CHOUXYUKIO

CHOBLOG

マー君

2009-03-27 16:06:57 | Weblog
夢を見た。

前日にyoutubeで、楽天の田中将大さんが、
「早く結婚して、子どもを持って、自分がいつまで出来るかわからない野球をやってる姿を見せて、それを目に焼き付けてほしい」なんて言ってるのを見てたせいだと思うんだけど、夢の中にも彼が出て来たんでした。

夢の中で、彼はやっぱり子どもの話をしていて、
人や、子どもに夢をあたえられるような選手でありたいみたいなことを言ってた。
で、話はなんでかゲイの話になって、「まあ、ゲイで子どもを持たない人も多いですからねー」みたいなことをぼくが言ったのを聴いていた彼が、
「でも、ゲイの人たちだって、子どもたちにもどっか遠くにいる人にも夢を与えるようなことはきっと出来るし、してるんですよねきっと」って答えたとこで、ぼくは「えっ!?」と思いながら起きたんでした。

なんか良い夢だった。

芝生

2009-03-23 09:08:10 | Weblog
恋人と喧嘩というか、
ちょっとの間、あんましコミュニケーションを取れないでいる。

でも、どういう折り合いなんだか、今日入稿しなくちゃならない本の仕事があったりしたので、ずっと新宿でおこもりの日々だった。
それで、ぼくの手を離れる時間もちょくちょくあったので、普段まったくと言っていいほど出来てないバーをめぐるなんてことをしてみた木曜日。

作ってる本というのも、二丁目のバーのママさんたちにさせてもらったインタビューをまとめるというもので、それを編集してるともうホントになんてたくさんのママたちに
これまでお世話になってるんだってことにあらためて気づかされていたものだから、手始めに渡さなくちゃいけないデータを持っていったお店で酔っぱらったぼくは
「そうだ、これからお礼参りだ。こんばんは10軒はいかなくちゃ」と決意したのでした。6軒で挫折したけれど。

たまになにかを配りに行っても気づくことではあるけれど、
二丁目はやっぱりおもしろい。
酔っぱらってることも手伝って、小さなビルの小さなエレベーターを上っては、ドアをあけたら意外に大きなカウンターが広がってたり、
ビルは古びてんのにやたらと華麗な空間が開けたり、なんだかアリとかモグラの巣を案内されて歩き回ってるような気分になってくる。奥が深いのだ。

行くたびに「あら~~珍しすぎる!」と言われてしまう。
どんだけ無沙汰をしてるのか、恥ずかしい気持ちになる。
でも、どこに行っても胸にしみいる話をしてもらう。
通りを歩いてると、友だちに会う。
やっぱり「えー飲み歩いてるんだ!珍しいねえ」と言われる。
そういえばホントに遊んでないのだ、この街で。
早く帰らないと、恋人と持てる時間があんましないからと、仕事が終わったら無意識にさっさと帰ってたんだなあと思う。仕事を言い訳にしたりなんだかんだと。


もう帰ろうと思って、最後に古い友人が働いてるバーでコーヒーを飲む。
そしたら酔っぱらった古い友人たちが入って来た。結局また飲むことになったのも可笑しかった。気が置けないってすごいことだなと思う。


次の日の金曜日は、職場の方でずっと仕事をしていて、お腹がすいたねとみんなで中華屋に行く。
わりと新しいお店なんだけど、ここの中華が安くてウマい。
その次の日も結局行っちゃったくらい美味しいのだ。
食べながら、思えばこの人たちともずいぶん長い間いっしょにご飯を食べてなかったなあと思う。
結果的に、友人たちにずいぶん仕事を手伝ってもらっているから、ご飯どころではなかったんだなと思ったら寂しくなったり、申し訳なくなったりした。


ずいぶんいろいろなものを糧にしたり、犠牲にしたりして人は生きて行くものだと思う。
そんなつもりはなかったけど、恋人と過ごすための時間で、友人たちや、世話になってる人たちとの時間をぼくは犠牲にしてきたんだなあ。
その逆のことだってたくさんあったわけで、恋人にたくさん不自由や悲しい思いもさせて来たことだろうと思う。

