アルチューハイマー芸術エッセィ集

音楽批評を中心に日々見聞した芸術関係のエッセィを、気が向いた時に執筆してゆきます。

ラドゥ・ルプー雑感

2010-10-17 01:20:18 | 演奏会評
9年ぶりに来日したルプーを聴いた。昨今では「ピアノ界のクライバー」などと呼ばれ、いよいよ希少価値を高めているらしい。それで、私も久しぶりに拙筆をふるうことにした。

プログラムは、
ヤナーチェク:霧の中で
ベートーヴェン:アパッショナータ
シューベルト:ソナタ第21番

演奏の印象としては、とにかく全編「霧の中」であった。というのも、最初から最後まで、殆どペダルに頼りきりで、確かに柔らかな響きを醸し出しはするのだけれども、甚だ曖昧模糊たる演奏なのである。これを美音と言っては、あまりにまやかしめいてはいないだろうか。
それに、多用されるルバートもいかにも気ままであり、ある種独特のモノモノしい雰囲気めいたものは漂うが、おしまいまで、どうにも浅薄な印象を払拭し得なかった。決して凡百の演奏と同列に語るべきものではないが、大家の名演とはまるで言えはしないのである。

ごく瞬間的な名技として、スケールが敢然と下降する際に、ふわりと力が抜けるのである。これはいかにも情熱的に叩いていますという風の、本邦のピアニストたちには聴かれない呼吸の良さだろう。アンコールが、シューベルトの13番第2楽章で、この佳曲については、とてもよかった。何かモノローグを聴くような訥々とした味わいがあり、また素直に「美しい」と思わせられもした。同時に、この人は小品に向くのかしらとも。


ところで、私は背もたれのあるイスを使うピアニストを初めて見た。それにあんなに無表情な人も。私たちはまるで知らされていなかったが、当夜彼は既に著しい体調不良の下に在って、来日ツアー初日となった京都公演ののちは、全てキャンセルして帰国を余儀なくされたとの報である。

そうした事情と、演奏の出来は繋がっているのだろうか。そうだとすれば、彼はステージに上がるべきではなかったのだ。私たちのためにも、何より彼のためにも。世界屈指とされるピアニストを指して、体調不良だったのだから仕方ない、などといったコンクール、いやアマチュアのピアノ発表会めいた陳腐な同情など寄せたくない。それは彼とて同じであろう。これは、常に瞬間の創造に生きる音楽家にあって、本質に関わる問題である。プロとは、常に結果で判断されるべきもの、とも言い得るかも知れない。
ともかく緊急帰国とは穏やかでなく、ひたすら回復を祈るものではあるが、私には大いに疑問の残る演奏会となった。

クリスマスに聴くレコードNr.1

2009-12-24 00:34:37 | CD評
私はせいぜい月数回教会に通う程度だし、未だ洗礼を受けた訳でもないような人間で、些か気の引ける表題を附してしまった思いである。とはいえ、この時期になると、どうしても聴きたいレコードが出てくる。それを、今日はご紹介したい。

日付が変わって、もうイヴということになったが、23日などに聴きたくなるのが「ヘンゼルとグレーテル」である。私には残念ながら実感の伴わないことであるが、クリスマスが近づいてくるにつれての、ヨーロッパの人たちの胸の高鳴りを感じさせられるような、楽しい音楽。それでいて、同時にこの美しい音楽は、この一年己を省みたいような気分に、私をさせる。前奏曲冒頭の、ホルンの名旋律。甘美と厳粛が、少しも矛盾しないものであることを、教えてくれる。

1番よく聴くのは、カラヤンがフィルハーモニア管弦楽団を指揮した、53年のEMI録音。若々しいカラヤンが指揮した音楽は、流麗でいながら、逞しいが、どこか純朴な雰囲気にも欠けていない。何と言っても私にはシュヴァルツコップが魅力的である。無論、グリュンマーもいいし、メッテルニヒなど脇も充実している。

