ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

米国「2024年版・桜公園での皆既日食」事情

2024年04月09日 | 米国○○事情
今回の皆既日食は、北アメリカ本土を横断するというので、かなり盛り上がっていた。
夫の母は夫の姉と一緒に、その皆既日食のスポット巡りに出かけて行った。
そういう騒ぎには常に出遅れる我々は、いつもの如く、観察用のメガネも買い求めないまま一日前となり、慌ててあちこち探し回っても、結局どこもかしこも売り切れてしまっていた。
ここニュージャージー州は、完全な皆既日食を見ることはできないらしく、それでも90%ぐらいまで隠れるということなので、薄暗くなるのを肉眼で楽しもうということになった。
たまたま春休みでレッスンを休む生徒も多く、夫も患者が少なかったので、お互いに午前中の仕事を済ませてから、近くの桜公園に行くことにした。

公園近くの有名な教会。名前は全く覚えていない😅

今年は満開になるのが例年より早い。




そろそろ始まったみたいだ。


こんな立札は前には無かったな。


皆既日食はすでに始まっているので、肉眼で太陽を見てはいけないのだけど、ついつい…。




カメラではなかなか、わたしたちが肌で感じた薄暗さっていうのが写せないのだけど、ちゃんと普通に見えているようで見えていない、なんだか別の世界にワープしたような気がした。












太陽って9割が隠されてもあんなに世の中を明るく保てるんだな。
そのことにすごくびっくりした。
思ってたより暗くならなかったし、景色もそれほど変わらなかったように思われたけど、家に戻ったら二人ともふらふらに。
え?なんでこんなに疲れてるんだ?って思うほどぐったりして、それは寝る直前までずっと続いた。
きっと、あの公園で、肉眼では見えなかったけど太陽がスッポリと隠れていた数分間に、わたしたちは吸い取られたんだと思う。
何を?
何かを。

JAZZ VESPERS at Bethany Baptist Church

2024年04月09日 | 日本とわたし
毎月第一土曜日に開かれる「JAZZ VESPERS」に再び行ってきた。
「VESPERS」ってなんぞや?とわたしはずっと思っていて、今更ながら夫に尋ねると、「教会で土曜日の晩に歌を歌ったり祈ったりする行事のこと」と答えた。
「ほんじゃ、なぜこの教会はその歌や祈りをJAZZにしたん?」と聞くと、「知らん」と一言。
それで今回は、教会で上の立場にいそうな人を見つけて、その成り立ちについて質問をしてみた。
彼女はその時プログラムの準備に忙しくしていて、「あなたの質問にはちゃんと答えたいので、名前とメールアドレスを教えて」と言ってくれたので、今は彼女からの連絡待ちである。
それでとりあえずネットで調べてみると、
VESPERS(晩課・ばんか)とは、正教会の晩の奉神礼、およびカトリック教会の晩の典礼をいう。
英語の"Vespers"に対応する、両教派に共通する訳語であるが、教派によって構成はかなり異なっている。
と書かれているのだが、これではあまり意味がわからない😅。

雲がなかなか面白い夕方だった。

このBethany Baptist Churchの建物は独特なのである。

音響の調整がなかなか上手くいかないらしく、開演が40分ほど遅れたので、礼拝堂の隣の部屋で待つ。

ようやく演奏会場となる礼拝堂に移動し、演奏が始まった。

サックスとトランペット、ベースとピアノとドラムの5人編成で、中心人物のCamilleさんはまだ大学を卒業したての若者さん。
大学の専攻は音楽じゃなくて科学。でも彼女はサックスはもちろんのこと、バスクラリネット、フルート、ピッコロを演奏し、そしてとんでもなく歌が上手い。
特にスキャットがすごくて、それはもう声というか楽器というか、思うがままに、感じるがままに、自由に浮遊するフレーズで、聴いていてとても心地よかった。


ピアニストさんだけは肉眼では見えない場所で演奏していたので、モニター画面から紹介。

献金タイム。差し出されたカゴに好きなだけ入れる。

天井はこんな感じ。

この日の牧師さんのお話は、すごくノリがあって面白かったのだけど、どんどん加速していって話が長くなっていき、わたしは少々飽きてしまった。
でもあのリズムの良さには惹きつけられる。
なんかブロードウェイの役者の演技を見ているような気分にもなった。
ほんと、いろいろだなあ。
次は5月の第一土曜日。
その時までにはこの教会のJAZZ VESPERSの成り立ちが判明している、かな?

