摂食障害の子を持つ親のブログ

みんなで語り合いましょう!

久しぶり・・

2007-03-14 17:29:28 | Weblog
息子が帰ってきた。
ほんの少し見ないだけなのに顔や雰囲気が変わっていた。
大人っぽくなったような気がする。
 
今日も免許の更新に出かけたが、さっさと段取りし
わたしを起こすこともなく早朝家を出て行ったようだった。

昨日「お土産」と言って手渡されたのはウィンザー城で買った
衛兵の格好をしたテディベアー。
むくげで目が隠れてしまいそうな可愛いお人形。

ここまでくれば、わたしと夫は応援団。
後方支援はするが、先頭きって走ったり
手を引いたりはしない。
また、そんな体力も気力もないのが現状だ。

これからは、遊んで学んで旅をして・・・
夫と人生を楽しもうと思う。


息子帰る・・・ 娘は・・・

2007-03-12 19:04:53 | Weblog
先日イギリスから帰国した息子は、その日帰ってこなかった。
夕方到着予定だったので、今か今かと連絡を待っていたが、
待てど暮らせど、着いたという電話すらかかってこない。

夜11時過ぎ、業を煮やして息子の携帯を鳴らすと
「無事帰っているから・・・、友達と会ってる」と息子
電話くらいかければと喉まででかかったが、ぐっと押さえ
無事ならいいよと電話を切った。

それから今日まで音沙汰がなかったが、
運転免許更新のため帰ってくると電話がかかった。

その間、実家の母宛に、欲しがっていた老舗のケーキが送られるなど、
息子らしい気の利いた荷物が送られてきており
元気だろうと思ってはいたが、
いざ帰ってくるとなると本当に嬉しい。

イギリスでは、ツアーに入らずとも
お気に入りのバンドのライブに行ったり
パブに出かけたり、十二分に楽しんだらしい。
泊まったユースの4人部屋では、
毎日違う国の年代の異なる人と同室だった。
その環境で何とかやれたことが大きな自信になったようだ。

どんどん、息子の親離れが進んでいる。
しかし私の子離れは思うように進まず、
どうしているだろうと、息子のことを日に何回か思い出す。

娘も、研修医になってまもなく一年が過ぎようとしている。
進みたい分野も決まり、毎日叱咤激励されながら
忙しい毎日を送っているらしい。

私の病気以降、二人の子の親離れが急速に進んだ。
私は私の人生を生きていくときが来たようである。

春からの私の人生の第二のスタート、今は助走の段階である。










今夜はおでん

2007-03-03 21:28:13 | Weblog
何も特別なものはなく、夕飯のお惣菜が並ぶ夫と二人の食卓。
おでん、ほうれん草のおひたし、もやしと厚揚げの煮物、
レンコンの天ぷら、貝柱と玉ねぎのかき揚げ。
いつもより品数が多いのは、ひょっとしたら帰ってくるかもしれない
息子のためのおかずも考慮して。
 
今日、息子がイギリスから帰国するらしい。
親孝行を飛び越して爺婆孝行の息子がお土産話を携え
帰省するのではないかと予感している。

帰ってくるときは、いつも前もって知らせずいきなり・・・。
そこで親が驚くのが何より嬉しいらしい。
今夜も夫と驚いた顔で出迎えることとなりそうだ。
やはり馬鹿親である。

しかし、子育てとは喜び多きものである。

快気祝い

2007-03-02 17:03:59 | Weblog
抗がん剤の治療が終わった。
告知を受けて半年。
長い長い時間がたったような気がする。

告知、手術、放射線療法、抗がん剤と経過をたどったが、
何より抗がん剤が一番辛かった。
もう二度とこんな思いはしたくないと思った。

二月いっぱいで治療の関所を超え
ようやく娑婆に復帰した。
会いたかった友と会い
出かけたかった場所に出かけ
花を愛でたいと思う。

我が心の花、子供たちの顔も見たい!

イギリスへ

2007-03-01 21:57:03 | Weblog
息子が、イギリスに行っている。
一日のうち一度はどうしているかなと思う。
夫も同じらしい。親ばかである。
急に思い立って行ってしまったようだが、
ツアーではなく、安チケットを買って
ユースホステルの会員証を作って出かけたらしい。
はっきり言って心配だが、やせ我慢してひたすら帰ってくるのを待っている。
向こうからは、着いたとも知らせてこない。親の心子知らずである。

親友にこれを話したら、それでいいのだといった。
親の思うような子にならなくて、息子は偉いというのだ。
何だかよくわからないが、私も息子はこれでいいと思えた。

年明け

2007-01-08 19:52:31 | Weblog
久々のブログ更新。
今年もよろしくお願いいたします。

去年の8月に乳がんの告知を受け、
ブログどころではなく過ごした4ヶ月余り。
あれこれいろんなことがあって語りつくせないけれど、
今は、「生きることが、私の一番の仕事」になった。

と言っても、お気楽にノンビリと過ごしている。
患者仲間とは密に連絡を取り
孤独に陥ることなく互いの情報交換ができるし
医学的にわからないことは、いつでも医師の娘や妹に相談し
不安をすぐに解消できる環境にいるからだ。

現在は完治のための抗がん剤治療中で、毎日が日曜日。
のんびりと本を読んだりテレビを見たりしている。

治療に専念できるのも子供たちが成長したおかげだ。
ひょっとしたら、子供たちの成長を
病気が待っていてくれたのかもしれないと思う。

長い長い人生の疲れを癒す時期と捉え
ゆっくりゆっくり養生していこうと思う。



夏休み

2006-08-10 21:12:31 | Weblog
息子が帰ってきた。
筋肉のついた腕と、よく日に焼けた精悍な顔つき、すっと伸びた背筋が、一段とたくましくなったことを感じさせる。

