田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

豪華!七吹奏楽団の競演!

2024-04-30 16:52:19 | ステージ & エンターテイメント
 活動歴がいずれも35年を超える札幌市内のいわば老舗の吹奏楽団が一堂に会してのコンサートは豪華で、聴き応えのあるものだった。題して「第45回市民バンドフェスティバル」は多くの聴衆を呼び込み、華やかに開催された。

     

 毎年、4月に開催されている「市民バンドフェスティバル」は、今年は一昨日28日(日)の夕刻、札幌コンサートホールKitaraで開催された。出演バンドは次のとおりである。
(演奏順 団名の後ろに記したのは創立年と団員数である。但し賛助出演は除く 註:プログラム記載されたものを参照した。数え間違いがあるかもしれない)
  ◇札幌青少年吹奏楽団          (1984年創立 47名)
  ◇サッポロシンフォニックバンド(1971年創立 65名)
  ◇札幌ブラスバンド        (1987年創立 71名)
  ◇札幌市民吹奏楽団        (1961年創立 33名)
  ◇札幌吹奏楽団          (1970年創立 30名)
  ◇札幌シティバンド        (1982年創立 31名)
  ◇札幌ユース吹奏楽団       (1978年創立 51名)
 団員数に違いはあるものの、すでに半世紀を超えて活動しているバンドも目立つ。
 また、プログラムにはそれぞれのバンドの指揮者の略歴が記載されていたが、どの方も素晴らしい音楽的なキャリアの持ち主である。そうした方々の指導を得ながら各団では日々研鑽されているものと想像される。
 それぞれバンドは2~3曲を演奏したが、どのバンドも日ごろの修練の成果を発揮されたステージだったと私はみた。ただ、団員数の違いがやはり聴こえてくる音に違いは感じられた。果てして吹奏楽の場合は、どれくらいの奏者の数が適当なのだろうか?聴いている私からはやはり60名を超えるバンドが紡ぎ出す厚みのあるサウンドは迫力が一段と違って聴こえたが…。
 各バントの自己紹介の欄には「団員募集!」の表示が目立ったが、やはりどのバンドもボリュームのある音を求めているのかな?と思われた。社会人としてバンドに加入して活動するにはさまざまな制約があるのではと想像される。そうした制約を乗り越えて音楽活動をされている方々は本当に素晴らしいことだと思えるし、ぜひとも生涯の趣味として継続されることを願っている。
 フェスティバルの最後には、各バンドから選抜されたメンバー110名による演奏が披露された。そこで披露された曲目は…、
 ◇R.シュトラウス/「2001年宇宙の旅」
オープニング「ツァラトウゥストラはかく語りき」より 
 ◇A.リード/吹奏楽のための序章「ラッシュモア」
 ◇さだまさし・宇崎竜童・谷村新司/ジャパニーズ・グラフティⅨ「いい日旅立ち」
 2曲目の「ラッシュモア」は、アメリカ・サウスダコダ州にある岩山の名前で、その岩肌にアメリカの歴代の4人の大統領の顔が彫られていることで有名な岩山です。今回のフェスティバルのプログラムの表紙を飾っているのはそうした意味が込められているということです。
 さて、ここからは全く個人的なことであるが最後の「ジャパニーズ・グラフティⅨ」を聴いた際に私は不覚にもウルウル来てしまった。それは1970年代を駆け抜けた歌手・山口百恵のヒット曲が次から次へと演奏されたからだった。1970年代というと私はまだ20代後半である。当時は和洋織り交ぜてTVは歌番組全盛だった。山口百恵はその中で、いわゆるアイドル歌手の一人と目されたが、その人気は絶大だった。だれもが彼女を好ましい目で見ていたのではないかと思う。もちろん私も…。
 当時の多くの日本人が山口百恵を見る目が私の中では突然、今の大谷翔平を見る目とリンクしてしまったのである。山口百恵と大谷翔平…、一見何の脈絡のない二人だが、私の中ではどこか繋がってしまうのである。そんな思いを明日綴ってみようかな?と考えている。
 「市民バンドフェスティバル」がとんでもないところに飛び火してしまったが、フェスティバルで忘れてはならない存在の方がいる。それは司会を担当した俳優の金田一仁志さんである。彼のウィットに富んだ司会ぶりがフェスティバルを一層楽しく豊かなものにしてくれたことを付記しておきたい。

札幌の枝垂れザクラ巡り物語

2024-04-29 19:59:43 | 環境 & 自然 & 観察会
 足で、車で、地下鉄で、巡り巡った3日間。汗と涙(?)の枝垂れザクラ巡り物語である。何人もの人に尋ねながらようやく辿り着いたのに葉ザクラ状態だったり、思わぬ偶然から新たな素晴らしい枝垂れザクラを発見したりと、幾多の物語を紡ぎながら札幌市内の枝垂れザクラを巡り歩いた。

 枝垂れザクラがエゾヤマザクラやソメイヨシノの開花より若干遅いという観察から、枝垂れザクラの満開時を密かに狙っていた。そこで近くの北海道神宮や円山公園の枝垂れザクラを何度か観察に訪れて、一昨日くらいからはある程度満足できる状態になったと判断し、順に巡り歩いてみた。

《北海道神宮の枝垂れザクラ》
    
      ※ 4月27日撮影
 北海道神宮の枝垂れザクラは神門の外の直ぐ脇にある。その奥には「北海道開拓の父」と敬われている島義勇判官像が建っている。
 枝垂れザクラは気のせいだろうか樹の半分に花が付いていないよう見えたのだが…。

《円山公園「パークセンター」前の枝垂れザクラ》
    
    ※ 4月27日撮影
 パークセンター前の枝垂れザクラはまだまだ若く、成長途中である。年々大きく育っていることが分かる。公園管理事務所としては公園のシンボルとして大切に育てようとする配慮なのだろうか?樹を取り囲むように添え木をしているのが目に障る。あまりにも人の手が入っている枝垂れザクラはどうなのだろうか??

