森男の活動報告綴

身辺雑記です。ご意見ご感想はmorinomorio1945(アットマーク)gmail.comまで。

イギリス・25ポンド砲とクォード・ガントラクター タミヤ 1/35(BRITISH 25PDR.FIERD GUN & QUAD GUN TRACTOR TAMIYA 1/35)(その2)

2024年04月20日 | 模型の話題
というわけで(その2)です。(その1)(去年の7月)からえらい間があいてしまいました。

さて、先日お知らせした中四国AFVの会に出品するつもりでこれを大車輪で製作中なのです。

(その1)は組み立てまででしたね。そこからの続きです。

まずはラッカーによる基本塗装です。これは車両本体の塗装が大体終わった様子。
タミヤカタログの完成品をイメージして制作してます。インストによるところの「ダークイエロー」は調色してます。ミッキーマウス迷彩は筆塗り。最初はエアブラシで吹こうと思ったんですけど、マスキングが難しくて筆にしてしまいました。ムラムラですが、まあ後で汚せば誤魔化せるかなあ、と。パターンは、インストの完成写真を見ながら極力再現しました。

後姿がちょっとカワイイですね(笑)
作っててほんと思いましたけど、イギリスのこの辺の車両って素敵ですねえ。変でカワイイ、という。

座席周りの塗装は、完成するとまあ見えなくなるのでそれなりに。シートは油彩で仕上げてます。色の指定がないので、勝手に茶色にしました。
後ろの4席が並んでるのがいいですね。25ポンド砲を牽引する場合は砲の操作員が乗るんですかね。で、作ってて思ったんですけどこの6人はずっと同じ車に乗るわけでしょう。で、戦争ってかなりの長距離を移動するわけで。このシートにずっと座ってるんですよね。

気の合う同士ならいいんでしょうけど、ちょっと気に入らない奴が隣だったりしたらたまらんですね。余計な心配なんですけど(笑) それぞれの好みとか相性とかそういうの関係なく、組み合わせを決められて運命共同体にされちゃうのは結構キツイですよねえ、、。こういう意味でも、戦争ってほんと大変だなあって思います。

ただ、そもそもこの砲の運用は5-6人でできるのか?という素朴な疑問もあります。このクラスだともっと要るような。だとしたら、追従するトラックとかに分乗してるのかな?そんなら相性の悪い奴同志は分隊長とかの裁量で分散してたのかなあ?とかとか、こういうの考え始めたらよくわかんないですね。知ってるようでなーんにも知らない、という、、、。

閑話休題。エンジンはきちんと再現されてます。
今の目で見るとあっさりしてますけど、この当時のキットとしてはかなりのものだったんじゃないかと。

これはフィギュアの基本塗装が終わったところ。これまたよくできた造型と思います。瞳だけは、そのままだと小さくて塗りにくいのでエポパテで作りなおしました。
で、見えない足の内股とかはほんとテキトーに仕上げてます。一方で襟やサスペンダーなどはデザインナイフで彫り込んでます。後で墨入れをした際に、ここが攻めきれてないとほんとぼやけてしまうんですね。ちょっとの手間ですけどやるとやらんは大違い、という。

先に書いたとおり、製作のイメージソースとしてはタミヤのカタログの完成品です。このカタログの写真、ほんとどれもいいですよねえ、、。
で、今回改めてクォードの写真を見てたんですけど、車両単体のキットとこの25ポンド砲のセットの車両、違うデカールが貼られてます。さらにミッキーマウスのパターンも違う。つまり別の完成品なんですね。てっきりどちらも流用しているもんだと思ってました。びっくり。

カタログ写真に貼られたデカールは、車両単体のが英軍で25ポンド砲がカナダ軍です。で、インストの塗装図だとカナダ軍デカールはダークグリーンの一色の指定。デカールを貼る段階ではすでに基本塗装はとっくに終わっちゃってるので悩みましたけど、まあカタログにあわせて、砂漠塗装でカナダ軍、ということにしました。

それにしてもびっくりしましたねえ。よく調べたらこういうの(どういうの?)他にもあるかもしれませんね。いやー、面白い。どこがどう面白いのかわからんですけど、面白い(笑)

基本塗装が終わったら次は油彩でウェザリングを進めていきます。これは25ポンド砲の本体。
油彩は、バーントアンバーを中心に色調を整えています。油彩はタミヤエナメルシンナーで薄めて全体に被せるように塗って、後でふき取っていきます。まあ要するに昔からのスミ入れとウオッシングですね。で、そうするとリベットとかのディテールが浮立ってくるんですけどその細かさにびっくりしますね。

で、それらが大体終わったらこんな感じ。
毎度毎度そうですが、この辺から面白くなってきますねえ。

フィギュアも基本似たような手順です。これが大体終わったところ。
ご覧の通り、内股のパーティングラインがそのままだったりします。足先とかパテ盛ったままです。でもいやほんと時間がギリギリなので仕方ないですね(いつもこんな感じでやってるんじゃないかという疑惑もある)。

完成形をいろいろ考えた結果、ステアリングを切った状態にしてみました。キットのままだと固定なのですね。
どうやったかというと、根元を切って斜めにつけただけ、という。かなり乱暴なモデリングですが案外それっぽいでしょう。黙ってりゃわかんない、と思います(書いてるけど)。

根元を切って、と書きましたが、完全に切り離してはないです。モデリングソーで車軸に切り目を入れて、動かしたい方向にグイーっと押し曲げてます。そこで瞬着を流して固定してます。切り離しちゃうと、もともとの車高や前後位置などが変わってしまうかもしれないのですが、このやり方だとその辺の間違いがないのでいいのではないかと思います。

ステアリングロッドは切り目を入れず無理やり曲げてます。可動部が白くなってますね。いやほんと乱暴だなあ、、。でも山賊モデラーなのでこれでよいのです(なんじゃそら)。

まあ、乱暴ではありますが結果的にそれっぽく見えたらそれでいいんじゃないか、という技法ってことですね。ほんとならもっと丁寧にやりたいところなんですけどね。

というわけで、大体完成が見えてきました。(その1)の時同様、繋げてみるとほんとイイ感じです。
工程的にはあと一息、というところなんですが長くなりましたし、ブログを書く時間がなくなってきましたのでここでお終いにします。さて、21日には完成してるでしょうか。

前回もお知らせしましたが、4月21日に中四国AFVの会が松江市の島根県民会館で開催されます。ぜひおいで下さい。
詳細は公式HP↓
もしくはツイッター、じゃなくてエックス↓
にて広報してますのでご参照ください。

今年もせんしゃん賞(ネタ的な作品に贈られます)が設定されております。
受賞者に贈られる盾も作りました。もらって嬉しいのかどうかいまいちよく分かりませんが(笑)、まあもらってあげて下さいな。
一方、せんしゃんキットの完成作品に贈られる「せんしゃんシャンソン賞」は、諸般の事情で今年は設定しておりません。ご了承下さい。