あと、プリッチャードとアイヒホルンの演奏も、忘れ難いものだ。前者は、コトルバス、フォン・シュターデ、テ・カナワと歌い手も豪華で、プリッチャードの指揮も例によって堅実である。
アイヒホルン盤は、モッフォ・ドナートのタイトル・ロールはもちろん、父親のディースカウ、魔女はルートヴィヒ、暁の精はルチア・ポップと、キャスティングの豪華さでは、1番の録音であろう。アイヒホルンもよく練れた指揮ぶりである。もし私がシュヴァルツコップの熱烈なファンでなかったら、こちらを1番に推したかもしれない。


ちょうど、ドナートとアイヒホルンの名が挙がったが、彼らが共演したorfeoのライヴ盤が素晴らしい。1988年、ミュンヒェンのクリスマス・ライヴの模様(といっても11日だけれども)を収録してある。オーケストラはミュンヒェン放送管。
プログラムは、メサイアの抜粋ではじまる。ドイツ語歌唱ではあるが、違和感は少なく、何より華美ではないが確かな力感を持った合唱・管弦楽が良い。ピリオド・アプローチ台頭の今にあっては、あまり聴かれなくなったコレッリのコンチェルト・グロッソのロマンティックな演奏を経て、モーツァルトのアヴェ・ウェルム・コルプス、ラウダーテ・ドミヌムに至って前半のクライマックスとなる。本当に美しい曲の、美しい演奏で、私は両曲の録音のうちでは1番好きである。後半はまずアカペラ作品が6曲。ここでも少年合唱を中心としたコーラスは、非常に質の高い歌唱を聴かせる。最後はエクスルターテ・ユビラーテで、ドナートが潤いのある柔らかな歌を聴かせてくれる。
そうしてまた、アイヒホルンの指揮が実に心得ていて、単なる日常の演奏会に終わらせない仕上がりとなった。
あまり話題になっていないようだが、心がとても暖かくなる名演奏で、私は今頃どうしても聴きたくなる。