《中島公園「日本庭園」の枝垂れザクラ》
    
      ※ 4月28日撮影
 私はこれまで中島公園の日本庭園の枝垂れザクラが札幌では最も素晴らしいと思っていた。27日の段階でほぼ満開と見たのだが、夕方だったことで光量不足だったので28日に行ってみたところ、すでに満開を過ぎていたようだ。残念ながら昨年のような鮮やかな姿を見ることができなかった。

《中島公園の水路上に咲く枝垂れザクラ》
    
    ※ 4月28日撮影
 今回は日本庭園のよりむしろこちらの中島公園内の水路上の枝垂れザクラのほうが見事のように思えた。花の色あいも鮮やかで、水に映えていたように思われた。

《パークホテル前の枝垂れザクラ》
    
    ※ 4月29日撮影
 妻にその存在を教えられた枝垂れザクラである。パークホテルの前面に小ぶりながら3本の枝垂れザクラがちょうど満開を迎えていた。

《北大「総合博物館」横の枝垂れザクラ》
       
       ※ 4月29日撮影
 総合博物館の横には2本の枝垂れザクラがあるのだが、どうしたことかこの2本がどちらも樹高が高く、目線を上にしないと愛でられないところが残念であるが、今年も鮮やかに咲いていた。

《北大「情報環境推進本部」前の枝垂れザクラ》
    
    ※ 4月29日撮影
 この枝垂れザクラは偶然だった。たまたま私のカメラのメモリーがいっぱいになってしまい「空き容量がありません」というメッセージが出たため、いつもは通らない通路を通って北大の構内に開店しているコンビニに向かっている時に偶然に目にしたのだ。2本の枝垂れザクラが並んで立っていたが、ちょうど満開時といった感じで、私が撮った今年の枝垂れザクラの中では最も見映えする枝垂れザクラとなった。

《旧軽川沿いの枝垂れザクラ》
    
    ※ 4月29日撮影
 最後に車で手稲区へ向かった。まずは昨年も目撃した旧軽川沿いに咲く枝垂れザクラを見た。心持ち昨年より成長しているように見えた。このサクラの根元には「天然記念物 三春の滝桜」という木札が掛かっている。調べてみると、福島県三春町にある枝垂れザクラは1922(大正11)年に天然記念物に指定され、日本各地に滝桜の子孫樹が植樹されているということなので、木札の表示を信じたいと思う。

《松浦亨さん宅の枝垂れザクラ》
    
    ※ 4月29日撮影
 このお宅を探すために、付近の住民の方3人にお尋ねしてようやく松浦宅前に行くことができた。実は、昨年私は前述の旧軽川沿いの枝垂れザクラを探して付近をあちこちと探している時に住宅街で見事な枝垂れザクラに遭遇したのだが、偶然出会ったその場所は記憶に残っていなかった。今回苦労して探し出したところ、昨年の記憶が蘇ったという次第である。
 ところが、苦労して探し出したにも関わらず、すでに花の時期は過ぎてしまっていた。葉ザクラに近い状態だった。樹の幹のところには「糸桜 昭和58年移植」と書かれてあったが、樹自体は相当年数が経っているようで樹のところどころが切り取られていた。私が伺った時も、主人が新たに伐採した枝を整理されていた。 

 以上9ヵ所の枝垂れザクラを巡ってみたが、枝垂れザクラの魅力は何といってもその優雅さにあると私は思っている。さらには例え1本だけでも十分に鑑賞に堪える価値があるのではと思ったことから枝垂れザクラを追いかけてみた。私が追いかけたのは札幌市内の中でもほんの一部なのだろう。まだまだ札幌市内には立派な枝垂れザクラがあるのかもしれない。何かの機会に情報を得ることができたら、来年はそこも追いかけてみたいと思っている。                             

いいなぁ~、西区オーケストラ

2024-04-28 13:01:09 | ステージ & エンターテイメント
 以前から西区オーケストラについては「いいなぁ~」という思いを抱いていたが、昨夜の定期演奏会もその期待を裏切ることはなかった。総勢75名の奏でる優しい音が私を癒してくれたひと時だった。

    

 昨夜(4月27日)、札幌コンサートホールKitaraにおいて「西区オーケストラ」の第36回定期演奏会が開催され参加した。
 今回の演奏は、ブルックナー、ウェーバー、ドヴォルザークといった比較的メジャーな3人が取り上げられた。その曲目は…
 ◇A.ブルックナー/行進曲ニ短調
 ◇V.ウェーバー/クラリネット協奏曲 第1番 ヘ短調 作品73
第1楽章 Allegro
      第2楽章 Adagio ma non troppo
      第3楽章 Rondo Allegretto
      クラリネット 河野泰幸
   〈アンコール〉V.ウェーバー/魔笛の射手より 狩人の合唱
 ◇A.ドヴォルザーク/交響曲 第5番 へ長調 作品76
     第1楽章 Allegro, ma non troppo
          第2楽章 Andante con moto
     第3楽章 Andante con moto, quasi l’istesso 
                                    Tempo Allegro schezando
     第4楽章 finale: Allegro molto
   〈アンコール〉J.ブラームス/バンガリー舞曲 第4番
  
