題を提示する「は」につづいてすぐ出てくる「は」を「対比のは」という。

私は犬は嫌い

とある時は、「私は」の「は」の答えは「嫌い」である。
「犬」は「嫌い」の対象物であるが、「犬は」の「は」は二つ目の「は」であるから「対比のは」となる。
ここには「犬は嫌い」とだけあって、「猫は・・・・」と並べて書かれてはいない。
しかし、「犬は」とあるだけで、「別の何かは(好きだけど)」が裏にある。
つまり、ふたつ並んで出てきた二番目の「は」は、そのあとに三番目の「は」がつづかなくても、ひとつだけしかなくても、たいてい何かとの「対比」になる。
表面に表していない背後に、何か対比がある。
対比には必ずしもいちいち答えはなく、「Aは」「Bは」と較べるだけだ。
これが「は」の第二の役目である。


③限度

「は」には第三の使い方がある。

(1)お寿司をふたつ、六時に持ってきてください
(2)お寿司をふたつ、六時には持ってきてください

(1)はただ「六時に」と時間を指定するだけだ。
(2)は「は」が加わって、時間の限度を明示している。
「六時には」といえば、「六時が限度」「六時までに遅れないで」という意味になる。

「限度のは」は「「対比のは」の延長上にある使い方だ。
「は」は、本質的に「ひとつのことを取り上げて、他の同類と比較する」ことを役目として、しかもそれとは違うと明示するのだ。
「六時までには」といえば、「六時までならばいいけれど」という意味が裏に見える。
「六時までには」という表現は、「それ以前は」との対比があるわけで、それと「限度」の使い方とは根本は共通である。


④再問題化

「は」の働きを3つ見てきた。
①話題としてひとつのこと(もの)を設定する
②対比する
③限定する

この3つの共通点は何かというと、「は」は自分の上にくること(もの)を、とにかくひとつ選択して、「これは確かなこと(もの)だ、他とは違う」と取り立てることといえる。
次の四番目の働きもその延長上にある。

私が行くか行かないかは分かりません

「私が行くか行かないか(ということ)は」「分かりません」といっているのだから、「私が行くか行かないか」ということが不明なのだと思ってはいけない。
「私が行くか行かないか」ということは、問題として話題として確定的で、ゆるぎないことだと「は」が決定しているのだ。
その確定した問いに対しての答え(新しい情報)として、「分からない」ということが加わったのだ。
つまり、「は」は、事柄・事実が確かだということではなく、問題として確かだというのだ。
これが日本語の「は」という助詞の特性である。

(1)美しくは見えた
(2)訪ねては来た

これは、「美しく見えた」「訪ねて来た」のような「は」のない型と似ている。
ところが、中身はまったく違う。
「は」がひとつ加わると、「美しくは見えた。しかしべらぼうに高かった」「訪ねては来た。しかし、遅くに来た」のように、何らかの留保がついたり、条件がついたりして、(1)(2)は結局、単純な肯定では終わらない。

(3)美しくはなかった
(4)訪ねては来なかった

これは「美しくなかった」「訪ねて来なかった」のような単純な全面的否定ではなく、留保とか部分否定とかになる。
「美しく」「訪ねて」というのは、切れてはいないがそこで一応の判断を下している。
ところが、その下に「は」が加わった。
すでにお話したように、「は」の働きは、すぐ上にあるものを問題として確定したことを設定することである。
(1)(2)や(3)(4)の形は「美しく」「訪ねて」と肯定の判断を一度は確定的に下している。
それにもかかわらず、それを再び「は」で問題として設定しなおした。
それは、再問題化であり、直上の判断に留保条件をつけたり、否定したりすることにつながる。


以上で4つの「は」の使い方をあげた。
話の場の設定(答えが来ると予約)、対比、限度、再問題化。
この4つにはひとつの共通点がある。
「は」は、すぐ上にあることを「他と区別して確定したこと(もの)として問題とする」ということ。
その根本的性格が「は」の特質なのである。



日本語のセンテンスの作り方の最も基本の文型のひとつは、

AはBである
AはBする

という形だ。
そして、「AはB」の関係が明確ならば、読み手はそのセンテンスを全体として明確に読める。
もし「AはB」が歪んだり崩れていたりしていると、そのセンテンスは明確さを欠く。
そのためには、「AはB」の関係が鮮明なセンテンスを書かなければならない。
鮮明なセンテンスとは、「AはB」の関係が明瞭なセンテンスのこと。
ここで鮮明の極地ともいえるセンテンスを出してみる。

花は桜木(花は、何が一番いいかといえば桜木)
人は武士(人は、何が一番いいかといえば武士)

これは昔からある形式で、春はあけぼの。夏は夜。という『枕草子』の言葉は有名。
分かりやすいセンテンスとは「AはB」の形の、AとBとの距離が近いセンテンスのことになる。
「は」と結びの先、終点までがあまり長いのはよくないとされている。
「は」と終点までの距離はなるべく短く。
そして、「は」の行き先を早く明示することが必要。

「AはB」というセンテンスでは、「Aは」の下は一度切れる。
そこに長い中間部が入り、結びが文末に来ると、事例が幾重にも重なり続き具合が不明となり分かりにくい。
中間部を長くしない工夫をすることが大切だ。

