Menkarm World

メンカームの趣味の部屋へようこそ!

さよならウアン君

2024年03月27日 00時37分00秒 | タイでの生活
我が家のアイドル ウアン君。

縄張りのパトロールを欠かさず、近所の猫と縄張り争いで喧嘩しては顔を傷だらけにして、朝は傷薬を塗ってやるのが日課。
縄張りの拡張に熱心で遠くへ行き過ぎて帰れなくなった事もあり…、

息子が行方不明 - Menkarm World

息子と言っても、バンコクで働いている方ではなく…、こちらの甘えん坊でおっとりしたウアン君。火曜は特に甘えん坊で、作業場へ出て勉強している娘のテーブルで寝転んだり、...

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日曜の夜も帰らず、月曜の朝食にも姿を見せず、「ウア〜ン、ウア〜ン」と呼んで農園の奥まで行くが全く反応が無くて妻と心配していると、暗くなりかけた頃に作業場に居る妻の所へ帰ってきた。
妻の顔を見て「アゥ」と鳴くと伏せて動かなくなったそうで、リヤカーへ乗せて自宅へ連れ帰った。
私が抱き降ろして水とキャットフードをやるが、少し匂いを嗅いで顔を背ける。
妻が冷蔵庫から茹でた鶏を持ってきたが全く興味を示さない。
この日はすごく暑かったので熱射病を疑い、経口補水液を作って注射器で少しずつ口へ注いでやる。
1時間おきに2〜3ccずつ飲ませていると20時頃に起き上がって自分で水を飲みに行ったが、ペロペロ飲んだ後に予想通り全部嘔吐。
これは点滴しないと無理だと思ったが、既に夜。開いている獣医は無い。
ムアン(県央)で開業されている獣医さんの自宅が近くの集落へあるので、ウアンを連れて行ってみるが留守で車も無い。
ドアへ携帯の電話番号があるので何度か掛けたが応答されない。
22時頃まで待っていると獣医と親戚な隣人が帰られたので聞くと、最近はムアンへ住んで偶にしか帰られないそうだ。
ウアンと自宅へ帰ると、自分で水を飲めないようにゲージから水の容器を出し、経口補水液を1時間毎に数cc飲ませる。
ウアンは私が呼んでも反応せず、ぐったりして動かない。
12時を過ぎたので私も休んだ。

翌火曜朝は気になって6時過ぎに目が覚め、ウアンのゲージを見に行くと空。もう動けないと思って蓋をロックしなかったので出たのだ。
自宅の周りを探すが、どこにも居ない。
朝食後に妻が農園を探すと、自宅から100m先で動けなくなっているのを見つけた。
呼吸はしているが意識は無い様子。
経口補水液を口へ注ぐが、もう反応が無く飲み込めない。
妻は「病院へ連れて行こう」と言うが、「もう助からない」と答える私。
ウアンが好きなのは首の後ろを掻かれるのと腹を撫でられるのなので、やってやる。
腹を撫でていると、いつもは気付かない子供の握り拳大に腫れた臓器が手へ当たるのに気付く。何だろこれ?
もしかして膀胱?とウアンのペニスを確認すると、排尿口が乾いて黒く固まり、排尿してない様子。
水で濡らして黒い固まりを取り除きペニスの皮を少しむくと、赤いペニス先から5ミリほど白いクリーム状のものが出てきた。
白いクリーム状のを指へ取って広げると乾き始めてザラザラしてくる。
尿道が詰まって排尿出来てないのにようやく気付いたが、既に苦しそうに肩で大きく息をしており、しばらくして亡くなった。

前日に帰宅した時に経口補水液で一時的に改善した様に見えたのが失敗。
様子を見ず、そのまま直ぐに病院へ連れて行けば助かったかも知れないと思うと残念だ。
動物嫌いな妻が初めて可愛がった猫だった。作業をする妻の横で寝るのが好きだった。
私が農場を歩くと、通路で転がって邪魔をし、腹を出して撫でられるのを待ってた。
2歳になったと喜んだばかりだったのに…。
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初めての抜歯で血が止まらない

2024年03月24日 00時38分00秒 | タイで健康生活
半年程前から冷たい物を食べると右の奥歯が痛み始めた。
知覚過敏かなくらいに軽く思っていたが、昨年末頃の食事中に歯の間へ食べ物が挟まると激しく痛み、指で触ると右上の1番奥の歯が少しグラグラしているのに気付いた。
歯槽膿漏かと思い、通訳してくれる妻が暇になるのを待っていたが、20日の昼食後にまた激しく痛んだので、歯医者へ行くのを決心。w

