私の日常

毎日の生活で印象に残った出来事を記録しておきたい。

直感

2013-08-15 09:58:58 | Weblog

August 15, 2013

8月14日(水)
だんだんいろいろなことを理詰めで追っていくことが億劫になった。そこでこの頃頼るのは、自分の直感だ。直感は、間違っているかもしれないが、なんだか面白い。久しぶりで、友人と電話でお話をした。そのおり、今私が携わっている点訳のことに話が及び、ボランテイアについて、このところ私が抱いている直感的疑念をお話しすると、山形孝夫『砂漠の修道院』という本を推薦してくださった。日常的なもやもやした気持ちが、こうして私がまった知らなかった本へと飛躍していくことが、この友人との会話の楽しいところだ。早速あちこち調べてみて、アマゾンから新本を購入することにした。

古い本で、1987年に「新潮選書」で発刊され、その後1987年に「平凡社ライブラリー」から新しく出ている。図書館でも借りられるし、中古書もあったが、平凡社ライブラリーの表紙の写真が目に焼きついたので、この暑さを記念して(わけのわからない)、これを選んでみた。今月は忙しくて、楽しみにしていた映画「8月の鯨」を見はぐってしまったし、たまには新しい本を手にするのもいいでしょう。届くのが楽しみだ。時間が前後するが、昨日は暑い中、図書館に出かけた。いつもは本を受けとrたり返却したりするだけなのに、今日は点訳の校正刷りを持ちこんだ。こんな日に席があるはずはない。地下の社会人向けの場所もいっぱいで、仕方がなく隅の方の椅子に腰かけて、膝に置いて少し作業をした。ずいぶんはかどったと思って時計を見ると、まだ1時間しか経っていない。しかしこれが限界、届いていた本、ヨハン・テリオン『赤くほほ笑む春』(早川書房〉を受け取り、シランパア『若く逝きしもの』(筑摩書房)を、予約した。これは、先ほど触れた友人のブログにあったもので、ぜひ読みたいと図書館に予約したが、川崎の図書館にはなかった。そこで神奈川県の図書館を調べてもらうと、少し遅れるが取り寄せられるということだったので、予約させてもらった。私はもう図書館わらじです。

8月16日(水)
点訳でお近づきになった友人と、新宿でお昼を食べながら、忌憚のないおしゃべりを楽しんだ。ほぼ同年齢の方なので、戦争にまつわる話も、同じフィールドの中で出来る。リーフ型のチョコレートがいくつかまとまって個包装になっているお菓子をいただいた。カカオが健康にいいそうだ。パソコンに向かっているときのおやつにいただこう。

画像は、友人宅で育てられたゴーヤ。私もいただいた、新鮮であまり苦くなくとてもおいしかった。小ぶりなのもよかった。ゴーヤはやはりチャンプルがおいしいが、私は小林カツ代さんの本にある「ゴーヤ味噌チャンプルー」を作る。これが一番おいしいように思える。次にレシピを紹介する。

                    ゴーヤ味噌チャンプルー
材料:ゴーヤ1本、木綿豆腐1丁、豚こま切れ150g、卵1個、しょうが1かけ、塩小々、サラダ油大さじ1-2、A(味噌大匙1、みりん大さじ1、酒大さじ1)、しょうゆ小さじ1
作り方:ゴーヤは縦半分に切って、スプーンでたねとわたをこそげとり、薄切りにし、塩小さじ1をまぶして5-10分おく。水切りした豆腐と塩少々で下味をつけた豚肉を炒め、ショウガの千切りとゴーヤ、A を加えてさらに炒め、ゴーヤがいたまってきたら、とき卵を回し入れし、仕上げにしょうゆを混ぜる。     
                    (小林カツ代『野菜をたくさんつかったおかず』)


白薔薇を添えて

2013-08-11 22:54:17 | Weblog

August 11, 2013

頼りにしていた妹の主人が、突然心不全で亡くなった。活動的な人だったので、この暑さの中、無理をしたのかもしれない。しかし、孫が、「おじいちゃん、あっぱれ」と言ったという。あっけなく、でも誰をも煩わすことなく旅立った姿は、孫の言葉通りだ。彼の人生も「あっぱれ」という言葉にふさわしいものだtった。生まれ育ち、大好きだった木曽にある、夏を過ごす家で生涯を終えたことも、何かつじつまを合わせて逝ったように思えてならない。いままでずいぶんお世話になり、これからも頼りにしていたので残念だし、悲しい。白薔薇を添えて、冥福を祈ろう。

