田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

えっ!?ヒグマと遭遇?

2024-04-24 16:30:47 | JRヘルシーウォーキング & さっぽろラウンドウォーク
 えっ!?何? この獣の鳴き声は? か細い声鳴き声が聞こえた後に、野太い唸り声が続いた…。思わず足を止めて耳をそばだてると、二度、三度と同じような声が続く…。私は最悪のケースを想像し、凍り付いてしまった。

      
 ※ 本日使用したマップです。スタート地点、 ゴール予定地点。そしてクマ(?)の鳴き声を聞いた地点を表記しました。

 本日、「さっぽろラウンドウォーク」の事前踏査の第3弾として「セクション2」の区間を歩いてみることにした。コンディションは薄曇り(花曇り)暑くもなく、寒くもなく、歩くには絶好のコンディションだった。
 セクション2は「旭山記念公園」から「宮の沢ふれあい公園」までの約12キロである。
 本番を想定し、地下鉄で「円山公園駅」まで移動し、「円山公園駅」のバスターミナルから9時15分発の「旭山公園前行」のバスで移動した。

    
    ※ 旭山公園内のセクション1と2の連絡地点です。

 バスを下車し、セクション1のゴール地点、つまり本日のセクション2のスタート地点に向かった。この地点が25,000分の1のマップではいま一つはっきりしないのだが、アプリでは容易にその地点を見つけることができた。

    
    ※ 旭山公園内の木々はまだ葉を付けておらず、ちょっと寒々とした光景です。

  さっそく、旭山記念公園内の林道を抜けて円山西町方面へ抜けた。その途中に「円山西町庭園」という立派な鉄柵に囲まれた庭園が目に入った。「これは何だろう?」と思い帰宅してインターネットで調べたが良く分からなかった。市の公園緑化係にも聞いてみたがやはり分からなかった。
    
    ※ 鐘柵越しに「円山西町庭園」を写しました。
    
    ※  コース途上の「ユースの森」というところでエゾエンゴサクの群落を写しました。
    
 その後、円山西町、そしてそれに続く円山の住宅街を通り「三角山」に向かった。「三角山」は山頂には向かわず、裾野を周回するような形で一般道路に降り、今度は「琴似発寒川」沿いを上流に向かった。川沿いはちょうどエゾヤマザクラの満開に遭遇したようでたくさんのサクラを愛でることができた。

    
    ※ 琴似発寒川沿いの散策路のサクラはちょうど満開と云った感じでした。

 そして、札幌市内の散策路では私がイチオシの「西野緑道」へと導かれた。「西野緑道」はいつ行ってみても、きれいに整備されていて理想的な散策路に映るのだが、その要因をいつか探ってみたいとも思っている。

    
    ※ 私がイチオシの西野緑道の一部、シラカバ並木です。

 そしてコ―スは西区の西野地区に導かれる。西野地区の住宅街を抜け、セクション2としては最後の上りとなる「西野市民の森」へと導かれる。私はこの「西野市民の森」には何度も訪れたことがあり、かつて知ったる森林浴コースである。
 その「西野市民の森」に入ってそれほど経っていない時だった。(おそらく市民の森に入って1キロくらい行ったところである)コース脇の小高い笹藪の中から獣のか細い鳴き声が聞こえたのだ。するとその声に続いて野太いうなり声のようなものが重なって聞こえてきた。私は思わず立ち止まってしまった。すると、二つの獣の声はその後も何度も何度も繰り返された。私はその声を聞いていて、子鹿がヒグマに食べられているのではないか、と連想してしまった。そう考えると、私は凍り付いてしまい、足は一歩も前に進むことができなくなってしまった。あるいは親グマと子グマがじゃれ合っていたのかもしれないのだが…。しかし、それとても私にとって危険なことには変わりはない。私はクマ(かな?)に気付かれぬように後ずさりしながら現場から遠ざかった。

    
    ※ 西野市民の森の散策路の一部です。獣の鳴き声は左手の笹藪の中から聞こえてきました。

 事前踏査の計画は途中挫折という結果になったが、それは仕方のないことと諦めるしかない。私が聞いた獣の声がはたしてヒグマの声だったのか、どうか、真実は不明のままだが、君子(?)危うきに近寄らずである。何事もなく帰宅できたことをヨシとしなければならい。

アンダンテ・ウィンドアンサンブル

2024-04-23 19:19:42 | ステージ & エンターテイメント
 「アンダンテ・ウィンドアンサンブル」というちょっと変わった社会人の吹奏楽団がある。その吹奏楽団がこのほど “不定期演奏会” というこれまたちょっと変わったコンサートを催した。変わっているかな?と思うのだが、実力のある吹奏楽団だった。

    

 ちょっと変わった、と表現したがそれは楽団の成り立ちにある。プログラムで自己紹介している文章を拝借すると…
「2011年3月11日14時46分に起きた、東日本大震災の被災地へ向けて当時札幌近郊の大学、専門学校2年生だけが約50名集まり、2011年5月に初めてステージを迎える。以来、東日本大震災を中心に熊本地震、台湾地震のチャリティを、その他北海道内の天災の被災地へ向けたチャリティコンサートを行っている。自主開催のチャリティのみならず、札幌市内のチャリティイベントへの参加やお祭りでも演奏を精力的に行う。2019年度より年3回の自主開催の演奏会を行うことを目標にしている札幌発の有志バンド」
とある。変わっているわけではけっしてなく、立派な志をもった楽団である。ただ一つのきっかけで集まった楽団が13年間も継続しているところが凄いなぁ、と思う。
 その理由はアンダンテ・ウィンドアンサンブルを主宰し、指揮も務める浦航史さんのリーダーシップによるのかな?と私は見ている。浦さんは非常に能弁な方である。以前にも北区民センターでのコンサートに参加したことがあるのだが、その際に語っていたが恒常的に活動している団員は少なく、不定期毎に集まってくるメンバーでコンサートを継続しているようなのである。浦さんの語り方もどこか緩~い感じがするが、楽団自体も緩~い集まりであることが長く継続している理由なのかもしれない。

