すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

また「豆柴」に会ってきた

2024-04-13 10:32:54 | エッセイ
彼は嬉しくて左回りにくるくる回る

 近所へ散歩に行き、いつものコース上にある例の家の庭先でまた「豆柴」に会ってきた。

 やつは私の姿を見つけると、「もう嬉しくてたまらない」というようになぜかくるくる左回りに激しく回転する。

 毎回、くり返す謎の動きだ。

 私が檻に顔を近づけると、柵の間から鼻を突き出して私の匂いクンクン嗅ぐ。

 私の頭から顔、首筋へとくまなく鼻先を移動させ、香りを調査している。

 だが、そのうちに檻の中を落ち着きなくうろつき始め、突然、その場でおしっこをした。

 やっぱり散歩に連れて行ってもらえてないのだ。その証拠に糞の山も2つある。

先代犬と同じく散歩してもらってないようで心配だ

 ここの飼い主は無責任で、自分の飼い犬をまったく散歩させてないのだ。いわば飼い殺しである。

 そのせいで先代のデカい犬は、真夏のものすごい暑さの中、檻で死んでしまった。

 彼もまったく散歩に連れて行ってもらえてない様子だった、で、檻の中でたくさん糞をしていた。

 なのにここの飼い主は、また厚かましくも2代めの犬を飼い始めたのだ。

 もしまた酷暑の夏が来て、この豆柴にもあの先代犬と同じ惨劇が起こったらどうしよう?

 まだ春だというのに、そんな心配でいっぱいだ。

 動物愛護団体にでも通報し、この無責任な飼い主を指導してもらえないものだろうか?

 出過ぎたマネをするのはもちろん本意ではないが、そんなふうに私がためらっていたせいで、酷暑のなか先代のデカい犬は死んでしまった。

 もう二度とあんなことは繰り返したくないのだが……いったいどうすればいいのだろうか?

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Appleの「おすすめ機能」も侮れない

2024-04-06 18:34:35 | 音楽
「Apple Music」で私好みの曲がドンピシャで自動再生された

 実は私は音楽ストリーミング・サービスの「Apple Music」と「Amazon Music Unlimited」の両方に入っている。

 だが私などは「自分だけのこだわりプレイリスト」をガッチリ作り込み、もうそればっかり聴くみたいなパターンに陥りがちだ。

 しかしあるときApple Musicで自分のプレイリストを聴いたあと、たまたましばらく放置した状態になったのだ。

 するとすかさず自動的に「ピーター・ザック」という、聞いたこともない名前のピアニストの曲が自動的に再生された。

 これがまた、すごく良いのだ。

 で、それ以来すっかり気に入り、そのピアニストの楽曲も自分のプレイリストに入れるようになった。

自分を広げるために「わざと放置」してみるのもいい

 過去の記事で、Amazon Music Unlimitedについては似たような「おすすめ機能」をさんざん私の体験談で書いた。

 だがApple Musicでは、まったく初めての体験だった。

 いつもApple Musicではすっかり自分の作ったプレイリストばかり聴いているからだ。

 それで思い知ったのだが、やっぱり自分を広げるためには自分のリストを聴いたあと、ときには「わざと放流してみる」のもいいな、と感じた。

 で、私の好みをいつもの再生履歴から十二分に把握しているであろうApple Musicは、あのときテキメンに反応してくれた。

 だから二度あることは三度あるだろう。

 そうやって自分の知らない世界を体験できるのはとても貴重だ。

 何もAmazonだけじゃなく、Appleの「おすすめ機能」も強力なのだ。

 それを享受しないなんて、実にもったいない話である。

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MacBook Airのスピーカーは超絶的に音がいい

2024-04-03 10:08:28 | エッセイ
まちがえてスピーカーから音を出しビックリ

 私は過去、パソコン内蔵のスピーカーに音質を期待したことは一度もない。

 あれはもう「ただ音が出るだけのシロモノだ」とばかり思っていた。

 いや、いままで出会ったパソコンは実際みんなそういうレベルの音だった。

 だからいまでもその認識はまちがってないと思っている。

 ああ、正確に言えば思って「いた」だ。

 すでに過去形である。

何の気なしにイヤホンで音を聴こうすると……

 先日、MacBook Airの最新型を買った。

 で、届いたばかりのそいつで、何の気なしに高音質イヤホンをPCに挿して音楽を聴こうとした。

 いや、まさかパソコンのスピーカーで音を聴こうなんて考えてもみなかった。

 なのでMacBook Airにイヤホンを突っ込み再生ボタンを押すと……よく考えたらそやつはハイレートなDACを内蔵した通称「USBドングル」に挿したままのイヤホンだった。

 つまりパソコンに対し、USBドングル経由で再生できるよう必要な設定をしてなかったのだ。

 だから不意に意図せずパソコンのスピーカーの方から音が出た。

 瞬間、凍りついた。

 え? なにこの音は? これ、このパソコンから出ているの?

 思わず唸ってしまった。

 いやもう、その音がいいのったらない。

 もう超絶的なのだ。

すばらしい立体音響だった

 しかもただ音が出ているだけじゃなく、鳴り方にすごく立体感がある。

 見事に空間が鳴っている。

 思わず音が出ているディスプレイの下部を覗き込んでしまった。

 つまり本体のうしろから、まずユーザとは反対側に前方へと向かっていったん音が出る。

 で、その出た音が傾斜のついたディスプレイの下端に反射し、今度はぐるりと回ってユーザに向けて聴こえてくる仕掛けである。

 なんだかディスプレイの下から「音がたちのぼってくる」ような感じだ。

 しかもその音がもう、いいのなんのって。

 こんなに音がいいパソコンは初めて聴いた。

 もうびっくりだ。

「Apple Music」を知った時にも思ったが……

 実は「Apple Music」が揃える楽曲のラインナップ(これがツウ好みなのだ)を初めて知った時にも感じたが、Macの設計者って本当に音楽をよくわかっている。

 このレベルなら別に高音質イヤホンを使わなくても、軽く流し聴きするくらいなら十分だ。

 そんな聴き方なら肩も凝らないし願ったり叶ったりである。

 いやはや、MacBook Airが届いてからまだ数日しか経ってないが、もう驚かされることばかりだ。

 それら驚愕の事実はおいおい書くつもりだから、今日はこの辺にしておこう。

 いやぁ、もうびっくりですよ?

 本当にこいつは。

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近所の「狂暴犬」と仲良くなる

2024-03-31 13:17:38 | エッセイ
一度は噛まれたが粘りが奏功した

 近所の散歩コースに非常に狂暴な大型犬がいた。その家は大きくて、家の前にでかい犬小屋があったのだ。

 彼は人が近くを通るたびに吠え狂い、小屋の中で暴れていた。

 で、ここからが物好きなのだが……よりによって私はヤツとなんとか仲良くなれないか? と考えたのだ。

 なわけで散歩のたびにその犬小屋へ寄るのだが、ことごとく吠えられて退散していた。

 で、このままでは埒が明かないと考え、私はあるとき大胆な行動に出た。

 檻に張られた柵の間から鼻先を突っ込み、こっちには敵意がないことを示したのだ。

 ところが彼には当然そんなことは通じず、たちまち私はガブリとやられた。

 すごく痛かった……。

威嚇の一撃を機会に仲良くなる

 いや彼は単なる威嚇のつもりだったのだろう。

 攻撃が直撃してしまった私がしきりに痛がるのを見て、彼はそれまでとはまるで豹変した。

「しまった」

「やっちまったぞ」

「悪かった」

 そんな意を示してきたのだ。で、急に彼は大人しくなった。

「ここが攻め時だ」

 そう見た私はヤツの首周りをしきりに撫で(これは私の必殺ワザだ)、お近づきになろうとした。

 すると彼はそれを大人しく受け入れ、恭順の意を示した。

 これで一連の儀式は終わった。

 以後、私は散歩のたび彼の檻に寄り、「はぁはぁ」いうでかいヤツを撫でまわした。彼はもうなされるがままだ。

夏の暑さで彼は苦しそうだった

 そして季節は夏になった。

 折からの猛暑が容赦なく檻を襲い、ヤツは暑そうにまた「はぁはぁ」していた。

 とても苦しそうだ。

 大丈夫なのか? このままで?

 家にいるはずの飼い主さんに一声かけ、このままでいいんですか? 暑そうですよ? と言おうか考えた。

 だがそんな出過ぎたマネをするのもなんだか気が引けてしまい、そのままズルズルと時が過ぎて行った。

 そして別れは突然、やってきた。

彼は突然いなくなった

 ある日、いつものように彼の檻を訪れると……彼がいない。だが辺りには明らかに彼の体臭がもうもうと立ち込め、こんもりと糞もある。

 散歩に連れて行ってもらってないから糞が溜まっているのだ。

 いなくなったのは最近みたいだ。

 何が起こったんだろう?

 おそらく私のイヤな想像が当たっているのだ。

 この暑さにやられて、もう彼はこの世にいない。

 あまりのことに、しばらく呆然と檻の前に立ち尽くした。

 彼の身近にいて状況がよく分かっている自分は、なぜもっと事態を回避する適切な行動が取れなかったのか?

 こればかりは後悔しても、し切れない。

無責任な飼い主は散歩にも連れて行かない

 それにしても飼い主さんも明らかに無責任な人物なのだ。

 あんなでかい犬がいるっていうのに、散歩に連れて行った形跡がまるでない。

 いつも糞がたまっている。

 まるで飼い殺しのような状態なのだ。

 それからしばらく散歩のたびに檻の前を通り、ひょっこり帰って来てないか? と覗いてみた。だがそんなことはあり得ない。

 ああ、自分はなんてことをしてしまったのか?

 ただ後悔だけが胸を突いた。

あるときそこにちょこんと「豆柴」がいた

 だがそうこうするうち、ある日いつものように檻の前を通ると、あの檻の中に小さな豆柴がちょこんといたーー。

 なんと代わりの犬を飼い始めたのだ。

 私が近寄ると、人懐ッこいそいつは喜んで左回りに激しくぐるぐる何度も回る。

 そんな奇妙な動作を繰り返した。

 私はうれしさ半分だが、それにしても散歩にすら連れて行かないクセにこの飼い主はまた新しい犬を飼うなんて……。

 非常に複雑な気分になってしまった。

 さて、新入りのそんな豆柴とのことは、また機会があれば書くとしよう。

 では今日はこんなところで。

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【PC廃棄】やっと捨てる決心がついた

2024-03-30 23:08:07 | エッセイ
去り行く名機を惜しみながら初期化した

 新しいモデルを買った入れ替わりで、古い方のHPパソコンを廃棄処分することになった。

 なのでついでに、我が家の押し入れの奥底に安置され続けてきた歴代PCもいっしょに廃棄する決心がついた。(いまごろかい)

 どれも古いが、しっかり電源が入る。まるで長年、放ったらかしにしていた主人を待ちかねたかのように勢いよくランプがつく。

「おい、なぜ放置していたんだ?」

 そんなふうに訴えかけてきているかのように感じられた。

 しかもOSさえ新しいものに載せ替え、セキュリティを担保してやれば使えそうなものばかりだ。

 まずは去り行く名機を惜しみながらパナソニック、レッツ・ノートの古い個体をBIOSから初期化した。

 こやつはまだぜんぜん現役で動きそうだ。だが、なんせOSがWindows Vistaなのでセキュリテイがダメだ。しかたない。

すばらしいキーボードのThink Padだった


 続いてIBM時代の懐かしい黄金時代の名機Think Padも取り出してみた。

 本当に大事に使ってきた。

 しょっちゅう磨いていたから外見はピカピカの新品同様だ。

 こんなものを捨てるなんてまったく信じられない。

 あのすばらしい打ちごたえあるのキーボードも見事なほどきれいに保存されている。

 このキーボードだけは、さすがに惜しくなった。

 だがOSは……なんだったかな? ああ、Windows XPだな。

 問題外だ。

OSだけ入れ替えてワープロとして使えないか?