というわけでお終いです。クォードはまた折を見て「その3」を書きたいと思います。さてほんと完成するのかなあ、、。

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月刊ホビージャパンに二十八糎榴弾砲の作例が掲載されました&大砲キットの話。

2024年04月07日 | 模型の話題
先月25日発売の、月刊ホビージャパン5月号に模型のお仕事が載ってます。お題はボーダーモデル 1/35「日本陸軍 二十八糎榴弾砲 日露戦争 1905」です。

上の写真を見て大砲やミリタリーに興味のない方でも「おやこの大砲は見たことあるぞ」という方もおられるのでは。この大砲は日露戦争時、旅順要塞攻略戦で活躍した砲で、同戦争を題材にした作品には必ず出てくるといっても過言じゃないですね。ってか、出さざるを得ないくらいの功績があるのですね。

短砲身のずんぐりした特徴のあるスタイルなので、インパクトもあって日本軍の大砲、っていうか古今東西の大砲の中でも有名なもののひとつではないでしょうか。この砲はもともと日本国内の要塞の防備用として開発製造されたのですが、日露戦争での旅順攻撃が難航したため、わざわざ現地に運ばれ要塞攻略の鍵となったのでした。

キットはとてもよくできてまして、楽しく製作することができました。自分の好みで、第二次大戦後、国内の要塞に据えられたまま朽ちていく姿を情景にしました。

記事にも書きましたが、戦後撤去もされずこういう風にそのまま遺棄されるということは有り得ません。また、その大砲を絵に描く女学生を添えてますがこれまたちと苦しいシチュエーション。でも、まあいいじゃないですか!オッサンのメルフェンなの!!(笑)という情景です。

女学生はミニアートのフィギュアをベースにほぼ自作しました。

誌面では完成形はUPで載ってない(塗装前のは大きく載せてくれてます)のでこちらでUPしますね。

こういう情景にしようと思ったのは、25年ほど前この砲が据えられていた要塞跡に行ったことがあるからでした。キットを手にしてあれこれ考えてたら思い出したんですね。和歌山の友ヶ島です。
ご覧の通り、まあ凄い遺構です。写真は訪問時なので現在どうなってるかはよくわからないのですが、当時よりは整備が進んでるそうですね。

で、これが恐らく二十八糎砲の台座。
今回の作例で水が溜まってるのは、こういう感じだったことを思い出したから、というわけですね。

この訪問記は、以前当ブログでも紹介してますのでよろしければどうぞ。↓
また行ってみたいですね。

こちらが掲載誌の表紙です。カラー3Pで紹介されています。
よろしければぜひご覧ください。で、ホビージャパンってコンビニでも売ってるんですね。ボケーっとビールとかを買いにコンビニに入って掲載誌が売られてるのを見たらドキッとします。だからどーした!なんですけど、やっぱドキッとします。「えへへ」じゃなくて「うわわわ!」ってなるんですね(笑)

ほんとどーでもいー話ですね。すいません。さて、大砲は戦争ではかなり重要な役割を担っている兵器なのですがやっぱり戦車や戦闘機、戦艦などに比べると地味なのでプラモ的にもあまり恵まれてませんね。キットはそれなりに出てるんですけど、あんま作ってる人がいないような。

でも個人的には割と好きでして、ちょこちょこキットを集めてます。今回はその中からいくつか紹介してみます。手持ちのキットはこんな感じ。

まあ全部じゃないんですけどね。AFVモデラーの平均として多いのか少ないのか、よくわからんですね。でもまあ今回拙宅各所に分散してるのを集めてみたら案外あったなあ、という感じです。

これはもう説明不要のタミヤ88ミリ砲。1500円版ですから初版じゃないですね(新発売時は1000円)。

でもピンセットなどの袋が収まる、飾りの仕切り(っていうのかな?)が入ってて箱の大きい初版型です。

箱の程度がかなり悪いんですけど安かったし(1000円!)まあいいでしょう、という。

もったいなくて作れないので、作る用にこないだ買ったのが上に重ねたやつ。箱が小さいでしょう。

でも、これも貼り箱の小鹿版なんですね。小鹿版から箱が小さくなってたんですねえ。知らんかったです。これは大絶賛製作中の8トンハーフに引っ張らせるべく作るつもり。

タミヤ繋がりで次はこちら。ドイツ・7.5センチ軽歩兵砲18型。ホワイトメタルキットです。シュリンクのパッケが素敵すぎます。
タミヤはこれと米のパックハウザーの2種を「1/35ホワイトメタルシリーズ」として発売しまして、それきりになっちゃったのでした。発売時価格が1800円と高額(先ほどのハチハチより高いわけで、、、)な上に、ややマイナーなアイテム、さらに製作が難しそうなメタルキットという3連コンボであまり売れなかったのでしょう。なのでこの2種だけなのです。

とにかくチャレンジングなタミヤらしいとても意欲的なシリーズだったと思うんですけどね。かなり早過ぎたのでしょう。確か、欧米のホワイトメタルモデル文化を日本にも!みたいな狙いで始めたと何かで読みました(未確認情報)。うーん、ほんと残念。このキットも作りたいんですけど、結構美品な上、今では並品でも出てこなくなりました。作っても惜しくない程度の箱のを入手できたらなあ、とは思ってるんですが、、。うーん、、。

メタルキットはなぜか大砲と相性がいいのか、他のメーカーからもあれこれ出てますね。こちらはグンゼハイテックのFH18とピットロードのソ連の152ミリ砲。

これはどちらも頂きものです。それぞれ別の方から頂戴しました(ありがとうございます)。どっちも高いのに、ありがたいことです。FHは、持ち主が小さくするために箱を潰してて、私が別の箱(72の零戦の)に入れて保存してます。

メタルキットはとにかく重量感があっていいですね。これは152ミリ砲の中身。

蓋を開けて「うんうん、よーでけとる」とうなずいて、箱を閉めちゃうやつですね(笑)まあでもこれは作りたいなあ、、。メタルキットはゴージャスで、とにかく重いのがいいです(笑)

こちらもメタルキットですね。ファインモールドの九四式速射砲と一式機動砲。どっちも傑作です。

どちらも、いつかインジェクションで出してくれるかもと思って、手をつけれないまま今に至っております。でもまあ今時はもうキット化は難しいですかね、、。どっちも日本軍の砲としては有名だし、情景にもしやすいのでアイテム的にはいいと思うのですが、やっぱちと厳しいかな、、。

九四式はノモンハンの情景で作るつもりで買いました。箱絵、カッコいいですよねえ。一式機動砲も戦闘中の情景を作るつもり。アフターパーツの真鍮薬莢もアホほど買って(ファインさんの在庫が発見されて発売された時に買い占めた)、スタンバッテるんですけどねえ。

