ビエンチャンOL日記☆

ビエンチャンで国際協力と言われている仕事に携わったOL時代の日記です。下のお好きなカテゴリーからご覧ください♪

お見舞いラッシュ

2006年12月11日 | ラオス・不思議

 ちょうど1年ぐらい前、私が風邪をひいた時のことをブログに書いたことがありま
すが、今回はラオス人スタッフのお姉さんがとてもひどい風邪にかかってしまいま
して、仕事の後、みんなでお見舞いへ出かけました。

 高熱が続き、咳も止まらないとの事、休んでいる彼女の邪魔にならないように、
果物等をそっと家族に手渡し帰ろうかしら・・・と、日本人的についつい考えてし
まいましたが、やはり、ラオス式(?)のお見舞いになりました。

家に着くと、彼女はフラフラしながらもベットから起き上がり、居間で普通に
おしゃべりをしました。ご家族の方は夕ご飯を用意してくださって、
‘近くに寄ると風邪うつるわよ~‘と、咳き込みながら笑う彼女と一緒に、たっぷ
りご飯をいただきました。私たちが来る前は、親戚がお見舞いに来ていたとの事、
1日お見舞いラッシュだったようです(笑)

・・・確かに、安静にしていたほうが治りは良いと思いますが、こうやってみんな
に見舞ってもらって、話をして、笑うことで、風邪に取り付かれている心が開放さ
れるようですね。とても良い薬なのかも、、、

 ラオス人のこういうところ、やっぱり好きですね~




おいしい野菜

2006年11月30日 | ラオス・食
 
 職場のラオス人スタッフのお姉さんの家の庭には、たくさんの花や果物をつけた
木々、野菜があり、毎日職場に持ってこられるそれらは、私たちスタッフやお客さ
んの目とお腹を満たしてくれています。

 先日も、お姉さんの一人が家で作った生のマメ(インゲンのような長いの)を、
お昼にポリポリかじっていましたら、

「虫が入っていないかどうか、しっかり見てから食べてね。うちの野菜は農薬は
全く使っていないから虫がつくの。でも安心して食べられるし、美味しいでしょ?
虫が食べるって事は安全な野菜の証拠だって、ラオス人は言うのよ~」 

と、聞かせてくれました。

・・・私の日本の実家では、小さな家庭菜園をやっているのですが、畑から取って
きたばかりの野菜を食べるとき、いつも母が同じ台詞を言います。話す時の表情ま
で母にそっくりで、思わず吹き出しそうになってしまいました。

 野菜の味は、どちらも最高です。葉っぱから顔を出す青虫も、愛おしく見えます
ね(!?)



ラオス研究会

2006年11月13日 | ☆お勧めブログ・HP

 今、私のオフィスでは月に一回‘ラオス研究会’というものを開催しています。
約10年前に、ラオスをより広く・深く知る機会になるようにと、ビエンチャンに
在住していた日本人の有志がスタートさせ、月に1回ラオスで活躍されている様々
な日本人にお話していただいているのですが、今年度からは私の勤め先が開催を
引き受けています。

 昨日もちょうど開催されたのですが、う~ん、素敵なお話でした。モン族の生活
のお話、そして現在されている活動(図書館作り)のお話など、とっても面白かっ
たです。村に滞在しながら活動をされている彼女の台詞、

「最初は‘電気の無い村ってこんなに暗いんだ!’と感じていましたが、しばらく
滞在するうちに‘ろうそくの火ってこんなにも明るいんだ!’になりました」

・・・が、じわっと印象に残っています。。。

やっぱり、魂のこもった活動はいいですね!!!

■ラオス研究会開催案内:What's New?下 をクリック。→
http://www.jica.go.jp/laos/japan/japandesk/index.html
■今月はこんな方のお話でした。。。→
http://www7a.biglobe.ne.jp/~laosyamanoko/project/library/library.html

(写真:11月ラオス研究会)




$カモ~ン

2006年11月10日 | ラオス・不思議

 同僚のラオス人お姉さんの財布の中に、こんなものが入ってました。
何だか分かりますか?・・・そう、1$札です。

三角の頂上部分が、カード入れからチョコンと顔を出していました。そこには、
パッと見開かれた、目が描かれてます。お友達(=$札)がいっぱい入ってくるよ
うに、財布から目を覗かせているとのことです。

ラオスにはおまじないの類、本当に多いですねぇ~

1$札をお持ちの方、是非お試し下さい、ネ☆




走り癖、、、

2006年11月09日 | ラオス・OL

 昼食は毎日オフィスのキッチンでラオス人スタッフと一緒に取っているのです
が、食べ終わった後、私はソワソワし始めます。急用が無い日でも、何かに急きた
てられるように、昼休みの終わりを待たずにデスクに戻ることが多いです。日本で
染み付いた習慣、中々抜けないようです・・・。

 一方ラオス人スタッフ2人は、昼休み1時間をきっちりと取ることができます。
私が早くデスクに戻ると、キッチンに残った2人は居心地悪いのではないのかしら
・・・?

