まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『とんがりモミの木の郷』贈り物のような物語

2019-12-04 18:36:50 | アメリカの作家
THE COUNTRY OF THE POINTED FIRS 
1890年 セアラ・オーン・ジュエット

相変わらず新しいパソコンが使いこなせずにおります・・・

セアラ・オーン・ジュエットは『レズビアン短編小説集』に収められている
『マーサの愛しい女主人』しか読んだことがないのですが
すごく気になっていました。
それで書店で見つけた時、嬉しくて嬉しくてダッシュ買いです。

この本には他に5篇の短編が収められているんですけど、この『とんがりモミの木の郷』が
半分以上を占めていますし、なにより素敵だったのでまずこちらだけ紹介します。

作家と思われる主人公の女性が、以前訪れて心惹かれた海辺の町
ダネット・ランディングを再訪したところから物語が始まります。
彼女は一夏をその町で過ごすため、ミセス・トッドの家を下宿先に選びました。

物語は21章から成り立っていて、各章に魅力的な人物やエピソードが登場します。
全部紹介できると良いのですが日が暮れてしまふ・・・ということで
ものすごく好きだった章をいくつか書いてみます。

8章の『グリーン島』
ミセス・トッドの母が暮らすグリーン島をボートで訪れます。
86歳の魅力的なミセス・ブラケットとの素敵な一日が始まります。
グリーン島でのエピソードは、11章の『老いた歌い手たち』まで続きます。

13章の『気の毒なジョアンナ』
ミセス・トッドの夫のいとこで、恋に破れて貝塚島という無人島で
独りでで暮らして生涯を終えたミス・ジョアンナ・トッドのエピソード。
15章の『貝塚島で』まで続きます。

20章の『海岸に沿って』
人気のない海岸を歩いていて出会った老漁師イライジャ・ティリーの家を訪ね
八年前に亡くした妻がいた時と同じように暮らしている老人から
亡き妻の話を聞きます。

お話は21章で女性が汽船で島を発ち、島影が見えなくなるところで終わります。
ミセス・トッドでなくても泣けてくるね・・・

大事件がおこるわけではないけれど、島独特の日々の出来事が
とても優しく穏やかで、ついこの島を訪れてみたくなります。

大勢の親戚・姻戚たち、不思議な言い伝え、海風を読む人々
平穏な日々と厳しい自然、冬の間靴下を編む漁師たち・・・

モームが描く南洋の島も魅力的ですが、北方の島の人々の寡黙さと勤勉さは
なんだか心にジーンとくるものがありますね。
そんな島の人々の暮らしを、愛おしい目で見つめながら描いた
日記と呼ぶには美しすぎる作品でした。

解説を読んで驚いたよ!この作品の舞台は(モデルはあったかもしれませんが)
架空の島だそうです。 すごいですね。
しかも連作があるらしい・・・早く翻訳がでないかしら。

とにかく、2019年の今、セアラ・オーン・ジュエットを発行してくださった
河島弘美さまと岩波書店に深謝です!!

新たな翻訳本を心待ちにしております
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね




ひとことお笑いコーナー
アンタッチャブル!! 嬉しかったよぉ 何度も見ちゃったよぉ 完全復活といっていいのでしょうか?
むかし柴田さんの動物ブログをフォローしてたんだけど、今はやっていないのかしら? おもしろかったよね
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『スーラ』誰が主人公か悩むわ・・・

2019-10-25 21:47:20 | アメリカの作家
SULA 
1973年 トニ・モリスン

トニ・モリスンは数冊しか読んでいないので大きなことは言えませんが
『スーラ』はいつになく身近な内容に思えました。
もちろんありがちな話ではないのですが、突拍子もない設定や
時代が何代も遡るという流れではなくて、日常的な展開の物語でした。

ただ日常的とはいっても、何度も盛り上がりのあるドラマティックなストーリーです。
けっしてありふれた町の暮らしの話ではありません。

メダリオンのボトムという黒人が多く住む集落が舞台で
スーラ・ピースとネル・ライトという少女が親友になり、大人になっていくお話です。

ドラマで女同士の友情が描かれていると、たしかに、途中でけんかしたり
同じ人を好きになって気まずくなったりするものですが
だいたい「やっぱり友だちが最高よね!」てな感じで終わるものですよね。