ぼくにとっては、それでもそうしなくちゃならない大切なことと存在があったのだし、これからもあるのだろうと思うのだ。
忘れちゃ行けないのは、それを糧にするときに犠牲になってる事柄や存在の重さのことだ。
ついつい忘れてしまうんだ。忘れちゃダメだ。なんてね。


土曜の朝は友人たちとちょっとした撮影仕事があったから御苑に行った。
人がいっぱい出てた。まだゲイカップルっぽい人たちはいなかったな。それはきっと来週か。
まだ芝生は干し草色だったけど、すこし緑が差してきてた。
桜も咲き始めてるのかどうなのか、そっちにはあまり気が回らなかったけど、芝生が色づき始めてることがなんだかとてもうれしかった。
恋人にそれを伝えようと思ったけど、思いとどまった。
仲直りをしたらそれを話して聞かせようと思った。



細雪

2009-02-03 07:49:14 | Weblog

画面には、そんなにきれいでもない冬の川面に雪が降り続ける様子が映し出されている。
降っても降っても川面にたどり着いた途端に、雪は跡形もなくなっていく。
桜の花びらを思い出す。
降っても降っても、というのは川面の雪も、桜もおなじだろう。


「正月って、不思議に晴れるよね」という話をした。生まれてこのかた、といっても一歳や二歳の記憶は曖昧だけれど、正月に雨が降ったり天気が崩れたことがないように思う。
同じように七夕に空が晴れて天の川が見えたこともないし、桜は咲いたら首をかしげたくなるくらいに決まって空模様はあやしく、風も来れば雨もふる。
うまいこといかへん、もんだなと思う。


桜はあまり好きじゃないと、花見に誘われるたびに思っていた。
花見の宴会、うかれた群衆の怒号も、酔ったような色の花の色とおんなじで只、鬱陶しいだけだと思っていた。
人にたいしても、自分にたいしても、なににたいしても、どこか縺れ合うことから逃げたいなあと思っているところがある。
ずっと独りじゃ寂しいし、それじゃダメだと諌める気持ちもあるから向き直るのだが、やはり鬱陶しいなと思う自分がいる。昔っからそうだ。


けれど、この間、ふとこの「鬱陶しい」という文字面を頭に浮かべたときに、このややこしい感じの代表のような文字に「木」という字が2つ入っていることに気が付いた。
木や草が生い茂ってむんむんして匂い立つ様子がみえたような気がした。生い茂った草花のむせるような匂いはきらいじゃない。いい感じに酔っぱらう。
そう思うと、なんとなく鬱陶しいという字がイヤじゃないなと思って、恐る恐る、鬱陶しいなと思ってきた人やものや風景を頭に浮かべてみた。


鬱陶しいなと思ってきた人たちや風景はどれも、いとおしいなと思えるものでもあった。
時としてあまりにも濃度がこゆくて吐き気をもよおすコロンだって、思い返せば汗とまじって記憶をたどるヨスガになる。


あまりにも命が溢れ溢れて、たぎる気持ちの咆哮がたまらなくて、つい逃げたいと思ってきたのだと思う。
そして、そんないのちも、つむいで何とかしてきたつもりの人の気持ちも関係もはかないんだ。
咲いてもすぐ散らされる。
降っても水面におちたら瞬時に溶ける。
やはりいとおしいんだと、どこかで思ってることがわかった。



友人が焼いてくれて、久しぶりに市川崑の「細雪」をみた。
満開の桜ではじまる映画は、川面に降る雪でおわる。

なんだかんだと互いが互いを振り回したあとに、どうにかなったことと、なんだかうまくいかないことがある。
はじまりの予感もあれど、たぶん永遠におわってしまうことあるよ、と画面の雪は語ってるみたいだった。


