海外にいると自分のアイデンティティについていつも考えさせられる。自分とは何者かということであるが、これは日本にいる時には考える必要の無いことである。そもそもほぼ全ての日本人が祖先を数百年さかのぼっても100%純血日本人で、日本語が第一言語で、宗教的にもほぼ同じで、かつ文化的にも統一的な日本では、アイデンティティという言葉すら存在してこなかった。
一方、移民の国アメリカなどに行くとアイデンティティを常に模索している人々で溢れている。先祖は誰かという問いに対して、ヨーロッパ人としか答えられない人や、そもそも三代前の先祖がどこで何をしていたのか全くわからない人などが多くいる。移民の一世・二世はアメリカに溶け込もうと必死である。あれほどことあるごとに国旗を掲揚し、国家を歌う国も珍しいぐらいだが、出身・ルーツ・文化・宗教・言語がばらばらな人々の集まる国であるからこそ、そうして頻繁に国として一体感を皆で感じないと国としてのまとまりを得るのが難しいのかなとも思う。
ヨーロッパではそれぞれの国家・国民としてある程度確立されたものが今日では存在するので、アメリカほど激しくはないが、それでも異なる文化に触れる機会が日本よりは圧倒的に多い。またアメリカに移り住む多くの人々がそのままアメリカに一生住もうと思って移り住むのに比べ、ヨーロッパではいつでも好きなときに母国に戻れるという気軽さも手伝って、アメリカほどアイデンティティに悩む人々は少ないが、それでもヨーロッパ人のハーフやクオーターといった人々ももちろん多いし、異なる国の人々と生活・仕事する機会が多いのは同じである。
自分のアイデンティティが常に変化し続け、常に自分の価値観や基盤となる信念が変化するというのは、周りにいる人々も画一的な日本にいると感じないが、海外に来ると多かれ少なかれ誰もが感じることだと思う。少しづつ典型的な日本人としての自分が違う価値観に触れる機会が出てきて、いやがおうにも考えざるを得なくなる。
以前1年半ほど昼夜を共にして一緒に働いていたアメリカ人が帰国する直前に「日本は今や僕のアイデンティティの一部になったよ。今後、日本の話が出たり、日本のことについて見聞きする機会がある度に、日本は僕が住んだことのある国でYasutoや他の日本の友達のことをその度に思い出すことになると思う」と言っていたことを思い出す。僕にとっても、以前住んだアメリカに加え、ロンドンも今後おそらく同じように自分のアイデンティティの一部となって行くんだろうなと思う。
一方、移民の国アメリカなどに行くとアイデンティティを常に模索している人々で溢れている。先祖は誰かという問いに対して、ヨーロッパ人としか答えられない人や、そもそも三代前の先祖がどこで何をしていたのか全くわからない人などが多くいる。移民の一世・二世はアメリカに溶け込もうと必死である。あれほどことあるごとに国旗を掲揚し、国家を歌う国も珍しいぐらいだが、出身・ルーツ・文化・宗教・言語がばらばらな人々の集まる国であるからこそ、そうして頻繁に国として一体感を皆で感じないと国としてのまとまりを得るのが難しいのかなとも思う。
ヨーロッパではそれぞれの国家・国民としてある程度確立されたものが今日では存在するので、アメリカほど激しくはないが、それでも異なる文化に触れる機会が日本よりは圧倒的に多い。またアメリカに移り住む多くの人々がそのままアメリカに一生住もうと思って移り住むのに比べ、ヨーロッパではいつでも好きなときに母国に戻れるという気軽さも手伝って、アメリカほどアイデンティティに悩む人々は少ないが、それでもヨーロッパ人のハーフやクオーターといった人々ももちろん多いし、異なる国の人々と生活・仕事する機会が多いのは同じである。
自分のアイデンティティが常に変化し続け、常に自分の価値観や基盤となる信念が変化するというのは、周りにいる人々も画一的な日本にいると感じないが、海外に来ると多かれ少なかれ誰もが感じることだと思う。少しづつ典型的な日本人としての自分が違う価値観に触れる機会が出てきて、いやがおうにも考えざるを得なくなる。
以前1年半ほど昼夜を共にして一緒に働いていたアメリカ人が帰国する直前に「日本は今や僕のアイデンティティの一部になったよ。今後、日本の話が出たり、日本のことについて見聞きする機会がある度に、日本は僕が住んだことのある国でYasutoや他の日本の友達のことをその度に思い出すことになると思う」と言っていたことを思い出す。僕にとっても、以前住んだアメリカに加え、ロンドンも今後おそらく同じように自分のアイデンティティの一部となって行くんだろうなと思う。