ピアノと西洋音楽史・ピアノと西洋音楽受容史

2009-12-08 23:27:55 | 随想
 本邦の西洋音楽受容に於いてピアノが果たした役割に思いを致すとき、そこにピアノと西洋音楽史との関係とパラレルであると同時に、実に特殊な一側面を見出さずに入られない。西洋音楽史にとってピアノとは何だったのか。そうして日本西洋音楽史にとってピアノとは何だったのかということについて、全く私的な感慨をも交えながら、ひとつのトルソとして本稿を認めるものである。
 ピアノの誕生は、音楽の創造―それは原創造にも、もちろん追創造にも―に根源的な影響を与えた。シューベルトがいくつかの傑作を、ピアノ無しで作り上げたということが驚異として語られるほどに、あらゆる作曲家にとって、ピアノという楽器は不可欠なものとしての地位を占めてゆく。またモーツァルトやベートーヴェンにとって、その華々しいキャリアの幕開けは、ピアノの名手としての名声でもあったということを、看過すべきではないだろう。では、西洋音楽史に於いてピアノはいかなる意味を持つのか?
 単純に道具としての役割がまず挙げられよう。上述した如くに、表現のための手段、道具としてのピアノである。その利便性と多様な表現の可能性に於いて、その比類の無い価値は、かくも高度な技術を有する今日になお、失われていないと言えるであろう。もしピアノが無かったら―即ち、ピアノが無くては表現し得ないものは何か―ということを想像してみるのは、容易なことのようでいて、私には俄かに答を見出しえないものだ。仮にピアノがこの世に無かったとしても、天才たちはどうしても同じ音楽を生み出すより他は無かったという思いもする。けれども、もしモーツァルトがピアノを知らなかったならば、あの美しいコンチェルトを私たちは聴くことが出来なかった―と考えれば、暗澹たる思いにとらわれる。するとまた、あの透徹されたクラリネット協奏曲も、壮麗なハ長調のジュピター交響曲も、生まれはしなかったような気がするのである。この有能なる楽の友が、彼の創作意欲を、どれだけかき立てたろうという意味に於いても。それほど深く、作曲家は、その創造行為において、ピアノに依存するところ少なくなかったのではないだろうか。ピアノがそれぞれに有した個性もまた、それを愛した作曲家の個性と不可分の絆で結びついていたのである。
 けれども私の感覚では、ピアノは来るべき市民社会と音楽との関係において、極めて興味深い存在として浮かび上がってくる。貴族や一部の趣味人の間のものであった音楽(これは器楽としてもいいだろうか?この際オペラなどは考えの外におくべきと思われる)が、新たに台頭してきた市民層に所有される時代である。弦楽器や管楽器を奏しているのでは、例えばかつてのブランデンブルク候のように、玄人はだしの腕前であったとしても、家庭で再現しうる音楽には限界がある。メンデルスゾーンの管弦楽作品が、ピアノ連弾によって親しまれた例にも示されるように、10ないしは20という指の運動から可能になるその表現は、オーケストラ音楽を、わが部屋に再現せしめたのである。しかも、弦楽器や管楽器に比べて―私も自身で体験したことだけれども―素人でもサマになるのがピアノなのである。確固たる歴史のうちに己のアイデンティティーを見出せず、その存在の証をいつも求めずに入られなかった新興市民層にとって、ピアノは受け入れられる条件を見事に備えていたのである。
 こうしていわゆるクラシック音楽の裾野を広げることにも、ピアノは多大な影響をもたらした。M・ウェーバーが論じてみせたごとく、ピアノはクラシック音楽と市民社会の発展の象徴的な存在となってゆく。
 こうした地位を誇ったピアノが、明治日本にそのままもたらされたと言っていいだろう。まさに厳格なる階層社会の崩壊した後の世という状況は、ピアノが生まれ育ってきたヨーロッパのそれとパラレルなものであった。およそ熱心に音楽の道を志していない者の間にも、ピアノを持ち、演奏するということは広がってゆくのである。一種のステータスであると言ってはあまりに卑俗な見方になろうが、おそらくヨーロッパに於いても、同様の受容を些かなりとも示したことであろう。もちろん、明治大正期に於いては、それは良家の子女のみに許された素養であったろうが、広く少年少女たちの「習い事」として普及してゆくまでには、半世紀の時を待つだけで十分であった。それは即ち、我が国が迎えた次なるパラダイム・シフト―1945年8月15日―の後に立ち上ってくる現象である。
 私自身、かかる世の趨勢に則って、幼き日にピアノと格闘する羽目になった人間の一人である。ただ本人も家族も別段熱心ではなく、あの異常なまでにシステマティックな指導法にも、まるで無縁であった。私は、結局、今に至ってみれば、楽譜を単なる記号の羅列として見ないくらいの素養が身に付いた程度である。それに、音楽的アイデンティティーの形成に、驚くほどにピアノ体験が無関係であるということにさえ、気づくのである。
 ただ周囲を見渡して、私も僕もピアノをやっていた、やっているという今日の状況は、殆ど空恐ろしいまでの気分に私をさせる。能動的であれ受動的であれ、これほどにまで多くの人々がピアノに触れ合っているという国が、他にあるのだろうか。もはやピアノは、音楽表現の手段でもなく、市民社会の象徴でもない、全く我が国に特異な存在として、浮遊しているのではあるまいか。まさに、単なる道具として。
 以前からかかる違和感を禁じえなかったのであるが、こうまでも痛感させられたのは、先頃ポリーニの日本公演に接してからである。
 そもそもクラシックを聴くようになってからの私は、その本質に於いてレガートすることが不可能なピアノという楽器、その独奏を徹底して嫌いぬいてきた。いつでも私にとって音楽は、カンタービレ―から発していたのである。ピアノは打楽器であるということが、私には堪え難かった。例えば、ミケランジェリを聴いて、ピアノが金属の塊であることをいよいよ痛感させられて、殆ど生理的な不快感を催したりもした。
今もそういう嗜好は強く、ピアノ独奏曲を、同じ集中力で聴き続けることは、かなり困難といっていい。上述の如くに、ピアノが音楽史に占める犯し難い価値を認めながらも、ショパンやリストという、ピアノを抜いてはどうにも語りようの無い作曲家を、私はいつでも「嫌いな」という形容詞を付して語ってきたものである。その時点で、私は多くの日本の音楽ファンと、その根源的な部分で質を異にしていたと言えるかも知れない。熱烈なファンでもないポリーニの、しかもオール・ショパンという半ば拷問にも似たプログラムの演奏会に、決して安くない料金を払って出かけたのは、ひとえに「今のポリーニ」を自分の五感で感じたいという欲求からであった。満場の聴衆のうちで、かくも冷ややかな気持ちでいた者が、他にどれほどいたろうか。
ポリーニの演奏は、あの精巧なヴィルトゥオロジーに、ある不思議な透明感を備えて、マズルカやスケルツォ、ポロネーズといった作品よりも、ノクターンのような小品に、その真価を発揮したように思った。けれども、とにかく人は、例えば「革命」のような有名曲に、悲鳴にも似た喝采を送り、特に1階席などは殆ど総立ちという様相である。よもや中村紘子の演奏会でこういう現象が起こるとも思えないし、この異様な雰囲気を目の当たりにしながら、私は先の、日本人とピアノ、そうしてショパンとの特殊な関係を感じずにいられなかったのである。
かかる現象を生んだのも、あそこにいた大部分の人々が、その幼少期に於いて親しくピアノと接点を持ったからではないだろうか。だとすれば、日本人の音楽的アイデンティティー(クラシック音楽の)はピアノと不可分では考えられまい。またそこにショパンの存在を交えてみるとき、単に日本人のセンチメンタリズムだけでは捉えきれない淵源があるように、思われてくるのである。