米国「かなり自己満足な桜まつり」事情

2024年04月09日 | 米国○○事情
先週はずっと雨が降り続けて、しかも最後の二日間は強風と雷まで加わって、ぽんちゃんの花びらはもうもたないだろうと諦めたのだが…雨雲が去り、春の霞がすっきりと消えた青空の下、まだまだ美人のぽんちゃんだった。




家の前の歩道横の芝生も、そろそろ芽が出始めた。

裏庭のソメイ姉妹も満開を迎え、枝を天空に向けてしっかりと伸ばしている。

去年から急にぐんと背が高くなったと思ったら、花の数も何倍も増えた。








お隣の家の塀の前にも春!

【台湾地震】発生後3時間で避難所…スピード開設ができたワケ

2024年04月05日 | 世界とわたし
今朝、遅い朝ごはんを食べている最中に、家がゆらゆらと揺れ始めました。
え、なに、まさか揺れてる?とビビりまくりながら、テーブルの下にもぐろうかどうか思案すること30秒あまり、いやらしいほどに長く揺れた地震でした。
震源地はニュージャージー州ホワイトハウスステーション付近で、マグネチュードは4.7だったことを知り、愕然としています。
ホワイトハウスステーションってどこ?と思って調べてみました。
熱気球を上げるお祭りやアンティークショップで有名な、風光明媚な街です。

東海岸に引っ越してきた理由の一つが、ここは滅多に揺れないところだから、だったのに…😭
万が一、ここで規模の大きな地震が発生したら、慣れないことに右往左往して、とんでもない騒動になるだろうなあ、と思います。

でも、日本ほどの地震大国であっても、過去に何万回もの経験を積んでいても、いまだに避難所では雑魚寝が続き、被災地の自治体やボランティア、そして自衛隊のみなさんに援助活動を丸投げし、改善策も新しいシステム作りも為されないということを、もっと問題視するべきじゃないかと思います。

【台湾地震】発生後3時間で避難所…スピード開設ができたワケ 

花蓮の避難所にやってきました。
震源から最も近い街ということで、こちらの避難所なんですけれども、普段は小学校として使われているもの、その体育館が現在、避難所になっています。
避難所を運営する市役所の方にお話を伺ったところ、現在は80人近くがこちらに身を寄せている、ということです。

後ろのスペースには、避難されている方が食事をするスペースとして、テントがいくつも設置されています。

運営する市役所の方にお話を伺ったところ、避難所の中に食事の匂いがこもらないように、あえて外に設置をした、というふうに聞きました。

それでは、特別な許可いただいておりますので、これから避難の中で取材をさせていただきます。

たくさんの方が避難をされているということで、いくつかのブースがあるんですが、まずこちらのブースでは、地震が起きた時に、携帯電話などを持って出ることができなかった方のために、電話を使えるようになっています

また、Wi-Fi、インターネットも、全て無料で使用できるということなんです。


中をお邪魔してみますと、たくさんのテントが並べられています。

その手前には、被災されたみなさんが、自由に取ることができる食事が並んでいます。
お菓子や食べ物、こちらにはピザといった温かい食事も用意されていました。

奥に目を転じてみますと、タオルやティッシュ、さらには石鹸や歯磨きなど、日用品もたくさんこちらに届いています

こういった物は、被災された方が自由に利用することができるそうです。

そして私の後ろに並んでいるのがテントですけれども、プライベートな空間が守られた作りになっています。
こちらのテント1つにつき最大で6人寝泊まりすることができるそうで、現在こちらにはベッドが2台用意されています。