「多少の勤務時間オーバーはレクレクノイノイ(些細)なことなので、日本人は、
別にいいか、と考えるのよ」と以前彼女たちに話したところ、契約書に書かれてい
る休憩時間をきっちり休むことは当然の権利のはずと言い、とてもビックリした
様子。きっちりと休んだほうが、午後の仕事の効率が上がると思う日も、やはり
早くデスクに戻りたくなるのでした。

ラオスに4年もいるのに、、、やれやれ。




復活

2006年11月03日 | 国際協力のこと
 
 6月から今の仕事に移りもうすぐ5ヶ月経ちます。現在の仕事は国際協力に関する
仕事なのですが、現場からは離れたオフィスでの仕事です。

 先週、今回のお仕事では初めて現場へ行く機会を頂きました。行き先はカムワン
県。日本のNGO2団体の活動の様子などを見させていただきました。

 2団体の活動現場視察の中、強く印象に残っているシーンがあります。中国の山水
画を思い起こさせるような景観の美しい村でした。ただそこには、数年前にできた
という大きなセメント工場が立っています。
 
 森の中の果樹園を見せていただいた帰り道、前を歩いていた村人がふと立ち止ま
り振り返りました。

「日本から来たというお嬢さん、ちょっと聞いてもいいかい?日本には、セメン
ト工場の近くに民家はあるのか?」

「う~ん、場所によりけりだと思いますが、あまり近くには無いはずです。」

「ここぐらい近くにある場合もあるのかい?」

「う~ん、どうでしょう・・・」

 行きに川を渡った際NGOのスタッフの方に、セメント工場が出来る前までは川の水
を飲料用に使っていたが、それが出来なくなったというお話を伺っていました。

・・・たった数時間の滞在で、村人の抱えている問題や取り組んでいるプロジェク
トに関して「分かりました」と言うことは決してできません。ビエンチャンのエア
コンの効いたきれいなオフィスで私がセコセコ働いていることが、いつか彼らの深
い問題の解決へ繋がっているのだと言う事もおこがましく聞こえます。しかし今
後、オフィスで眉間に皺を寄せて仕事をしている時、あの村のおじさんがふと振り
返った時のこと、きっと思い出すことがあるのではないのかしら・・・

 2団体のみなさん、本当にお忙しいのに、訪問を快く受け入れて下さってありがと
うございました。首都ビエンチャンとは違い大変な状況の中、スタッフの皆さんは
キラキラされてました。


 さてさて最後にですが、私はこの数ヶ月間、何も書けないでいました。仕事が特
別忙しくなったわけではなく、家に帰ると抜け殻のようにやる気がしない日々が続
きました。ラオスでの仕事も計4年超え、見えないところで疲れがたまっていたよう
です。外国で働いていると、徐々に溜まっていくストレスを上手く発散する手段を
見つけにくいことがあります。希望に燃え、まじめだからこそ適当に休むことが出
来ず、精神的に不安定になってしまっている外国人を、ビエンチャンで時々見かけ
ます。自分が疲れてHappyでない時、思い切って休むことも大事だなぁ、と、感じた
のでした。我慢比べではないので。。。

(写真:村の木々の向こうに見える、セメント工場)