翌21日の午後に歯科医院へ。
いつもは私と同年代の女医さんだが、今回は息子さんらしき若い男性医師が担当。
丁寧に挨拶されて診察台へ案内されると準備してある消毒液を30秒口へ含むように言われ、水で口を濯ぐと大きく口を開けて診察が始まる。
私は右上1番奥のグラグラする歯に問題があると思っていたが、歯科医が言われるには右上奥から2番目の臼歯へ大きな虫食いがあるそうだ。
「1番奥と2番目を2本抜きましょう」と言われ、「タイの歯科医はすぐ抜きたがる」と聞いていたので、削るのではなく抜かなければならない理由を尋ねると、歯のレントゲン撮影をされた。
レントゲン写真を見ると、奥から2番目の歯へは素人の私でも判る大穴が開いており、医師の説明では割れる寸前。
1番奥の歯へ虫歯は無いが既にグラグラしていて、その根は2本目の根に沿っているので、2本目を抜くと1番奥の歯の存在は厳しそう。
よく納得出来たので右上奥の2本を抜くのを了承。

麻酔注射は2本打たれ、2本目注射後に右頬周辺に違和感があり、麻酔が効き始めたのが判る。
グラついていた1番奥の歯(小さな親知らず)は簡単に抜けたが、奥から2番目の臼歯は抜く時に割れたそうで時間が掛かった。少しは痛いかと覚悟しても、全く痛くないのに驚いた。
止血するガーゼを入れて暫く噛み続けるように言われて治療終了。

受付で注意事項を説明され、それを書いた紙も頂く。
薬は、抗菌薬と痛み止めを出された。
代金は2500バーツ。
麻酔が効いてる内に帰宅したく、帰りを急ぐ。

2時間後に指示通り止血ガーゼを外すと、抜歯した後の穴へ押し込んだガーゼが残っているのに気付いたが、これを外すと出血しそうなので1時間追加して待つ。
18時前にもう大丈夫だろうと外すと…、出血して口の中が血まみれ。
慌てて新しいガーゼを噛んで圧迫止血し、農園で作業している妻を呼んで病院へ電話させて指示を仰ぐと、1時間ほど止血を続け、それでも止まらなければ国立ウドンタニ病院へ行って治療するように言われた。
病院で貰った止血用ガーゼが残り少ないので、薬局で滅菌ガーゼを購入。

1時間後にガーゼを外すとダラダラ流れる出血は止まったが、滲み出た血が口の中をゆっくり流れる。
ネットを検索して調べると、抜歯の翌朝頃までは完全な止血は難しいと書いてあるページもある。

日付が変わる頃になってやっと止まったが、出血していた右上奥歯周辺へ小指大の血の塊(血餅)が出来た。
かさぶたなら乾いて硬いが、口内は唾があるのでゼリー状。
取り除くとまた出血する可能性があり、そうなるとまたガーゼ噛みのやり直しになる。
これでは食事も出来ないが、ようやく止血出来たので、明日はもう一度病院だなと思ってそのまま寝る。

ぐっすり寝ていると口の周りが濡れているのに気付いて目覚めた。
明かりを点けると口の周りや枕やシーツが血塗れ。血の塊(血餅)を噛んで再出血している。
眠いので血の塊を吐き出しただけで再び寝るが、口へ血が溜まった不快感で直ぐに目覚める。
え〜い糞!深夜1時なのに…、折り畳んだガーゼを患部へ挟んで噛んで圧迫止血を始める。

30分後に確認すると、ガーゼは血塗れ。
血が止まり難い理由は傷の大きさもあるが口中が唾で濡れているのが大きな理由だと思ったので、次は止血しながら口から呼吸してみると、30分後の出血量はガーゼの半分。
止まったと思うが、念の為にガーゼを交換して30分の圧迫止血をやって確認するとガーゼの1/4程度の血。
起きてきた妻に頼んでスマホで患部を撮影して貰うと、血餅(口内のゼリー状のかさぶた)は歯茎からはみ出さずに綺麗に出来ており、血も流れてない。

本来なら抜歯の2時間後にこうなる筈だったのに…、もう2時半。
抜歯中に臼歯が3つに割れ、ドリルで削ったりと苦労して抜かれたので傷が大きかったと思われ、縫合した方が良かったのかも。