こういったテントが、現時点で、46個設置されているということなんです。
実はこの花蓮なんですけれども、6年前にも大きな地震がありました。
その時には、この避難所ができるのが、地震発生からおよそ1日かかったということなんですが、今回は、地震発生後3時間で避難所ができて、受け入れが可能になったということなんです。

台湾の今の避難所の環境が、とても整っているように感じてびっくりしました。
能登の避難所では、1ヵ月たってもまだ雑魚寝が続いているような状況のところもありまして、なぜこの台湾ではスピード感を持って、避難所の環境を整えることができるんでしょうか。

そのあたりを運営する市役所のスタッフに伺ったんですけれども、実は市役所だけではなくて、支援する民間団体が本当にたくさんあるということなんですね。

台湾では、6年前に、17人が亡くなった大きな地震があったんですけれども、その時には、避難された住人のプライベートを守るというような空間が全くなかったそうです。
また、食事も寝泊まりするスペースでされていて、匂いがこもってしまったということで、今回その経験を生かして、ボランティアの団体支援団体との連絡線を事前に作っていて、災害が起きたときに、まずその民間団体に連絡をする、そして連絡をしたら、町中にその民間団体が持っている倉庫があるそうで、その倉庫からこちらの避難所に、物資が送られるようにシステムを既に作っていた、
ということなんですね。



とてもスピーディーなんですね。
避難されているみなさんは、避難所の生活について、どんなことを話していらっしゃるんでしょうか。

こちらには、80人近くの方が現在避難されていますけれども、今回、17歳の男性にお話を伺ったんです。

「今、避難所で足りていないものはありますか」と聞いたところ、「特にありません」とおっしゃっていたんですね。
「いろいろな人が支援をしてくれていると感じている」とお話になっていました。

この17歳の男性、6年前の大きな地震の時にも、この、まさにこの避難所を使っていたということなんですけれども、その時には「プライバシーが守られる空間がなかった、食事の匂いが充満していた、それが改善されている」というふうに語っていました。

避難所を応援するスタッフの方にお話を伺ったら、「現在この状況に満足していることではなくて、さらにもっと広いスペースが必要なんじゃないか」ということも語っていました。
というのも、「災害が起きたときには、被災されたみなさんの健康、さらにメンタルケアが大切だ」と言ってるんですね。
今こちらにも、マッサージをするようなスペースがあったり、この体のケア、そしてメンタルのケアというのが非常に意識されている避難所だな、ということを強く感じました。

こういった避難所の開設、さらには物資の提供がすばやくできるように心がけているということで、これまでの経験を活かして、そしてそこにとどまることなく、何か災害が起きたときに迅速に被災者の皆さんに寄り添えるようなシステム作りができている、と強く感じました。


おまけ

ぽんちゃんとの15回目の春

2024年04月05日 | ひとりごと
ぽんちゃんがめでたく満開を迎えた日は、雨降りが続いた3日目。
枝や幹は真っ黒で、うす桃色の雪洞は水分をたっぷり吸っていかにも重たげだった。
その夜、嵐のような風が吹きはじめ、それは4日目の朝も続いていて、極めつけは夜の雷嵐だった。
ぶっとい枝もがブゥーンブゥーンと、右に左に、上に下に、大揺れに揺れている。
稲光の中に一瞬浮かび上がるぽんちゃんが、花びらを大量に散らせている。
春の嵐に腹を立てたところでどうしようもないのだけれど、何もそこまで荒れなくてもいいじゃないかと思いながら、しばらく窓から眺めていた。