この物語の中でも同じようなエピソードがあるのですけど、かなり激しいです。
うーん・・・説明するのもあらすじを書くのも難しい・・・

何人かの女性が登場しますが、みなキャラクターが強くて
誰が主人公でも物語が一冊書けそうです。
とりあえずその人たちを紹介してお茶を濁しちゃおうかしら・・・

まずエレーヌ・ライトが登場します。
ネルの母で、クレオール人の娼婦を母に持ち、祖母に娼館から連れ去られて
母親から隠されて育ちました。
完璧な妻でと母であろうと務め、ネルを愛情というよりは義務として厳しく育てます。

エヴァ・ピースはスーラの祖母で、家族の絶対的権力者です。
夫に捨てられ極貧の中三人の子を育てていましたが、子供を隣人に託して出て行き
一年半後に戻って来た時には、片足を失い、大金を携えていました。

ハナはエヴァの次女で、スーラの母。
夫に先立たれエヴァの世話をしながら暮らしています。
地味で飾り気のない女性ですが、とにかく男好きする女性で
町中の妻たちの怒りを買っていました。

そしてネル、スーラの親友です。
「友だちを作るな」という母親に初めて反抗してスーラと友だちになりました。
激しい気性のスーラと対照的ですが、実はスーラを支配するところがあります。

スーラは大家族の中でほったらかしにされて育ちました。
人の死に立ち会ってもを表情を変えないようなところがありますが
ネルのために自分のからだを傷つけるような激しさを持っています。

女性陣だけでもエピソード満載なのに、さらに一癖も二癖もある男性陣が多数
スーラやネルに絡んできます。

結果的に言うと、スーラとネルの友情は壊れます。
スーラは町中の人たちに嫌われ、病気になっても薬代にも事欠き亡くなります。
しかしスーラが亡くなったことで、町の人たちに大きな悲劇が起こります。

とにかく事件がいろいろありすぎて書けないんだけどね。

おもしろかったのは、なんだかんだいってスーラもネルも
あまり愛情を抱けなかった母親のような女性に成長していたみたいな気がしたことです。

トニ・モリスンが女同士の友情を描きたかったという物語ですが
正直ヘヴィだった気がする・・・
ただ「やっぱり友情よね!」ドラマよりリアルな気はします。
多感な時期をずっと一緒に過ごしたからといって、何があっても友だちでいられる訳はなく
全てを分かり合えていたと思っていても、いつか相違点がさらけ出される・・・

できたら友だちとはそういうことにはなりたくないですね。

毎回引き込まれてしまうトニ・モリスンの世界
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


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スウェーデン王フレデリク1世愛妾 ヘドヴィク

2019-10-04 20:36:39 | 王の寵姫・愛妾
スウェーデン王室でただひとりの公妾(らしい)
ヘドヴィク・ウルリーカ・トーベ


1714〜1744/愛妾 1731〜1744

フレデリク1世は、もともとスウェーデン王家の人ではなくて
お妃のウルリーカ・エレオノーレのおかげで王様になった人でございます。

60歳になろうかというのに女性関係の悪評が高まる一方のフレデリク1世が目を留めた時
ヘドヴィクは16歳でした。 そりゃあ嫌がりますよね。

ヘドヴィクは、ドイツ系の貴族エドヴァルド・ドーヴェの娘さんなのですが
一家はその時ギャンブルの借金に頭を痛めておりました。
         
そんなわけで、ここからヘドヴィクに対する大説得作戦が始まります。

はしょるけど…
まずは宮廷の役人たちが、愛妾とはどういうものか理解できて決心するまで
王妃の侍女として宮廷に入ってはどうか? と申し入れてきます。
また、王と家族の共通の知人たちがヘドヴィクの家族の説得にあたりました。
Carl Tersmedenという人は、彼女と家族の輝かしい未来について演説し
貴婦人たちが訪れ、ヘドヴィクが宮廷に上がれば彼女の母も姉妹も淑女の仲間入り!と
口々に(うるさそう)言いくるめようとしました。

とうとうヘドヴィクは根負けしてしまいまして、家族への恨みつらみの言葉を残し
宮廷へと向かいました。

お約束どおり王妃の侍女になったヘドヴィクは、すぐに愛妾になったようです。
1733年に娘を生みましたが翌年亡くしました。
その後ヘッセンシュタイン伯爵の称号と宮殿を与えられ公妾になりました。