 でも、これってOSだけ入れ替えてワープロとして使えないのか?

 そんな想いでかなり後ろ髪を引かれたが……やっぱり同じく廃棄処分に決めた。

 だがそれにしても、もったいない。この立派な傑作キーボードがまるで泣いているかのように感じられる。

 ただこの個体は初期化の手順がネット検索ではなかなか出てこず未だ処分保留になっている。

 なんだか「オレを捨てないでくれ」って訴えてるみたいで忍びない。

 いっそ初期化の手順なんていつまでも見つけられなければいいのにーー。

 心のどこかでそう願っている自分がいる。

別れもあれば新しい出会いもある

 去り行く名機たちを見送る主人の気持ちはとてつもなく重い。

 だが人生、別れもあれば出会いもある。

 今後、新しく我が家の一員になるHP EliteBook、そしてMacBook Airといっしょに、また心機一転、あれやこれやで泣き笑いの人生が始まるのだろう。

 そんな未来に想いを馳せ、やっと初めて主人は前を向けたようである。

(追記)

 その後、Think Pad X31のマニュアルをネットでやっと入手できた。

 無事、カンタンに初期化できた。工程が進むたび、うれしいやら悲しいやら悲喜こもごもで複雑な思いに囚われた。

 ああ、新しいOSさえ入れられれば…。

 Think Padよ、来世で会おう。

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【画像変換の凄み】Windows OSとMac OSの決定的な違いとは?

2024-03-27 08:57:08 | エッセイ
*我が家のHPパソコン EliteBookは、北欧ならではの美しいスカンジナビア・デザインによる「Bang & Olufsen」(デンマーク)のスピーカーを搭載している。(上の画像をクリックすると拡大します)

Windowsな頭を襲ったMacBook Proの衝撃

 個人的な話になるが、パソコンなら私はWindows OSのほうが圧倒的に歴史は長い。

 そんな私がひょんなことからMacBook Proを使い始めたのはいつごろだったかなぁ?

 すっかりWindows頭だった私の五感を、こいつは絶えず刺激し続けてくれた。

 いやぁWindowsはユーザへしきりに再起動を求めてくる。

 だがMacBook Proを使い始めてからというもの再起動なんてトンと縁がなくなった。

 Mac OSは実に強靭で頑強なヤツなのだ。しかも画像処理にめっぽう強い。

 私は動画編集みたいな負荷の高い作業はやらないが、自分のブログに画像をアップロードしたりはする。

 そんなとき威力を発揮してくれるのが、MacBook Proがもつ実に優れた機能だった。

手元で拡張子を変えただけでファイル変換しちゃう

 なんとヘタすればこやつは単に手元で拡張子をチョチョイと変えただけで、ファイル変換を一気に終わらせてしまう。

 しかも最低、右クリ一発でpngをjpgにできたり、サイズ変換まで一度にやっつける。

 いやはや、その威力にはまったく恐れ入った。完全にWindows脳だった私の記憶の扉をゆさぶり起こしてくれるヤツだった。

 そんなこんなでMacBook Proはもう10年も使い続け、このたびめでたくMacBook Airへと発展的に昇華することに。


*MacBook Air

 この新顔はM3チップなるProと同等の頭脳をもち、しかも軽くて小さくモバイルにイケる。

 後生大事にモバイルルータを持ち歩き、ちょいと外で時間があればたちまちモバる私の生態にぴったりなのだ。

 てなわけでこのたびめでたく発注が終わり、あとは納入を待つ身となった。

かくてHPのEliteBookと出会う

 だがWindowsマシンの個人史もまた終わらない。

 あの忘れもしないSOTECで悲惨なパソコン史をスタートした私は、たちまち再起動と初期化の荒野に見舞われるハメになる。

 衝撃的なWindows世界の厳しい洗礼を受けた。

 その後、パナソニックのLet's note を愛用し、すっかりモバな世界に目覚めた。

 あるいは全盛期だった時代のThink Pad信者になったこともある。

 物書きにとっちゃ、あのThink Padの素晴らしいキーボードは一生忘れられないなぁ。

 かくて流れ流れて、やがて出会ったのがHPパソコンだった。ここのビジネスモデルはなかなかイケるのだ。

Bang & Olufsenのスピーカーを搭載したデキる奴

 なんと本機はあのスカンジナビア・デザインによる、Bang & Olufsen(デンマーク)のスピーカーをステレオ搭載したスゴ腕だ。

 その名もEliteBookである。


*HP EliteBook

 スカンジナビア・デザインとは、北欧特有の美しいデザインのことを指す。

 主にスウェーデンとデンマーク、ノルウェーの3か国、それに加えればフィンランドとアイスランドなど、スカンジナビア半島とその周辺で発展してきた独特のテイストをもつデザインだ。

 で、EliteBookの設計はあくまでシンプルにしてスタイリッシュ。渋いナチュラル・シルバー仕上げのボディがうれしい。

 おまけにキーボードは薄型であくまで指にしっとり馴染み、全盛期のいい時代だった頃のThink Padともタメを張るデキだ。

 そんなこんなでMacBook  AirとEliteBookの両刀使いで2024年の新学期を迎えることになった私の背筋は、もちろん新入生よろしくピッタリ伸びていることはいうまでもない。

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永六輔さん著書『結界』は実は私が書いた

2024-03-25 05:10:30 | エッセイ
私も「セクシー田中さん」問題を構成者として経験した

 さて今回は「ドラマー・村上“ポンタ”秀一さんインタビュー」、そして「実録・石原慎太郎氏インタビューの裏側」に引き続き、いまだからこそ言える「実はこうだった」シリーズの第3弾だ。

 永六輔さんも、もうお亡くなりになっているので時効だろう。

 出版社のマガジンハウスさんが、1998年に永六輔さんの書籍『結界』を出版されている。

 で、そのとき私は件の元ポパイ編集長さんから依頼を受け、黒子としてこの本の「構成」を手掛けた。

 同書は、永さんがラジオ番組で女性パートナーと2人でトークした内容をまとめたものだ。

 こう書くと素人さんは「なーんだ。トークをそのまま文章にしただけか」と思うかもしれない。

 いやいや、そんなのはあり得ない。

 そもそもラジオのトークなんて、そのまんま喋った通りじゃ書籍化なんてできないのだ。

 だから当たり前の話だが、もちろん放送の内容がその通り本になってるわけじゃない。

 この本を実際に書いた私の元には、永さんがラジオで喋った内容がテープ化されて山と持ち込まれた。

 で、それを元に実は私が「本にできる形」にかなり加工し、「それなり」に仕上げて綴って行ったわけだ。

永さん「おや、私はラジオでこんなこと言ったかな?」

 そしてこのことは自殺者を出した「セクシー田中さん」問題とも、まるっきり共通している。

 永六輔さんの著書『結界』を構成した私は、立場上でいえば「セクシー田中さん」問題における脚本家に当たる。

 つまり原作者の芦原妃名子さんを死に追いやった側だ。

 確かに私は、永六輔さんのラジオ放送を聞き、元の音源をかなり脚色した。

 そして「書籍として辻褄が合う」よう、きっちり巧妙に章ごとにいちいち面白いオチを付け加えながら文章化した。

 もちろんそんなことは元の音源で永さんは喋っちゃいない。

 だがそんな一種の越権行為を犯さない限り、プロの目で見てラジオ放送を書籍になんてできないのだ。

 で、仕上がった私の原稿を読んだ当の永さんは、「おや? 自分はこんなことラジオで言ったかなぁ?」などと不思議に思いながらも許容して下さった。

 脚色が行われたことをわかった上で、だ。腹の太い方である。

本の「あと書き」で私の名前を出しリスペクトしてくれた

 そのとき永さんがお書きになった「あと書き」の該当部分を、そっくりそのまま以下に転記しよう。こんなふうだった。

『エーッ、こんなこと言ったっけ、という言葉もあるが、電波にのった僕の声であることに間違いはないのだ』

 つまり私が独自の判断でやらかした(気の利いた脚色を)いったん飲み込んだ上で、「これは私の言葉だ」と言い換えて下さったわけだ。

 しかも本のあと書きでわざわざ私のフルネームを明記した上で、「この本はあくまでリスナーとしての松岡美樹さんの耳にとまった言葉を構成したものです」と、ご自身で断り書きを付けている。

 つまり本来なら「名前すら出ない黒子」の存在であるはずの私がやったことを、クレジット入りでプロの仕事としてリスペクトしてくれたわけだ。

 いや実際、この最終原稿が出来上がった時点で、例えば永さんに「俺はラジオでこんなこと絶対に言ってないぞ」なんて言い出されたらもう収拾がつかない。

 だけど繰り返しになるが、そもそもラジオでその場の言いっぱなしになったセリフなんて、そのまま本になんかできないのだ。

 書籍化するにはちゃんとそれなりの落とし前をつけ、書籍の文章として成立するよう要所でオチを付けたり説明を加えたりしなきゃなんない。それがいわゆるプロの仕事である。

「セクシー田中さん」問題とまるで同じ構図だ

 そんなわけで「セクシー田中さん」問題を知ったとき、もちろん私はとても複雑な気持ちになった。

 明らかに私は「セクシー田中さん」の原作者を死に追いやった立場側の人間なのだ。

 だが私のケースでは、永さんの太っ腹な対応とプロ的な仕事への理解がなされ、それなりに処遇された。

 しかも永さんはわざわざ構成者である私の実名を明記した上で、「これはプロの仕事です」とリスペクトしてもらえた。

 実際、本になってみれば関係者一同に大好評だった。

 編集者さんの側にも「この本は面白く仕上がった」と認知されたし、恐らくそれをお読みになった永さんもそう思われたのだろう。

 だから掲載されるはずのなかった私の実名をわざわざあと書きで取り上げるなどという、これまた私がやったのと同じ「逸脱」を犯したのだ。

 いや、それによってひょっとしたら読者の側に「なんだ、この本は永さんの言葉を別人が脚色したものか?」などと思われ、まかり間違えば本の売れ行きに影響しかねないにも関わらず、だ。

 あえて永さんはそんなリスクを冒した。私をプロとしてリスペクトするために。

 こんなふうに「セクシー田中さん」問題って、立場によって各人各様だ。

 もちろん実にさまざまな反応が起こるだろう。

 ただし原作者が亡くなるという悲劇が起こった以上、私はこのケースでは「脚本家の側」に立って論じる気は毛頭ない。

 だが実際、かなり複雑な気分でいることだけは確かである。

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実録・石原慎太郎氏インタビューの裏側

2024-03-24 12:31:21 | エッセイ
著書『弟』を出版直後、お会いすることに

 先日書いた「村上“ポンタ”秀一さん・インタビュー」と同様、「もう時効だから書いてもいいかな?」シリーズの第2弾へ行こう。

 石原慎太郎さんはもうお亡くなりになられたし、時効だろう。

 当時、私はマガジンハウスの雑誌『ポパイ』で連載をもっていた。で、その連載で石原慎太郎さんにインタビューしよう、って話になった。

 石原さんはちょうど1996年に、弟・石原裕次郎さんとのことを綴った書籍『弟』を出版直後だった。

 つまりその単行本の紹介に絡め、ポパイを読む若い世代に向けて石原さんから生き方についてのメッセージをもらおう、みたいな趣旨だった。

ちょうど時代の転換期だった

 実はこれ全て、ポパイの件の編集長氏が仕組んだ巧妙なシナリオだ。

(いや実は『弟』の編集を担当されていた幻冬舎の見城徹氏も企画段階から一枚噛んでいたかもしれないが)