ようやくほぼ完全な止血に成功したが、再出血が心配だし眠いしで、何も食べないまま寝る。

翌朝は7時半頃に目覚め、歯を磨くのも口を濯ぐのも再出血の不安があり、治療後に水と薬しか口にしてないので「まあいいかw」と、そのまま豆乳とビタミン入りゼリーの朝食。

昼は鶏のスープへご飯を入れ雑炊風にして腹へ流し込む。
夕食になってようやく普通の食事を始め、歯磨きも出来た。
薬は火曜の朝までなので、お酒はそこまで我慢だ。

奥歯が2本無くなると食事はかなり不便に感じるが、しばらくすると慣れる筈。
娘が進学して少し余裕が出来ればしっかり噛める歯を入れたい。

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娘のA-Level試験受験

2024年03月20日 09時21分00秒 | タイで子育て
A-Levelとは一般に「イギリスとその連邦諸国において、中等教育卒業もしくは大学入学レベルにあることを示す学業修了認定」(ウィキペディア「一般教育修了上級レベル」より)を指すが、タイでも同様の制度を取り入れたのか国公立大学に4つある入試制度の3回目の考査(ロープ3)へ使われる試験をA-Levelと呼ぶ。
以前の入試制度のロープ3(GAT・PAT)とロープ4(カウサーマン)が統合されたものだ。

今年は3月16〜18日に実施され、タイは暑季で夏真っ盛りであり、学校は夏休みになっている。


ウドンタニではウドンピット校とラシヌー校を中心にいくつかの学校が試験会場として指定されるが、娘は何度かやった他の入試で県外の高校だからか風通しが悪くて暑いと言われるプラチャック校を割り当てられる事が多い。

気温と学力は反比例するそうで、

気温と学力は反比例する - Menkarm World

徳田安春医師のメールマガジン「ドクター徳田安春の最新健康医学」の10月8日の記事「現役医師が警告。人類を救った「エアコン」で世界は危機に瀕する」へこう書いてあっ...

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バンコクやロイエットだとエアコンが効いた教室らしく有利。
車で行けるのでロイエットで受験させようかと思ったが、「遠くて疲れる」と娘が言うのでコンケンにした。

娘は小3からサマーコムカニッタサー試験で毎年コンケンへ行っており、ウドンタニと比べるとコンケンの学校は風通しが良い傾向と言う。
今回はケンナコン校1階の教室が指定され、娘は慣れた学校なので上機嫌。
ケンナコン校前の道は試験日に渋滞する事もあるので、ホテルはその近くを取ろうとすると、コンケン大近くの定宿が良いと言う。
中学生の時に数学オリンピックのキャンプで2週間過ごして以来のお気に入り。
静かだし、駐車場は広いし、徒歩圏内へコンビニや飲食店があって便利なので私も同意。

予約時に団体客が入っていると言われたので、賑やかな観光客だと困ると思っていたが、15日(金)の夕方にホテルへ着くと高校生が多く、娘と同じ受験生かと思うと科学オリンピックの二次試験合格者を対象にしたキャンプの参加者。
夕食用に積んであった弁当の数から30人以上居ると思われるが、若くても騒ぐ者は居らず、誰も居ない位に静かだった。

夕食は近くの食堂から持ち帰ってホテルの部屋で食べる積りだったが臨時休業。仕方無いのでコンビニ弁当。
ホテルの徒歩圏内へ飲食店は多いのに、妻と娘は部屋で静かに食べたいそうだ。

翌16日(土)朝は私だけ5時半に起きてコンビニへホットサンドを買いに行く。ホテルは朝食付きだが、美味しくないらしいので毎回これ。
私と妻も毎回ホテルのを食べないが、娘から聞いただけで食べず嫌いなので1度は食べようと行ってみれば、営業開始直後からかも知れないが、おかずの入った容器は温められてなく、作り置きの目玉焼きやソーセージは全て冷たいまま。
「こりゃ食えね〜な」と食べ残して出た。

部屋へ戻ると7時過ぎ。
娘を急かして7時半前にホテルを出発し、渋滞が無かったので15分程で試験会場のケンナコン校へ到着。
娘を降ろすと近くの路駐スペースへ車を入れる。
この日は、8時半から10時が生物で、11時から12時半が物理。午後の国語と社会も受験の申し込みをしたが、体調が悪い(こんな日に生理)ので受験中止。
試験開始の8時半まで待って娘からSOSが無いのでホテルへ向かう。
前日に臨時休業で夕食を買えなかった食堂が開いていたのでカオパット(焼飯)を買って帰って朝食。w