スウェーデン王家にはその前にも後にも公妾になった愛妾はいなくて
ヘドヴィクはスウェーデンで唯一の公妾と言われています。 名誉なんだか不名誉なんだか…

ヘドヴィクが公妾になったことはスウェーデンで大スキャンダルになりました。

まずはヘドヴィクを紹介された王妃ウルリーカが、体調不良を理由に部屋に引き蘢ります。
聖職者たちは “ 二人の妻を持つ王 ” に臣従の礼を払うことを拒否しました、
世論は王家の血をひき敬虔な王妃に同情的で、ストックホルムには風刺画があふれました。

ヘドヴィク自身は「しめしめ」と思っていたのかというとそうではなく
宮廷へやって来た時同様、フレデリク1世の愛妾でいるのは不幸だと思っていて
王妃との衝突を避けるため宮廷に顔を出すのはやめました。
そのかわり自分の宮殿に、王妃に匹敵するサロンを開いて芸術家たちを招いていました。
政治家がヘドヴィクの力を利用しようとしたこともありましたが
彼女は公妾という自分の立場が大嫌いで、協力を拒みました。

議会は、王が前代未聞の公妾を持ったことに激怒して何度も議会を開き
王妃はヘドヴィクの息子二人を国外追放にしてほしいと主張しました。

フレデリク1世っておバカなのかなぁ?
不穏な空気を感じていたのか、 “ 私の死後はヘドヴィクたちをよろしく ” という
主旨の手紙をその王妃に送ってるんですよね! 聞いてくれるわけないじゃんね!!

結局ヘドヴィクと息子たちはヘッセンに送られることになりましたが
ヘドヴィクはこっそりニュヒェーピングで暮らして「狩りに行く」と言ってやってくる
フレデリク1世と会っていました。
これは王妃にバレて、またまた部屋に閉じこもったりしましたが
ヘドヴィクはスウェーデンに居続けました。

ヘドヴィクは、愛妾はいやだったけどフレデリク1世のことは好きだったのかしら?
それとも息子たちのために耐え続けていたのかしら?

1744年、ヘドヴィクは四度目の出産の時に亡くなりました。 30歳でした。

16歳の娘をよってたかって甘い言葉で誘っておいて、やってきたら辛い目にあわせるなんて
なんなんだよー!! なんだかすごく可哀想… 本当は同じぐらいの年の青年と結婚して
普通の貴婦人として過ごしたいっていうタイプの人だったんじゃないの?
自分の意志じゃないのにこんなに嫌われ者になっちまって…
愛妾になりたいという女性もけっこういただろうから、そういう人を選べばいいのにね!

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

北欧といえば!の武田龍夫先生による一冊
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


 
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『ピアノ・レッスン』少女時代を見ているようで

2019-09-09 20:10:59 | カナダの作家
PIANO LESSON 
1968年 アリス・マンロー

これまで何冊かマンローの短篇集を読みましたが、この一冊が一番
作者の思い出を反映しているような気がしました。
もちろん創作であることはわかっているんだけど
あちらこちらに作者の経験が盛り込まれてるみたいな気分で・・・なんだか
マンローの日記を読んでいるような気分でした。

本当に15編すべて、抜かりないというか見事なできで一気読みしましたけど
なんと!処女短篇集なんですって!!
デビュー早々すごい円熟ぶりです。

何を紹介すればよいやら・・・ とにかく好きだったものを書いてみます。

『輝く家々(The Shining Homes)』
メアリはミセス・フラートンの家に卵の代金を払いに行き、その後
デビーの誕生会に出席するため新しい住宅地にあるイーディスの家に向かった。
イーディスの家では、皆がミセス・フラートンを立ち退かせようと話していた。

一生懸命働いてやっと手に入れた新居がある新興住宅地の一郭に 
小汚くて荒れ放題の家があったらいやよねぇ・・・と思うキラキラの住宅の
住人たちの話です、傲慢ですね。
でも、どれだけ汚いのかによるけど・・・ 気持ちはわかる。

『仕事場(The Office)』
ある日仕事場が必要だと決心して、ショッピングセンターの2階にある部屋を見つけた。
引っ越した日に、家主のミスター・マリーは「部屋が殺風景すぎる」と言い
週末には植物を持ってやって来た。

最初はちょっと笑える話かと思っていたのですが、だんだん恐ろしくなります。
実話かな? だとしたらマンローはすごく不快で怖い思いをしたんだろうなぁ・・・
もう、自分がやられてるような臨場感でした。