アバド/ルツェルン祝祭管ロシアン・ナイト

2009-12-08 06:28:56 | DVD評
音楽の映像というものは、実はあまり見ない。オペラはまだしも、演奏会の映像は、ああして言わば「他人の視点」を強制されるのが、ひどく疲れるし、また音楽にも集中出来ないからである。それでは次からはテレビは消して見ましょうとすると、案外音質がぞんざいだったりする。
近頃はDVDだけでライヴの録音が出たりするから、私としてはあまり喜ばしくない。

その典型かこのアバド/ルツェルンで、DVDしか出ない。けれども、いつかのマーラーの第6番があまり良かったものだから、私はそれから毎年このコンビの演奏を買い続けている。いまヨーロッパに行って、一番見たいのは、彼らの演奏である。

今回は珍しいロシア物のプログラム。俄然興味が湧くではないか。

まずチャイコフスキーの序曲「テンペスト」。私は、この曲を聴いて魅力を感じたことは、残念ながら一度もない。アバドは、例によって非常に明快でスマートな音楽を、ここでもやっている。ただ、それがあまりに見通しが良くて、些か作品のどろどろとしたところと乖離している。ただし、こんなに輪郭のはっきりした演奏をした人は、私は他に知らない。
「ロミオとジュリエット」をやってくれたら、どんなにか良かったのに。

次はある意味ではメインといえるだろうが、エレーヌ・グリモーを独奏に迎えた、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。当代きっての美女音楽家の映像というのは、確かに値打ちがありますね。
グリモーという人は、奮然と弾きまくっているようでいて、その音はあくまでクリアで、しかも独特のしなやかさがある。だから剛腕逞しく弾き上げるラフマニノフを好まない私には、歓迎出来るものだ。けれどもここでのグリモーは、もうひとつ方向性がはっきりしない。抒情的な演奏を目指すにしては、やや表情の変化に乏しい。例えば、弱音をもっと効果的に用いて欲しい。第2楽章など、あまり浸りきれないまま終わる。白眉は終楽章で、あのロマンティックなテーマは実に繊細に弾いている。そうしてまた、オーケストラの壮大なトゥッティと渡り合うあたりの貫禄は十分で、よくもこの細い身体でと思わせる。圧巻。
アバドはチャイコフスキーと基本的には同じスタイルで、この人らしく独奏者を優しく包み込んでいる。ただやはり、響きが洗練されていて、こういう曲には物足りなさが残るのもまた事実である。