一式は多分一番M4シャーマンを破壊した日本軍兵器です。そう考えると凄みがあるように見えてきませんかそうですか。ほんとインジェクションで欲しいんですけどねえ、、。

最後はこちら。四一式山砲は、連隊砲、山砲兵はいくつか買いました。HJ誌の作例も作りましたねそういえば。
で、その後個人的に買ったのは、実はフィギュアが欲しかったからという(すいません)。両キットのフィギュアは、動きがある日本兵フィギュアとして貴重なんですよほんと。戦闘中のポーズにとても改造しやすいんです。なので砲だけが残ってるのでした。砲だけ作って、ベースに置くだけでもカッコいいかな?と思ってるんですけどね。

タミヤのPAK40は、300円の初期版なので作るのはちともったいない(こんなのばっか)。買いなおして作りたいです。これも子供の頃作って楽しかったなあ、と。ハチハチもそうですけど、今そこそこ大砲が好きなのはタミヤの火砲キットのおかげかもしれませんね。タミヤMMがなかったら、大砲について知ることはまあほぼなかったでしょう。とはいえ、戦車でも装甲車でも、MMがなかったら、、、と考えるとみんなそうなんですけど。凄いシリーズなんだなあ、と思いますほんと。

ピットロードの九〇式機動砲も作りたいですねえ。この砲はスタイル的にもなんかかっこいいなあと思ってます。対戦車戦闘の情景とか作りたいです。日本軍の砲だと、九六式十五糎榴弾砲とか欲しいんですけどねえ、、。ピストルピートの情景も作りたいなあ、と。

とかとか作りたい作りたいといいながらも、これらはずっと作らないまま何年も経ってるのでした。まあ、新しいのを欲しがるのはこれらを作ってからですねえ。で、大砲キットって、ほんと楽しいですよ。完成後、戦車や装甲車などの車両とはまた違った不思議な満足感があります。未経験の人は一度作ってみることをお薦めします。

大砲はアイテム的に各部を隠す事ができずモロむき出しなので(当然ですが)省略が難しく、キット化する際は手が抜けないので、どのメーカーのもちゃんと再現しています。なので作りながら構造を理解することもできます。そういう意味ではバイクのキットに近いかもですね。そんなこんなで、ミリタリーだけでなく機械全般に興味のある方は面白く感じられると思うんですけどね。

とはいえ、大砲って近代兵器の基本の基本なのですが、詳しく知りたくても案外関連書籍がありません。私もほんと何も知らないといっていいくらいの知識量なのですね。小林源文氏の「武器と爆薬」はほんと勉強になりました。

大砲の歴史、運用法などがとても分かりやすく解説されていて、お薦めです。で、「もっと知りたいなあ」ってなるんですけど、この次にどういう本を読めばいいのかがわからん、という。お薦めの入門書があったら教えて欲しいです。

というわけでお終いです。ホビージャパン、よろしければご覧になって下さいね。

最後にお知らせです。4月21日、松江市で中四国AFVの会が開催されます。
興味のある方はぜひおいで下さい。

会場は松江城すぐそばの島根県民会館で午前10時開場。見学のみの入場は無料です。コンテストの参加にはエントリー料として1000円(高校生以下は無料)が必要です。

詳細はこちら。

コンテスト参加者の作品展示以外にも、中四国地方の協賛クラブの作品展示があります。身内の私がいうのもなんですけど、いろんな方のいろんな作品を見ることができて、とても見ごたえのある会です。

今回は、初の松江大会です。「いつもの福山だとちょっと遠いけど、松江なら行ってみようかな?」と思われてる方も少なからずおられると思います。「こういう会って、隙あらばツッコミを入れようと機会をうかがう、うるさ型のオッサンばかりじゃなかろうか?」と躊躇する人もいるかもですが、来られたら拍子抜けするくらい、気安い気楽な会ですのでぜひおいで下さい。まあでも「オッサンばかり」という点に限っては予想通りかも(コラ)。で、せっかくなのでコンテストにも参加してみてください。見学だけでも楽しいのですが、コンテストに参加するとより1日を楽しめると思います。

あと、昨年まで設定されていた「せんしゃんシャンソン賞」(せんしゃんキットを使った作品に贈られる賞)は今年は諸般の事情でなくなりました。すいません。何卒ご了承下さい。「せんしゃん賞」(ネタ的なオモロ作品賞)は今年もありますので、ご安心(?)下さい。

以上お知らせでした。

で、「コンテストに参加してみては」とか偉そうに書いてますけど、私はまだ出品作が完成してないのでした。わはは。できたらいいな。頑張りまーす。

それでは。





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森男のイイ感じの建物探訪(その3)

2024年03月24日 | 街の建物探訪
今回は「森男のイイ感じの建物探訪」です。イイ感じ、とはまあ私の主観なのですが、要するに「ちょっと前の日本にはどこにでもあったけど今はもうだんだんなくなりつつあるような、懐かしいアレ」ですね。そういう建物を紹介します。

先日、写真フォルダを漁ってたら私の住む町内であれこれ撮ったフォルダが出てきました。散歩がてらにちょこちょこ撮ってたんですね。今回は主にそこからチョイスして紹介してみます。

まずはこちら。窓のつながり方から察するに二階がワンフロアになってるのかな?普通の住宅じゃなくて、なんかの作業所だったのかもしれない。
建物は施主の要望であれこれアレンジされるので、こういう風に正統な住宅の感じからやや外れるものがあるのがいいですね。ただ、昔のこういう2階部分はワンフロアだったりする(大昔の実家がそうだった)ので、私の推察が間違ってる可能性もあるんですが。また、2階立てですけど、こういうタイプの家は全高がちょっと低いんですね。あと庭が綺麗なのが素敵です。

こちらは履物屋さん。靴屋、じゃなくて履物屋というのがミソですね。要は草履とか下駄とか込み、っていう。

子供の頃遊びまわってた一帯にあったので、営業してた記憶はおぼろげにありますね。店名は一応消してます。昔(といっても40年位前ですが)は町の中にこういう小さいお店がいくつもありましたね。食料品はじめこういう生活雑貨屋(金物、電気、文房具、玩具などなど)は大体揃っていて何でも買うことができました。当時は普通に思ってましたけど、今ではちょっと考えられないですね。

また、こういう風に散歩してて思うのが、昔の町内には人の姿がいつもありました。どこに行っても人が外で何かしてたような。人口が減ったということもあるんでしょうけど、生活パターンが代わったというのも大きいでしょうね。買い物ひとつとっても、今は車に乗ってショッピングモールに行くのが普通ですから。

こちらは実にイイ感じの中庭、というか裏庭ですね。
勝手に生えたであろう草が素敵です。芝とかと違って、こういうのを狙って育てるわけにはいかないと思うのですが、こういうところの草ってなんか端正に生えるものですね。不思議です。

こちらは中庭というか路地というか、なんかよく分からない空間。
住んでる人がいなくなってて、往時は何らかの用途のある空間だったかもしれないのですが、今となってはもう想像も付かんですね。でも、なんかイイ、という。