一夜明けて嵐が去り、4日ぶりに雨も上がった。
相当散ってしまっただろうと思っていたが、まだそれなりにいい感じだ。
これはわたしの寝室の窓から見えるぽんちゃん。

さてここからは、ただただひたすらに、ぽんちゃんの花顔アップ写真が続きます😅。









レンズを向ける場所によっていろんな顔を見せてくれるぽんちゃん。
毎年ほんとうにありがとう🌸
愛してるよ〜❣️

最近の楽しかったこと嬉しかったこと

2024年04月02日 | 日本とわたし
タイトルの写真は、雑誌のニューヨーカーに掲載されてた挿絵。
夫が見つけて教えてくれた。
その日は一日中、これを見てはクスクス笑ってた。


これは先日、シアトル在住の次男くんが送ってきてくれたインスタントラーメン。

一蘭ラーメンという、ラーメンマニアの間では有名なラーメンなのらしい。
グルテンフリーだけどいただくことにした。
豚骨スープと細麺、そしてピリ辛の赤い粉、作り方を忠実に守り、ゆで卵と大量のネギと薄切り椎茸を足して食べた。
激ウマ!


これは去年のクリスマスに義弟がプレゼントしてくれたポップコーンメーカー。


夫は次々と新しい味付けのアイディアを試している。
オリーブオイルとカレーパウダー、オリーブオイルと擦りニンニクと乾燥ディル、さてさて、お次は何が出てくるか。


まうみはカエルが好きなの?と新しく入ってきた生徒さんや親御さんによく聞かれる。
はい、大好きでございます!



幼少の頃、田んぼとかで捕まえて、お尻の穴からストローを突っ込んで、プープー吹いていじめてたことは内緒内緒😅

春が来た!どこに来た?ここに来た!

2024年04月02日 | 日本とわたし
ようやく来てくれた春。
ぽんちゃんの花が開き始めた。

自生の花たちもいっぺんに咲き始める。


紫陽花の新芽も出てきた。

A美ちゃんから株分けしてもらったアヤメも元気に姿を現してくれたのだけど、3年目の今年こそは花を咲かせてくれるかなあ。

ヨシノ姉妹のつぼみもふくらんできた。



お昼寝石さんのキラキラが写せないのはすごく残念!

玄関ポーチからのぽんちゃん。

とうとう始まった垣根の剪定。葉っぱが茂ってくれないと、前庭が丸見えなのである😅


この家に引っ越してきてから早や15年、歩道横の芝生は枯れ放題、なので散歩の犬が好んでウンチをしていたのだけど、今回とうとう新たに芝生を植えた。
さて、どうなることやら。

週明けから雨続きという予報が出ていたので、重い腰を上げて裏庭に出た。
菜園はこの通り、豆科の雑草に覆い尽くされていた。

よくよく見ると可愛らしいのである。


でもまあ、とりあえず、ささっと土を耕しておくことにした。

すると夫も出てきて、最近手に入れた日本製の、夫曰く、危険なほどによく切れるノコギリ刃が付いた道具で、枯れ木をゴリゴリと切り始めた。


ヨシノ姉妹の開花開始!




なんちゃってモザイク遊びをするための材料集め。
全部掘り起こしてきたもの。

石っころも拾い集めてきた。

庭仕事?遊び?のあとは、二人で夕飯作り。
夫がシェフでわたしは助手😅


クラシックとジャズと

2024年04月02日 | 音楽とわたし
先々週の土曜日は、今年は参加しなかったACMAのSpring Concertが行われた。
よくよく考えた末の不参加だったのだけど、やはり会場に行って聞いていると心がうずうずしてきて未練たらしいったらない。
でも無理だったのだ、本当に。
曲を深く掘り下げて学び、練習に練習を重ねて伝える術を磨き、レッスンにも通い、演奏者からの要望や質問に答え、楽譜を書き直したり書き加えたり、そういうことに必要なエネルギーが無かった。
そもそも、毎週日曜日の夕方の、3時間のリハーサルに通うことからしてわたしには大変過ぎた。
生徒の数が26人だった頃と40人以上に増えた今では、毎日の疲れ具合が違う。
そしてわたしはもう若くない。
気持ちと行動が伴わなくなるのは致し方のないことなのだ。
今回のピアノは前回のとは違ったのだろうか、それとも調律がしっかり為されていたのだろうか、音がとても良かった。