最後はストラヴィンスキー「火の鳥」(1919年版)。アバド久しぶりの録音。
ただ、これはあまり感心しなかった。個々のメンバーの、すさまじくハイレベルな技量を聴くには良いが、全体としてその響きが迫ってこない。例えば「カスチェイ王の踊り」など、驚異的なオーケストラ性能の高さを突き付けられるが、個人技があくまで個人の段階に留まっているのである。こういう違和感は、全曲を支配している。終曲も、あまりに軽やかに過ぎて行って、聴かせどころがない。マーラーの複雑なテクスチュアを解く、見事な一例を示してくれたアバドも、ここではそれが裏目に出て、まるでつまらない演奏になってしまった。
即ち、こういう多分に「見得」のようなものを織り交ぜて聴かせて欲しいような曲では、彼の指揮ではあっさりに過ぎて物足りない。


といったような次第が、久しぶりに新譜を視聴した私の雑感である。話題性は十分くらいあるのだけれど、あまり成功したプロダクションとは言えまい。

ノートNr.2 古楽器演奏に寄せて

2009-11-22 00:37:06 | ノート
ここでは、古楽器での演奏と、モダーン楽器を用いてのピリオド・アプローチを、基本的に区別して扱うことを断っておきたい。両方合わせて言う場合は、古楽器派とする。

私はそのいずれも、率直に言えば好まない。今でも、素直な感動に、ある種の学術的な関心が先行するところ少なくないが、このところ以前より多くの古楽器演奏、ピリオド・アプローチに接することもあり、いくらか考えをまとめておきたいと思ったのである。

こうした古楽器派と呼ばれる潮流が、果たしていつ生まれたのか?60年代から既に、そうした動向は認められるかも知れない。古楽器を用いない、あるいはピリオド・アプローチを標榜していなくても、例えばかつてのフェリックス・プロハスカの指揮などは、今日の私たちが聴くと、その嚆矢をさえなしているように聴こえるところも少なくない。

モーツァルトを演奏する時に、果たして当時それがどのように聴かれていたかというのに思いを馳せるのは、歴史主義など引き合いに出さずとも、まことに自然な感情であると思われる。そうしてまたそれは、私たち音楽学の人間にとって、ある重要な仕事であることも疑い得ない。

こうした様々な視座が相俟って、古楽器派半世紀の歴史を数え、実に多様な演奏が聴けるようになった。そうして今や、たくさんの人達に、彼らの演奏が受け入れられている。すると私などは、かなり保守的な趣味の持ち主とばかり、ほとんど奇異の眼差しでさえ見られかねない。


先日、鈴木秀美さんの指揮するモーツァルトの「プラハ」などを収めたCDを聴いた。とても、面白い演奏。とにかく緊張感の持続が素晴らしく、演奏の様子が目に浮かぶほどに、生々しい音楽が展開されている。それに各楽器のバランスが独特で、時折強調される弦のレガートもまた、強い印象を残す。こうした賛辞は、私が古楽器派の演奏に接する時、いつも思うことだ。

ただし、同時にいつも思わずにいられない批判も、ある。彼らはピリオド・アプローチであらねばならぬのか、ということである。

というのも、誰を聴いても、歌いたいという本能的な欲求を敢えて抑圧しているか、もしくはかなり工夫を凝らして歌う様子が、どうにも不自然に聴こえるからである。何故そこまで苦労してまで古楽器を用い、またピリオド・アプローチであらねばならないのか?-このことに、演奏で以って説得的な回答を与えてくれた人は、未だいない。それが私が、今も古楽器派の演奏を受け入れきれない所以である。

加えて、例えばアーノンクールやガーディナーのような、この分野の巨匠と呼びうる人たちが、結局のところモダーン楽器、それもウィーンフィルのような団体に活動を広げていったことが、私の意を強くする。
まさしく音楽史の展開の縮図を見る思いがする。まことに芸術は、人間の本能に、欲求に忠実であったのだ。

