20080104

ブログ名の由来も忘れるほど放置してましたが、約10年ぶりに更新を再開。。

益子の陶芸市とDIYと母親の事。

2023-05-07 | 
GWももう明日で終わりだ。僕はガッツリと9日間の連休だった。仕事したくなくなるよね。こんなに休みが続くと。
大学の助手は給料低いけど、休みがちゃんとあるからマシだな。夏休みなんて、1ヶ月近く取れて、ちゃんと給料も出る。まあ、そんなパラダイス生活も今年で終わりで、職探しを秋口ぐらいからは始めなきゃなんだけども。

見出しの、上の写真は益子の陶器市での戦利品。戦利品って、なんかみんながツイッターで言ってるから自分も使ってみた。みんなが使う言葉をそのまんま使ってみるのも、まあ別に良い時は良いか。
今回で2回目なんだけど、楽しい場所だなあと思う。学祭とか、子供の頃に行った酉の市とかを思い出したりもする。町全体でズラーっと陶器が売っているんだけど、その中から、自分の家に持って帰るとしたら、と想像しながら歩くと目利きになった気分になっちゃう。普段は作る側でこういう場にいる事が多いから、本当に外側からただただ見るって楽しい。自分が作家やってなきゃ、美術の見方は違ったんだろうな。
まあ、とにかく、コップコレクションが増えた。いつか量が増えてきたら、コレクション展とかやりたくなっちゃうけど、勝手にやったらやっぱり良くないのかなあ。自慢して見せびらかしたくなっちゃうけど。



んで、新居の壁を塗ったりもした。
入居の時に管理会社の人が、壁紙がもう張り替えてから6年たっているので、絵を描いても良いですよ、修理費とかもかからないんでって言ってきた。
なんか賃貸の壁紙には6年ルールみたいのがあって、次の人に貸す時にはどっちみち張り替えなきゃいけないらしい。
という事を教えてもらったので、せっかくだから、壁の色でも変えてみようという事になった。


んで、塗りました。色はフローズングリーンという、メーカー忘れたけど、カインズで売ってた水性塗料。
結構印象違うね。良いんじゃないかなあ〜。賃貸の壁にペンキを塗るってのは、背徳感があるね。
一個学んだけど、凹凸のある壁にはちゃんと毛足長めの肉厚ローラー使わないと、すごく疲れる事になる。ケチって、小さくて細ーいローラーでやったら大変な事になって、しっかり夜になっている。2人でやったんだけど、この2面やるのに4時間ぐらいかかっている。。かけすぎだよね。



アトリエも無事、制作が開始できる環境になった。1人でやると何するにも腰が重い。照明つけるのめんどくさすぎた。
床に木材なんとなく敷いている。一応裏から垂木のフレームを入れてる。予算と時間があれば、アトリエ全域これにしちゃいたいんだけど、無理だねえー。


はあ、GWは頑張ったし、遊んだ。美味しいご飯も食べたし、ショッピングモールとかも行った。スタバも飲んじゃった。友達と遊んだ、彼女と過ごした。何もいう事がないじゃないか。
でも、その裏でずっと、母親から連続でずっとショートメールが届く。自死を仄めかすのは暴力行為だって、なんか最近ツイッターで見たんだけど、まあそうかもね。楽しい時間をぶっ壊してしまうぐらいの力があるから。

俺の家は4人家族で、父親、母親、俺、弟、なんだけどさ。8年前に父親が家から出てって、4.5年前に弟は一人暮らしを始めて、3年前から音信不通になった。
母親目線だと、まあ俺しか連絡出来る人間がいないんだ。母親の方は、ばーちゃんもじーちゃんも、おばさんも、全員死んじゃったし、父親事は延々と憎しみ続けていて、弟は、まあウンザリされたんだと思うけど、さっき言った通り、メッセージとかは届くみたいだけど全部無視されているみたい。友達もいない。
俺だけは家族の全員と、いや弟とはあんまり良くないのかなあ、まあとにかく、父親とも母親とも会話が一応出来るから、この数年か、もしかしたら、ずーーーーっとそうだったのかわからないけど、父親と母親の間の伝言係をやってた。
だから、父親が家を出ても、生活費は家に振り込み続けると言った時に、母親は自分の通帳を教えれば良いのに、毎月毎月、俺が父親から金を受け取って、それを現金にして母親の元まで渡しに行っていた。