不思議な気もする。私はこのところ、身辺を整理したいという思いに駆られている。いろいろなことが分らなくなる前に、自分なりの区切りをつけて、図書館の本を片っ端から読むような生活に切り替えようかと思っていた矢先だ。私に決断の時を与えてくれたのかもしれない。子供や孫たちで何もかも終わらせてから報告してくれたのは、妹らしい。しかし世間が静かにしていてくれるかどうか、妹には無理をせずに、自分の意志を貫いてもらいたい。静かに終わりたいというのは、亡くなった妹の主人の願いでもあるのだから。


秋の気配か

2013-08-10 07:46:55 | Weblog

August 10, 2013

ブログの更新がおくれてしまった。預かっていた点訳は終わっているが、これを見直すのに少し時間がかかった。高校野球を見ながらのながら仕事なので、なかなかはかどらない。やっとかたがついたので、新聞をゆっくろ読む。日本の国の借金が1000兆円を超えたそうだ。これは毎年この時期に財務省が発表することだというが、消費税値上げの布石として、メディアが声高に伝えているという感じがする。何しろ借金大国という話は今に始まったことではない。それなのに国が景気対策とかいって財政出動し、さらに借金の上乗せをしてきている。元金がないのに借金をすれば借金は膨らむばかりだ。子供だってわかる論理に惑わされてはいけない。どこかで誰かがいい思いをしていて、最後に消費税などの増税で国民一人一人からお金を巻き上げる。アベノミクスか何か知らないけれど、安倍政権を見ているとずるいと思う。別の言い方をすれば、国民をばかにしているということか。問題が起こるとチョコっといい顔をして薬を塗る、しかし根本の解決をするどころか、反対の行動を裏で着々と進めていく。原発しかり。こういったものを動かしている大きな力がどこかに隠されているとしたら怖い。「リベラル」という言葉が懐かしく感じられるこの頃だ。

秋分を過ぎたというのにこの暑さ、さすがにエアコンのお世話になっているが、蝉の鳴き声を頼りに近くの公園まで出かけると、スッと風が通り抜けた。これが秋の気配かもしれない。こんな時に相応しい歌はないかと、斎藤茂吉『万葉秀歌』(岩波新書)のページをめくっていて、次の2首を選んでみた。

     秋山の紅葉を茂み迷はせる妹を求めむ山道知らずも
                                      柿本人麿
     世の中は空しきものと知る時しいよいよますます悲しかりける
                                      大伴旅人

柿本人麿の歌は、妻に死なれた時詠んだ歌で、大伴旅人の歌は、妻大伴郎女を亡くしたとき、弔問に報(こた)えた歌だという。8月は、原爆、敗戦と忘れてはいけない日々が続く月だ。いつか人は人と別れていかなければならない。しかし理不尽な別れがないことを祈りたい。

画像は、妹のメールから、「セミの羽化」。


「上高地帝国ホテル」

2013-08-03 10:48:01 | Weblog

August 3, 2013

以前、妹が日にちを限定して通年で借りていた信州のホテルに、毎年招いてもらった。このホテルでは、契約している宿泊客に対して、オプションイベントで、長野県のあちこちの観光地へのバスツアーがあった。妹夫婦は大抵上高地を選び、私も同行させてもらった。ほとんど旅行もしない私の生活の中で、この旅の思い出は大きい。

今朝、朝日新聞の土曜特版「be」を開くと、「上高地帝国ホテル80周年」という記事が目に入った。ツアーバスはこのホテルの前で止まってくれる。ここから河童橋まではすぐなので、ホテルのラウンジで、妹夫婦と3人でコーヒーを飲んだりして、残りの道のりを歩いてのぼったものだ。3人で、橋の手前から穂高連峰をスケッチしたのも懐かしい。長く生きていると、いいこともあれば悪いこともある。心の中で涙することもある。そう、私はそんないいこと、いい思い出があってこその今なのだと、強く思う。