もうひとつ古楽器派の限界は、例えばモーツァルトを演奏する時、彼の音楽の持つ息の長い歌謡性など、既に胚胎されている超時代性とでも言うべきものを、表現しきれない点にある。同時代のコンテクストではもはや捉えきれないものを、時代を超えて作曲家が希求したものを、今日の我々は再現すべきではないだろうか。それこそが、100年、200年前の音楽がその中心であるという特異なクラシック音楽の領域に於いて、重要なことと私は感ずるのである。
「プラハ」の第一楽章展開部、あの「ジュピター」を先取したような対位法的書法や、ト短調シンフォニーにも似た切迫感などは、やはり、同時代のほかの音楽とは、明らかに一線を画している。そうしたことを、音楽で以って私にはっきりと語ってくれるのは、例えば、やはりベームのような指揮者なのである。

11/14 京都市交響楽団モーツァルト・ツィクルスNr.21

2009-11-14 23:48:46 | 演奏会評
指揮/鈴木雅明 sp/松井亜季 管弦楽/京都市交響楽団
歌劇「ドン・ジョバンニ」序曲K.527
交響曲第20番ニ長調K.133
モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」k.165(158a)
交響曲第34番ハ長調K.338

アンコール:アリア<私の感謝をお受け下さい、慈悲の人よ>K.383


古楽器団体を率いてのバッハ演奏で名高い、鈴木雅明さんが、初めて京響に客演することになった。一連の、小ホールでのモーツァルト・ツィクルスである。

鈴木さんは、名前はよく聞きながらも、実は一度もその演奏にーレコード、実演ともにー接したことはなかった。その初めてが、今日のモーツァルト。

鈴木さんの指揮は、実にエネルギッシュなものであった。どちらかと言えば器用なタクトではないけれども、直截である。金管・ティンパニが強調され、弦楽器は基本的にノン・ヴィブラートで、いよいよ響きは先鋭的で、ストイックなものとなる。もちろん、6ー6-4-3-2の小編成である。

そういうスタイルが、特に前半では些か生硬に過ぎる表情に留まっていた。指揮者、オーケストラが、双方探り合いという趣で、アインザッツなどの不揃いも聴かれた。

後半のエクスルターテ・ユビラーデ、これは私が中学生の時、例の「オーケストラの少女」で、ディアナ・ダービンの歌う「アレルヤ」に惹かれて以来、モーツァルトの作品中でも愛惜おく能わざるものである。今日も、昨今ではなかなかコンサートで聴かれないこの曲を目当てに出かけたのである。
ソプラノの松井さんは、豊かな声量で高音の響きも申し分ない。ただ、些かオペラ的な歌唱で色があり、私はもう少し素直な表現を望みたい。
このあたりからオーケストラも落ち着きを見せ、明るく、また優しく独唱を包み込む。アレルヤの、愉悦に満ちた快活なテンポも爽快である。

最後の34番は、やや鋭角的ではあるが、よくオーケストラが鳴っている。特に終楽章の執拗なタランテラ風のリズムは、指揮者共々、非常に情熱的であった。とにかく鈴木さんは、精力的な指揮をする人だという印象である。

どこからか「待ってました!」の声(会場はやや苦笑。「北座」ではないのだが)がかかったアンコールが、また、とてもよかった。ここでは松井さんの豊かな表情がよく活かされて、この素敵なアリアを堪能した。後半通じて素晴らしい演奏をしていたオーボエが、ここでも良いアクセントになっていた。

初めに述べたように、やや硬さが最後まで拭いきれなかったが、充実したマチネーを聴いた思いである。どこか人情味のようなものがあるようで、過度にエキセントリックでないピリオド・アプローチが、私には聴きよかった。

11/1 リッカルド・シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団京都公演

2009-11-02 16:04:00 | 演奏会評
さすがに連夜の演奏会に運ぶのは穏やかなことではない。先のN響のようないい加減な演奏もあるが、聴き手の襟を正さずにはおかない熱演の前には、尚更のことである。しかしまたそれは、とても心地好い充足感でもある。今回の演奏会は、まさにそうした一夕となった。マチネーにしなかったのも、シャイーの気概を現したものであったろう。