これは近所じゃなくて、どこかの旅先です。
トタンと板張りの併用が素敵ですね。適当な石積みもいいですねえ。奥のヒマワリも、今となっては野生になって育ったり枯れたりを繰り返して今に至る、みたいな感じなんでしょう。そういうのもイイですね。

で、こういう家って、人が住んでるのか無人なのかよく分からないことが多いです。分かったからとてそれがどーした!なんですけど。
でもこういう風にタオル1枚でも干されてたら、人が住んでるのが分かるわけです。タオル1枚ってのがいいですねえ、、。干され方も素敵、、。あと、トイレの汲み取り蓋のつっかい棒もイイです。

このお宅はトタンの面積が多くてイイですね。
でも二階くらいはこちらの面に窓くらいつけたらいいのに、、と思いきや、真横に家があったようです。基礎だけ残ってました。ということは、この家は隣より後に建てられたってことですかね。でも隣が先に潰されちゃったという。諸行無常ですねえ、、。まあでもこの家も今はもうないんですが。

トタンともども、今はほんと少なくなったのが屋根瓦ですね。これもちょっと前までは普通でしたけど、今新築で瓦屋根を見るほうが少なくなりましたね。撮影場所は近所じゃないです。
で、いま新築でこういう瓦葺にしようとしても、高いんでしょうね。ただ、今は性能的によくてしかも安い素材の瓦(って呼びかたも変わってるのかな?)になっちゃった、ってことですね。

こちらはお地蔵さんの祠の屋根。卍の向きが、、、。フィンランド祠です(笑)
建てる時気付きそうなもんですけど、まあいいか、でそのままなんでしょうねえ。

こちらもトタンが素敵な家。屋根の感じからすると、トタンは後から貼られたんでしょうね。多分元々は板張りでしょう。古い建物って全てが最初からこういうのだったと思いがちですけど、やっぱり時代を経て経てしてる訳です。
物干しの屋根も、多分当初はなかったかもですし、ツタとかが徐々に育ってるのも、経て経て、ですねえ。

これは貴重な戦中のアレ。窓ガラスの飛散防止の紙テープ。こういうの、案外残ってないですね。
これって、紙テープなのか紙にのりを塗って張ったのか、よくわからんのですよね。当時ガムテープみたいな既製品の紙テープがあったんですかね?丁寧に貼られてますね。今から思うともっと観察しとけばよかった。

で、本土決戦のジオラマを作る時、この紙テープの詳細を調べてて「あれ?」ってなったのが、当時ほとんどこのテープ貼られてなかったのでは?という衝撃の疑惑。調べても調べても、窓に貼られてる写真がまあないんです。警察署とかに貼られてる写真はありましたけど。あとは、プロパガンダ用の家庭内軍需工場の写真とか。

いろいろ考えた結論として、恐らく私たちが思ってるほどは貼られてなかったんじゃないか、と。終戦直後(ほんと直後。45年の9月とか)、米軍が撮った街中の写真(たくさんある)でもまあ貼られてないんですよマジで。遠景の街並みの建物一軒一軒を潰すようにガン見したんですけど、ない(何やってんだお前)。これ、剥がすの大変だと思うので何軒かは残っててもおかしくないんですが、ことごとく貼られてない。

多分、戦後の映画とかドラマで「いかにも戦中」という演出として便利なのでセットの窓に貼られてて、それがいつしか戦中のスタンダードとして定着しちゃったのが真相じゃなかろうかと思ってるんですけどね。みなもと太郎氏の漫画でいうところの「時代劇時代」みたいなものかなあ、という、、。

閑話休題。こちらは全壊寸前の家です。ここまで壊れちゃうともう「建物」探訪じゃなくなっちゃいますね。しかし、構造を知るにはベストな状態ではあります。
こうしてみると、日本家屋は木と土と石でできていることがよく分かります。アメリカとかでは日本家屋の表現として「木と紙でつくられた」的なことを言わてたそうですけど、紙ってほぼ使われてないんですよね。障子のイメージが強いんでしょうね。

これは一階が店舗で2階が住居という典型的な建物。窓や戸がアルミサッシになってて、ジワジワと経て経てしながら長く住まれてたことが分かります。

この家はたまたま解体中に写真が撮れて、先の本土決戦ジオラマの貴重な資料になったのでした。その際、足元に襖の内張りの新聞紙が散らばってたので見たら、1950年代のでした。

で、近所にはこの子がいつもウロウロしてて挨拶してました。野良犬じゃなくて飼い犬。放し飼い(笑) 昭和だなあ、、。「ボサ夫君」、と勝手に名付けてました。人懐こい子でした。
ずっと見掛けてたのですが、ある日を境にいなくなりました。多分あの世に召されたんでしょう。寂しいですねえ。

ちなみに、ここで紹介した町内の家はほぼ今はもうなくなってます。ほんと諸行無常です、、。

さて、このシリーズは私がいいなあと思った建物とか橋とかを紹介してるんですけど、多分かなりニッチですよね(笑)わからんひとはわからんという。「なんでこんなボロい家ばかりをドヤ顔で紹介してるんだ!」とお怒りの方もおられるかもです。すいません。まあでも、よくご覧になれば、それぞれほんとイイ感じに見えてく、、きませんかそうですか。まあでも、こういうのを見ていつしか興味を持ってくれる人が少しでもいれば嬉しいなあと思います。とはいえ、そういう人が増えたとて、何がどーなる、というわけではないのですが(笑)

というわけでお終いです。ネタはまだまだありますので、またそのうち続きをやりたいと思います。



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杉浦式拳銃の話

2024年03月10日 | 銃の話題
今回は杉浦式拳銃についての話です。以前お知らせした杉浦式の漫画を描いていて、杉浦式に関して気付いたことや思ったことを書いてみたいと思います。絵を描く時は、資料を何度もガン見しますし「それ」のことをずっと考え続けます。なんかカッコいいですけど(笑)そうしたくなくてもそうなっちゃうんですね。すると、普段なら気付かないことに気付いたり、思いついたりします。

こういうの、模型を作る時もそうですね。「あれ?なんでこんなことに気付かなかったのかな?いつも見てる写真なのに」ってことが多々あります。思い当たる方は多いのでは。こういうのはこの種のもの作りの醍醐味ですし、いいところですね。

閑話休題。というわけでその辺のことを書いてみたいと思います。まずひとつめの話題。

●杉浦式はコルトM1903のまんまコピーなのか?