『ユトレヒト講和条約(The Peace of Utrecht)』
実家に帰って3週間、マディーとわたしはうまくいっているとは言えない。
町の人たちはわたしに母の葬儀の様子を話してくれる。
わたしはマディーに、葬式には帰ってこないように言われていた。

お母様の件に関しては(病名はともかく)難しい病気で亡くなったそうで
この物語に反映されているのではないかと思われます。
看取った人が最大限に尊重されるべきだという考えには同感です。

本当はもう一つ『死んだとき(The Time of Death)』という
ありそうだけどなかなか人には言いにくいという話があって
ものすごく印象に残っているんだけど、うまく感想を書く自信がないです。
誤解を招きそうだし・・・なんて考えると書けないですね。
結局わたしは偽善者なんだなぁ・・・

少女が主人公のお話が多く、もちろん、ハッピーで明るい内容ではないのですが
いつもよりみずみずしい感じがしました。
欧米の小学校やハイスクールが舞台になっているドラマが脳裏に浮かび
場面が想像しやすかったです。

50年を経て出版された処女短篇集が、後年の作品にまったく見劣りしない
また、別の表情を見せてくれるというのは、まったく嬉しい驚きです。

日記のようでぐんぐんひきこまれる一冊
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『模造記憶』文系なものでね…

2019-08-23 17:29:03 | アメリカの作家
WE CAN REMEMBER IF YOU WHOLESALE AND 11 OTHER STORIES 
フィリップ・K・ディック

フィリップ・K・ディックは『ウォー・ゲーム』『人間狩り』『地図にない町』
読んだことがあります。
SFが苦手なわたしでもとても楽しめたのですが、『模造記憶』はぜんぜんダメでした。

なぜか?
わたしは、科学と化学の違いもわからず数学もダメで、高校2年の時に
“ 私立文系 ” という進路を選んでから一切関わりを持たずに生きてきました。

これまでの三冊と違って『模造記憶』は、なんていうの?
“ 法則 ” とか “ 仮説 ” とか、そういう科学っぽい内容が多いのよ。
それが本当にある法則なのか嘘なのかもさっぱりわかりませんが、読んでいて
苦しかった科学・化学の授業が思い出され、感情移入するどころじゃありませんでした。

だから、わかる人が読んだらすごくおもしろいのかもしれません。
大爆笑ものの法則とか「あ〜、ありそう!」なんて現象があるのかもしれない…

あと、メンタルな病系の話しが多くて、ちょっとドンヨリしましたね。

そんなわたしでも楽しめたお話しをいくつか…

『あんな目はごめんだ(The Eyes Have It)/1953年』
ある日、誰かがバスの中に忘れて行ったペーパーバックを読んでいたわたしは
他の惑星の生物による地球侵略を知ることになった。
その生物は好き勝手にからだをバラバラにしたり顔のパーツを取り外したりできるらしい。

これは単純に笑える!! これを読んで以来いろんな描写が気にかかる…

『囚われのマーケット(Captive Market)/1955年』
土曜日、バーセルスン夫人は、自分だけが商売できるその場所へオンボロトラックで出かけ
一方、放射能灰で侵されたキャンプ地では、夫人の荷物を心待ちにしていた。
今回の荷物が届けば、地球を脱出することができる。

夫人はたぶん、核戦争で荒廃した未来に商売をしに行ってるんだと思うんだけど
商魂逞しい人でなくて、未来のことを案ずる政治家なんかが行ってれば
状況は変わるんだろうか? そうも思えない気がするんだけどね…

『ミスター・コンピューターが木から落ちた日
    (The Day Mr.Computer Fell Out of its Tree)/1977年』
ジョー・コンテンプタブルが目覚めた時からコンピューターの具合がおかしく
出てくる朝食も揃えられた洋服もメチャクチャだった。
国中がそうなっていて、ミスター・コンピューターのイタズラをやめさせるため
地中深くで暮らしているミズ・シンプソンが呼び出された。

笑い話っぽいラストだけど… だからわたしはAIは恐ろしい!! って思ってるわけよ!
人間よりはるかに知識量が多い物が、人間の操作を待たずに自分で行動しはじめたら
世の中はどうなっちゃうんだよぉぉ!