初めに告白しておくならば、私はシャイーという指揮者を好きではなかった。コンセルトヘボウの、「あの響き」をまるで変えてしまったイタリー人の指揮者-そうしてまた、微に入り細に穿ったアプローチも、私には煩わしいものであった。きっと彼はまた、ライプツィヒのこの古いオーケストラの響きも、すっかり変えてしまうのだろうと思っていたのである。

確かに彼は、またしてもオーケストラを自分好みのそれに変えてしまっていた。そのことの是非は、別に問いたいところではあるが、それが全く不満とならないほどの素晴らしい演奏会となった。

まずモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番。独奏は、アラベラ・美歩・シュタインバッハーという若い女流である。私はこの人のことを皆目知らないのだが、これからが楽しみな才能と思われた。線は太くないが、とても美しい音色、高音に至っても実にしなやかに響く。艶やかというよりは、もっと清廉な印象である。曲想にそれが、とても合っている。
シャイーの指揮は、冒頭の極端な強弱や間合いなどは些か過剰であったが、明るく爽快な響きが持ち味である。シャープでありながら、とても柔らかな風合いと言ったらいいだろうか。第2楽章が、とてもよかった。ピッツィカートひとつにも、表情がある。優しい気持ちにさせられる、そういうモーツァルト。

マーラーは、作曲者の細かい指示を更に上回る、濃厚な表情を初めからおしまいまで聴かせた。シャイーの執拗なまでの要求に、完璧に応えていくオーケストラ。この緊張感は、なかなか聴けるものではないし、かかる刺激的な関係が、名オーケストラを次々と渡り歩くシャイーの手腕であるのだろう。とにかく惰性というところが皆無の演奏であり、それでいて煩わしさを感じなかった。

冒頭の「カッコウ」の甲高い強調に始まるそれを、一々指摘するつもりは無いが、白眉は終楽章である。あの胸の詰まるような弦のメロディーから、金管の阿鼻叫喚まで、指揮者とオーケストラが一体となって描き出す。殆ど忘我の境地で、私は聴かずにはいられなかった。それでいて、シャイーはバランス感覚を少しも失わず、各パートが実に精緻に鳴り切っているのである。

夏のティルソン・トーマスとPMFに続いて、忘れ得ぬマーラー演奏を聴くことが出来た。久しぶりに、根底を揺さぶられる音楽体験であった。

10/31 プレヴィン/NHK交響楽団京都公演

2009-11-02 14:23:55 | Weblog
今年N響の首席客演指揮者に就任したプレヴィンが、京都へ来た。私事ながら、週末3日、全日コンサートホールに運んだ中日である。

プレヴィンは、2年前だったか、前回の来日の折、東京へ出向いてラフマニノフを聴いた。上半身が随分肥えて、指揮台の行き来がやっとという有様で、随分老けたという印象が強く、もう来日は最後かなどと思ったものだった。

今回は、立ち居は危なっかしさを増して、音楽自体もいよいよ老いたということを痛感せずにはいられなかった。

曲目は、モーツァルトの38・39・40番。往時のスウィトナーを思い出させる選曲である。アプローチは極めて温雅な、フレーズの終わりを弱めるなど昔風のものである。私はこういうモーツァルトで育ったし、こういうモーツァルトが好きである。
ただ今回はテンポばかり遅く、音楽がまるで生き生きした表情を持たない。リズムに弾力が無い。それでいて、リピートをすべて実行するのだから、すっかり退屈してしまった。確かに管楽器のバランスなど、いくらか面白いところもあったが、これを中庸などと言うのは、あまりに過大な評価という思いがする。

プレヴィンの老化はともかく、N響のぞんざいな演奏に私は不快感を覚える。指揮にはよく従っていたが、決して「献身的」ではない。切り詰められた編成であるのに、vnを中心に甚だ雑なアンサンブルを聴かせる。ホルンのピッチも不安定である。ティンパニの打ち込みは、突出して安っぽい。
まるでプロ意識に欠けた、言葉を選ばないならば、手抜きの演奏であった。