前にも書きましたが、杉浦式はコルトM1903のコピーとよくいわれますが、私的にはコピーではないと考えてます。まあ、コピーといえばコピーですし、そういわれても仕方ないな、とは思います。けど、少なくとも「まんまコピー」ではないよな、と。

結局は各々が「コピー」という言葉をどういう風に捉えてるか、ってことなんですけどね。言葉の本来の意味からすると「複写・複製」なんですけどそこから派生して「模倣」という意味も含まれています。さらに「元にした」「参考にした」レベルでも総括して「コピー」と呼んでいる、といった感じでしょうか。また、ニュアンスとして「猿真似をした」というネガティブな要素が含まれているように感じます。私が「コピー」と使うときも実際そういうのがあるような。

「模倣」と「参考にした」という違いはなんなのか?というとこれはもうかなり難しい問題となります。これこそ人によって違いますし、場合によっては裁判所で争うような問題です。個々人で断定できるようなものではない。なので、コピーという言葉を使うのは出来るだけ慎重にしたいと思っています。

コピーという言葉の難しさでいうと、銃だとZB26と九六式とブレンの例が分かりよいですね。

ブレンはZB26を原型にしたライセンス生産品です。ブレン(Bren)はブルーノ(Brno)とエンフィールド(Enfield)の頭文字です。つまりメーカーが提携している「正統なコピー」です。構造から何からほぼ同じです。でも一般的には「コピー」とは呼ばれません。ライセンスを取ってるので、否定的な意味での「コピー」とは相容れないのでしょう。

一方で九六式軽機はZBのコピーと言われ続けています。しかし、構造的には全く違っていてコピーとはとても言えません。しかし外観の印象が似てるのでコピーと言われ続けています。これはとても悔しいし残念なことです。似てるといっても①「マガジンが上にある」②「バレルに放熱フィンが付いてて、ハンドルがある」③「ドラム式のリアサイト」くらいです。①②はこの種の銃では普遍的なものでZB特有のものではありません。③はまあ真似したのかなあ?と思いますが、この方式はそもそもZBが最初なんですかね?フォーゴトンでも「普遍的な仕組み」って言ってますね。もし真似だったとしても、これだけで「全体をコピーした」というのはかなり乱暴です。

一方で、銃にとって要といえる閉鎖機構は全く違います。当然ボルトやエキストラクター、エジェクターなど主要な部分は九六式独自のものです。しかもどれも非常に優れた巧妙な設計です。そもそも、ですがトライアル時にA号(九六式の原型)とB号(ZBのコピー)が争って、A号が選ばれたという経緯からも、九六式=ZB説が間違っているのが分かります。でも、ぱっと見の印象だけでコピーと呼ばれる。ブレンと九六式のこの扱いの差はなんなんでしょうね。おかしいでしょう!!フンガー!!(おちつけ)

結局は「評価者の主観の問題」なんだろうな、と思います。でも、こういうのは出来るだけきちんとジャッジしないとアカンですよね。公平ではありませんし、係わった人たちに申し訳ないです。

おっと、長々とすいません。

それでは本題。何だかんだいいましたが、外見は似てますね。コピーです(どないやねん)。ここまで似ていて、関係ないとはとても言えない。内部もバレルと本体との結合はコルトそのもの(ブローニングM1910と同様)ですし、バレルブッシングも同じです。でも、その他はあちこちでちょっとづつ違うんですね。大きな点としては、グリップセフティがない。
次に、ここは大事なところですが、トリガーメカが違います。コルトはガバメント同様、ディスコネクターが別パーツになってます。そのため、トリガーは前後動のみです(青矢印)。杉浦式は、トリガーバーがディスコネクターを兼ねています。トリガーバーが上方に延びて、スライドと接触するようになってます(赤矢印)。スライドが後退したら、ここが下がってディスコネクトするのですね。トリガーバーは前後上下動が必要なため、トリガーは円運動します。そのためのピンがあります(白矢印)

グリップを外すとこんな感じ。トリガーを引くと(1)トリガーバーが競りあがり(2)が飛び出ます。同時にハンマーをリリース(3)。発火してスライドが下がると(2)を押し下げてディスコネクトするわけです。ちなみに、よく見るとトリガーにはトリガーバー用のピンがあります。ここを軸に上下動するわけですね。
コルトのディスコネクトの説明は省略します。有名ですからね。なんであれ、全然違うんですね。ちなみに、私の手持ちの資料では、杉浦式のここの構造が分かる分解写真は1枚しかありませんでした。ハンマーの形とかも知りたいんですけどねえ、、。

さてこの杉浦式のディスコネクターは自動拳銃としては普遍的なもので、有名な拳銃としてはベレッタM1934やアストラM400がこんな感じです。コルト式よりも簡単で簡易なんですが、構造上ディスコネクトの動きがトリガーに(つまり指に)伝わるので精度上よくないといえばよくないですね。しかし、この方式の拳銃が多々あることを考えると、実際には問題にはならないくらいなんでしょうね。

で、ここは自動拳銃の構造としてとても大事な部分です。これが違っているだけでも「まんまコピー」とはいえないのではないかと。グリップセフティを省いた点も含めて考えると、杉浦式は「大枠ではコルトを元にして、各部を省略してコストを下げようとした拳銃」といった感じではなかろうかと思います。

余談ですが、トカレフはガバの影響で作られたとよくいわれますが、よくみるとM1903の要素も多々入っているように思います。合わせ技、ですね。で、こちらもまんまコピーとはちょっと言い切れないですね。いろいろと工夫されていることが分かります。

●素敵な小型もありました

杉浦式は32口径(7.65ミリ)ですが、25口径(6.35ミリ)のタイプもありました。32口径型を短縮・縮小したような感じです。
とはいえ、そのまま小さくしたというわけでもなくて、トリガー後部のフレーム部は微妙にアールが付けられたりと、よく見るときちんとデザインされてます。恐らくは32口径型と同じ設計者(氏名不詳)の手によるものと思われます。

製造数は32口径型より少なく、現存個体のシリアルから考えると(最高で475)1000丁も作られてないでしょう。日本で25口径の自動拳銃は作られたことがないので、貴重といえば貴重な存在です。まあ、これらを製造した杉浦工廠は北京の工場(経営者は日本人)なので日本製ではないのですが。

可愛い形なので、これもトイガンで欲しいですね。

●これまた謎の多い北支一九式

杉浦工廠は後に経営者が代わり北支工廠となりました(1943年ごろ。経営者は同じく日本人)。北支工廠になってから作られたのが北支一九式です。ご覧の通り十四年式がベースになってます。口径も8ミリ南部で同じです。


これこそ「まんまコピー」じゃないかと思いきや、これまたちょっと違います。ご覧の通り、セフティが親指部に移されて片手で操作できるようになってます。いわゆるサムセフティです。

さらに、分解方法が違います。右側のトリガー上部には分解用レバーが着いてます。
これを下げると、バレル部とフレームの結合が解けて分解することができます。

十四年式は、トリガーガードとフレームは別パーツで、トリガーガード上部に凸がありバレル部の凹に入って止めています。マガジンキャッチを強く押すとトリガーガードを下げることができ、結合が解けてバレル部が前にずらせるようになり、フレームから外れます。
一九式はレバーを下げることで凸が凹から離れ、分解できます。当然、トリガーガードとフレームは一体となってます。一九式の方が簡単簡便で、製造工程も少なくて済みますね。トリガーとシアバーがフレーム内で固定されている点も優秀です。十四年式は構造上トリガー部がシアバーと分離してしまうので、製造時にどうしても刷り合わせなどが必要ですし、安全面でも不安がないとはいえない(一九式と比べれば、の話。基本大丈夫でしょうけど)。などなど、一九式はサムセフティともども優れた再設計といえるでしょう。