    
    ※ アンダンテ・ウィンドアンサンブルを主宰する浦航史さんです。

 今回(4月21日)もそうした浦さんの人的な繋がりからだろうか?ゲストバンドとしてジャズの「Stellar Wind Jazz Orchestra」が出演し、「アンダンテ・ウィンドアンサンブル」の演奏の際は、「札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部」が合同演奏に加わったり、指揮者としてお二人の指揮者が登場したり、と多彩だった。
 コンサートのレポの恒例として演奏楽曲を羅列する。
◆第1部  Stellar Wind Jazz Orchestraの演奏
 ◇森村敏/Pa’lante Pa’gozar
 ◇C.Veiázquez/Bésame Mucho
◇A.Lala/Solamente Una Vez
 ◇G.R.Pouiton/Love Me Tender
 ◇D.Gallespie/Night In Tunisia
◆第2部  アンダンテ・ウィンドアンサンブルの演奏
 ◇P.Sparke/オリエント急行
 〔2024吹奏楽コンクール課題曲〕 ※ ここから札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部との合同演奏、指揮は甲斐誠氏
 ◇課題曲 Ⅰ 渡口公康/行進曲「勇気の旗を掲げて」
 ◇課題曲 Ⅱ 近藤礼隆/風がきらめくとき
 ◇課題曲 Ⅲ 酒井 格/メルヘン
 ◇課題曲 Ⅳ 伊藤宏武/フロンティア・スピリット 
 以下は再びアンダンテ・ウィンドアンサンブルの演奏
 ◇内藤淳一/式典のための行進曲「栄光をたたえて」  ※ 指揮 内藤淳一氏
 ◇B.Gray/サンダーバード
〈アンコール〉
 ◇内藤淳一/ブライアンの休日  ※ 指揮 内藤淳一氏
というような多彩さだった。
 第1部のStellar Wind Jazz Orchestraは北大のジャズ研のOB・OGを中心としたバンドということだったが、メンバーが楽しそうに演奏していたのが印象的だった。技量の方も十二分にそなえたバンドだった。

    
    ※ Stellar Wind Jazz Orchestraはメンバー19名とおお小ぶりなバンドでした。

 第2部のアンダンテ・ウィンドアンサンブルは60名を超える大所帯で、それに札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部が加わった時には優に100名を超える超大型演奏陣での演奏となった。さらには課題曲の指揮を執った方は、プロの指揮者で特に吹奏楽界では名の知れた指揮者だということだ。そしてお気づき思うが、内藤淳一氏は札幌在住の方のようだが吹奏楽の作曲者として吹奏楽コンクールの課題曲を何曲も作曲されている方で、この日も 自らが作曲し、課題曲となった曲の指揮をされた。
    
    ※ アンダンテ・ウィンドアンサンブルと札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部の
       合同演奏は優に100人を超す大人数のためカメラに収まりきらず、2枚の写真
       となってしまいました。
    

 アンダンテ・ウィンドアンサンブルの演奏技量も相当に優れた演奏だったと私は見た。いずれの演奏も音合わせなどそう時間はとれないのではと思うのだが、私の耳では演奏の乱れなどはまったく聴こえてこなかった。
 私はこれまで何度か課題曲Ⅰの行進曲「勇気の旗を掲げて」をさまざまな吹奏楽団の演奏を聴いているが、この曲が大好きである。行進曲のエッセンスがすべて含まれているように感じられるからである。この日の100人を越えるボリュームのある演奏で私の大好きな行進曲を演奏してくれたことで大満足で会場の白石区民ホールを後にした私だった。


春三題

2024-04-22 19:34:52 | 環境 & 自然 & 観察会
 札幌は4月18日にサクラの開花が宣言されたが、その後に低温が続いたこともあって開花状況は思わしくないようである。そんな札幌の春を巡って三題噺(というほどのものでもないのだが…)を綴ってみたい。

ART文字の整枝
 明朝は今シーズンに入って二度目の近代美術館前歩道の清掃ボランティアの日である。それに先立ち、本日午前「ART文字」の整枝作業を行った。というのも、整枝作業で刈り取った葉が散らばったものを明朝に清掃してほしいと思ったからだ。

    
    ※ ART文字の整枝前の状況です。

 「ART文字」は、春になってから少しずつ芽を伸ばしはじめ、全体の文字がぼやけたような感じになっていた。それをスッキリさせようと思ったのだ。事前と事後の写真を撮ってみたが、「それほど違いはない」と云われればその通りだが、私にしてみれば「まあ、多少はスッキリしたんじゃないかな」と自己満足している。もちろんもう一つの「MUSEUM文字」の方の整枝も忘れなかった。

    
    ※ 整枝後の状況ですが、あまり変わりないですかねぇ~。

標本木のサクラ
 私の住居からすぐ近くに札幌気象台がある。その気象台の庭に標本木のサクラ(ソメイヨシノ)が植わっている。18日以来、毎日その様子を見に行っているのだが、なかなかその後の開花が進んでいない。寒さの影響だろう。今日も行ってみたところ、開花状況は3~4分咲きといったところか?