あー、なんだか全然まとまらないなあ。
たぶん俺のここまでの人生は、ずっと母親に対する嫌悪とか憎しみとか、そういう言葉だけじゃ全然いえない何か、内臓が下がった様な、まあクソみたいな感情と付き合い続けて来ていて、それをすぐに言葉にはまとめられないんだ。

昔から母親は自死を口走る。
お前がこの家から出ていったら、私は自殺をするからと脅されていた事もあった。まあ無事家は出たんだけど。
子供の頃からそうだったし、どうしてもそうする事しか絶対に出来ないんだけど、そういう事を言う母親の前ではいつも、別の事に集中しているフリを大袈裟にしてしまう。

はあ。
先月、離婚をしたいと、父親が手紙で送ったらしい。
それからずっと、
メールの通知で延々と、
苦しい、助けて、死にたい、死にたいけど、
ってメッセージが来るんだよ。

俺は絶対に助けないぞ。そもそも助けようもないのだけど。生活費が止まるから騒いでるんだろ。俺だって金なんかないよ。
別居始まって8年間、毎月25万ももらって、家賃も光熱費もかからない家で、毎日ネトフリ見て、YouTube見て、今更金がないなんて言うなよ。

俺は自分の人生を完全全力爆裂で楽しむから、邪魔をしないでよ。

クソ駄文。
はあ。久しぶりにこんな日記書いた。

新しいアトリエ

2023-05-01 | アトリエ
遂に、新しいアトリエに入居した。
アトリエといえば工場とか倉庫を改装していくイメージ、というか知り合いは大体そんな感じでアトリエ作ってる気がするだけど、今回俺はガレージハウスという、元から創作スペースとしての利用を想定されて作られたスペースに入居した。
なんか、いいのかなあ、という、変な後ろめたさがあるんだけど、実際使いやすいとは思う。元から石膏ボードが貼られているから、心持ち汚しやすい。結局汚せば退去時にクリーニング代はかかるんだけど、まあ建物自体を傷める事は無いし。



今回は床を作っていくことにした。全面貼るかはまだ考えちゃうだけど、どうしても油絵使うと、俺の場合絶対オイルが飛び散るから、制作用のメインの壁の下だけは思う存分汚せる様に床を保護することにした。
あと、コンクリ床の空間は底冷えがヤバい。ので、コンクリと木材の間にスタイロ入れようかなあと検討中。
やろうと思えば色々出来ることが沢山あるんだけど、いかんせん金がかかる。垂木6f?6本で2000円超えてた。コロナ直後ぐらいまでなら、12f12本で5000円行かなかったのに。


照明もこれじゃあ、とても描けない。
コンセントタイプで3000〜5000lmのバーライトが一本2000円前後で売ってるから、たぶん4〜8本ぐらい追加する事になると思う。壁白くすれば光回るんだろうけど、うーむ。電球色か温白色を多少混ぜていくつもりなんだけど、それも足しながら考えていく感じかなあ。

なんか結局、色々やる事があるなあ。今回は全部ほとんど1人で作ってかなきゃいけないから、大変だけど、まあ楽しみかなあ。



アイアンレンジャー1日目。

2023-04-17 | ブーツ
1日履いてみた。
ブラックハーネスが比較的柔らかいレザーで、初日から履きやすいと聞いてた。確かに、想像していた様な、歩く度に擦れる感じとか、血だらけになるとかはなかったけど、足首がガッチリ固まってて全然慣れなかった。運転は一応辞めといた方が良いかなというぐらいの不自由さがあった。けど、意外にも着脱し易くて、慣れれば片足履くのに10秒ぐらいになるかもなあと思った。
結局昨日は2時間ぐらいあるいたのだけど、流石に踵の上部が擦れて痛くなった。今日もちょっと痛いけど、ブーツを買ったんだなあという実感に繋がり、何故か嬉しい。



