告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

抗がん剤で癌は治せない

2008年12月31日 | Weblog
抗がん剤には、たしかに癌を縮める効果はあるが治す力はない。人間は効果のない薬を投与し、使い続けてきたということが出来ます。すると人間はマイナス思考になり、「抗がん剤でも治らないのだから、ガンは治らない病気なのだ」と思い込んでしまうのです。これは安保徹新潟大学教授の本の中の一文だ。

抗がん剤はこの十数年の間にまったく進歩をとげていない。薬が強くなればなるほど、つよい副作用で悩む人が増えている。以前にも増して、抗がん剤のリスクは高くなっている。私は抗がん剤での治療を受けていないので、これが本当かどうかについてはわからない。しかし、新しい抗がん剤が効果をあげているのであれば、癌で亡くなる人が今から27年前には16万人だったが、現在では27万人に増えているということは確かにおかしいと思う。 

癌と言うのは、なんらかのストレスによって体内の顆粒球が増え、リンパ球とのバランスがくずれて交感神経緊張状態が続いた結果によるもの。癌に恐れることはない。癌は体内を浄化するために発生した体の仕組みにすぎない。これは頼もしい説だ。

近い将来、ガンへの恐怖心は拭い去られる

2008年12月30日 | Weblog
丸山医師のもとに57歳の男性が訪れた。陰茎の先端がただれている。原形をとどめないくらいに変容していた。血液検査の結果、梅毒ではなかった。かかりつけの医師からは陰茎ガンと診断され、切り落とすしかないと言われたという。

丸山医師はこの患者を診察して、すぐに、「ご安心なさい。ガンではありません。切らなくとも必ず治りますよ」と言い切った。

周りに居た助手が「先生、あんなふうに断言して大丈夫ですか」と心配そうに言った。

検査の結果はやはり結核であり、丸山ワクチンを12回注射した時点でほぼ完全に治癒した。誤診のまま陰茎を切除するようなことになっていたら、たいへん不幸な境遇に落とされていたことだろう。

しかし、仮にガンであることがはっきりしている場合では、患者の心を救うにしても、はっきり明確にがんではありませんよと言い切ることが出来るだろうか。歯切れの悪い、あいまいな言い方になるかもしれない。最近は、ガンに関する情報が豊富なので、患者もおいそれとは、医師のガンでないということばを信じようとしない。よって猜疑心によってとめどもなく苦しめられることになる。
この難問を解決する道は、ガンを不治の病でなくすること以外にない。そして私は、近い将来において、なんの躊躇もなく、「あなだはガンですよ。でも、治りますからね」と告げることが出来る日が訪れるのではないかと思っている。丸山ワクチンが、そのことを促進してくれるであろうと、期待しているのである。(「丸山ワクチン-がんを追いつめる」の末尾にある文章からの引用)

丸山医師は触れたときの感触からだけで陰茎ガンでないと断言したようだ。同じ男性として尊敬を感じるところである。ひとのちんちんは触りたくない。

フォークシンガーの東田寿和さん

2008年12月29日 | Weblog
「治療を受けないのであれば、あと6ヶ月たてばあなたは生きていない」 と6ヶ月前に宣告された。今のところは何ともない。普通に働いて暮らしている。 この場合の宣告は、余命ということとは若干違っている。 こう言われて治療を受けないという人はまずいないだろうから、医師も推測で言ったのだろうと思う。 患者も治療を受ける気がなければ病院に行かない。

昨日の東田寿和さんが6ヶ月の余命と宣告を受け、そして治療を選択しなかったのはガンの進行度が私の場合より高く、一般的な5年の生存率がさらに低く説明を受けたからかもしれない。 それでも7年も活きることが出来たということに興味がわいてきた。私は丸山ワクチンがなければ、多分標準治療を受け入れていた弱い人間だ。
東田さん本人の著書があるようだ。 この本を読んでガンと向き合う姿勢を見習いたい。

誰も知らない泣ける歌

2008年12月28日 | Weblog


東田寿和さん。職業フォーク歌手。1954年11月28日 兵庫県生まれ。 上咽頭ガンと診断され、治療しなければ余命半年と告げられたのは44歳の時。彼が選んだ道は、会社をやめ、治療も受けず、楽しく残りの人生を活きること。「西へ向かう」という曲を自作した。7年後の2007年9月に永眠(享年52歳)。 合掌。 

佐伯チズの夫

2008年12月27日 | Weblog
佐伯チズさんの夫は1982年に肺がんの宣告をうけた。胸膜にも浸潤しており、治療が不可能な状態と、最初から余命3ヶ月との診断だった。その後・・・丸山ワクチンなどの治療を受けたりしたと記述があって、1年半後に安らかになくなったという。先日の日経新聞に載っていた。その後、鏡を見たときに、自分の顔色にがくぜんとして、これはいかんとケアを考えたという。

ガン患者の未亡人は元気を取り戻す。 ガンで亡くなるのは仕方がない。寿命だからと納得できるのだろうか。交通事故であれ、殺人であれ、医療事故であれ、悲しみは怒りに変わる。おかしなことだと思う。

丸山ワクチンを使った時の詳しいことも書いてほしいところだ。

近所にあるかかりつけのお医者さん

2008年12月26日 | Weblog
近所の内科に血圧の薬をもらいに出かけてきた。約6ヶ月前に、丸山ワクチンの治験承諾書にサインをお願いして断られたところです。