    
    ※ 標本木のソメイヨシノです。

 そのソメイヨシノだが、私の腕ではなかなか良く撮ることができない。花の色が薄いこと、背景に建物などがないためなのではと思っている。
 それでも一枚撮ってきた。

    
    ※ 標本木のソメイヨシノを近撮してみました。

枝垂れザクラ
 友人から「今年はサクラ情報をアップしないのか?」と尋ねられた。私の中では「今年はもういいだろう」との思いがあった。その中で “枝垂れザクラ” だけは追いかけてみたいと思っている。枝垂れザクラは一本だけでもその優雅さが見事だと思うからだ。
 札幌の枝垂れザクラというと、「中島公園の日本庭園」、「円山公園パークセンター前」、「北海道神宮島判官像前」、「北大倉総合博物館横」、「旧軽川沿い」が思い浮かぶ。今年もできればこれら巡ってみたい。札幌にお住まいの方で、この他のところで枝垂れザクラが素晴らしいところがあったなら是非教えてください!

    
    ※ 北海道神宮の島判官像前の枝垂れザクラです。左奥に島判官の像が見えます。
    
    ※ 円山公園パークセンター前の枝垂れザクラです。

 ということで本日午後、近くの「北海道神宮島判官像前」と「円山公園パークセンター前」の枝垂れザクラを見に行ってきた。しかし、まだまだ蕾状態だった。枝垂れザクラはソメイヨシノが満開状態を迎えた後くらいが見ごろのようである。そこを見逃さずに訪れるように訪問計画を立てたいと思っている。
訪れた円山公園では、もっとも早く花を付ける坂下野球場の脇のヤマザクラが8分咲きくらいの状況だったので一枚撮ってきた。

    
    ※ 円山公園の坂下野球場脇のエゾヤマザクラです。

 札幌もようやく春らしい話題をお届けできる季節がやって来た。私の大好きな “サッポロ・ジューン” (作家の林心平氏命名)ももうすぐだ。札幌の野外情報も積極的に発信したいと思っている。                    

“能楽” を鑑賞してみたが…

2024-04-21 17:04:15 | ステージ & エンターテイメント
 我が国の伝統芸能である “能楽” を鑑賞してみたが、まったく素養のない私には終始チンプンカンプンであった。どこに魅力があるのか?どこに面白さがあるのか?う~ん、私にとっては難しい課題である…。

 昨日(4月19日)午後、かでるホールおいて札幌能楽会が主催する「能楽鑑賞のひととき」に参加した。その動機は、これまで全く縁のなかった “能楽” っていったいどのようなもの?という、私の何でもちょっと入口を覗いてみたいという面白がり精神が会場に向かわせる動機となった。
 会場のかでるホールはキャパ520名と聞いているが、そこがほぼ満杯になるほどの盛況だった。会場のステージには能楽堂の屋根がない略式の舞台が用意されていた。(その舞台は下図のような形でした)

    
     ※ かでるホールに設えられた能舞台です。屋根がないだけで他は同じように設えられていたようです。
   

※ こちらはウェブ上から拝借した本来の能舞台の図です。

 公演の出演者は全て札幌在住の方のようで、それぞれが流儀別(流派)に能楽師と呼ばれる師匠の指導のもと稽古を積み、この日の舞台に出演されていたようだ。
 公演前にプログラムが渡され、そこには演目の一覧やその解説、役者名などが記されていたが、私の目を惹いたのはその “流派” の多さだった。“シテ方” の流派には「観世流」、「宝生流」、「喜多流」と三派があるようだが、その流儀を名乗る個々が所属する会が3派合計で15の会が存在している。
 さらには “囃子方” にもそれぞれ小鼓、大鼓、太鼓、笛と、用いる楽器によってそれぞれ流派が異り7つの流儀が存在するといった複雑さである。
 そう考えると、札幌市だけでいったいどれくらいの方が能楽に関わっているのかと思えてくるが、おそらく相当数に上るのではないだろうか?
 プログラムにはそれぞれの演目の解説も載っていたが、それを見るとやはり多いのは人情噺や恋の話が目立ったが、いつの世でも変わらないということなのかもしれない。
 ところが!いざ演目が始まって観ていても、その内容が一向に私には伝わってこないのだ。参考までにこの日の演目一覧を転記してみると、
 ◇連吟(喜多流)   「歌占」
 ◇仕舞(宝生流)   「大江山」
 ◇仕舞(観世流) 「班女」
 ◇太鼓連調(金春流) 「羽衣」
 ◇連吟(宝生流) 「箙」

    
    ※ 「箙」の演目では、地謡陣が8名も出演しました。

 ◇仕舞(観世流) 「松風」
 ◇舞囃子(喜多流)「西王母」
 ◇仕舞(宝生流) 「網之段」
 ◇仕舞 (喜多流) 「経政」
 ◇舞囃子(宝生流)  「野宮」

    
    ※ この演目では、シテ方の後ろに太鼓、小鼓、笛の囃子方が陣取りました。

 ◇半能(観世流) 「玉鬘」

    
    ※ 最後の演目だった「玉鬘」だけシテ方が面(おもて)を付けて登場しました。

 解説を見てみると、それぞれの演目にはストーリー(物語)があるのだが、あの能の独特の発声法ではどれも同じように聴こえてきてしまうのだ。舞台袖には、シテ方や地謡が発する言葉が表示されているのだが、それを横目に見ながら舞台を観続けるのだがどうしてもどうしても能の世界には入っていけなかった。
 能の世界って、恐ろしく難解なものなのだろうか?それとも単に私が理解する能力に欠けているだけということなのだろうか?それすらも判別がつかない“能楽”の初体験だった…。