水難・水難

2006年08月08日 | ラオス・不思議
先週のある日、朝、出勤して職場のドアを開けると・・・あれっ?
滝の音がしたのです・・・?????恐る恐る中に入って
仰天!奥の洗面所から水がサラサラ流れ出し、職場の
フロアー奥側4分の1ぐらい、水に浸かっています。滝の
ような音は、洗面所の水道官からダバダバ溢れ出ている
水の音でした。冷静さを装いながらも心臓はバクバク、
洗面所の中を見渡し、水道の元栓があるのが見えたので
急いで閉め、一先ず水は止まりました。ちょうどその時、
ラオス人スタッフ達が出勤し、中の様子を見て目が点・・・
水圧が高かった為に、蛇口と水道官の繋ぎ目がはずれ、
水が噴出したのだと思われます。・・・そんな訳で、その日
の午前中は、スタッフ全員でフロアーにたまった水をプラス
チックのちりとりでかき出す作業に追われました。幸いにも
被害にあったのは、近くの床に置いてあった空のダンボール
箱だけでした。
ちりとりで水をすくいながら私は暗~い表情、すかさず
ラオス人スタッフのお姉さんは‘こんな時は明るい音楽が
必要よ♪‘と、PCに入れてある陽気な曲を流し、軽快に
作業を続けていく。‘魚を放って、養殖しようかしら?’と
軽い冗談も。私たちはお昼に、目の前の道路で売っている
焼き魚が好きでよく食べます。
 午前中には片づけが終わり、やれやれといった感じで
みんなでお昼ごはんを食べました。そこで、興味深い?
お話がありました。私たちの職場の建物は新しいのですが、
これまでを振返ったら、水難ばかりなのです。水道官の
破裂は今回が2回目、その他、キッチンの蛇口のバーが
折れたり、ホールの天井からどこからともなく雨漏りしたり・・・
ラオス人スタッフのお姉さんたちの話すことには‘災いが
よく起こるのは、この建物に神棚がないからよ‘との事。
適当な訳が分からないので神棚と書きましたが、ラオス人
の家の中によくある、日本の神棚に似ているあれです。
今回はじめて意味を知ったのですが、先祖を祀るための
ものだとのこと。私の職場の建物が出来る前、ここには
先祖代々受け継いでいた古い建物があったそうです。
そこに代々暮らしてきた人々を祀るための、神棚(仏壇?)
がなければ、今後また、このような災いが起こるだろう、と。
昔の人々を敬う気持ちは、私にもあります。郷に入っては
郷に従え、かしら。ラオス式のあの神棚が近々私の
職場にも入ったら、日本式ですが心をこめて手を
合わせよう・・・あっ、それと、水道官破裂の原因究明
も急がなければ!

ビエンチャン女子大生の事情

2006年07月29日 | ラオス・不思議
時々一緒に甘いものを食べたりしながら、人生の深い部分?を語り
合うことの多いラオス人の友人NNちゃんは今20歳。先日も、ちょっと
困った顔で、こんな話を聞かせてくれました。
彼女は大学をもうすぐ卒業し、その後就職となるはずだったの
ですが、希望先の定員に漏れ、来年まで募集を待たなければならなく
なったとの事。これから1年間、バイトをしながら将来役に立つだろう
英語の学校に通うことを決心したのですが、英語学校は半年分の
授業料80$を先払いしなければならず、泣く泣く携帯電話を質屋に
持っていくことに決めたそうです。これからはじめるバイトは、お菓子を
包み紙でくるむ作業をするそうで、平日10:00~16:00まで働いて
月給約20$。夜レストラン等で働けばもっと歩合が良いのですが、
今、彼女が夢中になっている空手の稽古が夕方以降のため、泣く泣く
このバイトを選んだとの事。‘何か1つ得ると、1つ失うのよ’と、
年下にはとっても見えない大人びた表情で、豆乳をすすりながら
語ってくれたのでした。

 来月8月6日は第一回ラオス空手道全国大会が開催されます。
(公共事業省内の体育館だと思います。)彼女の勇姿を見るのが
楽しみです。 ・・・金メダル欲しいなぁ

また一人、海外へ

2006年07月18日 | ラオス・不思議
 先日、フィンランドへ仕事に行くかどうか悩んでいる親友の
話を書きました。実はちょうどすぐ後に、別のラオス人の親友
から、突然タイへ出稼ぎに行くかもという話を聞かされました。
これまで友人知人の中で、海外へ出稼ぎに行く話はほとんど
聞いたことがなかったので、立て続けに、しかもとりわけ仲の
良い親友2人が行くことになりそうで、少し、動揺しています。

 タイへ行くことが決まりそうな、このもう一人の親友は、
中華系タイ人の家で住み込みでメイドとして働くとの事。月給は
8,000バーツ、彼女がビエンチャンの外国人の家でメイドとして
働いていた時よりも約2倍の収入になります。解雇されて
からずっとビエンチャンで新しい仕事を探していたのですが
見つからず、この話が来たので決心し、今はVISA待ちだとの事。
タイとは陸続きで言葉もほぼ同じため、日本の地方に住んでいる
私が、東京に働きに行く事と感覚的にはあまり変わらないのかも
しれません。しかし、行ってみたら当初の約束とは違う過酷な
条件で働かされたという話もよく聞きます。