※ 写真はプログラムから拝借しました。

 西区オーケストラは1曲目のブルックナーから快調だった。短い曲だったが、行進曲風の軽快な音が心地良かった。
 圧巻はクラリネット奏者の河野康幸氏との共演だった。オーケストラ単独ではなく、ソロの演奏と共演する(ソロ演奏を下支えする)というのはオケの単独演奏以上に呼吸を合わせる難しさがあると思われる。それを西区オーケストラは見事にこなしているように私には聴こえた。
 河野氏との共演に力を使い果たしたのだろうか?さすがに3番目のドヴォルザークではややスタミナ切れが見え隠れしたところもあったが、見事に演奏し切ったところに西区オーケストラの底力を見た思いだった。
 いったい何故西区オーケストラが私たち聴衆を惹き付けるだけの水準を維持しているのだろうか?プログラムを拝見すると、西区オーケストラは1986年に西区内の音楽愛好家が集いアンサンブルとして発足したそうだ。以来、愛好者が増えるに従い名称も変更され、現在の「札幌西区オーケストラ」となったという。おそらく今では西区を中心としながらも札幌全域から団員は集まっているのではないかと想像される。
 その第一の要因は、指揮者の鎌倉亮太氏の存在があるのではないか?と私は見ているのだが…。鎌倉氏のきめ細かな指導、そして統率力が団員たちの力量を高め、現在の西区オーケストラを創っているのではないかと私は思っているのだが…。コンサートにおける鎌倉氏の指揮を見ていると、そのキレの良さが際立っている。見事に指揮と演奏が融合しているのだ。

           
           ※ 指揮者の鎌倉亮太氏です。

 そして団員の皆さんである。団員の方々はどのような音楽的なキャリアを積まれた方々なのだろうか?それはおそらく千差万別だと思われるのだが、良い意味で互いに影響しあっているのではないだろうか?
 西区オーケストラで目立つのは女性団員の方々の多さである。しかもある程度人生経験を積んだ方が多いように感じられる。おそらく彼女たちが団員全体を温かく包んで和やかと厳しさがほど良くミックスされた練習風景が展開されているのではと想像される。
 期待していたとおりの演奏会を披露してくれた西区オーケストラの定期演奏会だったが、これが無料で公開されているのだ。一緒に聴いた友人たちと「いったいどうしてこのような演奏会が無料で実施できるのだろうか?」と話したのだが、門外漢にはとんと分からない。私たちにとっては有難いことだが、私にとって例え有料となっても駆け付けたい思いを抱かせてくれるオーケストラの一つである。
 西区オーケストラの次回の定演が来年4月26日(日)実施とプログラムに予告が載っていた。もちろん来年もぜひ駆け付けたいと思っている。  

ヘルシーウォーキング㉖ in 春爛漫!小樽の街並みを一望する平磯・手宮公園ウォーク

2024-04-27 14:58:46 | JRヘルシーウォーキング & さっぽろラウンドウォーク
 「坂の街小樽」を嫌というほど味わわされた12.5キロだった。晴天の中、気持ちの良いウォーキングだったのだが、コースの前半と後半に配された二つの公園に至る坂道には閉口してしまった…。

    
   
 4月27日(土)、いよいよ2024年の「JRヘルシーウォーキング」が始まった。私は昨年に続いての参戦である。今日が主催者(JRの担当者)が付いて行う「イベントウォーク」の最初の日だった。コースとなった小樽市は昨年度は最終の11月12日だったのだが、今年度は最初の日に行うというのは面白い。何か意味があるのだろうか?
 私は久しぶりということもあって、早起きしてしまいJRを利用してスタート地点の「小樽築港駅」に着いたときにはまだ午前8時前だった。少し待っていると担当の方が見え、すぐにマップを渡してくれたのでちょうど午前8時にスタートすることができた。
 今回は坂道コースというだけではなく、ヘルシーウォーキングの場合普通はスタート&ゴールが同じ駅となっていて、コースは一周する形のラウンドコースなのだが、今回はスタートが「小樽築港駅」で、ゴールが「小樽駅」というワンウェイコースなのも私には初めての体験だった。

    
    ※ 「小樽築港駅」の北口は駅舎らしいものが見当たりません。前面が駅です。

 「小樽築港駅」は、その名が示す通り海に近いところにあり、コースは直ぐに海沿いに導かれる。最初は海を横眼に気持ち良いスタートを切ったのだが…。

    
    ※ 「小樽築港駅」の北口をでるとそこはもう小樽港でした。

 やがて内陸に導かれると、なんとなんと小高い「平磯公園」に導かれる。マップでは「平磯公園まで急な上り」と記されていた。この急な坂を喘ぎながら上っている時、私はある ことを思い出していた。それは、もう10年前のことであるが私は小樽市と姉妹都市だというニュージーランドのダニーデンという町を訪れたことがある。そのダニーデンにはギネスブックにも登録されている「ボルドウィン・ストリート」という世界で最も角度がきつい坂があった。私はその坂を思い出しながら喘ぎながら上ったものである。

    
    ※ 坂の角度を示す一枚です。これだけの角度があると、冬は付近の方々は大変でしょうね。

 公園の頂点からの景色は下界が一望でき、それはそれで素晴らしかったのだが…。

    
    ※ 「平磯公園」の最上部から写した一枚です。小樽の市街が眼下に見えます。

 上ったからには、続いて下りである。徐々にコースは下るのだが、途中には小樽水産高校、潮見台中学校、潮見台小学校、小樽潮陵高校と次々と学校が現れる文教地区のような様相を見せながら小樽の街中へと向かった。また由緒ある(?)住吉神社もコース上に見ることができた。