右だけ少し皺が入っている。俺は右足が左足より5ミリ小さいらしい。そのせいなのかなあ。早くもっと深い皺にならないかなあ。


くるぶしの辺りも、まだまだだけど、ウネっとした皺が入る兆しがもう出てる。

ブーツの事で連日ブログ更新するのもアホみたいだけど、まあ良いよね。
暫くエイジングブログになるかもなあ。



アイアンレンジャー買った。

2023-04-16 | ブーツ
初のレッドウィングを買った。お値段50,710円。俺の財布事情的には絶対に今は買うべきじゃなかったと思うのだけど、買ってしまった。
ちなみに、アイアンレンジャー のブラックハーネスというレザー。8084って番号らしい。普段スニーカーは28cmしか履かないんだけど、そのまんまUS10。人によっては、ブーツだったら普段のサイズから0.5〜1cmサイズダウンした方がいいらしいのだけど、俺は足の横幅が結構広いから、そのまんま28cm相当のUS10にした。このサイズ選びで皺の入り方とかが変わったりするらしい。。


ABCで買ったのだけれど、最初から謎のエイジングが施されていた。見本で並んでた奴だったから、多分色んな人が手に取って出来た皺なのだろう。同じサイズで他のないですか?って聞いたら、ABCは基本各店舗にそれぞれのサイズを一個ずつしか入荷しないと言われて、まあこれも味だな!と何でもかんでも味に回収して解釈して財布を開いた。このまま売れ残ったらアウトレットとかで安くなったのかなあ。
うーむ、まだ新品感がダサいけど、かっこいい。靴っていいよなあ。
スニーカーも昔から好き。沢山買ってコレクションとかはしてこなかったけど、見てるだけでもすごく楽しいなあと思う。
しかし、最近スニーカーの消耗品感が気になって来てしまい、結局大切に履いても加水分解したら壊れちゃう事だったり。依然好きなのだけど、ちょっと感覚が変わってきてしまった。
その点レザーのブーツって、ソールの交換とかも出来るし、それこそホント一緒に歩いてく事が出来そうなイメージがあって、ブーツへの欲望がこの数ヶ月日増しに高まり続けて、昨日爆発した。

これからはたまに、このアイアンレンジャーくんのエイジング具合を報告したりしていこうかなあ。
いや〜、カッコいいなあ〜。




絵を描く場所

2023-03-17 | 
新しいアトリエを探して1ヶ月ぐらいたった。今いるシェアスタジオにいられるのもあと1ヶ月ちょい。困ったなあという感じ。
いくつか内見して、良いのがあったんだけど、急にオーナーが身内に貸す事にしたり、普通に審査落ちたり、色々運がない。
明日もまた内見に行くんだけど、今度こそ決まると良いなあ。

明日行く物件はいわゆるガレージハウスって奴で、一階が車庫になってて、なんか自由に創作活動をして下さい!みたいな事を謳い文句にしている物件で、一応ペインターと呼ばれる肩書きの俺にとっては願ってもない物件なのだけれど。
しかし何というか、まあ高いんですよね、値段が。13万もするんだよ。同棲相手と一緒に借りるからまあ何とかなりそうだけど、高い。
今のスタジオも12万するんだけどさ、なんとか一緒に借りる人探したりして、それはそれで楽しい事だったのだけど、絵を描くぞ!って決めてから、実際描けるように環境を作るのが大変過ぎる。大変、というか、単純にお金がかかりすぎる。
確かに、俺が描こうする絵がデカ過ぎるって問題はまああるんだけど。それにしたって、汚せるとか、木工作業の騒音に耐えれるとかさ、臭いの問題もあるし、描き終わった絵の保管とか。物理的なハードルが高いよなあ、と思う。
今デパートの派生系みたいなギャラリーで、小作品のグループ展が腐るほどやってて、俺はあーゆーのホント嫌いなんだけど、でも、ちょっと意味わかるところもあって。
だって、無理じゃんね。普通はさ。描けないんだよ、小さいものしか。日本のちょー小さい家で、しかも賃貸で。だからそーゆーのをねじ伏せるように、筆奮ってデカいキャンバスをやるってのが剛腕で、それだけで結構ワイルドじゃん、とも思うんだけど、でもあんまり自然な事ではないなとも思う。生活の実情に合ってないよね、その制作の仕方って。
だからまあ、明日行く物件がさ、仮に誰かに先に借りられちゃったとしても、まあ前向きに、というか。だったらもう、ふっつーの所謂「家」をさ、制作の場にしていったら良いと思うんだよな。