8月、点訳の会はどこもお休みだが、引き受けた点訳は続いている。私の点訳データを校正の方に送る締切日はまだまだと思っていると、早々と済んだ方の校正が回ってくる。今回私は理数の点訳の会に入ったばかりで、いろいろと戸惑うこともあり、若い友人にうるさく質問してご迷惑をかけたりしているが、こうして次々と他人の校正が届くと、、「習うより慣れろ」の言葉通りの現実を経験している。少し無理だと思って引き受けてしまった感があるものの、 種類が違うのでそれぞれ勉強になり、何かこの8月で、 何歩も先に進んだような気がする。一歩前進二歩後退、なにやら懐かしい文言が頭をよぎる。

画像は、バスの中からスケッチした「上高地帝国ホテル」。 このころブログを書いていたかどうか定かでないが、この絵も載せたかもしれない。下手なスケッチだが、赤い屋根が印象に残ったことを覚えている。


アントニオ・ロペス

2013-07-29 08:59:02 | Weblog

July 28, 2013

 

7月28日(日)
夕方8時から NHK テレビの「日曜美術館」で、スペインの画家、アントニオ・ロペスを取り上げていた。この番組は、朝9時から放映したものを次週の夕方、今日のように再放映してくれる。先週朝の番組で見た友人から電話で知らせてもらった。本当に懐かしいことだが、いまから20年ほど前、友人夫妻と私と3人で、日比谷の「シャンテシネ2」で、ロペスを主人公にした映画「マルメロの陽光」を見た。スクラップしてあったこの映画のパンフを読むと、1992年のカンヌ映画祭で、ドキュメンタリーでありながら審査員賞と国際映画批評家賞を受賞している。映画は、リアリズムを追求したロペスが、庭に育つマルメロの実を、その光と影を求めて描く姿を、家族や友人たちの愛に包まれながら描くという物語だった。もちろん内容はすっかり忘れてしまっているが、「マルメロ」という言葉が長く頭の中に残っていた。あの頃は気にもかけなかったが、ロペスは、私より1年年上、映画の頃から比べると老人になった印象だが、作品への意欲は衰えていない。渋谷の「Bunkamura」で展示されていたのに気付かず、今は長崎県と岩手県の県立美術館を巡回している。 実物を見れなかったのは残念だ。

ご一緒した友人のご主人様は、今年2月に亡くなられた。今年こういった形で、テレビの画像を通してだが、ロペスの作品を目にし、「マルメロの陽光」を見た頃に想いを馳せることが出来たことは、不思議な気もする。ロペスは、インタビューに答えて、地球の反対側に住む人々に私の絵を鑑賞していただけてうれしい、といったことを語っていた。

7月30日(火)
読書会、本は、辺見庸『水の透視画法』(集英社文庫)。東北大震災を挟んだ、2008年から2012年までのエッセイをまとめたもの。この作家の作品は、1999年に『もの食う人びと』『反逆する風景』を読んでいる。前の作品についての記憶はあまりはっきりしないが、元気鋭のジャーナリストの強いものいいには、共感はするもののあまり好きにはなれなかった。その後いろいろな病気を抱えられ、お身体が不自由なこともおありのようだ。そういうことがあってか、歳をとられたなという感じはした。しかし最近作『瓦礫の中から言葉を―私の(死者)へ』(NHK新書)では、東北大震災に真正面から立ち向かう意欲をとりもどされたようだ。この作品は読んでみたい。今日の会で分ったことだが、詩人としても,「生首ー詩文集』で「中原中也賞」を『眼の海』で、「高見順賞」を受賞されているという。私は、ひとつの文が2000字余りのこのエッセイ集を読んでいて、語彙の豊富さや研ぎ澄まされた言葉の使い方など、詩に通じるところがあると思ったが、今後の詩集にも期待したい。

画像は、「マルメロの陽光」のパンフの1部分を写したもの。

 