またいつか、演奏に参加できる体力と気力が戻ってくるかなあ…。


そして先週の土曜日はこれ、上原ひろみさんのブルーノートライブ🎵

実は夫もわたしもここは初めて💙

マンハッタンはすっかり春になっていた。

グリニッジビレッジは絶対に迷う。

中に入るとブルー一色。
噂には聞いてたけど、マジでぎゅうぎゅう。


1時間前から並んでいたので、まずまずの席に座ることができた。
とっぱちからぶっ飛ばすひろみさん。





いやはや、めちゃくちゃ楽しそうでパワフルなのである。
そして、高速で弾くスケールやトリルの音色が、うっとりするほど軽やかで美しい。

やっと一息つく時間があって、それでまた演奏に戻ろうかという時に、どこかから「コケコッコ〜🐓!」の声が。
え?なに?どこ?

携帯の持ち主さんはご高齢の男性で、焦り過ぎたからか止めることができないようで、さすがにひろみさんもこの表情😅

この後、コケコッコ〜をモチーフにちょいと即興してくれた😃

バンドのメンバーは誰も彼もが強者揃いで、ひろみさんならではのパワフルでユニークな快速パッセージを難なく演奏していくのだけど、聴いている側の我々にもその勢いについていくエネルギーが必要になる。




なんか彼女の弾くバッハが聞いてみたい、なんて思った夜なのであった。

ゆらゆら

2024年03月25日 | ひとりごと
今朝、24日の日曜日の起きがけに、伯母が突然わたしの目の前に現れた。
伯母は洋装の喪服姿で、わたしをぎゅっと抱きしめてくれた。
大正生まれの女性にしては背が高かった伯母を心持ち見上げると、化粧っ気のない、少し寂し気な、けれども意志の強さが滲み出ている、50代くらいの頃の美しい顔があった。
伯母の四十九日が近づいていることを思っていたからか、なぜかその夢の中では伯母自身が、誰かの四十九日の法要を無事に済ませたという話になっていた。
切れ長の伯母の目はじっとわたしを見つめていて、わたしは伯母の肩を抱きながら、「大変やったねえ、ようほんまに頑張ったねえ」と言って、ああそうだ、伯母はガリガリに痩せてるけど骨太で、こんなふうにがっしりした人だったんだと思い出していた。
伯母はわたしに「ありがとう」と言ってくれた。
そう思ったけど、声にして聞こえたのか、それともそんなふうに目で語ったくれたのか、どちらだったのかがわからない。
けれども伯母からの「ありがとう」とわたしからの「ありがとう」が、胸の中で抱き合っていた。
時間にするとそれは多分10秒前後で、そうやって伯母を抱きしめたままパッと目が覚めしまって、慌てて夢に戻ろうとしたんだけど叶わなかった。

日本時間の23日の土曜日に、伯母の四十九日の法要が行われた。
本当の四十九日は命日から数えると4月2日になるので、伯母はいろんな人たちのところにさよならを言いに行ってるのだろうか。
今日は一日中、夢の中の伯母の顔が繰り返し思い浮かんできて、懐かしいやら嬉しいやら寂しいやら悲しいやら、気持ちがゆらゆらと揺れていた。


先週の土曜日は、ここから車でちょうど1時間の町に住むN子ちゃん夫婦の牡蠣パーティに招待してもらった。
N子ちゃん夫妻は、夫のJさんの仕事の都合で、ボストンとニュージャージーに半々で住んでいて、ボストンで手に入る新鮮な牡蠣と蛤、そしてウニを大盤振る舞いしてくれた。