まあ、でけー空間が借りれたら、それに越した事はない、と思うけど。


中野と秋葉

2023-02-20 | 
今日は学生の展示を観に中野に行った。
最近1人で長い時間ドライブをしてなかったから、2時間あまりの道のりを少し楽しみにしていたのだけど、休日の新宿方面の甲州街道はブレーキとアクセルが忙しい程度に混んでいた。
着くころにはもう夕刻もとっくに過ぎて閉廊間際になってしまった。適当なタイムズに停めて、始めていく画廊をアプリを頼りに探した。
俺は学生のグループ展にはあんまり行かない。自分が助手している教授のクラスの展示で、その教授から見てくる様にと圧迫的に言われて仕方なしにというのが正直な気持ちだ。そもそもグループ展は学生だろうと中堅だろうとあんまり興味が持てない。今回の場合もやっぱりそうだけど、作家達よりもそれをお膳立てしている何かの存在が気に食わない。作家たち自身が主体的なら別に良いのかなとも思うんだけど、同じ主義主張の人達が集まっているんだなあって見えるとやっぱ少し気色悪い。ちょっと前までやたらコレクティブが流行ってたけど、俺はあんまり好きじゃない。これ全部ただの趣味判断のレベルの感想ですけどね。俺は全然グループ展に誘われたりしないし、キュレーターも学芸員も批評家もコレクターもギャラリストもなんもかんも知り合いにいないから、たぶん拗ねているだけなんだと思う。

展示はあんまり良いとは思えなかった。一点一点を見ていけば拾っていけるモノはあった。けどさ、偉そうに言うと、なんか矩形の中での事にすぎなかった。俺が、というか、俺たちが生きている世界の事ではない様な気がした。あなたの世界の中の事じゃ、たぶん、ダメじゃないけどさ、やっぱダメなんじゃないかなあ。
学生が在廊していたけれど、特に感想も言う気にならなくて、挨拶だけして直ぐに画廊を出た。

せっかく中野まで出てきたから少し駅前でも歩こうかなと思った。
外は風が強かったけど、着実に春が近づいているのがわかる風だった。駅までは案外近くて人もたくさんいた。人波に逆らわないでいると、いつのまにか中野ブロードウェイに着いていた。
俺は全くオタク的な趣味がないのだけれど、秋葉がすごく好きな街で、ここも似た雰囲気だった。似ているけれど、ちょっとよそゆきな雰囲気もあるなあと思った。セル画があるよ!って雰囲気が出過ぎているというか。まあ別に面白いなあと思ったんだけど。
村上隆の事がやっぱりあんまり好きじゃないんだけど、中野ブロードウェイにも少し似たモノがある様な気がする。カルチャーに自覚的になって消失するモノがあるんだろうか。中野に比べて秋葉はカルチャーの自覚に対して欲望が上回り、内側に食い込みながら回転する有機物の雰囲気がする。もちろん秋葉も資本経済の街なのは間違いないのだけれど、欲望を刺激して稼働する資本経済、という文句があるけど、例えばショッピングモールの中などの広告イメージから生まれる欲望の稼働の仕方とは、あの街の欲望の関係は少し違う様に感じる。買い手の能動性というか、消費対象を選択肢のないところから選ぶことができるというか。
まあたぶんすでに殆どが定式化しているのだろうけれど、中野ブロードウェイはその定式化されたものに疑いがない感じがする。
なんかめっちゃディスってる感じになっちゃった。さっきも言ったけど、別に楽しかったんだけどさ。