で、一九式はこの分解レバーを追加したので、十四年式型のセフティが付けられなくなり、サムセフティにしたのかもしれません。逆にサムセフティにしたので、トリガー上部に余裕ができて分解レバー式にしたのかも。どっちが先だったんでしょうね。もしくは同時に思いついたのかも。

 ただ、分解法・セフティともども十四年式が劣っているとするのはちと早計です。十四年式の原型の南部式は1900年初めごろ(正確には不明。00-02年ごろ?)の設計です。このころ自動拳銃は黎明期で、各国のデザイナーが試行錯誤していた時期なので、南部式が複雑でいまいちな設計と断ずるのは不当でしょう。むしろ時代的には優れた設計ではないかと思います。

しかし十四年式が作られた1925年ごろになると、少し古いものになってたことは確かです。再設計したのは南部氏ではありません(正確には不明。一説によると造兵廠東京工廠の吉田智準大尉)。再設計するにあたり、つい南部式に引っ張られたのかな?と思います。こういう原型があるものの改良って、ついつい引っ張られるものです。さらに、大御所南部氏の設計をいじるわけですから、再設計者もドキンチョだったんじゃないかな、と(笑) なんであれ、大改造にはならなかったわけです。

で、一九式の設計は更に後の1943-44年頃(多分)。さすがにもう南部・十四年式をそのままコピーするには厳しい感じだったでしょう。設計者も南部氏や軍とは直接の関係がないので遠慮もいりません。設計者が「ここもっとこうしたらええのに」ってところをズバッと遠慮なく「改良」したんだろうな、と。

私見ですが、一九式は南部式→十四年式とする場合の理想的な設計になってるような。十四年式の段階でこうしていてもおかしくはなかったくらいです。ただ、トリガー部など南部・十四年式の華麗な感じがなくなってしまってるのが残念ですね。しかし、デザイナーとしての割り切りのようなものが感じられるのも確か。この辺は好み、趣味の範疇でしょうね。

そして多分、ですが杉浦式の設計者と同じ人じゃなかろうかと。ガンデザイナーってそうそうはいませんし。北京の銃器製造会社ならなおさらです。日本人なのか中国人なのかは分かりませんけど、なんであれ優秀な方だったのは間違いないと思います。杉浦式も設計的にとてもいいですし、一九式共々「ただの真似だけはしたくねえ!」という意思のようなものが伺えます。なんとなく、ですけどね。でもそういうのって分かるんですよね。

あと、なぜ「一九」式なのかはよくわかりません。中華民国の暦だとこのころだと民国30-31年で全然ちがいます。やっぱり昭和19年のことかなあ、と思いますが、日本人の経営者とはいえ在中国の工場で生産する製品に昭和の年数を入れるのも変といえば変です。日本軍に銃器を納入するのがメインの業務ならわかるんですけどそういう感じでもなかったみたいですし。そもそも、日本軍の制式拳銃をベースに勝手に(多分)改造して製造するというのもどっちかというとオコラレの元のようにも思いますしね。一九式に、日本軍関係者がどういう反応をしたのか知りたいところです。

で、もし昭和「19」式ならば、大陸の工場だけど視点は日本に向いていたことを示します。それならそれで不思議です。「十四年式」にならうなら「十九年式」にするのが普通ですし。

などなど、結局は謎ばかりなのでした。

●センスのいい北支工廠のマーク

北支工廠製造の杉浦式には、星の中に「北工」の漢字を図案化したメーカー刻印が入ってます。この刻印も同じ人がデザインしたんじゃないかなーという気がします。





なんか、センスがいいんですよね。これもなんとなく、ですけどそうじゃないかと思ってます。星マークのせいで、中国共産軍と関係していると誤解されることもあるようです。でも、時期的には敗戦前ですし、そもそも日本軍も星マークを使ってますしね。

杉浦式の北支型には「杉浦式」の刻印は入ってません。よって北支型を杉浦式と呼ぶのは厳密には変です。でも、杉浦式と呼ぶしかない(ややこしい)。杉浦は経営者名なので、経営者が変わった北支工廠で杉浦式の名称が受け継がれたとは考えにくい。でも、製品として継続して生産されている(その代わり星の刻印が入れられるようになったようです)ので、北支工廠での杉浦式の呼称があったかもですが、例によってよく分からないのでした。

また、北支型は杉浦工廠製に比べて仕上げが悪いです。生産時期が戦争末期ー戦後だったからかな?と思います。この仕上げの悪さについては一九式も同様で、仕上げのよいバージョンと悪いのと2種があります。3重丸の刻印のがよくて(さっきの絵)、「二」の刻印のが悪いです。

フォーゴトンでは3重丸と「二」の刻印は品質の差を示すためのものだと断言気味に解説していました。資料「Japanese Military Cartridge Handguns 1893-1945」にも同様の記述があるので、恐らく出所はこの本でしょう。ただ、杉浦・北支工廠関係の1次資料を調べたとはちょっと考えにくいので、あくまで一説ということで、一旦保留にしたいところです(恐れ多いですけど)。

なので、結果的に3重丸が仕上げが良いものばかりで、「二」が悪い、くらいで把握しといた方が無難ですね。これまた私の想像ですが、「二」は戦後工廠が中国軍(国民党系か共産系かはともかく、反日系)に接収されて生産を再開したバージョンじゃないかな?と思ってます。3重丸と「二」でシリアルが重複したもの(4と21の2丁)があるんですね。これは変です。それなら、一旦仕切りなおして再製造した→それはいつか→日本の敗戦後、と考えるのが自然です。

というわけで、あれこれと書かせてもらいましたが、推定推測が多いですね。すいません。ほんとに謎ばかりなんですよねえ。今後の新資料の発掘に期待、といいたいところですが彼の地で当時の資料が新たに出てくるとはちょっと考えられませんし、出てきたとてそれが海外の研究者に知らされ、かつ現地で調査できるとも思えません(しかも昔のこととはいえ兵器の調査ですし)。期待できるとすれば、日本に資料が渡っていてそれが発見される、くらいでしょうか。

●最後にお知らせ

今発売中の「丸」2024年4月号に、A!CTIONさんの杉浦式自動拳銃の広告が掲載されています。

こちらが表紙です。

で、なんとその広告に私の絵を使ってもらいました。ドーン!って感じです。商品の付録の漫画の1カットです。
いやー、これは嬉しいです。それにしても、広告とはいえあの「丸」に私の絵が名前付きで載るとはスゲーなあと。それはそれとして、レイアウトやフォントなど全体的に渋くてカッコいい広告ですね。また、軍事法規研究会先任研究員の大木浩明氏による杉浦式に関する興味深い記事も掲載されています。ぜひ誌面をご覧ください。

