ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「一つの問い」20240329

2024-03-29 | Weblog

 

 


知に憧れ、知に加わり、知を学び、知を競い、知を誇り
知の高みに昇ったつもりで無知を見下ろし赤ペンを入れる

俺たちはこのルートに入って抜け出せない歴史の中にいる

知に染まり、知にまみれ、知に毒され、知に呪われ
日々、赤ペンを入れ、赤ペンを入れられる

白紙のままに生きることは許されない
赤字だらけのことばを交換しながら白紙を埋めていく

(一つの仮想の問いが浮かぶ)

はるかに遠いいつか、知の限界線を目撃して
赤ペンを捨て、このルートの外に出る日が訪れるのか

 

 

 

 

 

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「ゲーム世界」20240328 20240212

2024-03-28 | Weblog

 

 

 

ストライクとボールがゲーム空間を構成するように
天使と悪魔がカップリングして一つのゲームが生まれる

天使化が起こると即時に悪魔化が起こる
ただちに絶対的分断線が走り
呪われたゲーム世界が姿を現わし、プレーが開始される

天使の側に配置される「正義、真、善、美」
悪魔の側に配置される「不義、偽、悪、醜」

このゲーム世界で「人間」は消え、天使と悪魔だけになる

ゲームの呪いに吞み込まれ
俺たちはいつのまにか、天使の側に身を置いている

もしも、人間でありつづけたいと願うなら
呪縛をほどき切って別のゲームを創出しなければならない

 

 

 

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「やさしい光」20240327 20230623

2024-03-27 | Weblog

 

 

ことばが侵入できない先史時代が終わり
ユーフォリアの記憶を深く沈め
万事オーケーの地層を抜け出る

きみの紀元ゼロ年
真理も正義も悪もないはじまりの頃

このうえなく大事な主題に出会う──
無力な生の意志が願うもの、不安の全解除

からだに刻まれた快と不快の文法
シンプルな探索装置にスイッチが入り
生きる意志がぎりぎりに世界をスキャンする

やさしい光を求めて心がハンティングを開始する

幼い心が願い求める最大の生の報酬
だっこ、愛撫、存在まるごと抱きしめられること
全肯定、全承認、全的受け止めの地平を生きること

この主題は心の一番深い地層をつくり
生涯にわたって変化しないまま生きられていく

 

 

 

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「実存、未決の系」20240326

2024-03-26 | twitter

 

 

 文法家は好んで文を一つの完結した系と考える。
 しかし、われわれが一つの文を言い放ち、それが虚空に漂い去るのを、
 あたかも煙草の煙の行方を追うように、ただ眺めていることは、ごく稀である。
 文は、つねに次にくる何ものかを予想している。
 会話においては相手の文を、命令においては行動を──。
 ひとりぼっちで長い文章を綴る時ですら、文は先行する文章を承け、
 次の文章を喚起してゆく。いわば対話的構造が潜在的に存在している。
 数学の証明ですら対話的構造をもっているといえるのではなかろうか。

             ──中井久夫「統合失調症の言語と絵画」

 

そこにいない応答する相手を心は追いかけている

なんらかの応答、返信のシグナル
願わくはよりよき応答
よりさいわいの方角へ誘う声を求めるように

かたわらにはいつも
待ち受けのフォームが付き添っている

途切れない無声のダイアローグ
ひとりでは完結しえない未決性
実存がひそかに携える普遍的モード

かなってもかなわくても
どれほど失望に沈んでも

わが身に限りなく近接した場所から
全時間全方位へ向かう透明なリンクの糸が伸びている

 

 

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「他者」20240325

2024-03-25 | Weblog

  

 

 他人のことを「理解した」と信じて疑わないのは、 
 そもそもの対人関係が萎え干乾びている者だけである。

     ──H.S.サリヴァン『精神病理学私記』阿部・須貝訳


 現実の他者は、まず、私に対して、たえず他なる主権的他者(他格)として
 自らを表現しつつ向き合ってくる存在である(たとえ、いたいけな子どもであっても)。
 すなわち、その表情、言葉、振る舞い、行為を通して、つねに一つの意志、感情、人格、
 あるいは精神として、その主格性、内的主権性を私に現わす。

 そのことで他者は、私に対して要求-応答関係を開く存在となる。
 他者はそうした仕方で内的主権性を表出してくるが、
 しかしそのことで存在の全体を示すことは決してない。
 
             ──竹田青嗣『新・哲学入門』2022

           *

非知性、未知性、不可知性、知られざる全域性
測りがたさ、汲み尽くしがたさ、そしてその相互性

相互に隔絶して生きる存在同士であること
お互いがお互いにとって他者であることの了解

この了解に留まることを拒む心は開始する
すなわち互いにそうであることの乗り超えの試行

心はみずからに開口部をあつらえ
他者へ向かうルート、ことばの通り道を開く

ことばに託されたシグナル群と交換ルートの敷設

相互の試行が合流するという確信の訪れを求めるように
切り開かれていくことばの応答と交歓の位相がある

 