そんな事を思いながら帰路に着く。途中でラーメンを食べた。1人でラーメンを食べるのは未だに少し緊張する。「ご馳走様でした」が見積もりよりも大きな声で出てしまい恥ずかしい思いをしながら店を出て、日曜が終わった。


アトリエ引越し

2023-02-17 | 
新しいアトリエを探している。
共同アトリエをやっていたのだけれど、潮時という奴なのだろうか。抜ける事にした。
今は新しい人を探していて、今度内見に人が来るらしい。俺が抜けても何とか回っていきそうで良かったなあと思うんだけれど、切ない思いがやっぱりある。
「卒業後も大作を描いていきたいと思い、その為に大きなスペースを借りる必要があったから共同アトリエを立ち上げました。」と、人に聞かれるとそう説明する。もちろんそれは事実なのだけれど、本当は寂しいという気持ちが結構強かったんだと思う。自分がやりたいと思ってやっている事って、この世界の中の合理性にはあんまり当てはまらない事で。社会の中で役割を担うとか、作家や画家だとかっていう職業名で自分を名乗るみたいなこともしたくないとか、そんな事は多分わがままなんだと思うし、一応その自覚があるからか、やっぱり心細さが少しあったんだと思う。だから共同に拘ったのだろうし、この手漕ぎの小舟の船員の選定はじっくり考えたはずだった。
けれど、この場所が俺たちの場所だって決めてから3年経って、何だか雰囲気が変わってきたのかもしれない。いや、まあ「しれない」じゃないんだな。もうここでは絵は描けないという思いになってしまい、新たな拠点を探す事にした。
木材を切って、インパクトドライバーを回して、みんなで組んで立てた壁。そこに3年間キャンバスをかけて汚し続けたのだけれど、初夏には別の人がこの壁を使うんだ。まあ仕方がない事なんだな。

まあまあまあ。
そんなこんなで新しいアトリエを探しているのだけれど、もう今月末には一件内見を決めている。5月までは今の場所にいるから、少し気が早いかもしれないのだけれど。
変えるからには前よりいい物件を探したいな。楽しみなような、怖いような。早く新しい場所で思いっきり描きたいなあ。

ブーツが欲しい。

2023-02-13 | ブーツ
革靴が欲しい。
最近暇になるとウィンドウショッピングならぬ、モニターショッピングでブーツを見ている。
革靴とブーツの違いもよくわかっていないのだけれど、俺がかっこいいなあと思って見ているのはスーツで履く奴じゃなくて、足首まであるタイプの奴。
昔幼馴染がレッドウィングのブーツを買ってやたらと自慢していて、その時は、ふーんって感じだったのだけれど、時間が経って、うーむ。いいじゃん。っって思う様になった。

なんかね、新品がピークのものを買うのがなんか嫌だなあと思う様になった。傷とかついてダメになっちゃうのって切ないし、傷ついて使い捨てるものだよねって思って服を着たりするのも消耗品だなあって感じで嫌だし、何より自分が新品じゃないというか、なんというか。
今月で35歳になるんですよ。地球時計ってあるじゃないですか、地球が生まれたのが何時だとしたら人類が生まれたのなんてまだ数分の事、みたいな。あれみたいな感じでいうと、仮に8時の起床が0歳で、夜の12時に就寝して死ぬのが80歳だとすると、今は15時。そろそろ夕方だよ。俺は夜の方が好きだから別にいいんだけど、まあ結構生きたんだなあと思うんだなあ、35年は。
んで、35歳の俺はもう新品じゃないんだよな。これからもどんどん草臥れてボロボロになっちゃう。自然の摂理か物理法則だなあ。最近は流石に肌質もなんか昔と違うなあと思う様になった。だから、草臥れるほど味が出るモノっていうか、それが例えば革製品なんだけど、そういうものを肯定しないとやっぱちょっとやっていけなくなるなあ、という気分なんだと思う。大袈裟なことを言っているよなあ多分。