昼までゆっくり休んで娘のお迎え。朝は渋滞してなくても理系科目だからと思っていたが、午後から直ぐに文系科目の試験があるのに全く渋滞無し。
NETSATの時は学校前の通りを抜けるのに1時間掛かったのに、この違いは何?
コンケンの受験生はロープ2でコンケン大を狙うだけで、ロープ3で他県の大学を狙わないのか?
娘の話では、受験生は大学生や浪人生らしき人が目立ったそうだ。

ホテルへ戻ると娘はアプリで昼食を注文。
私と妻は遅い朝食だったので軽く菓子パンを食べて昼食代わり。
午後は、娘が勉強し、私は昼寝。「イビキが煩いから起こしたのに、起きない。」と後から文句を言われた。

夕食はテキサスフライドチキンをアプリで注文。ウドンタニには未だ店舗が無いので、一度食べたかった。
KFCと比べると柔らかくてジューシーな肉質だが、もしかしてブライン液?
私はKFCの衣まで濃い味付けなのが苦手なので、テキサスの唐揚げの方が食べ易かった。

翌17日(日)の朝は6時起床。
菓子パンで軽い朝食。
ホテル出発は7時半過ぎ。セントラルプラザコンケン横からトンシームアン方向の道が閉鎖されており、マラソンらしい。大切な入試の日に試験会場がある街中を交通規制するのは止めて欲しい。
娘の試験会場の先に大きな公園があるので規制を心配したが、問題は無かった。

会場到着は8時頃。前日より少し遅かったからか街路樹で日陰になる駐車スペースがなく、日当たりの良い場所へ駐車し、エンジンを掛けたままエアコン使用。

私の後ろへ停めた車はマラソンの参加者らしかったが、バイクで来た友人と缶ビールを飲みながら談笑し、そのまま運転して帰宅。朝から飲酒運転だ。w

この日の予定は、8時半から10時が数学で、11時から12時半が英語。午後は13時半から15時が化学だった。
昼食時間が1時間しかないので、娘はジュースと菓子パン持参。
暑い上に、体調が悪くて食欲が無いので、弁当なんか食べられないそうだ。

8時半になり無事に試験が始まったのでホテルへ戻り、近くの食堂で買ったパッガパオ(ガパオライス)で朝食。
昼までゆっくり休んでチェックアウトし、コンケン大農学部の木陰へ15時前まで駐車。

娘を迎えに車を走らせると、セントラルプラザコンケン前の交差点で軽く渋滞。
そこから2つ先の信号で左折し、ケンナコン校前の通りへ入ると学校前まで渋滞。
娘を拾うと旧道を南下して外周路(バイパス)へ入り、コンケンの市街地を迂回してウドンタニ方面への2号線へ入った。

車の中で試験の様子を聞くと、数学は試験開始の放送を忘れたらしく、4分遅れての開始。
監督官の判断で4分遅れて終了したが、最後の筆記5問は時間が足りなくて焦ったらしい。
他にも音が煩い扇風機があったそうで、受験生から苦情が出て停止。別の扇風機を2台持ち込まれて対処されたそうで、担当された監督官が親切な先生で良かったそうだ。

試験問題に息子が受験した時の様な難問は無かったそうで、A-Levelと書かれた問題集と同様に教科書より少し難しい程度らしい。

それでも娘が受験勉強へ使えた時間は少なく、英語や生物はほぼ本を1冊だけ終わらせた程度だし、数学や物理や化学は本の1/3を済ませたくらい。
娘の話では特に数学が厳しかったらしい。中学卒業までは1番得意だったのに、今は苦手科目になっている。
娘の高校の同級生も、中学生の時は数学オリンピックで2次試験も通った強者だったが、今はサッパリで、大学は文系を目指すと言ってる。
高2の時の数学教師が特に酷く、1問を1時間かけて教えていたが、生徒の方は退屈で集中力が切れている。腹を立てた生徒が「そんな解き方では受験へ対応出来ない」と苦情を入れて替えて貰ったが、替えても駄目だったのだろう。
(こんなので附属かよ?)
(T_T)
「これで合格したら運が良いよな」と、娘と苦笑い。

自宅のある集落への帰着は17時だったが、夕食の買物を済ませて自宅へ着いたのは18時前。
コンケンへ居た3日間は猛暑だったので、妻は家業の農園へ走り、私も趣味の栽培場へ行って、水が切れ易い苗を中心に暗くなるまで水やり。
どちらも大きな問題は無くて良かった。