映画もおわる頃、四人姉妹の長女役の岸恵子が言う、
「みんな、ええようにいったらええなあ」がとめどもなく胸に染みた。
子どもだった頃にはわからなかった。公開当時は14歳だった。
祈っても、かけずりまわっても、企んでもドタドタと咆哮しても、どうにもならないことはどうにもならない。
それでも人は、ええようにいったらええなあと願いつづけるのだと思ったら涙が出た。


鬱陶しいことは、いとおしい。
そこにははかなくても、いのちが匂い立つように息づいていて、
いつか消えることがわかっていても、互いにふれようと手を伸ばしあってるからなんだと思った。


し-ずんぐりーてぃんぐす

2008-07-08 08:33:56 | Weblog
しゅうと
いっしょに寝る。


シヤツがダウニーと汗がまじった匂い。
ときどき寝言で「ん?」「ん?」とかって言ってる。
とつぜん笑い出すこともある。


扇風機でひえた体を温めたげようとすると抱きついてくる。


至福の時間。
じんどいなあと思うことがあっても続けてみること。
季節はめぐるものだと思う。





ケニアン

2008-03-01 04:58:49 | Weblog
渋谷公会堂のちかくの
あの公園、なんていうんだったか、
その公園の近くに、
ケニヤンという名前の喫茶店がある。


しゅうと付き合いだしたときには、
よく行ってた。
アイミティという名前の
くどくないけど、
とても甘い(うまい)冷たいミルクティと、
まるごとリンゴパイが有名な、
ぼくより少しオジサンな店。


今日ぎっくり腰になって、
病院の帰り道、
しゅうと久しぶりに会ったのに、
またケンカになって悲しくなって、
あきらめてしまいそうになりながら、
なんとかケニヤンにたどり着いた。

アイミティを頼んだ。
仲直りの味がした。



二人前の元カレと
付き合ってるときぼくは、
モテてモテてしょうがない彼に
強がって、
べつにいくらでも恋人、
作ったらいいじゃん、って言い放って、
自分もどんどん新しい恋をしてみた。


いい出会いもあったけど、
夜、一緒に寝るのは彼だけだった。

でもある日、
「彼が夜、さびしいっていうんだ。週に2、3日だけ、向こうに泊まりに行っていいかな?」
と言われて、
気持ちが折れた。



も少しガマン出来たのかなあと、今では思ったりもするけれど、
やっぱしぼくは、
恋人はひとりでいい。


人は、ひとりで生まれてひとりで死んでいく。
知っている。

誰かに何かを、期待することのみにくさも頼りなさも、侘しさも知っている。


出会いの素晴らしさも、
すれちがうことの寂しさも、
人がどうしようもなく愛し合いはじめることの美しさも知っている。


でも、それでも、
どうしてもぼくには求めてやまないことがあるみたい。


つまんない人間ですね、ぼく。

でも、ぼくはそれでもかまわないと、
思えるようになった。

いちばんだいじ

2008-02-15 04:35:35 | Weblog
言葉はおもしろい。
それによってしばられると安心することもあれば、不安をまきおこすこともあるね。
完全なツールなんてどこにもないのだ。
使いこなせるように大人になりたいもんだ。

「あなたも大事だけど、こいつの方がもっと大事。」
そういわれたらちょっと寂しい。
ディテールがはっきりしすぎていて、未来が固定されたように感じるからかな。

ぼくはそのへんがあいまいなのかもしれない。
たとえば恋人は大事だけれど、それと友人に対する大事にしたい気持ちを引き合いに出したくはない。
それは寂しい。ガキみたいだけど、寂しいのだ。
ほんとにみっともないご都合主義で、穴があったら入りたいけれど、
それぞれみんな大事、といいたい気持ちがあるのだな。