とにもかくにも、ブーツが欲しい。というか、結局短靴を一足買った。ビケルンストックのギルフォードって奴。すごーく、かっこいいぞ、と思って買った。
この靴もすごく良いと思うんだけど、買ったらブーツがもっと欲しくなってしまった。なんか上で書いてる事って、一足を大事に履くぞみたいなニュアンスと矛盾している様な気もするんだけど、いやでも、同じ靴毎日履いたら流石によくない気もするし、うん、もう一足持っておくのは悪い事ではないと思うんだよなあ。はあ。まあなんというか、もう別にいう事がないな。なんか欲しいんです。今レッドウィングのラインマンが欲しいんです。それだけです。

今度はもうちょいマシな事を喋ろう。



機械と植物の半身半獣

2023-02-07 | 
うちにはルンバがいる。あの勝手に掃除してくれる円盤みたいなヤツだ。
触手みたいなのが回っていて、円形の本体では届かない部屋のコーナー部分もそのクルクルと床を撫で回る触手で掻き出して掃除してくれる。
そして案外パワフル。吸引力もまあそうなんだけど、男の俺でも片手で持ち上げるには少し苦労するぐらいに重たくて、障害物を避ける様に設定はされているみたいだけれど、掃除する様を見ているとゴツゴツと衝突しながら進み、家に帰ってくるとキッチン下の戸棚が全て開けられて、ゴミ箱が在らぬところまで移動していたりする事がよくある。配線を食べ散らかして止まっていたりもするから、ルンバを起動するときは床にモノを置かないようにしないといけない。
あと、意外にもちゃんと愛着が湧く。昔アイボって流行ったけれど、こっちは掃除もしてくれる。アレクサも使っているのだけれど、そいつは以前一度壊れてしまい、ただいまと声をかけても電気をつけてくれないどころか返事も返してくれなくなった。ひどい喪失感だ。手塚治虫の世界観で機械と恋愛が出来るのかみたいなSFテーマな質問を聞く事ってあると思うけど、あり得る事かもしれない。ルンバは健気な犬の様だ。愛情って大体は一方的なもんなのかなあと思う。主観というか。だからまあ、恋愛が相互なものだとするとまだまだ難しいのかもしれない。けれど、人間が機械に対して愛の感情を抱いたりするのは別に普通の事かもしれない。メール恋愛とか昔よく聞いた気がする。今だったらズームでしか会った事ない人の事好きになったりしてる人はたくさんいると思う。そういう事とはどんな違いがあって、どんな風に同じなのか、そんなことを考えてみても良い様な気もする。

俺は観葉植物も育てている。百円均一のちっちゃな奴からそこそこ背の高い立派な奴までいる。育てるまでわからなかったけれど、本当にグングンと成長するし、水をあげれば葉を持ち上げるし、病気になったりもする。植物に明るい言葉をかけ続けると元気に育つとかいう話をテレビで見た事があるけど、そういう発想に至る気持ちがわかる気がする。観葉植物は生活に便利さを与えてくれるものでは全然ないけど、家の中にこういうモノがあるのはいいなと思う。なんかエゴさも感じてはいるんだけど。でも、夜中に火を見てると落ち着く感じというか。本当に微弱で、人間の、最近さらに早くなったように感じるスピードの中では静止しているかの様だけど、多分確かに変化していて、そういうモノが家って場所に存在するのは凄く助かる気がしている。