18日(月)も英語以外の外国語を中心に試験があり、娘は日本語を受験しなかったのでフリー。
中学の時の友達の受験が終わるのを昼まで待って、仲良しが集まって昼食会とカラオケとお茶と買い物を楽しんだ。

19日から勉強を再開する予定だったが、真っ青な顔をして起きてきて、食事も喉を通らない。
予定では生理が終わって受験の積りだったが、遅れてしまい始まったのは15日の受験前夜。
16、17日は痛み止めを飲んで受験し、18日は前からの約束だし、会うのは年に一度くらいだからと無理して参加した。
19日は、もう限界だったのだろう。
午後から薬が効いて起きて来たので、「3年間お疲れ様。よく頑張ったね!」と労ってやった。

ロープ2とロープ3の合否が判るのは4月中旬。
今日(20日)からまた勉強だ!

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コンケンの新しい園芸市場

2024年03月16日 10時11分00秒 | タイで園芸
コンケンへ新しい園芸市場が出来たので御紹介。

場所はコンケン市街地から国道2号線をナコンラチャシマ方面へ南下し、外周路(バイパス)を潜って右側のボ・コ・ソ 3(コンケン第3バスターミナル)へ入る取り付け道路沿い。
入口へ大きな看板がある。



衛星写真で…

道路沿いに黒いのが店舗の遮光ネットで、かなり広いのが判る。

コンケンの園芸市場は、これで5ヶ所目。他と比べると道路が広くて車で見て回り易く、駐車も店舗前で簡単。各店舗も広々としている。

時間が無くて東側しか見てないが、庭の植木等の造園関係が充実している印象だった。

出店されている方の話では、農園が直売されるお店もいくつかあるそうで、期待できそうだ。
時間がある時にゆっくり見て廻りたい。

応援ありがとうございます。
娘の受験も大詰めで、頑張ってます!
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高校3年間を捨てたと言う娘(後編)

2024年03月14日 00時36分00秒 | タイで子育て
国立大付属高へ設置された全寮制の理数コースで奨学金を頂きながら高校3年間を学んだ娘は、学校や寮の環境が合わなくて学校生活はとても苦しく、高校の3年間を無駄にしてしまったと進路の選択を後悔している。

前回の記事…

高校3年間を捨てたと言う娘(前編) - Menkarm World

娘は国立大付属高へ設置された全寮制の理数コースで奨学金を頂きながら高校3年間を学び、2月中旬に卒業した。高1は新型コロナ騒動で大部分がネットを...

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では、学校の授業が期待したものとは違った事や、多い宿題に追われて十分な学習時間が確保出来なかった事を記事にした。

後編では寮について書いてみよう。
最初に寮の立地から。
寮は大学の構内へあり、敷地はバス通りへ面しても出入り口は路地の奥へ数百メートル入った先。

寮の周囲は林であり、人通りは少なく昼間でも寂しい感じ。

民間のアパートなら出入口へ警備員が居たりするが、この寮は警備員が居らず部屋の中へ先生が居られるだけ。
もし不審者から林の中へ引き込まれても気付いてくれる人は居ないだろう。
大学構内への関係者以外の出入りは自由であり、痴漢の話がSNSへ何度も書かれていたので不安だった。

寮の向かいへ大学職員のアパートがあるが、お店は洗濯屋だけで菓子や飲み物を売る店も自動販売機も無くて大変不便。
最近はバイクの配達サービスが普及しているのでアプリを通じて買い物は可能だが、お店へ行きたいと思ってもタクシーへ1人で乗るのも不安だし、薄暗い林の中の道を歩いて出るのも嫌になる。
大学構内は無料バスが走っているが運行は不規則でなかなか来ない時もあり、構内のコンビニへ買い物へ行くだけで往復1時間近く掛かる事も。
寮には門限はあっても昼間の出入りは自由だが、心理的に閉じ込められた様な気がしたと娘は言う。
静かな環境を求めて作られたのだろうが、高校生の女の子には寂し過ぎたのだ。