 ちょうどあのころは時代の転換期で、日本では保守的な思想が再注目され始めた時期だった。

 そしてその後、橋本徹氏あたりがメキメキ台頭し「新保守主義」とか「新自由主義」が日本で大ブレイクして行くことになる。

 当時の石原慎太郎さんは、そんな新しい時代の幕を切って落とした保守リーダーの1人だった。

 ポパイの当時の編集長氏は非常に目端の利く人で、そんな時代の変化を敏感に感じ取り「よし石原慎太郎さんで行こう」って話になったわけだ。

 当の石原氏はといえば、1995年に突然、衆議院議員を辞職し雄伏されていた時代だ。

 その後は橋本徹氏と並び立ち、一時代をリードすることになって行く。ちょうどそんな岐路に当たる時期だった。

見城氏「ひとつ前の取材は酷かった」

 まずは私と連載の担当編集者さん、そして編集長氏の3人がロケバスに乗り、途中で幻冬舎の見城徹氏も乗り込んできた。

 で、一行は石原さんの元へと直行する。

 見城氏によれば、どうやら当の石原さんにはそのころ著書『弟』に絡めたインタビューが殺到している様子だった。

 ちょうど私が過去、元キングクリムゾンのベーシストであるジョン・ウェットン氏に新譜のインタビューをした時とまったく同じ構造だ。

 インタビューに絡めて自己の作品を広報宣伝するーー。

 これって業界ではよくあるお話なのだ。

 で、ロケバスのなかで見城氏は、先日、石原さんにインタビューしたある女性記者のさんざんなエピソードを話し始めた。

「いやぁ、あのときは大変だったんだよ。そのインタビュアーは著書の『弟』をぜんぜん読んでなくてね」

「それでもう石原さんが怒って取材にならなかった。くれぐれもそんなことにはならないよう、お願いしますよ」

 そんなことをおっしゃっていた。

 私は心の中で、苦笑いしながらそれを聞いていた。

私の緻密な取材に一同あっけにとられ……

 さて一行は石原さんの元へ着き、インタビューが始まった。

 私はやおら石原さんの前にドッカと座り、バッグの中からすっかり萎れた石原さんの著書『弟』を取り出した。

 そして石原さん(と私の)目の前にある机の上にバンと置いた。つまり一発、カマシを入れたわけだ。

 私が取り出したその本は、いったいなぜそんなに萎れていたのか?

 もちろん私が事前にさんざん何度も読み込んだからだ。

 取り出した本にはあちこちにビッシリ付箋が貼られ、表紙は完全に「しなしな」だった。

 で、私はメモさえまるで見ず、本に書いてある通りの下りをソラで暗唱しながらインタビューを切り出して行った。

 そして「あそこのあの箇所に込められた石原さんの思いと訴えとは何か?」を丁寧に聞き込んで行った。

 すると当の石原さんも、本の編集を担当された見城氏も「まるで鳩が豆鉄砲を食らった」ような状態になった。

 もう石原さんなんか、すっかりアッケに取られて私への応接がしどろもどろになる始末だ。

 あの豪胆な石原さんが、ですよ?

 一方、私のほうは余裕たっぷりで(実は心の中であまりの痛快さに笑いながら)、次々に本の下りを諳んじながら話を切り出して行く。

 場の雰囲気はすっかり豹変し、いまや「おや? こいつは、どうやらほかの奴とはぜんぜん違うようだぞ」という雰囲気になった。

(ちなみにこれもジョン・ウェットン氏にインタビューした時の、ジョンの反応と笑っちゃうくらい同じだった)

 さて実際にお会いしてみると、石原さんは実に豪快でフランクな方だった。

 私の丁寧で細かい取材対応にすっかり圧倒されながらも、さすがに一定の威厳は保たれていた。

 まあ政治家なんだから当然だが。

見城氏が私に直立不動の姿勢になり……

 そんなこんなで取材が終わった瞬間だった。

 なんとあの見城氏が突然、スッと立ち上がり、私のほうへきちんと向き直って「直立不動」の姿勢になった。

 見ると指先が、カラダの両サイドでキッチリ伸び切っている。

 つまり小学生が学校でよくやる「気をつけ」の姿勢である。

 そして「あの本を隅々までよくお読み下さり、本当にありがとうございましたッ!」と一気に言い切り、深々と私にこうべを垂れたのだ。

 私のほうはさすがに驚き、だが心の中では「そんなのマトモな取材者なら当り前ですよ」と思いながらニコニコ笑って応接した。

 ポパイの編集長氏もすっかりポパイの株が上がり、まんざらでもない様子だ。

 あとは一同、なんだかしばらくその場を立ち去りがたい雰囲気になった。かくて、まるで和やかな懇談会の様相に突入して行った。

石原氏「松岡君はサッカーやってたんだ?」

 当の石原氏もすっかり私に心を許した感じで、「松岡君!」と言いながら突然、呼びかけて来た。

 いきなりだったので今度は私が直立不動になる番だ。

 すると石原さんは「(いったい誰に聞いたのか知らないが)松岡君はサッカーをやっていたらしいね?」とおっしゃる。

「はい」と答えると、石原さんは「俺もサッカーやってたんだよ。当時、インナーってポジションだったんだ」

 インナーなるポジションはもちろん現代サッカーではすでに存在しないが、私も本では読んで知っていた。

 で、「ああ、FWの隣の攻撃的なポジションでしたね。花形ですよね」などとヨイショした。

 すると石原さんは笑いながら、我が意を得たりな様子である。

石原氏は私に「自己開示」して来た

 実はこのときの石原さんのひとことは、心理学用語でいえば「自己開示」に当たる。

 つまり相手に心を許した人間(例えば心理療法士を信頼し切った患者など)が、自分の心の奥深くに潜む、自分だけしか知らない自分のことを「開示する」現象だ。

 ひとことでいえば「打ち明け話」である。

 この「自己開示」というのは1970年代に心理学者で精神医学者のシドニー・M・ジュラード氏によって提唱された概念だ。

 人間と人間が相互理解を深め、信頼のおける人間関係を築く上で自己開示は欠かせない要素とされている。

 そんなわけで一同、すっかりリラックスし、至福の時が過ぎて行った。

 おかげでその後、私はすっかりポパイの編集長氏に認められ、その後、編集長氏が単行本の編集部へ配属になったあとも末長くお付き合いが続いた。

 で、その後、この編集長氏から構成を依頼された永六輔さんの単行本でも、おもしろいマル秘ネタがあるのだが……それはまた後日に譲ろう。

 では本日はこんなところで。

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【オルタナティヴロック】ドンピシャで好みの曲を勧める音楽ストリーミングの凄み

2024-03-21 11:59:42 | 音楽
*「Apple Music」では作ったプレイリストが最大10万曲まで、
iCloudミュージック・サーバに自動保存されいつでもApple Musicアプリで聴ける。

ゼロからあなたの好きな音楽を探し出してくれる

 いやはや、前回と前々回にわたり、まるで知らなかったオルタナティヴ・ロックバンドの「トラヴィス」(Travis)を見つけたときには驚いた。

 そのときフル稼働してくれたのが音楽ストリーミング・サービスである。

 つまり「Amazon Music Unlimited」や「Apple Music」だ。

 すでに過去に書いたが、私は70年代も含めそれ以前の音楽しかまったく知らない無知な状態だ。

 そんなドン底から一念発起で新しい音楽の探索活動を初め、たちどころにドンピシャの好みのバンドを探し出せるんだからまったく凄い。

自分が任意の曲を聴けば似た傾向の曲が「おすすめ」される


 なんせ1曲だけ自分が聴いて「いい!」と思ったら、もう安心だ。あとはアマゾンのクラウドサーバーが私の聴いた膨大な過去の音楽履歴と、自社が保有する音楽データを照らし合わせる。

 で、「あなたはきっとこれが好きでしょう?」と勝手におすすめしてくれる。この自動化された「おすすめ機能」が実に強力なのだ。

 豊富な音楽データベースに基づき、それらの私が過去に買ったCDや、ストリーミングで聴いたりしたのと類似した「あなたのお好み」を提案してくる。

 例えば「あなたはアレが好きだから、きっとコレも好きでしょう?」などと、かゆい所に手が届くサジェスチョンをしてくれる。

 で、そんな類似した曲が勝手に自分のリストに載り、それらを片っ端から聴けるのだ。

 だからもう自分じゃ、何も考えなくても自分好みな音楽へ簡単にたどり着ける。いやはや、あの「おすすめ機能」には驚いた。

マニア垂涎のレア盤・発掘もお手のものだ

 音楽ストリーミング・サービスがひときわ放つ凄みとは、まず(1)希少性のある分野に深く突っ込み、発掘してきて「えっ,こんな盤まであるの?」と驚かせる点だ。

 逆に、すでに十分な網羅性がある分野にまで深化して踏み込み、なおその分野ではレアなお宝を探してくるところもすごい。

 誰も開拓してないフロンティアを日夜めざし、さらに珍しく深遠な深みにまで潜行してワイドに音楽を発掘しようとする。

 こんなふうに冒頭で触れたストリーミング・サービス「Amazon Music Unlimited」、「Apple Music」の「おすすめ機能」はすごい。しかもこれは「Spotify」など、今時どこのストリーミングサービスでも備えている機能だ。

 例えばあなたがミュージシャンAの楽曲を聴いたとしよう。するとAと同傾向の楽曲やアーチストがたちまち「おすすめ」に上がってくる。

 これがまた実に正確で驚かされてしまう。なぜ私が好きなそれを知ってるの? てな感じだ。

ストリーミングがあれば面倒なCDの管理もしなくてすむ

 とつぜん話は180度かわるが、みなさんは暦年たまりにたまったCD群をどう整理しているだろうか?

 たとえCDラックの棚別に「Aのつくミュージシャン」「Bのつくミュージシャン」などと細かく分類してあったとしても、もはや「Aのつくミュージシャン自体、膨大だろう。

 ゆえに例えきちんと整理した形で分類してあっても、そのなかから「お目当ての音源」を探し出すにはひと苦労する。

 そんな経験はないだろうか?

 つまり整然と分類してるユーザさんですら難渋するわけだ。だったらそこいらじゅうにCDを積み上げたりしている人は、さぞ苦労しているだろう。

 例えば何らかの法則に基づき恣意的な分類がされてあっても、そのライブラリが膨大になればなるほど、もはや「アウト・オブ・コントロール」な状態に追い込まれてしまう。

 つまり明確なカテゴライズ分けがあったり、巧妙な分類がしてあってさえ、なかなか自分のライブラリの中からそのとき「パッ」と一発で聴きたいCDを選び出すのはしんどい作業だといえる。

思いついた瞬間に検索して聴ける

 だがそこですごいのが、音楽ストリーミング・サービスなのだ。

 ストリーミングなら、ユーザはそのとき「パッ」と瞬間的に思いついた楽曲を検索で手早くモノにできる。で、たちまちモバイル時にすら瞬時に聴ける。

 それにひと役買うのは、強力なプレイリスト機能だ。

 例えばApple Musicなら「自分の好きな楽曲集」とか「元気なときに聴きたい楽曲集」「現代ジャズ」みたいに自分がプレイリストを作った時点で、なんと同時にAppleの「iCloudミュージック・ライブラリ」へ自動保存されるのだ。

 これで最大10万曲までクラウドに保存できる。

 しかも、これらがいつでも好きな時にApple Musicアプリで聴ける。

 10万曲ですよ? 10万曲。もうこれなら半永久的に聴けるに近い。もはや「無限」を意味すると考えてもいい。本当にもうCDなんて買わなくていい時代が来たのだ。

こんな豊富な機能が月額たった1000円で楽しめる


 しかもお値段だってお安い。

 こんな高機能を実現し、かつもうCDを買わなくてすむ生活ができて月額1000円ぽっきりだ。

 逆に個人的には「なぜまだ入らない人がいるんだろう?」とさえ思ってしまう。

 もう昔みたいに音楽雑誌をその都度買い、こまめに情報収集する必要なんてまるでない。

 たとえば世にあふれかえる無料の音楽ブログを読むのもいいし、それらをストリーミングで試し聴きするのもアリだ。

 これでたちどころに最近の音楽の傾向がわかる。で、自分の好みを把握できる。しかもそれをたちまちストリーミングで聴くことが可能なのだ。

 まったくいい世の中になったものである。

 ちなみに私はもうCDを買う必要がなくなったので心配ない。

 リビングを占拠する巨大なあのCDラックも、もう処分するつもりだ。ありゃ、場所取るからなぁ。

 これからは音楽ミニマリストの時代なのである。

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【オルタナティヴロック】名盤2ndとタメを張る「トラヴィス」の3rd盤を聴く

