もし、大丈夫という気持ちに根拠をつけるなら、と考えてみました。
自分に限らず、こういう病気になる方は、元々ものすごい意志の強さと精神力があるように思います。
それが全てマイナスの思いとなって自分に向かってしまったのが、発端じゃないかなと思うのです。
だから、しばらく休んで、少しずつ工夫をして、考え方とやり方をゆっくりと変えていったら、それはとても大きな生きる力になるんじゃないかと感じました。
もちろん絶対に焦ってはいけないし、休み休みだし、亀の歩みかもしれません。
でも、元々のエネルギーと意志の力はとても強い。だから突破していける。
そういう気がしています。
私の場合、まずたっぷり休んで、行動を起こすことが無理だったので夜寝るようにしたり日を浴びるようにしたり白いご飯を食べるようにしました。
それから散歩や筋トレで体を動かして、という感じだったように思います。最初からいきなり体を動かすのはしんどすぎて無理でした。
でも、どんなに小さく見えても自分がやれることからやっていけば、必ず動かせるようになることが分かりました。
その間に、心の感じ方や考え方も少しずつ変えていきました。(具体的には認知行動療法や褒め言葉を書くこと、カウンセラーの言葉を借りて自分の考え方に少しだけ幅を持たせてみることなどです)
そして、心の部分を変えることは心をどうにかしようとするだけじゃなく、体を動かしてのアプローチも必要だということも教えてもらいました。
また、自分の中の怒りや悲しみといった、抑えつけていた感情を少しでいいから出してあげることも、とても大事だと思いました。
結局一番大きかったのは、人の力です。
誰かに助けてもらうことでやれた部分が本当に大きいです。
家族にばかり頼ろうとしていましたが、色んな人に頼ることが必要だったのだと今は感じています。
一つの方法が駄目そうなら他の方法を探して工夫してやってみる。
これを今までずっと出来ていなかったのだと気づきました。
「これが駄目だった、もう駄目だ」
だったのが
「これが駄目だった。じゃあ工夫しなくては。どうやろう?」
という考えに、少しずつ少しずつ出来てきたのです。
それには、病院の力や周りの力がとても大きかったです。
頼れないと思う気持ちはずっとありました。今でもあります。
頼ってみては思うような言葉はもらえず、ああやはり駄目だ何とかしないと、でも出来ない。
この繰り返しでした。
今なら、それは単に、頼る相手、やり方、タイミングを見誤っていただけなのだとわかります。
だから、色んな人やものに頼ってみるのがいいのだと、今は思っています。
どこかに必ず頼れるところがあります。
最初の一歩だけ、勇気が必要。
でも、そこにエネルギーを使う余裕がない時は、まだまだ休んでいていいんだとも思います。
きっと、皆大丈夫。いい方向に向かう。
そう思うのは、本当にそれを信じてることもあるし、元々あった自分の意志が戻ってきたことで、そう信じている部分も大きいです。
もちろんきっと、まだまだ揺れながらです。泣いたりへこんだり傷ついたり怒ったりします。うまくいかないことだっていくらでもあります。
それでも、長い目で見ればいい方向に向かう。
そう信じられるようにいたいです。