英語では He said that ~ のように、最初に枠を示してしまって、後で内容を詳しく述べる。
ところが日本語では、目的とする内容は全部動詞の前に置くのが決まり。
それで話の題目と、判断を決定する動詞(つまり、結び、答えの部分)との間に、長い内容がつまってしまい、読み手は嫌になってしまうのだ。
日本語の「AはB」という基本文型では、「Aは」で一度切れて、文末のBと結ぶのだから、AとBの間は短い方がいい。
この心得は、明確な日本語を書く上で大切なことだ。


文法の間違いその3

2010年01月08日 21時21分26秒 | Weblog
「係り結びについて」

もともと「係り結び」とは、次の呼応の関係をいう。

①「は」「も」が係りとして上にあると文末は終止形で結ぶ
②「ぞ」「なむ」「か」「や」が係りとして上にあると文末は連体形で結ぶ
③「こそ」が係りとして上にあると文末は已然形で結ぶ

このことを一覧表として明らかにしたのは本居宣長である。
が、学ぶ上において①は「普通の終止の仕方」、②と③は「強調の終止」という以上は説明されない。
どうして強調になるのかだけでも分かれば、係り結びがもっと身近になるであろう。

ここで一例として、「ぞ」と「か」の連体形終止を説明しよう。

我が庭に花ぞ咲きたる

この場合、「たる」が連体形である。
これは本来は、

我が庭に咲きたる(ものは)花ぞ

であったのを、「花ぞ、咲きたる」と倒置したのだ。
倒置という方法は、12と並ぶべき言葉を21という逆の順序にして、2を強調する手法。

いはふ杉手触れし罪か 君に遇ひがたき

「がたき」は連体形なので、「難しいこと」の意味である。
これは本来は、

君に遇ひがたき(ことは)、いはふ杉手触れし罪か
(あなたにお会いできないのは、禁止されている神杉に手を触れた罪か)

であったのを、「手触れし罪か、君に遇ひがたき」と倒置したのだ。
倒置は強調の表現になる。
たとえば現代語で、

欲しいのは、本だ

といえば順直な表現。
これを、

本だ、欲しいのは

と倒置すると、「本だ」が強調される。
それと同じ手法が強調のための連体形終止の係り結びの起源だったわけだ。


係り結びの語法が消えたのち、現代語には何もその影がないのかどうか、大野氏は考えつづけたそうだ。
別々のことと考えられていた、係り結びの問題と「は」と「が」の問題。
ある日、大野氏は突然ひらめいたそうだ。

①疑問詞(誰・いつ・どこなど)を承ける係助詞がある。
  も・ぞ・か
②疑問詞を承けない係助詞がある。
  は・なむ・や・こそ

①を見ると、誰も、いつも、どこも。誰ぞ、いつぞ、どこぞ。誰か、いつか、どこかという使い方がある。
だが、②では誰は、いつは、どこは。あるいは誰なむ、いつなむ、どこなむなどという使い方の古例はない、
つまり、係助詞は下だけを見ていてはいけない、上も見るべきだ。
その係助詞が何を承けるかを見るべきなのだ。
係助詞には、疑問詞を承けるもの、承けないものという二種の区別がある。
これは係助詞の本質にかかわることに違いないと考えられたそうだ。


ここに、現代語の構文の特徴である「は」と「が」の使い分けが浮上する。
「は」と「が」を文の主にする語法は、古来あったのではなく、係り結びが滅びた頃に姿を現した。

①「が」は疑問詞を承ける(誰が、いつが、どこが)
②「は」は疑問詞を承けない(誰は、いつは、どこはといわない)

この相違は、係り結びの①と②の相違に相当する。
してみると、係り結びが消えた時、それが荷っていたひとつの役割、①疑問詞を承ける助詞によって文をつくる、②疑問詞を承けない助詞によって文をつくる、という大事なことは、次代では「が」と「は」によって継承されたのではないか。

言い換えれば、現代日本語では、文の主の下に「が」を使うか、「は」を使うかのどちらかだが、それには次の原則がある。

①「が」の上には、疑問のこと、未知のこと、新発見と扱うことを据えて構文の主とする。
②「は」の上には、話題としてすでに知っている、知られていると扱うことを据えて構文の主とする。「は」の上を分かっているものを扱う。

本が部屋の隅にあった

とは、部屋の隅に(未知の、気づかなかった)本というものを発見したということ。

本は部屋の隅にあった

とは、前から探していた本は部屋の隅で発見されたということ。

一言でいえば、「が」は上の「物や事」を未知・新発見のものとして扱う。
「は」は上の「物や事」を既知のものとして扱う形式である。

別の例でいえば、

私が大野です

といえば、前からみんなで探していた大野という人物はどのひとであるかが未知だった。
その人物は「私」であると、「私」を新情報として名乗る形式。

私は大野です

といえば、「私」はすでにひとの意識に上がっている存在として提示されていて、そのひとはどんな名であるかが未知である。
そこで、「大野です」という新情報が加えられた形式である。


「は」と「が」については、次の記事で詳しく説明したいと思う。