てなことを言ってる時点で科学弱すぎ!! なんでしょうね。

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フランス王シャルル7世愛妾 アントワネット

2019-06-30 16:36:43 | 王の寵姫・愛妾
              肖像画がないので従姉のアニェス・ソレルを…

(地味だけど)華麗なる愛妾人生
寝室係アンドレ・ド・ヴェルキエ夫人 アントワネット・ド・マニェリ


1434〜1474/愛妾 1450〜1461

ものすごくご無沙汰しております。
いろいろあって長い間アップしていませんでした。

以前久々に自分のブログを見てみたら、海外の(たぶん薬か化粧品の広告)コメントが
大量に入っていたのでコメントをブロックしました。
コメントをくださった方には申し訳ございませんでした。
こんなほったらかしブログに温かいお言葉を寄せていただきありがとうございました。

下書きにあった愛妾シリーズをアップいたします。

シャルル7世の愛妾といえばアニェス・ソレルが断然有名ですが
アニェスが志半ばにして倒れたのに比べて
アントワネット・マニェリは愛妾人生を全うしたようです。

アントワネットは父ジャン2・ド・マニェリを通じてアニェス・ソレルの従妹にあたります。

        

アニェス・ソレルのところでは、アニェスが死んじゃったから代わりに…
みたいな印象でしたが、どうやらそういうわけではなかったみたいです。

アントワネットがシャルル7世の愛妾になったのは1450年です。
アニェスが死に瀕してアントワネットに娘の世話を頼んだ時に目を惹いて…ではなく
シャルルはアントワネットが14歳だった1448年にはすでに目をつけていた様子。

アントワネットが14歳の時、アニェスだって十分若い27歳なのですが
フラフラ…と若い方に心が動いちゃったのかもしれませんね。
でもアニェスが恐くて抑えていたのかもしれません。

なんでも、ブルボン公家とマニェリ家が長年争っていたマニェリ領をアントワネットに
与えちゃったとか… もしかするとアニェスの口添えかもしれませんが。

アニェスが亡くなると、シャルルは自分の寝室係ヴェルキエとアントワネットを結婚させ
愛妾にいたしました。
(以前にも書きましたが、フランスでは愛妾は結婚してないとダメだったということで…)
シャルルはアントワネットに3つの小島を持参金として与え、どれぐらい莫大なのかは
わからないのですが、年に2000リーヴルの年金を与える約束をしています。

結婚から4年後にアントワネットの夫が亡くなるのと、シャルルはアントワネットのために
ゲルシュ城の建設にとりかかりました。
二十歳そこそこの娘さんに城だの年金だの… あまやかしすぎではないのか?

アントワネットはシャルル7世が亡くなる1461年まで愛妾の座におりました。
二人の娘さんがいましたが、シャルルが認知したのは長女だけでした。

シャルルが亡くなった時、アントワネットはまだ27歳です。
ブルターニュ公フランソワ2世の愛妾になりまして、13年後に亡くなるまで
平和にブルターニュ公の宮殿で暮らしていました。

パーソナリティがさっぱりわかりませんが、どちらとも長くお付き合いし
王妃や、アニェスには斬りつけたという王太子ルイとも特にぶつかった様子がないので
穏やかな人だったのかもしれませんね。
アニェスが長生きしていたら違った人生を歩んでいたかもしれません。

と思ったら… 川島ルミ子氏によると、アントワネットは前々からアニェスの座をねらってて
猛アタックしたという説も… うーん、わかりませんね。
たしかに宮廷で国王の愛妾の座を手に入れるためには腹が据わっていないとダメかもね。

* 読んでいただきありがとうごさいました。
  次はいつアップできることやら… ですが、いつかぼちぼち再開したいと思っています。

(参考文献 川島ルミ子氏『国王を虜にした女たち』 Wikipedia英語版)
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スウェーデン王グスタフ2世アドルフ愛妾 エバ

2018-08-28 20:18:59 | 王の寵姫・愛妾
語りつがれる愛の物語の主人公…からの、やり手ばーさま
ヤコブ・デ・ラ・ガルディエ伯夫人 エバ・ブラーエ


1596〜1674/愛妾 1613〜1632

たいへんご無沙汰しておりました。
7月末のスペシャルファンイベント&SMTOWN ライヴビューイング2Daysのあと
虚脱状態に陥って何もしたくない日が続いておりました。 あぁ…オニュ…
その後は暑さに負けて(パソコンがある部屋に冷房がないのですぅ…)
そして法事・帰郷があり、先週久々にパソコンを立ち上げたらネットが繋がらない状態に
“ キーーーーッ ” となって放置してしまいました。
おととい旦那さんが「どれどれ」と直してくれて、やっとアップにこぎつけます。
言い訳オンパレード…お許し下さい。