2024-03-05 03:14:50 | 音楽
*トラヴィスの3rd盤『The Invisible Band/インヴィジブル・バンド』(2001年)

3作目が全世界で300万枚を売る大ヒットに

 今回、ネットを駆使し、さんざん90年代以降のロックを聴きまくった。おかげでやっとトラヴィス(Travis)というバンドを見つけることができた。

 彼らはスコットランド・グラスゴー出身の男性4人組ロックバンドだ。

 90年代後半のUKシーンにおいて、レディオヘッドと並ぶ勢いで新しい音楽トレンドを創り出したのは前回の記事『【オルタナティヴロック】なんと大本命の「トラヴィス」を見落としていた』で書いた通りだ。

 彼らは1996年にデビューシングル「オール・アイ・ウォント・トゥ・ドゥ・イズ・ロック」を発表し、スタートを切った。

 続く1999年5月にリリースした2nd盤『ザ・マン・フー』(The Man Who)で一気に火がつき、ビッグバンドへの道をのぼり詰めて行く。

 この盤は発表から3ヵ月目で全英アルバム・チャート1位に輝いた。これが発火点だ。以後、本盤はロングセラーになり、全世界で400万枚を売り上げている。

 以降、彼らは順風満帆の活動ぶりだ。で、前回の記事ではそんなセカンド・アルバム期までを概観した。一方、今回はサードアルバムをサーチしよう。

まずはコトの経緯と経過説明からだ


 ただ、この記事で初めて当ブログをお読みの方もおられるだろう。

 ゆえに「本番」へ突入する前に、ひとつやることがある。初めて今回の案件をお読みになった方向けに、次項以降でこれまでのトラヴィス発掘に至る経緯とさわりをまず簡単に短くやろう。

 そして次に文末では、今回、音を聴くのに駆使したストリーミング・サービス「Amazon Music Unlimited」についてもカンタンに触れる。

 というのも、今回なぜ私はこんなふうに未知の音楽やバンドの音に次々アクセスできたのか? そしてなぜ、あれこれさんざん実際の音を聴くことが可能だったのか?

 まったくハナから存在すら知らなかった、まるで未知のバンドの音をゼロから見つけて聴き、カンタン手軽にお宝を探し出せたのはなぜか?

 それはひとえにネットのおかげ。というか、ストリーミング・サービスをフル活用したからなのだ。

 紆余曲折はあったがあの70年代の音楽だけに囚われた完全無知な状態から、すでにいまは90年代以降の音楽に関しけっこう知識を得た。

 それもネットがあればこそ。だから文末でAmazon Music HDの機能や特徴、つまり「できること」をごくカンタンに短く説明しておきたい。

 もちろん「解説が長いぞ。俺はトラヴィスの記事さえ読めればいいんだ」という方は、どうぞ文末にあるAmazonのストリーミング・サービスの機能解説は読み飛ばしてください。

なぜ私は70年代(を含め)の音楽しか聴かなかったのか?


 さて今回はトラヴィスが出したサードアルバムのお話になるが、まず今まで本シリーズに書いてなかったことを初めて書こう。コトの前提だ。

 なぜ私は70年代の音楽にこだわり続けたのか? である。

 まず昔は音楽を録音する際、全部の楽器をいっぺんに録音する一発どりが主流だった。特に1980年代まではテープで録音されていた。

 私はこれまでそんな70年代を含む(それ以前)の音楽しか聴かなかった。

 なぜなら80年代にあの忌まわしい「打ち込み」が登場し、シーケンサーやリズムボックスが業界標準になったからだ。

 趣味の日曜アマチュアベーシストの身としては、リズム隊(BassとDrums)こそが命だ。

 その相棒になるドラマーが人工的なリズムボックスになるなんてあり得ない。あの音にはどうしても耐え切れなかった。

 また当時、世の中的にもそれらをフル活用した機械的なテクノポップが大流行するわで、すっかり「人工の音」が主流になってしまった。私が大嫌いな世界だ。

 そんなわけでもう私は最新の音楽を追うのをやめた。で、70年代と(それを含む以前の音楽)に完全に引きこもった。

80年代に吉田美奈子や山下達郎、竹内まりやなら聴いた

 まあ確かに70年代末から80年代当時もてはやされ始めた、一流スタジオ・ミュージシャン陣をフル起用した80年代のシティポップあたりなら唯一、聴いていた。

 例えば1979年にリリースされた松原みきの「真夜中のドア」は衝撃的だった。

 現にあれは2020年末にSpotifyの「Viral 50 GLOBAL」チャートで、なんと18日連続・世界1位を記録した。ちなみに私は彼女の「引退さよならコンサート」にも行ったクチだ。

 特にあのバックをつとめた岡沢章のベースプレイには、すっかりノックアウトされた。で、精密にコピーしまくり長時間、練習したものだ。

 特に1979年に彼が加入したフュージョン・バンド「プレイヤーズ」のライヴを六本木のピットインへ観に行き、ライヴが終わったあとステージにまで上がり込んでわざわざ握手してもらった。

 岡沢氏といえば思い出すのは1980年10月に吉田美奈子が楽曲「レッツ・ドゥ・イット」を六本木ピットインで演ったライヴの音源だ。

 あれには強く魅了された。すごい演奏だった。

 そのバージョンの名曲「レッツ・ドゥ・イット」は、その六本木ピット・インで収録した諸ライヴ音源を元にスタジオでの追加録音を加えて制作された最高傑作ライヴ盤『IN MOTION』(1983年)に入っている。

 そこからさかのぼって彼女のアルバム『MONSTERS IN TOWN」(モンスター・イン・タウン)』(1981年11月リリース)にもたどり着いた。

 あとは山下達郎の一連のアルバムあたりだ。きっかけは1978年12月に発表された3rdアルバム『GO AHEAD!』 (ゴー・アヘッド! )収録の楽曲「BOMBER」だった。

 ご多分に漏れずあの田中章弘(bass)が演るかっこいいスラップ奏法のトリコになり、これまた毎日練習したものだ。

 そのほか80年代に青山純(dr)と伊藤広規(b)がリズム隊を組んだ一連の山下達郎の作品群なら聴いた。

 あとは1978年作の1stアルバム『Beginning』でデビューを飾った竹内まりやの80年代作品もそこそこ聴いた。

 ほかは80年代に全盛を誇った内外のフュージョンだ。

 あれらなら実際ライヴハウスに何度も行ったし、アルバムもけっこう買った。キリがないからもうアーチスト名はもう上げない。

 つまり80年代といえば、上記のシティポップとフュージョンのみ。あとはまったく聴かなかった。

 その流れで特に今回、90年代以降の音楽となるとまったく聴いたことがないし、ぜんぜん知らない。無知の極みだ。で、今回の音源発掘行動に出たわけだ。

世評と違いトラヴィスの3rd盤は2nd盤とタメを張るデキだ

 やっと本題に来た。

 この記事では前回(すでに前出)や前々回の記事『【オルタナ探訪】ロックは「70年代で死んだ」のか?』と同じように、だが前よりさらに突っ込んで発掘したロックバンド「トラヴィス」(Travis)の動向を深掘りしよう。

 もちろんすでにサード・アルバム以降の各盤の音は全部聴いたし、ツボはつかんでいる。

 彼らはスコットランド・グラスゴー出身で、90年代後半のUKシーンにおいてレディオヘッドと並ぶ勢いで新しい音楽トレンドを創り出した。

 この点については前回、書いた通りだ。

 で、前の記事ではセカンド・アルバム期までを概観した。今回はサードアルバムをサーチしてみよう。

 2001年6月にリリースされた3rd盤『The Invisible Band』(インヴィジブル・バンド)は、セカンド・アルバムのテイストを発展的に継承している。

 で、よりアコースティックな仕上がりが快調な美しいアルバムに仕上がっている。

 本作はレディオヘッドやベックのアルバム等も手がけたナイジェル・ゴッドリッチがプロデュースしている。彼は前作『ザ・マン・フー』でも同じくプロデュースを担当した。

 ちなみにこのゴッドリッチは、あのレディオヘッドの誰でも持ってる超名盤『OK COMPUTER』(1997年)を成功させた敏腕プロデューサーだ。

 実は音楽のアルバム制作にはプロデューサーの力がとても大きい。

 2nd盤と3rd盤におけるトラヴィスの大ブレイクの陰には、ナイジェル・ゴッドリッチあり。彼の力が強く作用しトラヴィスを大きく押し上げただろうことはたやすく想像できる。

 そんな力添えもあり本盤は、全英アルバム・チャートでいきなり初登場1位を記録した逸品に仕上がっている。

 セールスも英国内だけでミリオン超え、かたや全世界では300万枚を売り上げた。

 また当時イギリスの公共放送局「BBC」で放送されていた生放送音楽番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」でも、年間最優秀賞を受賞している。

 さらにシングルの「Sing」(シング)は、その年の上半期で最も多くラジオで流れた曲となり、バンド最大のヒット曲になった。

 このシングル「Sing」はドラマティックなノリをベースに、その上に美しくキャッチーなメロディーラインがしんしんと乗っている。

「OH!,sing,sing,sing〜」と繰り返される覚えやすい歌メロが、限りなく美しいキラーチューンだ。

 背景にストリングスをさりげなく使った盛り上げ方にもうまく成功している。

 もちろん本アルバムには、それと同等の好楽曲がたんまり収録されている。例えば2曲めの「Dear Diary」(ディアー・ダイアリー)は非常に静かなナンバーだ。

 この楽曲はアコギとピアノ、ストリングスの3者を中心に切々と訴えかけてくるヴォーカルが切ない。鎮静的な心地いいサウンドだ。

 続く3曲め「Side」(サイド)はキャッチーなメロディが特徴である。

 すばらしいテイストであり、しかも山場でしっかり盛り上げるところもツボだ。的(マト)を射ぬいたアレンジが利いている。

 まさに「売るセオリー」に乗っ取った名曲だ。このナンバーは本盤でひときわ光を放っている。

 そして4曲めの「Pipe Dreams」(パイプ・ドリームズ)もそう。覚えやすい歌のメロディラインが印象的なナンバーだ。

 彼らの場合、この歌いやすさ、覚えやすさが最大のキモになる。また要所で流れるギターのリフレインがキラキラ感をうまく演出している。

 この4曲めまでですでに「勝負あった」だ。

 アルバム冒頭の4曲で、リスナーの心をがっちりつかむことに成功している。あとはもう「どうにでもしてください」というしかない。

後半の山場は歌メロ抜群の11曲め「Indefinitely」だ

 さてアルバムは後半に入り、5曲め「Flowers in The Window」(フラワーズ・イン・ザ・ウィンドウ)が始まる。ひときわキャッチーを極めた逸品だ。

「これビートルズの曲じゃないのか?」と思わされるデキである。上で評した「歌いやすい、覚えやすい」の典型だ。

 6曲めの「The Cage」(ザ・ケイジ)も同じ傾向にある。

 こちらはアコギが効いており、ポップな歌のメロディーラインが何度もリフレインされる。もうリスナーの脳にぐいぐいねじ込まれてくる。ああ、気持ちよかった。そんな感じだ。

 7曲めは6曲めと似たテイストで、きれいな歌メロが何度も反芻される。

 これまたアコギが効いており、楽器の音と音との間にある空間をうまく活かしたテイストだ。

 つまり音数が多くスペースをぎっしり埋めてしまわない音作りをしている。ここがツボである。途中でドラムが入り、盛り上げて大団円を迎える。

 そして後半の山場は11曲め「Indefinitely」(インディフィニトリー)で極まる。味のいいアコギのイントロで幕が開き、切々と歌い上げるヴォーカルが主役を張る。