    
    ※ 名門小樽水産高校の建物です。
    
    ※ 商都・小樽を支えた住吉神社の第一鳥居です。

 コースは住吉神社から街中へと導かれる。昨年のウォークでも通った「メルヘン交差点」を過ぎると観光客が散策する商店街が続くが、私たちのようにただ歩き過ぎるだけの者にはなんだか場違いな感じもしながら歩いた。

    
    ※ オルゴール堂などが立ち並ぶ「メルヘン交差点」です。
    
    ※ 界隈は写真のような古い建物、お土産屋、食べ物やが混在しています。

 そして小樽観光の目玉である「小樽運河」沿いを歩く。運河には観光船もスタンバイしていたが、時間的にはまだ早いようだった。

    
    ※ 小樽観光の目玉である「小樽運河」です。

 そして「小樽市総合博物館」を横目に、街並みが途切れたあたりから二つ目の急坂「手宮公園」に向かっての上り道が待っていた。こちらも「平磯公園」の上りに負けず劣らず長く厳しい上りが続いた。私を追い抜いて行った若い女性が「まだ続くのですかぁ~」と言いながら、軽やかに上っていった。
 「手宮公園」は「緑化植物園」も併設しており、小樽の桜の名所になっているようだ。ちょうどその桜が満開時とあって、多くの人が訪れていた。そして「手宮公園」からの展望もまた素晴らしいものだった。

    
    ※ 「手宮公園」の最上部から眺める小樽港です。

 「手宮公園」を下りると、なんと「小樽市総合博物館」の横に出てきた。私たちは博物館をぐるっと遠巻きにして、しかも坂道を上り下りしていたのだった…。

    
    ※ 「小樽市総合博物館」の前庭です。

 「手宮公園」の高台を下りた後は、「旧手宮線跡」を辿り、小樽の市街地を通ってゴールの「小樽駅」を目ざすだけだった。

    
    ※ 「旧手宮線跡」は保存され、観光客や市民の散策路となっています。

 昨年のコースは比較的平坦なコースだったが、今回はまったく別な小樽を紹介してもらったような気がした。しかしよく考えると、今回の方がより小樽らしいコース設定なのでは?とも思えた。また、ワンウェイコースというのもなかなか面白いと思えた。

    
    ※ こちらも古風な印象のゴールとなった「小樽駅」です。

 今年もまた積極的にJRヘルシーウォーキングに取り組もうと思っている。JRの担当部局が設定したコースは、街の名所を上手に取り入れているので、その街を知るうえでとても良い機会を与えてくれている。イベントウォークはもちろんのこと、いつでもウォークも積極的に取り組み、北海道内の街をもっと知りたいと思っている。
 なお、ヘルシーウォーキングのナンバーリングは昨年からに引き続いて打ってゆくことにしたいと思い、今回は㉖とナンバーリングを打つことにした。はてしてどこまでナンバーリングを伸ばすことができるだろうか??

判官さまと枝垂れザクラ

2024-04-26 16:10:41 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 今、札幌の人に「判官さま」と云った時、どれくらいの人が判るだろうか? 北海道にとっては忘れることのできない恩人とされているが、今年は彼の歿後150周年に当たるそうだ。それを記念したパネル展を見てみた。

 「判官さま」と呼ばれているのは、「北海道開拓の父」と称される初代開拓判官・島義勇のことである。今年は彼の歿後150年に当たるそうで、北海道神宮では島義勇のパネル展が開催されていた。

    
    ※ 第二鳥居を潜った後の参道では満開のサクラが出迎えてくれました。

 本日は札幌も久しぶりの好天に恵まれたので、パネル展を見てみようと北海道神宮に向かった。併せて、4日前に北海道神宮内に建立されている島義勇像の前にある枝垂れザクラが蕾状態だったのが開花したかどうかも確かめたいと思った。
 北海道神宮内は好天も手伝っただろうか、外国人観光客も含めてかなり賑わった状態だった。
 パネル展は北海道神宮内の回廊に8枚ほどのパネルが展示されていて、島義勇の一生の事績が紹介されていた。

       
       ※ パネル展で表示された島義勇の全身写真です。
       
       ※ 北海道における事績が紹介されているパネルです。

 島義勇の生涯については、「めだかの学校」で「さっぽろの古を訪ねて」のパートⅠで取り上げたこともあり、私自身は彼の生涯について凡そ把握していたが、パネル展では彼の一生が簡潔に分かりやすく説明されていた。そこでも分かるのだが、彼が生きた幕末から明治にかけては激動の時代であったが、彼の一生もまた毀誉褒貶に富んだ一生だったことが良く分かる。彼にとって無念だったのは明治新政府の要人の一人として活躍しながら、最期は彼の生地・佐賀の乱の党首にまつり上げられ新政府に対峙した罪により斬罪梟首という非業の死を遂げたことである。
 しかし、彼が初代開拓判官として札幌の街づくり基礎を築いた恩人として、札幌(北海道)にとっては忘れえぬ人である。そうしたことから、島義勇は北海道神宮内と札幌市役所内の札幌の主だったところに二つの像が建てられたのである。
 さて、その島義勇像の前にある枝垂れザクラだが、一部の枝は開花していたが満開といえる状態となるにはあと2・3日必要かな?という状態だった。