このオーケストラの根本的な問題を目の当たりにした。プレヴィンも、晩節を汚さぬほうがよい。

10/30 第529回京都市交響楽団定期演奏会

2009-11-01 23:27:39 | 演奏会評
かつて常任指揮者であった井上道義の指揮による、リンツとブルックナーの交響曲第9番。「ミッキー」は確か7番をレコーディングしていたが、彼のブルックナーはそう頻繁に聴くことができるものでもなかろう。

リンツは、現在彼が指揮しているアンサンブル金沢に合わせたような小編成で、これを例によって彼は踊り、指揮する。非常に軽快で歯切れが良い。京響の緻密なアンサンブルも際立った。モーツァルトが書いた管楽器の魅力的な動きも、はっきり聞き取ることができる。

ブルックナーは、一転して井上も神妙な面持ちとなる。遅いテンポで、思い入れを隠さず存分に歌い上げたブルックナーである。例えば第1楽章の第2主題など、一息でさらりと歌うのもよいが、こうしたたっぷりとした、やや粘り気のある演奏も好ましい。細部に拘泥せず、全体の分厚い響きを聴かせるスタイルが、ブルックナーによく合っていた。

京響はいくらか不安定なところもあったが、最後まで全身全霊を傾けている。弦の発音など、かなり美しいところが多かった。木管もよく整っている。聴く度に充実してゆく様子が、京都市民にとってはとても嬉しい。

ノートNr. 1マーラーは美しいか

2009-10-11 01:42:27 | ノート
「ノート」では、ふとした思いつき、まだ論としてまとめられない今後の課題を、いわば備忘録的に記すことにします。
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久しぶりに、亡くなった若杉さんの指揮したマーラーを聴いた。東京都交響楽団を指揮したチクルスのうち、9番と10番のアダージョを収めたもの。私は、このシリーズは、これしか持っていない。現在は廃盤で、追悼企画のような再発もないと聞いた。

これは、初めて聴いた時からとても素晴らしいと思った。最晩年にN響を指揮した9番を、以前テレビで見たけれども、これはあまりに穏やか過ぎる演奏で、感心しなかった。
けれどもこの録音では、そういう若杉さんの中庸をゆくバランス感覚と、何か鬼気迫る緊張感とが調和している。

今日はまず、10番を聴いた。マーラーを些か専門的に取り組んでいるが、この曲は滅多に聴かない。どこかステレオタイプ的な感覚を、捨てきれずにいる、と言ったら十分だろうか。

ただ、今日は痛切に私の心に訴えかけるのである。9番で生と死との間で葛藤し、最後には浄福されていったマーラーが、ここではもう、過去を振り返っている。美しい思い出として。

若杉さんは、この長い一楽章に散りばめられたたくさんのモメントを、実に丁寧に、精緻に捌いてゆく。それでいて、それは少しも機械的なところがない。そうして、あの印象的な第一主題を、美麗に歌い上げて、しかも過度に耽溺することはしないのである。

あまりに美しい曲の、美しい演奏だ。やがて9番の終楽章を聴き終えて、そう嘆息するしかない、名演奏。と同時に、私の頭をかすめた言葉。

マーラーの音楽は美しいのか?

これは主に緩徐楽章を指して言うのだが、私は本当に美しい旋律を、マーラーは書いた人と思ってきた。あんなに苦しみ悶えた人が、確かに甘美な旋律を書いた。けれども、本当にあれは、美しいのだろうか?

美しいとは?というきわめて根源的なところに立ち返らねばなるまいが、恋い焦がれるように、甘く美しく歌い上げて、いいのだろうか?

マーラーは、例えばあのアダージェットを、6番のアンダンテを、それに3番の終楽章を書いた時、どんな思いでいたのか。つかの間の解放であったのか、やはり闘いは続いていたのか?

私はマーラーの音楽は、最終的にいつも肯定に終わると信じてきたが、本当にそうだったのか?最後までNeinの叫びをやめはしなかったのだろうか?

若杉さんの、あまりに美しい響きを聴きながら、却って不安になり始めたのが、この思考の発端なのである。


読者諸賢は、どう思いますか?