戦争すら “他人事” なロシア国民

2024-04-20 19:45:54 | 講演・講義・フォーラム等
 ロシア国民にとっては、ウクライナとの戦争のことより自分たちがいかに楽しく生活するかが最大の関心事だ、と最近までFNN のモスクワ特派員だった講師は云った。いったいロシアの国内事情はどうなっているのか?講師の興味深い話を聴いた。

     
    ※ 関根氏のパワーポイントの1頁目です。写真はロシアの戦勝記念公園です。

 昨日19日(金)午後、かでる2・7において「民放クラブ」が主催する講演会が開催された参加した。「民放クラブ」とは、道内の民間放送に務めた方々のOB・OGの方々の親睦会のようだが、その会が現役の放送関係者を招いてお話を伺う研修会的催しを開催しているのだが、その際一般市民にも門戸を開いているため私も参加できたのだ。
 今回の講演会はUHF北海道文化放送の関根弘貴さん「戦争すら “他人事” なロシア国民」と題して講演された。関根さんは2019年10月から2023年12月までFNN(フジテレビ系列28局で構成されるニュースネットワーク)派遣のモスクワ支局長として派遣された方である。

     
     ※ 講演をする関根弘貴さんです。

 関根氏のお話をレポする前に、関根氏のロシア・ウクライナ戦争に対する立ち位置を明確にしておく必要があると思える。関根氏の立ち位置は多くの日本メディアが伝えるロシアを批判的に見る立場である。
 関根氏は大きく二つの視点からロシアの実状について報告された。
 一つは、ロシア国民(モスクワ市民)のロシア・ウクライナ戦争に対する関心度についてである。ロシア国民の戦争に対する関心度を表す言葉として関根氏は「ロシア国民は、政治は政治、自分たちは自分たち」という態度に徹しているということだ。一般国民(市民)は、日々の生活をいかに楽しむか?言葉を変えると、自分たちの生活を謳歌しているということだという。例えば、モスクワ市民は食事時にウクライナワインを愛飲しているそうだ。
 ロシアのウクライナ侵攻が始まり、西側諸国は経済制裁に踏み切ったが、ロシアは “並行輸入” という手法で、第三国を通して物資を輸入し、スーパーなどの在庫は十分だということだ。また、アメリカの大企業であるスターバックスやコカ・コーラ、マクドナルドなどが撤退したものの、すぐにロシア国内では似たような商品が出回り、ロシア国民はそれで満足しているということだ。
 こうしたプーチン政権が “戦争感” を滲ませない政治が国民を鈍感にさせている一つの要因でもあると関根氏は指摘した。

     
   ※ 左からロシア版のケンタッキー、スターバックス、マクドナルドだそうです。
      これでロシア国民は十分に満足しているそうです。
    
 二つ目に関根氏は「ロシアの “プロパガンダ教育”」の実状について話された。
 ロシアでは最近 “歴史教科書” が改訂されたという。(高校生年代向け)そこでは特別軍事作戦(ロシア・ウクライナ戦争)について28頁も割いて、作戦を遂行した大義を掲載しているそうだ。また、高校生年代には “軍事教練” が復活したそうだが、それに対する拒否反応はないということだ。但し、“部分的動員” 令については忌避感があり、プーチン政権支持率が一時低下したことで、“愛国主義政策” 加速したとも云う。関根氏の言では「日本の戦前・戦時の教育と酷似している」とも話された。

    
    ※ ロシアの新しい歴史教科書についての説明の図です。

 プーチン政権はメディアを完全にコントロールしているが、インターネットの世界は支配することができていないという。そこにアクセスすることにより、ロシア国民の一部には国内の空気と違うものを感じ始めている国民もいるが、大きくは変わらないだろうと関根氏は云う。それはロシア国民が政治に対しては “諦観” しているところがあるからだ、
という。
 それがロシアに4年間滞在した関根氏の結論のようだった。
 国の政治に対して “諦観” するということは、国民としてとても不幸なことではないだろうか?国の政治に対して、私たちも別な意味で “諦観” してしまっている場合があるのではないだろうか?私たちは政治に不満がある場合には異議申し立てができる国に生きていることを改めて感じさせてくれた関根氏の特派員報告だった。

民生委員の仕事って?

2024-04-19 18:31:56 | 講演・講義・フォーラム等
 民生委員って、どんな仕事なのだろうか?そんな素朴な疑問から「民生委員・児童委員入門講座」なる講座を受講してみた。率直な感想として、目立たない仕事ではあるが社会を支えるうえで重要な任務であることを理解できた…。
   