 

 

 

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「新しい朝」20240324

2024-03-24 | Weblog

                                                                            上妻宏光 -  暁の光 MUSIC VIDEO (youtube.com)

                     Blown Away (youtube.com)

 

 

朝の光に火を灯され
泡立ち、駆け出そうとするものがいる

ことばに手を掛ける手前で生の波形が動いている

願ったもの 願わないもの
求めたもの 求めないもの
見たいもの 見たくないもの

かたちを定められないまま
すべては心の水面に現象している

わからない
つなぎ合わせる糸が見つからない

「どうしたらよいのだろう」

朝の光が告げる──
一つの意味に収めることはできない

ことばは走りやすく、行きすぎ
生の波形とすれちがってしまう

新しい朝を迎える作法がある

記述の手を休め、心を柔らかく
光が満ちる時間と場所を開いておこう

 

 

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「間主観性、二重記述」 20240323

2024-03-23 | Weblog

 

 

 


人間と人間の間に起こる同じ出来事について語られている
一人は「間主観性」とよび、もう一人は「二重記述」とよぶ

異質な存在と存在が出会い、交わり、対話し、混じりあい
どこにも存在しなかった、ひとりのままでは見ることのなかった
第三のカクテル空間、関係の地平に創発しつづける〝ことば〟について


 哲学者はいつも状況のなかに置かれ、個性化されているのであり、
 だからこそ、彼は対話を必要とするわけです。
 彼がおのれの制限を飛び越える最も確実な手段は、
 他の状況(他の哲学者・他人)との交渉のなかに入り込むことです。
 フッサールが晩年に書いているように、
 最終の・哲学的な・究極の・根源的な主観性、
 つまり哲学者たちが超越論的主観性と呼ぶものは、
 間主観性(intersubjectivite)にほかなりません。

  (M.メルロ=ポンティ「人間の科学と現象学」『眼と精神』滝浦・木田訳)


 そして関係とは常に、二重記述の産物である。
 相互作用に関わる二者は、いわば左右の眼だと言ってよい。
 それぞれが単眼視覚を持ち寄って、奥行きのある両眼視覚を作る。
 この両眼視覚こそが関係なのである。
 この発想に立つことは、大きな進歩である。 
 関係とは、一個の人間の中に内在するものではない。
 一個の人間を取り出して、その人間の〝依存〟だとか〝攻撃性〟だとか
 〝プライド〟だとか云々しても、なんの意味もない
 これらの語はみな人間同士で起こることに根ざしているものであって、
 何か個人が内にもっているものに根ざしているのではない。 

                (G.ベイトソン『精神と自然』佐藤良明訳) 
             
      
         *

太陽のカクテル光線が大空の水蒸気にぶつかり、「虹」が現象する
さらに、だれかのまなざしが虹とカクテルされて、「歌」が生まれる

 somewhere over the rainbow
    
朝の光に洗われ、風にゆれ、コスモスの花があなたの瞳に交わり
心の変換規則に出会って、一つのアンサンブル
いちどきりの情感に濡れた「秋の光景」がそこに生まれる

ふたつの性の二重記述から
いまだ記述されざる地平に子を宿し
新たな記述をしたためるように、母は子を産み落とす

ひととひとが出会えばなにかが起こる

メッセージが交換され、結びあわされ、積み重なり
ふたつのことがひとつのことして融けあい
固有のコンビネーションパターンが生まれ、動いていく

このパターンを言語的にコードしたとき
「愛」として「憎しみ」として記述される

すべてはひととひとの間を原郷として
心に現象する出来事として

真理、正義、客観と名付けられたものすべて
すべてはあいだに開かれる関係の地平に芽吹き
ひととひとを結び合わせる関係項として創発していく

 

 

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「ほんね」20240322

2024-03-22 | Weblog

 

 

久しぶりに一緒に呑んで目の前で居眠りとは口あんぐり
たかくくって安心極楽のおやすみタイム、ちょっとびっくり
よっぽど安心なのかな、信頼しすぎないでね、けどいいかもね
ひとつだけ、急に起き上がって真理正義を語らないでね
かわゆいゆるキャラが台なし、ぶちこわしです
ずっと居眠りのままでいいです、かっこつけなくていいです
そんな得がたい存在が身近に居てくれるしあわせ、ありかもね

でもさ、少しだけ長男坊のことも考えに入れて生きたらいいかな、次男坊

 

 