次は寮の部屋について。
寮へは親も入れないので実物を見てないが、娘の話だと部屋は20平米弱らしい。
そこで3人が暮らすので、机とロッカーが3つずつ有り、二段ベッド1つとシングルベッド1つを入れるとあまり余裕は無い筈。
窓は廊下側の天井近くを網戸で幅広に開けてあるだけで、バルコニー側へ浴室があるので窓は無く、バルコニーへ出るドアが網戸になっており、そこから外が見える。
エアコンは無く、部屋の通気も悪いので暑い日は蒸し風呂状態。
エアコンが無理でも、せめて換気扇くらい設置できないかと申し入れした保護者が居たが、寮の責任者は「そのくらい我慢しなさい」と言われたそうだ。
親の立場からだと、難しい勉強をするのは「我慢して頑張りなさい」と言えるが、劣悪な環境を我慢させる為にその学校へ入れたのではない。

大学の古い学生寮がこのスタイルで、寮の先生からすれば「何が悪いの?」かも知れないが、大学生なら住居は多くの選択肢から選ぶ事が出来て居住を強制されないし、大学の寮の周りには24時間営業の空調の効いた図書館や喫茶店があり、良い環境で勉強出来る。
娘の寮にも学習室はあったそうだが、コロナを理由にエアコンを使わせなかったり、窓が十分に開かなかったりで、あまり快適とは言えなかったそうだ。

附属高の全寮制理数コースで、寮の部屋へエアコンが無いのは、イサーンで2つと聞いている。
そんな寮でも快適と言って自宅へ帰りたがらない生徒が居たそうで、「環境が悪い」のではなく「娘が合わなかった」のかも知れない。

最後は同級生について。
以前も記事にしたが…

学友をこうやって蹴落とし利用する。 - Menkarm World

娘は某大学付属校へ国が設置した奨学金付きの全寮制コースで学んでいたが、そこで起きた事を紹介したい。先ずはA君の話から。A君のお兄さんは同じ大学の医学...

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30人居るクラスの半数がロープ1でポートフォリオ(履歴書)を使って医学部へ入るので、その為だったら何だってやる。そして悪い経歴を残さない為に先生の前では徹底的に良い人を演じる。
特に酷いのは、幼稚園や小学校からずっと附属で学んだ生徒(以後「生え抜き」と表現)で、多い人数で徒党を組んで他の生徒へ圧力を掛けて黒い物も白いと言わせてしまう。ルールや正義ではなく物事は力で決まるのだろう。(どこかの政治と同じw)
先生も生え抜き生徒を信用しているらしく、ある時に抜き打ちで部屋のチェックがあり、食べ物で散らかっていたので先生の機嫌が悪くなった。
散らかしたのは生え抜きの生徒なのに、怒る先生をスルーして机で勉強を続行。
もう一人の生徒は自分ではないのに叱られるが「私じゃない」と否定すれば生え抜きの生徒が悪くなるので何も言えない。
普通なら散らかした生徒が「私です」というべきだが、結局最後まで無関係な生徒が叱られ続け、最後は泣いてしまったそうだ。

娘は生え抜きグループと一緒に買物へ行き、リーダ格から代金数百バーツ(数千円)の立替を頼まれたので了承すると、それから返金するまでに数ヶ月。最後は逆ギレ気味だったそうだ。

体育祭で自分のチームが負けると、誰が悪くて負けたのかで生え抜きグループ内で喧嘩が始まったのにも驚いたそうだ。「『残念だけど、よく頑張った』とお互いに労うのが普通だよね」と娘は驚いていた。

入学時の寄付金が50万〜百万バーツと言われる学校なので、生え抜き生徒は中間層以上の経済力がある家庭の子供だと思うが、「やってる事はDQNと変わらない」と娘は言う。

もちろん全員がそうだと思わないが、クラスの中で主導権を握る最大グループが、善悪を意識せず自己利益の最大化を目指したのだろう。
タイの一般的な価値観とも異なるが、それが通ってしまったのが恐ろしい。
生徒数が30人に満たないコースの女子生徒はその半数という全寮制の小さな社会の中へ力を振るうグループがあり、他の生徒は事を荒げたくないので黙って静かに過ごしていたのだ。

2月中旬に高校を卒業して自宅へ戻り、それから2週間ほどした朝に起床した娘が喜んでいるので理由を尋ねると、ほぼ2年ぶりに夢を見たと言う。
娘はこのくらいで済んだが、鬱病や過労で入院した生徒も居たそうで、毎週帰宅させたり外部のアパートを借りたりしなかったら、娘も危なかったかも?
集団生活に慣れて、ストレス耐性のある生徒しか向かないのでは?

娘は、もう寮は懲り懲りなので、大学生になっても寮へは入らないと言ってる。
バンコクの中心へある大学へ行きたがっているが、どこへ住む積りやら?w

応援ありがとうございます。
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