 別に民生委員になろうと希望しているわけではない。友人・知人の中に民生委員をしている方がおり、そうした方々の仕事を理解したい、という思いから4月18日(木)午後、拙宅の近くにある市の社会福祉総合センターで開催された「民生委員・児童委員入門講座」を受講してみた。
 講座は、最初に「札幌市民生委員児童委員協議会」の事務局(札幌市職員)の方から民生委員・児童委委員の制度の概要、仕事の任務、そして現況などについての説明があった。続いて、現役の民生委員、主任児童委員の方から実際に任務を遂行している立場からのお話を伺った。
 まず「民生委員」とは、社会福祉の増進のために、地域住民の立場から生活や福祉全般に関する相談・援助活動を行うことが任務で、無報酬ではあるが非常勤の地方公務員という立場だという。なお、「民生委員」は全員が「児童委員」を兼ね、妊娠中の主婦や子育ての不安に対する相談・支援の任務も兼ねているそうだ。
 現在、札幌市では定員2,967人だが、現在活動中の方は2,800人だという。年齢要件は基本的に30歳以上、75歳未満ということになっているが、意欲のある方はこれに限らないともお話された。
 その後、民生委員(児童委員)の役割・職務、実際の活動の状況などについてのお話がなされたが、その部分は割愛したい。
 事務局の方のからの説明の後は、実際に民生委員・児童委員、主任児童委員の任に就いているお二人からお話を伺った。

   
    ※ 左に立たれている方が札幌市民生委員児童委員協議会の会長をされている紙谷京子さんです。

 お一人は札幌市民生委員児童委員協議会の会長をされている紙谷京子さんという方であった。紙谷さんは札幌市の民生委員児童委員2,800名のトップに立たれている方である。委員に就任してから実に36年目という超ベテランである。紙谷さんは住民が困ったことに遭遇した場面で、共に考え、悩んだ末に問題が解決できたときに「ありがとう!」という一言をいただくのが何よりの喜びであると話され、「人のために役立つことは、自分のためにもなっている」ことを痛感されたと強調された。
 もうお一人は主任児童委員五十鈴理佳さんである。主任児童委員とは、専ら子どもや子育て家庭への支援を専門に担当する役割だという。(いわゆる民生委員児童委員とは、やや性格が異なるようである)五十鈴さんは、地域で「子育てサロン」を開設し、担当の保健婦さんたちと一緒に悩める母親や子どもたちに対しての支援に力を入れているとし、自らも地域の住民に一員として、元気な地域となるように努めていると話された。
 民生委員・児童委員の現状は、プライバシー意識の高まりや、役割・活動の増加などにより担い手不足が深刻化しているとも話された。民生委員というと地域の方々から信頼されるような人格高潔な人との印象がある。人格高潔などという品性からほど遠い私にはまったく不向きな仕事であり、ましてや年齢的にも難しい。
 ただ、今回の入門講座の参加者の方々の質疑応答を聞いているかぎり、かなり意欲的な方々も見受けられた。そうした方々を見ていると、「あゝ、素晴らしい方もけっこういらっしゃるなー」との思いを強くした。ある意味、社会にとっては縁の下の力持ち的存在ではあるが、そうした方々に次代を託したいと思ったものだった…。

御朱印収集巡り №25 手稲神社

2024-04-18 15:44:36 | 神社参拝・御朱印収集関連
 手稲神社はJR手稲駅からも近く利便性はあるのだが、境内が狭く、ちょっとした高台の上に建っていることから例大祭やお正月などは大混雑になるのではと想像された。訪れた日、私は危うく御朱印をいただけないのではと一瞬不安になった。

        

         
   ※ 直筆の御朱印です。季節らしい桜の花びらが配されています。

 手稲神社のあるJR手稲駅の南口側の街並みは複雑である。手稲地区が発展する際に区画整理がなされなかったからなのだろうか?私はJR手稲駅から手稲神社に向かう際にマップを手にしながら、かなり回り道をしてしまった。資料によると手稲駅からわずか250mの至近距離にあったのだが…。

    
    ※ 道路際に建つ第一鳥居です。その右側に建つのが社務所でした。

 手稲神社はそんな手稲駅前の繁華街(?)の小高い丘の上に鎮座していた。第一鳥居を潜り、階段を上ったところに本殿(拝殿)が姿を現した。本殿の前はちょっとした広間になっているもののその両側には社務所(らしきもの)と授与所が配されていた。

    
 ※ 第一鳥居から階段をぐんぐんと上がると第二鳥居、そしてその奥に本殿が見えます。

 手水舎に「花手水」がなされているのではと期待したが、特別何も施されてはいなかった。

    
    ※ 手水舎に花手水は施されていませんでした。
    
※ 一瞬、狛犬かな?と思いましたが「御神牛」と表示され、菅原道真公にちなんだ「撫で牛」だそうです。自分の体で悪い箇所と同じ箇所を撫でると良くなる(除くアタマ)そうです。

 私はいつものように拝殿に進み出て、参拝をした後に「御朱印」をいただこうと周囲を見渡したが、「御朱印」を頂けるようなところは見当たらなかった。「社務所」と思われるところも固くシャッターを下ろしていた。「えーっ、ここまで来て御朱印をいただけないのか?」と一瞬ガックリ来た。私は本殿の周りを一周して、どこかに社務所のようなところがないか探したがそれらしきものも見当たらなかった。

    
    ※ 手稲神社の本殿(拝殿)です。

 私はすっかり観念して諦めかけたが、「まてよ」と思い直し、ともかく電話をしてお尋ねしてみようと考えた。電話をしたところ「社務所は丘の麓の第一鳥居の隣に位置しています」との回答をいただき正直いってホッとした。直ぐに社務所へ伺うと、笑顔で迎えてくれて直筆の御朱印を無事にいただくことができた。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       
【手稲神社 情報】
◇旧社格:郷社
◇所属:北海道神社庁
◇住所:札幌市手稲区手稲本町2条3丁目4-25 
◇御朱印:あり(直筆 500円)
◇参拝可能時間:24時間
◇社務所受付時間:概ね 9:00~17:00  
◇例祭日:9月5日
◇駐車場:有り(数台程度)
◇アクセス:JR函館本線「手稲駅」南口から徒歩3~4分(約250m) 
◇創建:1899年(明治32年)
◇代表的ご利益: 〇縁結び・恋愛成就 〇安産祈願・子授かり・子宝 〇合格祈願・学業成就 〇夫婦円満・家内安全 〇商売繁盛 〇病気平癒・健康祈願
〇必勝祈願・勝利成功 〇技芸・武芸・芸能 〇旅行・交通安全     
◇御朱印記帳日 4月16日