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「求心性の親和力」20240322

2024-03-22 | Weblog

 

 

はじめから居心地がいいに決まっている場所なのでしょう
承認以外ない仲間と呼ぶ存在だけが構成するサークル関係

皮肉を込めて云えば、善人だらけ

サークル言語、サークル村のサークルゲーム
ことばが必ず最後に着地する場所になっています

そうしたことばを使って思考を鍛えることはできません
ほんとうに考えたことにはならないと断言します

なぜか。「他者の契機」を見つけることができません
つまり、理解のポッケに収まらない存在を資源化する視線が閉じている
人権、正義、真理を名乗ることとの大きな乖離がそこにあります

サークルの円周内にすべてが収まってしまう
サークルを外へ向かって拡張する遠心性の展開契機が見当たらない

自明性の宇宙は異言語の注入によっていったん解体したほうがいい
第一の作業は、外部ではなく内部にあってそれを見出すことを意味します
論理階型を一段踏み上がったサークル全体を俯瞰する視線の獲得です

この視線からはじめて、内も外もない関係の地平が開かれる
ちがっていい、多様性がほんとうに生き合うことができる可能性
つまり、人権、正義、真理という概念が生きる地平が開かれていく

 

 

 

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「海華荘@福岡市東区箱崎」

2024-03-22 | Weblog

 

 

21歳。こんな会話をしたことがあったと思う
善人は勘弁、清く正しくひねくれの空気を吸って生きていた

勝手にわかられたらうんざりだよね、どう?
うん、わかりすぎるわかりやすいボケがいる
わかってもらっちゃ困るんだよ、とか
でも修正を求めるほどトンマじゃない
うん、相手してる暇はないね

 

 

 

 

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「外部観察」20240321

2024-03-21 | Weblog

 

 

生きられる構造(ゲシュタルト)の本質は、時間的にも空間的にもスライスして取り出すことができない。
かりに何万回カメラのシャッターを切っても、展開本質がそこに映し出されることはない

(外部観察は仮説的にその痕跡を追うことだけができる)

存在と非在の合金、仮象のイデア(真善美)とリンクして生きられる本質を捉える方法はただ一つ
そこにそうしてゲシュタルトの内側を生きる第一人称のことば、個の経験として語られるほかない

 

 

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「ことば、情動、倫理」20240320

2024-03-20 | Weblog

 

 

知(ことば)に情(ハート)が参加しないとき
おとなも同じだが、こどもは退屈な顔をする

その理由は明らかである

ヨーダ風にいい直すとこうなる
ことばの体験に情動の奔流が合流してはじめて「force」が満ちる

この体験そのものに倫理の問題は存在しない
倫理は「force」と「force」が出会い、交わる場所で生成する

情動の動きにはじめから倫理を持ち込めばことばの体験は成就しない
それゆえ倫理の生成的本質は失われ、既定の倫理が占拠することになる

 

 

 

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「少年、カオスの縁」 20240320(20191124)

2024-03-20 | Weblog

 

 

 

ある詩人が綴った詩の一節──
「きみは自分をおろかだと信じたことのために死ぬだろう」
少年はほんとうに愛する存在へのエールのことばとして読んだ

      *

既読世界、予測可能性に埋まった公理の系に
不連続なゆらぎとノイズを導くように
少年は自由エネルギーを解放してカオスに遭遇する

定型の運動に不連続なゆらぎが交わり
閉じたループが破られる

プレーを構成する無数のパーツはいったんシャッフルされ
新たなフォーメーションの編成へ向かう

このとき少年はカオスに呑み込まれるのではなく
カオスの縁を駆けていく

      * 

ためらいと勇気の連鎖のなかで
つねになにかが終わり
なにかが立ち上がっていく

ディフェンシブな電荷を帯びた求心的な作動があり
オフェンシブな試行を挑発する遠心的な作動がある

勇気と誇りをみちびくもの
ためらいと後悔をみちびくもの

すべては同じ強度を刻んで乱流をつくり

なぜそうしているのか問うより先に
未踏の均衡点をめがけるように
存在はやわらかな波形を描いていく

情報は選択的にピックアップされ
身体とイメージの二重作動に接続される 

選択する心には、つねに
固有の格率が同伴している

愛と誇りを導くもの
愛と誇りを壊すもの
喜ぶもの怒るもの

すべては乱流の渦に溶けながら
心は譲り渡せない格率の光を走らせ

つねに美しさを告げるものへ唇を向けていく

否定的視線に包囲されて生きることはできない
否定的価値を強いられて変わることはできない

誇りと愛と展開を導くものは「美」と呼ばれる
誇りと愛と展開を損うものは「醜」と呼ばれる

美しい光源に応答する装置がみずからに内在し
世界の姿を分光する巨大な問いへ接続される

なぜ・なに・どうしたら──

ランダムな応答に沸き立つ身体は巨大な問いに抱かれ
新たな存在のフォームをめがけカオスの縁を駆けていく 

巨大な問いはみずからと他者と世界に開かれ
不安と希望が溶け合った先に現われる存在可能、関係可能
新たな「ありうる」へ結ばれていく

「readiness」──準備は出来ている

巨大な問いにおいて世界の区切りはゆらぎ
ゆらぎにおいて接続のラインが次々に走り抜けていく

 