    
    ※ 判官さま像前の枝垂れザクラは半分だけ開花した状態でした。

 さて「判官さま」と云えば、北海道境内の一角にある菓子メーカー「六花亭」の「神宮茶屋店」でしか購入できない焼き餅菓子「判官さま」が有名である。私も味わおうと店の前に行ってみると、なんと長蛇の列ができていた。大変人気である。行列の後ろについて待つこと約30分、ようやく入手することができた。

    
    ※ 六花亭神宮茶屋店前には焼き菓子「判官さま」を求める客が長蛇の列を作っていました。

 ホットプレートで温められた焼き菓子は、サービスのほうじ茶と一緒に味わうのだが、いつ食しても美味しいお菓子である。

    
    ※ 焼き菓子「判官さま」です。家まで持ち帰ったので少し形がいびつです。

 判官さまの前の枝垂れザクラは満開まで追い続けたい。

めだかの学校「さっぽろの古を訪ねて Ⅲ」発進!

2024-04-25 16:34:48 | 講演・講義・フォーラム等
 祖父が屯田兵の第1陣、琴似屯田兵として入団、入植されたという講師のお話は具体性に富み、非常に興味深かった。「めだかの学校」の渾身の企画「さっぽろの古を訪ねて」の第3弾がいよいよスタートした!
     
※ 以前にも提示した今年の企画「さっぽろの古を訪ねて」第3弾の内容を記したリーフレットです。

 私が所属する「めだかの学校」では、2018(平成30)年度より「さっぽろの古を訪ねて」という企画を連続して開催してきた。第2弾までは順調に開催してきたのだが、第3弾を開催を前にしてコロナ禍に出会い、頓挫していた。せっかく企画した第3弾をぜひ実施したいと願っていたのだが、コロナ禍も一段落したことから、今年度実施に踏み切ったのである。
 その第1回目が一昨日の4月23日(火)に実施した。屯田兵村は札幌市内、周辺に計5つの屯田兵村が存在した。その全てのゆかりの地を巡ることにしているのだが、第1回目は、屯田兵についての概要を把握する機会とした。
 そこで屯田兵の子孫である琴似屯田兵子孫会の事務局長をされている永峰貴様をお招きして「屯田兵の果たした役割」についてお話を伺い、併せて私の方から「講座全体を把握する」と題して、訪れる屯田兵村についてレクチャーをさせてもらった。

   
    ※ 講師を務めていただいた琴似屯田兵子孫会の事務局長である永峰貴さまです。

 永峰氏のお話は興味深かった。屯田兵制度は、当時の開拓使が北海道の開拓と北方警備を目的として、戊辰戦争において朝敵となった旧会津藩をはじめとする各藩(旧仙台藩、旧庄内藩など)の旧士族の救済という名目のもと募集されたものだった。しかし、募集を開始したものの予定の200名に足らず、永峰氏の祖父は当時17歳で募集年齢には1歳足りなかったのだが、追加で応募が認められ第1陣として入植されたそうである。
 永峰氏の祖父は、現在の琴似地区の中心街に建てられた屯田兵村兵屋に住居を割り当てられたそうであるが(集団密居制)、永峰氏は現在もその割り当てられたところで生活されているそうだ。第1陣として入植した200戸のうち、当時の住所に現在も住まわれているのは永峰氏ともう1戸だけだそうである。
 屯田兵の一日は大変厳しいものだったという。夏季間の屯田兵の一日は、
 ◇起床  4:00
 ◇就業  6:00~12:00
 ◇食事  12:00
 ◇就業  13:00~18:00
実に11時間の過酷な労働が課せられていたそうである。
 また、開拓使から与えられた住居は寒冷な北海道に適したものではなく、非常に過酷な環境だったことが、残された屯田兵屋からも伺えるが、それは今後の見学で私たちも実感できそうである。
 屯田兵は永峰氏の祖父が入植された1975(明治8)年の琴似屯田兵村を皮切りに、発寒、山鼻、江別、篠津と次々に入植地が広がっていった。それと同時に入植条件も変化していき、当初(明治8年)は支給された農地が一戸5,000坪だったのに対して、明治16年には倍の10,000坪となり、明治22年には15,000坪に拡大していったという、それに伴い先に入植していた者にも、その都度同じ条件になるように拡大して支給されたそうだ。そのため先に入植した琴似屯田兵の場合は、栽培する農地があちらこちらへと散在する結果となり、集団密居制のため家から支給された農地まで遠くなり、農作業が一層困難となってしまう結果も産み出したそうだ。
 その他に数々のエピソードを紹介いただき、今後の屯田兵村跡地の訪問が楽しみになってきた。

   
   ※ 永峰さまのお話を聴く「めだかの学校」の会員です。

 今後、「めだかの学校」では5月に「琴似屯田兵村」、6月に「篠路屯田兵村」、7月に「新琴似屯田兵村」、8月に「野幌屯田兵村」、9月に「山鼻屯田兵村」を訪ねる計画を立てている。今回のテーマ「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」に一層の興味を掻き立ててくれた今回の講義だった。この後も現地を訪ねた様子をレポトーしたいと思っている。


えっ!?ヒグマと遭遇?

