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さよならSL人吉

2024-03-24 | 鉄道
令和6年3月23日、JR九州のD&S列車「SL人吉」が現役引退。
鳥栖駅から熊本駅に向かう最終運行列車を上熊本駅で見送りました。







そして翌日3月24日には沿線からの招待客を乗せて熊本駅から八代駅までファイナルラン。
八代駅では罐の火を落とす引退セレモニーが開催され、その席上でJR九州社長からSL人吉を故郷の人吉市に無償譲渡すると発表されたようです。
いずれ人吉駅裏の石造りの車庫で保存されることになるのかも知れません。









八代駅で引退セレモニーを終えたSL人吉は回送列車となり、熊本の車庫に引き揚げます。
これで本当にお別れです…





後続の普通列車を退避しながらゆっくり熊本に帰るSL人吉の回送列車に松橋駅で追いつきました。



SL人吉は昭和63年、私が中学生の頃に熊本と阿蘇・宮地の豊肥本線を走る「SLあそBOY」として復活しました。
復活当時はまさにバブル絶頂期でJR九州も前年に分割民営化を果たしたばかり、同年秋にはヨーロッパから本物のワゴン・リ客車を連ねた「オリエントエクスプレス1988」も来日して熊本駅でブルートレイン「はやぶさ」と共演を果たすなど、日本の鉄道を取り巻く情勢も若さと夢と希望に溢れていたと思います。
…あれから三十有余年、日本はバブル崩壊後衰退の道を辿り、国土も幾多の震災・大災害に見舞われ、そしてSLあそBOYも急勾配区間での酷使により台枠を傷めての引退から奇跡の図面発見・台枠更新により復活を遂げSL人吉として生まれ変わるも、新型コロナ禍による運行休止と肥薩線の水害運休、そして老朽化を理由に再度の引退宣言とまさに波乱万丈の歴史を歩んできました。

あの頃“鉄道少年”だった私も、気がつけば間もなく初老と呼ばれる年齢になりました。
鉄道が大好きだったのにいつの間にか小惑星探査機「はやぶさ」の勝手連応援から宇宙の分野に足を突っ込んで、多くの人々に出会い助けられ励まされて今では世界中のプラネタリウムを巡る旅をする物書きになりました。ここまで歩んできた人生にはいつもSL人吉、そしてSLあそBOYの先頭に立つ“ハチロク”こと蒸気機関車58654の存在が支えになってくれていたように思います。
中学生の頃に初めて小倉工場の見学会で出会った復活作業中のハチロクは、大人の世界に近づいていく私にとって同級生のような存在でした。


松橋駅のプラットホームの端には誰もいません。
最後にSL人吉と“ハチロク”に向かい合って、別れの言葉を告げる事ができました。

「さようならハチロク。あれから随分色々あったし、お互い歳を取ったな。でもお前さんが走っていてくれたおかげで、随分励まされたんだ。ありがとう…
それから…

本当はまた暫く経ったら、しれっと再々復活するんだろ?
三十年も付き合ってきたんだから、それくらい分かってるんだぞ!
また会う日を楽しみにしてるからな!」