 

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「センチメンタル」 20240320 20201003

2024-03-19 | Weblog

 

 


  その方の言っていることは
  一度もオノレの手を汚したことがない者の
  甘っちょろい戯れ言でござる。
  剣は凶器、剣術は殺人術。
  どんなに奇麗ごとやお題目を口にしても、それが真実。

  けれども、拙者はそんな真実よりも
  カオル殿の言う甘っちょろい戯れ言のほうが好きでござる。

        ──緋村剣心、大友啓史監督『るろうに剣心』)

  まことのひとのなさけ、しごくまつすぐに
  はかなく、つたなく、しどけなきものなり 
                
        ──本居宣長


       *

とおい記憶の地平の向こう側へ
消息の途絶えたおもかげを追ったとき
あなたの詠む歌は悲恋でしょうか
それともおごそかにつづられる叙事でしょうか

いまこのとき この春に
あなたのまなざしの奥に
小さくきらめく光は何でしょうか
だれにも語られない憎しみでしょうか

いくつもの物語をたどらなくてはそこに至れない
生命の深い森に連なるこのうえもなく貴重ななにかでしょうか

心がいつかきっとそこを訪ねたいと願い
願いつづけながら滅びてゆくかなしみでしょうか

あるいは深くわけ入ったとき 
道行きの途上でついには口ずさんでしまう
いにしへの歌謡に連なるなにかでしょうか

あなたと血脈を同じくする数多のまなざしが告げていました

そうでありうることがせつないのです
そうでありえないことがくるおしいのです

あめつちはじめてひらけしときより
あはれにはかなく 
かなしくむごたらしい
つねならぬつねの
つねになりてなりゆくありさまを
ただひとり見すぎたこの星の自然よ
おまえは倦むということがないのでしょうか

時のあわいにあるかなきか
永遠のまにまに
かつ消えかつ結びて
なおも見わたせば
春にひろがる情けのさざなみを

ある人かくのたまはく

まことのひとのなさけ
しごくまっすぐに
はかなくつたなく
しどけなきものなり

かさねてのたまふ

つたなく執着尽きがたく
めめしくあはれなるものなれば
あはれの心をあはれのままに語れぞかし

ひとのこころを種として
まにまにかつ消えかつ結びて
つたなくめめしふ詠みつくれば
あやしふこそものぐるほしけれ

あなたのまなざしの向かうかなたに
結ばれる言の葉は挽歌でしょうか
あけそめの光に連なる頌歌でしょうか
 
よしなきいざないは止まず
遠いおもかげをよすがとしながら
終わりなき連歌のえにしにみちびかれ

踏破すべき一片のよしなしごととして
いまも心に訪れているのでしょうか

 

 

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「連結ポイント」20240318 20220410

2024-03-18 | Weblog

 

 


このうえない善き心の蝟集
さいわいに個が溶けてゆく集団劇

連結スペースは消えている
善き心が直列して完結する寅次郎の物語

この位相空間はけっして否定しえない
おそらくひとが帰還を願う場所にちがいない

しかし最後まで観ることに堪えない
ハリボテの群像と感じる異者の心がいる

    *

価値あり、価値なし 
内と外をわけるラインが走る

ラインが走り ラインに描かれ
ひとつの世界が姿を現わす

かたち 色あい 表情 肌ざわり
すききらい きれいきたない うそほんとう 

ラインが示す意味と価値に染まり
そのつどの色づきにおいて世界は顕現する

考えるよりはやく動いている
この先行関係は動かせない

(不動唯一の世界ではない)

いつも心は願っている
「価値あり」の内側にいることを

そしてもう一つ、覚えておくべきことがある
すべてのラインが消える位相がある

未決の連結ポイントを経由して
新たな世界が姿を現わす
ラインが引き直される転移の位相

この位相は「自由」と名づけられている

自然界は知らない、人間界が見出した空隙の位相
この位相を見逃せばすべては自然のコードが回収する

ラインが確定する世界の姿からはぐれ
この空隙をめがけ動くものがいる

人間の自然、ラインに飽き足らない
はぐれた不逞な心がみずからにつぶやく

もう少しましな世界を考えようか

 

 

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