2024-04-24 16:30:47 | JRヘルシーウォーキング & さっぽろラウンドウォーク
 えっ!?何? この獣の鳴き声は? か細い声鳴き声が聞こえた後に、野太い唸り声が続いた…。思わず足を止めて耳をそばだてると、二度、三度と同じような声が続く…。私は最悪のケースを想像し、凍り付いてしまった。

      
 ※ 本日使用したマップです。スタート地点、 ゴール予定地点。そしてクマ(?)の鳴き声を聞いた地点を表記しました。

 本日、「さっぽろラウンドウォーク」の事前踏査の第3弾として「セクション2」の区間を歩いてみることにした。コンディションは薄曇り(花曇り)暑くもなく、寒くもなく、歩くには絶好のコンディションだった。
 セクション2は「旭山記念公園」から「宮の沢ふれあい公園」までの約12キロである。
 本番を想定し、地下鉄で「円山公園駅」まで移動し、「円山公園駅」のバスターミナルから9時15分発の「旭山公園前行」のバスで移動した。

    
    ※ 旭山公園内のセクション1と2の連絡地点です。

 バスを下車し、セクション1のゴール地点、つまり本日のセクション2のスタート地点に向かった。この地点が25,000分の1のマップではいま一つはっきりしないのだが、アプリでは容易にその地点を見つけることができた。

    
    ※ 旭山公園内の木々はまだ葉を付けておらず、ちょっと寒々とした光景です。

  さっそく、旭山記念公園内の林道を抜けて円山西町方面へ抜けた。その途中に「円山西町庭園」という立派な鉄柵に囲まれた庭園が目に入った。「これは何だろう?」と思い帰宅してインターネットで調べたが良く分からなかった。市の公園緑化係にも聞いてみたがやはり分からなかった。
    
    ※ 鐘柵越しに「円山西町庭園」を写しました。
    
    ※  コース途上の「ユースの森」というところでエゾエンゴサクの群落を写しました。
    
 その後、円山西町、そしてそれに続く円山の住宅街を通り「三角山」に向かった。「三角山」は山頂には向かわず、裾野を周回するような形で一般道路に降り、今度は「琴似発寒川」沿いを上流に向かった。川沿いはちょうどエゾヤマザクラの満開に遭遇したようでたくさんのサクラを愛でることができた。

    
    ※ 琴似発寒川沿いの散策路のサクラはちょうど満開と云った感じでした。

 そして、札幌市内の散策路では私がイチオシの「西野緑道」へと導かれた。「西野緑道」はいつ行ってみても、きれいに整備されていて理想的な散策路に映るのだが、その要因をいつか探ってみたいとも思っている。

    
    ※ 私がイチオシの西野緑道の一部、シラカバ並木です。

 そしてコ―スは西区の西野地区に導かれる。西野地区の住宅街を抜け、セクション2としては最後の上りとなる「西野市民の森」へと導かれる。私はこの「西野市民の森」には何度も訪れたことがあり、かつて知ったる森林浴コースである。
 その「西野市民の森」に入ってそれほど経っていない時だった。(おそらく市民の森に入って1キロくらい行ったところである)コース脇の小高い笹藪の中から獣のか細い鳴き声が聞こえたのだ。するとその声に続いて野太いうなり声のようなものが重なって聞こえてきた。私は思わず立ち止まってしまった。すると、二つの獣の声はその後も何度も何度も繰り返された。私はその声を聞いていて、子鹿がヒグマに食べられているのではないか、と連想してしまった。そう考えると、私は凍り付いてしまい、足は一歩も前に進むことができなくなってしまった。あるいは親グマと子グマがじゃれ合っていたのかもしれないのだが…。しかし、それとても私にとって危険なことには変わりはない。私はクマ(かな?)に気付かれぬように後ずさりしながら現場から遠ざかった。

    
    ※ 西野市民の森の散策路の一部です。獣の鳴き声は左手の笹藪の中から聞こえてきました。

 事前踏査の計画は途中挫折という結果になったが、それは仕方のないことと諦めるしかない。私が聞いた獣の声がはたしてヒグマの声だったのか、どうか、真実は不明のままだが、君子(?)危うきに近寄らずである。何事もなく帰宅できたことをヨシとしなければならい。

アンダンテ・ウィンドアンサンブル

2024-04-23 19:19:42 | ステージ & エンターテイメント
 「アンダンテ・ウィンドアンサンブル」というちょっと変わった社会人の吹奏楽団がある。その吹奏楽団がこのほど “不定期演奏会” というこれまたちょっと変わったコンサートを催した。変わっているかな?と思うのだが、実力のある吹奏楽団だった。

    

 ちょっと変わった、と表現したがそれは楽団の成り立ちにある。プログラムで自己紹介している文章を拝借すると…
「2011年3月11日14時46分に起きた、東日本大震災の被災地へ向けて当時札幌近郊の大学、専門学校2年生だけが約50名集まり、2011年5月に初めてステージを迎える。以来、東日本大震災を中心に熊本地震、台湾地震のチャリティを、その他北海道内の天災の被災地へ向けたチャリティコンサートを行っている。自主開催のチャリティのみならず、札幌市内のチャリティイベントへの参加やお祭りでも演奏を精力的に行う。2019年度より年3回の自主開催の演奏会を行うことを目標にしている札幌発の有志バンド」
とある。変わっているわけではけっしてなく、立派な志をもった楽団である。ただ一つのきっかけで集まった楽団が13年間も継続しているところが凄いなぁ、と思う。
 その理由はアンダンテ・ウィンドアンサンブルを主宰し、指揮も務める浦航史さんのリーダーシップによるのかな?と私は見ている。浦さんは非常に能弁な方である。以前にも北区民センターでのコンサートに参加したことがあるのだが、その際に語っていたが恒常的に活動している団員は少なく、不定期毎に集まってくるメンバーでコンサートを継続しているようなのである。浦さんの語り方もどこか緩~い感じがするが、楽団自体も緩~い集まりであることが長く継続している理由なのかもしれない。