たとえばこんなフェアリーテールはどうだろう。

ぼくの大事な恋人に、もう一人、恋人が出来た。
でもその子は、ぼくの大切なセクフレだ。
ぼくらはぼくらで、キスもするし、人生の大切な話もする。
ぼくら三人はお互いを大事に、大切にしあっていければ、
なかよく暮らしてはいけないものなのだろうか。


でもまあ、こうして書いてみると、確かにぼくの中にも「いちばんだいじ」はあるものだなと思った。
それはそうだなと思った。なさけないけど。
それは明滅する光なので、それなしでは歩けないくらいなのに、とくにそれを感じない日もある。
でも光は消えてない。


そうするとさ、ってことはだよ、
「にばんめにだいじ」「さんばんめにだいじ」も、出てきちゃうものだってことだよね。
ありゃりゃ。そうかー。


でもやっぱりぼくは欲張りなので、
火事になったらそれを全部ひっくるめて、それをぜんぶ抱きかかえて、
丘の上まで駆け上がろうとするだろう。

「いちばん」と「にばん」と「さんばん」の入ったぼくのリュックはそのとき、
ぼくにとって「いちばんだいじ」なものになってるのだろう。

そう考えた方がしあわせだ。
なんとなくそうおもう。



reset

2007-07-17 06:40:53 | Weblog
どうにもこうにも調子が悪くて、
悪口と
憎しみと
嫉妬と
うらやましさのかたまりになってる一日だったのだけど、(携帯も止まっちゃうし>未払い)

そんな感じでグワーンとなりながら二丁目でばったり会った友人と
わりかし作り笑い気味で(しんどかったから)しゃべってるところに恋人とはちあわせ。

なんだかホントに久しぶりに二人でご飯を食べにいった。
ラボエム。
食い過ぎたけどたのしかった。
シーザーズサラダの作り方、なんて教えてくれる。
あんなに料理、苦手だったのにな。

んで、ドリームガールズとゴッドアンドモンスターを恋人が借りにいってるあいだに、
まだ灯りのついてるaktaに行ったら、
スタッフたちがまだいてビックリ。
ボランティアの運営について熱っぽく議論してて二度ビックリした。
いつのまにかみんな大人になっていってるんだなあ。

家に帰ってドリームガールズをみる。
映画としてはどうなのかなーって感じだったけど、恋人はいい唄だといって二度泣いてた。
ティッシュ、6枚くらい使ってた。
この人のこういう感じやすさをぼくはとっても愛してるのだなあと再確認。
ふだんはわりとドライなんだけど、ひょんなとこに瑞々しい場所を持ってる。
そういえば、付き合いだしたばかしの時はYUKIのライブビデオで、この人、号泣してて、
公衆の面前だったのにすごい泣いてるもんだから、ビックリしたのを覚えてる。
ぼくは人前でなかなか泣けないので、ステキな人だと思ったんだった。

いま恋人は隣で寝ていて、
ぼくは昨夜の寝過ぎのせいで今は眠れず。
しかたがないので、恋人の一昨年の終わり位からのブログの日記をずーっと読んでいた。

「あー、このときぼくも同じ安室ちゃんの曲にハマってた」とか
「うお、そろそろ出会う頃なんじゃないの」とか、

けっこうハラハラドキドキしちゃったよ。
おかげでなんだかリセットできたというか、
なんだかよく解んないけど、波が静かに、呼吸がしやすくなった気がする。

もーすぐ一年半。
この人に会えてホントによかったなあ。
なんてたくさんのものを、与えてきてもらったのか、思い出すことが出来た。
よかった、ホントに。


追分だんご

2007-03-30 02:19:38 | Weblog
父が新宿に来ているというので会いにいく。

しゅうも会いたがっていたけど、今回は仕事の面接でかなわず。
しんそこ残念だったみたいで「おとうさんに大好きって伝えろや!」とメールが来る。
それを伝えると、父の顔がくしゃくしゃになっていた。

父の仕事の話。
バブル以降と以前では、研究者にまわるお金が桁違いになったらしく、
しかもそのお金の回り方はけっこう一点集中型で、
それまでの「あたらしくて良い発明や発見は誰がしたっていいじゃないですか」みたいな牧歌的な風景は失われてしまったらしい。