しかし、事件が起きた。
いつも通りの夜遅く、帰宅するとリビングの床に大きな模様ができている。一瞬認識が遅れて、それが押し花の様に床に押し付けられた観葉植物である事がわかった。傍に静止するルンバ。こいつ、無慈悲にも植物たちを鉢ごと薙ぎ倒して、ぺったんこになるまで轢き続けたのだ。そしてこぼれた土だけは綺麗に掃除しやがった。
葉っぱにはルンバの通ったあとがレールみたいになって刻まれている。それに沿って葉が切れて取れてしまっている箇所もある。言葉が出ないとはこの状態だろう。床から剥がすみたいにしてそっと立て直すが、轢かれてぐちゃぐちゃになった茎たちがバランスを狂わせて自律できない。土も少ない。間に合わせの添え木をしながら泣きそうになった。
俺は、「このやろう!」と言ってルンバを持ち上げて、腹からあふれた土をゴミ箱に捨てて、「反省しろ馬鹿!」と言って充電位置にガシャガシャと置いた。俺が悪いのだ。植物たちをちゃんと避難していなかったのだ。ルンバが悪い訳ではないのだけれど、この機械の事が憎くてしょうがなくなった。

これは昨年の事。まだ葉の傷は残っているけれど、今は添え木もなく1人で立ち、伸びた葉を垂らしている。あたたくなればまた少し元気になると思う。ルンバは充電機能が怪しくなって来て、最近は部屋の半分も掃除せずに隅でぼーっとしている事が多い。俺はまだ忘れっぽいけど、アレクサに「行ってくるね」と言って電気を消してもらっている。



母親や家族について

2023-02-06 | 
「無事」と一言で表現は出来ないけれど、なんとか俺は家を出た。3年前に。
しかも現在同棲している。以前は考えられなかった事だけど、人と生活する事が楽しい。人って変わるんだなあ。

しかし15年前から相変わらず家のことは大変だ。あの頃もよくここで家の事を愚痴っていたけど。
よくある話だと思うけど、子供の頃から両親の不仲に延々と巻き込まれ続けるタイプの家庭にいた。家の中で笑顔を見せる奴は誰1人いなかった。昔からそうだった訳ではないけれど、気づいたら家の中に居心地のいい場所がなかった。
そんな家から8年前に父親が逃げていった。その数年後には弟も家から出て音信不通、殆ど失踪かもしれない。ずるいなあと思うけど、自分の人生は自分で決めるべきだと思うし、全て綺麗に生きる事も難しい事をなんとなくは知っているつもりではあるから、あんまり責めたりする気にはならない。結局俺も家を出た訳だし。

先週、母親からの通知が鳴り止まなかった。8年続いた別居に終止符を打つと父親が持ち出して、今月から生活費が止まったのだ。
別にそれで俺に生活費をねだる様な母親ではないけれど、ひたすらに苦しい寂しい死にたいという旨のメッセージが、時間を見ようとする度にスマホの通知にやってきていた。確かに可哀想ではある。1人ずつ家から消えていき、あの人は多分心のどこかでいつかみんなが帰ってきて一緒にご飯を食べたり出来ると、信じているという訳ではないだろうけれど、期待を捨てる事は出来ていなかったと思う。それがとうとう本当に難しいのだという事になったのだから、それは参ってしまっても仕方のない事ではあると思う。けれどもあの人が8年間延々とネトフリ見てユーチューブ見ていた時間に、俺たちは、少なくとも俺は、前進するために時間を使った、あるいは使おうとした。確かに家からは逃げた。けれども、いつまでもあそこにいたら終わっちゃうじゃん人生が。俺は母親の寂しさを埋めるために家にいることはできない。悪魔みたいな悪口を延々と聞くことももうできない。全ての責任があの人にあるとは思わないけれど、変わらなきゃいけないんだよ、お母さん。すぐに明日は変わらないけれど、それでも、後ろでも右でも左でも、まして真上でも真下でもなく、前を見なきゃいけないんだよ。自分で生きる事を選び続けなきゃ、やっぱり俺はだめなんだと思う。

いつか来てしまうかもしれない日の事を思いながら、カミュの異邦人を思い出した。
俺はその日にどんな事を思うのかわからないけれど、俺はムルソーの様に日々を過ごすのかもしれない。木には根があるみたいに、俺は1人でこの世にはいない。抗いようなく混合している。それでも俺には俺の人生がある。その日も俺は絵を描くに決まっている。何が起きても笑っていいと思う。俺は不謹慎で良い。わからないけれど、今はそうやって備えている。