・・・フィンランドへ行く話しが来ている親友は、今もまだ
悩んでいます。

(ブンタン・ポンピチッド氏(ラオス人)がプロデューサーで、
現在のラオスの若者を取り巻く物質的豊かさへのあこがれ、麻薬、
タイでの就労、HIV感染などの問題と、ラオス人関係者・若者自身
による職業訓練、教育面、メディアなどでの取り組みについて描いた
”Road to the future”というフィルムを、2年前にビエンチャンで
日本のNGO会議で見たことがあります。どこかのWebサイトで見られる
と確か聞いたのですが、どなたか知りませんか・・・?また見たい
なぁ、と思っているのです。)

ラオス・スポーツ

2006年07月14日 | ラオス・不思議
先日、ラオス国家スポーツ40周年(委員会の設立から?)記念式典が
開催されるということで、ビエンチャンで一緒に運動しているラオス人
に誘われ、文化ホールへ行きました。
世界やラオスのスポーツの歴史のビデオ上映や、近年の報告、国の
政策などが発表された、オフィシャルな式典でした。

開会の前は、まだ初々しい新人?歌手が、ヒップホップ調などで
楽しくスポーツ振興の歌を歌っていました。
しかし、開会の際、ステージに来賓の方々が見えた瞬間、子供も含めた
会場の全員がすばやく立ち上がり、ラオス国歌が流れ、その間は
直立不動でした。普段はゆったりとした雰囲気のラオス人のみなさんの
このような様子を見たのは初めてで、少し驚いたのでした。

子供たちに夢を与えるような、そんなスポーツのヒーローが、ラオスに
たくさん生まれたらなぁ・・・と願っています。

親友の悩み

2006年07月04日 | 国際協力のこと
 ラオスに戻ってきて約2週間、新しい仕事・生活がようやく
落ち着きまして、これからはまた、このようにキーボードを
打つ時間が持てそうです。

 さて、外国へ行ったことのなかった頃、外国人は私にとって
まさに‘異人’というイメージで、想像がつきませんでした。
ラオスへ来る前も然り、ラオス人とはどのような人たちなのか、
全く想像つかなかったのです。ラオスへやってきて3年半、
今では親友と呼べるラオス人の友人もたくさんできまして、
日本人とラオス人との境目が随分とボヤけたものです。
 中でもとりわけ仲の良い2歳年下の女の子がいるのですが、
互いの恋愛観を語り失恋を慰めあったり、将来の不安・家族の
ことを語ったり、踊りに行ったり(!?)、日本の親友と感覚的
には全く変わりがありません。

 その親友が一昨日また‘聞いて欲しい話があるの’と、バイトの
終わった22:00過ぎに、突然私の家にやってきました。
不安そうな目で語られた話は・・・‘フィンランドで、フィンランド人
のメイドとして働く話が来ているの。英語の学校に通わせてもらえ、
住む場所・食事も提供されて、月に250$の給料ももらえるそう‘
・・・と。彼女はもちろん、先進国に騙されて連れてかれ売春をさせ
られる話などを知っています。だからこそ不安で行くか行かないか
悩んでいるとの事。

 彼女の次の台詞に、私はドキリとさせられました。‘発展途上国の
人間は先進国の人間と状況が全く違うの。チャンスが無いのよ。私も
このままでいってはラオスで良い仕事に就くことはできない。でも
スキルアップの機会を得ることは難しいの。フィンランドで英語を
取得できれば、少しは違うと思う。・・・私は生まれて一度も、
外国へ行ったことが無いし・・・’ 
 ビエンチャンの目の前には、メコン川を挟んでタイがあります。
ビエンチャンに住んでいても、目の前に見えるタイへ渡ったことが
ない人は大勢います。

 昨日、雇い主になるフィンランド人と話をするとのことで、私は
同行する予定でしたが、直前に彼女から連絡があり‘決心が
つかないから面接は延期してもらった’とのこと。

 私と何も変わらない感覚を持った20代の彼女、普段は
国籍なんかとっくの昔に忘れて話をしているのですが、取り囲む
状況の大きな格差に時々直面すると、どうしたら良いのか途方に
暮れてしまうのです・・・

半年間終了

2006年06月09日 | 国際協力のこと
 

 長い間、ブログを書かないでいました。夏休み最後の1週間
の小学生のように、この1ヶ月間はドタバタ、ドタバタ、仕事の
最後の追い込みで、あっという間に過ぎてしまいました。そして
気がつけば、今、また日本に。あと数日充電した後、再びラオス
へ帰ります・・・そして、新しい仕事がスタート。