というわけでお終いです。いやー、それにしてもあーでもないこーでもないと想像妄想するのは楽しいですねえ。こういうのもこの趣味の醍醐味だなあ、と改めて思いました。

それでは。

以前、杉浦式のモデルガンを紹介した際のエントリーはこちらです。↓

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森男のこんなん買いましてんニュース 2024年2月号 

2024年02月24日 | 日記
今回は「こんなん買いましてんニュース」です。久しぶりですね。要は私の買い物自慢です。

まずはプラモから
●タミヤ 1/35「ホルヒ1aと20mm対空機関砲」

子供の頃に作って、また作りたいなあと思って買いました。このセットは今は廃盤になってるみたいですね。
発売時価格1000円。単体だと車両600円、機関砲400円、フィギュアセット250円(それぞれ私の子供の時の価格)なので、お得なセットだったんですね。

でも、セットだとホルヒの窓ガラスの透明パーツが省かれてて、幌の展開時のパーツは不要パーツになってます。またフィギュアセットはずっと廃盤になってるみたいですね(イベント時用の簡易包装のはあるらしい)。商品名が「親衛隊歩兵セット」だからだという噂も聞いたこともありますけど、どうなんでしょうね。英語表記の製品名は「GERMAN SOLDIERS SEATED」なので、当時から配慮はされてたようなのですが。しかも、タミヤに限らず武装SSのフィギュアキットなんてその後バンバン出てますから、配慮もへったくれもないと思うんですけどね。

それよりも、そもそもこの車両にフィットさせた汎用性があまりないポーズだし、かつ迷彩スモックという改造しにくい衣装なので、基本的にあまり売れないからだろうなあ、という気もしますね。あ、でも似たような条件の8トンハーフの対空砲の「高射砲兵セット」は出てるか、、(どーでもいいぞ!!)。

なんであれ、タミヤのMP28はこのキットのみなので貴重ですし(もちろんよくできてる)、別パーツになってる指揮官のクラッシュキャップもカッコいいです。
車両と砲は、単体だとジャーマングレー成型色ですが、セットではダークイエローなのがちょっと新鮮。そういう意味でもそんなこんなで貴重なキットです。

砲のインストが半ペラ1枚なので、車両のは単体キットのかな?と思ったらフィギュアの組み立て説明が入ってるので専用のでした。
じゃあ、砲のインストが単体のと同じかな?と思ったらこちらも違いました。全部つなげたらいいのに、と思ったんですけど、これ以上増やすと織り込めなくて綴じ込みになるから別紙にしたんでしょうね。、、、って、これまたどーでもいーぞ!(笑) でも、タミヤのMMってこういうちまちましたところであーでもないこーでもないってやってるのが楽しいんですよね(笑)

なんであれ、作るのが楽しみです。いつ取り掛かれるか見当もつかんですけど。特に迷彩スモックの塗装は、子供の時には不可能で最初からあきらめてましたけど、今ならなんとかできます(多分)のでちゃんとやってみたいです。

●バンダイ 1/48 「ソ連重戦車 KV-1」

去年岡山の中古プラモ屋さんで買いました。
このシリーズ、私がプラモにはまった小学校低学年の頃(80年代前半)にはもう店頭にはありませんでした。でもジャガーバックスの「プラモ世界の戦車」にはいくつか紹介されてて、存在だけは知っていたんですね。なのでつい買ってしまいました。

箱がちょっとヤレてるくらいで、美品だと思います。発売時価格500円ですが、内部構造を再現してるなどとてもゴージャスな感じです。
フィギュアもきちんとしてるし、内部構造も砲弾は砲弾してますし、DTのドラマガが別パーツだったりして気合入ってます。
子供の頃ならはまっただろうなあ、という気がします。ちょっと残念。とはいえ今これを作るかというと、もったいないので作りません(笑)

次は昨年の東京訪問で買ったものです。

●日本軍の小銃弾用クリップ

ライフル弾を5発にまとめるためのものですね。日本軍では挿弾子と呼びます。左が今回買った実物で、右がタナカのレプリカ。
タナカのもよくできてるのですが、よく見ると各部の凸凹のエッジの立ち方が違いますね。当然実物の方がビシッとしてます。スプリングのテンションも強いです。
タナカのモデルガン用カートを入れてみました。クリップ自体は三八式、九九式実包と共用なのですね。

こうやって銃に装填するのです。いや、実物はやっぱいいですねえ、、。
で、興味のない人からするとただの真鍮片なのですが、案外値段が張ります。なんつっても実物ですからねえ。といってもン千円ですけど。ダミーカートも欲しいんですけど、5発そろえると結構な値段になってしまうので悩んじゃいますねえ、、。

これは有名な無可動実銃のお店で買いました。無可動実銃は1丁十ン万やン十万は当たり前の世界で、下手するとン百万とかいうお値段が付くものなので逆立ちしても払えない(懐かしいなこのフレーズ)のですが、このお店は見るだけでも許してくれるので行きました。で、せっかくだし悪いしなので記念品的に買いました。

買うときに「貧乏人なもんで、こんなんしか買えんですいません」って店員さんに言ったら苦笑されました。別に何か考えた上で言ったとかじゃなくて、そういういらんことがふと口から出るようになってしまってるんですね。おっさんになったんだなあ、と思います。自意識過剰だった昔の私からするとちょっと信じられないのですが。いやー、歳をとるっていいのか悪いのかわからんですねえ、、。楽なのは楽、なんですが、こうやって他人にいらん迷惑を掛けるわけです。むずかしい、、。


●間宮羊羹と旭日旗マグネット

これは遊就館で買いました。旭日旗は、ちょくちょく絵に描くのですが「どういう感じだったっけ?」とそのたびに載ってる本とかをめくるのがめんどくさいので、目に付くところに貼っとこう、と思って買いました。
そういう意味では、ソビエト国旗のも欲しいかも。あの鎌と槌の向きが覚えられないんですよね。でも、まあ売ってないか(これまたほんとどーでもいい)。

間宮羊羹、というのは日本海軍の給糧艦「間宮」で作られていた羊羹です。間宮は各艦艇に糧食などを補給する船で、羊羹も船内で作られていました。で、この羊羹が美味しくて有名で将兵から「間宮羊羹」と呼ばれて愛されてたのですね。そのレシピを元に可能な限り再現したのがこれ、という訳です。容量の大小やパッケージ、メーカー違いなどいくつか出ているようです。

肝心のお味ですが、とても美味しいです。もっと買えばよかったなあ、、。

とはいえ軍隊に関係のある記念館的なところではわりと普通に売ってるようなので、また見かけたら買おうと思います。

で、間宮羊羹というと、個人的にある思い出があることもあって買ったのですね。以前戦艦大和の元乗組員だった方の講演を聴きにいったことがありまして、そこで間宮羊羹の話が出てきました。