標準治療を受けなければ、それなら6ヶ月後には多分死ぬことになると言われていたので、断られて、害された気分になったことを思い出します。

断られた理由は、総合病院には日頃から世話になっているので、その承諾がなければ治験できないというものだった。丸山ワクチンの効果について否定されたわけではなく、耳鼻科は専門外とつきはなされたわけでもない。

近所でも繁盛している医院だから、予約をとって診察を受ける。血圧管理はそれほどの緊急性がないので薬だけをいただくことのほうが多い。

「ご機嫌はいかがですか?体調はどうですか?その後どうなりました?」
「ほかの個人病院で承諾書のサインを頂くことができて治療を受けています」
「それはよかった。本人さんの希望がかなってよかったですね。」
「・・・・」
私の希望は、ガンがなくなり、健康を取り戻すことだ。40%の確率で5年は生きることができないという治療法は選択したくなかっただけのことだ。現在の元気な私を見て不思議に思わないのだろうか。働いて稼がなければ、この内科病院での高血圧の治療費も払うことが出来なくなる。

「これからは、この病院で治験を受けることは出来ませんか?」
「困るんですよ。病院との関係が悪くなるので・・・」

今度からは他の病院で血圧の管理をしてもらうことを決めた。ひとは、パンのみにて生きるにあらず。神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである。医師は患者にとっては神様のような存在だ。

対談-ここまできた最新医学

2008年12月25日 | Weblog
渡辺淳一著の「あきらめるのはまだ早い」という本を読んだ。ガン専門の医師との対談がおもな内容となっている。胃がん、乳がん、肺がん、その他のガンの権威との対談の中身は濃い。小説家の渡辺淳一氏も医師の資格を持っているという。

近年、それぞれのガンに対する治療法が格段に進歩を遂げているようだ。もうすぐ、ガンが撲滅される時代が来るように思えてきた。明るい未来がもうすぐ来ると感じてくる。

本の中には生存率という言葉が多く出てくる。確かに、生存率の高い治療法が求められる。というより絶対に死は避けてもらいたい。これはだれしもが思うことだ。

医師は命を救うという崇高な使命を持った職業。人に喜ばれて、しかもそれによって収入を得る。一方、患者側にとっては命より大事なものがある。治療を受けている間、家族がちゃんと食べていけるのだろうか、路頭に迷わないだろうか。心を痛めないだろうか、治療費はどれくらい掛かるのだろうか、はたしてこの先仕事に復帰できるのだろうか。入院費は、入院日数は、抗がん剤の副作用は、免疫力の低下はどれほどのものか、などということになる。

当然のことですが、
この本には、これらのことは一切触れられていない。

耳鼻科に出かけてきました。

2008年12月24日 | Weblog
今、ガンの診察から帰ってきたところ。
前回は風邪をひいたあとに出かけた病院です。
その時にはガン組織はすこし大きくなっているようだといわれた。
リンパ系の組織なので、風邪を引いたときには大きくなるともいわれた。
今は、風邪も治まり、痰に血が混じることもない。
その後の状態の変化を知りたくなりました。
自覚症状も感じられない。でも、不安もある。

内視鏡での診断の結果は、申し分ない状況だった。
炎症は治まり、逆に、すこし小さくなったのではと・・・
お正月は心置きなく過ごせそうです。

丸山ワクチンはガンに確かに効くと
はっきり言える時期はもうすぐです。

無名戦士の言葉

2008年12月23日 | Weblog
大きなことを成し遂げるために、強さを求めたのに
謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。

偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、
よりよきことをするようにと、病気を賜った。

幸せになろうとして、富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった。

世の人々の称賛を得ようと、成功を求めたのに
得意にならないようにと、失敗を授かった。

人生を楽しむために、あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために、人生を賜った。

求めたものは、一つとして与えられなかったが
私の願いはすべてかなった。
最後に私は、豊かな祝福を受けた。


体験談にまさる事実の証明はない-⑦

2008年12月22日 | Weblog
丸山千里著 「丸山ワクチン-ガンを追いつめる」より

58歳の2月まで、私はまったく健康そのもので、病気らしい病気をしたことがなかった。それが急に、排尿時にいたみを感じだし、血尿まで出てくるようになり近くにある豊橋市の市民病院の泌尿器科をたずねてみた。昭和48年の2月のことである。膀胱に乳頭腫ができているという診断結果だった。
「ガンの疑いもあるので入院して治療しながら検査してみましょう」と医師がいう。
3ヶ月間入院することになった。しばらくして、先生から、「コバルト照射をやってみよう」といわれる。コバルト照射をやるからには、私はガンではないか? と・・・

内心ではガンだったのだと確信しながらも、口ではガンだと騒ぎたてないように努めた。そんな私か丸山クチンを使用するようになったのは、ほかならぬ主治医の田代先生のおすすめによる。
「ガンではないが、ガン細胞ができるのを防ぐ予防的な意味で、ひとつ、丸山ワクチンを使ってみませんか」なんでも田代先生は、44年ごろから丸山ワクチンを使用しているという。

退院のあと、周りの人は誰も私を病人として認めてくれない。もし、あのとき適正な治療が受け付けられなかったならば、現在の私はないのだと思うと、不思議な気持ちになってくる。私の病気を治してくれたのは、コバルト照射か、丸山ワクチンであったのかは私には分らない。


丸山ワクチンは、標準的な治療とみなされていない。医師が患者にこの治療法を勧めるにも勇気がいる。副作用がまったく無い薬。治療を受けるなら患者側から積極的にお願いするしかない。