コメントもたくさんいただいていたのに、お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
この場をかりてお詫び申し上げます。

スウェーデン愛妾シリーズを続けてまいりますね。

“ 北方の獅子 ” と呼ばれたグスタフ2世アドルフには
マリア・エレオノーラ・アヴ・ブランデンブリという、強烈な王妃がおりましたが
実は結婚前から愛し合っていた女性エバ・ブラーエがおりました。

エバの父親はスウェーデンの貴族で議会員でもあったマグヌース・ブラーエです。
家柄はけっして悪くないので、母親が亡くなった後、15歳の時に
王大后クリスティーナ・アヴ・ホルステイン=ゴットルプの侍女として宮廷に入りました。
      
そして16歳の時、19歳の若き王グスタフ2世の恋人になりました。
二人がやりとりしたお手紙によると、二人の交際は真剣なものでした。

当時グスタフ2世には祖母とかおばとか、親戚中から縁談が持ち込まれていました。
しかし摂政をしていた王大后クリスティーナは、政治的に有利な縁談を考えて
持ち込まれた結婚話しを拒否していました。
一方、グスタフ2世とエバは、お互い結婚を望んでいました。

王大后とグスタフ2世とエバは、結婚について1615年まで議論していましたが
最終的にはエバが「私はいまのままでも幸せです」ってな感じで
グスタフ2世とは公式に結婚できないということを受け入れました。

ここまでだと、デンマーク王フレデリク2世の恋人アンナ・アフ・ハルデンベルグと同じように
お若い二人の身分違いによる悲恋の物語なんですけどね。

1618年、エバはヤコブ・デ・ラ・ガルディエ伯と結婚しました。
グスタフ2世は1620年にマリア・エレオノーラと結婚しました。
けれども二人の関係はグスタフ2世が亡くなる1632年まで続いていました。

それどころかグスタフ2世は、王妃マリア・エレオノーラの愛情攻撃にうんざりした時に
王妃と別れてエバと再婚しようかな? なんて考えてます。
ただ、エバとガルディエ伯は仲が良かったみたいです。

グスタフ2世亡き後は夫と平穏に暮らしていたみたいですが、夫が亡くなると
スウェーデン国内の重要な地方都市をいくつも抱える、精力的な領主になりました。
また、グスタフ2世の王女である女王クリスティーナから
フィンランドにヤコブスタードという都市を建設する許可をもらっています。

エバは多くの領地の管理だけでなく、さらに領地を増やしていきました。
特に有名なのは、1658年にスウェーデン領になって多くのデンマーク貴族が手放した
スコーネ一帯の土地がありました。

エバは宮廷でも一目置かれる存在で、女王にまで影響力がありました。
宮廷では “ Business woman ” と(影で?)呼ばれていたらしく、直訳したら実業家ですけど
「やり手だよね〜」ってな感じで語られていたんじゃないでしょうーか?(勝手な想像)

一時期、エバが魔術を使って女王を結婚させないようにしている!と唱えた人がいましたが
宮廷の貴婦人たちがこれを阻止し、相手を反逆罪に!と糾弾しました。
エバに心酔していたのか、恐れていたのかは不明… お金借りてたのかもね。

エバと旦那さんのヤコブは14人の子だくさんでしたが
この中にはグスタフ2世の子はいないということです。
この点は旦那さん一筋、と褒めてよいのかどうか…
ヤコブの死から22年後の1674年に亡くなりました。

              
        ヤコブが亡くなった当時の喪服のエバ このあたりからやり手さんに…?

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

北欧といえば!の武田龍夫先生による一冊
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ひとことお土産コーナー
法事で京都に行きまして “ こたべ ” というのを見つけて、箱の可愛らしさに抹茶とにっきを買ってみた!
 

どうやら季節ごとに箱が変わるらしく、秋のもすごくカワイイの!
  