その方は信号員でした。なので、大和に近づいてくる艦船と手旗信号であれこれやり取りするのですね。向うの艦船にも信号員がいて、お互いに通信し合うわけです。間宮が補給のため近づいてくると、この方は相手の信号員にまず「あんただれ」と送ります。上官だと「ご苦労様です」で済ます。同期や後輩だと「ワシヤガナ マミヤヨウカン●ホンオクレ」と送るそうな。

そうすると、後で正規の補給ルートではない裏ルートから間宮羊羹が届けられるわけです。で、それを仲間内で食べたり上官に上納したりしてうまいことやってたそうな。信号員というのは特別技能職なので、専門の教育を受けた際に横のつながりができてるので、こういうことが成り立ったそうです。なんかイイ話ですよね。

このエピソードに限らず、どのお話もとても面白かったです。もちろん、訓練の厳しさや実戦での体験談などハードな話もあったのですが、基本的に前向きで明るい方なのでそういうの込みで非常に興味深い講演内容となってました。

大和には、就役時から乗っていてレイテ沖海戦時には、配置的にあの反転の信号も出したかもしれない(とても全ての信号の内容を記憶できるような状態ではなかったのでしょう)、とおっしゃってました。スゲーですね。

で、その本物の間宮羊羹のパッケージがどういう感じだったのか知りたいんですけどね。軍用糧食なので、包装や表記など規定があったはずと思うんですけどね。そういうのが再現されたらほんともっと買うのに、と。

●十円紙幣

東京の宿にした浅草の駅周辺の地下は、昭和な感じが残ってる一角がありまして、そこにあったコイン屋さんで買いました。400円。
終戦直後に発行されたもので、紙の質など全体的になんとなく簡素な印象。デザイン的にも日本の紙幣っぽさからちょっと外れてるような気がしてて、前からちょっと欲しかったのです。なんか、米軍の軍票に見えなくもないですね。さっき調べたら、実際「\」マークが表記されてる紙幣は珍しい(唯一?)ようです。

もちろん特にレアなものではなくて、ネットでもフツーに売ってます。けどわざわざネットで送料分を出してでも買うほどでもない、という。でも目の前で売ってたら買っちゃいますねやっぱ。

そのお店を含む一帯は、ほんとイイ感じだったのですがあまり探訪できなかったのが残念。先日、映画「PERFECT DAYS」を観たのですが、役所広司さん演じる主人公が毎日夜に行く一杯飲み屋は多分この界隈だと思います。

映画を観たとき「あ、あのへんだろうな」と。映画は浅草が舞台でなんか嬉しかったです。ほんのちょっと前にウロウロしたところ(まあほんの少し、ですが)だったので。

映画はとてもよかったです。観れてよかった。ただ、変な映画だったなあ、とも。でも、あとからジワジワと効いてくる不思議な感じはこれまでにちょっとない感覚でした。そして、個人的にいろいろと考えさせられる深いものがテーマとしてあった(しかもたくさん)ように思います。自分の中では「いい映画」である証明の一つに「その映画を観たいろんな人とその映画について話したくなる」というものがありますが、この映画はまさにそれでした。機会があればぜひ。でも、ほんと退屈といえばかなり退屈な映画なんでお薦めはできないんですけどね(どないやねん)

というわけで東京での買い物はこれくらいです。

●ダイヤペット 「ニッサンロイヤル」

ミニカーですね。でもタダのミニカーじゃないですよ。御料車です。控えおろう!!
これもこれまた子供の頃に持ってたんですね。でも、当然ながら遊び倒して壊して(なんと不敬な!!)処分してしまってたんです。で、ずっと「またほしいなあ」と思ってたのですが、美品や箱付きは結構な高値でして躊躇してました。

で、ジャンクのがまあまあ手ごろで出てたので買いました。ちょっとボロなのですが、またそのうち再塗装再仕上げしてみようかな、と。
欠損パーツはほぼなくて、ドアの菊の御紋がない(シールのとモールドの2タイプがあるみたい。私のはシールだったらしい)くらいです。それにしても、これをラインナップに加えるとは、ダイヤペットさんもなかなかやりますね。

子供の頃、ときどきおもちゃ屋にじーさんが連れてってくれてまして、ほしいおもちゃをひとつ買ってもらってたのでした。今から考えるとそのタイミングは月一だったと思うのですが、そんな時間感覚のない私は「次はいつ連れて行ってくれるのかなあ」と楽しみにしていたのでした。

で、おもちゃ屋ではどれにしようかいつもいつも悩んで悩んでミニカーとかプラレールを選んでいたのでした。このときは、このクラシックな姿に一目惚れして即決しました。じーさんが「天皇陛下の車やぞ!」となんかニコニコしてたのを覚えてます。そういえば、「天皇陛下」という言葉を意識したのもこのときが最初だったかもしれませんね。「ああ、よくテレビに出てるあの優しそうなおじいさんか」みたいな。そんなこんなで思い出の深いミニカーなのです。

というわけで40年ぶりくらいに改めて見てみると、よくできてますね。ドア・ボンネット・トランクが開きますし、サスもきいてます。内装もまあまあの再現度。
このテイストを出来るだけ残して、窓枠を銀にするとか内装をちょっと塗装するとかするとイイ感じなりそうな気がしますね。いや、いつもの模型とちょっと違うことができそうで楽しそうです。


●おみくじの狸

最後です。今年の正月の初詣に行った近所の神社で売っていた、おみくじフィギュア。お腹の中におみくじが入ってます。
いや、可愛いですね。私の町内には狸の神様がいて祭られてます。この神社では祭られてはないんですけど、まあご縁ですし、ということなのでしょう。私の住む県には狸の神様がたくさんいて、あちこちで祭られているのですね。当たり前に思ってましたけど、珍しいといえば珍しいのかしらん。

まあなんであれこういう可愛いのを見るとつい買ってしまうわけです。いいですよね。ちなみにおみくじは大吉でした。あー、よかった、っていうかこれ買って大凶とかだったらメチャ凹みますよね(笑)いや、この可愛さで相殺されるのかも(いやほんと、どーでもいいな、、)。

というわけでお終いです。UP前に読み返してみたのですが「こいつはものをいっこ買ったら、あーだこーだとなんやかんやひねり出す奴だな」と思われそうな内容でしたね(笑) でもそうじゃなくて「私にとってなんやかんやあるものだから買ってる」ってことですね。モノはただのモノなんですけど、その背景になにかあるからいいと思うものだし、つい買ってしまうんですよね。そして、買ったら買ったで買ったときのことを後で思い出したりもします。これもまた楽しいですね。

次回はいつになるかわからんですけど、またそういうモノと出会えていければいいな、と思ってます。でも、今回は特にどーでもいー話が多かったですね。すいません。でも次もそうなると思います。ははは。





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