銅像から北海道の歴史を辿る

2024-04-17 17:47:20 | 講演・講義・フォーラム等
 道内に建立された銅像の背景を探ることによって、北海道の歴史を辿るということは面白い視点だと思う。講師の武石氏のお話はこれまでも何度かお聞きしたことがあるが、とても興味深いお話を今回も伺うことができた。

 4月15日(月)午後、札幌市高齢者市民講座の中央区会場の講座が開講され参加した。4月の講座は「銅像から北の開拓者の業績を辿る~産業・医学・教育振興編~」と題して、札幌市観光ボランティアの会の会員でいらっしゃる武石詔吾氏が講師を務めた。

     
      ※ 大通公園に建つ石川啄木の像の横に立つ講師の武石詔吾氏です。

 武石氏はまず、戦前に道内に建立された幾多の銅像が戦時の金属類回収令によってそのほとんどが解体され、戦後になって復元されたもの、されなかったものについて触れられた。その中で唯一、中島公園内に建立された「木下成太郎像」だけ供出を逃れたそうである。それは武石氏によると、木下氏の銅像は木下氏の生前に建立され、金属回収令が発せられた時には国会議員をされていたことがその理由ではないか、と述べられたが詳しいことは不明であると話された。
 そして本題に入っていったが、紹介された銅像は次のとおりである。(氏名の後は事績を表し、〇は建立年、△は所在地(設置場所)、□は制作者を表す)
〔産業振興編〕
 ■高田屋嘉兵衛 ~箱館の発展、択捉航路の開発~
    〇昭和33年 △函館市 □梁川剛一
    〇昭和61年 △根室市 □砂原放光
 ■竹鶴 政孝 ~ 国産ウィスキーづくりの先駆者~
    〇昭和34年 △余市町 □本郷新
 ■黒澤 酉蔵 ~ 本道酪農界の先駆者~
    〇昭和37年 △酪農学園大学 □加藤顕清
 ■町村 敬貴 ~近代農業を確立~
    〇昭和48年 △町村農場 □峯孝
 ■佐上 信一 ~根釧地区の酪農経営の基盤形成~
    〇昭和41年 △別海町農業センター □加藤顕清
 ■村瀬 久成 ~開拓使麦酒の生みの親~
    〇平成17年 △知事公館前庭 □中村晋也
        
        ※ 知事公館前庭に建つ村橋久成の銅像です。
    
 ■今井 藤七 ~丸井デパートの創業者~
    〇大正15年 △?(新潟県三条市?) □武石弘三郎
 ■井伊憶右衛門 ~オブラートシェア40%~
    〇 ? △倶知安町 □ ?
〔医学振興編〕
 ■大野 精七 ~札幌医科大学初代学長~
    〇昭和37年 △札幌医科大学 □佐藤忠良
 ■荻野 吟子 ~日本初の女医~
    〇昭和42年 △せたな町 □本田明二
        
        ※ せたな町の公園に建つ荻野吟子像です。

 ■関  寛斎 ~予防医学の提唱~
    〇昭和53年 △陸別町 □小室史
〔教育振興編〕
 ■佐藤 昌介 ~札幌農学校一期生、北海道大学育ての親~
    〇昭和7年 △北海道帝国大学構内 □加藤顕清
    〇昭和31年 △北海道大学構内 □加藤顕清
 ■山田幸太郎 ~札幌一中(現札幌南高校)の名校長~
    〇昭和8年 △札幌一中(現札幌南校) □諏訪頼雄
    〇昭和25年 △札幌南校々庭 □諏訪頼雄
 ■浅羽 靖 ~現北海高校の創設者~
    〇大正15年 △北海中学校庭 □田嶋碩朗
    〇 ?    △北海高校々庭 □ ?
 ■新渡戸稲造 ~世界平和に貢献~
    〇平成8年 △北海道大学構内 □山本正道
      
      ※ 北大構内に建っている新渡戸稲造像です。

 ■三松 正夫 ~ミマツダイヤグラム~
    〇平成5年 △壮瞥町 □米坂ヒデノリ
 ■浅井 淑子 ~服装文化・私学教育振興~
    〇昭和57年 △北翔大学構内 □坂胆道
 ■浅井 猛 ~私学教育振興~
      〇 平成3年 △北翔大学構内 □坂胆道
 ■松尾 三郎 ~道内初、情報系単科大学の創設者~
             〇平成9年 △北海道情報大学構内 □ ?