どの種類もめっちゃミルキーでコクがあって、美味いったらない!
何もつけずにそのままツルリと舌の上に乗せ、それを軽く咀嚼すると、なんとも言えない海の香りが口いっぱいに広がる。
至福のときである。
他にもテーブルの上にはどれも美味しいご馳走が並び、満腹のお腹をふくふくと撫でていると、フランスから移住してきた洋菓子職人さんのデザートが…。
グルテンフリーの掟など遠くどこかに吹っ飛んで(最近よく吹っ飛ぶなあ😅)、食べる食べる、6種類以上もあるどれもこれもが手の込んだ逸品揃いで、これまた至福のときなのである。

お腹が満たされ過ぎて頭がぼうっとしてきたけれど、もう一つの楽しみだったSさんの三線とのジャムをせずに帰るわけにはいかない。
実はその日の朝、数日前から嫌な感じがしてた右手の中指がいきなりパンパンに腫れてきて、しかも痛みがハンパじゃなくて、もしかしてこれ、ちょっとヤバいんじゃないかと思って、慌てて夫に応急処置をしてもらったのだけど、こんな指で弾いても大丈夫かなと思いながら、とりあえずキーボードとアンプ、そして夫はエレキを持参した。
沖縄の歌を何曲か演奏し合った後、わたしが一番聞きたかったSさんの三線弾き語りに、Sさんの愛妻Hさんの舞いが加わる最強バージョンを視聴させてもらい、3度目の至福のときを過ごさせてもらった。
やっぱいいなあ三線、やっぱいいなあSさんの渋声、やっぱいいなあHさんの優雅な舞。
最後はJさんの音頭で楽しく踊り、大いに盛り上がって散会となった。
N子ちゃんたち、このパーティ(実に7カップルの参加だった)の準備はさぞかし大変だったろうなあ。
素晴らしい時を本当にありがとう。

ジャズと散歩とおうちリフォームと

2024年03月09日 | ひとりごと
うちから車で15分ばかりのところにある教会が、ジャズフェスティバルをするというので、大雨の中行ってきた。
前回行った、今から4年前のコンサートでは、海野さんという日本人ジャズピアニストが演奏して、わたしは一瞬で彼の奏でるピアノと音楽の虜になったのだけど、彼は同年9月、地下鉄構内で理不尽な暴力を受け、ピアノを弾くことができなくなった。
この記事は事故当時の2020年に書かれたものだ。
海野氏は再起不能とまで言われていた状況から復活し、今はまたニューヨークに戻って演奏活動を再開している。

彼のWikiぺディアからの引用:海野雅威 - Wikipedia
2020年9月27日、コロナ禍のニューヨークにてアジア人ということだけで襲われ、重傷を負う。
緊急手術後に一時帰国し、約半年に及ぶ治療を行った後、アーティスト活動を再開すべく、2021年に再度ニューヨークへ渡航。
8月にブルーノートNYにジョン・ピザレリ・トリオで演奏に復帰、秋には日本でも「奇跡の復活ツアー」を敢行し、ブルーノート東京で千秋楽を迎える。
差別や暴力に屈せず、混沌とした時代だからこそ音楽の力を信じる姿は、NHKスペシャル『素晴らしき世界〜分断と闘ったジャズの聖地〜』でも取り上げられ、大きな反響が寄せられる。
ー中略ー
また、惜しまれつつ世を去った日本の名ジャズ・ピアニスト世良譲、ジャズ・ピアノの巨匠ハンク・ジョーンズ、テナー・サックス&フルートの巨匠フランク・ウェスが、晩年最も期待を寄せていたピアニストでもあり、CDでの共演の他、音楽のみならず人生の師として交流を深めていた。
2010年5月16日、世界中のジャズファンに愛され最後まで音楽への情熱を燃やし続けたハンク・ジョーンズが91年間の人生に幕を閉じる時、その最期に立ち会う。
師の志を受け継ぎ、自己の音楽を追求することで本分を全うしていきたいと強く感じているという。