英文点訳

2013-07-27 08:54:14 | Weblog

July 27, 2013

昨日の朝日新聞「天声人語」に 、高齢で独り暮らしの男性が孤立化する危険があるという話から、「徒然草いわく<ただ一人有るのみこそよけれ>。縁を離れ、事を与らず、と。だが、そんな兼好も友を求めた。同じ心の人としみじみ話しが出来ればいいのに、と書いている。」とある。私も女性ではあるが一人暮らし、教室をやめてから、他人と話すことがない日が何日も続いたりして、これはいけないと、70歳になってから点訳の講習を受け、今やっと完全始動についたところだ。点訳は校正を必ず必要とするので、いやでも人とのかかわり合いが出来る。しかも校正者は入れ替わるうえに、自分もどなたかの点訳を校正をしなければならない。学ぶことも多いが、面倒だなと思うこともある。私が正しいということではなくて、世の中には様々な人がいるので、気ままに暮らしてきた私には、ちょっとしんどいこともあるということだ。兼好さんの気持ちでいきましょう。

さて今引き受けているものの一つが、大学卒業生対象の、国家公務員試験の問題集の英語の部分だ。英語は、べたで打つと点訳文が長くなるので、中学生後半が対象の場合は、2級英語といって、単語によって短縮があり、ややこしい。英語の講習はこれが中心だったが、今は、使っているソフトにあらかじめその機能が織り込まれていて、パソコン上の操作で、べたで打った文字が2級に転換できる。私の使っているソフトは、1行ぐらいの文は可能なので、まずそのシステムを利用しているが、自己校正をしっかりやらないと、間違った転換などもありそうだ。今日からまた暑さが戻ってきたようだ。 ねじり鉢巻きとまではいかないが、 英語の点訳に励もう。

画像は、妹のメールから、 「カラー」。 アングルは違うが、 去年も載せた。ブログを覗いてくださっている友人から、「妹さんはなかなかのフォトグラファー」 というお誉めの言葉をいただいた。


散歩

2013-07-23 08:48:56 | Weblog

July 23, 2013

1日1回、その辺を歩く。坐骨神経痛を経験してから、いわゆるウォーキングはやめた。神経痛の方は突然治ったが、足腰のおぼつかなさは年を追うごとにひどくなる。といって、家の中で1日中椅子に座って本を読んだりパソコンに向かっていては精神的に持たない。一心不乱に何かに夢中になるというのは嫌いでないが、自分の中にまだ残っているエネルギーが、家を出て大空の下に行けと私を追い出す。というわけで、今日も散歩に出かけた。映画館の「アルテリオシネマ」の前を通る時、今上映している『8月に鯨』を見たい誘惑にかられたが、それは8月2日までお預けにしている。図書館から借りている本や読書会の本もまだ少し残っている。これらを読了し、預かっている理数点訳の会の点訳を、7月いっぱいに済ませたい。理数の点訳は難しい。勉強会で質問コーナーがあるのだが、そこで聞きはぐったことを、若い友人に電話で教えてもらい、ついでに少し愚痴をこぼしたりして、貴重な時間を拝借してしまった。 そんなわけで、身辺をすっきりさせ、とにかく、くすぶっている気持も整理して、軽い気持ちで映画を楽しみたい。

いつも歩きなれた道を駅前まで、さらに図書館まで足を伸ばすと、農協の店で思いがけない新鮮な野菜が手に入った。新しくて安価なので、開店10:30頃には毎日長蛇の列で、ただ通りすがりに覗いたときには、いいものは残っていない。たまに今日のように、集まっていた人が引いた後すぐに立ち寄れると、残り物の福にあずかれる。カボチャと隠元が残っていた。カボチャは大好きだ。ふっと母の得意だった、カボチャの中に詰め物をする料理が頭に浮かんだ。大勢の家族だからこそ出来る料理だと、懐かしく思い出す。今ごろのカボチャはどこで買ってもおいしいが、やはりほくほくした食感を味わえるものがいい。