 この半年間私は、JICAの協力隊員を中心とした、母子保健
プロジェクトの計画立案・準備に短期で携わらせていただきました。
・・・と言っても、私自身は医療職者ではありません。私は、
プロジェクトの開始に向けての調査・分析活動や、関係・協力者
間のネットワーキングなどを、せっせと行っていました。まだまだ
自分では足りない部分、たくさんありました。もどかしかったです。
半年という期間で何かをガツンと残していきたいと意気込んで
いたものの、世の中そんなに甘くない。逆に、この仕事は私に、
本当に多くのことを教えてくれました。そして何よりも、関わった
ラオス人、日本人のみなさんは、私の心に大きなものを残して
くれました。 温かい・・・すごく、温かい・・・
 
 私の好きな国際協力のスタンスは、どこかで聞き覚えのある
‘共に生き、共に学ぶ’。 もちろん、国際協力は、対象者や
対象分野の状況次第で、活動内容やスタンスを柔軟に選ばな
ければならないと思うのですが、やはり、このスタンスは好きです。

‘先進国’の人間が‘途上国’で何かをやれば、必ず人々を幸せ
にできる、な~んて、ミラクルは無いです。立ち向かう現状は
想像以上に複雑です。ましてや、私たちはそこで生まれ育った
訳ではなく、簡単なことも知らないことが多々あります。だからこそ、
私たちも彼らも私たちも共に苦労し、考え、時に失敗し、そして学んで、
互いに高めあっていく、そんな姿勢が好きです。互いに互いを
刺激しあって。

 今回の半年間は、私が彼らに残したものよりも、私が学ばせて
頂いたことのほうがずっと多かったです・・・だから、私は、また
ラオスに帰ってしまうのかしら?今度こそ、お返しできれば、と。

 次の仕事に向け、次第に胸が高まってきました・・・


(写真:母子保健に関する問題や目的の分析を、村の関係者
などで行ったワークショップの様子(PCMワークショップ))

雨季到来

2006年05月07日 | ラオス・不思議
 

  突風が吹き荒れ、さっきまでの生暖かい空気はサッと洗い
流されました。明るかった空には、灰色の暗く不気味な雲が覆い
かぶさり、人々は足を速めます。
 ・・・ラオスは雨季に入りました。先月、仕事で訪ねた遠くの
村々は、これから赤土の道が何箇所も水たまるで寸断され、
往来が困難になることでしょう。

 さて、雨季に入ったラオスなのですが、傘やレインコートを
必ず持ち歩いている人は、あまり見かけません。日本の雨とは
違い、予告のように真っ黒な雲が現れてから降り出しまでしば
らく時間があるので、その間に目的地に向かってスピードを上げ
ます・・・。例え雨が降っても、止むまでどこかで雨宿りを
すれば良いという時間のゆとりもあるので、大丈夫!なので
しょう。

 以前、目的地に着く前に雨が降り始め、目の前の家の軒下に
滑り込んだことがあります。家の人は、見知らぬ私に、すっと
椅子を出してくれたのでした。

(写真:もうすぐ降る!)

写真アップできました(^^)

2006年04月22日 | ラオス・OL
昨晩、試行錯誤の末、ブログへ写真のアップロードができました!
まだ2枚しかアップしていませんが、時間のある時に少しずつ写真
を載せていきます。。。ふぅ~



ラオス南の旅☆

2006年04月20日 | ラオス・不思議


 週末はラオス正月でした。ビエンチャンっ子は、派手な
アロハシャツに身を包み(何故だろう?)、今年も街中で
水掛け合戦です。  

 さて、私は久しぶりの連休で、職場の仲間と南へ少し足を
伸ばしました。チャンパサック県のメコン川にあるコーン島
(小さなほう)で、ゆったり過ごしました・・・様子をご紹介
しようかしらと思ったのですが、ちょうど、このブログで
ご紹介した事のある、ケンさんの
『ラオスの現地新聞を読む。』 http://laotimes.exblog.jp/  
の4月17日に、島のことが丁寧に紹介されていました☆  

 私が前回コーン島を訪れたのは5年前、ゲストハウス等は
あまり目に付きませんでした。今回、電気水道の無い、自然だけ
の中に滞在することを想像していただけに、島の変化には目を
見張りました。外国人観光客が滞在するには快適になっています。
しかし、相変わらず自然は美しい!  

 まるで桃源郷に来たような気持ちになりますね・・・。
しかし、ふと、5年前、コーン島近くの別の島で話をした、穏やか
な笑顔をたたえた島民のおじさんのことを思い出すと、今でも
ドキリとします。私は話の最中、おじさんの片腕に大きな傷がある
ことに気付きました。目線に気付いたおじさんが話すことには、
治安が不安定な昔、島内で敵に鉄砲で打たれた際の痕だとのこと。
穏やかな笑顔が消え、一瞬別人に見えたあの表情は、今も鮮明に
覚えています・・・

(写真:コーン島からの夕日)