    
    ※ アンダンテ・ウィンドアンサンブルを主宰する浦航史さんです。

 今回(4月21日)もそうした浦さんの人的な繋がりからだろうか?ゲストバンドとしてジャズの「Stellar Wind Jazz Orchestra」が出演し、「アンダンテ・ウィンドアンサンブル」の演奏の際は、「札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部」が合同演奏に加わったり、指揮者としてお二人の指揮者が登場したり、と多彩だった。
 コンサートのレポの恒例として演奏楽曲を羅列する。
◆第1部  Stellar Wind Jazz Orchestraの演奏
 ◇森村敏/Pa’lante Pa’gozar
 ◇C.Veiázquez/Bésame Mucho
◇A.Lala/Solamente Una Vez
 ◇G.R.Pouiton/Love Me Tender
 ◇D.Gallespie/Night In Tunisia
◆第2部  アンダンテ・ウィンドアンサンブルの演奏
 ◇P.Sparke/オリエント急行
 〔2024吹奏楽コンクール課題曲〕 ※ ここから札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部との合同演奏、指揮は甲斐誠氏
 ◇課題曲 Ⅰ 渡口公康/行進曲「勇気の旗を掲げて」
 ◇課題曲 Ⅱ 近藤礼隆/風がきらめくとき
 ◇課題曲 Ⅲ 酒井 格/メルヘン
 ◇課題曲 Ⅳ 伊藤宏武/フロンティア・スピリット 
 以下は再びアンダンテ・ウィンドアンサンブルの演奏
 ◇内藤淳一/式典のための行進曲「栄光をたたえて」  ※ 指揮 内藤淳一氏
 ◇B.Gray/サンダーバード
〈アンコール〉
 ◇内藤淳一/ブライアンの休日  ※ 指揮 内藤淳一氏
というような多彩さだった。
 第1部のStellar Wind Jazz Orchestraは北大のジャズ研のOB・OGを中心としたバンドということだったが、メンバーが楽しそうに演奏していたのが印象的だった。技量の方も十二分にそなえたバンドだった。

    
    ※ Stellar Wind Jazz Orchestraはメンバー19名とおお小ぶりなバンドでした。

 第2部のアンダンテ・ウィンドアンサンブルは60名を超える大所帯で、それに札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部が加わった時には優に100名を超える超大型演奏陣での演奏となった。さらには課題曲の指揮を執った方は、プロの指揮者で特に吹奏楽界では名の知れた指揮者だということだ。そしてお気づき思うが、内藤淳一氏は札幌在住の方のようだが吹奏楽の作曲者として吹奏楽コンクールの課題曲を何曲も作曲されている方で、この日も 自らが作曲し、課題曲となった曲の指揮をされた。
    
    ※ アンダンテ・ウィンドアンサンブルと札幌大谷中学校・高等学校吹奏楽部の
       合同演奏は優に100人を超す大人数のためカメラに収まりきらず、2枚の写真
       となってしまいました。
    

 アンダンテ・ウィンドアンサンブルの演奏技量も相当に優れた演奏だったと私は見た。いずれの演奏も音合わせなどそう時間はとれないのではと思うのだが、私の耳では演奏の乱れなどはまったく聴こえてこなかった。
 私はこれまで何度か課題曲Ⅰの行進曲「勇気の旗を掲げて」をさまざまな吹奏楽団の演奏を聴いているが、この曲が大好きである。行進曲のエッセンスがすべて含まれているように感じられるからである。この日の100人を越えるボリュームのある演奏で私の大好きな行進曲を演奏してくれたことで大満足で会場の白石区民ホールを後にした私だった。


春三題

2024-04-22 19:34:52 | 環境 & 自然 & 観察会
 札幌は4月18日にサクラの開花が宣言されたが、その後に低温が続いたこともあって開花状況は思わしくないようである。そんな札幌の春を巡って三題噺(というほどのものでもないのだが…)を綴ってみたい。

ART文字の整枝
 明朝は今シーズンに入って二度目の近代美術館前歩道の清掃ボランティアの日である。それに先立ち、本日午前「ART文字」の整枝作業を行った。というのも、整枝作業で刈り取った葉が散らばったものを明朝に清掃してほしいと思ったからだ。

    
    ※ ART文字の整枝前の状況です。

 「ART文字」は、春になってから少しずつ芽を伸ばしはじめ、全体の文字がぼやけたような感じになっていた。それをスッキリさせようと思ったのだ。事前と事後の写真を撮ってみたが、「それほど違いはない」と云われればその通りだが、私にしてみれば「まあ、多少はスッキリしたんじゃないかな」と自己満足している。もちろんもう一つの「MUSEUM文字」の方の整枝も忘れなかった。

    
    ※ 整枝後の状況ですが、あまり変わりないですかねぇ~。

標本木のサクラ
 私の住居からすぐ近くに札幌気象台がある。その気象台の庭に標本木のサクラ(ソメイヨシノ)が植わっている。18日以来、毎日その様子を見に行っているのだが、なかなかその後の開花が進んでいない。寒さの影響だろう。今日も行ってみたところ、開花状況は3~4分咲きといったところか?