9月から販売なんだけど京都府内とネットでしか売ってないらしく、送料がけっこう高くて迷ってます


セブンネットショッピング
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スウェーデン王ヨハン3世愛妾 カリン

2018-07-23 22:22:51 | 王の寵姫・愛妾
意外と、おねだり上手(?)な愛妾
廷臣ラルス・ヘンリクソン夫人 カリン・ハンスドッテル


1539〜1596/愛妾 1556〜

異母兄エリク14世を廃位して、王になったヨハン3世がカタリーナ・ヤゲロニカ
結婚する前からお付き合いしていたのがカリン・ハンスドッテルです。

カリンは、ストックホルムの修道士ハンス・クラッソンと
貴族の庶子で修道女のインゲボルグの間に生まれた娘さんらしいです。
当時の修道士と修道女って結婚してよかったのかしら?
そもそも出会う場があったのかしら?
ちなみに、ハンス・クラッソンは浮気で職を失ったらしい… とんだ聖職者ですな。
   
カリンは10歳そこそこで、グスタフ1世の未亡人カタリーナ・ステンボックの城で
働くことになりました。

フィンランド公だったヨハンとはそこで何度か会って
17歳の時に愛妾になり、フィンランドのトゥルク城で暮らすようになりました。
カリンは城の女主人としておおっぴらに過ごしていましたが
1560年には、子供たちを連れてストックホルヘ向かいました。

1562年、ヨハンがカタリーナ・ヤゲロニカと結婚する前に
ヨハンの使用人のクラス・アンダーソンと結婚しました。 これは隠れ蓑ですよね?
夫はフィンランドのカンガサラに領地をいただきました。
けれども翌年、夫はエリク14世に殺されてしまいます。

ヨハンがエリク14世に反乱をおこしている間に、カリンは多くの財産を失ってしまいます。
でも大丈夫! ヨハンは王に即位すると、カリンと子供への援助を続けました。
やはり関係は続いていたということですよね? 奥さまがパワフルなのでね…
それともヨハンが義理堅かったのか? カリンがおねだり上手だったのか?

カリンは1572年にラルス・ヘンリクソンと再婚しました。
3年後、ヨハンはラルスを、自分とカリンの子供たちの面倒をみるという条件で領主にし
息子ユリアスはトゥルク城の城主にしました。
長女ソフラはヨハンの妹エリザベットの侍女になりました。
もうそろそろ面倒みなくてもいいかな… ということかしら?

1580年からはトゥルク城で多くの時間を過ごしていました。
ヨハン3世は1585年に「若い子がいいから…」とグニラ・ヨハンスドッテルと再婚します。
完全にお役御免ってことですよね。

1591年に未亡人になると、エリク14世の未亡人カリン・マンスドッテルのご近所にある
自分の領地にリタイアしました。

1596年、カリン・ハンスドッテルの領地では農民の反乱がおこっていました。
結局領地は農民に略奪されてしまうのですが、カリンはその直前に亡くなりました。
自分の領地が奪われていくところを見ずにすんでよかったですね。
でもご近所のカリン・マンスドッテルの領地は何事もなかったようですが…
なぜ反乱がおきちゃったのでしょうね?

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

北欧といえば!の武田龍夫先生による一冊
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ひとことお洗濯コーナー
暑いですね! 掃除する気にならなくて、なんだか洗濯に励んでいます
先日テレビで知った “ 白ものの黄ばみ・シミとり ” があまりにも楽しくて何回も洗濯機をまわす始末

わたしはいただきもののアタック(粉)とハイドロハイターを使ってますが、本当に真っ白になりますです


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スウェーデン王エリク14世愛妾 アガタ

2018-07-12 21:24:50 | 王の寵姫・愛妾
ハレム王最初の恋人?
貴族クリストファー・オラフソン夫人 アガタ・ペルスドッテル


生没年不詳/愛妾 〜1565

エリク14世は、結婚前からハレムのようなものを持っていたという女性大好き王ですが
結婚後は妻一筋なので、お相手はみな愛妾ではなく恋人ということになりますね?

エリク14世が王太子時代に出会い、(記録では)最初の恋人になったのがアガタです。
でもアガタの全盛期は1558年で、当時エリクは25歳だから、初恋ってことはないと思う…

アガタはストックホルムの裕福な商人ペデル・クレメントソンの娘といわれていますが
定かではありません。
        
ものすごい美人で、ピーク時にはカルマル城の主役でした。
“ アガタの間 ” というのがつくられて、アガタがいなくなってからもそう呼ばれました。

1660年、エリク14世が即位します。
1661年、アガタは貴族のヨアキム・フレミングと結婚しました。
この時エリクとの関係は終わりを告げるのですが、1663年にアガタが未亡人になると愛再燃。