 歌のメロディーラインが抜群によく、もう「ごちそうさま」のひとことだ。

 ここでも同じく美メロのリフレインがカギを握る。

 途中、絶妙なタイミングでエレクトリック・ギターを「ガン」と効かせるところもうまい。ストリングスを入れる箇所も絶妙だ。

 このナンバーは本盤収録のシングル「Sing」(シング)といい勝負になる名曲といえる。

 締めの12曲めはギターのストロークで入り、最初は歌とギター、パーカッションの3者だけ(バックに機械的な効果音が入っているが)。

 で、途中ストリングスが嫌味にならない程度に利かされ、徐々に曲を盛り上げて行く。

 そして楽曲の半ば、そのストリングスが極まった頂点でエレキギターとドラムが同時に入り、一気に盛り上げる。

 だがわざと意表をつき、途中でいったん音数を減らしてまた静的な演奏に戻る。絶妙なアレンジだ。

 そして最後は全楽器をいっせいに投入し大団円へと向かう。ラストは強いストリングスが大音量で鳴り響き、そして静かに幕が降りる。

 なんともはや。

 やっぱりこれはプロデューサーの力が大きいなと感じた。

 例えがちょっと古いがあのサディスティック・ミカ・バンドの歴史的名作『黒船』(1974年)は、ロキシー・ミュージックやピンクフロイド等を手がけた敏腕プロデューサー、クリス・トーマスが務めた。

 彼の存在があったからこそ、『黒船』はあの個性的なテイストと構成になったのだ。だから成功した。そういうことである。

 しかしまだまだトラヴィス探訪の旅は続く。今回はもうすでに長大な記事になってしまったので次回以降にゆずろう。

 機を見て4作め以降もぜひレビューしたい(次回もやるかも?)。

 いやはや、それにしてもおじさんは参りましたよ、もう。まさか90年代以降の音にこんなに感動するなんて想像もしなかった。

「これじゃあダメだ」と意識的に新しい音楽を聴いてみた

 さて最後だ。繰り返しになるが、今回初めてこのトラヴィス・シリーズをお読みになる方もおられるだろう。

 で、ごくカンタンに私はなぜこんなふうに次々といろんな音楽を見つけて自由自在に試聴し、未知のアルバムを容易に探し出せるのか? それを短くシンプルにご説明しておこう。

 実はごく最近になってふと、このまま70年代だけにこだわってていいのか? そんな気分になったのだ。

 もっと「進取の気性」がないとダメなんじゃないか? 探せば新しくてもいいのもあるかもしれないぞ? そう思い立った。

 で、まず「オルタナティヴロック バンド名」とか「90年代以降のロック 種類」などのおバカなキーワードであれこれネット検索してみたのだ。

 その結果、1回目の記事では「やっぱりダメだ。ロクなのがない」と失望した。だがあきらめず探索活動を続け、やっと2回目の記事でトラヴィスにたどり着いた。

 それ以降はコツをつかみ、おかげで続々と90代以降の有望なバンドを大量にゲットできた。もちろんすべて実際の音を聴いた上でだ。

 まさかこんなことが実現するなんて……。そんな思いだ。

 で、それを具現化してくれたのが、ストリーミング・サービスなのだ。

Amazonがあなたの嗜好を勝手に分析して自動的に提案してくれる

 それもこれも自分が加入しているストリーミング・サービス「Amazon Music Unlimited(HD)」を使ったおかげだ。

 こやつで手当たり次第に実際の音を聴きまくった結果なのだ。

 もしこれがなかったら、いまだに私は70年代にかじりついていただろう。

 つまり(後述するが)このサービスはおそらくユーザー個別の再生履歴をもとに、まず自動的に各ユーザーそれぞれの好みや傾向をAmazonが自動的に分析するのだ。

 そしてAmazon側からわざわざ勝手に、「あなた、これ聴いてみたら?」と自動で提案してくれる機能がある。例えばAmazonで何かを一度でも買ったことがある人ならわかるだろう。

 Amazonで自分が買ったCDや本、観た映画などの履歴データに基づき、Amazonが「これって、あなたの好みでしょう?」といろんなCDや本を自動的に表示してくる。

 あれとまったく同じことを、Amazonは音楽配信サービスでもやってるわけだ。

 しかもこのサービスはたった月額1000円定額で、楽曲が(一部ではなく)全部聴ける。

 しかも無限にいろんなバンドをアプリ上で探していくらでも完全試聴することができる。

 何度でも無限に音楽が聴け、自分が好きなアーチストやアルバム、楽曲をネット経由で自由に検索サーチできる。

 そしてあれこれ楽曲やアーチストを組み合わせ、自分だけの独自プレイリストを作る機能がある。

 例えば私は「2000年代以降の現代ジャズドラマー」とか、あるいは「アーチスト名別」でも自分でプレイリストを独自に作ったり、あるいはAmazonが作った既成のプレイリストも借りている。

 もちろん曲数制限なんてまったくない。

 しかも「iTunes」時代みたいに楽曲の1部だけでなく、全部まるまる無制限に聴ける。つまりもうCDは買わなくていい時代になったのだ。

再生履歴で個人の嗜好を自動分析しAmazonが「おすすめ」する

 こやつのそんな「おすすめ機能」は実に強力だ。

 Aさんがこのサービスで過去に聴いてる音楽の傾向を、おそらくネット経由でAmazonのサーバ側がまず履歴として検知する。

 で、「あなたはアレ聴いてるから、きっとコレも好みですよね?」てな具合いにサジェスチョンしてくれる。

 だから「ロックは70年代で死んだのか?」などと、てっきり思い込んでいたバカな私でも一聴に値する未知の音楽をカンタン手軽に探し出せた。しかも何も考えずに。

 このサービスはおそらく、加入ユーザの試聴履歴等のデータをたんまり溜め込んだAmazonのクラウドにでも繋がっているんだろう。

 いわば自宅のルータを超えてネット全世界へオープンに繋がった無限の「自家製ハードディスク(いや、この例えならNASか?)」みたいなものだ。

 つまりこのサービスはざっくりいえば、(おそらく)Amazonのクラウド上に「自分だけの音楽スペース」があると考えれば話はわかりやすい。

 そのクラウドがすべてを自動検知し、「これなんかどう?」とやってくるわけだ。

私は好みにピッタリのオルタナバンド「ペイヴメント」を勧められた

 そのAmazonの「提案」が、これまた精密にピッタリ当たって本当に驚かされる。

 例えば私の場合、繰り返しトラヴィスを聴いていたら……。

 まず1990年代に活動していたUSオルタナティヴ・ロックバンドの「ペイヴメント」の通算4作目に当たるアルバム「Brighten the Corners」(1997年)が自動的におすすめとして表示された。

 試しにそのアルバムを同サービス上で検索してぜんぶ聴いてみると、これがもうファンキーでパンキーな2つの味が絶妙にミックスされた超絶カッコいい音だった。

 私には、どストライクだ。

 ノリが重くて切れ味鋭く、それに花を添えるファニー(奇妙)なテイストがもう応えられない。特にヴォーカルのスティーヴン・マルクマスがものすごく味がある。

 不良っぽくてまさに「悪ガキ」って感じ。ワザと音を外し、悪ぶって見せる。「どう? そんな俺ってカッコいいでしょ?」みたいな。

 イメージとしては薄汚れたジーンズを履き崩し、そのへんをウネウネのたうち回ってる、みたいな感じかな?

 いやもう私が絶対「大好き」な音なのだ。超ドンピシャ。

 当然、自分で作った「オルタナティヴロック」プレイリストに速攻でアルバムごとブチ込んだ。文句なしでイイ! 大満足だ。

 このバンドに関しては、時間を見てぜひほかのアルバムもぜんぶ聴くつもりでいる。

 彼らの音楽性はいわゆる「ローファイ」(Lo-Fi)と呼ばれる。つまり「ハイファイ」の真逆だ。

 どういう意味か? これはオーディオ的には「音質が良くない状態」を指す。

 つまりわざと悪質なフリをして見せるヤツらなのだ。

 この概念に相当する具体的なバンド名を挙げると、彼らのほかに典型例なのはソニック・ユースやベックなんかだ。

 特にこのテイストはノイズロックやグランジ(「薄汚い」という意味)など、ヘヴィメタルに反発する流れにあるオルタナティヴ・ロックにおいて重要な価値観のひとつだとされる。

 歴史を思い切りさかのぼれば、その祖先のひとつはセックス・ピストルズだ。

アメリカの初期オルタナバンド「ピクシーズ」も勧められた

 一方、1986年にアメリカで結成され、初期オルタナティヴ・ロックシーンで活躍したバンド「ピクシーズ」の楽曲「Broken Face」(1988年)も勝手におすすめされた。

 これも同サービス上で検索しアルバムごとそっくりぜんぶ聴いてみた。

 するとまたまた前者のバンド「ペイヴメント」と同じくファンキー&パンキーでもうカッコいい。びっくりだ。

 どちらかといえば彼らのほうがよりセックス・ピストルズに近い。

「なぜ私はそれが好きだとあなたは=Amazonさんはわかるの?」とじっくり3時間くらい問い詰めたい気がする。

 こっちのバンドは思い切り歪んだ超絶的な轟音ギターに合わせ、ボーカルのブラック・フランシスが絶叫する。

 もう破れかぶれでとうてい1人じゃ、世の中を生きていけない、きっとそのうちに必ずのたれ死ぬだろう、みたいな路線である。

 ちなみにこの勧められた楽曲「Broken Face」は、アルバム『SURFER ROSA/サーファー・ローザ』(1988年)に収録されている。

 もちろん全曲聴き、また彼らの別のアルバムもあれこれ聴いてみたが、かなりいい。超おすすめだ。

月額たった「1000円」で無制限に聴き放題だ

 それだけじゃない。このおすすめ機能は実に多彩だ。

 たとえばこのサービスのホーム画面には、まず個別のユーザーそれぞれの好みにピッタリはまるユーザーごとに別々の「お客様におすすめのプレイリスト」がある。

 つまりあなた好みの複数アーチストの楽曲を、Amazon側が自動的にバラバラに集めた任意のプレイリストがあるわけだ。

 すなわち私好みの同じ音楽性をもつ複数アーチストの楽曲やアルバムを、自動収集したリストがまず新しく生まれる。

 で、Amazonに勧められたそのリストを自分で自由に登録してまとめ聴きできる。

 そのリストさえ登録すれば、あとは再生ボタンを押すだけだ。アルバムごとや楽曲ごと、あるいはアーチスト別に自由自在に聴ける。

 つまり繰り返しになるが、この「おすすめ」というのはAmazon側が勝手に自動検知してやってくれてることなのだ。

 このほか同様に(おそらく)私の再生履歴をもとに、「お客様へのおすすめ」コーナーもある。

 また「お客様におすすめのアルバム」コーナーや、「お客様におすすめの楽曲」、「おすすめのニュー・リリース集」などもある。

 あれあり、これありだ。

 おまけにこんな豊富なサービスが手取り足取り受けられて、月額たった1000円払えば無限にいくらでも何でも聴ける。もうびっくりである。

 例えば「DAZN」なんて月額4200円もかかり、たとえ解約を申し出ても「それから1ヶ月後にしか解約が有効にならない」というクソ仕様だ。

 まったくあれにはやられた。

 つまりもう観もしないのに、最後は余分に1ヶ月分まるまる払わされるのだ。

「いいえ。その後、規約が改正されてちゃんと今の規約には乗ってます」なんて先方さんは寝ぼけたことを言ってたけど……そんないつ変わったか? もわからない改悪された新規約になんて、いったい誰が気づくって言うんだ?

 まったく「DAZN」は、人をバカにしている。

 あんなサギまがいの「DAZN」なんかに入ることを考えれば、こっちはぜんぜん安いもんだ。おまけに手取り足取り、うんとサービスがてんこ盛りだし。

 だって例えばAmazon Music HDと、それと同種のサービスである「Apple Music」の両方に入ったとしても、たった「月2000円」しかかからないんですよ?