午後3時ごろ。風がやみ、、むし暑い空気が部屋に充満する。それでもエアコンをつけるほどではない。足元に置いた小さい扇風機が、まったく無音で、静かに回っている。金魚鉢を掃除してから、いつも聞いている英語のCDをやめて、バッハの「無伴奏ヴァイオリン」にかえる。どこかでクラシックのCDを安く束で売っていたものを買った中の一枚なので、演奏者のことを気にしたことはなかった。10年以上聴いていて、今日はじめて、簡単なジャケットを見ると、グリュミオ―なのには驚いた。たぶん外国のレコードからとってつくったものなのだろう。曲そのものが好きなのでよくかけているが、さすがだなどと、いい加減な自分の耳に苦笑する。名曲をBMにして、次回・読書会の本、辺見庸『水の透視画法』(集英社文庫)の続きを読む。こういった名文家の文を読んでいると、たとえブログのごときものとはいえ、何かを活字に変えている自分の語彙の乏しさが悲しくなる。 私にとって、人生の楽しみの一つを与えてくれる作家は、遠い存在であり、また読んでいる間は、  近い存在でもある。

画像は、妹のメールから、車山湿原の風景。花は、レンゲツツジとコバイケイソウとのこと。「草原にいきたしと思えども・・・」


私も過去の人

2013-07-19 08:26:40 | Weblog

July 19, 2013

新しく引き受けた点訳の勉強会が1週間延びたので、楽な気持ちで新聞を開くと、高橋たか子さんの訃報が目に飛び込んできた。私たちの読書会にとっても、私個人にとっても忘れられない方だ。しかしこうしてお亡くなりになられたという記事を見ると、過去の人という言葉が頭をよぎる、そう私も過去の人かもしれない。夫であった高橋和己、調べてみると、高橋和己『わが解体』は、1974年に始まった読書会で5冊目に読んでいる。平凡だが、時代の寵児という言葉で形容できる作家だった。次々と発刊される作品はたぶん全部読んできたと思う。 1971年突然亡くなられた。 いま書棚の奥にあるそれらの本の中から、 『悲の器』を読みなおそうと思い、文庫本を手元に出したばかりだった。開いてみると、字が小さくて読みづらく、新しいものを図書館から借りたいとは思うが、2,3ページ読んでみただけで、格調の高い文章に引き込まれる。高橋和己の死後、たか子さんは作家活動を始めた。夫について書いた『高橋和己の思い出』は、人間・高橋和己の姿が赤裸々に語られていて、そのことも、あの頃大いに話題になったことを思い出す。

さて高橋たか子の作品は、読書会では、1977年に、『ロンリ―ウーマン』を読んでいる。その後カトリックの洗礼を受けられ、パリでの修道院生活の体験を元に書かれた『亡命者』は、今でも書棚の中心に置いてある。考えてみれば、今は21世紀、人々の考えも、社会の環境も、ある意味で全く別なものになってしまっているのかもしれない。しかし、あれほどにも真剣に物事を考え、友人たちと論じてきた時代が懐かしい。もちろん私は今もこうして生きているのだが、自分も含めて、何かいろいろなものが稀薄になっているように思える、そして今度の選挙、私たちが何とか戦いとってきた自由が脅かされ始めている。間違った過去へ戻ってほしくない。いちばんの心配は、いま戻っていきそうないやな過去であって、そういった息苦しい、間違った時代の流れに、精神の世界で、また行動で立ち向かう若者たちがいた。作家・高橋和己も、そうだった。しかし今その若者の姿がまったく見えないのがこわい。

画像は、妹のメールから、「ホタルブクロ」。昨年も載せたと記憶する。道端に、ひなびた姿でひっそりと、さびしげに咲いているのも風情があるが、こうやって庭で大切に育てたものも、見ごたえがある。


「樹林」

2013-07-18 09:07:22 | Weblog

July 18, 2013

点字がご縁で、3人友人が出来た。その中のお一人の、私にはいろいろな点で先輩に当たる方と、新宿の「京王プラザホテル」の中にあるポピュラーなレストラン「樹林」で、ランチをとりながら、おしゃべりをした。75歳を過ぎてから知り合った方なので、友人の過ぎ来し方は何も知らない、そしてうかがうたびに、お子様方をはじめ、ご家族の曇りのない、私の立場からいうと華麗なご環境に、驚く。でも私と友人を結びつけている糸は、もっと別のところにある。イデオロギーとまで大げさな言葉は使いたくないが、生活信条の「核」のところで、一致している。これは大切なことだと思う。安心してお話が出来る、ということだろうか。『医学大辞典』の点訳でご一緒しているので、仕事の進め方で、アイデアを頂戴したり、疑問点を話し合ったりするのも楽しい。というわけで、だいぶ長くこの場をお借りした。昼間すいていたのに、席をたつ頃には、入り口に待ち人が何人かいて、こういった場所の人の流れの移り変わっていく様を見せられた気分だった。友人がご縁のある北海道の、ここ限定の「じゃがポックル」というお菓子をいただいて帰宅した。ブログを書きながらポリポリ、おいしい。