エリク14世には恋人がワラワラいたわけですが、アガタは上位をキープしていました。

アガタとエリクの間にはヴィルジニアとコンスタンティアという女の子がいましたが
エリクは娘たちの面倒を妹のセシリアにまかせていました。

なぜかっていうと「アガタには、子供たちによいしつけをして、ちゃんと育てるってことは
できないからね〜」ということでした。
で、セシリアがバーデン=ローデマヒェルン辺境伯に嫁いだ後は
妹のエリザベットにお願いしました。
エリザベットの侍女で、姉妹の世話をしていたのがカリン・マンスドッテルです。

アガタにしてみれば、娘の世話をしてくれるありがたい人だったと思うのですが
結局カリンはエリクの恋人になり、さらに結婚までしてしまって
ハレムの恋人たちはお城を追い出されることになってしまいました。
こんなことなら自分で育てりゃよかった!! と悔んだことでしょう。

アガタはその後貴族のクリストファー・オラフソンと再婚しました。
以降のことは不明です。
もし安泰に暮らしていたのなら、カリンのその後の波瀾万丈ぶりのことを考えると
追い出されてラッキーだったかもしれませんね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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スコットランド王ジェイムズ4世愛妾 マーガレット

2018-06-28 19:30:50 | 王の寵姫・愛妾
悲しい恋物語のヒロインになった恋人
マーガレット・ドゥラモンド


1475〜1501/愛妾 1495〜1497

ジェイムズ4世の、数ある愛妾の中で本命と言われているのが
マーガレット・ドゥラモンドです。
すごーく遠い親戚なので書きませんが、というか辿りきれませんでしたが
デイヴィッド2世妃マーガレット・ドゥラモンドの何代か離れた姪にあたるらしい。

ジェイムズ4世とは密かに結婚し、マーガレット・チューダーとの結婚が決まると
身を引くために妹二人と服毒自殺したという… まさに悲恋物語。

水を差すようで申し訳ないのだが、事実はちょっと違うかもしれません。
でも歴史には諸説あるので、どれを信じるかはあなた次第…ってことで。

マーガレットは、初代ドゥラモンド卿の娘さんでした。
二十歳そこそこでジェイムズ4世の恋人になり、リンリスゴウ宮殿で暮らしていました。
マーガレットという娘さんも生まれています。
     
でも、どうやら真剣にお付き合いしたのは約2年ぐらいだったようで
マーガレット・チューダーとの結婚のかなり前に別れていた様子。
そうすると正確には愛妾ではなくて恋人ですね。

けれども1501年に、妹ユーフェミア、シビラとともに食事をしたすぐ後に
亡くなったのは事実です。
若くして亡くなった三姉妹は、ダンブレーン大聖堂に埋葬されました。 涙を誘いますね。

マーガレットの死後ジェイムズ4世がミサを行い、娘マーガレットの保護を続けたことで
二人の愛は続いていて、深いものだったと思われたのかもしれません。
マーガレットの死は、ジェイムズ4世とマーガレット・チューダーの結婚を推し進める
貴族たちによる毒殺と囁かれるようになりました。

物語としてはその方が面白いですよね。

わたしも何かの本で読んだことがあるのですが、中世から近代初期の食事環境は
貴族といえどもひどかったらしく、特にイングランドは遅れていたみたいです。
床がゴミだらけとか、食器使い回しとか、腐る寸前の肉生焼けとかね… すごいね!
てことは、もちろんスコットランドもひどかったわけで「食中毒でしょ」と
当時はたいした捜査もおこなわれませんでした。 親の家で食べた後だしね。
現代でも食中毒説が強いようです。

だけど食中毒ですぐ死ぬものかしら? やはり毒殺なんじゃないの?
でも何度も言うけど両親の邸宅で食べた後よ、親もからんでいるとか?

ジェイムズ4世とマーガレットの結婚が本当で、マーガレット・チューダーとの結婚がなければ
スコットランドとイングランドは連合国になっていないかもしれないわけで
かなり歴史がかわっていたかもしれません。
スコットランド独立を願う方は、おおいに肩入れしたくなる女性なのかもしれませんね。

娘のマーガレットは、最初にゴードン卿ジョンと結婚し
次にInnerpeffray領主ジョン・ドゥラモンドと再婚しました。
         
ジョン・ドゥラモンドとはどこかで繋がってると思うんだけど探せませんでした。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

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