なんともすごい人なのである。

さて、今回の演奏者はSullivan Joseph Fortier Jr.という名のジャズピアノ&ハモンドオルガン奏者で、初っ端から飛ばす飛ばす!
このビデオは単にわたしがみなさんに、彼がどんな感じでオルガンを弾くかをお見せしたくて選んだもので、コンサートとは全く関係がない。
が、彼はこんなふうにいかにも楽しく、軽やかに、歌心いっぱいの音楽を聴かせてくれた。
普段はちょっと苦手であまり好まないぶっ飛びのジャズなのだけど、ドラムもベースもノリノリで、オルガンの音色の微妙な変化やリズムに引っ張られているうちに、あっという間に時間が過ぎていった。
久々の至福の時である。

この教会はなんかほんわかとしていて心地良い。



こんな舞台の端っこで演奏するっぽい。

わたしはたまたま彼ら側の端っこに座ったので見えたけど(ドラムは全く見えない)、他の人たちはほとんど会場の左右横に設置されたスクリーンを見ながら聴いていた。


今年の初春は雨だらけ。
来る日も来る日も雨が降るので、たまに晴れると気分はハンパなく上昇する。

以前から夫は、健康管理の進捗状況がわかるように設計された、Fitbitという名のスマートウォッチが示す睡眠の質や歩数の記録をわたしに見せていたのだが、それをわたしも使うことになった。
ごく最近のことである。
わたしはそんな小道具を使わない限り、ダラダラと夜更かししたり寝坊したりするタチなので、自制のために使うことにした…情けないけど…。
それで、使い始めて分かったのだが、そんなふうに超適当で、いまだにベッドに入る時間が夜中の12時近くになってしまうわたしなのに、眠りの質が健康オタクの夫より遥かに良い。
それから笑えることに、腕時計なので手を動かすと歩数として換算されてしまうらしく、レッスンでハノンを生徒たちと一緒に弾いているだけでガンガン数字が加算されて、あっという間に5千歩近くになる。
わたしは座ってるんですが…いいんですかねfitbitさん。

でも、晴れた日ぐらいは真っ正直な歩数を稼ぎに散歩に行こうではないか、というわけで、先日近所の公園に行ってきた。
入り口近くにある老木の木肌が、べろり剥がれ落ちていた。


ここから落ちたみたいだ。なんとも痛々しい。

枝もたくさん落ちていた。


晴れていると何でもかんでもいい感じに見える。


カモさんたちもご機嫌だった。

ここはいつ来ても人が少ない。


今日はうちの前庭と横庭、それから裏庭のあれやこれやを整えてくれる庭師さんに来てもらって、こちらの要望を伝えた。
昨日は屋根と雨樋、それから裏庭に降りる階段の補修をしてくれるリフォームの専門家さんに来てもらって、こちらの要望を伝えつつ、予算を出してもらうようお願いした。
複数の業者に同じ話をして予算を出してもらい、彼らの評判と予算の高低のバランスを吟味して、どの人にお願いするかを決めなければならない。



この家に引っ越してきて丸15年。
そもそもこの家は『as is』という条件(あるがまま、何のリフォームもされていないまま)で買ったので、最初から修理の宝庫のような家だったのだけど、この15年間でやれたことは床の研磨とコーティング、そして2階の浴室のリフォーム、そして放っておくと危険なまでに劣化した玄関口の階段のみ。
そして今年、屋根がいよいよこのままだとヤバいということが判明し、そういや雨樋も、いやいや雑木の枝ぶりもと、どんどんと課題が押し寄せてきて、この際思い切って全部やってしまうことにした。
勢いで念願の、いや、悲願だった1階のシャワー室のリフォームもやる。

2階の浴室のリフォームでは、業者のトンデモな失態続きに疲弊して、もう2度とこちらの業者とは関わりたくないと地団駄踏んだことをふと思い出し、胸の奥にモヤモヤとした不安雲がわいてきたりするのだけど、わたしたちもそれなりに経験を積んで学んだわけで、とにかく無事に全てが終わることを祈るばかりの今日この頃である。