「まあ、なんとか変わり目と、その前のいい時代を経験出来たことはラッキーだったのかもしれないなあ」

そういえば、この間見た夢は、
父が何かの責任を取って切腹をしなくてはならないという理不尽なものだった。
でね、ぼくの妹というのがその夢の中では大原麗子で、
ぼくらは二人して「そんな責任はおわなくていいから逃げましょう」と父を説得するのだ。
それを話したらなんだか機嫌がよさそうに笑っていた。

父は追分近くの高校出身で、その同学年の親友に会いにこれから柏に行くんだと言って、
みたらしだんごを買っていこうとしたけど売り切れだった。
残念。


これから何度こうして笑いながら今と昔と明日の話ができるだろう。
できるだけたくさんたくさん笑わせたいな。

悲しませたり、怒らせたり、失望させたことは星の数だろうから、
これからは、なるたけたくさん笑ってもらうんだ。

そう思って、手を振って、仕事場に向かった.





相棒

2007-02-26 22:07:17 | Weblog
ばたついた日々。

久しぶりに古い友人夫婦をしゅうといっしょに訪ねる。
バラ園のとなりの素敵なボロアパートに彼らは住んでいたのだけど、
バラ園はつぶされてアパートの跡地ごとおしゃれマンションになってしまうって言うので、富ヶ谷に引っ越し。
でも、行ってみると新しい家はすっごいステキな家だった。

縁側もあって、庭には柿の木。
古くて畳を歩くとギシギシ言ったけど、ぼくには理想の家だったよ。
いいなぁ~!

半年ぶりに会った、長男の男の子はもうすぐ小学生で、
ずいぶんでかくなってた。
サッカーに夢中みたい。
しゅうとは話が合って、あっというまに親友みたいになってたよ。

彼に食事してるとき、
「あきらさんは(ぼくのこと)、相棒が出来ていいなあ。
おれ、まだ相棒いないんだもん~」
って言われた。

なんかキュンとした。
この子と、この子の友達の子どもたちみんな、
ちゃんと守ってけるような人間になろうって誓ったよ。

たのしかった。
ぼくゲイだけどさ、子どもとかかわっていけるような生き方してたいなと思った。
そういう街で暮らしていきたいな。

そういや、二丁目で仕事中に、ふと窓の外をみてたら路地を学校帰りの子どもたちが三人大騒ぎしながら走ってくのをみた。
こういう街でもあるってこと、もっとゲイのみんなも知っているといいなって思ったよ。

市ヶ谷仲之町

2006-11-07 17:02:28 | Weblog
早起きして三丁目のスタバでコーヒー。
歩いてたら明治通りにちいさな竜巻がおきてた。
落ち葉がくるくる回ってた。
でも、北海道では家を吹き飛ばすほどの竜巻が起きてるんだね。
脅威だ。自然は。


昨日は、日曜日のサッカーの試合で足のけがをした秀をつれて女子医大へ。
ぼくはあそこで生まれたんだよね。
そんなんで、診察が終わるのを待つ間、散歩をしてた。

そしたら、なんだかなつかしい感じの場所に出てきて、
母さんに電話してたしかめたら、やっぱりぼくが生まれたときに住んでた場所にぐうぜんたどり着いたんだった。

アパートは取り壊されて、マンションになってたし、
となりにあったフジテレビも、移転してでっかいマンションとコープになってた。

でも、古い蕎麦屋と、月桂寺ってお寺はそのまま残ってた。

不思議な気持ちになったよ。
地面とか、道路とか、アパートがあったであろう空間に、
ちいさい時のぼくや友達や、
両親やおばあちゃん、おじいちゃんたちと、
ふっとすれ違うようなそんな感覚があった。


こんにちは。
ぼくは、こんなに育って、元気にやってますよ。

町にあいさつをした。