 あの「DAZN」に入ることを考えれば、なんと両方に加入したってまだ2200円もお釣りが来るのだ。ホントにバカバカしい話だわ、まったく。

どんなバカにもわかるよう「トラヴィスを聴いたお客様へのおすすめ」まで表示された

 果ては私の場合、「トラヴィスを聴いたお客様へのおすすめ」なんて、極めて個人的なコーナーも勝手に自動生成されてきた。

 もうびっくりだ。

 しかも例えば自分が能動的に選んだ任意のアルバムや楽曲を聴き終えたあとには、なんとそれらと似た音楽性のアーチストの作品が自動的に再生されるんだ。

 つまり自分で任意の楽曲やアルバムを選んで聴いたあと、黙って放置しておくとあっちが勝手に「あなただけの自分好みな音はこれですね?」とばかりに、エンエンとぐるぐる自然に何枚ものアルバムや楽曲を無制限に自動で流すのだ。

 もう私がまったく何も考えなくても、Amazon側が自動的にサーチ・判断した上でこれまた自動的にアレコレ教えてくれる。

 これならどんなバカ(例えば私)でも、自分好みの未知の音楽を実際の音源つきで知ることができる。こんなラクな話はない。

 なんだかSFみたいだが、もはやこんなサービス・システムが世の中には立ち上がっているわけだ。

 つまりひとことで言えば、ユーザー個々がリアルタイムでネット上から自分好みの音楽を探し(あるいはあっちから提案されて)しかも無制限に聴ける。

 おまけに自分だけのお気に入りアルバムや楽曲なんかを驚きの安さで楽しめるおトクなサービスなのである。

いや別に「Apple Music」や「Spotify」でもいい

 なんだかAmazonの宣伝マンみたいになっちゃったが、もちろんそのほかのストリーミング・サービスでもいい。

 例えば「Apple Music」や「Spotify」あたりのどこかに加入しておけば、もうCDなんて買う必要がないんだ。

 しかも音質は明らかにCDよりいい。ハッキリ上だ。私の耳が保証しよう。

 おまけに品揃えが圧倒的に豊富だ。ちなみに私はAmazon Music Unlimited(HD)の他にも、Apple MusicとSpotifyにも入っている。

 これでも3000円しかかからないんだ。(もちろん無料コースまである)

 で、そんな感じで「もうCDを買わなくていい生活」を堪能してるわけだ。

各社サービス別に音質レベルや音の傾向が違う

 もちろん各サービス別に音質レベルはちがう。また音質の傾向や特徴もぜんぜんちがう。

 機会を見てこのブログでは、そんなふうに各サービス別の(音質の違いも含めた)比較企画を記事にすることも考えている。

 これ(音質の違い)含みの比較は、まだぜったいに誰もやってないはずだ。現に私は今までまったく一度も読んだことがない。

 なんせこれら各サービス別の「ほんのわずかにごく微妙な音質の違い」を正確に聴き分けるには、まず絶対的な「耳のよさ」が求められる。

 傲慢なように聞こえるかもしれないが、私には人には絶対ない「そのレベルの耳がある」のだ。

 いや個人的にただ言い張ってるだけじゃない。これは客観的事実である。

 まあその話はともかくおいといて……しかしいい時代になったもんだ。

 おじさんが若い頃なんて、音楽の情報を集めようと思ったらもうレコードを物理的に買うしかなかった。次にCDの時代になっても、安く上がってせいぜいレンタルだった。

 そう考えれば今なんて上記3サービスのうちどれかに入れば、もうぜんぜんCDを買わなくてすむはずだ。

 自分の聴きたいアルバムや楽曲を集め、自分だけのプレイリストをいくらでも無限に作れる。

 だから同じ作品を何度でも聴き続けられる。つまりCDを所有しているのと何も変わりない。かつ音質は確実にCDよりいい。

 いやホントにこれはおすすめですよ? マジな話です。

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【オルタナティヴロック】なんと大本命の「トラヴィス」を見落としていた

2024-03-03 05:29:14 | 音楽
*オルタナティヴ・ロックバンド「トラヴィス」(Travis)が1999年に
リリースした最高傑作の2nd盤『ザ・マン・フー』(The Man Who)

ストリーミングの「Amazon Music HD」で片っ端から聴いた

 前回、「【オルタナ探訪】ロックは「70年代で死んだ」のか?」の記事で、オルタナティヴロックをかたっぱしから探索した。

 さがす方法は、まず「オルタナティヴロック」等のキーワードでどんなミュージシャンやアルバム、楽曲が存在するのか? ネット検索で目星をつける。

 次に見つけたバンド名や曲名をキーワードにし、それらをかたっぱしから私が加入しているストリーミング・サービス「Amazon Music Unlimited(HD)」の専用アプリ上でネット検索する。すると目当てのミュージシャンの作品がズラリと残らず表示される。

 そこで同サービス上で全てストリーミング試聴するのだ。ただし「試聴」といっても「iTunes」の時代みたいに、曲の一部だけしか聴けないわけじゃない。楽曲全体がすべて残らず聴ける。

トラヴィスはキャッチーでメロディアスな超絶バンドだ

 しかも「Amazon Music HD」での試聴は、CDのような固体をフィジカルに所有してないってだけだ。いつでも本サービスにネット経由でアクセスすれば、何回でも無制限でちがう音楽だって何でも聴ける。

 もちろん「曲数制限」なんてない。本当に無限にいくらでも聴けるのだ。これで月1000円ポッキリなんだから笑ってしまう。もうCDは買わなくていい時代が来たんだ。

(ただしミュージシャンにとっては災難だろう……。彼らには著作権料等、しっかり各種の支払いが十分に行われることを希望したい)

 さて、そんなわけで本企画では前回に引き続きこの作業を繰り返し、実際の音を聴いて行った。とはいえなんせ、聴く作業は人力なので限界がある。もちろん存在する全てのミュージシャンを聴くなんてできない。

 で、本企画の前回では致命的な見落としをしていたことが発覚した。音源探訪の結果、とうとう決定的な有力候補を見つけたのだ。そのバンドこそが、今回ご紹介する「トラヴィス」 (Travis)である。

2nd盤から彼らはキャッチーに生まれ変わった

 トラヴィスは、スコットランド・グラスゴー出身のロックバンドだ。デビュー当時は(オアシスっぽい激しい曲調で)なんだかイマイチなバンドだったと言う人もいる。(私は実際に1st盤をこの耳で聴いたが、それは微妙にまちがいだ)。

 一方、リリースから3ヶ月目にして、全英アルバム・チャートの1位になった2nd盤『ザ・マン・フー(The Man Who)』(1999年) 以降はどこか哀愁を帯び始めた。そしてメロディアスでキャッチーなバンドに大変身した。本盤はその後も長くヒットし、全世界で400万枚を売った。

 そんな魅力を備えた彼らは90年代後半に来たブリットポップ後のUKシーンで、レディオヘッドと肩を並べるように新しい音楽トレンドを生み出している。

 ちなみにバンド名の由来は、ヴィム・ヴェンダースが監督した映画『パリ、テキサス』(1984年)からヒントを得たもの。この映画の主人公の名前を取り、バンド名をそれまでの名称から「トラヴィス」に変えたのだ。

 彼らのデビューのきっかけはラジオだった。もともと1995年にラジオで流れた彼らのセッションがレコード会社に「発見」され、それでチャンスをつかんで翌年にソニーと契約した。

 そしてデビュー・シングルの「オール・アイ・ウォント・トゥ・ドゥ・イズ・ロック」を1996年にリリースしたのがすべての始まりだ。

トラヴィスは1st盤からなかなかのデキだ

 続く2000年には、世界的な才能あるソングライターに送られる賞「アイヴァ・ノヴェロ・アウォーズ」の「ソングライター・オブ・ザ・イヤー」に、メンバーのフラン・ヒーリィ(ボーカル、ギター)が選ばれた。

 また英国レコード産業協会(BPI)が毎年イギリスで開いている音楽の祭典「ブリット・アワード」(Brit Awards)で、「ベスト・バンド」「ベスト・アルバム」の2つの賞を受賞した。このへんからUKシーンをリードするトップ・オブ・トップの座を築いた。

 さて実際に私が音を聴いた体感では、オアシス路線で音が激しいとされている1st盤『グッド・フィーリング(Good Feeling)』(1997年)は思ったほど過激じゃない。しかも、なかなかのデキだ。

 特に8曲めの「アイ・ラブ・ユー・エニウェイズ」と10曲め「More Than Us」、11曲め「フィーリング・ダウン」、13曲め「More Than Us」がひときわ目を(いや耳を)引いた。

 加えて12曲めの「ファニーシング」は、ドラマティックのひとことだ。後半にやや音が歪むがそれが見事に味付けになっている。これら4曲だけはアコースティック系のとても美しい作品だ。まさにメロディアスの限界に挑戦している。

 つまり本1st盤における位置付けとすれば、これら5曲は以降の彼らの新しい作風のいわば走りに当たると見た。あとの曲はまあ、まずまずだ。なんせニルヴァーナみたいにヘビメタばりの歪み方をしてるのかと警戒していたので、かえって拍子抜けしたくらいだ。

2nd盤を聴いて速攻でトラヴィス単独のプレイリストを作った

 さて続いて1999年5月に発表されたセカンド・アルバム『ザ・マン・フー』(The Man Who)へ行こう。こやつはのっけからもうスゴかった。1曲めの「ライティング・トゥ・リーチ・ユー」(Writing to Reach You)でいきなり美メロが極まる。もう全開だ。

 あまりにも美しすぎて、まさにトップバッターに満塁ホームランを食らった感じ。そしてこの体感は2曲めでも続き、3曲めも超絶的にいい。さらに4、5、6曲めと同水準のハイレベルな均衡が継続する。

 で、1回目の頂点が8曲め「luv」で極まった。まじめな話、ジンジンに鳥肌が立った。このアルバムはまちがいなくロック史に残る名作だ。

 ちなみに本盤からシングル・カットされているのは、1曲目の「ライティング・トゥ・リーチ・ユー」のほか、「ホワイ・ダズ・イット・オールウェイズ・レイン・オン・ミー?」、「ターン」の3曲だ。すべて連続ヒットしている。

 だが実感としては「なんで3曲だけなの?」って感じがする。

 なお私が聴いたのは「20th Anniversary Edition」で、なんと全29曲が収録されている。それらすべてがまるで宝石のように光り輝いている。文字通り全曲、捨て曲なし。もう「参りました」というしかない。

 よって速攻で「Amazon Music HD」のアプリ上に「トラヴィス」と名付けた単独のプレイリストを作った。こいつらなら間違いないぞ、という期待感が確実にある。いやはや、こんな体験ができるとは夢にも思わなかった。

このオルタナ・シリーズは長くなりそうだ

 あー、思わず力が入って記事が長くなりすぎた。なのでトラヴィス関連は、2〜3回(またはそれ以上)に分けることにした。いったんこのへんで一度切ろう。

 しかし彼らを発見できた今となっては、前回の記事で「ロックは70年代に死んだのでは?」なんて、したり顔で書いていたのが恥ずかしくなってくる。

 もちろんトラヴィス探索は本シリーズの次回でも続けるつもりだ。すでに2nd盤以降、3作目、4作目、さらにその先へ、と連なる新音源はもう聴き終えた。次の原稿もほぼ完成している。

 おまけにトラヴィス以外にも、期待できそうな90年代以降の新たなバンドも続々と見つかった。このオルタナ・シリーズはいい意味で長くなりそうだ。

 乞うご期待を。

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【インタビュー特出し】ドラマー・村上“ポンタ”秀一さんとの思い出

2024-03-02 06:00:07 | 音楽
*「PONTA BOX 〜Live At Montreux Jazz Festival」収録曲の「ネフェルティティ」(CDは1995年10月21日リリース)