  以上が今回の講座で武石氏に紹介していただいた偉人たちである。ただ、一覧を眺めてみてもあまりよく知らない方も含まれている。それは今回の「産業・医学・教育振興編」がある限られた地域だったり、産業だったり、私学の関係者だったりで、広く公に活躍された公人の方々とは一線を画す方々が多かったからのようである。
 武石氏は講座の最後に、銅像はある人物の足跡や業績・歴史を知るうえで貴重な財産であると述べられた。さらには、今回提示された銅像の中でも、大正時代や昭和初期に建立された銅像は一度撤去されて、その後再建されたものもある。こうしたことから武石氏は「銅像は動く」と述べられた。つまりそうした過去を紐解くことによって新たな発見・知見が得られるとした。銅像を一つの足掛かりにして地域の歴史を紐解く研究をされている武石氏の着想はなかなか興味深い。
 これからも機会あるごとに武石氏のお話を聴いてみたい。

さっぽろラウンドウォーク セクション3(宮の沢ふれあい公園⇒石狩南高校)

2024-04-16 20:05:43 | JRヘルシーウォーキング & さっぽろラウンドウォーク
 さっぽろラウンドウォークの2度目の事前踏査を本日、薫風が吹く中を気持ち良くウォークすることができ、事前踏査の役割をそれなりに果たせたと思っている。それにしても今回はアプリの威力を十二分に感得することができた!
※ あれっ? “薫風” って、5月の風でしたっけ? 心地よい風にあたったために思わず “薫風“ などと表現しちゃいました。
      

      ※ 本日はこの「さっぽろラウンドウォーク」のセクション3を歩きました。

 このところ原因不明の腰部の痛み(いわゆる腰痛とはまた違った痛みである)に悩まされてもんもんとした日々が続いていた。整形外科に行っても原因が分からず、とりあえず様子を見るということだったので、痛みが和らいだ今日、様子見を兼ねて思い切ってラウンドウォークを試みてみた。
 本来であれば、3月11日に次いでセクション2の事前踏査をすべきなのだが、セクション2はセクション1に続いて山間部のため、例え雪は消えていたとしてもコースがまだぬかるみ状態なのでは?と考え、セクション3を先に踏査することにした。
 そこでセクション3のスタート地点である「宮の沢ふれあい公園」に近い地下鉄「宮の沢駅」まで地下鉄で移動した。

    
    ※ セクション3のスタート地点である「宮の沢ふれあい公園」です。
    
     ※ 「宮の沢ふれあい公園」の隣は「白い恋人サッカー場」です。J1のコンサドーレの選手たちがトレーニングに励んでいました。 今年はピンチです。頑張ってほしいですね。

 「宮の沢ふれあい公園」からは「中ノ沢川」沿いを下流に向かってウォークするコースだった。「中ノ沢川」はけっして大きな川ではないが雪解け水が勢いよく流れていた。

   
   ※ 「中ノ沢川」の上流部はまだ細く、川沿いの道も整備されていませんでした。

 ここでアクシデントが発生した。実は今年ウォーキングパンツを新調したのだが、それが黒色だったので、それとコーディネートしようと古い黒のウォーキングシューズを用いたのだが、古さゆえにシューズの底が剥がれてしまったのだ。そうなるともう普通にはとても歩けない。「止めようか?」と思った時、幸いにも近くにホームセンターの看板が目に入った。そこで接着剤を購入し、応急処置を施してなんとかそれ以降もウォーキングを続けることができたのはラッキーだった。
 中ノ沢川沿いは途中からはきれいに舗装され、市民のウォーキングコースともなっていて、サクラ並木ももうすぐ開花を控え、蕾が膨らんでいた。

   
   ※ 「中ノ沢川」も下流に来ると、このように散策路が整備されていました。

 スタートから1時間少々歩いたところには「富丘東公園」という小公園があり、トイレもベンチも整備されていたので小休止には最適の場所ではとチェックした。

   
   ※ JR稲積公園駅の駅舎です。
   
   ※ 駅に附設するようにJR函館線を跨ぐ跨線橋が整備されていました。跨線橋の上は道路です。

 コースは「JR稲積公園駅」のところでJR函館線を跨線橋で跨ぎ、各種運動施設が広がる「手稲稲積公園」へ導かれる。そして今度は「中ノ沢川」と同じく「新川」の支流である「軽川」沿いを歩いて「JR手稲駅」へと導かれる。

   
   ※ 跨線橋を渡ると、すぐに「手稲稲積公園」が広がっています。
   
   ※ こちらは「軽川」沿いの散策路です。

 私はここでちょっとコースから外れ、手稲駅の近くにある「手稲神社」に参って御朱印をいただいてきた。(後日レポします)

   
   ※ 「手稲駅」の北口です。

 手稲駅からは駅の北側に広がる住宅街を横断し「新川」に向かうのだが、住宅街を通るコースは「プロムナード手稲」、そして「前田緑道」と車道から少し離れて歩道が設置されていて、どちらも市民が散策するのに適した歩道となっていて、歩いていて気持ちが良かった。この歩道にはベンチも適度に配されているので、どこかで休憩するのに適しているように思われた。

   
   ※ 手稲前田地区の住宅街に延びる「プロムナード手稲」の散策路です。ところどころにベンチも配されています。
   
   ※ こちらは「前田緑道」です。 右手の建物は「北海道科学大学」の建物です。

 二つの散策路を経て、コースはやがて「新川」に導かれる。対岸の「前田森林公園」に向かう「前田森林公園橋」を渡り対岸に出て、「新川」沿いを東に向かう。本来であれば「新川」沿いの散策路がコースなのだが、一部がまだ雪に覆われていた(冬期間の雪捨て場だったのかな?)ため、新川通沿いの歩道を歩く。
   