    
    ※ 標本木のソメイヨシノです。

 そのソメイヨシノだが、私の腕ではなかなか良く撮ることができない。花の色が薄いこと、背景に建物などがないためなのではと思っている。
 それでも一枚撮ってきた。

    
    ※ 標本木のソメイヨシノを近撮してみました。

枝垂れザクラ
 友人から「今年はサクラ情報をアップしないのか?」と尋ねられた。私の中では「今年はもういいだろう」との思いがあった。その中で “枝垂れザクラ” だけは追いかけてみたいと思っている。枝垂れザクラは一本だけでもその優雅さが見事だと思うからだ。
 札幌の枝垂れザクラというと、「中島公園の日本庭園」、「円山公園パークセンター前」、「北海道神宮島判官像前」、「北大倉総合博物館横」、「旧軽川沿い」が思い浮かぶ。今年もできればこれら巡ってみたい。札幌にお住まいの方で、この他のところで枝垂れザクラが素晴らしいところがあったなら是非教えてください!

    
    ※ 北海道神宮の島判官像前の枝垂れザクラです。左奥に島判官の像が見えます。
    
    ※ 円山公園パークセンター前の枝垂れザクラです。

 ということで本日午後、近くの「北海道神宮島判官像前」と「円山公園パークセンター前」の枝垂れザクラを見に行ってきた。しかし、まだまだ蕾状態だった。枝垂れザクラはソメイヨシノが満開状態を迎えた後くらいが見ごろのようである。そこを見逃さずに訪れるように訪問計画を立てたいと思っている。
訪れた円山公園では、もっとも早く花を付ける坂下野球場の脇のヤマザクラが8分咲きくらいの状況だったので一枚撮ってきた。

    
    ※ 円山公園の坂下野球場脇のエゾヤマザクラです。

 札幌もようやく春らしい話題をお届けできる季節がやって来た。私の大好きな “サッポロ・ジューン” (作家の林心平氏命名)ももうすぐだ。札幌の野外情報も積極的に発信したいと思っている。                    

“能楽” を鑑賞してみたが…

2024-04-21 17:04:15 | ステージ & エンターテイメント
 我が国の伝統芸能である “能楽” を鑑賞してみたが、まったく素養のない私には終始チンプンカンプンであった。どこに魅力があるのか?どこに面白さがあるのか?う~ん、私にとっては難しい課題である…。

 昨日(4月19日)午後、かでるホールおいて札幌能楽会が主催する「能楽鑑賞のひととき」に参加した。その動機は、これまで全く縁のなかった “能楽” っていったいどのようなもの?という、私の何でもちょっと入口を覗いてみたいという面白がり精神が会場に向かわせる動機となった。
 会場のかでるホールはキャパ520名と聞いているが、そこがほぼ満杯になるほどの盛況だった。会場のステージには能楽堂の屋根がない略式の舞台が用意されていた。(その舞台は下図のような形でした)

    
     ※ かでるホールに設えられた能舞台です。屋根がないだけで他は同じように設えられていたようです。
   

※ こちらはウェブ上から拝借した本来の能舞台の図です。

 公演の出演者は全て札幌在住の方のようで、それぞれが流儀別(流派)に能楽師と呼ばれる師匠の指導のもと稽古を積み、この日の舞台に出演されていたようだ。
 公演前にプログラムが渡され、そこには演目の一覧やその解説、役者名などが記されていたが、私の目を惹いたのはその “流派” の多さだった。“シテ方” の流派には「観世流」、「宝生流」、「喜多流」と三派があるようだが、その流儀を名乗る個々が所属する会が3派合計で15の会が存在している。
 さらには “囃子方” にもそれぞれ小鼓、大鼓、太鼓、笛と、用いる楽器によってそれぞれ流派が異り7つの流儀が存在するといった複雑さである。
 そう考えると、札幌市だけでいったいどれくらいの方が能楽に関わっているのかと思えてくるが、おそらく相当数に上るのではないだろうか?
 プログラムにはそれぞれの演目の解説も載っていたが、それを見るとやはり多いのは人情噺や恋の話が目立ったが、いつの世でも変わらないということなのかもしれない。
 ところが!いざ演目が始まって観ていても、その内容が一向に私には伝わってこないのだ。参考までにこの日の演目一覧を転記してみると、
 ◇連吟(喜多流)   「歌占」
 ◇仕舞(宝生流)   「大江山」
 ◇仕舞(観世流) 「班女」
 ◇太鼓連調(金春流) 「羽衣」
 ◇連吟(宝生流) 「箙」

    
    ※ 「箙」の演目では、地謡陣が8名も出演しました。

 ◇仕舞(観世流) 「松風」
 ◇舞囃子(喜多流)「西王母」
 ◇仕舞(宝生流) 「網之段」
 ◇仕舞 (喜多流) 「経政」
 ◇舞囃子(宝生流)  「野宮」

    
    ※ この演目では、シテ方の後ろに太鼓、小鼓、笛の囃子方が陣取りました。

 ◇半能(観世流) 「玉鬘」

    
    ※ 最後の演目だった「玉鬘」だけシテ方が面(おもて)を付けて登場しました。

 解説を見てみると、それぞれの演目にはストーリー(物語)があるのだが、あの能の独特の発声法ではどれも同じように聴こえてきてしまうのだ。舞台袖には、シテ方や地謡が発する言葉が表示されているのだが、それを横目に見ながら舞台を観続けるのだがどうしてもどうしても能の世界には入っていけなかった。
 能の世界って、恐ろしく難解なものなのだろうか?それとも単に私が理解する能力に欠けているだけということなのだろうか?それすらも判別がつかない“能楽”の初体験だった…。