偉大なプレイヤーに敬意を表して

 冒頭に挙げた動画は、村上“ポンタ”秀一さんが結成した自身初のリーダーバンド「PONTA BOX」ライヴのひとコマだ。

 彼らのセカンド・アルバム「PONTA BOX~Dessert in the Desert~」発売直後の1995年7月21日に、スイスの第29回モントルー・ジャズ・フェスティバル(Montreux Jazz Festival)に出演した際の音源である。

 もう圧巻だ。

 メンバーは村上秀一(drums)、佐山雅弘(piano)、水野正敏(electric-bass)。だが詰めかけたヨーロッパの観衆はもちろんこのバンドを全く知らない。

 そんな「PONTA BOX」初体験の観衆が演奏の進行とともにすっかり魅了され、次第に地鳴りのような大声援に変わり激しく渦を巻いて行くサマが克明に記録されている。これだけ客の反応が手に取るようにわかる音源も珍しい。もう大ウケ。大喝采なのだ。

 特に10曲め「コンクリート/Concrete」(佐山雅弘・作)後の声援がすごい。また12曲め「ストーム・オブ・アプローズ/Storm of Applause」終演後には、やんやの大コールがかかる。

 明らかに観衆は初めて観たこのバンドに熱狂している。大成功の遠征だったといえる。その証拠に本公演のCDとビデオが日本でリリースされると同時に、彼らの1st.アルバムが即座にヨーロッパで発売されている。

ずっしり重く沈み込み「地を這う」がピッチは速い

 本公演でのポンタさんのドラミングは、まず太くて重い。タメを効かせたノリでずっしり沈み込み、地を這うかのようだ。

 だがそんなふうにグルーヴは重いけれどすごく速いピッチで多くのタムを回し、音の起伏を作りながらオーディオ用語でいえば「音場が広い」演奏をしている。

 つまり低い打音から高い打音まで叩き出す音域が広いため、必然的に聴き手からすれば音場がワイドで立体的に聴こえる。要所でリズムの変化を加えながら起伏を作り、非常にテクニカルな演奏をしている。ドラムソロともなれば、もうお客さんから大喝采だ。

 一方、ベースギターはまるでジャコ・パストリアスを思わせるタイム感と音色で高い技術を見せつける。ドラムと共にリズムの大きなうねりを生み出し、音数の多い複雑なプレイをこなしている。もうブンブンだ。

 かたやピアノはまるでハービー・ハンコックを思わせる。他のメンバーに劣らずテクニシャンで、これまた音数の多いプレイぶりで相棒2人にグイグイ刺し込んで行く。

 またスローな楽曲の聴かせ方もいい。特に8曲めの「ドーン/Dawn」(村上秀一・作)では、ゆったりたおやかなピアノ演奏を聴かせている。

2021年に亡くなったポンタさんを偲んで 

 あれはいつだったか、もうすでに「PONTA BOX」は結成されていたので、恐らく少なくともご本人にお会いしたのは1993年以降の話だ。

 当時、マガジンハウスの雑誌「ブルータス」で「バンドやろうぜ」的な企画が上がり、あのころの副編集長さんから複数のミュージシャンへのインタビューのご依頼を頂いた。

「人選は松岡さんにお任せします」というので、その場で即座にリズム隊はポンタさん(ds)と高橋ゲタ夫さん(b)に決めた。で、まずポンタさんと某スタジオでお会いし、お話を聞いたのだ。

 残念ながらポンタさんはもう亡くなられた。そのポンタさんのご冥福を祈って、そのときせっかくお話は聞いたが、当時のインタビュー記事には「あえて書かなかった裏話」を今回は書こう。もう時効だろう。

大上留利子さんの2nd盤で「初ポンタ体験」をする

 ちなみに私は当時も今もアレサ・フランクリンが大好きで、ゆえにその昔から「浪花のアレサ・フランクリン」と言われた元スターキング・デリシャスのリード・ボーカル、大上留利子さんにハマっていた。

 その証拠に彼女の当時のアルバムは和モノ・レアグルーヴの名作として、リリースから40年以上たった今でも評価されている。

 そんな大上さんの1st盤、2nd盤がリリースされた当時は、ポンタさんみたいなプレイヤーを称して「スタジオミュージシャン」なる呼び方が初めて生まれ、ちょうど世間から脚光を浴び始めていた頃だ。

 そのころは世の中に出る盤、出る盤が超豪華なメンバーを揃え、「こんなにスゴ腕のミュージシャンを集めたぞ」みたいな売り方が盛んにされていた。

 実際、私がポンタさんに質問した彼女の2ndアルバム(1978年発売)では、ポンタさん(dr)や佐藤博(key)、林立夫(dr)、松原正樹(g)、山岸潤史(g)、斎藤ノブ(per)など、一流のスタジオ・ミュージシャンがアルバム制作に関わっていた。

 で、彼女のアルバムで演奏した時のことをまず聞いた。

私『私がポンタさんのドラムを初めて聴いたのは、1978年にリリースされた大上留利子さんの2ndアルバム「Dreamer From West」でした。3曲目に「プレイボーイ」っていうかっこいい曲が入ってて。

 その曲のユニットはベースが高水健司さんで、リズム隊がもう超絶的にかっこよかった。で、「これ、いったい誰がドラム叩いてんのかなぁ?」と思ってクレジットを見たら「村上秀一」って書いてあって。それがポンタさんとのファーストコンタクトでした」

 まあ自己紹介代わりだ。ポンタさんは笑いながら聞いていた。

アルバム「黒船」での変則的なオカズの入れ方って?

私『あと今までに「すごい」と思ったドラマーを挙げると……高橋幸宏さん。サディスティック・ミカ・バンドの「黒船」(1974年)が出て、あれ初めて聴いた時はホントに衝撃的でした。特に高橋さんのドラムが。

 だって「ダラ、タカ、タン、タタッ!(休符)」って、途中でヘンなところでオカズが止まっちゃう。あれ聴いて「何これ? めちゃカッコいいじゃん」って感心しました』

 すると黙って私の話を聞いていたポンタさんがひとこと。

ポンタさん「実はあれ、俺が叩いてたんだよ」という。

私『ええっ、ホントですか? トラで?』

 衝撃的な発言だった。なんだかもう、いままで20年以上信じてきた絶対的な宗教がボロボロと崩壊して行くかのような。そんな感じだった。(もちろんこのことは当時のインタビュー記事には書かなかった)

 ちなみにその後、同じくマガジンハウスのまったく別の取材で高橋幸宏さんにもお会いする機会があったが、当然このお話はご本人にもお聞きしていない。

「いかすバンド天国」と当時のバンドブームについて

 それからポンタさんには、自身が出演し大ブームを巻き起こしたテレビ番組「いかすバンド天国」(TBS)の裏側についても聞いた。1989年2月11日に放映が始まり、たくさんのバンドを輩出しながら1990年12月29日に終わった超人気番組だ。

 ただポンタさんはあんまり浮かない顔で、テレビじゃ決して言えないネガティヴ面にも言及した。

ポンタさん『まあ、世の中にああいう空気(つまり仲のいい「お仲間同志」だけでくっつく内輪のノリ)ができたのは……ある意味、かえって良くなかったかなぁ、とは思ったな』

 そもそもポンタさんは「スティック片手に1人でどこのスタジオにも乗り込んで行く」みたいな、一匹狼のスタジオミュージシャンだった。

 だからイカ天が作ったあの「ナァナァの乗り」にだけは、どこか抵抗があったようだ。アマチュアバンドの人たちにそんな内輪ノリを植え付けちゃったことには反省している、みたいなことをおっしゃっていた。

 もちろんこれも当時の記事には書かなかった話だ。

インタビューしても全部書くワケじゃない

 こんなふうに世の中へリリースされて行く出版物の陰には、いったん明かされはしたが、あえて伏せられている実話がたくさん隠されている。もちろん墓場へ持って行くネタもある。

 みなさんもそのへんを想像しながら出版物を読むと、10倍楽しめるかもしれない。

 なお、ポンタさんは親分肌で大きな人でした。

 ちなみに本アルバム全曲を聴きたい人はYouTubeの「PONTA BOX - トピック」ページへ行き、下段の「アルバムとシングル 」の中から「PONTA BOX Live At Montreux Jazz Festival」を選択して下さい。収録された全13曲が続けてすべて聴けます。一聴の価値アリです。気に入った人はぜひCDを買って下さい。

 またストリーミング・サービスの「Amazon Music Unlimited(HD)」に加入している人は「ここから」全曲聴けます。

ジョン・ウェットン氏(bass)へのインタビューもそうだった

 なおこのインタビューと同じように「お話は聞いたが書かなかったことの方が多い」という意味で似たようなインタビューの例は、以下の、私がジョン・ウェットン氏(キングクリムゾンの初代ベーシスト)にインタビューした際のこぼれ話がある。

 ジョン・ウェットン氏ご本人から話は聞いたが「その雑誌」のインタビュー記事には当時書けなかったエピソードを、以下の本ブログのジョンへのインタビュー・番外編の記事にもれなく書いた。

 ちなみにこの記事は20年前に当ブログを立ち上げ、いちばん最初に書いた思い出深いおすすめの記事だ。ご興味があればぜひ以下をどうぞ。

ありし日のジョン・ウェットンに捧げるオマージュ」(すちゃかな日常 松岡美樹)

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サッカー日本代表は宮本新体制で「終わりの始まり」を迎える

2024-03-01 16:16:10 | サッカー日本代表
4月から会長になるツネ様は傀儡にすぎない

 サッカー日本代表の森保監督は、悪い意味で「選手の自主性を重んじる」監督だ。あのカタール2023・アジアカップ準々決勝におけるイラン戦の敗戦は、それがクッキリ浮き彫りになった。

 しかも同様に選手まかせだったジーコ・ジャパンが、2006年W杯ドイツ大会でオーストラリアに食らった同じ負け方、つまりロングボールの放り込みでやられた点までそっくりだった。

 例えばペップのポジショナルプレイや、クロップのストーミングみたいな魔法の杖は森保監督にはない。なぜなら森保監督は学級民主主義を重んじる「金八先生」型の監督だからだ。

「みんなで話し合って民主的に決めよう」

 それが村のルールである。だがあのイラン戦みたいに、ロングボールをガンガン放り込まれる最中に打ち合わせする時間なんてない。

 その意味では結局、サッカー日本代表はあの2006年W杯で惨敗したジーコ・ジャパンから何も進歩してないことがわかった。

利権を貪り合う「村落共同体」が続く

 だが田島幸三・日本サッカー協会(JFA)会長は、もちろんその体制を容認してきた。

 なぜなら森保監督は同じ日本人であり、ナアナアの関係が通用するキャラだからだ。森保監督は「サッカー協会を改革するにはこうすべきだ」なんて余計なコトは絶対言わない。

 つまり協会が利権を貪るのにジャマな正論など主張しない。たがいに日本人的な「慣例」を重んじ、領分を守る。決してそこに口を挟まないお仲間だ。すなわち目的を共有する利益共同体である。

 そこがあの「自分をもっている」がゆえにウザい異論(=持論)をぶつけてくる、田島会長から見て「余計なことを言い張る」トルシエやハリルとは大きくちがう。

 つまり協会にとってトルシエやハリルは邪魔なヤツらでしかなかった。だが森保監督は逆に「自分がない」。だから体制側にとってはおいしい人材だ。自分たちに都合よく立ち回ってくれるはず。そう計算が立つ。

 ひとことで言えば森保監督って体制側の「そこは言いっこなしね」が暗黙のうちに通用する相手だ。すなわち彼らはローカルな内輪のルールを守り合う村落共同体なのである。

 だから当然、田島会長は森保監督を擁護してきた。たがいにいらぬ口出しはしない。むろん「改革」なんてとんでもない。いままで歴史的に通用してきたローカルルールを共有し、たがいに利益を貪り合おうぜ、って話だ。