帰る早々、
「うまくいかないことを誰かのせいにしているうちは、まだまだ子供だね」
といっぱしのことを言った。どうやら、自分のことを自分で引き受ける覚悟ができたらしい。

大学二年の夏休み、友人と富士登山に出かけたり、一人旅を計画しているらしい。
将来の夢に向けた勉強も、一時はスランプに陥ったものの
生活リズムの見直しや自炊で体調を整え、
その後は至極順調に両立ができているらしい。

ふるさとの友人たちが、専門学校を卒業して働き出したり、
大学3年で就職活動に向けて動き出したりしているので、
遊ぶ相手がいなくて暇をもてあましている。


そんなことで、仕事の合間を縫って息子と二人、
ショッピングやお茶に出かけたりすることになる。
以前のような一方的な前面受容の接し方ではなく、
互いに言いたいことを言いたいだけいい、
こちらの都合に息子が合わせてくれたりという
自然体で穏やかな関係が嬉しい。

娘のほうは、相変わらず忙しく働いている。
秋には一週間の休みがもらえるらしい。
「帰ってくるの?」と聞いたら
いろいろ計画があるらしく、その気はなさそうだった。
子供元気で留守が良い!

猛暑の中、人生の夏休みを楽しんでいる夫と私だ。





休日

2006-07-17 20:30:47 | Weblog
久々の休日。
たまった仕事をかたづけながらのんびりすごしている。

息子のほうは、「五月病」からすっかり回復。
心身の疲れを取って、目標に向かい、また新たなスタートを切ったようだ。
自力で、学校に通いながら乗り越えたのだから、たいしたものだ。
ほとんど連絡もないが、こちらから用事があって連絡すると
忘れたころ連絡をくれる。
ほとんど、仕送り以外の、親の援助を必要としないところまできたようだ。

娘の方も、なんだかんだと言いながら研修医を三ヶ月を勤め上げ、
それなりの自信もでてきたようだ。
落ち込んだときには電話があるが、それ以外は音信不通。
こちらも良い塩梅である。
30代まであと二年、「婚期を逸しないようにしないと」と言っていたが
仕事に追われてそれどころではないらしい。

子供たちは、確実に育ちなおしの階段を駆け上がっていった。
その復元力には、目を見張るものがある。
今の私たちの役目は、見守りと何かあったときの対処であろう。

平凡な日々にただただ感謝である。
これからも「目には見えない、子供たちとの信頼感や絆を大切にしてゆきたい」


良い子

2006-06-22 22:52:08 | Weblog
奈良で、痛ましい事件が起きた。
焼死した母子も痛ましいが
逮捕された長男も、また不憫で痛ましい。

誰もが「良い子」であったと口々にいう。
「彼がなぜ?」と周囲は疑問を口にする。

彼は、「心の居場所」をもてていたのであろうか。

子供は、本来自分勝手である。
成長の過程で、協調性や社会性を獲得し、
大人になっていくのだ。
大人でも、これらが身についていない人は数多く居る。

それらを、年端も行かぬころから身に着けて振舞う子達は
ずいぶん「無理」をしているのではないだろうか。

「無理」は、長い年月積み重なって、ある日閾値を越える。
それが、思春期の不安定な時期にさしかかったときに重なれば、
相乗効果となって悲劇が起きることにつながりかねない。

親が求める「良い子」は、子のためか?親のためか?


子も親も、無理なく「今」共に居ることを楽しみながら
ゆっくり丁寧に、毎日を積み重ねて生きたいものだ。





発達の道筋

2006-06-17 22:44:06 | Weblog
二人の子供たちに、エリクソンの発達課題を基に、「育てなおし」を行ってきた。二人の子は医師と大学生になったが、これでゴールではない。

「育てなおし」は、子供たちがそれぞれのアイデンティティを獲得できるようになるまで続く。姉は、医師として職業を確立したが、弟はまだ道の途上。

どちらもおおよそのアウトラインは決まっているが、それぞれの人生に、時折小さな障害はおきる。そのたび親に対して何らかのサインや働きかけがあるように思う。

その時の親の態度が肝要だと思う。もうここまで育ったから大丈夫と、たかをくくって突き放さず、気持ちに寄り添い、よく話を聞いてやることが大切だ。

関わりすぎず、向こうからの働きかけがあれば親身に話を聞く。意見をしたり何か解決策を講じるより前に、とにかく話を良く聞くことが大切だ。

子供たちは依存と反抗を繰り返しながら、螺旋階段を上るように成長を遂げていく。それは見事だ。

「育てなおし」や「受容」は、年齢が若いほど効果があると聞く。思春期になる前にこれがクリアーされれば親も子も苦労しなくてすむと思う。

私が始めたのは、上がもう22歳下が15歳だった。息子には早く結果(積み残した発達課題をさかのぼってクリアーする)が出た。しかし、姉のほうも苦労はしたが、親だからあきらめず辛抱したら、何とかその念がつうじたように思う。繰り返し繰り返し振り出しに戻ったように思えることも多々あったが、少しずつ少しずつ根雪がとけていき、雪の下の美しい花が顔を出した。

今も、姉弟どちらも、時々小さな反抗と依存がある。ほんの少し。そのたび、また親子力を深めるチャンスと思いその言葉に耳を傾ける。

時には傾け損なって失敗することもあるが、また気を取り直して一生懸命聞く。以前のような緊張感や危なげのなさは皆無。安心して失敗もできる状況だ。

こんなとき子供たちの心が弾力を持ってきたと感じる。うれしい限りだ。