    ※ 新川に架かる「前田森林公園橋」です。
   
   ※ たくさんの支流の流れを集めた新川の流れです。
   
   ※ 新川沿いの一部にはこのように雪が融け残っていて、ショベルカーが融雪を進めるために出動していました。

 そして「新川中央橋」まで達したところで、新川通を跨いで住宅街へと導かれる。ここで威力を発揮したのが「さっぽろラウンドウォークアプリ」である。コースは住宅街の細い道に導かれたのだが、事務局が発行している25,000分の1のマップでは、住宅街の細かな道はどうしても読み切れない。ところがアプリだと自由にマップを拡大できるために細かな道も迷わずに進むことができる。実はこのアプリを使えるようになるため、私は何度も事務局のお尋ねしてようやく使えるようになったのだが、アプリを初めて使ってみて百万人の味方を得たような気分である。

   
   ※ 新川の北側に広がる住宅街を流れる「発寒吉川」です。なんと私は、この写真以降カメラを構えることを忘れてしまったようで、一枚も写していないというミスを犯しました。

 そして住宅街を進む中で、コースは札幌市域から石狩市の住宅街に導かれた。住宅街をしばらく進むと高校生の下校途中に出会い、ゴールの「石狩南高校」が近いらしいことが分かった。そしてちょっとした市街地に出て、やがて「石狩南高校」の前に到着した。
 ここからはバスで地下鉄「大麻駅」に向かった。
 本番では、ここのバス停「石狩南高校前」から地下鉄「大麻駅」に向かう時と、反対に地下鉄「大麻駅」からバスで「石狩南高校前」まで来なければならない場合がある。そのためバス停の時刻表を写し、地下鉄「大麻駅」のバスターミナルで「石狩南高校前」行のバス時間をチェックしてから地下鉄を駆り、我が家へと帰ってきた。
 気温の方は思っていたほど上がらず、川沿いのコースは適度な風も吹いていて、気持ち良く歩くことができた。
 腰の痛みもまったく感ずることなく歩き通すことができホッとしている。コース自体は約12キロと表示されていたが、S & Gまでの距離や、コースから離れたことも何度かあったこともあり、スマホの歩数計を確かめると19キロと出ていた。それでもそれほど疲れを覚えることなく家に帰りつけたのはちょっと自信になった。
 この後も、機会を見つけて事前踏査を継続したいと思っている。             

   

北海道交響楽団第96回演奏会

2024-04-15 18:24:52 | ステージ & エンターテイメント
 う~ん…。感動するには今一つだったかなぁ~。私ごときがそう評することは、とても失礼なことではあるのだが、敢えてそう表現させてもらった。前日に私が札響の音を聴いていたというディスアドバンテージの状況であったこともあるのだが…。

     
 ※ ポスターに特徴のある絵が描かれています。金沢和彦作「大合戦」という名が付けられています。この日の第2曲目、第3曲目がどちらも大戦の影響を受けた曲だったことから、このような画を採用したのでは、というのは私の解釈です。

 三日連続の音楽三昧である。昨夜(4月14日)、札幌コンサートホールKitaraにおいて北海道交響楽団の第96回の演奏会が行われ友人たちと共に参加した。
 「北海道交響楽団」(以下、道響と称する)はその名が示すとおり、北海道においていち早く結成され(1980年結成)、80名を超える団員を有し、北海道を代表するアマチュアオーケストラとして自他ともに認める存在だと私は理解している。だから演奏会の回数も96回目とアマチュアオーケストラとしてはだんとつの回数を誇っているのだ。

※ 80名を超える大演奏陣による演奏会でした。写真はウェブ上から拝借しました。

 さて、その道響が昨夜演奏した曲目は…、
 ◇D.カバレフスキー/組曲「道化師」
    1.プロローグ 2.ギャロップ 3.行進曲 4.ワルツ 5.パントマイム
    6.間奏曲 7.叙情的小シーン 8.ガボット 9.スケルツォ 10.エピローグ
 ◇J.シベリウス/交響曲第6番 ニ短調 作品104
    1.Allegro molto moderato
         2.Allegretto moderato₋Poco con moto
         3.Poco vivace
         4.Allegro molto₋Doppio più lento
 ◇D.ショスタコーヴィチ/交響曲第9番 変ホ長調 作品70
         1.Allegro
         2.moderato₋Adagio
         3.Presto (attacca)
         4.Largo (attacca)
         5.Allegretto‐Allegro
〈アンコール〉◇D.ショスタコーヴィチ/モスクワ・チェソョームシキ
                             組曲より 第3曲 ダンス(ポルカ・ギャロップ)
 この日のラインナップだけではなく、道響の演奏曲目から感ずるのは「いつも本格的な曲目に挑戦しているなぁ」という印象である。それはやはり伝統的なオーケストラであるという矜持がそうさせるのだろうか、と思ってしまう。
 私のような者から云わせてもらえば「そんなに肩ひじ張らずに、本格的なものと少しリラックスできる曲目を織り交ぜてもいいのでは?」とも思うのだが…。特にこの日の場合は、シベリウスの曲がやや沈んだ曲調だったこともあって聴いていてもやや辛いところがあった。
 ちょっと皮肉になってしまうが、私自身が一番盛り上がったのはアンコールのポルカ・ギャロップの速く激しい一曲だった。客席の反応もこの曲が一番だったのではないだろうか?組曲「道化師」も楽しめたが…。
 まあ、私のような外野の者がどう云おうとも道響は道響の道をこれからも歩んでいくのだろうが、どうか道民や市民に愛されるオーケストラとして、100回と云わず、さらに上を目指して伝統を守り続けてほしいと願っている。