宮本新体制は「村の伝統」を守る

 そして今年4月からサッカー協会の会長になる(予定の)ツネ様、宮本恒靖・専務理事は、田島会長の傀儡にすぎない。次期体制では実質的に田島会長の院政が敷かれる。

 現に宮本氏は会長へと臨んだ際のマニュフェストでも、「自分は引っ張るタイプのリーダーじゃない。仲間の考えを大事にし、みなさんと調和しながら共に進みたい」という趣旨を示している。

 つまり森保監督と同じく、体制側とベッタリな関係だ。

 そもそも昨年12月に行われるはずだった会長選挙へ正式に立候補するには、16人以上のJFA評議員の推薦が必要だった。しかしそのJFA評議員による推薦は、「裏切り者は誰か?」がハッキリわかる形で念入りに行われた。

 必然的に対立候補の鈴木徳昭氏(Jリーグチェアマン特命担当オフィサー)は、推薦数を集められず正式な立候補すらできなかった。いわば無風の実質、会長確定だった。既定路線だ。

 とすれば現在の固着した「解けないパズル」はそのままになる。ならば、もうサッカー日本代表は少なくとも向こう何年も癒着の構造が丸ごと残る。

 終わりの始まりだ。

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【森保ジャパン】「金八先生」型サッカーの限界が見えた

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「口から呼吸ぅ〜♪ 鼻から吸わないぃ〜♪ がんばってぇー♪ がんばってぇー♪」

2024-02-29 18:57:17 | エッセイ

    *チクナイン・鼻うがい「使い方」篇

慢性上咽頭炎になり「鼻うがい」を始めた

 あれは去年の6月だった。異常に激しい喉(のど)の痛みと鼻詰まり、鼻水の症状が一度に来た。もう半年以上、ずっと続いている。いまも治っていない。

 いや副鼻腔炎っぽい症状なら、はるか子供の頃からあるのだ。で、長く通っている行きつけの内科で歴代、ディレグラ、ザイザル、ジルテックなど、強いヤツから弱いのまであらゆる種類の鼻のクスリが出た。だがまるで改善しない。

 鼻の症状を訴えて近所の耳鼻科にも行ったが、いままで出たそれらの薬の長大なリストを見せると「こりゃウチで出すクスリなんてもうありません。あるもの全てすでに処方されています」と認定された。

 いや確かに自力で調べた限りでも、すでに市場に存在するあらゆる鼻の薬が処方されているのだ。なら無理もない。だから鼻のほうはもう放置していたのだが、今回新たに始まった強い喉の痛みには耐えかねた。

「市販薬で治るだろう」は甘かった

 それでも初めは油断して「市販薬で治るだろう」とタカをくくっていた。だが症状はまったく消えない。あまりの激しい喉の痛みに1週間でネを上げ、ネットで調べてよさそうな耳鼻科へ行った。

 するとロキソニンとアレロックOD錠、喉の痛みにはセフジトレンピボキシル錠が出たが、まるでダメ。医者はロクに話も聞いてくれず、ただ機械的にテキトーなクスリを処方している印象が拭えない。

 なんだかドクターショッピングの典型だが……とにかく強い喉の痛みが辛すぎて、同じ医者には1週間しか治療の猶予を与える気がしない。どうしても我慢できないのだ。

 で、今度は歴史のある耳鼻科へ行った。ここは期待の「Bスポット療法」をしてくれる。最近ではEAT(上咽頭擦過療法)とも呼ばれる治療法だ。これは上咽頭の消炎に効果がある。私は「慢性上咽頭炎」と診断された。


*上咽頭とは?「みやけ耳鼻咽喉科アレルギー科」HPより画像を引用

 この慢性上咽頭炎の症状は実に多彩だ。喉の痛みや違和感、睡眠障害のほか、後鼻漏(鼻水が喉の奥に流れ込む)ことから来る諸症状(鼻と喉の間に粘り気が張り付く、鼻水が喉に下りる、痰がからむ、咳払いが多い)が起こる。

 特に私の場合は首と肩の激しいコリもつらい。これも典型的な慢性上咽頭炎の症状なのだ。

 また自律神経のバランスが崩れ、原因不明の頭痛やめまい、倦怠感、胃の不快感も起こり得る。なかにはウツやパニック障害、過敏性腸症候群など、メンタルな症状が出る人もいるらしい。まさに現代病だ。

Bスポット療法とは何か?

 一方、この炎症に効果があるBスポット療法とは、カンタンにいえば上咽頭(「のどちんこ」の上の後ろの部分)に、塩化亜鉛という薬を塗る治療法だ。


*Bスポット療法とは?「みやけ耳鼻咽喉科アレルギー科」HPより画像を引用

 厳密には内視鏡(ファイバーカメラ)で奥を見ながら、鼻や口から綿棒でノドの奥の部分に擦りつける。喉の痛みがある場合、この上咽頭に炎症が起きているケースが多いのだ。

 だがこの耳鼻科の先生は「喉からのみ」しか施術してくれない。しかもファイバーカメラはなし。かつ典型的な3分診療で、ロクに身のあるコミュニケーションが取れない。

 しかもクスリは滋陰降火湯や葛根湯エキスなど、漢方薬のみ。漢方医なのだ。まあ慢性上咽頭炎はメンタルにも影響しかねないので漢方も一案なのだが、なんせこの人は施術が雑だ。

 おまけにノドの痛みに効くトローチも、「オラドールSトローチ」などという、変なピンク色のすぐ溶けてなくなってしまう役立たずなヤツしか出ない。

 で、「あのぅ、SPトローチ(ふつう「トローチ」といえばこれだ)を出していただけませんか?」とやんわりお願いすると、一刀両断で「ウチはこれしか出せないんだ」と来た。

 え? いちばんポピュラーなSPトローチが処方できない? そんな話はまったく聞いたことがない。当該製薬メーカーと何か癒着でもしているのだろうか?

 それでもガマンしてこの耳鼻科には2ヶ月間、毎週通った。だが医者の粗雑な診療姿勢がどうしても容認し難い。で、去年の年末を限りに、もう見切った。

最後にとうとう「当たり」を引いた

 もう今度は絶対に失敗できない。ネットであれこれ調べ込み、同じく例のBスポット療法をしてくれる耳鼻科を探した。すると今度はやっと当たりを引いた。

 その女医さんは非常にコミュニケーション能力が高く、的確に私の症状を分析して下さる。私とツーカーでお話が通じる。しかも今度はしっかり内視鏡(ファイバーカメラ)診察つきだ。つまり施術がBスポット療法の正式な形なのだ。

 私は仕事柄、いままで無数の有名医に取材してきたが、こんな優秀な先生は今まで一度も見たことがない。さすがに頑固な私も、この先生のアドバイスだけは聞く気になった。

 それはどういう意味か?

 もう鼻のほうはカンタンに治らないと自覚している。ただし喉の激しい痛みだけは耐えられない。で、ハラをくくって伝家の宝刀を抜いたのだ。先生に勧められた「鼻うがい」をやろう。そう決断した。(やり方は冒頭の動画をご参考まで)

 実はいろんな医者にずっと鼻うがいを勧められてきた。だが、どうしてもイヤで仕方なかった。しかし事ここに至っては如何ともしがたい。もうマナ板の鯉だ。

「鼻うがい」とともに幸せがやってきた


*「老木医院」HPより画像を引用

 薬局で市販のものもあるが、私は信頼できる当の先生経由で然るべき処方薬局から容器を買った。

 やり方はまず塩化ナトリウムをぬるま湯で溶かし、病院で買った専用の容器に入れて冒頭の動画にある通りの鼻洗浄を毎日、始めた。まず片方の鼻の穴から液を入れ、逆の鼻の穴から出す。これを左右の鼻に対して行う。

 もちろん初めは強い違和感があった。だがそれもすぐ解消し、鼻のスッキリ感だけが残るようになった。習うより慣れろ、だ。

 鼻うがいする動画だけ見ると「こんなの絶対できないぞ」と思ってしまうが……実際にやってみると案外、平気なものですぐ慣れた。

 しかもうちのカミさんがわざわざ毎日ぬるま湯を作り、専用器に入れて渡してくれる。そして彼女は私が洗面台で鼻うがいをするたびに、洗面台の脇に立つ。こうして毎日、私の隣に寄り添い、鼻うがいが終わるまでこんなふうに歌ってくれる。

「口から呼吸ぅ〜♪ 鼻から吸わないぃ〜♪ がんばってぇー♪ がんばってぇー♪」

「口から呼吸ぅ〜♪ 鼻から吸わないぃ〜♪ がんばってぇー♪ がんばってぇー♪」

 やさしく子供をあやすように、メロディーをつけて何度も囁き私を勇気づけてくれる。その声色はなんとも心地よく、聞くたびに幸せな気分になる。

 私は過去に取材で何人ものミュージシャンと出会い、彼らの流麗でハイレベルな歌や演奏を聴いてきた。だがこんな純朴ですばらしい専属歌手にめぐり逢ったのは初めてだ。

 この歌声が聴けるなら、かえって自分はもう一生治らず鼻うがいがずっと続いてほしいーー。そんな想いさえ湧いてくる。ああ、「小さな幸せ」ってこれなんだなぁ。

 自分はこの人と一生しっかり添い遂げたい。

 そう強く感じる。

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【森保ジャパン】「金八先生」型サッカーの限界が見えた

2024-02-20 13:48:44 | サッカー日本代表
プロの世界に「学級民主主義」を持ち込むな

 森保監督が考えるサッカーは、ひとことで言えば「金八先生」型である。何より「生徒」の人権と意志を尊重してプレーさせる。いわゆるボトムアップというやつだ。

 だがプロサッカー集団の運営と、学級の育成や運営はまったくの別物である。プロサッカーに生徒を優先する過度な民主主義なんて必要ない。

 そういうふうにプロサッカー集団と子供の学級を同一視し、「ボトムアップで育てる」などと生徒会を重視する誤認を犯している点が森保監督の大きな欠陥といえる。

 なぜならプロは負けたら終わりだからだ。

 だが一方、子供は人生に一度負けてもまだ未来がある。敗者復活戦を戦える。しかも「子供のうちに一回負けておく」ことで学べる人生哲学という大きな財産さえ得られる可能性がある。そこが両者の根本的な違いである。

 ゆえに負けたら終わりのプロは絶対に負けないよう、トップダウンで一戦必勝をめざす。ペップによるポジショナルプレー然り、クロップのストーミング然りだ。プロの世界は監督の戦術とそれによるチーム運営で勝てるかどうか? がすべてである。

 この点で生徒の人権を過剰に尊重しすぎる森保ジャパンは、大いなるカン違いだといえる。

「ボトムアップ」という名の洗脳から脱出せよ

 さて、ちょっと話題が飛ぶが………軍部が国民を洗脳し主導したあの戦争に負けた日本人は、その反省から(無意識のうちに)スポーツにおけるいい意味での全体主義をも完全否定し、極端な学級民主主義に陥ってしまいがちだ。

 プロのサッカー監督と、抑圧的で非民主的な「軍部」とを同一視し、ことさら生徒優先のチームを作りたがる。しかもそのチームというのが国の象徴であるサッカー日本代表なのだから皮肉が効いている。

 人間の脳は、信じたことを実現しようとする。

 すなわちこれらの異常な現象はすべて、日本人が自己洗脳に陥っているために起こる出来事だ。これこそ戦後、日本人がハマっている集合的無意識の正体である。

 例えば日本サッカー協会が得意げに掲げる「夢フィールド」なるネーミング自体が、すでに洗脳臭い。いかにも学級や子供を大切にしそうな臭いがプンプンする。

 しかもサッカー協会は別に「国民をハメてやろう」などと考えてこのネーミングを掲げているわけでは無論ない。すべては無意識のなせるワザだ。

 つまり協会が(意図的にではなく)「夢フィールド」という洗脳ワードを使っている時点で、森保監督と同様、すでに自らが背負う歴史の足枷に嵌っている可能性すらある。

 そろそろ日本人は、こうした「敗戦という名の洗脳」から卒業すべきではないだろうか?

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