家に入る前に郵便受けを覗くと、横浜の友人から、最近訪れられたバルト三国のお土産があった。本当に私って、自分では何も差し上げるものがないのに、いただくばかりで恐縮だ。 でもありがとうございます。お土産は、杜松(ねず)で出来たバターナイフ、この友人のブログを見て図書館に予約し、今2冊目を読んでいる、スウェーデンの作家、ヨハン・テリオンの本の中にに出てくる「ジュニパーの茂み」という言葉のジュニパーが、この杜松に当たるそうだ。セイヨウネズは、 北半球の寒い地域に分布するヒノキ科ビャクシン属の針葉樹だという。毎朝使うもの、大切に使わせていただこう。

ここまでは昨日の話、今日は、朝早く、近くのコンビニから、預かっていた物語の一部の点訳したものを、校正の方にメール便で送る。昨日寝る前にきちんと揃えておいたものを、もう一度見直して、封をした。私はオッチョコチョイなので、必ず何かを入れ忘れたりする。若い頃はそんなことがあっても、すいませんで再度送ったり書き直ししたりして済んでいたものだが、歳をとってからは、そういった間違いが、自分の心を暗くするので、何度も何度も見直す。若い頃と同じような失敗でも、こうも違うものかと、改めて、その年齢、その立場にならないと何事も実感できないのだと悟る。今日はまだ午後から夜まで1日は続くが、いったんここでこのブログは終えます。

画像は、妹のメールから。


天ぷら

2013-07-13 14:39:41 | Weblog

July 13 2013

あいかわらず点訳漬けの日々だが 事務所に出かけたり、友人と3人で食事をしたり、気分転換はしている。2,3日前、引き受けた物語の点訳の勉強会のために、理数の事務所に出かけた折、理数点訳を率いていられる先生(実は、この事務所は先生のご自宅の脇に別に建てらてある)から、茸をたくさんいただいたので皆さんで持ちかえってくださいと言われ、私もいただいてきた。先生はいつも天ぷらにしていただくとのことだったので、私もそうすることにした。新鮮なマイタケは、いかにもおいしそうた。

というわけで、今日は、部屋をぴやぴやに冷やして、昼間から天ぷらを揚げた。ほかにも、ナスやカボチャ、インゲンなど、夏野菜も一緒に揚げた。山ほどできた天ぷらは、小分けにして密着袋に入れて冷凍する。お昼に天ぷらそばにしたり、天丼にしたりするときに、とても楽だ。料理の手を抜きたくはないが、点訳に夢中になっていると、面倒なものは作れない。そんな時、冷凍してあるおかずが一品あると、とても助かる。ひとり暮らしの知恵だ。

夕方5時を過ぎてから、最寄りの駅から急行で一駅のところにある「ヨドバシカメラ」まで出かけた。私は、ノートパソコンのキーボードは別売りのものを使っている。これが突然作動しなくなってしまった。パソコンに備わっているものは狭くて疲れるので、早速店まで探しに行った。いままで使っていたのと同じようなものがあり、ついでに、USBをたくさん接続できる器具も買った。今日も暑かった、そして湿度がどんどん増してきた。それでも気になっていたものが手に入って大満足、ルンルン気分で帰宅した。このブログは、新しいキーボードで打っている。パソコン本体も、耐用年数が過ぎているので、いつ使えなくなるか分らない。綱渡りの毎日だが、そんな生活も楽しい。郵便受けを覗くと、先日一緒に食事をした友人から葉書が届いていた。この頃何でもメールで済ませてしまうが、この方はパソコンはなさらない。きれいな字で、差し上げたジャムのお礼が記されていた。早速返事を書きましょう。エアコンを使わないといえばうそになるが、適度に利用しながら、節電にも努めてはいる。まとまりのないブログで、ごめんなさい。

画像は、妹のメールから。名前は分らない夏咲きのランだそうです。